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2012年12月

2012-12-28

第二次安倍内閣が向かうのは日本の欧米化?

昨日、第二次安倍内閣が誕生した。早速、その支持率が62%に達していると報じているのを知り(参照)、デフレ脱却・景気回復を目玉に衆院選を闘い抜いた以上、それに期待を寄せる民意の表れでしょ、とは思う。景気回復にはもちろん私も期待もするが、なにせ、自民党には何かと不安がつきまとう。第一次安倍内閣が悲惨な終わりを遂げたという理由もあるが、自民党の脆さに対する不安が何よりも大きい。民主党政権当時、野党としての体をなしていなかった姿は記憶にも新しい。また、メディアの煽りもあり、日本は「右傾化」して、中国や韓国に対して強行にタカ派的な姿勢を打ち出すと懸念されている。これに期待する向きの人もいれば、そうでない向きの人も混在するネット上では議論が飛び交っているようだ。私はそのどちらでもなく、極論を言うと、日本は、欧米化するのではないかと思っている。同盟国である以上、アメリカの意に反して韓国や中国を日本の独断で敵に回すようなこともないだろうと思う。そうは言っても、この政権の行方は気になる。少し順を追って整理してみることにした。

第一次安倍政権が「お友達内閣」と揶揄されたからか、第二次安倍内閣は、なんとなくお友達じゃない人も混ざっているのが歴然としている。これが昨日、「この内閣の最大の敵は、自民党内部」(参照)と考察された部分だろうか?と自分なりの見方はさておき、気にはなっていた。

誰がお友達かは言うまでもないことだと思うが、挙げておくと、まず副総理兼財務・金融担当大臣に任命した麻生さん。お友達と言うよりは、安倍さんの依存度の一番高い人物と言っていいかもしれない。「麻生クーデター」といった方がわかりやすいだろうか。麻生政権の復活だー!

次のお友達は、第一次安倍内閣の時の仲間割れしなかったメンバーと、安倍さんが会長を務める「創生日本」という保守派の議員連盟から9名。合計12名が親しいお友達である。さて、爆弾ともなり兼ねない残りの7名だが、上手くやったなと思わせる配置になっている。

総裁選を戦った石原氏と林氏や谷垣前総裁は、党の中枢にはいない。が、原発やTPPという難問中の難問となりうるポジションで、他人のことなどかまってはいられないほど忙しく骨身を削って働かなければならなくなるだろう。仕事力で切磋琢磨しておくれ的で良い配置ではないだろうか。

お友達じゃないけど多彩な顔ぶれと感じたのは、小泉さんの秘書官を務めた飯島氏や丹呉氏だ。ある意味、何を考えてこの人材をと不思議になった。小泉さんとともに改革路線を突っ走った二人と、麻生さんがこれから率いる経済改革路線との整合性は皆無に等しいと見える。もっと言うと、安倍さんは麻生さんの支えで、小泉路線から「美しい日本」へ舵を切るために生まれたようなもの。この時、組閣でまずガタついた。原因は、森元総理の老害といえばそうだが、森元総理の反対にあって麻生さんを幹事長にできず、小泉派の中川秀直さんを抜擢することになった。同時に、小泉内閣から追い出された議員の復党を試みた結果、小泉さんの逆鱗に触れ、中川幹事長と安倍さんの関係が冷え込んだ。

ついでに言っちゃうと、野田聖子氏が今回三役に抜擢されて、小池百合子氏が外れた理由は、当時の関係のまま引き継がれている。野田さんは小泉さんから追放された人物で安倍さんが復党を試みた人物である。小池百合子氏は、安倍さんの下支えに回っていた麻生さんの後の総裁選の対抗馬だったからだ。ね。

不明な点は、小泉政権を支えた飯島氏と丹呉氏の二氏が安倍政権でなんのために復活したかだ。それも不明のままだが、新顔が小泉政権当時のゴタゴタに関わっている点は、ちょっとした不和によってがちょんと逝ってしまう原因になり兼ねないところだろうか。

もう一点気になるのは、外交問題。アメリカに従属的にしかならない日本だと思ったのは、選挙前の安倍さんは、野党として与党の外交批判をする中で、対中韓では強硬姿勢を訴えていた。ところが、いざ政権を奪還してみると柔軟姿勢に変わった。この時、「嗚呼、自民党も民主党と同じか」と、ポピュリズム的な政治姿勢にもがっかりした。サヨクさんもきっとがっかりなさったことでしょうとも思った。が、12月19日、選挙結果が出てからわずか三日後にアメリカのF35 が2017年に岩国基地に配備されることが決定された。なんという手回しの速さだろうか。自民党ならウンもスンもなく配備できるのである。良かったか悪かったかどちらとも言えないが、民主党ではそうは問屋が卸さなかった。自民党復活はアメリカとの同盟関係を強化するのではなく、従属的になるのではないだろうかと、ここで強く感じた。

となると、経済政策もアメリカ並みになる。原発問題は調査の上で三年後に結論を出すと選挙前に聞いたが、昨夜のニュースでは、新規に安全が認められた原発は稼働する方針だと伝えていた。また、シェールガスによる発電の計画もパイプラインのインフラ整備を前提に拡大する見通しのようだ。つまり、日本はアメリカのお得意さんにもなる。この調子で行くと、ついでにTPPの交渉を日本に有利に進めると言うよりは、アメリカの納得する条件で交渉が成立するのかもしれない。持ちつ持たれつの関係が密接になるのがこの政権の特徴とも言えるのではないだろうか。それでも、日本の独自性を自民党が見せてくれるとしたら、それは何だろうか。

私は、日本は早く欧米化したらいいのではないかと思っている。このままでは少子化が進むと懸念されているにも関わらず、移民を受け入れようという向きもない。外国の若い人達は、日本人と付き合ってみたいと考えている人が圧倒多数いるというのに、日本人は自らチャンスを逸している(参照)。こんなことを書くと、アメリカの奴隷でいいのかと疑問を持つ人もいるかもしれないが、奴隷ではなく、グローバル化するということを重点に置きたい。自民党がすっきりそう言ってくれたら理解されやすいと思うが、そうは思っていないかもしれない。世界標準で経済を立て直すということに全く異議はないのだし。

安倍官邸人事について、東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏の記事で詳細が書かれていたので、参考のため、リンクと記事の引用を追記します。

首相の側近に経産省出身者が3人

 まず、政務秘書官には第1次安倍内閣で首相秘書官を務めた今井尚哉・元資源エネルギー庁次長(82年経済産業省)を据えた。事務秘書官は財務省から中江元哉・前主税局審議官(84年)、経産省から柳瀬唯夫・前経済産業政策局審議官(同)、外務省から鈴木浩・前駐英公使(85年)、警察庁から大石吉彦・前警備局警備課長(86年)、防衛省から島田和久・前地方協力局次長(85年)という顔ぶれだ。

 首相補佐官には木村太郎衆院議員、磯崎陽輔、衛藤晟一両参院議員のバッジ組に混じって、経産省出身の長谷川栄一・元内閣広報官(76年)を政策企画担当の補佐官に入れた。長谷川を加えて経産省出身者が3人、首相の側近に入った形である。

 通常は議員の秘書が収まる政務秘書官に今井が入ったのは異例だ。そこに安倍と個人的にも近いベテランOBの長谷川が加わったので、経産省としてはさぞ心強いだろう。

 財務省はどうするのかと思っていたら、丹呉泰建・元財務事務次官(74年)が内閣官房参与に入った。それに小泉純一郎政権で政務秘書官を務めた飯島勲氏、外務省から谷内正太郎・元外務事務次官(69年)、米イェール大の浜田宏一名誉教授の3人も内閣官房参与に起用した。

 つまり経産省が官邸で突出しそうなところを、財務省から大物の丹呉を起用してバランスをとった形である。小泉政権で机を並べた飯島も丹呉と近いので、人数は少なくてもパワーは十分だろう。外務省は谷内が入ったので文句はない。さらに警察庁からは杉田和博・元内閣危機管理監(66年)が官房副長官に抜擢された。

