見切り発車はしたものの、田舎のパン屋から見た「地方創生」の可能性
統一地方選挙が昨日、いよいよ幕を上げた。信任投票ということになるのだろうなという、なんとも気の抜けた意識ではイカン、遺憾。Twitterで選挙関連の記事やコラムを拾い読みしている内に、腹立たしさの元素はあるのだけど、それが沸騰してこないままどこかに抜けていくのを感じた。政権を応援して熱くなるでもなく、これからの日本を背負って立つ年齢でもない。私は社会の一員としていったいどの位置にいるんだろうかと、自分を探す始末だ。これが漠然としているのは仕方がないとしても、私個人はどう生きているのかということからあえて、社会を眺めてみようかと思った。
昨年の8月、パン屋を自宅改装までして始めた。この地域はというと、先祖代々家を守っている住民がほとんどで、老人だけの家庭も多い住宅地に我が家はある。この家も代々、長男が家を継いで今がある。因みに、我が家の二人の息子はそれぞれ、東京と横浜で仕事をしているため、夫婦二人暮らしをしている。近くに小中高があり、家の前の道は通学路にもなっているが、普段の人通りは少ない。ここ数年は、「めっきり少なくなった」とも思う。道も狭くて、広い通りから車で入ってくるにはそれなりの勇気もいる。そんな一角でパン屋を営むのは無謀とも思われそうなところでだ、見切り発車した。
見切り発車とはいえ、かなり悩んだ。正に、表題の通りのことを思っていた。この地方が創生する可能性はどこからどう見ても無いし、政治にそれを期待するなど滅相もないことだったからだ。
この発想の原点は、「お店が繁盛する土地で営む」ということにある。例えば、駅前の人通りの多い通りに面した店などが上がる。で、現実問題、諏訪のどこがそれに当たるのか、よくよく考えるにいくらもない。駅前商店街はもう、「街」の体をなしていない。シャッター街である。郊外で大型店舗が立ち並ぶところが市内でも数カ所あり、集客数は凄いと思うが、そんなところにちっぽけな商店を出す意味が無い。というか、希少性として激安、または高級品などの特徴を持たせないと付加価値が上がらない。この見極めが困難で、こんな激戦区に見切り発車などとんでもない話になる。人に言わせると、当店のパンは既に特徴があり、どこにでもはないパンだと言われているが、だったらどこにお店を出してもいいのではないか、というのが、こんな僻地でパン屋を始めた理由だ。
パンの味わいは人それぞれだと思うが、パンに特徴がありすぎると飽きが来る。では、噛めば噛むほど美味しいとは、どういうパンだ?これを常に試行錯誤しながらパンを焼いていれば、きっといつか、誰かが認めてパンを買いに来てくれると、そういう願いを込めて焼いているだけだ。
さて、暇な時もあれば忙しくお客さんが来る時もある。かなり不安定な売上だと思うが、経費として一番ウエイトがある家賃がないのが良い。大型のオーブンやショーケースを動かすのは単相200vの動力だが、電気代は安い。水道水も驚くような金額でもない。では何が気がかりか?あるある。
店先にパンを並べていないパン屋という、かなり変なお店である。基本は受注生産だ。冷蔵のショーケースには焼き菓子などが、ディスプレイみたいに並んでいる。つまり、売れ残りがないため、ロスを作らない。普通のパン屋さんは、閉店前に大袋に詰め込んで500円とかで売りさばいてしまうようだけど、原価だけでも回収したいというのがその金額だと思う。うちのパンは原価に上乗せが少ないし、第一、売れ残りを作るなどもったいない話。アレはできない。では何が気になるか。
せっかくの腕がフルに使われていない寂しさがある点だ。パンを焼きたいんだよ~、もっと。もっと。
「地方創生」というけど、長いデフレの末、日本の家電メーカーが次から次に姿を消していったため、製造に大きく関わった下請けは皆、倒産した。腕のある職人さんが不要となり、全て機械化されてしまった。今では、コンピューターシステムだけでモノ作りができるようになった。しかも、日本は先進国化してしまったため、第三次産業しか伸びシロがない。こうして、働く人が不要な社会作りを進めて来たため、「地方創生」にいまひとつピンと来ない。パン屋の私でさえなのか、パン屋だからなのだろうか。
おそらくこのまま年を取りながら、近隣のお年寄り家庭が一軒二軒と空き家になり、次第に人口も減り、郊外の大型店も姿を消していくのだと思う。パンはもとより、野菜や肉、魚を買うお店も減り、長野県は元通り、海のない、山に囲まれた県に戻るのかもしれない。
私がこの土地に来た頃は、魚屋さんに行っても新鮮な魚がなかった。あったのは、粕や塩に漬けた切り身の魚や干物だった。鮮魚店はあったが、日を決めて築地を往復していたため、非常に高価だった。例えば、鯖が一尾900円というほど。昔あった風景のような田舎にまた、逆戻りするんじゃないだろうか。というか、昔以上にインフラに維持費がかかるため地方では支えきれず、結局、夕張のような風景(参照)になるのかもしれない。
老後はほそぼそとパン屋でも営んで・・・それも難しいのかもしれないと思うようになってしまった。
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