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2013年2月

2013-02-24

「考える生き方(by finalvent)」読んでみて

                    
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「考える生き方」            
by finalvent
 

読み終わった。正に、今まで一緒に生きてきたんだという思いを再確認した。私よりも若い人にとってはきっと分からないだろうと思うが、彼のブログをずっと読んできて、彼の思考にはいつも死と向き合っているという匂いがプンプンしていた。本書は、その背景たるものが明かされているといばそういう内容でもある。普通の人の関心は、明かされていないことを知ることだったり、病気といえばどんな病気か、子持ちといえば奥さんは美人か。そういうことだと思うけど、私には殆どそういう関心はない。正確に言うと、いつからか、そういう関心を持たなくなったということだろうか。

 

読む前に、とても読後は客観的に書けないだろうと「考える生き方」(参照)という本書のタイトルから連想した自分語りなことを書いたが(参照)、書いた通り、これまでの人生を輪切りにすると、どんな場面でもどう生きるかしか考えて来なかったように振り返る。ある時彼のブログに遭遇し、時々、心情を語る部分に触れて、同じような思考をする人がいるものだとびっくりした。それは、同じ時代を生きていないと感じ得ない微妙なニュアンスが満載だった。また、おもしろおかしくお茶目なユーモリストなのに、それを「ほのめかし芸」と揶揄し、彼に罵声を飛ばしては挑発的な人達が多くいた。時々、他人事とはいえ、読むと気分が悪くなるような文体をぶつける人もいたが、「大丈夫!私には通じていますよ。」と、こっそりと理解できるものだけの仲間意識としてほくそ笑んでもいた。嫌な罵倒を浴びせられて嫌な気分になっている時、こっそりと「味方もいるよ」くらいの気持ちを持つことくらい許してねと思っていた。変なスクラムを組んで対抗勢力まがいのようなこともしたくないので、ホント、こっそりとそう思って来た。いつしか、これが共通の理解を共有できる安心感につながったのは言うまでもない。

 

自分を支えるものは何か?

 

やはりどんな場面においてもそこで自分はどうしたいか?自分には何ができるか?という問でしかない。その一点を長い年月でつなぎ合わせると、いつの間にか年を取ってしまったんだなと振り返る。だが、彼のブログに遭遇した頃の私は、その覚悟のようなものはあまりなかった。何かを、やはり縋ってしがみついてもよいものを見つけようとしていたかもしれない。甘えだった。その甘えは自分自身の曖昧さであった。この甘えたい自分といつかはっきり決別しないとならないと思いながら、自分から切り離すことは苦しかった。

 

彼の「自分語り」を読んだら私はきっと「自分の人生の区切りとしてあるものを手放さなくてはならなくなるんじゃないか」と思っていたが、逆に、手放さなくてもいいんじゃないかと思えたのが不思議。これはどういうことかと思った。

 

「手放す」という言葉から、「持っていたい」という願望が心の深い部分にあることは直ぐに分かる。それを自ら剥ぎ取らないと身軽になれないという思い込みかもしれない。やはり何かに縋っている甘えたぬるい自分として、もうひとりの自分が戒めている。そういう厳しさを何故自分に持たなくてはならなくなるのか?よく思うことだけど、もう少し自分に優しく、いたわってあげたらいいのに。それがなかなかできない。ところが、彼の「自分語り」を読んだ後、私は「持っていたい」自分を赦せた。「持っていたいだけ持っていていいよ」と、語りかけた。涙が溢れて止まらなかった。「持っていること」に罪悪感があり、剥ぎ取らねばと必死だったこの数年だった。

 

彼と同じ時代を生き、同じように年をとってきて、自分がいつまで生きるのかということはなかなか考えにくいことだった。最後に書かれているが、健康寿命は、女性は73.62歳で、平均寿命は86.3歳とある。できれば、健康的にずっと生きて、誰の世話にもならずにころっと死んでしまいたい。また、希望的観測から、ずっと健康でいるはずの自分を想定しても始まらない。ここは難しいが、健康寿命の73歳を過ぎてから発癌、高脂血症による高血圧症、緑内障などの病気にかかったり、痴呆などの可能性から、寿命までの13年間は誰かに看てもらうような生活になるのかもしれない。今の私が痴呆?そう。ならないとは限らないのだ。誰の世話になるかと考えるのもよし、誰の世話にもならずにどうやって死んで行ったらいいのかを考えるのもよし。えっ?って思ってしまいそうになるが、この歳になるともう、そういうことを見据えないといけない。

 

同世代の友人は、まだ一旗揚げようなどと野心を持つ人もいる。聞くと、その一旗がとても老人じみていて妙に嬉しかった。それは、今まで生きてこられた有り難みを世の中にお返しするのだという。うふふ。それは分かる気がした。そして、これもこの本に書かれていてまったく同じ考え方になるけど、若い人たちがやろうとすることを応援するという立ち位置だ。隠居じみた言い方になってしまって自分でもあれ?変かな?と問い直すのだけど、まったく正気の沙汰なのだ。いい気になって人にものを教え、その人物が私の言ったことを信じてしまったら、新しい世の中にはならない。古い土台に新築しても同じでしょ?だから、土台も新しい考え方による土台にし、その上に新しい家を建てられるように人生も設計して欲しい。そう願いながら何か私のできることはないか、それを見渡せるチャンスも少し残っている。