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2012-12-18

2013年参議院選挙に向けて

16日、増税の是非を問うと私自身が位置づけた総選挙は、自公の圧勝に終わった。獲得議席数は、自民294、公明31。合わせると、衆議院の三分の二を超える。とは言え、国民は自民党を選んだのではなく、民主党に「No」を突きつけたらこの結果になったというだけのことだ。日本の選挙制度の問題点でもあるが、詳細に関しては「2012年末衆議院選挙雑感」が分かりやすい。内容がどうであれ、選挙は結果で決まる。つまり私は、自民党に消費税増税、原発再稼働、憲法改正を容認したことになる。議席数で言えば、7年前の小泉郵政選挙に匹敵していて、日本の選挙の異常性とも思える結果だ。これによって与党は、衆議院の全ての常任委員会で過半数を占め、全ての法案を可決できる勢力となった。しかも、今回の選挙が合法であったわけではないので、憲法違反の総選挙で選出した政党に政権を担わせたという事実が重くのしかかってきた。

これを承知で解散した野田さんの責任は重い。また、解散は、政策遂行の行き詰まりを打開する手段ではあるが、議員全員の首を切り、国民に政策の是非を問うたのである。因みに、ねじれ国会で政策の遂行が困難な時、通常なら、総理は自らの首を差し出して決議に持ち込み、内閣総辞職を避けるのが普通ではないか、と私は思う。ところが、自民党に丸投げしてしまうような解散をやらかした背景に、実は岡田氏の筋書きがあったのではないかという考察があり(参照)、結果的に、意図して解散したとも言える。前者を選択した結果、見事に四分の一に民主党員を減らしてしまった。大勢の仲間を犠牲にすることは目に見えていたはずで、第二極としての座も危ぶまれていた通りの結果となった。そして昨日、その責任をとると、辞任を表明した。これについて言わせてもらうと、全員の首を切って、なおかつ残った精鋭達は、(表向きにしろ)野田さんについて行くと表明しているといえなくもない。ところが、辞任表明を待っていましたとばかりに次は俺だと、もう次期総裁の名前が上がっている。野田さんを止めさせない、と結集するチャンスなのになぁ。民主党は、常に誰かがトップの座を狙っている業突く張り集団に始まり、最後は一人になって終わる運命なのかもしれない。こんな民主党に嫌気が差して解散のシナリオを岡田氏が書いたとしたら、日本の国益にかなった政治をやってくれたのだと賞賛すべきかもしれない。ただ、ここで民主党総裁が変わったことによって、三党合意した法案を約束の通り通していくだけの結束はあるのだろうかという懸念が残る。

選挙前に、何がこの選挙の争点か自分の確認のために書いたことだが(参照)、争点は消費税増税だった。民主党マニフェストに消費税増税を行う前に民意を問うとあるため、野党はこれをネタに解散・総選挙を求めのだったが、民自公はこの法案に既に合意していたため、三党間では選挙の争点にはならなかった。そこで自民党は、デフレ脱却と外交・安全保障を前面に出して民主党との争点とし、公明党は、政権担当に相応しくない政党だと民主党を批判した。私は迂闊にもこの攻略にすっかりはまって、一時、選挙の争点を見失うところだった。

自民党はデフレからの脱却と外交・安全保障問題を前面に打ち出して民主党との対立点を作り、公明党は民主党の政権運営の拙さを攻撃した。そのため3党間の選挙争点は消費増税より民主党政権のこれまでの実績を問うものになった。そこにTPPや原発問題が加わり、本来の争点である消費税増税が見えにくくなった。この時、三党合意に不満な国民は、第三極に期待を持った。

この第三極は曲者で、民自の2大政党に対抗しうる力を持つ第三極であれば、政治を大きく動かすことになるのではないかとすら思ったが、残念ながらならなかった。つまり、今後は、民自公三党が社会保障と消費税問題で一体とならざるを得ない。この第三極と呼ばれる小政党らが政治の軸になるためには、民自公に匹敵するか、それ以上の一つの勢力として対峙しなければ実現は不可能だ。せめて第三極が総結集を図って第二極になれば政治がより民主的になると、密かに思っていたのだった。

