身体が壊れて人が一生を終えることとは 「開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)」を読む前に
素人のすることで、大したものが作れるでもないけど、家から数百メートル坂道を登った川沿いに、先祖が残した土手の土地で畑を作り始めて今年で五年目になる。若い人がめっきり減ってしまった近頃、私の年令での畑デビューは、近所のお婆様達から結果的に歓迎された。どこから突つかれても痛いほどの畑の知識もなく、するどい指摘や嫌味もスーッと吸収してしまう、格好の話し相手となったからだと思う。
中でも、言うことが一々辛辣で棘はあるが、この辺では一番年長で物知りのお婆様の姿をしばらく見かけなかった。ふと気づいてから一ヶ月くらい経っていただろうか、上の畑のお婆様が「藤原のお婆様は、一週間ほど入院して帰ってきて、今は家で休んでいるらしいよ。」と教えてくれた。九〇才を越えていて、いつお迎えがきてもいいとご本人が話していたのを思い出した。それにしても一週間とは短い入院だ。何が原因だったのか聞くと、栄養失調で倒れたという。まさか。あの食べ物にうるさいお婆様がなぜ栄養失調で?さらに訊くと、入れ歯の噛み合わせが合わなくなったためろくに食べることができなくなってから長く、少しずつ栄養失調状態に陥っていたということだった。人間、歩けなくなったらお仕舞だとか、食べるものがろくに食べられなくなったら終わりだとか色々言われるが、正にそれが元だったとは。顎や顔の骨格が年令とともに変化する過程で、10年もすると入れ歯の噛み合わせが悪くなり、痛みを伴ったためだったのだろう、今思えば、外していることの方が多かった気がする。
この時、色々なことを思いめぐらしていた。その中でもっとも私が混乱したのは、このお婆様の生き様を自分のこの先の老婆の姿に投影してみるに、その姿が見えにくいことだった。考えて、想像してみても鏡を見ても、自分の老婆の姿は見えにくいものだ。と言うよりも、見たくない、想像したくないという気持ちが先にあるからか、その姿を鏡の前に映し出さないようにベールをかけて覆っている感じかもしれない。それで打ち消してしまうのかもしれない。その言い訳に、今から想像してみたって仕方がないし、それで心配事をしても何もならないし、と。「考える生き方」(参照)を読んだ時も、その時その時で、何が自分にできるか考え、できることをして生きるのだと再確認したことでもある。が、何かがここで抜けている。それがこのお婆様の入院騒ぎで舞い降りてきたかに感じた、老いの姿とは、死に向かう自分だった。
吉本隆明氏の娘さんが、父親の最後の様子を鮮明にさせたと評されている「開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)」(参照)で、吉本翁の老衰したその姿を認めたくない私を見た。吉本氏が亡くなった時のショックは思ったほどではなかったが、生きて老衰して行く姿をみたくもなかった。
福島原発事故後、これが亡くなる前の年に当たるが、それでも素晴らしく生き生きとした言葉を残しているし(参照)、年老いていない吉本さんとして私は嬉しかった。が、その気持の裏側は逆で、吉本翁がどんどん耄碌していく姿を認めていて、気持ちの何処かでいつもそれを打ち消していただけに過ぎなかった。
2009年、糸井重里氏のお膳立てで、「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」(参照)がNHKの教育でETV特集が放映された。この時は、感動した。初めて肉声と翁が動く姿を確認できた感動もさることながら、これが最初で最後かと感慨もあった。亡くなったことでそれが現実になってしまった時、老いるというのは嫌なものだと、翁の晩年に書いたものから遠ざかってしまった。
それは、つまり自分の老いを認めたくない気持ちや、死への道のりを確認すようなことは残酷で、そんなに辛いことを生きている今、何もわざわざ知ろうとする必要はないだろうという気持ちに他ならない。そう思っていたからだと思うが、「開店休業」も、すぐに飛びついて読もうと、積極的な気持ちがあったわけでもない。
全く嫌な性分だが、これは、逃げは逃げで、すでにもう向き合い始めているということを認めざるをえない。この書評を読んでしまった以上、逃げたい自分を捕まえてしまった。観念するしかない。なんとなくこんなふうに思っていたら、昨日、これに追い打ちを掛けるかのごとく、「老いの、身体が壊れて死に至るという意味合い」(参照)で、次のように吉本翁の老いの自覚が書かれていた。
吉本さんの老いの話は、続いて、歯が浮くことに移る。いわゆる身体の衰退でもあるが、娘ハルノの話では60代から入れ歯だったようでもある。 吉本さんは糖尿病でもあった。30代のころに発症している。そういえば、邱先生もそうだった。糖尿病は(糖尿病と限らないが)恐ろしい病気で、結局、吉本さんも晩年それに苦しむことになる。歩けなくなり、失明もする。 ハルノの話では1990年代末には、尿漏れもあったらしい。
冒頭に書いた、畑のお婆様が入院したのは老衰ではなく、栄養失調だったという話につながる。だが、それも老化の一途であった。
吉本さんの歯が浮いて60代で入れ歯になった話と、90歳で入れ歯のかみ合わせが悪いために栄養失調で入院した近所のお婆様のことは、私の中では同じ事なのだ。衝撃でもある。が、これが自分の老婆の姿とすっぽり重なり、なんだか悲しくなった。
「開店休業」はまだ読んでいないが、この悲しさというか、虚しさをどうやったら「希望に変える」事ができるんだろうか。
そればっかり考えている。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント