近況について
まとめて書く機会が極めて少なくなった最近、Twitterで考え事をそのままメモ的に書いていたりしている。ある程度まとまった時点でここに記録するといいのではないかと思うことも儘あるが、時事問題や政治経済、世界情勢に至ると、どうしても政府批判的な傾向になってしまう。以前はそれにもお構いなく書いていたが、世間の価値観や政治志向が多様化するにつけ、自分一人の考えはそれはそれで良いとしても、ブログに書く意味が自分になくなってしまった。自分のために書くなら、Twiterの目立たないところで充分事足りるというか、わざわざブログに書くほどのこともないと思うようになった次第。
さて、近況についてだが、それこそどうでもいいことだけど、私にとっては記録しておきたいことも有り、ついでに少し私的なことなども書いてしまおうと思う。
今私がいるところは諏訪ではなく、都心から少し離れた、いわば副都心というか、「だいじょうぶだぁ」の志村けんの出身地と言われる東村山市内の娘家族が住むマンションに居る。今月末になるとちょうど二ヶ月になる。昨年の暮、いつもなら実家に大集合してお正月を迎えて諏訪に戻るところ、そのまま娘の二人目のお産に備えてここで待機することとなった。その時点では長くても一ヶ月と見ていたが、生まれた子どもの心臓に異常が有り、心臓内科のある杏林大学病院に緊急入院させたため、いろいろと予定が変わった。
このあたりのことから書き始めようと思う。
出産した翌日、生まれたばかりの赤ん坊見たさで産院を訪ねた時、見た目では何の異常もなく、元気におっぱいも飲むと聞いて安心していたが、その夕方、娘がチアノーゼが少し強いのではないかと保健師に相談したところ、血中酸素がやや少ないという所見があり、安全を見て専門医に診てもらうことになった。そして、その夜、救急車で杏林大学病院に搬送され、新生児特定集中治療室(NICU)に入院となった。その直後から色々な検査が始まり、日をまたいだ夜中の3時頃、子どもの心臓には、「心内膜床欠損症(房室中隔欠損症)」という病名がついた。早い話が、心臓の内部に穴が開いたまま生まれたわけである。このような障害を持って生まれる確立は「100人に一人」で、割りと多いのだと知った。そう言えば、娘や息子たちの同級生に何人かいたことを思い出した。小学校の時に二度目の心臓手術を受けたという同級生のあの子、今頃どうしているかしら?と、ぼんやり、私の孫がいつかそういう手術を受けることになるのを想像していた。
ところで、この度そういうことが身内に起きて知ったことだが、心臓に穴が空いていると言っても、細胞分裂を繰り返して臨月まで人の姿らしくなる道程のどこでそうなるのか、編み物なら一目、見落としたまま完成させたセーターのようでもある。などと冗談も飛ばせるほどに心身にゆとりも出てきたというものだ。
産科の診察で「心音」が聞こえると、一応、「おめでたです」ということになる。人として認められる瞬間がこの「心音」ということだろうか。人らしい姿になるころには、心臓が形成されてる。この時、既に穴が開いていたということになるが、「心音」で所見があったわけではない。また、その穴が心臓のどこに開いているのかがとても重要になる。生まれたばかりの赤ん坊の心臓の大きさはイチゴ位だという。その小さなイチゴの、表面に穴が見つかった場合、成長とともに筋肉が発達して偶然穴をふさぐこともあり、手術の必要もなくなるそうだ。不思議なもので、穴が空いているからと言って、心室や心房から血が流れ出すようなことはない。が、厄介なのは、内部に開いた穴だ。うちの子の場合がこれ。静脈から集まった血が酸素を含んで動脈から体内に循環するその入れ替わリ作業が行われる部分の壁に穴が見つかった。これは、「100人に一人」の確率からさらに3%位の確率で生まれるそうだ。蛇足だが、このような心臓疾患をもって生まれる時にダウン症や、脳の未発達を伴っていることが多いということらしい。染色体の異常や細胞分裂が上手く行われなかった事に起因しているので、そういうことが言えるのも納得できた。
検査でここまで分かるのかと驚いた点でもあったが、見たこともない心臓の働きがどうれくらいなのか数字で示されると、現実に向き合うしかない。心臓の浄化能力は93%ほどだと聞いた。健常児で98%位だというからわずかではあるが、血中酸素が少ない。このイチゴの内部にいつか、成長の段階を見計らってメスを入れる必要がはっきり診断された。
そう言えば、日本の保険制度や地域の福祉の点で感じたことがある。生まれたばかりの子どもが親の健康保険で治療しないではいられないほど、医療費は高額になる。
先ず、健康保険で治療を開始したことにするには、出生届をして、つまり、命名するというのがある。生まれて顔を見てから名前を考えようと思っていたらしく、かなり慌てて名前を考えることになった。即座に市役所に出生届を提出し、続けて健康保険に加入する。国民健康保険なら同じ市役所でできるが、そうではない場合は、関係する保険事務所へ出向く。それから、市町村ごとで補助している子どもの医療や障害を持つ子どもの福祉など、親の負担が軽減されるよう、子どもにとって充分な治療が受けられるよう、なんやかやと手続きがあった。
産後で入院中の母親はどうかというと、かなりい忙しい。生まれると直ぐにお乳が出るわけではなく、赤ん坊に吸われて、ホルモンの働きで次第に出が良くなる。が、その子どもがいないのである。つまり、手動で搾乳する。これが初産だと泣きたくなるくらい出ない。幸い二人目でもあり、なんとか搾乳は順調にできるようになった。冷凍保存された「初乳」のストックを作り、赤ん坊の入院先に届けるのは父親。この父親に限定されるのが便宜上、不都合でもあったかな。誰かが届けるのではなぜダメなの?これはよくわからない。病院のシステムだろうか。手の空いている人が届けられれば良かったが、よくよく考えてみると、父親が父親の自覚を持つためにはいいかも。子どもが育つ段階ではいろいろなことが起こり、それを乗り越えるために父親が関わって共有することから「親」となっていくことでもあると思う。
さて、これらのことが約10日間続き、その間、長女の日々の世話で私の日課が過ぎた。退院後は、何かとその子に神経を注ぐ両親に気兼ねなく、ああだこうだと言う長女で良かった。親は忙しくなるのだよ。親にしかできないことがある。それを思い知った娘夫婦だったと思う。彼女に妹という自覚はまだないかもしれないが、赤ちゃんが家にやってきた~という喜びは、日々の仕草にも現れ、なかなか微笑ましい。
私はというと、お豆腐屋さんのお婆様に「あなたの子どもさん?」とか言われてビビった。いやマジで、うっそーと言いたかった。この年で子どもが生まれる道理がないっ。が、見た目は若いし、そう言われるのかも。私の母と私、孫の三人で買い物した時も「お孫さんですか?」と、私の母、つまり曾祖母ちゃんが言われるのである。
世の中の高齢者が若く見える分、私が感じる以上に、私などは若僧の類なのかもしれない。
物哀しい歌い方ではあるけど、歌詞(フランス語)から何か小さな幸せを感じる「if」という、Zazの曲。
私に一滴の水の潤いを与えてくれた。
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