第三極をどう動かすかと騒がれたのが、選挙直前に結成された「日本未来の党」だった。公示前には62議席あり、蓋を開けたら9議席であった。三年前の政権交代を成し遂げた、あの小沢氏の存在感も片鱗も感じさせなかった。こんな選挙は本当に珍しい。小沢さんが先頭に立った自由党時代では、比例代表で毎回10%で、調べてみると、2000年の総選挙では660万票を獲得していたのである。「日本未来の党」と、名前は変わったが、今回の選挙の比例で得た得票率は5.7%で、314万票に終わった。争点も見込み違いだったように思う。国民の関心は景気や経済対策に寄り、反原発ではなかった。選挙前にドイツまで行って研修してきたのに。かくして「小沢王国」の落日となった。

選挙戦略に強いはずの小沢さんの今回のような選挙を見たのは私は初めてで、くたくたになって政治生命もお終いになるかとちらっと思ったが、とんでもなかった。「小沢一郎政治塾」が来年2月開講の13期生(30人)募集の締切について、「衆議院総選挙の関係上、新たな募集日程を、12月下旬を目途にご案内致します」と掲示している。なんともたくましい。今回は準備不足も相まって大敗したが、小沢さんは既に夏の参院選に軸足をかけていた。やっと総選挙が終わったばかりでなんとなく空虚で、次の選挙のことなど正直考えたくもない。と言いながら、こういう時は何かまた見失っている気がする。

安倍氏の経済政策が公言したとおりに進めば、間違いなく日本は円安、株高になるが、国民生活は物価高の直撃を受けるということだ。順調に物価高になったと来年8月の時点で判断されれば、2014年から消費税増税が加わることになる。実体験として分かりやすい例で言うと、小泉政権時よりも悲痛な悲鳴を上げる事になると思う。その消費税増税がとても耐え切れないというのであれば、これをリコールできるのが夏の選挙と。おお、そういうことか!これが最後のチャンスである。

個人的には、インフレ傾向になると物価高は嫌だな感はある。昭和の高度成長期の経験をしている人であれば、どんな感じか想像がつくだろうと思う。でも、景気を戻さなくては日本がこのまま衰退していくのをじっと見ているだけになる。ここはもうひと踏ん張りして貧しさに耐えよう、と腹は決まっているが、それに耐えながら、増税が一気に来るのはキツイのではなかろうか。できることなら、もう少し増税を先延ばしにしてはもらえないだろうか。

ハッキリ言って今回の選挙では、政治家に煙幕を張られて不意にしてしまった人も多いと思うが、来年の参議院選挙では、インフレという現象を体感した上で見極められるんじゃないだろうか。

なんか、やっと今回の選挙の意義がつかめてきた感じがする。

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2012-12-10

クリスマス商戦を迎えた中国のおもちゃ工場から思うこと

日本の各地ではクリスマスのイルミネーションが、美しく、夜の街を飾っているのではないだろうか。ここ諏訪でも、諏訪湖面に点々と散りばめられた造形が灯りとともに浮き上がり、夜になると美しい。そして、サンタさんがやってきて、子ども達にプレゼントを配ってくれる日が待ち遠しくなる。今でも忘れないのが、冬休み中に起こる数々の家庭行事にわくわくしたことだ。学校が冬休みに入るのは12月23日からだったが、この日を境に、クリスマスとお正月がやってきて、お年玉がもらえる。大した額ではないけど、普段お小遣いをもらったことのない私にとっては、本当にお年玉が嬉しかった。

23日は、母がクリスマスケーキのスポンジを焼く日で、翌日、私と弟が手伝ってバタークリームをホイップし、デコレーションをする日と決まっていた。普段は全く食べないような真っ赤なチェリーの缶詰や、銀色に輝く糖衣菓子アラザンをケーキに散りばめれば、もうもう、それでクリスマスが一気にやってきたものだった。クリスマスツリー用の木を花屋から買ってくるのは父の役目と決まっていて、その木を立てるための十文字の台も父のお手製だった。クリスマスツリーにチカチカライトを灯せば家中がクリスマスだった。そして、クリスマスのプレゼントと、普通は進むはずだが、我が家では、そこまでの事はしなかった。いつ頃からだろうか、クリスマスにはサンタさんがプレゼントを配るのだと何かで知ったのは。何かの本で知ったのかもしれない。驚かれるかもしれないが、本当にクリスマスプレゼントなるものを親からもらったことはない。だからと言って今更恨んでいるわけでもないが、自分の子どもにそういうプレゼントを与えるものだとはあまり思わなかった。それでも世間並みに、小学生の低学年の頃までだっただろうか、何か実用的なものをあげた。だからだろうか、子ども達には、もらった記憶が無いと言われた。その反動か、今頃になって、何か買ってあげるとしたらクリスマスにしようか?などと思うようになったのも事実だ。

昨日、外国製で何か、クリスマスプレゼントに良い物はないかとネットで検索していた時だった、中国で製造されているクリスマス用のおもちゃは世界中の75%にもなるという記事に目が止まった(参照)。この数字にはちょっと驚いた。世界中の子ども達に愛されているおもちゃの75%がいったい、どのような工場で作られているというのだろうか。ページをスクロールして見ると、あまり近代的な工場でもなく、ベルトコンベアーで効率良く作業しているでもないその様子にさらに驚いた。なんともリアルな画像で、皆疲れきった表情をしている。
ピンクのぬいぐるみ

冒頭の紹介文にそこで目をやった。おお、印象派で報道写真家として有名なドイツ人のマイケル・ウルフ氏であった(参照)。彼がネット上でちょと騒がれているというのは、文中に貼られたリンク先の日本の通勤ラッシュ時の人の表情を撮りまくった写真が、報道写真展2010「生活の部」で受賞し、注目を浴びていた(参照)。また、2chでもこの記事が転載されていたことも覚えている。
昼寝
眠り人形

彼の写真を見て何を思ったか?現場での昼寝風景に開放感を感じるくらいなら、きっともっとあなたの方が疲れているかもしれない。私は、食堂で配給されるおかずが、工場で製造される人形のパーツに見えてしまった。いや、そうではないんだと気づいた瞬間、色々な思いが巡った。ふと、2006年から三年間、中国人の「研修生」と称す娘三人を預かったことを思い出した(参照)。

「研修生」というのは表向きで、実質的には出稼ぎというものだ。日中友好を名目に、中国から多くの若い労働者がこの地域に招聘された時期があった。景気がいいわけでもなかったし、労働賃金が安いと言っても、彼女たちは食の心配をすればいいだけで、アパート契約やガス水道・光熱費、往復の旅費、空港への送りは雇い主持ちなので、日本人を雇うよりも経費がかかった。が、幸いな事に、性格の良い子達で、仕事は真面目に働き、遊び歩いてお金を浪費することもなく、中国の親に仕送りもしていた。中国では中流階級の家庭の育ちだった。逆に、ひどく貧しい家庭の子ども達は、日本人の業者から選ばれなかったそうだ。理由はおそらく、それまでの経験から、盗みや誤魔化しなどの質の悪い問題を会社で起こしたりするからだとは思う。

後から「研修生」は表向きだと知ったが、当初から彼女たちがあまりにも熱心に仕事を覚えようとするため、名実共に「研修生」として、全く疑わなかった。帰国する頃までずっと真面目な勤務態度で、職場の日本人フタッフからも可愛がられていた。そして、帰国する頃、彼女たちから聞いた話に、帰国したら中国の製造工場では優遇されるということだった。それが一番の来日の目的だったようだ。腕次第では、給料もよいリーダー格になれるのだとか。へぇ、良かったね。そう思ったものだったが、その彼女たちが、ともするとオモチャ工場のライン管理者だったりするのだろうか。職場のグループリーダーだったりするのだろうか。もしかすると、中国の製造部門の「核」を日本が育てたのかもしれないと思うと、親心というのか、ちょっとばかり嬉しくなり、とても感慨深いものがあった。

