オバマ大統領再選とアジア・太平洋へとシフトされたアメリカ外交についての雑感
一昨日、アメリカの大統領選挙でオバマ氏が再選された。当選が確定した直後の演説をNHKでしばし聞いてはいるものの、その言葉がなかなか素直に頭に入ってこなかった。心ここに在らずといった状態だった。画面に映る「29名残り1州 303✕206」の文字が終始固定され、それを横目で見ながら歓喜に湧き立つ演説光景に違和感だらけの私だった。その後、日本のどのメディアも「僅差でオバマ再選」と報じていた。残っていた未開票の29名全てをロムニー氏に入れても僅差とは言わないだろう、この数字。選挙前からそういった騒ぎにうんざり感もあったが、当然のことながら、オバマ氏に決まった。これはこれと、割り切れない私には複雑な思いがあった。
オバマ氏は、ノーベル平和賞の受賞者だ。このノーベル平和賞を受賞する側も授与する側にも政治的な背景抜きでは考えられないため、時に、何故この人が平和賞なの?と疑問が湧くと、自分がバイヤスをかけて見ているのが自覚できる。その一人としてのオバマ氏の言動をこの四年間で振り返ると、彼は徐々に国益が第一の現実的で利己的になった。世界平和などどこかへ飛んでいってしまった。上手な嘘つきと手を汚さない人殺しであるにもかかわらず、それにリベラルな人達が賛同しているのである。昨日届いた冷泉彰彦氏のメールマガジン『from 911/USAレポート』に、「4年間をかけての「オバマ政権の終わり」が始まったという印象も出かねません。」に共鳴した私だった。
これは、4年前に大統領に就任した当時の公約が、今後の4年間に生き続けるという意味では全くないということだ。「再選」という言葉の響きから、私自身、なんとなく4年前を引きずっていたような気がしていた。それがノーベル平和賞受賞者のオバマであり、「チェンジ」であった。これはもうこれまでの4年間で終わったのだ。
なぜ終わりなのか?
就任早々、縁起でもないことを言うものじゃないくらいのことは常識の範囲としてあってよさそうなものだが、冷泉氏のかなり辛辣な発信からも、相応の覚悟をせよというメッセージだと受け止めた。
終わったといえば、大きな存在感の残るヒラリー・クリントン国務長官とティモシー・ガイトナー財務長官の二人の姿は消える。アメリカは、この二人にかなり助けられていたんじゃないかと思うと、今後の外交と財政面が大いに気になる。というか、アメリカの政治課題は大きくはこの2つだともいえる。また、オバマ氏は、アメリカの軍事的な関心をアジア・太平洋にシフトしていることから、日本の外交や軍事面でのアメリカとのタイアップが問われる事にもなる。
ここでふと気になったことがある。
私が、オバマ氏を嘘つき呼ばわりした背景には、中東問題が大きくある。反米感情をむき出しにするテロリストの存在や、これとは全く別にイスラム系の宗教対立がある。オバマ氏は、駐リビアアメリカ大使ら4名の殺害は、テロリストのメールによる犯行予告を知りながら、ムハンマドを冒涜したとするアメリカ映画に反感を持つイスラム教徒らの報復だとして誤魔化した。この問題は終わったかに思われているが、イスラム教徒は世界に散らばっているし、イスラムの怒りとしてテロには終わりはないし、宗教対立はずっと続く。このような騒ぎが再び起こらない保障はどこにもない。ここに影を落とすのが、ミャンマーで現在進行中のロヒンギャ族(イスラム教徒)の虐殺の問題だ。これは、クリントン氏とは直接的な関係はないものの、今やミャンマーの政治家として世界が認めるアウン・サン・スー・チー氏の関わり方が注目されているようだ。そして、それをリベラルなアメリカがどう見ているかに私の関心がある。あのイスラム過激派のテロを見過ごして宗教衝突だと嘘を言ってのけたオバマ氏だが、この手の誤魔化しでは結果が出せないでおわることになる。ブッシュやクリントン元大統領の尻拭いでも何でもない、オバマ氏が新たに取り組むべき問題としてヒラリーさんの置き土産でもある。
ミャンマーでの人権(国籍)を認められていないロヒンギャ族(イスラム教徒)と仏教徒の衝突の背景には、様々な問題がある。根は深く、歴史的にも長く解決できない問題として存続してきた。この問題は、いつかここで深く考えたく思っている。
アメリカの20年以上に渡るミャンマー制裁の中、ミャンマー軍事政権を軟化させ、スー・チーさんの解放に一役買ったのはクリントン氏であったが、ミャンマーへのアプローチは、オバマ氏のアジアへのシフトの一環であるし、これを助けるという体裁にもなっていた。 人権活動家であったスー・チーさんを政治家デビューさせ、これからという時にミャンマーでは市民権を認めていないロヒンギャ族と仏教徒の衝突が起きた。これに対してかつての人権活動家であるスー・チー氏が沈黙した。それどころか、政治家としての彼女の口からこんな言葉が出た。「問題の原因を見ずしてモラルリーダーシップ(道徳的指導力)なるものを発揮するべきではない」(参照)
「問題の原因」とは何を指しているのか?原因は、ロヒンギャ族は、イスラム教徒だと言っているのではないだろう。ミャンマー国民ではないと言っている。不法移民だから指導力を発揮するには値しない、と婉曲に言っているに過ぎない。そういう印象を持った。
自宅軟禁されていた頃であれば、理想や理念を語っていれば済んだはずのスーチーさんが、野党の政治家としてはそうも言っていられなくなったという、それだけの問題だろうか。実際の政治と理想は別としても、政治家が理想を持って夢を語るのはどこぞの国の政治家も同じでではないのかな。
スーチーさん率いるのNLDが民主化運動家としか組むことができなくなってしまったとして、三年後の総選挙で政権を取ったとしても、この指導者ではロヒンギャ族はミャンマー国民にはなれない事ははっきりしたというもの。その前に、事が起きれば誰がどう対処するのだろうか。オバマ氏が片棒を担ぐとは思えないが、ミャンマーの安定政権は望むところとすると、その挙動に注意がいる。また、ミャンマーに投資する国の一つとしての日本、アメリカに追随する日本としても大きく関係してくる。
私はまた、そこで悪態をつくことになるのだろうか。もうもう、オバマ氏再選だけで十分と言いたい。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
久しぶりの海外時事ネタを読ませてもらいました。つぶやきではしんどそうな様子で、ブログでの時事ネタは途絶えるのかなと心配してました。ノーベル平和賞の二人が見つめるミャンマーの虐殺、神母の悪態が静まることないでしょうが、ご自愛ください。
投稿: tekukami | 2012-11-09 07:08
tekukamiさん、ご心配ありがとう。悪態はもう、それこそ卒業しないとアカンと思っています。もうやめよう、そう思う時いつも思い出すのが、山本七平さんの言葉だったりします。今回は「ただ座る」がいいと思っています。
投稿: godmother | 2012-11-09 09:47