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2013年3月

2013-03-20

「可愛い女の子」と「可愛いと言われて育った女の子」とは?

 変なタイトルだ。それでも、どういう書き出しで何を書くのかといろいろまとめようとしたが、上手くまとまらない。それで、わざわざ「」を付けたのは、私の言葉ではなく、自分の中のイメージ的な発想もあって、この2つのことを客観的に捉えて考えてみようと思ったからだ。備忘的に書いておきたいと思う。
 これを思ったきっかけは、小学生や幼女の芸能界デビューが、子どもの育ちにとって何か影響があるだろうか?という浅い疑問だった。が、いろいろこのことを実例に照らして考えている内に、女の幸せな生き方にもつながると思えてきた。それがどんな生き方か?そこを書き出すのが難しいと思いながらも、あえて書くことにした。
 話の角度を変えると、子どもを取り巻く生育環境は、選択できるものとできないものがある。当たり前の話だが、子どもは、親を選択できない。でも、親は子どもの育つ環境をある程度選択できる。昔からあるのが英才教育で、音楽などはずっと長く続いている。また、平成になって多く感じるのは、スポーツ界で活躍するティーンエイジャー達だ。今二十歳前後で活躍する彼らは、平成生まれで、その後も後を絶つことなくどんどん若いパワーが溢れてきた。これは、今の日本では,希少かつ貴重な存在で、将来は、彼らが次世代の先輩となって、また多くの才能を引き出す指導的な立場ともなるのだと思う。昭和の30年代くらいからその兆しはあって、それが多種に渡って広がってきたとも言えると思う。時代を追って様々な変化も感じたが、昔は感じなかった事が最近、やたらと気になるようになってきた。だから、ここに書こうとすることは正に老婆心からで、大して人の生き方に参考になることかどうか分からない。
 さて、私の昔の職歴から、子役デビューなども見てきた経験で、最近少し気になることがある。子役はどう育てられるかという点だ。言い方を変えると、子役という職業で、子どもに何が刷り込まれるかという問題だ。特に、「可愛い」と評価される子どもだ。
 ここでちょっと外れてしまうが、私にも娘が一人いる。彼女は私の友人たちから「将来この子は美人になるよ」と、よく言われた。親の私は子供の顔を中々客観視できるものではなく、美形かどうかという点ではよくわからなかった。成長して20歳過ぎた頃には、ヘアーモデルなどを頼まれていたようだった。親戚の結婚式では、私の叔母や叔父が、娘がすごい美人だと褒められた。まあ、取り柄の一つとでも言えることがあってよかったね。と、これにも親がほこほこ喜ぶなんてことは無かった。父親の嬉しさはちょっと別のようだったが。
 これをもって何が言いたいかというと、私の子育て観というほどのことでもないが、子どもには大人の観念的な見方をそのまま植えつけないように気をつけて来た。つまり、子どもが美人だと褒められようが、仮に私がそう思っていても、子どもには「あなたは綺麗な子」などとすり込まない努力をしてきたつもりだ。「そんなこと考えすぎ」と、言われるかもしれない、ある意味、これが私の親ばかの姿かもしれない。
 「可愛い」と評価される事の何が子どもにとってダメなのか?のテーマに戻すことにする。
 高校の女子バスケ部の外部コーチをしていた頃のある年、その学年ではモテモテの可愛い一年生が入部してきた。スタイルもよく、均整の取れた体つきで、多分どんな洋服を着ても似合いそうで、目はくりくりとした茶目で、髪の毛の色も天然の栗色。非の打ち所のない美形だった。話し方にも嫌味がなく、どちらかと言うと天然で幼いかんじ。喋り方もなんとなく舌足らずだった。男子からは大モテで、部活が始まるとギャラリーにはスズメが電線に一列にとまっているようだった。バスケットはさほど上手でもないし、あまり根性もない。へなへなと転んだりすると、彼女のファンがギャラリーから「がんばれー」と、声援した。普通の部員にはそういうことは起こらないし、部活中によそ見などはしないで黙々と自分の練習に集中するのだが、彼女は、ギャリーに笑顔を返す子だった。そこで彼女を指導するなどということは私はしないタイプのコーチで、成り行きを静観していた。ただ、面白い事が起こるものだとは思った。
 そういう彼女の育ちに危惧を抱いたのは、どこから見ても可愛い子だというとおり、彼女は自分が「可愛い子」だと知っているという点だった。子どもが自分のことを「可愛い」と意識するのは、何がその起点になったりきっかけになるんだろうか?転んだ瞬間、彼女は、彼女を見ている人を無意識に意識するということ。それまで何百という高校生と関わってきて、このような態度をする部員を見たことがなかった。彼女は体育館でバスケットの練習をしているのではなく、何か、ステージにでも立っている演技者のような、そんな風に見えた。このことに私の関心が寄った。部活の男性顧問は彼女のこと、「自分が可愛いと知っているのはある意味魔性でもある」と言っていた。この先生も個性的な感性の持ち主で、書道家だった。
 男性の捉え方にはエロチックなものを感じたが、生徒を前に好ましくない表現だと思ったのか、でもそれは、男子生徒に人気がある彼女を見ただけではなく、彼らを意識する彼女に女の性を見たのだろうと思う。彼女のは無意識な仕草だと思うので、指摘してもわからないと思う。その後、私の関心も、彼女はどうしているか時々思い出す程度になってしまった。
 話がダラダラとなってしまった。つまり、「可愛い」という他者からの刷り込みによって、その人物は人の評価を自分に取り込み、それが自分の姿だと認識し、拠り所とするのではないか?その懸念でもあり、子どもの生育への大人の関与への苦言のようでもあるが、それが気になって仕方がなかった。芸能界の子役は誰からも「可愛い」といわれるように仕立てるし、美貌を放っておく手はない。その舞台に飛び上がる年齢にもよるが、そいういった中で自分にきちんと向き合い、自分を確かめられる人間になるか、または、すり込まれた幻想を信じて疑わない生き方になるのか、担当者はそんなことまで給料に含まれてはいないし責任はない。人から可愛いと言われなくなったら途方に暮れるんじゃないかと、後者に関しては思う。それもその人の生き方ではあるし、私が横からなにか言うことでもないかなと引いたことだった。
 女の私がいうのもおこがましいし憚れるが、女はだれでも宝石を持って生まれ、それを磨くことで本物の女になるものだと思っている。磨かないのに輝いていると思っている人は、何かが変ではないかな?これは、美しく生まれるということとは無関係な問題で、ここを上手く表現できないので色々書いてしまった。それでも伝わりにくいだろうなあ、と思っている。

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2013-03-13

豆腐ステーキと蕗の薹と豚ひき肉のあんかけ

 311が過ぎ、春がやっときたなとしみじみ感じる。
 二年前の東北の太平洋側に地震と津波が残した傷、と言っていいのだろうか、当時のいろいろな痛ましい状況を思い出していた。幸いと言うか、あの年の春の訪れが早く、家を失った人々が避難所の寒さに何とか耐え忍ぶ姿が脳裏に戻ってきた。それを思いながら、なぜ私の目にも涙?いったい私は何に触発されて感傷的になっているんだろうか?少し自分に向き合ってみた。
 被災された人達は、二年前のあの経験に涙しながらも、生きていく方向を模索しながら生き生きとしている反面をきちんと備えている。「生きるというのはただ生きるだけ」と、難病を抱えながら今自分が生きていることを日々確認しながら、明日に生きる人の言葉が、なんとも短く言い当てている。とりあえず私にはそれらを苦にすることもなければ、何でもできる自由も体もある。それなのになぜできないのか?なぜ、何かをしようとしないのか?と、自問自答を繰り返すと苦しくなって泣きたくなる。急に吹き荒れる偏西風で黄砂やPM2.5が懸念されたかと思えば、スギ花粉。日本中で春の訪れを感じるどころか、なんとも異様な空気に包まれる。
 前項で書いた「考える生き方」を拝読して(参照)、いろいろと思うことがあり、引いていく自分の姿のままにしておきたいのが本心。これに関してはいつか書けるとも思えず、書けば解決することでもなく、なんとなく悶々とはしているが。
 そういうことも相まって、それもこれも贅沢な悩みだな。と、少し気持ちを吹っ切った。

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 先週まで、温泉からの帰り道では髪の毛が凍りつくほど気温が低く、道端に寄せられた雪が日中融けて流れ出した水は夜になるとバリバリに凍っていたのに。雪をどかして見ると、頭が茶色くしもやけになった蕗の薹を見つける。なんとも嬉しい。お前は、いつもの年と同じ場所に出てくるんだね。今年もいただきますよ。と話しかけて10分もそこらを探すると、両手に乗らないほど見つかる。これ以上は食べきれない、と思うだけにして摘み終わる。

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 いつもは天ぷらがその最初の料理だが、次に、どう料理してやろうかと考え、蕗の薹の苦味と香りを出来るだけ味わえるように、香ばしく焼いた豆腐にあんかけソースとして豚ひき肉と一緒にしてみたら、なんだか幸せになった。あまりにおいしかったので、簡単だし、ここにレシピをしまっておきたくなった。

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 少し残念なのは、誰でも蕗の薹が食べられるわけじゃないこと。なのに、ここにレシピを載せてもなあと、また例のごとく後ろ向きになって書かなくなりそうになった。が、それもあえて吹っ切って前に進もうと、そうしてみようと、それがただ生きることなんだと思えた次第。
 蕗の薹に巡り合えるチャンスがあったら是非、この料理をお試しあれ。とても美味しいよ。

材料(二人分)

  • 蕗の薹・・30g
  • 木綿豆腐・・1丁
  • 豚ひき肉・・60g
  • 鰹出汁・・200cc
  • 薄口醤油・・大さじ1
  • 味醂・・大さじ1
  • 砂糖・・小さじ1
  • 塩・・ひとつまみ
  • 片栗粉・・小さじ3(同量の水で溶く)
  • 小麦粉・・少々
  • オリーブオイル・・小さじ2

作り方

  1. 豆腐は火が通りやすいように厚みを半分にし、鍋で豆腐がすっかり被るくらいの水から中火にかける。
  2. 1の豆腐がゆらゆら動いて来たら笊に上げ、まな板に並べて斜めに倒して10分ほど水気を切る。
  3. 50度のお湯を作って蕗の薹を綺麗に洗う。青々しくなり、汚れがよく落ち、香りが良くなる。(50℃洗い
  4. ひき肉は排水用のネットなどに入れて蕗の薹と同様に50℃のお湯で10秒ほど洗って水気を絞る。アクがなくなって肉の臭み、油脂が適当に抜ける。
  5. 浅い鍋に鰹出汁と4のひき肉と調味料を加えて中火でかき混ぜながら火を通し、水溶き片栗粉でとろみをつける。

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  6. 2の豆腐の両面に塩・胡椒し(分量外)、指で摘んだ小麦粉をパラパラと振って油を引いたフライパンで香ばしく両面を焼く。
  7. 豆腐が焼き上がってから5のひき肉あんかけに刻んだ蕗の薹をサッと混ぜ、焼き上がった豆腐にたっぷりかけて出来上がり♪

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