2014-05-25

遠隔操作事件が教えてくれたことについて

 遠隔操作事件は、威力業務妨害の公判で仮釈放中の片山祐輔被告が偽装して送った「真犯人」を名乗るメールで足がつき、再逮捕となって中途半端な解決に持ち込まれた。この事件に対する世間の関心は、メディアが視点をおいてきた通り、検察の誤認逮捕による冤罪か、または、ITを巧みに使いこなす犯人片山被告の無罪勝ち取りかなどではなかったと思う。だが、私の関心は、彼が犯したとしたら、検察は彼の罪をどうやって立証するのかだった。彼が無罪とも犯人だとも、判定は、最後までできなかった。これを私が決められるほど確証できる情報もなかったし、仮に彼の犯罪とすると、人格的に彼は、「普通じゃない」と、何か病的なものさえ感じていた。再逮捕された今でもそれを疑ってはいるが、今後の裁判で解明されるべきは、彼のような人格が育った生育の過程や親の関わりじゃないだろうかと思う。そこが解明されないと一人の親として、私自身がこれから先どうやって生きて行けばよいのか、その方向を見失ったままになるからだ。
 事件の経過の詳細を書くべきとは思うが、今ここで書き記しておきたい視点だけに絞って触れてみたいと思う。
 ベテラン弁護士までが彼の嘘を見抜けず、彼の無罪を信じきってのこれまでの弁護が全て崩壊した事を涙しながら語っていた。「悪魔の仮面」を脱いだ片山被告は、本件で反省しているわけではなく、嘘をつかなくても良くなった事に安堵しているだけだとも話している(参照)。長くなるが、弁護士が片山被告の人格について触れている会見内容を引用しておきたい。

そんな片山被告人は、反省の言葉も口しているという。しかし、佐藤弁護士は、「そんなに簡単に反省できるくらいだったらこんな事件をおこさない。反省していないとは言わないが、心からではない。(嘘をつかなくていいという)重石がとれたという理解だ」と述べ、厳しく突き放した。

●犯行は「ゲーム感覚」だった?

また、佐藤弁護士は「自分の理解では」と断ったうえで、片山被告人の内面についての見解を示した。

「ゲームの感覚でできるところが怖い。人間的にそういう人がどんどん生まれているのが、今の時代じゃないかと思う。(片山被告人の)母親に聞いたところ、ゲームにハマって、勉強をまったくしなくなったという。どこかで非情な部分が芽生えて、前の事件まで起こしたわけだ。

(今回は)母親を心配させたくなくて、無実を主張し続けた。しかし、保釈されても、ずっと仮面を被ったままで家の中にいなくちゃいけないという生活空間だった。母親も完全に信じていないので、『大丈夫だよ』と念を押すような言葉を繰り返していたが、耐えられなくなった。一日も早く、母親をラクにさせてやろうと、(真犯人メールの送信を)やったわけだ」

●「悪魔が仮面をかぶっていた」

「私の理解では、悪魔が仮面をかぶっていたわけだが、善なる部分が悪魔のほうをずっと見続けていたことも事実だし、(彼は)自分の悪魔性を説明できる、と。

片山祐輔予備軍という人がいるかもしれないが、そういう人たちの中で半ばヒーローになりかけた。間違ったヒーローが仮面を脱いで、自分自身を見つめなおす。今までは、嘘をつき続ける日々だったが、もう嘘をつく必要はない状況をむかえた。

実刑を科して、刑務所に置けば済むという問題ではない。また、罪を軽くするという問題でもなくて、社会が抱えている悪魔を白日の下にさらしていく。それが私たちの仕事だと、裁判所や検察にも、わかっていただきたい」

(弁護士ドットコム トピックス)

 長い拘束期間を経て保釈金の一千万円を母親が支払い、しばらく保釈の身であった片山祐輔被告は裁判で、無罪を勝ち取る寸前で再逮捕となった。このまま裁判は、彼が有罪判決となるように進むと見られている。これまで起訴されていたことの全てを認める供述をしているため、もはや、無罪を主張することもその可能性もあるとは思えない事態まで解決へと進んでいる。
 この事件への私の関心は当初は、検察が持っている状況証拠からどうやって犯罪を立証するかにあったが、そのことは思ったほど簡単ではなかった。長く勾留された後、保釈になった彼があろうことか、自分の無罪を早急に決着するため、念押しの架空メールにて、「真犯人」の存在を偽装した。検察がこの工作の一部始終を目撃し、ビデオ撮りして新証拠としたため、当初の遠隔操作犯の隠蔽事実として結びつけた。よって、片山被告の有罪は確定的になった。この一連の動きで検察の周到な調査などに完敗はするものの、それにも悪質さを感じた。片山被告の仕掛けたゲーム(「片山被告が記者に“動機”初告白「最初は腕試しのつもり」」(参照)の勝利者となるためには、裏の裏を書き、手段はもはや選ばないという残酷さをも感じた。
 検察はとうとう片山被告の遠隔操作と犯行を結びつけて立証できなかった。情況証拠だけで逮捕しても、結果が良ければいいんだということで済まされてしまうのもなんだか後味の悪さが残る。加えて、片山被告の無罪を信じた弁護人以下、世間の善人は自暴自棄に陥っても良さそうなくらいのショックを受けたのではないかとさえ思う。どうだろうか?私はというと、逮捕後母親の短いコメントが気になっていた。彼を犯人だと確証していたという発言だった。また、逮捕後に片山被告は、母親が事件の早期の収拾を願っていた事に触れた。
 再逮捕の決め手となったメールの意図は、真犯人の存在をより明確に浮き彫りにし、自分自身が犯人の疑いを払拭して保釈されるためのものだった。片山被告は、これで無罪放免になるはずだった。この時、咄嗟に私は、この親子には問題がありそうだと直感した。
 当時、これをメモ程度にこんな風にTweetしていた。

5月21日

会見で「とにかく、早くこの事件が終わることを願っている」と片山被告が眼を上げて語っていたのが印象に残っている。母親が我が子をかばうことなく、犯罪を見抜いていたのが救い。ただ、年齢的に親離れが気になる / “【遠隔操作ウイルス事件…” http://htn.to/Rp2ApFx
posted at 08:59:15

5月23日

片山被告、親離れができていないことが伺える。母の存在そのものの圧力から逃れられないことを観念したからか、犯罪を認めてからはすべての力が抜けてしまった。反抗期を経て脱皮する時期を彼は、逸したんじゃないだろうか。30歳を過ぎてそれに目覚め、何かを達成することが必要だったのかも。
posted at 03:53:22

親の言うことに忠実で、いい子で育ってきたかとも思う。その殻を破らない限り、人は独り立ちできないし、その不満と現実の自分の置かれた環境とのギャップを切り離すためには、何かを達成することが必要だったとしたら、現代の日本が抱える問題とも言える。片山被告にだけ特別に起きた事件でもない。
posted at 03:56:28

片山被告がなぜこのような事件を引き起こしたか、その解明の正確さが今の日本を知るためにも必要と考えた弁護士は精神鑑定を申請したけど、とても筋の通った対処だと思うし、多くの人が彼の嘘に疑いもせず引っかかった点で、日本社会を見直すチャンスとしたい。親としても考え直したい。
posted at 08:01:46

5月24日

社会への不適合が何に由来するのか、M・スコット・ペックは自署の「平気でうそをつく人たち」で反社会性パーソナリティ障害(ソシオパス)とサイコパスの違いを書いている。この線引は難しい。「虚偽の人々」として、嘘の定常性の例が上がっている。この話をわかりやすく解こうとすると上から目線か?
posted at 03:25:08

