雑記

2013-04-18

二十数年前、私はこんなふうに結婚しました

 ここ数年、日本では、結婚しない若い人たちが多いとささやかれている。いや、日本だけではない。欧米でもその傾向にあるそうで、その理由は様々。それらの統計を垣間見て、皆、いろいろと頭でっかちになって考えすぎなんじゃないかという私感を持った。そして、結婚を決める時の理由というか本質とも言える「感性」を重じない傾向にあると感じている。
 結婚の決断を難しくしている理由に、その条件が結構厳しいとも思う。それだけに、ジクソーパズルのようにピッタリその条件に当てはまる人に出会うまで妥協しない、という頑固なまでの決意もあるようだ。なんと忍耐強いことかと思う。まあ、それも結婚のことだからと、他人は、個人の価値観には立ち入れないので、結局、放置されるのかもしれない。冷たく言うと、自業自得で結婚できないのである。
 ところが、現実問題として、結婚願望という感情の行き場がなくなっている。これが浮いた存在になっていることは見逃したくない。将来の可能性として、唯一の希望だからとも言える。体と感情は正直にその願望を願望として浮き彫りにさせるのだと思う。子どもを生む準備は整うし、同時に一部の同性愛者を除いては、異性に引かれ合うものだ。が、結婚する相手と巡り会う機会がないとか、結婚を想定すると相手を気遣うあまり、自分に自信が持てずに決断できないなどという話が溢れ出す。男性側の理由では、相手を気遣う優しさでもあるが、その奥を詮索するに、欺瞞でしょう。結婚に踏み切れないのは、何よりも傷つきたくないのは自分だからではないかな?
 このように、挙げればきりがないのが「結婚できない理由」だが、結婚する理由というのはあまり挙がらないようだ。夢が持てないとか、メリットがないなどとつい、できない理由が浮かんでしまうのかもしれない。そして、さっきまでこれらの問題は自分の問題じゃないと思っていた。が、「考える生き方」(参照)のインパクトが私の脳裏に少し残っていて、「結婚のご報告。30年彼女がいなかった僕が、秒速で結婚できた理由」(参照)という話しを読んで、これから結婚する可能性のある人にとって、私に何かできることはないか?と、とんでもない事を思いついた。
 結婚を決断するその時の瞬間はこんなものよと、一例として昔の私事で恥ずかしいけど、ああ、そんな簡単に結婚できるのか!という話をこっそり教えたいと思えた。これは私の子ども達にも話したことはなかったかな。暴露を決心したのは、「考える生き方」を読んだ多くの人の感想からで、自分のことなど参考になるわけがないという決め付けが一番役に立たないと思ったからだ。これも本書の恩恵だった。あんがと。
 さて、結婚を決断するに当たってなにが決め手となるか?これがキモなので、単刀直入にこの話をぶつけたい。
 例えば、先の「彼女いない歴30年の竹内さんはこう話している。

恋に落ちました。

こんな素晴らしい提案書を貰い、僕は涙が出るほど嬉しかったのです。そして何より、僕のこんな一般的にはフザケているとも取られる企画に、ちゃんと真剣に向い合ってお返事をいただけた事が何よりも嬉しかったです。

この時、僕は恋に落ちました。

 そ、「恋に落ちる」いい言葉だ。これは男性のキーワードとしてトレンドになるんじゃないかな?そう思ったのは、「考える生き方」の著者が結婚を決めた時もそうだったと書いてあった。なんとなくこれ、何が言いたいか分かる。ただ、女の私が男性の感性を同じだと言い切れないだけである。
 私の例では、「恋に落ちる」とまでは言い難いが、あえて言葉にするとしたら、「この人ならずっと一緒にいたい」だろうか。その時の事をちょっと思い出して書いてみることにした。
 一言で言うと、決め手は「人間愛」だと思う。それをそうだと感じ取った時は、ちょっとした事件が起きた時だった。
 アメリカ人の友人、ポーレットが岡谷市で仕事をしている時、彼女の紹介で私はある会社社長と商談のため、諏訪市で合流した時だった。東京の赤坂のマンションで犬を飼いながら、そこを仮事務所として起業したばかりの私だったが、犬を置いていくわけにもいかず、犬を連れて友人を訪ねた。彼女とうまく合流し、紹介された会社社長の友人が経営するという飲食店で商談を済ませた。そして、その社長が予約してくれたホテルにその日は泊まり、翌日、彼女が自分のアパートに一泊して、ゆっくり遊んで帰ったらどうかというので、遠慮なく犬を連れて彼女のアパートへ転がり込んだ。その夜、前日に食事をした飲食店のオーナー社長の招待で彼女と一緒に三人で食事をして彼女のアパートへ戻ると、つないでいた私の犬がいなくなっていた。これが事件である。
 一晩中、そこらをぐるぐる探しまわって夜が明けてしまったけど、そのまま今度は、近所の「犬」のシールが張ってある家にピンポンして、犬の特徴を説明して尋ね歩いた。が、まったく足取りがつかめない。もしや車にひかれたのかもしれないと思い、道路も見て回ったが、事故を起こしたような形跡はなかった。土地勘がないため、全ての道路とも言えず、やっていることは誠に中途半端だったが、アチラコチラ探しまわったのも少し気安めでもあった。じっとしていられなかっただけだったかもしれない。
 土地の人である飲食店オーナー社長に頼んで、「迷子犬」の広告を出すのに最適な新聞社に連れて行ってもらい、記事をお願いした。広告を見て連絡をもらえるかもしれないと思い、ポーレットに一週間泊めてもらい、そこを電話の連絡先にしてもらった。
 約束の一週間もそろそろという時、ポーレットが「ねえ、悲しむと思ったから言えなかったけど、実はチーコ(犬の名前)はあの夜、車にひかれて死んでいた。それを見つけて、片付け、あなたには内緒にしておくように彼に言われていた。」というのである。彼というのは飲食店オーナーのこと。
 この時私は激怒した。あの日に話してくれていたら、無駄に一週間「生きて何処かにいる」という望みを持って悲しんでいなくても済んだのにと、腹立たしかった。が、だんだん冷静になってきて考えてみたら、チーコが死んだことを知りながら、私の気が済むまで、私のあの時の気持ちをすべて引き受けてくれたのは彼だった。そういう計画があったわけではなく、彼も、途中で死んだことを言ったほうがいいと思ったのじゃないか?とも思えた時もあった。が、チーコが死んだにしろ、チーコはどこへ行ってしまったと思いこむにしろ、チーコは戻ってこないという事実を私が受け止めることで事は済むのである。済まなくなって混乱をもたらしたのは、ポーレットが約束を守らない女だったからだ。
 冷静になってみると、こういう形をした「人間愛」もあるのだと思えた。これが、結果的に結婚を決断するに直結した。と言っても、私がこれをもって結婚したいと言ったのではなく、結果的にそうつながったというだけ。
 あーれから30年・・・綾小路きみまろじゃないけど、劣化するよ、そりゃあね。
 話はこれでお終いなんだけど、ちょっと蛇足ながら、加えておきたいこと。
 この人と結婚しようという時、何を決め手にするのかということがここでは言いたいことなんだけど、女は、自分に優しくしてくれる男性に弱いみたいなとこはあると思う。結婚前の女の気を引くための男の優しさは、結婚後は直ぐに消えてしまうというアレ。「アレはなんだったの!釣った魚には餌をやらないじゃない。」と、怒る人もいる。むしゃくしゃしている人が多いと聞いているけど、結婚後でもその人の人間としての「愛」は必ず見つけられると思う。なぜかというと、あなたを選んだ人だから。

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2013-04-03

フィナンシャルタイムズによる日本経済の道標を市民感覚で咀嚼してみた

 昨日、極東ブログ「フィナンシャルタイムズによる黒田日銀総裁評価とアベノミクスの道標」(参照)で引用されていた3月29日付けファイナンシャル・タイムズ社説の本文が気になり、該当記事を読んでみた。経済動向を掴んでいると訳なく読み取れる内容で、難しいことや目新しいことを言っているでもないという印象を受けた。が、よくよく読んでみて、文章が整理されているからか、違和感なく理解できたと思ったその内容が語りかけていることは、何かの覚悟を持てと言っているように感じた。また、第二次安倍政権が誕生した際、「この政権が麻生クーデターだったこと」と、「この政権の最大の敵は自民党内部」だと見破られていた事も思い出された(参照)。いずれにせよ、安倍政権ができること全てをやり尽くして努力した結果、「果報は寝て待て」ならいいのだが、その安倍政権をどこまで信じるか?政府と国民の信頼関係を問うという記事を再読して、くらくら目眩を覚えるようだった。
 私なりにこの記事を実生活に照らして、少し咀嚼してみたことを備忘的に書いておこうと思った次第だ。
 まず、アベノミクス三本の矢を思い出して見る。1)、大胆な金融政策。2)、機動的な財政政策。3)、民間投資を喚起する成長戦略である。
 1)は、安倍政権が立ち上がった途端にその効果が出て円安・株高になった。このままを維持し続ければ、二年でインフレ目標率の2%は達成できると、新日銀総裁と副総裁は断言している。
 2)は、国の借金をどうするかが課題だ。国債を増やしてこれまで何とかしのいできたが、今後はこの借金を増やさないで返済をしないとならない。1)で景気がよくなれば消費が増える。そこで消費税増税となれば、国の財源が増える。これを国債の返済に当て、復興や年金、健康保険などの財源となっていく。
 3)は、言葉の通りで、長引くデフレで緊縮財政の民間企業や個人の投資が期待されている。これも、1)で景気が上向けば自ずと上昇するというのが基本的な認識だと思う。
 さて、アベノミクスがこの通りに進めば問題はない。今のところは順調だとも言えるが、先のFT紙では「困難を伴う」と評価している。
 どんな困難だろうか?
 アベノミクスの三点について、概ね国民が支持し、現在のところ安倍政権の支持率は60%を上回っている通り、少しずつ経済政策への信頼度も期待も膨らんできたのではないかと思う。このまま行けば、本当に日本はデフレから脱却し、少しずつ経済成長しながら皆が働いて健やかに暮らせるのではないかという将来への希望も出てくると思う。これらの国民の気持ちを裏切らないために安倍政権はどうやったら乗り越えられるかをFT紙は次のように4点上げている。

  1. これから物価が少しずつ上がるんだという気風の醸成のために、財政赤字の解消と外国為替の購入。同時進行で、2%インフレ率を超過してインフレを押し上げた場合、日銀はその対応を国民に明示する。

    First, the BoJ must act credibly, to shift inflation expectations. Its most potent weapons will be monetisation of fiscal deficits and purchases of foreign exchange. At the same time, the central bank must indicate how it will respond if inflation shows signs of overshooting its 2 per cent target.
  2. 国債の償還期間の延長。長期的な債務によってインフレーションを助長する。

    Second, the maturity of debt has to be extended. The longer-term the debt, the easier it will be for mild inflation to erode it.
  3. デフレ終了後、政府の財政再建と民間企業の構造的な財政黒字の解消。

    Third, the government needs a credible plan for fiscal consolidation, once deflation ends. This plan must not only focus on government revenue and spending. It must also eliminate the counterpart structural financial surpluses in the private sector.
  4. 成長戦略のための構造改革。

    Finally, the government must embark on structural reforms aimed at raising the trend rate of growth. That the present path is unsustainable justifies taking such risks. But the new policies might bring earlier disaster. Only close co-operation between the central bank and the government can deliver a good chance of success.

 一見して、これら4点は政府の課題だが、1と2は正に今私達市民感覚と政府の一体感あっての政策である。ここに国民が一抹の不安を持つようなら、極論、アベノミクスは失敗に終わるという意味を持つ。ここは正直に向き合いたい部分である。
 まず、1について日銀は、外貨を購入するために金融緩和を行うことで円安が進む条件を整え、政府は、財政赤字の健全化に向けて法整備や規制緩和を行なって個人や企業の生産性を高める。また、増税をして税収を上げる。
 では、私たちの実生活上の気風はどうだろうか?個人の偏った見方で国民生活全般を言えるわけでもないので、個人的な印象では、インフレ政策によって生活の必需品が値上がりすると聞いても、家計が細り続けてきた結果、早々には買いに走らない。むしろ、財布の紐が緩まないように緊張している状態。この状態がいつ緩和されて消費がいつ活発になるかは未定。また、株価は多少上がっても、これまで損した分の一部を取り返したくらいの感覚かもしれない。現在の株価上昇は、外国人の投資家による売買が殆どで、日本人投資家が動いているようでもない。こういった気風の中での増税(見極めはこの夏、実施は来春から)はがっかり感だけを漂わすのではないだろうか。
 では、この政府は、増税を見合わせることができるだろうか?
 民主党政権時、三党合意で採択した消費増税である。しかも、民主党野田元首相が突然言い出した背景に、官僚の言いなり、操り人形などと揶揄されていた通りだとし、自民党はかつての右派政権である。官僚とともに国を支えてきたかつての自民党が野田増税案に反対するわけがない。
 以上の背景と理由によって、インフレに向かう準備の整わない市民の心情とは裏腹に増税にひた走る自公政権であれば、国民のための政治をやっているというのは嘘で、官僚と閣僚がお互いの都合の良いようにしか政治は存在しないのだという証明となる。ここで国民との信頼関係は破綻することになる。
 日銀の外国為替購入に関しては、逆風が海外からも吹き荒れている通り、中央銀行が外国債に直接介入するのを禁じているため、日本円が多く海外に流出することで関係国の為替相場が激変するというのである。
 少し散漫になったが、以上は、1について政府が国民との信頼関係を保とうとすると、多方面から反対的な風が吹いてくるという実例である。
 2について、十分な情報はないので少し触れておくと、国債と言っても色々ある。ここで国民との信頼関係で問題となりそうな点は、償還期間について政府内で意見統一されていない点ではないだろうか。一つには、長期償還となれば長きに渡って借金返済を国民負担させることになり、後の世代へのツケを残さないという主張がある。これをまともに国民が受ければ、国民信頼を裏切る結果ともなる。かと言って、増税によって債務を短期に償還できるとも思えないため、FT紙の指摘の通り、長期償還しか方法は無さそうだ。
 3と4について、これはもうデフレ脱却後の話。なので、その時が来ることを待ちたい。

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2013-03-20

「可愛い女の子」と「可愛いと言われて育った女の子」とは?

