次期総選挙について雑感
自分が安倍選びに走ってしまうのではないかと、どこかでブレーキが働くのはなぜだろうかと考えている。民主党の「マニフェスト選挙」に裏切られた感への反発かな。鳩山、菅、野田の嘘つきな政治家にうんざり感があり、今度は信用できる人を選ぼうと、それで安倍測りのような心理状態になっているのかもしれない。これは、本来のマニフェスト選挙ではなく、「安倍という政治家を信じてみるか?」という、選択になる。それが間違えとも思わない理由に、もう嘘つき政治家、中身の無い口パクにはうんざりだからである。が、それで選択するなら、みんなの党の渡辺さんだって悪くはないじゃないかと心のどこかで囁く声も聞こえる。そうなると誰を何の観点で選んだらいいかわからなくなるし、第一、人で選んでも所属政党の党員が一致していないとその主張は通らないものとなる。この疑問が浮上したきっかけになったのは「石破氏「緩和は成長戦略と一体」 安倍氏発言火消し」(参照)というタイトルの日経記事だった。
マニフェスト選挙とは、政党がどのような社会を目指し、現状の問題点をどう捉え、そのために何を政治に転化させるのか、それを有権者に明確に提示して宣言するのがマニフェストであり、その選択を有権者の自由意志で投票することだと思う。前出の疑問の、個人への信頼度ではないと思う。つい先日行われたアメリカの大統領選挙は、個人能力をどんどん表に出して、相手も批判しながら如何に自分が大統領に相応しいかを競う選挙方式で、その余韻が残っているせいか、日本の総選挙と混同してしまう。安倍総裁選びをやってんじゃねぇよ!と、ガツンと頭を叩かれ、はっと正気に戻った。先の日経記事を読んだ後、そんな衝撃がきた。じゃー、どうすりゃいいんだ。
これだけは肝に銘じておくことと自分なりに思っているのは、今回の選挙は違憲選挙である点だ。一票の格差が解消されていないにもかかわらず、国会は解散してしまったのだから、選挙は、強硬手段である。なぜそうなったかは以前にも書いたことだが、国民の了解なしに「三党合意」を自公民が勝手にやらかし、その見返りに、民主党に早期解散の約束を取り付けたからだ。その約束を果たしただけのことである。この時点で、こんな解散など馬鹿馬鹿しいも通り越し、怒り心頭も超えてしまったではなかったか?この時の解散の様子は、きっと歴史に残ると思うし、そのやり方が異様とも写った(参照)。だからこんな選挙なんかどうでもいい位に思っていた。その自分が、あの自民党の安倍総裁の政策ににどれほど傾倒しようとしているのか、考えただけでも分かるじゃないかと自分を戒めたい。が、それで選挙権を放棄することが得策でもない。やることは、これらの前提をしっかり頭において投票するということだと思う。
では、私たちは何を選ぶのか?争点は何だ?
国会で勝手に三党が決めた時、自公は、民主党に、「増税はマニフェスト違反だから選挙で信を問え」と迫り、三党合意の見返り選挙になったのだから、「増税」するときには「国民に信を問う」と言ったそのものである。が、どうだろう?
自公民は「増税」を争点にしているだろうか?していない
民主党はTPP路線であり、自民党は金融政策である。そして近頃は、両者が激しく相手を批判し合い、それに乗っかって私までもが、安倍側がいいかな?などと揺らいでいる。が、この三党の運命は、対局であると同時に、いずれは手を組まなくてはならない運命でもある。選挙にどの政党が勝っても、国会でねじれていれば数の勝負でしかない。その場合、政策などはすっ飛んでしまうじゃないか。それは何度も経験したじゃないかと、またもや思い出した。
安倍総裁が誕生しても、参院では、民主党の協力なしには何も決められないことになる。そのくせ、この対立合戦は何?パフォーマンス?と、ふと不思議になった。
これが、三党合意のもとに「第三極」への牽制でもやっているんじゃないか?これは、とんだ茶番劇だったりするんだろうか。自公民は官僚とべったりな「第一極」と言えないこともない。いや、三党合意した時はハッキリそう思ったのだった。だから、国民は、維新の会に目を奪われた。であれば、この三党に対抗するのが「第二極」ではないのか?それが、みんなの党や維新の会でもなんでもいいということになる。というか、この人達、お互いに政策の競争しているから有権者にわかりにくいんだよ。石原さんとは言わないまでも、だれか、俺達は「第二極」だと、まとめられないのか?
今回の選挙争点といい、とんでもない自分のズレを発見した。が、自公民をまとめて「第一極」としても、「第三極」がこのまま足踏みをしていると、そのまま終わる。それとも、「第三極」が、本当に「第二極」として現れるだろうか。それが日本にとって、なによりも健全かもしれない。
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