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2013年1月

2013-01-31

マリへの軍事介入が隣国ニジェールへ拡大される背景

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 アルジェリアの惨劇が終わって、日本では犠牲となって亡くなった日揮の関係者全員が帰国され、区切りがついたかに思う。本当に痛ましい嫌な事件だったが、その主因とも言える背景について触れておきたい。
 結論から言うと、アフガニスタンにアメリカが介入したのと同じような背景と言える。アルジェリアのガスプラント人質事件は、イスラム過激派のチンピラのような数名が主謀したと言われているが、彼らがリビアのカダフィーが所蔵していた武器や弾薬を奪ってマリ北部に潜んでいた背景は前回、ここでも触れた(参照)。当時からマリのこの地域が不安定化していたため、フランスはマリの旧宗主国でもあることからいち早く軍事介入を申し出た。国連もこれに賛成し、マリ政府もこれを歓迎した。フランス軍の介入によって治安が維持されるとあれば願ったり適ったりだったと思う。そして、アルジェリア惨劇の終結によってマリへの軍事介入も一段落し、いずれ撤収すると思っていた。が、現実にはその守備範囲を隣国のニジェールに拡大するような動きになってきている。その第一報は、ニューヨーク・タイムズ紙を引用したアルジャジーラ紙が短く配信していた(参照)。

The US military plans to set up a base for drones in northwest Africa to bolster surveillance of al-Qaeda's affiliate in the region as well as allied Islamist extremists, a US official told AFP news agency on Monday.

The base for the robotic, unmanned aircraft would likely be located in Niger, on the eastern border of Mali, where French forces are currently waging a campaign against al-Qaeda in the Islamic Maghreb (AQIM), said the official, who spoke on condition of anonymity.

The base was first reported by the New York Times newspaper earlier Monday.

The airfield would allow for better intelligence gathering by unarmed drones on the movement of AQIM and other militants, which Washington considers a growing threat, the official said.

 アメリカのドローン(=無人探索機またの名を無人殺人機)のベース基地(飛行場)の設置は、アフリカ地域を脅威に晒しているアルカイダや他の武装勢力の動きについて情報収集するためだという名目である。「名目」とあえてここで表現するのは、アフガニスタンの治安を目的にアメリカが駐留している頃、パキスタン国境付近で無差別に住民たちがこのドローンによって殺害された経緯からだ。もちろん、パキスタンを通り道に使わせてもらっているアメリカが故意にパキスタン人を狙ったわけではないだろう。が、何度となくドローンの犠牲になった。
 ここでアメリカのこの計画を奇異に感じた。マリのフランス軍事介入に支援すると表明しながら実際には関わらなかったアメリカが、何故のこの件で今頃?しかもなぜ、隣国のニジェールなのか?それが透けて見えてきたのは、フランス軍がニジェールに守備を拡大するという情報と結びついた時だった。

France has every reason to fear that its intervention in Mali, which has already seen the bombing of civilian populations and the torture and execution of civilians by the French-backed Malian army in predominantly Tuareg areas, could cause armed conflict to spill over the border into Niger.

 フランスに支援されているマリ軍は、一般市民への爆撃や主にトゥアレグ族の居住地域で起こっている市民に対する拷問や殺戮という事態を惹き起こしている。フランスのマリでの軍事介入によって武装闘争がニジェールへ飛び火するのではないかとフランスが恐れる理由である。

However, in addition to securing its profitable facilities from “terrorism” or popular revolt, France has other reasons to flex its military muscle in Niger. In an attempt to increase its share of the uranium profits, the Nigerien government has recently issued exploration permits to Chinese and Indian firms. By dispatching armed commandos, Paris is asserting its domination of the former colony as part of its African sphere of influence.

 しかしながら、利益をもたらす施設を「テロリズム」や反乱から守る目的に加えて、フランスは軍事力をニジェールに拡大する別の理由がある。ニジェール政府はウランからの利益を増大させるために最近、中国とインドの企業に調査を許可した。フランスはニジェールに武装した特別攻撃隊を送ることによって、アフリカを勢力範囲の一部として旧植民地としての支配を主張している。

As France stepped up its African intervention, Secretary of State Hillary Clinton used testimony before a Senate committee Wednesday to affirm Washington’s determination to escalate its own intervention in the region.

フランスがアフリカ介入を強化させたため、アメリカのヒラリー・クリントン国務長官はワシントンの上院委員会の公聴会で水曜日、この地域に対するアメリカの介入を拡大させる決定を示した。

“We are in a struggle, but it is a necessary struggle,” said Clinton. “We cannot permit northern Mali to become a safe haven.”

 クリントンは、「我々は紛争の中にいる。これは必要な紛争である。」「我々はマリ北部を安全な避難所にするわけにはいかない」と語った。

Clinton acknowledged that the rebellion in Mali as well as the hostage siege at the gas plant in Algeria had been fueled in large measure by the US-NATO toppling of the Gaddafi regime in Libya, where Washington and its allies armed and supported Islamist militias as a proxy ground force in the war for regime change.

 クリントンは、マリでの反逆やアルジェリアのガス・プラントでの人質事件は、米国・NATOによるリビヤのカダフィ政権の転覆で煽られた結果だと認めている。リビヤでは、米国とその同盟国はイスラム主義者を武装させ、彼らを代理者としてカダフィ政権転覆の軍事力にして支援した。

“There is no doubt that the Algerian terrorists had weapons from Libya,” she said. “There is no doubt that the Malian remnants of AQIM [Al Qaeda of the Islamic Maghreb] have weapons from Libya.”

 「アルジェリアのテロリストがリビヤから武器を持ち出したことに何の疑いも無い」「マリのAQIMの分派がリビヤから武器を入手したことに何の疑いも無い」と語った。

She argued that, while there was no evidence that any of these forces in North Africa posed a direct threat to the US, Washington should launch a preemptive campaign against them anyway. “You can’t say because they haven’t done something they’re not going to do it,” she said.

彼女は、北アフリカのイスラム武装勢力がアメリカへの直接的な脅威になるという証拠は無いが、アメリカは彼らに対する先制的に作戦を開始すべきであると主張した。「彼らが脅威にならないと示してはいないのだから、その補償はない」と話した。

 ヒラリー・クリントン氏はたてまえでは「リビアからの武器」と言うが、結局、マリ北部の反抗勢力を育てた張本人であるし、アルカイダを増強して育成したことになる。この背景はこちらが詳しく考察している。参考までに(参照)。
 文脈を戻すと、「備えあれば憂いなし」ではあるし、ウランをイスラム過激派の手には渡さいという決死の構えを見せる必要はあるとしても、ニジェールにドローン基地計画を進める目的は、中国とインドへの牽制も働いていると見るほうが正常な気がする。
 中国とインドは核を盾に、常にお互いを牽制し合っている危ない関係で、北アフリカに両社が入り込むのはかなり厄介であるし、事前に抑止を働かしておくのも一つの備えであると思う。
 そして、この関係で昨日情報を見聞していたところ、日本の関わりも出てきた。これが正にアフガニスタンに協力した小泉政権当時の対応と同じである(参照)。

外務省は29日、アルジェリア人質事件を受けて隣国のマリや周辺国の治安維持と人道支援を強化するため1.2億ドル(約110億円)を拠出すると発表した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)など国際機関を通じて関係国に提供する。マリから避難した難民支援やガーナにある国連平和維持活動(PKO)訓練センターでの人材育成に役立てる。

 松山政司外務副大臣が同日にエチオピアで開いたマリ支援会合に出席し、日本政府の方針を説明した。マリではイスラム武装勢力と政府軍の対立が激化。フランスが軍事介入に踏み切り、治安が悪化している。

 ここまで書いて新情報はないかと検索してみると、ファイナンシャル・タイムズも今回の介入について記事を書いている。訳文が日経に出ているではないか!(参照
 日経は記事がすぐに削除されてしまうので、全文を引用させてもらうことにした。参考として記録までに。

[FT]仏軍のマリ介入に強力な国際支援を(社説)
(2013年1月30日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

 西アフリカのマリで起きている出来事は、気がめいるほど見慣れた光景だ。危機に陥った国に最新装備を誇る欧米軍がすばやく介入し、イスラム過激派の掃討作戦を助ける。いくつかの都市を制圧し、武装勢力が退散したところで、政治家が勝利後の話し合いを始める。ところが戦いがいつまでも終わらないリスクに直面する。

■アフガニスタンの二の舞いにしないために

トンブクトゥの空港を警備するフランス軍の兵士(1月28日)=ロイター
 フランスのオランド大統領は「この戦いに勝利しつつある」と力を込めた。仏軍とマリ政府軍が今週、イスラム武装勢力の支配下にあった北部の主要3都市のうち、トンブクトゥとガオを奪回したからだ。しかし、反政府勢力を封じ込める戦いは始まったばかりだ。

 武装勢力は敗北を喫する前に、山中に撤退したにすぎない。都市奪回という比較的明快な作戦に比べ、イスラム兵士を探し出すのははるかに困難な任務だ。加えて、かねてこの地域ではジハード(聖戦)の拠点が着々と築かれており、周辺国に戦火が広がるリスクもある。一方、マリ政府軍はほとんど軍事訓練を受けておらず、奪回した都市を守り、平和を維持することすら容易ではなかろう。

 アフガニスタンの二の舞いにもなりかねない。だからこそ国際社会が迅速に行動し、仏軍の介入をしっかり支えることが非常に重要だ。勇気づけられる兆候も見られる。米国は過激派の拠点を探索する目的でニジェールに無人偵察機を派遣。英国は29日、マリや他のアフリカ諸国の軍事訓練を行う部隊を派遣すると表明した。目の前の戦闘とは無関係だが、地域連合軍のマリ派兵を実現させるために役立つだろう。

 さらなる資金援助も必要だ。国際社会は経済・軍事支援として4億5000万ドルの拠出を約束している。しかし軍事作戦のコストは10億ドルに達する見通しだ。マリ政府は資金をまかなえず、フランス単独で西アフリカ全体を脅かす紛争の負担は引き受けられない。

■アフリカ諸国も責任を負うべき

 アフリカ諸国もより大きな責任を負うべきだ。周辺各国軍の派遣は遅れていたが、チャド、ナイジェリア、ニジェール各軍がようやく現地入りした。他の諸国も即座に参加できるような体制が必要だ。またマリ軍事政権も、自治権問題で対立している遊牧民のトゥアレグ人との話し合いに応じ、協力を求めることが必要だ。彼らはイスラム過激派を拠点から追い出す方法にたけているだろう。

 フランスはマリ政府の支援要請に応え、勇気ある一歩を踏み出した。この介入は、サハラ砂漠のイスラム過激派がもたらす脅威を食い止める有効な手段となり得るが、実現のためには喫緊の国際社会からの支援が必要とされる。

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2013-01-26

NATO軍によるカダフィ殺害と駐リビア大使館員殺害からアルジェリアの惨劇について雑感

 帝国主義が横行した19世紀、アジアやアラブ諸国に対して権力行使による従属化、当時を言い当てる言葉としては「奴隷化」できると今でもそれが言えるのかもしれないと危惧を抱いたのは、米英仏政府が支持している中東での民主化の動きであった。
 2010年から2011年にかけてチェ二ジアから始まった生活苦の市民の不満の爆発は、エジプトやイエメンにも影響し、親米保守政権が崩壊の道を辿った。また、保守的なバーレーンなど湾岸諸国にも飛び火し、市民が民主化を求めるるデモを繰り広げたが、サウジアラビア軍の導入によって鎮圧された。ざっと見渡すと、中東に残ったのは、親欧米(親イスラエル)路線の政権が後退したことによる色々な変化だ。
 この動きは、反欧米反イスラエル色が濃かったリビアのカダフィ政権にとっては追い風となった。親米のエジプトのムバラク元大統領が追放され、カダフィにとってのそれまでの重石が外れたため、世界に口出しする可能性が高くなったのは確かだった。という点から連想されるのは、欧米諸国がカダフィが邪魔だった理由だ。彼が「アラブの春」を主導すれば中東世界は左派に傾き、反米反イスラエルに傾倒する。この動きに敏感に反応したフランス、サルコジ元大統領であった。彼は、NATOの空爆だけでは屈服しないカダフィを、アルカイダ系のイスラム過激派武装勢力(テロリスト)の協力で倒すことが出来た。国際社会で報じられたカダフィ殺害経緯はテロリストによるもので捏造ではなかったが、自分の手を汚さなかったというだけだった。サルコジは、NATO軍や王政の湾岸諸国を上手に使い、また、リビア東部ベンガジの反政府暴動を口実にカダフィを卑怯なやり口で殺害してしまった。カダフィ氏の殺害は、国際社会自体が無法そのものであることを物語った(参照)。こうして地獄の扉は開けられた。

 2011年10月20日のカダフィ殺害
 2012年 9月11日のリビア東部のベンガジでのアメリカ大使らアメリカ人4人殺害
 2013年 1月11日マリ北部のアルカイダ系武装勢力の制圧のためフランス軍介入
 2013年 1月15日アルジェリアのガス田プラントで人質事件発覚

 改めて、国際社会が言う「民主化」とは何なのか?美しく平和なイメージとは違った世界が中東に見えるのは、これは社会が改革するための歴史の一部と言えるだろうか?帝国主義の日本がアメリカの民主化を受けれてここまでの日本になったのと同じように、なぜ、アラブ諸国はそうならないのか?フセイン崩壊後のイラクのように、民主化を受け入れられる器が違えばとんでもない大混乱を巻き起こすというあの大きな勘違いを再び犯したのではないだろうか。
 民主的な国家から見れば非民主的な国家は独裁政権であるが、その重石によっておおよそ解決不能な民族や宗教対立を上手く防いできたのではないだろうか。
 リビアについて言えば、国内に潜むイスラム原理主義勢力をカダフィの世俗主義による独裁で抑圧することで、欧米社会は安全を保証されていたようなものではなかったのか?にも関わらず、都合が悪くなると独裁は悪だというキレイ事を吹き込み、邪魔なカダフィを殺害する路線を敷いたのだと思う。
 1990年代の犠牲者150万人とも言われるイスラムテロが多発した際、日本人被害者は出ていない。ましてや、イスラムと欧米キリスト教との争いというならば、日本は部外者である。ところが、今回のアルジェリアガスプラントの人質事件では、日本人は例外扱いされなかった。欧米諸国と比べても、死亡総数では最多であった。私は、これが腑に落ちていない。一部の報道によると、日本人がまっさきにテロリストの標的にされた可能性すらあったというのだ。
 これは小泉純政権時のイラク戦争への事実上の参戦が理由だろうか?間接的には、湾岸戦争への冥加金や自衛隊の給油活動を通して、米国への追随外交はあった。
 これからという時に、フランスとアメリカの雲行きがおかしくなってきているのを昨日知った。WSJが伝えている(参照)。

 世界の大国は数カ月もの間、アフリカからもたらされるテロの脅威に対抗する手段を苦心して考え出してきた。この脅威に対する懸念はアルジェリアで最近、37人の外国人人質が犠牲になった事件でさらに強まった。しかし、西側諸国の安全保障を担う組織には緊張が生まれている。戦争疲れを起こしている米国は介入に二の足を踏んでいるほか、その他の国、とりわけ重い債務に苦しむ欧州各国はそうすることができない。

 米国とフランスの間の緊張は、大西洋をはさんだ両サイドのつながりがますます失われていく劇的な一例だ。かたや米国は、欧州同盟国が防衛費の負担を望まない姿勢に不満を感じており、弾薬の補給や無人偵察機、給油機の手当てが適切でなかったため、欧州により支援を求められた2011年のリビアを例に挙げた。かたや欧州の同盟国の一部は、アフガニスタンやパキスタンなどでの米国の政策は、自国の利益と優先事項が幅を利かせていると不満を表している。

 かつての戦友は、利害が一致しなくなったのか、醜い仲違いを始めている。
私は色々な点で失望してしまった。この年になって欧米諸国のやり方が透けて見えてきても力及ばずである。

追記:アメリカの関わりについて
 

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 昨日ピックアップしたHuffingtonpostのニュースメールの記事はどうやら、アメリカについても書くようにという啓示であったのか、オバマ大統領の額に大きなハエがたかっている画像がそれだ。何やら香りを放っているからだろうか?
 今回のアルジェリア襲撃事件の背景の一つである、在リビア・ベンガジ米領事館襲撃は、イスラムの怒りがアメリカに対して顕著であったことを物語っている。オバマ氏の額のハエは、その使者かもしれない。
 この事件は、正にオバマ氏の失政によるものだった。だが、当初は、イスラム教の預言者ムハンマドを冒とくしたとされる映画がインターネットに配信されたことがきっかけで、各地で抗議行動が起こった。この流れであると当初は報じられていたが、二転三転するうちに、この事件は「テロ」だったと断定された(参照)。

 オバマ政権は当初、事件をイスラム教を侮辱したビデオに対する抗議デモの延長線上にあったと説明し、攻撃をテロ組織アルカイダと関連がある「テロ」と断定したのは、発生から2週間以上が過ぎてからだった。公館前のデモがなかったことも最近判明した。

 だったら最初から真実を言っていればよかった。何故ごまかすような言動に至ったか?他所で真相を知った時は驚いた(参照)。

 2009年にオバマが第一期の大統領となったとき、ブッシュ前大統領による国外テロリスト収容所をさんざん批判し、CIAが国外でテロリストを拘束しないよう署名をしていた。つまり、本来ならオバマ政権下で、CIAの下にテロリスト収容所はないはずである。でも、ベンガジ米国領事館襲撃には、あった。

 つまり、テロリスト達は、この領事館に収容されている仲間を助け出すために襲撃したと推測できる。そして、カダフィ亡き後、リビア情勢がさらに不安定になることは目に見えていた。カダフィが隠し持っていた武器はイスラム過激派の手に渡り、彼らの移動先であるマリ北部では既にマリ政府との衝突が始まっていた。ここでいち早くフランスが名乗りを上げて軍事介入が始まった。これがアルジェリアガスプラント襲撃事件へとつながった(参照)。
 オバマ氏は、過激派メンバーをリビアに収容し、この警備体制が甘かったため狙い撃ちにあった領事館員4名の命を救えず、その失態を隠そうとした。それが、アメリカ合衆国の大統領の顔である。

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2013-01-19

第3次産業なら成長できるのではないか?

 ここ数日頭を悩ましている問題がある。それは、日本全体の頭痛のもとでもあるんじゃないかと思い、この頭で必死こいて解決策を考えていた。そのきっかけとなったことと、そこからどういう展開で表記の「第3次産業なら成長できる」という結論に至ったのか、備忘録的に書いておくことにした。

 まず、きっかけとなったのは、水野和夫・埼玉大学大学院客員教授のインタビュー記事「デフレからの脱却は無理なのです」(参照)だった。この記事を読み進める中で、お説がごもっともと思えてきて、今自分が置かれている状況に照らすと正にお先真っ暗になってしまった。以下がその部分。

日米欧ともに成長ができなくなったからバブルに依存し、いずれも崩壊したのです。バブル崩壊の過程でデフレも起きました。私には成長戦略でバブルの後遺症から脱却しようというのは堂々巡りのように思えます。

国内を見ても、身の回りにはモノがあふれています。乗用車の普及率は80%を超え、カラーテレビはほぼ100%です。財よりもサービスが伸びると言われますが、サービスは在庫を持てないし、消費量は時間に比例します。1日が24時間と決まっている以上、サービスを受け入れる能力には限りがあります。先進国は財もサービスも基本的には十分満たされているのです。

個人だけでなく、国全体の資本ストックも過剰です。既に過剰なのに、まだ新幹線や第2東名高速を作ると言っている。資本ストックの減価償却にどんどんお金を使うというのが今起きていることです。

 物が溢れて生活は豊かである。豊か過ぎるくらいなので、もうモノ造り日本の時代じゃないというわけ。これは実感からも理解できることで、だから思考がおかしなスパイラルにハマったのかもしれない。

 諏訪に住んでいる私の目に日頃映っているのは、大会社のリストラやその下請けや孫請け会社の倒産。こういった製造に携わる会社に材料となる部品や原料を売っていた商社の倒産。そして、失業した人々だ。この状態がもう何年も続いている。街に活気が無くなり、駅前商店街はシャッターを閉めている店も多く、何よりも、戦後から創業していた唯一の百貨店が姿を消したてから何年か経つ。この街が息づいているのは、東京や関西のちょうど真ん中に当たる地理的な有利性に、温泉町であることや、信州の景観を求める観光客がいるからではないだろうか。

 以上のような主観から、水野氏の話に納得できた。が、これで終わるのでは困る。何とか打開策ないものか?日本が生き延びる道はないものかと頭を悩ました。そして、水野氏のインタビュー記事の後半部分で、物があふれる日本で成長しないと豊かになれないとはどういうことか?という問いかけへの答えが二つあると。これも前段のダメ押しのようだ。

2つ考えられます。もし日本が今でも貧しいとするならば、1つの解は近代システムが間違っているということです。ありとあらゆるものを増やしても皆が豊かになれないというのはおかしいですから。

 2つ目の答えは、成長の次の概念をどう提示するかです。日本は明治維新で近代システムを取り入れて、わずか140年たらずで欧米が400年くらいかけて到達した水準に既に達してしまったということです。これまで「近代システム=成長」ということでやってきましたが、必ずしも近代システムは普遍的なものではありません。変えていかないといけないのです。

 氏の考えでは、「ゼロ成長」が望ましいと結んでいる。人が必要としないのだから成長はしなくていいという考え方。そういうことなんだと一度は飲み込めた。確かに、必要以上に物を作れば余るし、目先を変えても飽きられる。画期的な発明でもない限り、製造業はもう限界なのだと納得すべきなのかもしれない。

 では、どんなことをして日本人は生きていくのだろうか?本当に仕事はなくなってしまうのだろうか?失業者は本当に溢れかえっているのだろうか?  この疑問を払しょくするために色々探した結果、次のようなグラフを見てみた。出典は、社会実情データ図鑑(参照) <

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 2011年に更新されているが、データ内容はやや古いかもしれない。産業別に見ると第3次産業では就業者数は増えている。日本全体での相対数はどうかと見るとIMF - World Economic Outlook Databases (2012年10月版)就業数はあまり減っていない事がわかる。

 

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 個人的な実感から失業者は多いとみなしていたが、そうではなく、第3次産業に雇用を増やすことがこれからの日本のスタイルではないかという点が浮上してきた。これまでは、第2次産業の生産性が低いから儲けが出ないと考えられてきたため、ここで質の向上をめざして合理化を計ってきたが、その結果、所得はある程度確保できても新たな雇用を生み出すことはできなかった。むしろ、リストラの必要性が出てきて失業者を生み出してしまった。