 変なタイトルだ。それでも、どういう書き出しで何を書くのかといろいろまとめようとしたが、上手くまとまらない。それで、わざわざ「」を付けたのは、私の言葉ではなく、自分の中のイメージ的な発想もあって、この2つのことを客観的に捉えて考えてみようと思ったからだ。備忘的に書いておきたいと思う。
 これを思ったきっかけは、小学生や幼女の芸能界デビューが、子どもの育ちにとって何か影響があるだろうか?という浅い疑問だった。が、いろいろこのことを実例に照らして考えている内に、女の幸せな生き方にもつながると思えてきた。それがどんな生き方か?そこを書き出すのが難しいと思いながらも、あえて書くことにした。
 話の角度を変えると、子どもを取り巻く生育環境は、選択できるものとできないものがある。当たり前の話だが、子どもは、親を選択できない。でも、親は子どもの育つ環境をある程度選択できる。昔からあるのが英才教育で、音楽などはずっと長く続いている。また、平成になって多く感じるのは、スポーツ界で活躍するティーンエイジャー達だ。今二十歳前後で活躍する彼らは、平成生まれで、その後も後を絶つことなくどんどん若いパワーが溢れてきた。これは、今の日本では,希少かつ貴重な存在で、将来は、彼らが次世代の先輩となって、また多くの才能を引き出す指導的な立場ともなるのだと思う。昭和の30年代くらいからその兆しはあって、それが多種に渡って広がってきたとも言えると思う。時代を追って様々な変化も感じたが、昔は感じなかった事が最近、やたらと気になるようになってきた。だから、ここに書こうとすることは正に老婆心からで、大して人の生き方に参考になることかどうか分からない。
 さて、私の昔の職歴から、子役デビューなども見てきた経験で、最近少し気になることがある。子役はどう育てられるかという点だ。言い方を変えると、子役という職業で、子どもに何が刷り込まれるかという問題だ。特に、「可愛い」と評価される子どもだ。
 ここでちょっと外れてしまうが、私にも娘が一人いる。彼女は私の友人たちから「将来この子は美人になるよ」と、よく言われた。親の私は子供の顔を中々客観視できるものではなく、美形かどうかという点ではよくわからなかった。成長して20歳過ぎた頃には、ヘアーモデルなどを頼まれていたようだった。親戚の結婚式では、私の叔母や叔父が、娘がすごい美人だと褒められた。まあ、取り柄の一つとでも言えることがあってよかったね。と、これにも親がほこほこ喜ぶなんてことは無かった。父親の嬉しさはちょっと別のようだったが。
 これをもって何が言いたいかというと、私の子育て観というほどのことでもないが、子どもには大人の観念的な見方をそのまま植えつけないように気をつけて来た。つまり、子どもが美人だと褒められようが、仮に私がそう思っていても、子どもには「あなたは綺麗な子」などとすり込まない努力をしてきたつもりだ。「そんなこと考えすぎ」と、言われるかもしれない、ある意味、これが私の親ばかの姿かもしれない。
 「可愛い」と評価される事の何が子どもにとってダメなのか?のテーマに戻すことにする。
 高校の女子バスケ部の外部コーチをしていた頃のある年、その学年ではモテモテの可愛い一年生が入部してきた。スタイルもよく、均整の取れた体つきで、多分どんな洋服を着ても似合いそうで、目はくりくりとした茶目で、髪の毛の色も天然の栗色。非の打ち所のない美形だった。話し方にも嫌味がなく、どちらかと言うと天然で幼いかんじ。喋り方もなんとなく舌足らずだった。男子からは大モテで、部活が始まるとギャラリーにはスズメが電線に一列にとまっているようだった。バスケットはさほど上手でもないし、あまり根性もない。へなへなと転んだりすると、彼女のファンがギャラリーから「がんばれー」と、声援した。普通の部員にはそういうことは起こらないし、部活中によそ見などはしないで黙々と自分の練習に集中するのだが、彼女は、ギャリーに笑顔を返す子だった。そこで彼女を指導するなどということは私はしないタイプのコーチで、成り行きを静観していた。ただ、面白い事が起こるものだとは思った。
 そういう彼女の育ちに危惧を抱いたのは、どこから見ても可愛い子だというとおり、彼女は自分が「可愛い子」だと知っているという点だった。子どもが自分のことを「可愛い」と意識するのは、何がその起点になったりきっかけになるんだろうか?転んだ瞬間、彼女は、彼女を見ている人を無意識に意識するということ。それまで何百という高校生と関わってきて、このような態度をする部員を見たことがなかった。彼女は体育館でバスケットの練習をしているのではなく、何か、ステージにでも立っている演技者のような、そんな風に見えた。このことに私の関心が寄った。部活の男性顧問は彼女のこと、「自分が可愛いと知っているのはある意味魔性でもある」と言っていた。この先生も個性的な感性の持ち主で、書道家だった。
 男性の捉え方にはエロチックなものを感じたが、生徒を前に好ましくない表現だと思ったのか、でもそれは、男子生徒に人気がある彼女を見ただけではなく、彼らを意識する彼女に女の性を見たのだろうと思う。彼女のは無意識な仕草だと思うので、指摘してもわからないと思う。その後、私の関心も、彼女はどうしているか時々思い出す程度になってしまった。
 話がダラダラとなってしまった。つまり、「可愛い」という他者からの刷り込みによって、その人物は人の評価を自分に取り込み、それが自分の姿だと認識し、拠り所とするのではないか?その懸念でもあり、子どもの生育への大人の関与への苦言のようでもあるが、それが気になって仕方がなかった。芸能界の子役は誰からも「可愛い」といわれるように仕立てるし、美貌を放っておく手はない。その舞台に飛び上がる年齢にもよるが、そいういった中で自分にきちんと向き合い、自分を確かめられる人間になるか、または、すり込まれた幻想を信じて疑わない生き方になるのか、担当者はそんなことまで給料に含まれてはいないし責任はない。人から可愛いと言われなくなったら途方に暮れるんじゃないかと、後者に関しては思う。それもその人の生き方ではあるし、私が横からなにか言うことでもないかなと引いたことだった。
 女の私がいうのもおこがましいし憚れるが、女はだれでも宝石を持って生まれ、それを磨くことで本物の女になるものだと思っている。磨かないのに輝いていると思っている人は、何かが変ではないかな?これは、美しく生まれるということとは無関係な問題で、ここを上手く表現できないので色々書いてしまった。それでも伝わりにくいだろうなあ、と思っている。

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2013-02-24

「考える生き方(by finalvent)」読んでみて

                    
cover            
「考える生き方」            
by finalvent
 

読み終わった。正に、今まで一緒に生きてきたんだという思いを再確認した。私よりも若い人にとってはきっと分からないだろうと思うが、彼のブログをずっと読んできて、彼の思考にはいつも死と向き合っているという匂いがプンプンしていた。本書は、その背景たるものが明かされているといばそういう内容でもある。普通の人の関心は、明かされていないことを知ることだったり、病気といえばどんな病気か、子持ちといえば奥さんは美人か。そういうことだと思うけど、私には殆どそういう関心はない。正確に言うと、いつからか、そういう関心を持たなくなったということだろうか。

 

読む前に、とても読後は客観的に書けないだろうと「考える生き方」(参照)という本書のタイトルから連想した自分語りなことを書いたが(参照)、書いた通り、これまでの人生を輪切りにすると、どんな場面でもどう生きるかしか考えて来なかったように振り返る。ある時彼のブログに遭遇し、時々、心情を語る部分に触れて、同じような思考をする人がいるものだとびっくりした。それは、同じ時代を生きていないと感じ得ない微妙なニュアンスが満載だった。また、おもしろおかしくお茶目なユーモリストなのに、それを「ほのめかし芸」と揶揄し、彼に罵声を飛ばしては挑発的な人達が多くいた。時々、他人事とはいえ、読むと気分が悪くなるような文体をぶつける人もいたが、「大丈夫!私には通じていますよ。」と、こっそりと理解できるものだけの仲間意識としてほくそ笑んでもいた。嫌な罵倒を浴びせられて嫌な気分になっている時、こっそりと「味方もいるよ」くらいの気持ちを持つことくらい許してねと思っていた。変なスクラムを組んで対抗勢力まがいのようなこともしたくないので、ホント、こっそりとそう思って来た。いつしか、これが共通の理解を共有できる安心感につながったのは言うまでもない。

 

自分を支えるものは何か?

 

やはりどんな場面においてもそこで自分はどうしたいか?自分には何ができるか?という問でしかない。その一点を長い年月でつなぎ合わせると、いつの間にか年を取ってしまったんだなと振り返る。だが、彼のブログに遭遇した頃の私は、その覚悟のようなものはあまりなかった。何かを、やはり縋ってしがみついてもよいものを見つけようとしていたかもしれない。甘えだった。その甘えは自分自身の曖昧さであった。この甘えたい自分といつかはっきり決別しないとならないと思いながら、自分から切り離すことは苦しかった。

 

彼の「自分語り」を読んだら私はきっと「自分の人生の区切りとしてあるものを手放さなくてはならなくなるんじゃないか」と思っていたが、逆に、手放さなくてもいいんじゃないかと思えたのが不思議。これはどういうことかと思った。

 

「手放す」という言葉から、「持っていたい」という願望が心の深い部分にあることは直ぐに分かる。それを自ら剥ぎ取らないと身軽になれないという思い込みかもしれない。やはり何かに縋っている甘えたぬるい自分として、もうひとりの自分が戒めている。そういう厳しさを何故自分に持たなくてはならなくなるのか?よく思うことだけど、もう少し自分に優しく、いたわってあげたらいいのに。それがなかなかできない。ところが、彼の「自分語り」を読んだ後、私は「持っていたい」自分を赦せた。「持っていたいだけ持っていていいよ」と、語りかけた。涙が溢れて止まらなかった。「持っていること」に罪悪感があり、剥ぎ取らねばと必死だったこの数年だった。

 

彼と同じ時代を生き、同じように年をとってきて、自分がいつまで生きるのかということはなかなか考えにくいことだった。最後に書かれているが、健康寿命は、女性は73.62歳で、平均寿命は86.3歳とある。できれば、健康的にずっと生きて、誰の世話にもならずにころっと死んでしまいたい。また、希望的観測から、ずっと健康でいるはずの自分を想定しても始まらない。ここは難しいが、健康寿命の73歳を過ぎてから発癌、高脂血症による高血圧症、緑内障などの病気にかかったり、痴呆などの可能性から、寿命までの13年間は誰かに看てもらうような生活になるのかもしれない。今の私が痴呆?そう。ならないとは限らないのだ。誰の世話になるかと考えるのもよし、誰の世話にもならずにどうやって死んで行ったらいいのかを考えるのもよし。えっ?って思ってしまいそうになるが、この歳になるともう、そういうことを見据えないといけない。

 

同世代の友人は、まだ一旗揚げようなどと野心を持つ人もいる。聞くと、その一旗がとても老人じみていて妙に嬉しかった。それは、今まで生きてこられた有り難みを世の中にお返しするのだという。うふふ。それは分かる気がした。そして、これもこの本に書かれていてまったく同じ考え方になるけど、若い人たちがやろうとすることを応援するという立ち位置だ。隠居じみた言い方になってしまって自分でもあれ?変かな?と問い直すのだけど、まったく正気の沙汰なのだ。いい気になって人にものを教え、その人物が私の言ったことを信じてしまったら、新しい世の中にはならない。古い土台に新築しても同じでしょ?だから、土台も新しい考え方による土台にし、その上に新しい家を建てられるように人生も設計して欲しい。そう願いながら何か私のできることはないか、それを見渡せるチャンスも少し残っている。

