バリ島産の「カヌーの上で釣をするネコ」のオブジェから思うこと
もうかれこれ7年前になるんだろうか。つい最近の事のように思い出されるのは、春日部の「地下神殿」にTwitterで知り合った数名に案内されて行ったことや、そのメンバーの消息である。
というのも、この二年ほど、Twitterの使い方を変えるために、最初に作ったアカウントを削除して別のアカウントに切り替えたため、当時のお仲間とは交信しない状態だった。個別に思い入れや意図があってそうしたのではなく、あくまでも自分の都合だった。が、最近、どこからともなく私を見つけてフォローされる。なので、自動的にフォローしてまた、交流がなんとなく再開したかに思う。とは言え、私のしていることは毎度おきまりのワンパターンで、時事関連ニュースのメモ置き場のようなもの。交流よりも情報ソースの取り込みが多い。それでも、しばらく音信不通だったため、久しぶりに懐かしい友に会ったような気もしている。そんな中、春日部の地下神殿に視察に参加されたお一人で、特に思い出すことがあった。
隣の画像を見るのが早いかもしれない。これは彼にお願いして見つけてもらった、バリ島の「カヌーの上で釣をするネコ」のオブジェだ。
実は、春日部の神殿視察に行ったのよりも少し前のこと、彼のmixi日記で、これにとても似たネコの釣をする姿のオブジェを最初に見つけた。可愛い。そう感じて、なんとなく癒された。が、とても欲しいというほどではなく、いつか手に入るといいな程度だった。あれから7年。殆どその置物のことは忘れてしまっていたが、Twitterで再会した瞬間に、「あの置物」と、気になった。その彼が、見つけてくれるというので、すっかりその気になって楽しみにしていた。そして、ついに先日、届いた。
なんとも可愛いではないか。
しかし、なぜこれほどまでに愛おしく引かれるのか?例のごとく少し考えてみた。
ネコが小首を傾げて、少し後ろに反り返るようにして釣竿を両手に持ち、カヌーに座って魚を釣っているだけなんだが、なんとも憂いがかっている。ないものねだりをして叶わない願いを持っているとしたら?そう、釣っている魚に秘密があった。そもそも、ネコは釣をしないし、魚は七輪から盗むものだ。そう、サザエさんの主題歌でも歌っているじゃないか。で、そういう超現実的な解釈は何の訳にも立たなかった。役立ったのは、有りそうもないネコの釣り姿は、私の仮想する現実を無にして現実的に生きろと私を励ます対話相手だったからだ。まあ、結構痛々しい様である。少しこれとは違うが、吉本隆明氏が「ネコに好かれる」と話した時のあの感覚でもあったかもしれない。それが7年前にはなかった感覚で、だからか、可愛いだけで置物を欲しがったリ飾ったりしない私が、今回はどうしても欲しかった。探して欲しいと頼んだ時点ではこの感情に気づいていなかった。
「置物」と言うよりも、現実から逃げ出してあらぬことを切望せぬよう、「見守り役」かもしれない。
その後ろ姿のネコの肩は、情けなくなるほど憂いをたっぷり含んでいるように見える。そういう思いを通してしか解釈できない今の私の姿なんだとしみじみ感じている。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント