ミュージック

2011-07-31

音がでるiPad App、素晴らしいです!

 iPad用の楽器のアプリケーション(App)、エアー・ハープの紹介が極東ブログであった(参照)。ふっと、肩の力が抜けるエントリーで嬉しかった。短いエントリーだが内容は恋ぜ。今なら格安(85円)でAppが購入できるというお知らせもあるし、簡易チターという実楽器の紹介も含まれている。
 エアー・ギターなら知っているが、エアー・ハーブなんて聞いたことがないという人に、まずはこれを見てイメージしてみて!

 チター(独:Zither)という楽器は、ハープの小型版で弦の数も少なくて短い。音を鳴らす構造は、日本のお琴と同じだと思う。私はお琴なら弾いた経験はあるが、チターは手にとって見たこともない。実楽器が手に入るのなら欲しいと思ったが、せっかくAppの紹介があるのだし、いまなら85円とあって、まずはエアー体験してみた。
演奏の気分に浸れる!これ。
 紹介にある通り、かなり楽しくチター演奏の仮想体験ができる。で、エアー・ハープならではの体験として分かったことは、すでに触れている弦に別の指で触れても同じ音がだせること!ギターやお琴では、片方の指で弦の長さを調節するから音の変化が楽しめるのだが、よく考えたら、チターの弦の長さは音階ごとに調節された楽器なので、音階は見つけなくても良いのだな、これは。だから、iPadを置いて両手で演奏ができる。しかも先に書いたように、同じ弦に重ねて指を置いても、放して触れる動作をすれば何度でも続けて音が出せるので、複雑で深みのある演奏ができる。ランダムに指を動かすだけでもかなり良い響きの音楽に聞こえるから不思議だ。これを意図的に作曲して譜面を起こし、意図的に弾くことができたら素晴らしい楽器になるに違いないと思った。
 実は、ずっと前にiPadのジニアスで「Garageband」というAppのお勧めがメールで届き、当時850円(だったと思う)を買ってiPadにダウンロードしてある(参照)。ついでなので、これも紹介しちゃう。

Garageband_touch1_20110302

 なんと!今なら450円ですぞ。この使い方は、こちら☞。英語でしゃべっているけど、お姉さんの指の運びを一緒にやると納得できると思う。
 最初にエアー楽器の感動を味わったのが、このGaragebandだった。これがまた凄いAppで、私にもう少し作曲のセンスがあったらと悔やまれるが、フルバンド演奏も可能な位の楽器を取り揃えている。とても賢い。
 フレーズを設定し、楽器ごとに自分のビートに合わせて音をインプットしながら記憶させ、他の楽器も同様に同じフレーズで入力して音を重ねて行くだけ。この楽器の凄さは、例えばドラムセットのシンバルなどで体験できる。触れる場所によって音が変化するようにできている。また、ギターは、和音ボタンが弦のそばについているので、アルペジオと和音の組み合わせが同時にできる仕組みになっている。で、しばらくこれに夢中になって、少し作曲もして保存してある。
 これをどうやって使いこなすのかと思い、Youtubeで探すとあるある。

 皆さん、実楽器のギターなどと組み合わせて演奏しちゃっている(参照)。ピアノやギター演奏ができる人は、iPadをそばに置いて音をスピーカーに出力すればリズムボックス代わりになるわけだ。すごいこっちゃ。

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2011-05-09

鉄腕アトムから誕生したI am robot and proudとピアニストGlenn・Gould(グレン・ グールド)のことについて

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 Shaw-Han Liemは、エレクトロニカ(電子音楽)のソロユニットI am Robot and Proudとして活躍するカナダトロント出身のアーティストだ。先日知ったばかりで、その時にここで紹介したが(参照)、彼のことを調べきれずになんとなく未消化だったため、このところ検索ワードを変えたりして調べていた。充分とは言えないと思うが、たまたまfinalventの日記で別の曲を紹介していたため(参照)、再び書き留めておきたくなった。曲名は「When I Get My Ears」という。まずはYoutubeで聞いて欲しい。

 画像は、トロント市内だろうか。このビデオの投稿者はShawhanとあるが、本人だろうか。CDを出している彼が自らそうゆことするかなぁ。と不思議に思ったが、宇多田ヒカルのようにYoutube公式サイトを作ってファンに聞かせるくらいなのでアリかなとも思った。これを疑った理由はもう一つある。それは、音楽のイメージを画像でわざわざ固定化するようなことに疑問を持ったからだ。彼の魅力は、自由な想像と解釈が聞く側に独占できることだと私が勝手に思っているからだが、本人だったらどうしよう。マズイかも。
 この曲の題名である「When I Get My Ears」からの連想で、聞こえない私が耳を授かりたいと願う時は一体どんな時だろうかと曲からイメージしてみたら、それは水の中だった。水中に潜ると音は聞こえるが、耳の鼓膜が反応していると言うよりも、脳が反応しているように感じる。水中のいろいろな音は脳が聴いていると言ったらいいのかな。その不思議な感覚で聴いているような錯覚に陥るのは、遠くの音が近づいてきてはまた次の音がやってきて、これが重なっては離れるのを繰り返す時だ。途中、子どもの声が私を呼んでいるのかと思った。
 先日、Wikipediaで彼のことが書いてあるのを見つけた(参照)。迂闊だった。こういったものが何故先日見つからなかったのだろうか、まったく。短いので前文引用する。

 i am robot and proud とは、カナダトロント生まれ、在住の中国系カナダ人であるショウハン・リーム (Shaw-Han Liem)による一人プロジェクトである。エレクトロニカを中心に楽曲を作成し、2008年現在、アルバムを五枚発売している。
 リームは、トロント王立音楽院で、クラシックピアノを十年間学んでいたが、1990年代半ば、コンピュータでの作曲による電子音楽に転向した。「i am robot and proud」ということばは、リームが高校生だったときに手塚治虫『鉄腕アトム』(英語:ASTRO BOY)から着想を得てつけたもので、2000年からプロジェクトの名前として使用している。そして2001年に、イングランドのCatmobile Records からThe Catche を出してデビューした。
 i am robot and proud の楽曲は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークマンハッタン区にあるニューヨーク近代美術館制作の短編映画のサウンドトラックにも使われたり、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにあるシカゴ文化センターでのビデオ作品とのコラボレーションで、ライブを催した。

 鉄腕アトムから着想を得たと言うのは何とも可愛いものだと思い、そういえば、彼が作る音にはほのぼのするものがあると感じる。アトムが歩くたびに聞こえたピコピコという効果音と同じように、彼の曲の中でも効果音が聞こえてくる。
 彼がHMVのインタビューに応じ、曲作りに触れて次のように話している(参照)。

--- あなた自身が作品を作るうえで一番こだわりを持っていることとはどんなことでしょうか?