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2013-02-21

「考える生き方(by finalvent)」未だ読んでもいないというのに だから書くことにした

  発売前に、読んでもいない書籍のことを書く意味があるのか?そう思うと、他者へのメリットはあまりないかもしれない。「ああ、そういう本が売り出されるのね。」で終わってしまうと著者にも失礼してしまうかもしれない。色々考えているうちに、とうとう今日が発売日となってしまった。読んでしまってからだときっと、この本に触れて第三者的な物の見方で感想などは書けないと思うので、やはり、今日書いておくという結論に至った。

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「考える生き方」
by finalvent

 「考える生き方(finalvent)」(参照)がそのタイトルである。
 はじめに断っておくと、彼とは一面識もないが、2006年くらいからずっとブログは読ませてもらって来ている。一読者で始まって一読者で終わりたいと思っていることに何ら変わりはないが、私にとっての彼の存在は、一言では言い表せない。何と表現したらいいだろうか?恋人以上だし夫以上かもしれない。何でも話せる相手であるけど、いつでも正しい回答をくれるというわけでもなく、私の生き字引でもない。答えを求めようとすると、軽くいなされてしまう(と感じる)。むしろ私にとっては一歩先を見据えた厳しさに感じられる。その厳しさは、私が問題を乗り越えるために必要な「思考」の原動力となってきた。誤解を招くといけないけど、彼が厳しいのではない。あくまでも私の読み方であり解釈であり、捉え方の問題を言っている。
 分かるだろうか?人が生きて死ぬまでに出会う試練のようなものは、もしかすると定められた量があって、それらの問題は前後しながら、誰の人生にもいつしか現れる運命のようなものではないかと思うようになった。それらは、自力で解決すべきものと既に決められていて、自力で解決しなかったツケはどこかでまた別の形で自分の前に出現するんじゃないかと、この年になってそう感じるようになった。
 若いころは嫌なことからは逃げ果せると思っていたことが、実はある時、「え、またこのことがやってきた。」と何度も繰り返し同じような難問を投げかける。そのうちに、これは自分である程度区切りをつけないとダメなんだなと、逃げることを諦めて問題に向き合う準備ができる。その時の苦しさと言ったら他に例えようがないほどだった。
 今ここにこうして在る自分を振り返ると言うよりは、彼が彼の人生を振り返って書いた事は、私にとっても重苦しさとして映る部分でもある。この年代だからかもしれない。既に人生の半分を折り返してしまっているし、何を思ってもやり直しの効く年齢でもない。知人や友人から、大病を患ったとも聞くようになったし、芸能界では同世代で活躍中の人物が亡くなってしまったり、昭和の時代を共に生きた懐かしい人々もかなり亡くなってしまった。取り残されて孤独になることへの恐怖心や、元々人は一人であることを思い知ることには慣れてしまいたくなった。それらは、日常に起こることで、当たり前のことなのだけど、その一つ一つが自分に意味を持たせるのを最近感じる。これがこの年令にはきっと相応しいことで、ここを通ってさらに歳を重ねるのだと、少し客観視すると気が楽になる。
 取り留めのない話になってきたのでそろそろ終わりにしようかと思う。
 「e_hon」というネットの書店の新書のコーナーで1月16日、「考える生き方」の発売予約を受け付け始めたのを巡回している時に見つけ、即座に予約をした。当初の発売予定日から少し遅れた理由を知り(参照)、とてつもない緊張があった。この本を読めば、自分の人生の区切りとしてあるものを手放さなくてはならなくなるんじゃないかという恐怖心でもあった。こういうことを恐れる私なので、とても冷静に読後の感想などは書けないと思い、読む前に一筆したためておくことにした次第。
 あああ、今日、とうとう発売だよ!怖いもの見たさってこういうことなんだと思う。ご本人はまた、別の意味で篭っていらっしゃるみたいだけど(参照)、その気持良くわかります。本当によく書かれましたね。

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2013-01-31

マリへの軍事介入が隣国ニジェールへ拡大される背景

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 アルジェリアの惨劇が終わって、日本では犠牲となって亡くなった日揮の関係者全員が帰国され、区切りがついたかに思う。本当に痛ましい嫌な事件だったが、その主因とも言える背景について触れておきたい。
 結論から言うと、アフガニスタンにアメリカが介入したのと同じような背景と言える。アルジェリアのガスプラント人質事件は、イスラム過激派のチンピラのような数名が主謀したと言われているが、彼らがリビアのカダフィーが所蔵していた武器や弾薬を奪ってマリ北部に潜んでいた背景は前回、ここでも触れた(参照)。当時からマリのこの地域が不安定化していたため、フランスはマリの旧宗主国でもあることからいち早く軍事介入を申し出た。国連もこれに賛成し、マリ政府もこれを歓迎した。フランス軍の介入によって治安が維持されるとあれば願ったり適ったりだったと思う。そして、アルジェリア惨劇の終結によってマリへの軍事介入も一段落し、いずれ撤収すると思っていた。が、現実にはその守備範囲を隣国のニジェールに拡大するような動きになってきている。その第一報は、ニューヨーク・タイムズ紙を引用したアルジャジーラ紙が短く配信していた(参照)。

The US military plans to set up a base for drones in northwest Africa to bolster surveillance of al-Qaeda's affiliate in the region as well as allied Islamist extremists, a US official told AFP news agency on Monday.

The base for the robotic, unmanned aircraft would likely be located in Niger, on the eastern border of Mali, where French forces are currently waging a campaign against al-Qaeda in the Islamic Maghreb (AQIM), said the official, who spoke on condition of anonymity.

The base was first reported by the New York Times newspaper earlier Monday.

The airfield would allow for better intelligence gathering by unarmed drones on the movement of AQIM and other militants, which Washington considers a growing threat, the official said.

 アメリカのドローン(=無人探索機またの名を無人殺人機)のベース基地(飛行場)の設置は、アフリカ地域を脅威に晒しているアルカイダや他の武装勢力の動きについて情報収集するためだという名目である。「名目」とあえてここで表現するのは、アフガニスタンの治安を目的にアメリカが駐留している頃、パキスタン国境付近で無差別に住民たちがこのドローンによって殺害された経緯からだ。もちろん、パキスタンを通り道に使わせてもらっているアメリカが故意にパキスタン人を狙ったわけではないだろう。が、何度となくドローンの犠牲になった。
 ここでアメリカのこの計画を奇異に感じた。マリのフランス軍事介入に支援すると表明しながら実際には関わらなかったアメリカが、何故のこの件で今頃?しかもなぜ、隣国のニジェールなのか?それが透けて見えてきたのは、フランス軍がニジェールに守備を拡大するという情報と結びついた時だった。

France has every reason to fear that its intervention in Mali, which has already seen the bombing of civilian populations and the torture and execution of civilians by the French-backed Malian army in predominantly Tuareg areas, could cause armed conflict to spill over the border into Niger.

 フランスに支援されているマリ軍は、一般市民への爆撃や主にトゥアレグ族の居住地域で起こっている市民に対する拷問や殺戮という事態を惹き起こしている。フランスのマリでの軍事介入によって武装闘争がニジェールへ飛び火するのではないかとフランスが恐れる理由である。

However, in addition to securing its profitable facilities from “terrorism” or popular revolt, France has other reasons to flex its military muscle in Niger. In an attempt to increase its share of the uranium profits, the Nigerien government has recently issued exploration permits to Chinese and Indian firms. By dispatching armed commandos, Paris is asserting its domination of the former colony as part of its African sphere of influence.

 しかしながら、利益をもたらす施設を「テロリズム」や反乱から守る目的に加えて、フランスは軍事力をニジェールに拡大する別の理由がある。ニジェール政府はウランからの利益を増大させるために最近、中国とインドの企業に調査を許可した。フランスはニジェールに武装した特別攻撃隊を送ることによって、アフリカを勢力範囲の一部として旧植民地としての支配を主張している。

As France stepped up its African intervention, Secretary of State Hillary Clinton used testimony before a Senate committee Wednesday to affirm Washington’s determination to escalate its own intervention in the region.

フランスがアフリカ介入を強化させたため、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官はワシントンの上院委員会の公聴会で水曜日、この地域に対するアメリカの介入を拡大させる決定を示した。

“We are in a struggle, but it is a necessary struggle,” said Clinton. “We cannot permit northern Mali to become a safe haven.”

 クリントンは、「我々は紛争の中にいる。これは必要な紛争である。」「我々はマリ北部を安全な避難所にするわけにはいかない」と語った。

Clinton acknowledged that the rebellion in Mali as well as the hostage siege at the gas plant in Algeria had been fueled in large measure by the US-NATO toppling of the Gaddafi regime in Libya, where Washington and its allies armed and supported Islamist militias as a proxy ground force in the war for regime change.

 クリントンは、マリでの反逆やアルジェリアのガス・プラントでの人質事件は、米国・NATOによるリビヤのカダフィ政権の転覆で煽られた結果だと認めている。リビヤでは、米国とその同盟国はイスラム主義者を武装させ、彼らを代理者としてカダフィ政権転覆の軍事力にして支援した。

“There is no doubt that the Algerian terrorists had weapons from Libya,” she said. “There is no doubt that the Malian remnants of AQIM [Al Qaeda of the Islamic Maghreb] have weapons from Libya.”

 「アルジェリアのテロリストがリビヤから武器を持ち出したことに何の疑いも無い」「マリのAQIMの分派がリビヤから武器を入手したことに何の疑いも無い」と語った。

She argued that, while there was no evidence that any of these forces in North Africa posed a direct threat to the US, Washington should launch a preemptive campaign against them anyway. “You can’t say because they haven’t done something they’re not going to do it,” she said.

彼女は、北アフリカのイスラム武装勢力がアメリカへの直接的な脅威になるという証拠は無いが、アメリカは彼らに対する先制的に作戦を開始すべきであると主張した。「彼らが脅威にならないと示してはいないのだから、その補償はない」と話した。

 ヒラリー・クリントン氏はたてまえでは「リビアからの武器」と言うが、結局、マリ北部の反抗勢力を育てた張本人であるし、アルカイダを増強して育成したことになる。この背景はこちらが詳しく考察している。参考までに(参照)。
 文脈を戻すと、「備えあれば憂いなし」ではあるし、ウランをイスラム過激派の手には渡さいという決死の構えを見せる必要はあるとしても、ニジェールにドローン基地計画を進める目的は、中国とインドへの牽制も働いていると見るほうが正常な気がする。
 中国とインドは核を盾に、常にお互いを牽制し合っている危ない関係で、北アフリカに両社が入り込むのはかなり厄介であるし、事前に抑止を働かしておくのも一つの備えであると思う。
 そして、この関係で昨日情報を見聞していたところ、日本の関わりも出てきた。これが正にアフガニスタンに協力した小泉政権当時の対応と同じである(参照)。

外務省は29日、アルジェリア人質事件を受けて隣国のマリや周辺国の治安維持と人道支援を強化するため1.2億ドル(約110億円)を拠出すると発表した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など国際機関を通じて関係国に提供する。マリから避難した難民支援やガーナにある国連平和維持活動(PKO)訓練センターでの人材育成に役立てる。

 松山政司外務副大臣が同日にエチオピアで開いたマリ支援会合に出席し、日本政府の方針を説明した。マリではイスラム武装勢力と政府軍の対立が激化。フランスが軍事介入に踏み切り、治安が悪化している。

 ここまで書いて新情報はないかと検索してみると、ファイナンシャル・タイムズも今回の介入について記事を書いている。訳文が日経に出ているではないか!(参照
 日経は記事がすぐに削除されてしまうので、全文を引用させてもらうことにした。参考として記録までに。

[FT]仏軍のマリ介入に強力な国際支援を(社説)
(2013年1月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 西アフリカのマリで起きている出来事は、気がめいるほど見慣れた光景だ。危機に陥った国に最新装備を誇る欧米軍がすばやく介入し、イスラム過激派の掃討作戦を助ける。いくつかの都市を制圧し、武装勢力が退散したところで、政治家が勝利後の話し合いを始める。ところが戦いがいつまでも終わらないリスクに直面する。

■アフガニスタンの二の舞いにしないために

トンブクトゥの空港を警備するフランス軍の兵士(1月28日)=ロイター
 フランスのオランド大統領は「この戦いに勝利しつつある」と力を込めた。仏軍とマリ政府軍が今週、イスラム武装勢力の支配下にあった北部の主要3都市のうち、トンブクトゥとガオを奪回したからだ。しかし、反政府勢力を封じ込める戦いは始まったばかりだ。

 武装勢力は敗北を喫する前に、山中に撤退したにすぎない。都市奪回という比較的明快な作戦に比べ、イスラム兵士を探し出すのははるかに困難な任務だ。加えて、かねてこの地域ではジハード(聖戦)の拠点が着々と築かれており、周辺国に戦火が広がるリスクもある。一方、マリ政府軍はほとんど軍事訓練を受けておらず、奪回した都市を守り、平和を維持することすら容易ではなかろう。

 アフガニスタンの二の舞いにもなりかねない。だからこそ国際社会が迅速に行動し、仏軍の介入をしっかり支えることが非常に重要だ。勇気づけられる兆候も見られる。米国は過激派の拠点を探索する目的でニジェールに無人偵察機を派遣。英国は29日、マリや他のアフリカ諸国の軍事訓練を行う部隊を派遣すると表明した。目の前の戦闘とは無関係だが、地域連合軍のマリ派兵を実現させるために役立つだろう。

 さらなる資金援助も必要だ。国際社会は経済・軍事支援として4億5000万ドルの拠出を約束している。しかし軍事作戦のコストは10億ドルに達する見通しだ。マリ政府は資金をまかなえず、フランス単独で西アフリカ全体を脅かす紛争の負担は引き受けられない。

■アフリカ諸国も責任を負うべき

 アフリカ諸国もより大きな責任を負うべきだ。周辺各国軍の派遣は遅れていたが、チャド、ナイジェリア、ニジェール各軍がようやく現地入りした。他の諸国も即座に参加できるような体制が必要だ。またマリ軍事政権も、自治権問題で対立している遊牧民のトゥアレグ人との話し合いに応じ、協力を求めることが必要だ。彼らはイスラム過激派を拠点から追い出す方法にたけているだろう。

 フランスはマリ政府の支援要請に応え、勇気ある一歩を踏み出した。この介入は、サハラ砂漠のイスラム過激派がもたらす脅威を食い止める有効な手段となり得るが、実現のためには喫緊の国際社会からの支援が必要とされる。

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2013-01-26

NATO軍によるカダフィ殺害と駐リビア大使館員殺害からアルジェリアの惨劇について雑感

 帝国主義が横行した19世紀、アジアやアラブ諸国に対して権力行使による従属化、当時を言い当てる言葉としては「奴隷化」できると今でもそれが言えるのかもしれないと危惧を抱いたのは、米英仏政府が支持している中東での民主化の動きであった。
 2010年から2011年にかけてチェ二ジアから始まった生活苦の市民の不満の爆発は、エジプトやイエメンにも影響し、親米保守政権が崩壊の道を辿った。また、保守的なバーレーンなど湾岸諸国にも飛び火し、市民が民主化を求めるるデモを繰り広げたが、サウジアラビア軍の導入によって鎮圧された。ざっと見渡すと、中東に残ったのは、親欧米(親イスラエル)路線の政権が後退したことによる色々な変化だ。
 この動きは、反欧米反イスラエル色が濃かったリビアのカダフィ政権にとっては追い風となった。親米のエジプトのムバラク元大統領が追放され、カダフィにとってのそれまでの重石が外れたため、世界に口出しする可能性が高くなったのは確かだった。という点から連想されるのは、欧米諸国がカダフィが邪魔だった理由だ。彼が「アラブの春」を主導すれば中東世界は左派に傾き、反米反イスラエルに傾倒する。この動きに敏感に反応したフランス、サルコジ元大統領であった。彼は、NATOの空爆だけでは屈服しないカダフィを、アルカイダ系のイスラム過激派武装勢力(テロリスト)の協力で倒すことが出来た。国際社会で報じられたカダフィ殺害経緯はテロリストによるもので捏造ではなかったが、自分の手を汚さなかったというだけだった。サルコジは、NATO軍や王政の湾岸諸国を上手に使い、また、リビア東部ベンガジの反政府暴動を口実にカダフィを卑怯なやり口で殺害してしまった。カダフィ氏の殺害は、国際社会自体が無法そのものであることを物語った(参照)。こうして地獄の扉は開けられた。

 2011年10月20日のカダフィ殺害
 2012年 9月11日のリビア東部のベンガジでのアメリカ大使らアメリカ人4人殺害
 2013年 1月11日マリ北部のアルカイダ系武装勢力の制圧のためフランス軍介入
 2013年 1月15日アルジェリアのガス田プラントで人質事件発覚