 ここで次の問題。第3次産業を増やせばいいという暫定的な結論ではあるが、この結論を元に、どうしたら雇用を増やせるだろうか?第3次産業とは、小売業や運送業や飲食・宿泊や教育・介護・医療など、形に残らないもので、主に人が中心になる仕事のことだ。つまり、消費を拡大することだ。結局は、経済成長のネックとなっているのは、消費の拡大ではないかな。

 日本の産業構造が変化していることにも気が付かなかったのは遺憾だが、それにともなって雇用はシフトしながら失業者は吸収されていくという現象につながるのではないだろうか。日本のGDP(国民総生産)にもそれが少し現れてきているようにも思える世界銀行の最新データがある。

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 さて、ここで次の問題。消費の拡大をすればいいことがわかった所で、購買意欲が沸かない。だって、給料(時給も含めて)は上がらないし先き行きの不安もあって食費も削っている状態だもん!

 これは個人の努力でどうこうできる問題とは違う。これはもう、減税しかないだろう。違う?

 水野先生がいう「豊かさ」かどうかは分からないが、少なくとも国民は働いて富を得る。働いたら働いた分を消費に向けるではないか。日本経済の停滞は、低所得が物の流動性を詰まらせ、ボトルネックになっていると思う。だが、企業としては業績が上がらなければ昇給できない。ここに動きが出て来るとしたら、「デフレ脱却する」「景気回復する」と、政府・日銀の言葉の信憑性だが、イマイチどうなるかわからないとても微妙なところ。ついては、「大型減税」が実行されたら?少なくとも私は将来に希望が持てるようになるが、どうだろうか。

追記: 書き終わってからちょっと気になった事

 産業構造にメスを入れるというのでもないが、第3次産業を成長させる実効性について、減税は一つの手段であって、構造がこれによって変わるということでもない。では、働く人口はどこで増えるのだろうか?この点が抜けていたように思う。

 少子化と高齢化による退職が重なって労働可能な人口は減る一方だというのに、上のグラフでは労働者総数は増えている。それは、どう考えても女性労働者としか思えない。しかもそれは、非正規雇用によるのが大半だと思う。女性の非正規雇用体系をぜひとも正規雇用に格上げしないと現在の日本社会では、安定雇用につながらないのではないか?と、ここまで考えて以前読んだ「ようやく来るか、不機嫌な時代(参照)」のこの部分を思い出した。

 どうにもこうにも「家計を維持するには妻が働かないといけない」という状況があれば、変化するだろう。そうなれば、つまり、日本の最終兵器、女性がまた出てくるわけである。「また」というのは、日本の戦時下で実は女性の労働力がマックスになっていた。それが戦争を長引かせてしまったと言えないでもないようだが。

 ここだけ引用するのはもったいないと思いつつ始め、この部分に笑ってしまったのだ。戦後の日本は総じて女性が強くなったというフレーズが重なってしまい、それが妙に印象に残っていたのだが、これは事実で実効性もある話だ。

 雇用形態の質を改善すれば女性が働くことでかなりGDPを押し上げるのではないだろうか。

 そして、もうひとつ気になるのは、正規労働者を増やした企業に補助金を出すという話があること。これは愚策だと思う。理由は、若者を新規雇用してもその分高齢者を解雇するのが企業が普通に行うことだからだ。

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2013-01-11

最近ハマっている料理法で、NHKあさイチ紹介の「しょうが豚の甘辛焼き丼」のそっくりさん

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NHKのあさイチで紹介されていた「しょうが豚」を参考に、豚バラのスライス肉でしょうが豚を保存食材として多めに作り置き、これを料理素材として応用料理を作ってみました。NHKと見た目はそっくりさんですが、作り方が違うのがミソ!

51VPu4WNuSL._SL210_まず、今回の料理を作るにあたって、NHKの紹介レシピとは少し異なる点があります。それは、「50℃洗い」という方法を使って、肉に火を入れる前に50℃のお湯でさっと洗います。こんなことをしたら肉の旨味がなくなってしまうと、最初は抵抗のある人もきっといるかと思います。が、この方法は、平山一政氏の長年の研究でたどり着いた、最も食材を美味しく衛生的に保つための手法だと提言されています。私は、一足飛びにこの書籍に出逢ったわけではなく、最初は、水島シェフの「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる!(参照)」でした。これで基本はおさえられたのですが、もう少し方法を分かりやすいレシピで説明があるとイイなあ、と思っていたら、続いて「水島シェフのロジカルクッキング 1ヶ月でプロ級の腕になる31の成功法則(参照)」が出版され、実はこれで一時落ち着きかけていました。ところが、探究心は続くよぅどこまでも♪「50℃洗いと70℃蒸し(参照)」監修/平山一政とロジックは同じじゃないか?と言い出す人が現れ(参照)、あれよあれよという間にこの方法にのめり込む始末。白状すると、お正月、実家で集まった親戚一同に、まるで私があみ出したかのようなドヤ顔で講習会さながらのクッキングタイムになってしまったのです。はじめは、皆さんびっくり仰天のようなリアクションでしたが、いざ食べてみると絶賛されていて、信州牛ステーキが際立ったようでもありました。この経験も手伝って、やはりここできちんと書いておかねばと、そう誰かに後ろから言われた気がしたのです。