I Am Robot & Proud 音楽を作っているときは、あまりいろんなことを計画しないようにしてる。「正しく」鳴っているなと思うまで、サウンドや作曲で遊ぶだけなんだ。でも、最高の音楽って、何かを感じさせるものだと思うんだ。エモーションかもしれないし、ダンス・ミュージックみたいにフィジカルなフィーリングかもしれないし、音楽のかけらから心の中に映像を思い浮かべることかもしれない。音楽を作るときは、そういったクオリティを持ったサウンドを産み出せるよう頑張ってるよ。

 また、先のWikipediaにあるトロント王立音楽院と言えば、ピアニストのグレン・グールド(参照)が学んだ音楽学校だ。サイトを見ると他にも大御所と言われるアーティストが誕生しているではないか。ひゃー、これは、面白い引き合わせだと思った。
 バッハの通訳と言われるグールドのピアノ演奏スタイルは独特であり、猫背で縮こまった背中から伸びる腕の先に神業的なフィンガーワークを覗くことができる。せっかくなので、二曲だけ代表的な演奏を紹介しておきたい。
 1964年3月シカゴのリサイタルを最後に全てのコンサート活動をやめることになるが、以下の「ゴールドベルク変奏曲アリア&カノン集」がその当時の演奏だ。また、最後の公開演奏であったと聞いている二曲目は「ゴールドベルク変奏曲1-7」で、Youtubeの動画はNHKでその姿を収録したものだと紹介されている(参照)。

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2011-05-08

ウィキーリークスで公開された外務省官僚斎木昭隆氏の発言について

 「ウィキーリークスに公開された2009年9月21日の公電をもうひとつ簡単に試訳してみた。」ということで極東ブログで「その2」が挙がった(参照)。
 内容は日本の外務省・斎木昭隆アジア大洋州局長と米キャンベル国務次官補が9月18日、東京事務所で会った時の話を在日アメリカ大使館から本部へ報告したものだ。ここで私がこの公電をどういう視点で見るかが文脈を捉えるポイントになると思う。このところ書いている公電関連のエントリーではいちいち断り書きなどはしていないが、この公電に関しては気になった。
 アメリカの大使館員のフィルターを通した伝聞事項であることを念頭に置くとしても、日本外交の相手国であり、同盟国でもあるアメリカ政府が日本をどう見ているのかは興味深い。また、日本の外交官が閣僚とアメリカ政府との間でどのような役割をしているのか、その辺が公電から読み取れると良いと思った。また、新政権と官僚組織について触れている部分も興味深く、その部分をピックアップしながら感想をつけておきたいと思う。

1. (S) SUMMARY: Assistant Secretary of State (A/S) for East Asian and Pacific Affairs Kurt Campbell met with Japanese Ministry of Foreign Affairs (MOFA) Director General (DG) of the Asian and Oceanian Affairs Bureau Akitaka Saiki at the latter's Tokyo office on September 18. DG Saiki praised MOFA's new leader, Foreign Minister Katsuya Okada, but warned that the new administration's threat to tame the Japanese bureaucracy would end in failure.
概要。アジア・太平洋担当・カート・キャンベル国務次官補は、外務省・斎木昭隆アジア大洋州局長と9月18日後段の東京事務所で会った。斎木局長は新任の外務大臣岡田克也を賞賛したが、日本の官僚制を懐柔しようとする新政権の威嚇は失敗に終わるだろうと警告した。

 この文章が公電の一番最初の概要部分で、まずここで政権交代後の民主党が「官僚制を懐柔しようとする新政権の威嚇は失敗に終わる」と、官僚である斎木氏がアメリカの要人に話した意図がよく分からない。新政権の人事に関する個人的な印象の話しの部類ではないかと思うと、抜け駆けしているようにも思えるし、斎木氏とキャンベル氏の関係が親密にも受け取れる部分だ。民主党が野党であった頃から批判的であった事を「威嚇」とみていることや、最初から「失敗に終わる」といえる斎木氏の真意が知りたい部分だ。

2. (C) Speaking about the new DPJ government, DG Saiki said he was glad to have Katsuya Okada heading the Foreign Ministry, as he is "very intellectual" and "understands the issues." Saiki explained that Okada did not pose any problems in his areas of responsibility--North Korea, South Korea, and China. Although some bureaucrats were worried about the DPJ government's threat to diminish their power, Saiki warned that if the DPJ tried to crush the pride of professional bureaucrats, it would not succeed.
民主党による新政権に話が及ぶと、斎木局長は、外務省大臣となる岡田克也を「非常に知的で」かつ「諸問題を理解している」として、その任命を喜んだ。北朝鮮、韓国、中国への責任範囲で岡田は問題を抱えてないと斎木は説明した。官僚のなかには新政権の威嚇が彼らの力を削ぐのではないかと懸念する者もいるが、もし民主党が専門官僚らを潰そうとしても成功しないと斎木は警告した。

 「官僚のなかには新政権の威嚇が彼らの力を削ぐのではないかと懸念する者もいる」のニュアンスから伝わってくるのは、官僚側には閣僚から侵害されまいとするような対抗意識のようもので、まるでアメリカに外交問題の窓口は外務省であるとアピールする意図でもあるのかと感じる。

4. (S) Saiki lamented that the DPRK believes that 2002 was "a mistake"--referring to when North Korea admitted that it had abducted Japanese citizens. The DG said he believed that the DPRK had killed some of the missing abductees, and explained that the fate of Megumi Yokota was the biggest issue, since she was still relatively young (in her forties) and the public was most sympathetic to her case. He believed that some of the abductees were still alive.
北朝鮮は、2002年に日本人拉致を認めたことは「失策」であったと思い込んでいると斎木は嘆息した。北朝鮮はすでに未確認の拉致者の数名を殺害していると斎木は自身の確信を語り、横田めぐみの運命が最大問題となるのは、彼女が比較的若く(40代である)、大衆がもっとも彼女の事件に感心を寄せているためだとも説明した。斎木は、拉致者の数名は生存しているとも確信している。

追記: 朝日新聞に「外務官僚「日米の対等求める民主政権は愚か」 米公電訳」(参照)が掲載されていたので対照し、朝日新聞が報道を欠落させたと思われる部分を太字にした。

 この斎木氏の「確信している」という点に関して日本ではどういう扱いだったのか確認できないが、拉致被害者の数が多いので該当すると思われる人物に心当たりがあっての発言かどうかなど気になる。日本が拉致問題に関して敏感なことを承知で話したとは思えない内容だが、アメリカの大使が自国の不利となるような誤報を流すはずもないとも思う。また、エントリーで追記されていた部分について、一部を削除して報じるあたり日本のメディアもこんなものかと思うが、それにしても、後からだろうと思うがWikileaksの公開版も伏字になっていた(参照)。朝日が削除した後に伏字にしたとなると、朝日からそういう要請でも出したのかと思った。ただ、滑稽なのは、斎木氏が全面否定のコメントを出したにもかかわらず、一部分だけ伏せるということは、朝日は、このリーク情報の信憑性の高さを示したことにもなる。と、私は思う。

Saiki was concerned that the new minister in charge of abductions, Hiroshi Nakai, was a hardliner. Saiki concluded by saying the Japanese needed to sit down with the North Koreans to decide how to make progress on the abductions issue, and that the new Japanese government would be just as attentive as the Liberal Democratic Party was to the problem.
斎木は、新拉致担当相中井洽が強硬論者であることを懸念していた。拉致問題の行方を決めるには、日本はまず北朝鮮と同席する必要があるとした。また、日本の新政権はこの問題について自民党と同程度に注意深いだろうとも述べた。

 前段の岡田氏に関する個人的な偏向を言うのと同様、これは、個人的な人の見方であるが、このような内輪の話を外交の相手国とすること事態に品格を感じない部分である。担当閣僚である中井氏が強硬論者であることは、拉致問題を遂行する上でその特性が不利になるという懸念なのか、はっきりしない。この辺は斎木氏の愚痴のようにも思えるが、話す相手が外交の相手国だからと言うよりも、そもそもあるまじき会話だと思った。

6. (S) Saiki confessed that he was "very disappointed" with initiatives such as ASEAN and ARF, where leaders tend to talk about the same topics using the same talking points. Despite the frustration stemming from the need to form a consensus on all decisions between ten countries with "unequal economies," Saiki stated that "we must continue" and cannot allow China to dominate in Southeast Asia.
ASEAN(東南アジア諸国連合)やARF(ASEAN地域フォーラム)の指導性の点で斎木は落胆していると告白した。指導者たちは同じ要点で同じ話題のみ語る傾向があるからだ。「不均衡経済」について十か国間で全決定に合意を要するために生じる不満にもかかわらず、日本は継続しなければならないし、中国に東アジアを支配させてはならないと斎木は述べた。

 ASEANやARFの指導者の短所とするようなこの発言は、その国に対する批判的な見方だが、このような会話をアメリカとすることから、外交官としては好ましくないことではないだろうか。このような話は、相手国の耳に入れたくない話しではないのか?

9. (S) Regarding DPJ leaders' call for an "equal relationship" with the U.S., Saiki confessed that he did not know what was on the minds of Prime Minister Yukio Hatoyama and FM Okada, as the bilateral relationship was already equal.
日米間の双務関係はすでに対等であるのだから、民主党指導者の言う米国との「対等な関係」の要望について、鳩山由紀夫首相や岡田克也外務大臣がなにを考えているのかわからなかったと斎木は告白した。

 斎木氏のこの疑問は、鳩山氏や岡田氏に直接聞いて払拭すべきことだが、それを率直に話し合えないところに問題があると思う。冒頭から感じるのは、斎木氏の内面には閣僚に反目する感情があるのではないだろうか。アメリカにこの話をするのは如何なものかと思う。

Saiki theorized that the DPJ, as an inexperienced ruling party, felt the need to project an image of power and confidence by showing it had Japan's powerful bureaucrats under control and was in charge of a new and bold foreign policy that challenged the U.S. Saiki called this way of thinking "stupid" and said "they will learn."
斎木の考えでは、民主党は政権政党としての経験がないので、権力と自信のイメージを得る必要性から、民主党は日本の強固な官僚制度を支配下に置くとか、米国に挑戦しているのだという新規で大胆な外交政策に関与していることを見せつけているとのことだ。斎木はこの手の考え方を「ばか」呼び、「彼らも学ぶことになるだろう」と語った。

 斎木氏の民主党に対する本音なのだとは思うが、これを話している本人がアメリカから「斎木もstupid(バカ)」だといわれるような下品さだと思う。困ったものだが、斎木氏がかなり上から目線な人物であり、何様かと思う。外交官としての立場も品格の欠片もないと思うが、冷静な状態ではない。逆に、苦悩の日々であったのだろうかと斎木氏が心配になった。

On the other hand, ROK President Lee Myung-bak's strong desire to have Hatoyama visit Seoul on or around the date of the trilateral summit between Japan, South Korea, and China, may strengthen bilateral relations between the neighboring countries. Saiki continued that the Foreign Minister supported such a visit, but there was no reply as of yet from the Prime Minister's Office.
 他方、李明博韓国大統領が、日韓中の三か国会議の日取りに併せて、鳩山を訪韓させたいと強い意欲を持っていることは、隣国間の二国関係の強化となるだろう。このような訪問を外務大臣も支持したが、首相官邸からの返信はいまだないと斎木は語った。