 改めて、国際社会が言う「民主化」とは何なのか?美しく平和なイメージとは違った世界が中東に見えるのは、これは社会が改革するための歴史の一部と言えるだろうか?帝国主義の日本がアメリカの民主化を受けれてここまでの日本になったのと同じように、なぜ、アラブ諸国はそうならないのか?フセイン崩壊後のイラクのように、民主化を受け入れられる器が違えばとんでもない大混乱を巻き起こすというあの大きな勘違いを再び犯したのではないだろうか。
 民主的な国家から見れば非民主的な国家は独裁政権であるが、その重石によっておおよそ解決不能な民族や宗教対立を上手く防いできたのではないだろうか。
 リビアについて言えば、国内に潜むイスラム原理主義勢力をカダフィの世俗主義による独裁で抑圧することで、欧米社会は安全を保証されていたようなものではなかったのか?にも関わらず、都合が悪くなると独裁は悪だというキレイ事を吹き込み、邪魔なカダフィを殺害する路線を敷いたのだと思う。
 1990年代の犠牲者150万人とも言われるイスラムテロが多発した際、日本人被害者は出ていない。ましてや、イスラムと欧米キリスト教との争いというならば、日本は部外者である。ところが、今回のアルジェリアガスプラントの人質事件では、日本人は例外扱いされなかった。欧米諸国と比べても、死亡総数では最多であった。私は、これが腑に落ちていない。一部の報道によると、日本人がまっさきにテロリストの標的にされた可能性すらあったというのだ。
 これは小泉純政権時のイラク戦争への事実上の参戦が理由だろうか?間接的には、湾岸戦争への冥加金や自衛隊の給油活動を通して、米国への追随外交はあった。
 これからという時に、フランスとアメリカの雲行きがおかしくなってきているのを昨日知った。WSJが伝えている(参照)。

 世界の大国は数カ月もの間、アフリカからもたらされるテロの脅威に対抗する手段を苦心して考え出してきた。この脅威に対する懸念はアルジェリアで最近、37人の外国人人質が犠牲になった事件でさらに強まった。しかし、西側諸国の安全保障を担う組織には緊張が生まれている。戦争疲れを起こしている米国は介入に二の足を踏んでいるほか、その他の国、とりわけ重い債務に苦しむ欧州各国はそうすることができない。

 米国とフランスの間の緊張は、大西洋をはさんだ両サイドのつながりがますます失われていく劇的な一例だ。かたや米国は、欧州同盟国が防衛費の負担を望まない姿勢に不満を感じており、弾薬の補給や無人偵察機、給油機の手当てが適切でなかったため、欧州により支援を求められた2011年のリビアを例に挙げた。かたや欧州の同盟国の一部は、アフガニスタンやパキスタンなどでの米国の政策は、自国の利益と優先事項が幅を利かせていると不満を表している。

 かつての戦友は、利害が一致しなくなったのか、醜い仲違いを始めている。
私は色々な点で失望してしまった。この年になって欧米諸国のやり方が透けて見えてきても力及ばずである。

追記:アメリカの関わりについて
 

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 昨日ピックアップしたHuffingtonpostのニュースメールの記事はどうやら、アメリカについても書くようにという啓示であったのか、オバマ大統領の額に大きなハエがたかっている画像がそれだ。何やら香りを放っているからだろうか?
 今回のアルジェリア襲撃事件の背景の一つである、在リビア・ベンガジ米領事館襲撃は、イスラムの怒りがアメリカに対して顕著であったことを物語っている。オバマ氏の額のハエは、その使者かもしれない。
 この事件は、正にオバマ氏の失政によるものだった。だが、当初は、イスラム教の預言者ムハンマドを冒とくしたとされる映画がインターネットに配信されたことがきっかけで、各地で抗議行動が起こった。この流れであると当初は報じられていたが、二転三転するうちに、この事件は「テロ」だったと断定された(参照)。

 オバマ政権は当初、事件をイスラム教を侮辱したビデオに対する抗議デモの延長線上にあったと説明し、攻撃をテロ組織アルカイダと関連がある「テロ」と断定したのは、発生から2週間以上が過ぎてからだった。公館前のデモがなかったことも最近判明した。

 だったら最初から真実を言っていればよかった。何故ごまかすような言動に至ったか?他所で真相を知った時は驚いた(参照)。

 2009年にオバマが第一期の大統領となったとき、ブッシュ前大統領による国外テロリスト収容所をさんざん批判し、CIAが国外でテロリストを拘束しないよう署名をしていた。つまり、本来ならオバマ政権下で、CIAの下にテロリスト収容所はないはずである。でも、ベンガジ米国領事館襲撃には、あった。

 つまり、テロリスト達は、この領事館に収容されている仲間を助け出すために襲撃したと推測できる。そして、カダフィ亡き後、リビア情勢がさらに不安定になることは目に見えていた。カダフィが隠し持っていた武器はイスラム過激派の手に渡り、彼らの移動先であるマリ北部では既にマリ政府との衝突が始まっていた。ここでいち早くフランスが名乗りを上げて軍事介入が始まった。これがアルジェリアガスプラント襲撃事件へとつながった(参照)。
 オバマ氏は、過激派メンバーをリビアに収容し、この警備体制が甘かったため狙い撃ちにあった領事館員4名の命を救えず、その失態を隠そうとした。それが、アメリカ合衆国の大統領の顔である。

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2013-01-19

第3次産業なら成長できるのではないか?

 ここ数日頭を悩ましている問題がある。それは、日本全体の頭痛のもとでもあるんじゃないかと思い、この頭で必死こいて解決策を考えていた。そのきっかけとなったことと、そこからどういう展開で表記の「第3次産業なら成長できる」という結論に至ったのか、備忘録的に書いておくことにした。

 まず、きっかけとなったのは、水野和夫・埼玉大学大学院客員教授のインタビュー記事「デフレからの脱却は無理なのです」(参照)だった。この記事を読み進める中で、お説がごもっともと思えてきて、今自分が置かれている状況に照らすと正にお先真っ暗になってしまった。以下がその部分。

日米欧ともに成長ができなくなったからバブルに依存し、いずれも崩壊したのです。バブル崩壊の過程でデフレも起きました。私には成長戦略でバブルの後遺症から脱却しようというのは堂々巡りのように思えます。

国内を見ても、身の回りにはモノがあふれています。乗用車の普及率は80%を超え、カラーテレビはほぼ100%です。財よりもサービスが伸びると言われますが、サービスは在庫を持てないし、消費量は時間に比例します。1日が24時間と決まっている以上、サービスを受け入れる能力には限りがあります。先進国は財もサービスも基本的には十分満たされているのです。

個人だけでなく、国全体の資本ストックも過剰です。既に過剰なのに、まだ新幹線や第2東名高速を作ると言っている。資本ストックの減価償却にどんどんお金を使うというのが今起きていることです。

 物が溢れて生活は豊かである。豊か過ぎるくらいなので、もうモノ造り日本の時代じゃないというわけ。これは実感からも理解できることで、だから思考がおかしなスパイラルにハマったのかもしれない。

 諏訪に住んでいる私の目に日頃映っているのは、大会社のリストラやその下請けや孫請け会社の倒産。こういった製造に携わる会社に材料となる部品や原料を売っていた商社の倒産。そして、失業した人々だ。この状態がもう何年も続いている。街に活気が無くなり、駅前商店街はシャッターを閉めている店も多く、何よりも、戦後から創業していた唯一の百貨店が姿を消したてから何年か経つ。この街が息づいているのは、東京や関西のちょうど真ん中に当たる地理的な有利性に、温泉町であることや、信州の景観を求める観光客がいるからではないだろうか。

 以上のような主観から、水野氏の話に納得できた。が、これで終わるのでは困る。何とか打開策ないものか?日本が生き延びる道はないものかと頭を悩ました。そして、水野氏のインタビュー記事の後半部分で、物があふれる日本で成長しないと豊かになれないとはどういうことか?という問いかけへの答えが二つあると。これも前段のダメ押しのようだ。

2つ考えられます。もし日本が今でも貧しいとするならば、1つの解は近代システムが間違っているということです。ありとあらゆるものを増やしても皆が豊かになれないというのはおかしいですから。

 2つ目の答えは、成長の次の概念をどう提示するかです。日本は明治維新で近代システムを取り入れて、わずか140年たらずで欧米が400年くらいかけて到達した水準に既に達してしまったということです。これまで「近代システム=成長」ということでやってきましたが、必ずしも近代システムは普遍的なものではありません。変えていかないといけないのです。

 氏の考えでは、「ゼロ成長」が望ましいと結んでいる。人が必要としないのだから成長はしなくていいという考え方。そういうことなんだと一度は飲み込めた。確かに、必要以上に物を作れば余るし、目先を変えても飽きられる。画期的な発明でもない限り、製造業はもう限界なのだと納得すべきなのかもしれない。