そういうわけで、諸氏が提唱されている良い所を損なうことなく、美味しい料理の紹介はできないものかと試行錯誤していました。今回のNHK紹介のお料理は特に難しいこともなく簡単な作り方ですが、それぞれの手法を使った料理としてイメージしやすいのではなかいかと思い、取り上げてみることにしました。

NHKの作り方は、次のように変更されます。

まず、煮炊きは中火かそれ以下の温度でゆっくり火を通し、野菜などの下ごしらえで茹でていた代わりに「50℃洗い」をした後「70℃蒸し」で火を通します。味付けのコツは、中火かそれ以下で炒め、火から下ろしてから調味料を和え、冷ましながら味を入れるという方法を使います。具体的には以下に記して行きます。

まず、豚ばら肉(400g)の美味しさと言われている脂部分を残しつつ、表面の酸化した部分に付着した臭みと余分な脂を落とすために、50℃で10秒ほどボールで泳がすようにして洗います。

お湯を用意する方法は、温度計は必須で、温度計でお湯の温度を見ながら水とお湯を混ぜあわせます。私が使用しているのはこちらです➡。もっと簡単な方法は、給湯器のコントローラーに付属している温度調節機能で予め50度に設定しておくと便利です。

下処理が終わった肉に酒(大さじ2)をまぶしてしばらく置く間に、野菜蒸しです。今回は、キャベツともやしですが、キャベツは一枚ずつバラバラしたら「50℃洗い」し、5~6枚を蒸し器で重ねあわせます。もやしは一袋ざるなどで「50℃洗い」します。キャベツの蒸し時間は10分で、もやしのほうがやや短いので、時間をずらしてキャベツと同時に蒸しあがるようにします。蒸しあがったキャベツに軽く塩を振って冷まし、もやしはボールで甘酢をかけて冷まし、味を染み込ませます。

次、しょうが豚の作り方です。

NHKでは、肉をお湯でさっと茹でてから合わせ調味料(酒大さじ2,みりん大さじ2)としょうが汁(しょうが35g分)で炒りつけていましたが、50℃洗いしてあるのでその必要はありません。また、合わせ調味料としょうが汁が煮立ったら肉を入れて炒り煮していましたが、肉に味が染み込むのは冷める時なので、これも逆です。水島シェフの手法では、冷たい鍋にいきなり食材を入れて中火か、それ以下の火加減でゆっくり加熱し、余分な油や肉汁はそばにキッチンペーパーを用意して吸い取ってしまうのですが、平山氏の手法「50℃洗い」をした肉からは、さほどアクや肉汁が出てきません。もし、出てくるようなら、それは火が強すぎるのかもしれません。ですから、水島シェフの炒め方もしません。

ではどうするかというと、鍋に油を引かずに冷たい鍋に肉を入れ、肉の色が変わったら合わせ調味料(酒大さじ2,みりん大さじ2)としょうが汁をまわしかけ、調味料で温度が下がった分だけ少し加熱してそのまま冷まします。豚の脂が十分出るので、油も引きません。これでしょうが豚の出来上がり。

ここまでが下ごしらえですが、この三品は、冷蔵庫で数日保存できるし、料理別に多用途なので、多めに作りおくと便利です。

次、画像のしょうが豚とキャベツ、甘酢もやし丼の作り方です。

作り方

1) 保存容器から好きなだけしょうが豚と蒸しキャベツ、甘酢もやしを取り出し、温かいご飯に甘酢もやし、キャベツの順に散らす。(冷たいのが気になるようなら、レンジで少しチン。)    
2) 冷たい鍋に「しょうが豚」をほぐして入れ、中火で炒りつけ、肉が透き通ってきたら割り下を加えて肉に絡める。      
3) 1のご飯に2を盛り付け、炒り胡麻と一味唐辛子を好みで散らして出来上がり♪
割り下の目安は、丼一杯のご飯に対して大さじ1.5