 鳩山氏が韓国を訪問したのは就任直後の6月と10月9日だったので、キャンベル氏とのこの会談後だったわけだが、反日運動もある中、韓国を就任直後の訪問先として一番に当てられたことは、韓国に与えた印象としては良かったと思う。鳩山氏の外交で韓国だけは落ち度もなかったかに思う。これは大きな謎だった。
 感じるままに書いてみたが、会談した目的は何だったのかが掴めないのが残念だ。外交官として公的な立場を除外視出来ない立場でありながら、内容的には日本の閣僚に対する個人的な見解や感情的なことを何故アメリカの国務次官補に言ったのだろうか。
 この際なので書き添えておくことにするが、斎木氏について、対朝外交で気になっていることがある。2002年10月のクアラルンプールで行われた日朝交渉の際、アジア大洋州局参事官だった斎木氏は、拉致問題で強硬な姿勢を貫いたことが原因で決裂に導いたという経緯がある。あれがパフォーマンスだったかどうかは定かではないが、テーブルを叩いて交渉相手に詰め寄ったことがナショナリストから絶賛され、スター扱いされたようだった。また、拉致被害者の家族などからの信望も厚いと言われていた。その後も対朝鮮外交を担当していたが、当時、日本が奇妙だと思ったのは、外国との交渉を決裂に導いたにも関わらず絶賛されたことだった。本来なら、外交官は交渉をまとめるのが仕事であり、それが評価されるべきだと思う。支持を受けたのは右からで、その斎木氏がナショナリズムの再興に手を貸すようなものであるとしたら、例えば、新拉致担当相の中井洽氏を「強硬論者」と呼ぶあたりは偏見であるだろうと思った。率直に言うと、斉木氏の起用自体がどうなのかとも思ったが、今回、いいお灸をすえられたと思って改心するところはあるのではないだろうか。
 今回のリーク情報を受けてなにか報じるものはないかとざっと見渡したところ読売が報じる斎木氏の「否定」記事と(参照)、岡田幹事長のコメントがあった(参照)。

【ワシントン=小川聡】米紙ニューヨーク・タイムズは3日、外務省の斎木昭隆・前アジア大洋州局長(現インド大使)が「北朝鮮は、安否不明の拉致被害者の何人かを殺害していると思う」と発言したとする在日米大使館発の米政府公電を同紙ウェブサイトで公開した。
内部告発サイト「ウィキリークス」から入手したとしている。
公電は、斎木氏が局長当時の2009年9月21日付で、キャンベル米国務次官補との同18日の東京での会談を記録したもの。斎木氏は「横田めぐみさんの命運が最大の問題だ。比較的若く、世論は彼女の事件に最も同情的だからだ」と指摘したうえで、「拉致被害者の何人かは生きていると思う」と語ったとしている。
斎木氏は4日、読売新聞の取材に対し、「発言した事実は全くない」と発言そのものを否定した。そのうえで「全ての拉致被害者は生存していると強く信じており、その前提に立ってこれまでも北朝鮮側と交渉を重ねてきた」と強調した。
(2011年5月5日17時43分  読売新聞)

民主党の岡田幹事長は5日、訪問先の那覇市で記者会見し、米紙などが内部告発サイト「ウィキリークス」から入手した米軍普天間飛行場移設問題を巡る日米政府間協議の内容などを報じたことについて、「そもそも違法な機関によって明らかになったことだ。仮に(日本側)官僚が言ったことが事実だとしたら、好ましくないが、それ以上のことをいう気持ちはない」と述べた。
(2011年5月5日23時34分  読売新聞)

追記:無記名でコメント欄で次のようなご指摘を頂いた。元記事を修正させて頂きました。

これはコメントではありません。些細なことですが、次の段落でit had Japan's...の一文は誤訳です。正しくは、「民主党は日本の強固な官僚制度を支配下におくとか...」ではないかと思います。
Saiki theorized that the DPJ, as an inexperienced ruling party, felt the need to project an image of power and confidence by showing it had Japan's powerful bureaucrats under control and ...」というご指摘を頂いた。

 

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2011-03-19

「シャローム」

 「平安あれ。シャローム。」と、昨日、こう書かれていたのがとても不思議でした。「シャーローム」の意味は確か、「さようなら」ではなかったのかな。「平安あれ。さようなら」って言うはずなし。だから、人に平安を願って、引き続き「さようなら」って変でしょう?
 そう連想したのは、「シャロームの歌」という歌を思い出したからでした。もの悲しい静かなこの曲の響きは、別れの歌ではなかったかな。私の大好きなダークダックスが歌っていたのを思い出して探すと、すぐさまYouyubeで出てきた。やったー。何度か繰り返し聴きながら、昭和の懐かしい光景を浮かべていました。調べているうちにトップ・テナーでいつも左端が立ち位置のパクさんこと高見澤宏氏は、2011年1月、心不全で亡くなっていることがわかりました。残念です。
 昔の光景は、母が割烹着を着ていて、チャンネルを変えようとする私に「ダークダックスは好きだから回さないで。」と言う母の髪は黒々として、まだ若々しい張りのある声でした。そして、一緒に歌いながら気持ちよさそうにしている光景です。あれは、NHKの歌の番組だったような記憶があります。
 その頃のテレビには足が4本ついていて、チャンネルはつまみ式のダイヤルでした。だから、チャンネルは「回す」のです。そう言えば、意味も知らずに「チャンネル」って普通に使っていたな、子どもの頃。テレビから聞こえる音には響きも臨場感もないと思ったのは、ステレオのスピーカーで、EP版のレコードで聴いた時でした。
 EP版というのは一分間に45回転するレコード盤のことで、LP版の33回転と並行して、ダイヤルで切り替えてプレイヤーに乗せて音楽を聴いていました。EP版は、版が小さく、両面で2曲収録されていました。ダイヤモンドのレコード針が溝の上をなぞって音を出すレコードには、痛く感動したものでした。溝が磨り減らないようとても用心して息を凝らし、そっと針を下ろすとちりちりという音が始まります。曲がいつ始まるかと長く待つ時は、針の乗せどころの具合の悪さを我ながら反省したものです。
 さて、この曲から連想する昔の光景は沢山あるのですが、肝心のこの曲についてはよく知りません。ネットでは、曲が古いせいか、昔の人がネットに関わらないからこの曲について触れられないのか、あまり情報がありません。では、「シャローム」の語源はどうか。
 ヘブライ語で「平和」を意味するとあります(参照)。それだと冒頭の「平安あれ。シャローム。」が「平安あれ。平和。」になってしまうじゃない。これはどう考えてもおかしい。さらに調べると、「牧師の書斎」というサイトの「ヘブル語の意味する「平和」(シャローム)」に、この言葉の説明がありました。

◆シャロームשָׁלוֹם(正確に発音すれば、シャーローム)は、現代のイスラエルにおいては日常の挨拶―「こんにちは」、「さようなら」―用語です。ちなみに、ギリシャ語の挨拶はエイレーネーです。ヨハネの福音書の20:19, 21, 26に使われています。「平安があなたがたにあるように」(エイレーネー・ヒュミーン)。これも「こんにちは」とか「こんばんは」という挨拶です。
◆しかし、ヘブル語のシャロームの本来の意味は、単に、争いのない、平和な状態を表わすだけでなく、力と生命に溢れた動的な状態をいいます。シャロームが意味するものは、以下にあげるようにきわめて豊かです。

(1)         平和 (対国、対神、対人) ・・・和平、和解
(2)         平安 (個人的)・・・平穏、無事、安心、安全
(3)         繁栄 (商業的)
(4)         健康 (肉体的、精神的) ・・・健全、成熟
(5)         充足 (生命的) ・・・満足、生きる意欲
(6)         知恵 (学問的) ・・・悟り、霊的開眼
(7)         救い (宗教的) ・・・暗闇から愛の支配へ
(8)         勝利 (究極的) ・・・罪と世に対する勝利

◆日本では別れるときの挨拶として、「それでは失礼いたします」と言いますが、イスラエルにおいては「シャローム」(豊かで溢れるほどの祝福があるように)と言うのです。私たちもそんな意味を込めた挨拶をしたいものです。シャローム!!