 では、どんなことをして日本人は生きていくのだろうか?本当に仕事はなくなってしまうのだろうか?失業者は本当に溢れかえっているのだろうか?  この疑問を払しょくするために色々探した結果、次のようなグラフを見てみた。出典は、社会実情データ図鑑(参照) <

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 2011年に更新されているが、データ内容はやや古いかもしれない。産業別に見ると第3次産業では就業者数は増えている。日本全体での相対数はどうかと見るとIMF - World Economic Outlook Databases (2012年10月版)就業数はあまり減っていない事がわかる。

 

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 個人的な実感から失業者は多いとみなしていたが、そうではなく、第3次産業に雇用を増やすことがこれからの日本のスタイルではないかという点が浮上してきた。これまでは、第2次産業の生産性が低いから儲けが出ないと考えられてきたため、ここで質の向上をめざして合理化を計ってきたが、その結果、所得はある程度確保できても新たな雇用を生み出すことはできなかった。むしろ、リストラの必要性が出てきて失業者を生み出してしまった。

 ここで次の問題。第3次産業を増やせばいいという暫定的な結論ではあるが、この結論を元に、どうしたら雇用を増やせるだろうか?第3次産業とは、小売業や運送業や飲食・宿泊や教育・介護・医療など、形に残らないもので、主に人が中心になる仕事のことだ。つまり、消費を拡大することだ。結局は、経済成長のネックとなっているのは、消費の拡大ではないかな。

 日本の産業構造が変化していることにも気が付かなかったのは遺憾だが、それにともなって雇用はシフトしながら失業者は吸収されていくという現象につながるのではないだろうか。日本のGDP(国民総生産)にもそれが少し現れてきているようにも思える世界銀行の最新データがある。

Gdp

 さて、ここで次の問題。消費の拡大をすればいいことがわかった所で、購買意欲が沸かない。だって、給料(時給も含めて)は上がらないし先き行きの不安もあって食費も削っている状態だもん!

 これは個人の努力でどうこうできる問題とは違う。これはもう、減税しかないだろう。違う?

 水野先生がいう「豊かさ」かどうかは分からないが、少なくとも国民は働いて富を得る。働いたら働いた分を消費に向けるではないか。日本経済の停滞は、低所得が物の流動性を詰まらせ、ボトルネックになっていると思う。だが、企業としては業績が上がらなければ昇給できない。ここに動きが出て来るとしたら、「デフレ脱却する」「景気回復する」と、政府・日銀の言葉の信憑性だが、イマイチどうなるかわからないとても微妙なところ。ついては、「大型減税」が実行されたら?少なくとも私は将来に希望が持てるようになるが、どうだろうか。

追記: 書き終わってからちょっと気になった事

 産業構造にメスを入れるというのでもないが、第3次産業を成長させる実効性について、減税は一つの手段であって、構造がこれによって変わるということでもない。では、働く人口はどこで増えるのだろうか?この点が抜けていたように思う。

 少子化と高齢化による退職が重なって労働可能な人口は減る一方だというのに、上のグラフでは労働者総数は増えている。それは、どう考えても女性労働者としか思えない。しかもそれは、非正規雇用によるのが大半だと思う。女性の非正規雇用体系をぜひとも正規雇用に格上げしないと現在の日本社会では、安定雇用につながらないのではないか?と、ここまで考えて以前読んだ「ようやく来るか、不機嫌な時代(参照)」のこの部分を思い出した。

 どうにもこうにも「家計を維持するには妻が働かないといけない」という状況があれば、変化するだろう。そうなれば、つまり、日本の最終兵器、女性がまた出てくるわけである。「また」というのは、日本の戦時下で実は女性の労働力がマックスになっていた。それが戦争を長引かせてしまったと言えないでもないようだが。

 ここだけ引用するのはもったいないと思いつつ始め、この部分に笑ってしまったのだ。戦後の日本は総じて女性が強くなったというフレーズが重なってしまい、それが妙に印象に残っていたのだが、これは事実で実効性もある話だ。

 雇用形態の質を改善すれば女性が働くことでかなりGDPを押し上げるのではないだろうか。

 そして、もうひとつ気になるのは、正規労働者を増やした企業に補助金を出すという話があること。これは愚策だと思う。理由は、若者を新規雇用してもその分高齢者を解雇するのが企業が普通に行うことだからだ。

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2013-01-09

読書とは-cakesの「新しい「古典」を読む」に始まった古い自分との出会い

今更「読書とは」なんて。しかも、こういうことは、普通は秋に書くだろうが。と、昨年書きそびれていた事がちょっと恥ずかしく思える。なんか青臭いし。長年読書に親しんできた私が、この年になって「読書とは」と、改めて書こうなんて・・・まあ、でもしみじみ感じていることだからこそ書き留めておこという気になった。

cakes(参照)という、Web上の雑誌とでも言ったらいいのか、ネット上でもリアルでもいろいろ書いている人達の書物に出会う事ができるこのサイト、気に入っている。ここで私が贔屓にしているのは、「新しい「古典」」を読む(参照)」で、ここで出会う「古典」は、長年眠っていた私の細胞をリフレッシュしてくれる、ちょっと面白い体験ができるので大好き。(ご本人の紹介はこちら➡

ここで取り上げている「古典」とは、学校で苦労したあの古文や漢文のような古典ではない。私が10代から20代、30代で読んだ書物がその大半で、それらの書物を再読された筆者が「古典」として評されている。既に読んだ書物を後で振り返って再読するのは、よっぽど気がかりなことがあるか、著者のファンで、その筆致がたまらなく好きだからというような理由でもない限りあまり再読はしない。が、cakesが昨年9月に始まった当時からここで出会う「古典」から、再読の価値のある書物であるという言い方よりも、私の読書力とは「無」に近いものだということを思い知らされる。そして、再読してみると、なんとも新鮮な読み心地が味わえるのである。この感覚はとても伝え難いものがあって、それは何かが邪魔しているからだろうか?そう深く自分に問うても湧き上がるものがない。以前読んでから長い年月が経ってしまったからとしか言いようがない。ただ、取り上げている書籍やマンガの著者の年齢が私と同世代であったり、最近取り上げたばかりの「思い出トランプ」の著者である向田邦子などは、今の私の年齢に近い頃書いた物であったりする。つまり、私自身の人生の振り返りと、これからの人生を模索するような異次元に出会えるわくわく感がたまらなく楽しい。いや、とても辛辣でもある。

かつて自分で読んだ書籍が他者の感性で読み込まれたところから表出され、書評となって私の感性に届いたものを一言で言うと、人の生き方そのものに触れているという重たいものでもある。大なり小なり自分の恥部として隠して生きてきたことになんら恥じることなく、ありのままの自分でいいんじゃないか?それに良し悪しをつけて高いところから下を見下ろして、それが何だというのか?ひどくもったいない生き方をしてきたように、後悔するような気持ちにもなった。

昨日紹介の「無影燈」(渡辺淳一)の書評は、強烈だった。昔、読んだその時にも深い感銘を受けた小説だったが、次の部分で、私は再度この本に触れなければ自分に向き合えないと感じた。

「汚辱」が浮かび上がらせる人間の生

この物語は、純愛の物語としても、社会派的に医療批判の物語としてもよい。そのように脚色された二次作品や正義の言説となってもよいだろう。しかし、物語を読み進めながら読者の心に沸き立つのは、そこではない。汚辱への意志だ。読後の感動を冷まし、感興の点をいくつか冷ややかに映し出してみるとよい。私たちがこの作品にのめり込んだのは、汚辱への意志だとわかるはずだ。

「汚辱」。ドロドロした物を剥ぎとって素っ裸になるということ。そういう生き方をするということ。このように評する事ができるのは、そういう生き方をしているという意味があることに気づく。

無影燈」の本文から、

医者は本来、殺し屋なのだ。人間誰しも避けられない死をいかに納得させるか、その手伝いをする職業である。われわれは患者を助けてはいない、助かったのはその人達に助かる力があってからだ。医者はその生命力に手を貸しただけだ。

臨床医としての渡辺だからこそ出てくる言葉でもあると思うが、汚辱によって、人としての医者が医者として向きあうと、こういう言葉に書き換えられることを知った。そして、患者は一瞬放り出され、医者との関係が絶たれる。そして、人がどう生きるかという問として投げかけだけが残る。とても深い意味を持っている。この先、いつかきっとこれを自分に問う日が訪れるだろうと覚悟した。

「古典」とは?こうして「古典」に触れることは、言い換えると、これから生きていく私に新たな課題を呈してくれるということだろうと思う。だらっとした日常の思考に鋭い視点が入って来ることは、生きるための刺激となりエネルギーでもある。そういうものを授かっていると思えることがまた、嬉しい。