「被害者意識」を正当化するような意識が強いからと言えるのか、その程度出終わるのはもったいない。企業なら縦社会でその責任が分散され、家族なら、子の責任は父と母にというように。責任が希釈されると傍観者に成り得るか?その目線になろうとするところに嘘も隠蔽も発生しやすい。
posted at 03:43:30

家族を組織と見たことはなかったけど、「平気でうそをつく人たち」に書かれている「組織」は紛れも無く、身近なその辺に転がる日常のこと。大きくは、日本社会そのものである。片山被告の異常性を当てはめるとしたら、ソシオパスとサイコパスの線引が難しいし、それを書いたらどうなるか?疑問は湧く。
posted at 03:49:24

母親のことはよくわからないけど、家族という組織で、親が子どもの責任を薄める役割がある点、正に片山被告がその結果であるけど、縛り付けられている家族の絆がこの嘘をつくる原因なら、そこから自由の身になれば解決しそうなもの。問題は、30歳を過ぎるまでその環境で育った点。これが日本社会の病
posted at 03:58:40

 私の考えも日を追って少しずつ煮詰まって来ていた。「親が子どもの責任を薄める役割がある」は、変な言い回しに聞こえるかもしれないが、率直に言うと、甘やかすということだ。
 「親として」をかなり意識できるようになってみて、30歳を過ぎて、親と同居することに異論があるわけでもないが、この件では、弊害は生み出したと感じた。
 この弊害が社会にとってどのように弊害か、それは、最近数年の凶悪犯罪が物語っていると思う。ここに興味深い記事がある(参照

Cmanjp_20140525031243

 何が「凶悪」かというと、多くの人が犯罪の意外性に驚く点で、意図なき犯罪や、意図として力試しのつもりだったとか。つまり、果たして罪悪感があったのかなかったのか、そのへんから手繰る必要性を感じるほどあっけらかんとした事件があまりに多いわりに、被害者や巻き込まれる人が多い点などは反省にも出てこないなどだ。残虐性というよりも、人の不意を狙った犯罪が多い。疑いもしなかったところに「悪」という位置づけを、何をもって立証したらいいのか、それすら見いだせないような「罪」の存在を「悪」として認めるのは難しいことだとつくづく感じる。
 私の結論はこうだ。
 これらの全ての責任と言っても過言ではないと思うのが、親の責任である。30を過ぎた息子がやらかした犯罪ゆえ、社会的責任を取るのは本人であるし、親の責任などは問われもしない。が、密着型の親子に起きた本件のようなケースでは、これを特有として、その意識は問われるべきことだと思う。少なくとも、親が子の犯した罪の責任は自分にあると、そう自覚できる親ならそう問うべきだと思う。
 親はある日、子どもが大人になってからそろそろ家を出て独り立ちしないさいよと、蹴飛ばして家を追い出すのも必要かもしれないが、子どもがいい年になるまでぬくぬくと家で同居させた挙句、そこまでハードルを高くしてからなにも試すことではない。では、いつそれをどうやったらいいのかが問題になる。
 昨日、ぼんやりとこの命題に向き合って考えていたところ、ふっと思い出した孫の光景にヒントがあると思った。ちょっと見て欲しい。


 どうだろう?
 辿々しい手つきで長い時間をかけて同じことを同じように繰り返しながらボタを穴にかけている。
 ただそれだけのことだが、子どもが幼い時、一事が万事この単調を繰り返すだけなのである。朝起きて夜寝るまでの一日がまず単調で、大人のような複雑な時間帯も何もない。スケジュールは大人が作ればその通りになる。が、子ども自身は、こういった作業から根気、集中力、達成感、喜びなど、多くを学び、これによって成長する。それらが大人になるということだし、親離れするように、するようにと育てているという実態ではないだろうか。
 本人にそれをどこまで任せられるのか、それが親の課題だと、どの親も自覚できているだろうか?その自覚がないがゆえ、30歳を過ぎた片山被告のように、親離れできていない子どもを大人として育ててしまうのではないだろうか。
 この事件は、それを教えてくれた。

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