割り下の配合➡レシピ      
甘酢の配合
➡レシピ

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2013-01-09

読書とは-cakesの「新しい「古典」を読む」に始まった古い自分との出会い

今更「読書とは」なんて。しかも、こういうことは、普通は秋に書くだろうが。と、昨年書きそびれていた事がちょっと恥ずかしく思える。なんか青臭いし。長年読書に親しんできた私が、この年になって「読書とは」と、改めて書こうなんて・・・まあ、でもしみじみ感じていることだからこそ書き留めておこという気になった。

cakes(参照)という、Web上の雑誌とでも言ったらいいのか、ネット上でもリアルでもいろいろ書いている人達の書物に出会う事ができるこのサイト、気に入っている。ここで私が贔屓にしているのは、「新しい「古典」」を読む(参照)」で、ここで出会う「古典」は、長年眠っていた私の細胞をリフレッシュしてくれる、ちょっと面白い体験ができるので大好き。(ご本人の紹介はこちら➡

ここで取り上げている「古典」とは、学校で苦労したあの古文や漢文のような古典ではない。私が10代から20代、30代で読んだ書物がその大半で、それらの書物を再読された筆者が「古典」として評されている。既に読んだ書物を後で振り返って再読するのは、よっぽど気がかりなことがあるか、著者のファンで、その筆致がたまらなく好きだからというような理由でもない限りあまり再読はしない。が、cakesが昨年9月に始まった当時からここで出会う「古典」から、再読の価値のある書物であるという言い方よりも、私の読書力とは「無」に近いものだということを思い知らされる。そして、再読してみると、なんとも新鮮な読み心地が味わえるのである。この感覚はとても伝え難いものがあって、それは何かが邪魔しているからだろうか?そう深く自分に問うても湧き上がるものがない。以前読んでから長い年月が経ってしまったからとしか言いようがない。ただ、取り上げている書籍やマンガの著者の年齢が私と同世代であったり、最近取り上げたばかりの「思い出トランプ」の著者である向田邦子などは、今の私の年齢に近い頃書いた物であったりする。つまり、私自身の人生の振り返りと、これからの人生を模索するような異次元に出会えるわくわく感がたまらなく楽しい。いや、とても辛辣でもある。

かつて自分で読んだ書籍が他者の感性で読み込まれたところから表出され、書評となって私の感性に届いたものを一言で言うと、人の生き方そのものに触れているという重たいものでもある。大なり小なり自分の恥部として隠して生きてきたことになんら恥じることなく、ありのままの自分でいいんじゃないか?それに良し悪しをつけて高いところから下を見下ろして、それが何だというのか?ひどくもったいない生き方をしてきたように、後悔するような気持ちにもなった。

昨日紹介の「無影燈」(渡辺淳一)の書評は、強烈だった。昔、読んだその時にも深い感銘を受けた小説だったが、次の部分で、私は再度この本に触れなければ自分に向き合えないと感じた。

「汚辱」が浮かび上がらせる人間の生

この物語は、純愛の物語としても、社会派的に医療批判の物語としてもよい。そのように脚色された二次作品や正義の言説となってもよいだろう。しかし、物語を読み進めながら読者の心に沸き立つのは、そこではない。汚辱への意志だ。読後の感動を冷まし、感興の点をいくつか冷ややかに映し出してみるとよい。私たちがこの作品にのめり込んだのは、汚辱への意志だとわかるはずだ。

「汚辱」。ドロドロした物を剥ぎとって素っ裸になるということ。そういう生き方をするということ。このように評する事ができるのは、そういう生き方をしているという意味があることに気づく。

無影燈」の本文から、

医者は本来、殺し屋なのだ。人間誰しも避けられない死をいかに納得させるか、その手伝いをする職業である。われわれは患者を助けてはいない、助かったのはその人達に助かる力があってからだ。医者はその生命力に手を貸しただけだ。

臨床医としての渡辺だからこそ出てくる言葉でもあると思うが、汚辱によって、人としての医者が医者として向きあうと、こういう言葉に書き換えられることを知った。そして、患者は一瞬放り出され、医者との関係が絶たれる。そして、人がどう生きるかという問として投げかけだけが残る。とても深い意味を持っている。この先、いつかきっとこれを自分に問う日が訪れるだろうと覚悟した。

「古典」とは?こうして「古典」に触れることは、言い換えると、これから生きていく私に新たな課題を呈してくれるということだろうと思う。だらっとした日常の思考に鋭い視点が入って来ることは、生きるための刺激となりエネルギーでもある。そういうものを授かっていると思えることがまた、嬉しい。

これからどんな掘り出し物が出てくるのか、読書を通して私の人生にもっと厚みが出て来るような気がしている。

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