これからどんな掘り出し物が出てくるのか、読書を通して私の人生にもっと厚みが出て来るような気がしている。

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2012-12-10

クリスマス商戦を迎えた中国のおもちゃ工場から思うこと

日本の各地ではクリスマスのイルミネーションが、美しく、夜の街を飾っているのではないだろうか。ここ諏訪でも、諏訪湖面に点々と散りばめられた造形が灯りとともに浮き上がり、夜になると美しい。そして、サンタさんがやってきて、子ども達にプレゼントを配ってくれる日が待ち遠しくなる。今でも忘れないのが、冬休み中に起こる数々の家庭行事にわくわくしたことだ。学校が冬休みに入るのは12月23日からだったが、この日を境に、クリスマスとお正月がやってきて、お年玉がもらえる。大した額ではないけど、普段お小遣いをもらったことのない私にとっては、本当にお年玉が嬉しかった。

23日は、母がクリスマスケーキのスポンジを焼く日で、翌日、私と弟が手伝ってバタークリームをホイップし、デコレーションをする日と決まっていた。普段は全く食べないような真っ赤なチェリーの缶詰や、銀色に輝く糖衣菓子アラザンをケーキに散りばめれば、もうもう、それでクリスマスが一気にやってきたものだった。クリスマスツリー用の木を花屋から買ってくるのは父の役目と決まっていて、その木を立てるための十文字の台も父のお手製だった。クリスマスツリーにチカチカライトを灯せば家中がクリスマスだった。そして、クリスマスのプレゼントと、普通は進むはずだが、我が家では、そこまでの事はしなかった。いつ頃からだろうか、クリスマスにはサンタさんがプレゼントを配るのだと何かで知ったのは。何かの本で知ったのかもしれない。驚かれるかもしれないが、本当にクリスマスプレゼントなるものを親からもらったことはない。だからと言って今更恨んでいるわけでもないが、自分の子どもにそういうプレゼントを与えるものだとはあまり思わなかった。それでも世間並みに、小学生の低学年の頃までだっただろうか、何か実用的なものをあげた。だからだろうか、子ども達には、もらった記憶が無いと言われた。その反動か、今頃になって、何か買ってあげるとしたらクリスマスにしようか?などと思うようになったのも事実だ。

昨日、外国製で何か、クリスマスプレゼントに良い物はないかとネットで検索していた時だった、中国で製造されているクリスマス用のおもちゃは世界中の75%にもなるという記事に目が止まった(参照)。この数字にはちょっと驚いた。世界中の子ども達に愛されているおもちゃの75%がいったい、どのような工場で作られているというのだろうか。ページをスクロールして見ると、あまり近代的な工場でもなく、ベルトコンベアーで効率良く作業しているでもないその様子にさらに驚いた。なんともリアルな画像で、皆疲れきった表情をしている。
ピンクのぬいぐるみ

冒頭の紹介文にそこで目をやった。おお、印象派で報道写真家として有名なドイツ人のマイケル・ウルフ氏であった(参照)。彼がネット上でちょと騒がれているというのは、文中に貼られたリンク先の日本の通勤ラッシュ時の人の表情を撮りまくった写真が、報道写真展2010「生活の部」で受賞し、注目を浴びていた(参照)。また、2chでもこの記事が転載されていたことも覚えている。
昼寝
眠り人形

彼の写真を見て何を思ったか?現場での昼寝風景に開放感を感じるくらいなら、きっともっとあなたの方が疲れているかもしれない。私は、食堂で配給されるおかずが、工場で製造される人形のパーツに見えてしまった。いや、そうではないんだと気づいた瞬間、色々な思いが巡った。ふと、2006年から三年間、中国人の「研修生」と称す娘三人を預かったことを思い出した(参照)。

「研修生」というのは表向きで、実質的には出稼ぎというものだ。日中友好を名目に、中国から多くの若い労働者がこの地域に招聘された時期があった。景気がいいわけでもなかったし、労働賃金が安いと言っても、彼女たちは食の心配をすればいいだけで、アパート契約やガス水道・光熱費、往復の旅費、空港への送りは雇い主持ちなので、日本人を雇うよりも経費がかかった。が、幸いな事に、性格の良い子達で、仕事は真面目に働き、遊び歩いてお金を浪費することもなく、中国の親に仕送りもしていた。中国では中流階級の家庭の育ちだった。逆に、ひどく貧しい家庭の子ども達は、日本人の業者から選ばれなかったそうだ。理由はおそらく、それまでの経験から、盗みや誤魔化しなどの質の悪い問題を会社で起こしたりするからだとは思う。

後から「研修生」は表向きだと知ったが、当初から彼女たちがあまりにも熱心に仕事を覚えようとするため、名実共に「研修生」として、全く疑わなかった。帰国する頃までずっと真面目な勤務態度で、職場の日本人フタッフからも可愛がられていた。そして、帰国する頃、彼女たちから聞いた話に、帰国したら中国の製造工場では優遇されるということだった。それが一番の来日の目的だったようだ。腕次第では、給料もよいリーダー格になれるのだとか。へぇ、良かったね。そう思ったものだったが、その彼女たちが、ともするとオモチャ工場のライン管理者だったりするのだろうか。職場のグループリーダーだったりするのだろうか。もしかすると、中国の製造部門の「核」を日本が育てたのかもしれないと思うと、親心というのか、ちょっとばかり嬉しくなり、とても感慨深いものがあった。

話は変わって、昨日、こんな画像をネットで目にした。おそらく中国製品だろう。
トイ・ストーリー(ポテトヘッド)

彼らは、トイ・ストーリーの脇役の「ポテトヘッド」と呼ばれている芋頭のキャラクターだ。中に、キャンディーかチョコレートでも入っているんだろうか。いや、そんなことはどうでもよくて、上段の二人をよーく見て欲しい。左の子は目の位置が微妙に違う。右の子は、背の高さが違うし、顔や手の位置も微妙に他とは違う。もしかして、彼らは本来は、全部同じ外観でなければならないのではないか?どうなんだろう?そう疑問に思った時、先の中国の製造過程の画像の三枚目のお人形の顔が気になった。見てほしい。目がチト違う。製造途中だからかもしれないが、目が開いたり閉じたりするタイプのお人形によくある、ちょっとした不具合とでも言うのか。子供の頃、このお人形で遊んだ経験のある人には分かる、限定的で決定的な残念感を味わう部分だ。

中国製品の制度を疑って信用しない中国の例の娘達は、絶対に「Made in Japan」しか買わなかった。その理由は、中国製はすぐに壊れるからだと言っていたことを思い出した。ものにもよるが、確かに日本製ではあまりない電化製品の故障や、部品の数違いはよくある。

昨今の中国事情から、急成長にはそれなりの苦労が背景にあり、グローバル化し始めた中国とは言え、共産党の一党独裁制が変わったわけでもなく、国民への強権圧政には変わりない。日本の戦後の「産めよ育てよ」ではなく、中国なら「寝ずに作れよもっと」みたいな。中国人の所得から言っても、労働階級ではまだまだ低賃金だという。追い打ちをかけるように、その中国経済もヨーロッパ経済の低迷の影響を受け、次第に落ち込み始めている。最近では、都市部でも仕事がなくなってきていると知ったが、クリスマス商戦とはいえ、女工さん達にとってはやっとありつけた仕事の可能性もある。眠い目をこすりながらの作業や、横になって仮眠を取る姿を想像するに、不良品がいくつかあっても彼女らの責任とは言い切れない気がし、不良品ぽいポテトヘッドが愛おしく思えてならなかった。

因みに、日本ならチェック体制は厳しく、最終チェックで不良品が出れば落とされる。この最終チェックでの不良品に対しては管理不足を問われるため、担当部所や外注品なら該当の外注を呼んで引き取らせ、再生されて完成品として再出荷される。つまり、店頭で、外観で不良品が出るはずがないのが日本製だ。では、中国製はなぜ完成品でないものが店頭に出るのだろうか?最終チェックはないのだろうか。

仮に最終チェックで検品し、不良品が出たらどうなるんだろう。処罰として減給などがあるんだろうか。それらの事情は何か、時間があるときにでも調べてみようかと思うが、どんな社会でも個人に不利益なことは、ひた隠しに隠したくなるというのが普通の心理だと思う。結果、永年にわたって、堂々と店頭に不良品が並び、中国製品が向上しない原因になっているのかもしれない。もしも、そうだとしたら、圧力による労働は、給料をもらって職業人としての誇りを対価に就労するのとはわけが違う。

良い物を効率良く仕上げたらご褒美に、努力手当でも付けば張り合いなのになあ。

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