話は変わって、昨日、こんな画像をネットで目にした。おそらく中国製品だろう。
トイ・ストーリー(ポテトヘッド)

彼らは、トイ・ストーリーの脇役の「ポテトヘッド」と呼ばれている芋頭のキャラクターだ。中に、キャンディーかチョコレートでも入っているんだろうか。いや、そんなことはどうでもよくて、上段の二人をよーく見て欲しい。左の子は目の位置が微妙に違う。右の子は、背の高さが違うし、顔や手の位置も微妙に他とは違う。もしかして、彼らは本来は、全部同じ外観でなければならないのではないか?どうなんだろう?そう疑問に思った時、先の中国の製造過程の画像の三枚目のお人形の顔が気になった。見てほしい。目がチト違う。製造途中だからかもしれないが、目が開いたり閉じたりするタイプのお人形によくある、ちょっとした不具合とでも言うのか。子供の頃、このお人形で遊んだ経験のある人には分かる、限定的で決定的な残念感を味わう部分だ。

中国製品の制度を疑って信用しない中国の例の娘達は、絶対に「Made in Japan」しか買わなかった。その理由は、中国製はすぐに壊れるからだと言っていたことを思い出した。ものにもよるが、確かに日本製ではあまりない電化製品の故障や、部品の数違いはよくある。

昨今の中国事情から、急成長にはそれなりの苦労が背景にあり、グローバル化し始めた中国とは言え、共産党の一党独裁制が変わったわけでもなく、国民への強権圧政には変わりない。日本の戦後の「産めよ育てよ」ではなく、中国なら「寝ずに作れよもっと」みたいな。中国人の所得から言っても、労働階級ではまだまだ低賃金だという。追い打ちをかけるように、その中国経済もヨーロッパ経済の低迷の影響を受け、次第に落ち込み始めている。最近では、都市部でも仕事がなくなってきていると知ったが、クリスマス商戦とはいえ、女工さん達にとってはやっとありつけた仕事の可能性もある。眠い目をこすりながらの作業や、横になって仮眠を取る姿を想像するに、不良品がいくつかあっても彼女らの責任とは言い切れない気がし、不良品ぽいポテトヘッドが愛おしく思えてならなかった。

因みに、日本ならチェック体制は厳しく、最終チェックで不良品が出れば落とされる。この最終チェックでの不良品に対しては管理不足を問われるため、担当部所や外注品なら該当の外注を呼んで引き取らせ、再生されて完成品として再出荷される。つまり、店頭で、外観で不良品が出るはずがないのが日本製だ。では、中国製はなぜ完成品でないものが店頭に出るのだろうか?最終チェックはないのだろうか。

仮に最終チェックで検品し、不良品が出たらどうなるんだろう。処罰として減給などがあるんだろうか。それらの事情は何か、時間があるときにでも調べてみようかと思うが、どんな社会でも個人に不利益なことは、ひた隠しに隠したくなるというのが普通の心理だと思う。結果、永年にわたって、堂々と店頭に不良品が並び、中国製品が向上しない原因になっているのかもしれない。もしも、そうだとしたら、圧力による労働は、給料をもらって職業人としての誇りを対価に就労するのとはわけが違う。

良い物を効率良く仕上げたらご褒美に、努力手当でも付けば張り合いなのになあ。

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2012-12-03

「ちょっと早めの老い支度(岸本葉子)」を読み終えて

51MqueSwQuL._SL210_先月、「ちょっと早めの老い支度(岸本葉子)」の紹介記事(参照)を読んで、ああ、これは私が読むべき本だわと、そう思って早速、取り寄せて読んでみた。岸本さんは、私の年も近いが、彼女は独身で、この先結婚する気配も子どもを産み育てる観測もないというところから切り出している。そのへんが私と違う点だが、いつからどのように老いを意識し、「老い支度」とはそもそも何かということを考えさせられた。読み終えて、彼女が最初に書き始めているクローゼットから私も始めようかなと、やる気になったのは確か。老い支度にやる気が湧いたというのも変なものだが、普通の片付けものではなく、人生の見なおしついでの「老い支度」だ。本書からちょっと離れて、自分の事を考えてみた。