 ここまで調べてみて、冒頭の言葉「平安あれ。シャローム」は、「平安あれ。そして、豊かで溢れんばかりの幸せが訪れますように」というメッセージだったのでしょうか。そうか、このメッセージは、広く大きな意味で言われていたのかもしれない、そう思えたのです。
 私も、被災された方にそう願わずにはいられません。地震と津波後、一週間が過ぎましたが、寒さを凌いでなんとか元気で乗り越えられますように。

                                 荻谷 納 作詞  イスラエル民謡

1.シャロム チャペリン シャロム チャペリン シャローム
    シャローム
     レヒットラオ レヒットラオ  シャローム シャローム

2.どこかでまたいつか 会えるさ
    また会おう また会おう どこかで

3.きれいな想い出 抱きしめ
    また会おう また会おう この山で

4.緑の星ふたつ 寄り添う
    離れても 離れても 寄り添う

5.どこかでまたいつか 会えるさ
    泣かないで 泣かないで さようなら

6.また会うその日まで さようなら
    また会う その日まで さようなら

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2011-03-14

「時には昔の話を 」加藤登紀子を最近聴いている

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紅の豚
サントラ
加藤登紀子

 先日、加藤登紀子(1943年12月27日 - )の「時には昔の話を」という曲がダントツにイイという紹介記事に触れて(参照)早速、言われるままにiTunes Storeから買って聴いています(参照)。この曲については、野暮な感想は書かない方がいいな、と思ってしまう。泣けるよ。だから、簡単な紹介程度にします。
 語りに節をつけたような歌で、彼女が昔「ほろよいコンサート」と称して一杯引っ掛けながらやっていたコンサートがあったけど、そこから、そのまま曲として出てきたのじゃないかと思うような語り歌です。個人的には特に彼女のファンということでもないのですが、でも昔、ギターの練習曲として「ひとり寝の子守唄」を弾いていた頃、訳も考えずに意味も解釈しないで歌っていたこともあり、馴染みのある歌手です。

cover
青い月のバラード
獄中結婚から永訣まで
加藤登紀子

 「時には昔の話をしようか」を聴けば、この曲、全共闘時代の思い出と共に亡くなったご主人が重なっていることは察しがつくと思います。東大紛争よりも少し前の時代の、学生運動の火付け役的な時代かと思いますが、ご主人である故藤本氏(1944年1月23日 - 2002年7月31日)は、ブント(共産主義者同盟)系の三派全学連の「反帝全学連」の委員長で、加藤登紀子にコンサートを依頼したことがきっけけで知り合い、「獄中結婚」で話題になりました。お二人の馴れ初めや当時の時代的な背景は割愛しますが、この機会を得て、「青い月のバラード―獄中結婚から永訣まで」(03年 小学館)を読んでみました。関心のある方はどうぞ。
 私の場合、昔を懐かしく思うようになるのは、30代に入ってからだったような気がします。自分を振り返ってみる時はいつの年代でもあるのですが、20代の頃は、振り返っては何かを見つけ、それを糧に前に進むだけのようなエネルギッシュな私を思い出します。
 この曲ができたのは1987年、おときさんが43歳の時だったと知り、確かに中年に差し掛かる頃は、そろそろ昔を懐かしむようになる頃で、振り返るスパンが長く感慨もそれなりにあるけど、人生の後半をどうしようかと前向きなエネルギーがまだまだあったかな。この曲の最後にもそういうエネルギーを感じます。

今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね
どこかで

 そして、先の本書にこの時期のことを次のように記しています。

87年は、私にとって大きな節目の年だった。四月には末っ子の美穂が小学校に入学し、十三年間続いた保育園への送り迎えがついに終了する。 子育ての中のあわただしさと、ヒットの出ない低空飛行。このまま過去の人になってしまうのかという焦燥感がなかったとは言えない。 それらを全部払拭したのが、この年。私は四十三歳。 結婚と唄と子育てとに引き裂かれることもなく、すべてが「加藤登紀子」という太い川となって流れ始めるのを感じていた。

 この歌ができる前の1980年代は離婚の危機だったそうで、それを乗り越え、振り返ってみると、やんちゃをやった頃のことが埋め込まれた時代は、やはり昭和な風味かな。私の上の世代のやっていたあの運動の中に、この二人がいたわけだ。私は、当時、「馬鹿みたい」と、冷ややかに見ていたな。駅や公園などで、薄汚れたジーンズをはいて、どこにでもごろごろしていたあの世代。空間を見つけては、車座に座って議論を交わしていた、あの世代。

あの日の全てが空しいものだと
誰にもいえない

 学生運動は運動に終わってしまっただけで、彼らが夢見た自由で幸せな世界はなかった。東大がなかったら学生が幸せになると信じて破壊した挙句、あれが空しいなんて言えないだろうな。おときさん、かなり正直に語っているな、と率直に思いました。ここは、彼女の人柄を垣間見る部分です。
 なんだかんだと言いながら歌に釣られて感想を書いてしまいましたが、この曲をこうして考えていると、世代は違うけれど、私も昔に引き戻されてしまうのです。同じ時代に育った同じ世代と、その頃を語り合える今があるというのは、なんだかほっとするものです。

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2010-07-31

今日出会った曲「「ダンスのように抱き寄せたい:松任谷由実」

 「人は老いる。悲しいほど。そしてどうしても若いときには理解できないなにかがある。というか、この世界にはまだ何かがあるのだろうか。」
 この先何年生きながらえるのか分らないが、思いがけない世界が開けるのではないかと希望に満ちている。
 若い頃に抱いた将来の希望や夢は、私の何歳くらいのことを思ってそう願ったのだろうか。
 若い頃願ったといえば、自分にあった一生の仕事を見つけてそれで生きて行くのだと奔走し、そして、挫折して悩んだ時、女は良い女房になって子どもを生んで母になり、旦那さんとは一生仲良く生きていかれるような人生が一番幸せかもしれないと思ったことがあった。女の性にとっては、一番それが素直な生き方ではないのかと信じていた時があった。いや、今でもそう信じている。「男は男になって行く。女は磨いて女になる」ということをどこかで信じて、それを貫く生き方があるのなら、私がやってみよう。そう思ってきた。
 考え方に違いがあり、見ている方向が違うと話に接点がないというのは悲しいが、どうにもならない。そこに尊敬も生まれない。見ている方向を示すことに疲れる。見ているのは現実ではなく、今いる時点よりほんの少し先だというだけ。そこが展望できないことの無意味に日々埋もれ、光のさすことはなかった。
 今日出会った曲「「ダンスのように抱き寄せたい:松任谷由実」(参照)から、彼女は素敵な女性になったと感じた。素敵な曲だ。
 老いの中にいる彼女が、これからの心の居場所を掴んだようだ。曲は、心の置き場所が決まった嬉しさに満ち溢れているうようだ。これまで抵抗し続けて否定していた老いや死への恐怖や、自分の知っている若かりし頃の容姿からの変貌や落胆、それらをそのまま受け入れることができたのではないだろうか。優しく素直な表現からそのように感じた。
 途中、変調になりイントロが入っている。ここで歌が盛り上がるのではなく、前半の詩を振り返りながらしんみりとした感情が漂い、落ち着くことができた。また、後半の、しかも最後の部分でシンコペーションの技法を使った部分がある。ここがこの歌の盛り上がりであり、これからの人生のスタートに、静かな力強さと決意が織り込まれているようだ。

ダンスのように抱き寄せたい 作詞:Yumi Matsutoya 作曲:Yumi Matsutoya
心 に耳をあてて
途切れそうな声を じっときいてるの
あなたがどこにいても
戻れる場所は ここにあるよと
ああ 口にはしなくても きっとわかるから
ダンスのように もう踊れない
錆びたぜんまい 止まってゆくけれども
やさしいうでを 離さない
ずっと踊るの このまま
小雨のスクリーンには
いくつもの笑顔 重なってぼやける
二度と帰らぬ日々よ
見送ることしか できない列車よ
ああ 傘もささず探す 誰もいないホーム
ダンスのように 抱き寄せたい
どんなに疲れ みじめに見えてもいい
あなたとなら それでいい
ずっと踊るの このまま
風の影が過ぎる 窓の中に浮かぶ
失くさないで 失くさないで 大切なもの
ダンスのように もう踊れない
誰もがいつか 気づいてしまうけれども
あなたとなら それでいい
あなたに会えてよかった
ダンスのように 抱き寄せたい
どんなに時が 移り変わっていっても
やさしいうでを 離さない

ずっと踊ろう あなたと

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2010-07-30

雪月花:巡り会うこと

 うっとり聴き惚れてしまう素敵な曲に巡り会った(参照)。メロディーも美しいのだが、詩が心地よい。大昔のいつか、物思いにふけた事をそのままその詩が代わりに今歌ってくれているような感覚だ。私の人生にも同じような瞬間があったな。と思い出したと同時に、今の私自身が重なる。こういう日が来ようとは。
 好きな詩は書き出して、何度もそれを読み返えすのが好きな私は、この曲の詩も書き出してみた。時々Netで、曲の詩の解釈を書いている人がいるので、あるかな、と探してみる。探している曲はなかったが、歌詞はあった。それによると、Youtubeから書き下ろした歌詞と違っている。よくみると一部がごっそり抜かれて、そこの部分だけ曲が短くなっているようでもある。でも、この詩には曲のフレーズが合わない。何故だろう。抜かれている部分は、この曲の背景だということがはっきり分る最もリアルな描写のような気がする。また、その部分を仮に知らなくてもこの曲から感じるものは同じだ。なんとも不思議だ。調べても理由が見当たらない。誰もこの不思議を書いている人がNet上にいないなんて。
 私の若い頃は、彼女の裏寂しい曲は聴かなかった。嫌いだからではなく、そのような人生だっただけにきつかったのだと思う。また、そのような感傷に浸っている時間もなかった。忙しく生きていたのだと思う。当時の生き様は、踏みとどまることなくずっと駆け足のような毎日だった。この頃の私の背景に音楽がない。すっかり抜け落ちていることに昨日気づいた。
 団塊世代が築き上げたフォークソングやポップスというのはあまり聴かず、海外のポップス、それも曲が静かで癒されるような音楽を好んだ。キャロル・キング、ジェームズ・テーラー、アンディー・ウィリアムズ、カーペンターズ、カーリー・サイモン、エリック・クラプトンetc。イギリスではアバが当時「マニーマニーマニー♪」と歌っていたが、あのような音楽はあまり好まない。とはいえ、ロンドンではディスコに行くのは当たり前だった。
 また、ムードジャズも大好きだった。アメリカのAFN(American Forces Network)はFEN(Far East Network)と呼ばれていたが、このラジオ放送で番組を持っていたTed  WilliamsというDJと知り合いだったことで番組の裏方を手伝ったことがある。彼からその日流すジャズナンバーのメモ書きを受け取り、レコードのお蔵から探し出してON-AIRにスタンバイするアシスタントだ。このお手伝いが、私がジャズ好きになった経緯だ。この頃は、日本の音楽にまったく興味や関心がなかったため、どのような歌が流行していたのかさえも知らない。石川セリとか、荒井由実、小林明子とか?かな。
 その当時の彼女らの曲に現在新鮮さを感じるというのは、自分自身が当時に戻るということではなく、今の私がそう感じるから新鮮なのだと思う。昔を懐かしむという感覚ではないことがまた、気恥ずかしくなる。