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2013-02-21

「考える生き方(by finalvent)」未だ読んでもいないというのに だから書くことにした

  発売前に、読んでもいない書籍のことを書く意味があるのか?そう思うと、他者へのメリットはあまりないかもしれない。「ああ、そういう本が売り出されるのね。」で終わってしまうと著者にも失礼してしまうかもしれない。色々考えているうちに、とうとう今日が発売日となってしまった。読んでしまってからだときっと、この本に触れて第三者的な物の見方で感想などは書けないと思うので、やはり、今日書いておくという結論に至った。

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「考える生き方」
by finalvent

 「考える生き方(finalvent)」(参照)がそのタイトルである。
 はじめに断っておくと、彼とは一面識もないが、2006年くらいからずっとブログは読ませてもらって来ている。一読者で始まって一読者で終わりたいと思っていることに何ら変わりはないが、私にとっての彼の存在は、一言では言い表せない。何と表現したらいいだろうか?恋人以上だし夫以上かもしれない。何でも話せる相手であるけど、いつでも正しい回答をくれるというわけでもなく、私の生き字引でもない。答えを求めようとすると、軽くいなされてしまう(と感じる)。むしろ私にとっては一歩先を見据えた厳しさに感じられる。その厳しさは、私が問題を乗り越えるために必要な「思考」の原動力となってきた。誤解を招くといけないけど、彼が厳しいのではない。あくまでも私の読み方であり解釈であり、捉え方の問題を言っている。
 分かるだろうか?人が生きて死ぬまでに出会う試練のようなものは、もしかすると定められた量があって、それらの問題は前後しながら、誰の人生にもいつしか現れる運命のようなものではないかと思うようになった。それらは、自力で解決すべきものと既に決められていて、自力で解決しなかったツケはどこかでまた別の形で自分の前に出現するんじゃないかと、この年になってそう感じるようになった。
 若いころは嫌なことからは逃げ果せると思っていたことが、実はある時、「え、またこのことがやってきた。」と何度も繰り返し同じような難問を投げかける。そのうちに、これは自分である程度区切りをつけないとダメなんだなと、逃げることを諦めて問題に向き合う準備ができる。その時の苦しさと言ったら他に例えようがないほどだった。
 今ここにこうして在る自分を振り返ると言うよりは、彼が彼の人生を振り返って書いた事は、私にとっても重苦しさとして映る部分でもある。この年代だからかもしれない。既に人生の半分を折り返してしまっているし、何を思ってもやり直しの効く年齢でもない。知人や友人から、大病を患ったとも聞くようになったし、芸能界では同世代で活躍中の人物が亡くなってしまったり、昭和の時代を共に生きた懐かしい人々もかなり亡くなってしまった。取り残されて孤独になることへの恐怖心や、元々人は一人であることを思い知ることには慣れてしまいたくなった。それらは、日常に起こることで、当たり前のことなのだけど、その一つ一つが自分に意味を持たせるのを最近感じる。これがこの年令にはきっと相応しいことで、ここを通ってさらに歳を重ねるのだと、少し客観視すると気が楽になる。
 取り留めのない話になってきたのでそろそろ終わりにしようかと思う。
 「e_hon」というネットの書店の新書のコーナーで1月16日、「考える生き方」の発売予約を受け付け始めたのを巡回している時に見つけ、即座に予約をした。当初の発売予定日から少し遅れた理由を知り(参照)、とてつもない緊張があった。この本を読めば、自分の人生の区切りとしてあるものを手放さなくてはならなくなるんじゃないかという恐怖心でもあった。こういうことを恐れる私なので、とても冷静に読後の感想などは書けないと思い、読む前に一筆したためておくことにした次第。
 あああ、今日、とうとう発売だよ!怖いもの見たさってこういうことなんだと思う。ご本人はまた、別の意味で篭っていらっしゃるみたいだけど(参照)、その気持良くわかります。本当によく書かれましたね。

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2013-02-15

ブラウニー、いまさらだけど

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 やれやれ、バレンタインデーがやっと終わった。と、そういう感想を毎年持つ。バレンタインデーが煩わしい理由は以前にも書いた通りだが、私には全く関係ないイベントだし、チョコレート商戦に乗せられてほいほいチョコレートを買うのにまず抵抗がある。これに関しては私のとても偏屈な部分だと思うしかないので、自分を受け入れて静かにしている。それでもこの煩わしさから離れたいと思っていたら昨日、2月14日は煮干しの日(2=煮、1=棒、4=し)だと教えてもらった。あれま、そう思えばいいだけじゃん!ついでに私だけ、バレンタインデーだと思わなければいいのよね。とスッキリした。