まずは、身近なところからとクローゼットだ。が、行って見るまでもなく、頭の中に物に溢れている我が家のクローゼットが浮かんだ。箪笥なら5~6本分の大容量ウオークinタイプは整理しやすく、大量に収納できるからと電動式を玄関正面にどーんと据えたのが、まず、間違えだった感。このクローゼットとの付き合いは、かれこれ21年目になる。新築当時は、広々としたスペースにうっとりとし、この素敵なクローゼットを使いこなせば、いつも衣類や生活小物が整理整頓されて使いやすいぞ!と、心を弾ませたのを今でも忘れない。そして、買い物をする度に「無駄に物は増やさないぞ。」と心に何度も言い聞かせては、それと同じくらいの数の買うための言い訳を作って買い足してきた。そういう私という現実。まずは、この私と向き合うことから始めないと。クローゼットの整理にとりかかることも儘ならないと、うんざり感が澱んだ。

岸本さんは、30才になろうとする頃、老後が怖いと感じたそうだ。その怖さは、結婚しない自分の生活や生き様に、暮らしの安定を求める心からの逆説のようなことだろうか。幸いと言うべきか、私は、婚期としては当時は遅い方だったかもしれない29才の誕生日直後に結婚した。なので、結婚前は老後の心配と言うよりは、人生設計がはっきりしていなかったのを思い出した。その私が突然のように結婚してしまった。老後のことなど何も考えていなかったように記憶している。その後、すぐに思ったのは、子どもを産み育てるなら何人兄弟にするかから始まり、だったら、何年ごとに生むのが良いか?など、そこから老後を想像して逆算していたように思う。確たるはっきりしたものではなかったが、自分の置かれた環境によって、女というのはとにかく安定を求める生き物じゃないかと思う。自分の周囲を「安定、安心」という基準に整える事が日々を送る糧でもあるかもしれない。その思考回路も相まったのか、物を持つことと処分することは表裏一体で、安心感の物差しで全て測った上で判断するような仕様になっていると思う。

まだ、何も処分していないというのにクローゼットを老い支度として捉えただけでも色々な事を考え始めている自分がいる。持ち物を処分して身軽になろうとすることは、私にとっては、安心のためであるとはっきりした。

4194BeD1XvL._SL210_そういえば、書物についても、処分する決断ができずに実家を物置代わりにしている後ろめたさも浮上してきた。嗚呼、なんてこった。私は、老後の先は、いつか死ぬんだということに向き合わないようにしてきたんだと、改めて言い聞かせた。取りあえず自分の見えるところからは片付けたものの、いつかあそこに仕舞った物をどうするか決めなくてはならないのだと、この件もはっきりした。因みに、ぼんやりとだが、書物が残らないようにできうる限り電子書籍を買いたいと思っている。先日発売になったKindleシリーズのKindlePowerWhite 3Gを悩みに悩んで予約注文した。これも、物を増やさいないための買い物だ!えい!とばかりに・・・。

まだ、今はこの段階だが、岸本さんのスタートとは違う私には、もっと老い支度の項目があることにも気づいた。それは、今住んでいる家のことだ。

新築当時に描いていたのは、長男がお嫁さんをもらったら一緒に住むということ。でも、そこを配慮して設計したことは、今となってはどうでも良くなってきている。

子どもたちが都会に住むようになって戻らなくなり、自分一人でここに住んで老衰したら、この家も空き家になる。近所にもたくさん増え始めたが、老夫婦のどちらか片方が先にあの世へ行くと、残った一人がそのまま住むとしても、老衰して一人で置いておけなくなると子どもたちがいずれ引取り、家は空き家となる。そうなると、家は売却される運命なのか、子どもたちの誰かがいつか住むようになるのか。そうこう言っている内に、明日、突然死するかもしれない。どう転んでもいいように、家に無駄なものを置いておかないようにしないといけないではないのかな。そうなると、整理しなくてはならないものがたくさん出てくる。ああ、岸本さんも書いていたわ。片付けは「部分」からだった。

いやホント。書いてある通り。

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