雪月花(せつげっか)
 作詞:Yumi Matsutoya 作曲:Yumi Matsutoya
ああ そんなに 眩しい目で
みつめないで
昔 会った頃とは もう ちがってる 私達
ああ いろんなことがあった 離れてから
口に出して 言わなくても
微笑み合えたなら いいの
「満ち欠ける 月のように
日々に姿が変わっても
いつも あなただけは
私のことわかると信じていた
ああ どんなに 夜を越えて 会いたかったか
死んだ方がましと思う
苦しさに名前を呼んだ」
吹きすさぶ粉雪に ひとり閉ざされていても
きっと 私だけは
あなたのことわかると思った
春が来て 緑は萌えて
今日の景色もまぼろしになる
そして また 冬が来るとき
今日の瞳に励まされる
ああ そんなに やさしい目で みつめないで
なつかしくて なつかしくて
涙が止まらなくなるの
満ちて来る 陽の光に
雪解けの音がきこえる
やがて 哀しみにも時は流れ
海へと注いでゆく
哀しみにも時は流れ
海へと注いでゆく
喜びなら分かち合って

いっしょに運んでゆこう

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2010-06-10

「何年ブログ書いてんだか。で、まるで成長しない。劣化かわからん。地味に自分が変わってく」親愛なるあなたへ

今日から一タイトル一エントリーに書いて行こうと思います。サイドバーの「最新記事」から御覧下さい。

*** *** ***

 「何年ブログ書いてんだか。で、まるで成長しない。劣化かわからん。地味に自分が変わってく感じはある。」
 という言葉が昨日のTwitterでポロリと溢れるように流れてきた(参照)。これに気づいた時に、気持ちの中に湧き上がる思いがあるのを自覚しながら、このことで話したいということでもなくなんとなくその間をやり過ごした時、その時の書けない思いを抱える自分自身のこととしてはっきり浮かび上がったのです。つい、「具現化ができないの?」と突っ込みを入れたかに反応したのですが、それは相手にではなく、私自身が確かそのような土壺にハマったのを確かめていたような状態でした。そのことを少し書いておこうと思います。
 具体的には、昨日三本目に書いたエントリーの件です。いつものスタイルで料理のエントリーを書き、「続きを読む」以降にランダムに書きたいことを書いています。三本目は普通は有り得ませんが、昨日は、詰まったのです。私の場合は単に能力不足です。能力の劣化と言うと、元に優れた能力がある事を裏付けますが、書きたいことが思うように書けないという行き詰まりです。もう少し熟考する時間があれば良いという思い方は逃げ道で、そうではなく、閃き(ひらめき)がないと手が動かない状態になるのです。書きたいことが絞れない。そういうジレンマの板挟みになると、思考も止まるのです。
 菅政権に関して、何かが気になる。その気になる部分の抽出ができないため考えがまとまらないのです。なんとなくそこからの逃げで、先延ばしにしようとするのですが、問題は自分にあるのであって、菅政権の何が問題だと言いたいのかが見えないのです。ぼんやりネットのニュースを見ていて閃いた事を書き上げた時は速かった。書いたものに満足かと言われれば、そうでもない。いつも妥協です。
 書く事への妥協点というか合格点を低くするという表現でもない。でも、ヘタレた言葉のイメージよりも遥かに慰めてくれます。が、なんとなくここにも自分を逃がす要素が潜んでいて、精神的な堕落を伴います。問題は言葉でもないのです。自分に妥協できないくせに、合格点も出してやれないというのは、それだけ能力が低いことは重々承知なのです。だから、だったら努力すれば良いという年でもない。と、そこに、年齢的に可能性を思えない諦めのような境地が迫って来るのです。このまま放置すると、もっと心を苦しめ自虐の思い方にはまるのです。
 まとめて書くという縛りのようなものから自分を開放してみようかと思って書いたのが、昨日の三本目のエントリーでした。積み重ねて行くと良くなるという形も、観念的に、継続的な作業の繰り返しで出来上がるものなので、時々そういうことから開放してみるのも力が抜けて良いかもしれない。逃げるのでもなく諦めるのでもなく。

 同年として、日々の思いや気になる自分の生きざまのようなことに結びつけては物思いにふけるというのは同じで、慰めるとかのような無意味は承知ですが、特別なことが起こっているわけではないと思います

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2010-01-25

真鯖と大根の味噌煮:大根の下茹でがポイント:心の彷徨い

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 久しぶりに魚屋さんに真鯖がお目見えでした。
 今年は不漁の年にでも当たっているのか、真鯖は例年よりもかなり小型です。脂ののりもイマイチな感じですが、大根が畑で凍りながら鯖を待っていたヨというタイミングです。
 鯖は大変足が短いので、魚屋さんで頭を落として内蔵を出す下処理をしてもらうか、そのまま持ち帰ったら直ぐに捌いてしまうとよいです。今日の鯖は、筒切りと言って、丸ごとぶつ切りにします。一般的には二枚下ろしで煮付けることが多いのですが、大根などと一緒に煮る場合、二枚下ろしだと面積を取られてしまいます。ですから、煮汁が行き渡る方法として筒切りにします。
 捌き方は簡単で、頭を落として内蔵を引きぬき、腹の中を洗い流すだけです。大根も鯖も厚みを揃えて切ると見た目が整ってきれいですが、大根にとっては、切り口の面積が広い方がより味が染み込むので、切り口が揃ったシャープな切り方よりも、ゴツゴツと不揃いな方がよいです。乱切りするように大根に対して角度を付けて包丁を大根に半分位入れ、捻った勢いで切り離します。
 この後、米のとぎ汁で沸騰するまで中火で加熱し、沸騰したら蓋をして火を止めて5~10分、余熱で大根に火を通します。大根全体が透き通ったら水で洗い流します。
 煮魚のポイントは、煮崩れを起こさないように煮汁が沸騰してから鍋に並べるようにします。これは、魚の表面に沸騰した煮汁が当たることで表面のタンパク質が固まり、バリヤーになるからです。また、味を染み込ませるというよりは、表面にしっかりとした味付けをするように煮ますので、短時間料理です。

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 ありがちな失敗は、最初の煮汁の水の量が多いため、味がぼやけてしまうことです。もしも、そうなってしまったら、がっかりする事なかれ。魚を取り出して大根だけ最初に煮て、煮汁が煮詰まってから魚を戻します。
 今回は煮汁は少ない方なので、やや強火でアルミホイルの落し蓋を使います。中央に小さな空気穴を開けると、魚が踊らず、また煮汁も魚の上部に適度に回ります。
 信州味噌の香りとコクを是非にと思いますが、手に入らない場合は、八丁味噌と普段使っている味噌を混ぜるなどの工夫をするとよいです。

材料

  • 真鯖・・35cm1尾
  • 大根・・500g
  • 生姜・・1片
  • 酒・・カップ1/2
  • 水・・カップ1/ 2
  • 信州味噌・・大さじ3
  • 味醂・・大さじ3
  • 砂糖(隠し味)・・小さじ1

作り方

  1. 大根は皮を剥き、斜めに包丁を入れて捻って切り離したら米のとぎ汁で茹でる。
  2. 沸騰したら蓋をし、余熱で10分ほど火を通し、透き通ったら流水で洗い流す。
  3. 鯖の頭を胸びれから斜めに頭部へ中骨までまで切り込み、反対側の同じ場所から同じように切り込み、最後に中骨を切って、頭を切り離す。
  4. そのまま横に置いて、内蔵が出ている部分に包丁をひっかけてそのまま引き抜く。
  5. 流水で内蔵を洗い流し、2.5~3cm幅でぶつ切りにし、尻尾は切り捨てる。
  6. 2の大根と鰹出汁、生姜のスライスを一緒に煮始め、煮立ったら調味料を加え、さらに沸騰したら5の鯖を大根の間を埋めるように並べてアルミホイルで落し蓋をする。
  7. 中火で5~6分煮てでき上がり♪

【お弁当に】

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2010-01-10

大根と椎茸の梅にんにくタジン:「おもひでぽろぽろ」-愛は花、君はその種

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 昨年、本来なら収穫してしまわなくてはいけなかった畑の大根と白菜は、悩みに悩んだ挙句、畑に残して越冬させるという決断をしたのでした。
 さて、その白菜ですが、ブログなんぞに偉そうに書くものですから、知人その他の皆さんに食べてもらい、結局越冬どころはなく、あっという間に消費してしまったのですが、現在は大根はまだ10数本残っています。もちろん凍ったまま畑に。
 夏の長雨で私が畑をサボったのも大きな原因ですが、種を蒔いたのも遅かった上、移植が遅すぎてかなり根が伸びてしまったのです。加えて畑の耕し方が浅かったせいか、成長に伴い根が曲がったり伸び悩んだため寸詰まりの寸胴に育ってしまったのです。(あれ、このことは内緒だっけかな?私始めて大根の姿のことを話すような気がしますが。)で、そんな大根でも、欲しいと言われれば誰にでもお裾分けしました。皆さんから味が濃くて甘くて、直ぐに火が通って料理しやすいとお褒めも頂きました。ありがとう。お世辞にも格好の良い大根とは言えないのでせめて味だけはと、なんか嬉しかったです。物を生み出すということは大変な事だと改めて思います。
 さて、放置された大根はもちろん半分くらいまで凍って土の中にいます。そーっと引き抜くと、霜で凍った土が大根の周囲にへばりついたまま抜けてきます。この氷を無理矢理取ると、大根の表皮まで剥がれて一緒にとれてしまうのです。また、先端の部分、つまり地面から15cm程の深さですが、そこは凍っているわけでもなく、普通に根がついて元気に育っていそうな雰囲気です。凍りついた大根は、このように土の中で生きて、寒さに耐えています。
 忘れもしない二年前の一月、頂いた大根を玄関先に置いていたら、ある日バリバリに凍ってしまって、その日は、確か諏訪湖が全面結氷した極寒の朝でした。そして、この時に、凍った大根をどうしたらよいものかと、あの時はそのような大根が料理できることも、それがマジ美味しい事も知らない私で、悩んでいました。思えばそれが良い教訓となって、今では大根を凍らすことに全く躊躇するでもなく、むしろ推進派になり、畑での越冬もわくわく楽しめるほどになりました。因みに、その時頂いたアドバイスで作った料理が、「大根餅」です。もう忘れてしまったでしょうか。
 中華街の中華食材店のおばちゃんの名物料理から頂いたレシピで作ったのでした(レシピ☛)。

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 日中でも氷が解けない気温の畑に、未だに大根などを植えているのは私の畑だけで、籠を持って畑に通うのも私だけです。
 そういう経緯から毎日食べる大根は、こんこん釘を打てるほど半分は凍っています。そして、食べる日の午前中に収穫して夕方には透き通ったキメの細かい大根に戻るのです。解凍後の大根の姿は、それまで凍っていたなんて思えないくらいです。
 今日は、いつものことながら大根をピーラーで剥いて、梅干とにんにくを置いて大根の水分だけでタジン(蒸し煮)のようにします。作り置きの酢昆醤油(レシピ☛)をちょんとつけて頂きます。
Iphone_001_2  この大根鍋は、シンプルにこのままだとおかずとして、メインに焼き魚などがあるともうそれだけでお腹がいっぱいになるのですが、メインのおかずがちょっと寂しい時には、買い置きの豚肉スライスを大根を覆うように広げて被せれば、ボリュームアップします。好みですが、豚肉は、少し脂のある肩ロースやバラ肉が柔らかくて美味しいのですが、もしも買い置きに脂身のない肉しかなかったら、両面に、指先につまむ程度の片栗粉をパラパラして乗せると硬くなりません。スライス肉の使い方でいつもお奨めする方法ですが、しょうが焼きなども同様です。

材料

  • 大根・・1本
  • 生椎茸・・1パック
  • 梅干・・5~6個
  • にんにく・・5~6片
  • 好みで豚肉スライス・・適宜
  • 片栗粉・・適宜
  • 酢昆布醤油+同量の鰹だし・・適宜(酢昆布醤油のレシピ☛

作り方

  1. 大根をピーラーで剥き、梅干とにんにくを散らして蓋をし、極小の火加減で2~30分蒸す。
  2. 大根から水分が出て火が通ったらポン酢をつけて頂く♪

肉をのせる場合は、最初から乗せると大根に肉の旨味が加わって一味美味しくなります。


「おもひでぽろぽろ」の主題歌
 愛は花、君はその種 

優しさを押し流す
愛 それは川
魂を切り裂く
愛 それはナイフ
とめどない渇きが
愛だというけれど
愛は花 いのちの花
君はその種

くじけるのを恐れて
踊らない君の心
醒めるのを恐れて
チャンス逃す君の夢
奪われるのがいやさに
与えない心
死ぬのを恐れて
生きることができない

長い夜 ただひとり
遠い道 ただひとり
「愛なんて来やしない」
そう思うときには
思い出してごらん 冬
雪に暮れていても
種は春 お陽様の
愛で花ひらく

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