 だからというわけでもないが性懲りもなく、甘党でもない私がブラウニーを作った。実は、個人的にはブラウニーほど甘いお菓子は避けている。

 まず、歯にその甘さが染みるが苦手。歯をシーシーしたくなる甘さって分かるかな?昔、アメリカ人の友人がブラウニーが好きで、作っては薦められて食べたけど、その経験からか、アメリカのケーキは甘いだけみたいな印象ですり込まれてしまった。ほいで、チョコレートの風味がしない。なんじゃこれ?って感じ。その後、フランス菓子でガトー・ショコラを食べて、ブラウニーがその親戚だと知った。

 アメリカ人が作るブラウニーでも、クルミの入っていない四角い形のどっしりしたタイプもあるが、小麦粉を入れずに卵のメレンゲで膨らますため、質感が重たい。生地は、ねっとりして指で摘むと指に生地がベッタリとくっつく。つまり、指を舐めながら食べるもの。そういうカジュアルさは許せる。ここに小麦粉をちょっと加えると、なんとなく焼き菓子の模様を呈すようになる。

 色々作り方はあるようだし、ネットでもレシピはゴロゴロしている。にも関わらずここに書く意味は?私のレシピで作って食べたいという人にとって書くので、それだけが特別と言えば特別かな?

 さて、材料を用意する前にちょっと確認事項が必要かもしれない。

 ブラウニーとは、基本は、溶かした液状のチョコレートと、ケーキのデコレーションに使うバタークリームに溶き卵を混ぜ合わせたものを一緒に練りあげたもの。これに小麦粉をさっくり混ぜて型で焼いて軽くする事もできる。オプションでローストしたくるみを混ぜたりする。また、焼いた表面がしっとりしたほうが好きならアプリコットジャムを塗って艶やかにするのも良い。ただ、かなり甘くなるので私は控えてしまう。作り方でポイントは、生地の甘さの加減と、湯煎で溶かしたチョコレートの温度差で分離させない事がポイント。   

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  甘さの加減は、使用するチョコレートを毎回特定したほうが良いと思う。今回使用したのは、エクアドル製のビターチョコで(参照)、製菓用に十円玉くらいの円形タイプに加工してあるため溶けやすくできている。甘さを見る一番の方法は、舐めてみるかな。そして、その甘さを加味した上で砂糖の分量を加減するといいと思う。今回は、チョコレートがあまり甘くないので、砂糖は少し多めに調節してある。が、砂糖の分量を減らしてもブラウニーの形に何ら影響しない。物は試しで、一回作って二回目から自分の好みを模索したら良いと思う。
   温度差については、一番慎重に取り組んだらいいと思う。チョコレートの上手な溶かし方は、人肌くらいでゆっくり溶かすのが風味を損なわなくて良いが、時間が掛かり過ぎるようならボールに70度くらいのお湯を張り、同じくらいの大きさのボールにチョコレートをいれて湯煎する。円盤型のチョコレートなら10分ほどで液状になる。お湯の温度も、冬場なら人肌より少し高めの温度でキープできる。その間にバタークリームを作ったりする。練り上がったバタークリームに数回に分けて溶き卵を混ぜ込み、ドロっとした状態にする。このクリームはバターを室温に戻してあるため、卵を加えてもチョコレートとの温度差は大きくなく、すぐになめらかな生地になる。バタークリームがドロっとした感じなら、チョコレートを混ぜるととろーりとした感じになると覚えておくと良いかも。

 以上が注意点かな。まとめるとこんな感じ。

 下ごしらえと準備

1. オーブンの天板にオーブン用の紙を敷き、くるみを広げる。140℃のオーブンで約15分、少し色づくまで焼いて粗く刻む。

2.チョコレートは、大きな塊の場合は細かく刻む。

3.バターは室温でクリーム状柔らかくする。

4.オーブンを160℃に温めておく。

材料

・製菓用チョコレート (ビター)・・100g      
・くるみ・・100g

・バター (食塩不使用)・・120g

・グラニュー糖・・160g

・塩・・1g

・卵・・大2個(120g)

・バニラビーンズ・・1/2本

・薄力粉・・60g

      

作り方

1.

 刻んだチョコレートをボウルに入れ、70℃の湯せんにかける。チョコレートが人肌くらいの温度(38~40℃)になるように溶かす。

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2.

 室温に戻したバターに分量のグラニュー糖と塩を入れて泡立て器でよくすり混ぜ、少し白っぽくなってきたら、溶きほぐした卵を数回に分けて加え、一回ごとによく混ぜる。      

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3.
      
 バニラビーンズは縦に切り目を入れて、包丁で中身をこそげ出し、2に混ぜる。

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   4.

 1のチョコレートに3の1/3量を加えて混ぜ合わせたら3のボウルに全部戻して混ぜ合わせる。      

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5.
      
 紙を敷いた上から小麦粉をふるいにかけ、空気を含ませる。
      
 6.
      
 4に5の薄力粉を加えて、粉っぽさがなくなるまで泡立て器でしっかりと混ぜる。

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7.
      
 に刻んだくるみを加えてゴムべらでサックリと混ぜる。
      
 8.
      
 バターを塗った型に6を流し入れ、型の四隅にも生地を回らせて表面を平らにならす。
      
 9.
      
 160度に余熱したオーブンで45分焼き、焼き上がったら型のまま冷ましてから取り出して出来上がり♪
      

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