桜ステーキ(馬のハツ):天皇誕生日で思うこと:人生に良いも悪いもない
冬至といい、天皇誕生日といい、翌日にエントリーするという間抜けさがつづいていますね。ぁはは、分かっていますが、なんとも・・・その日にしか思わないので、覚書きのようになります。来年のことを書いて、鬼に笑われるよりはましかな、と。
天皇誕生日だというので、ラジオのテレビ放送では、皇室の話題が多かったと思います。失礼ながら、最近の天皇の身のこなしや表情が、お歳の割りに急にやつれ、老衰が進行されているかの如く見て取れます。健康を害していらっしゃる様子ですから、養生されることを願います。
昔の話の中で、昭和天皇の事を思い出していました。私が生きてきた年月で、平成よりも長く昭和を生きたというのも理由の一つだと思いますが、玉音放送を聞いた年代ではないけれど、終戦記念日の度に玉音放送を毎年聞いてきた回数は多く、その後の日本の高度成長と一緒に怒涛の中で育った年代です。だからか、自分の時代は、昭和だなと思うのです。今思うと、昭和は、良い時代だったと思います。将来に対する不安は、今のような絶望感ほどもなく、未来に対して、更にもっとより良きを目指すという、国民の声や政治家の手腕が、くっきりはっきりしていたのだと改めて思います。医療の進歩もめざましく、特に癌治療がこんなに早く実現できるとは思いもしなかった程です。それなのに、あの頃願って、疑わなかった「より良き社会」が、将来の展望はおろか、現在、どうしてこの様に、絶望的になってしまったのか。いや、これは私の捉え方の問題か。医療が進歩して、かなり進んだ延命治療が可能になったというのに、それに当たる医師や看護師充当に奔走しても追いつかず、重い病気を併発している妊婦さんが、無事に子どもを生めなかったり。一国の首相が、政治を放棄してしまったり。このような事態を何としたものか、どうしたらよいのだろうかと心苦しく、憤りを隠せません。残念に思います。
大きなことは言えませんが、極、個人的には、いい事ばかりの人生が人生ではなく、たとえそれが怒涛のように、辛く苦しいと思うような事ばかりが身に起こる人生でも、それが自分の人生で、けしてそれが不幸でもないということ。どう受け止めようと、その受け止め方も、これまでの人生で学んで身に付いた受け止め方ですから、他人と同じなわけはない。あるがままを受け止めて、「その時」を糧に、「次の時」を生きるのが人生なのではないかと思うのです。今も、その繰り返しの途上であるわけで、世界が絶望した訳ではないし。「事実」は受けとめる以外に選択肢はないと思うのです。
さて、桜ステーキを最後に、先日入手した馬のハツは完食です。かたまり肉から1.5cm程の厚みで5枚のスライスになりました。少し小振りのステーキのサイズです。室温に戻す為にスライスをバットに並べて、1時間ほどラップをかけて放置しておいたのですが、血がにじむような事もなく、本当に肌理の細かい肉質です。ソースをいろいろ考えていたのですが、臭みやクセのない肉ですから、オーソドックスに、バターで焼いたあと、フライパンに残ったエキスに少しバターを足して、赤ワインで一緒に煮詰めたものをかけてみました。赤ワインの旨味がそのまま馬肉とよく合いました。
付け合せの野菜は、全てうちの畑の精鋭達です。大根はこれ以上大きくなる事もなく、単に霜よけのネットをかけて、畑にそのままにしていますが、葉も甘いです。5cm程の直径の可愛い大根です。この大根と人参を少量の水から蒸すように火を通して、バターと塩を少々加えて調味したグラッセです。野菜の甘味だけとは思えないほど、自然な甘さが嬉しかったです。ほうれん草は、バターでソテーして、塩・胡椒で調味しただけですが、こちらの甘さにも驚きました。
朝早く畑に行くと、ほうれん草は、まるで暖を取るかのように、地面に張り付くように葉を広げ、根っこを分からなくしています。地面の少し深いところにハサミを入れて、根を切ります。霜で真っ白な葉は、そのままピンとして、しもやけにもなっていない丈夫な姿です。
馬のハツをステーキで食べる家庭がどれ程よ、と思うので、この料理自体はあまり参考になるとは思えませんが、折りも折り、クリスマスやお正月に焼くステーキが、美味しく焼けないと本当に残念です。
美味しく焼くコツは、牛ステーキのところを参考にどうぞ。
▪ 美味しく焼くステーキの四か条☛こっち (フィレ)
▪ 和風ステーキ(醤油そーす)☛こっち(ランプ)
材料
- 馬ハツ・・400g
- 付け合せの野菜
- 塩・胡椒・・適宜
- バター・・15g
ソース
- 赤ワイン・・50cc
- バター・・10g
- 塩・胡椒・・適宜
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント