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2012年11月

2012-11-22

次期総選挙について雑感

自分が安倍選びに走ってしまうのではないかと、どこかでブレーキが働くのはなぜだろうかと考えている。民主党の「マニフェスト選挙」に裏切られた感への反発かな。鳩山、菅、野田の嘘つきな政治家にうんざり感があり、今度は信用できる人を選ぼうと、それで安倍測りのような心理状態になっているのかもしれない。これは、本来のマニフェスト選挙ではなく、「安倍という政治家を信じてみるか?」という、選択になる。それが間違えとも思わない理由に、もう嘘つき政治家、中身の無い口パクにはうんざりだからである。が、それで選択するなら、みんなの党の渡辺さんだって悪くはないじゃないかと心のどこかで囁く声も聞こえる。そうなると誰を何の観点で選んだらいいかわからなくなるし、第一、人で選んでも所属政党の党員が一致していないとその主張は通らないものとなる。この疑問が浮上したきっかけになったのは「石破氏「緩和は成長戦略と一体」 安倍氏発言火消し」(参照)というタイトルの日経記事だった。

マニフェスト選挙とは、政党がどのような社会を目指し、現状の問題点をどう捉え、そのために何を政治に転化させるのか、それを有権者に明確に提示して宣言するのがマニフェストであり、その選択を有権者の自由意志で投票することだと思う。前出の疑問の、個人への信頼度ではないと思う。つい先日行われたアメリカの大統領選挙は、個人能力をどんどん表に出して、相手も批判しながら如何に自分が大統領に相応しいかを競う選挙方式で、その余韻が残っているせいか、日本の総選挙と混同してしまう。安倍総裁選びをやってんじゃねぇよ!と、ガツンと頭を叩かれ、はっと正気に戻った。先の日経記事を読んだ後、そんな衝撃がきた。じゃー、どうすりゃいいんだ。

これだけは肝に銘じておくことと自分なりに思っているのは、今回の選挙は違憲選挙である点だ。一票の格差が解消されていないにもかかわらず、国会は解散してしまったのだから、選挙は、強硬手段である。なぜそうなったかは以前にも書いたことだが、国民の了解なしに「三党合意」を自公民が勝手にやらかし、その見返りに、民主党に早期解散の約束を取り付けたからだ。その約束を果たしただけのことである。この時点で、こんな解散など馬鹿馬鹿しいも通り越し、怒り心頭も超えてしまったではなかったか?この時の解散の様子は、きっと歴史に残ると思うし、そのやり方が異様とも写った(参照)。だからこんな選挙なんかどうでもいい位に思っていた。その自分が、あの自民党の安倍総裁の政策ににどれほど傾倒しようとしているのか、考えただけでも分かるじゃないかと自分を戒めたい。が、それで選挙権を放棄することが得策でもない。やることは、これらの前提をしっかり頭において投票するということだと思う。

では、私たちは何を選ぶのか?争点は何だ?

国会で勝手に三党が決めた時、自公は、民主党に、「増税はマニフェスト違反だから選挙で信を問え」と迫り、三党合意の見返り選挙になったのだから、「増税」するときには「国民に信を問う」と言ったそのものである。が、どうだろう?

自公民は「増税」を争点にしているだろうか?していない

民主党はTPP路線であり、自民党は金融政策である。そして近頃は、両者が激しく相手を批判し合い、それに乗っかって私までもが、安倍側がいいかな?などと揺らいでいる。が、この三党の運命は、対局であると同時に、いずれは手を組まなくてはならない運命でもある。選挙にどの政党が勝っても、国会でねじれていれば数の勝負でしかない。その場合、政策などはすっ飛んでしまうじゃないか。それは何度も経験したじゃないかと、またもや思い出した。

安倍総裁が誕生しても、参院では、民主党の協力なしには何も決められないことになる。そのくせ、この対立合戦は何?パフォーマンス?と、ふと不思議になった。

これが、三党合意のもとに「第三極」への牽制でもやっているんじゃないか?これは、とんだ茶番劇だったりするんだろうか。自公民は官僚とべったりな「第一極」と言えないこともない。いや、三党合意した時はハッキリそう思ったのだった。だから、国民は、維新の会に目を奪われた。であれば、この三党に対抗するのが「第二極」ではないのか?それが、みんなの党や維新の会でもなんでもいいということになる。というか、この人達、お互いに政策の競争しているから有権者にわかりにくいんだよ。石原さんとは言わないまでも、だれか、俺達は「第二極」だと、まとめられないのか?

今回の選挙争点といい、とんでもない自分のズレを発見した。が、自公民をまとめて「第一極」としても、「第三極」がこのまま足踏みをしていると、そのまま終わる。それとも、「第三極」が、本当に「第二極」として現れるだろうか。それが日本にとって、なによりも健全かもしれない。

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2012-11-09

オバマ大統領再選とアジア・太平洋へとシフトされたアメリカ外交についての雑感

一昨日、アメリカの大統領選挙でオバマ氏が再選された。当選が確定した直後の演説をNHKでしばし聞いてはいるものの、その言葉がなかなか素直に頭に入ってこなかった。心ここに在らずといった状態だった。画面に映る「29名残り1州 303✕206」の文字が終始固定され、それを横目で見ながら歓喜に湧き立つ演説光景に違和感だらけの私だった。その後、日本のどのメディアも「僅差でオバマ再選」と報じていた。残っていた未開票の29名全てをロムニー氏に入れても僅差とは言わないだろう、この数字。選挙前からそういった騒ぎにうんざり感もあったが、当然のことながら、オバマ氏に決まった。これはこれと、割り切れない私には複雑な思いがあった。

オバマ氏は、ノーベル平和賞の受賞者だ。このノーベル平和賞を受賞する側も授与する側にも政治的な背景抜きでは考えられないため、時に、何故この人が平和賞なの?と疑問が湧くと、自分がバイヤスをかけて見ているのが自覚できる。その一人としてのオバマ氏の言動をこの四年間で振り返ると、彼は徐々に国益が第一の現実的で利己的になった。世界平和などどこかへ飛んでいってしまった。上手な嘘つきと手を汚さない人殺しであるにもかかわらず、それにリベラルな人達が賛同しているのである。昨日届いた冷泉彰彦氏のメールマガジン『from 911/USAレポート』に、「4年間をかけての「オバマ政権の終わり」が始まったという印象も出かねません。」に共鳴した私だった。

これは、4年前に大統領に就任した当時の公約が、今後の4年間に生き続けるという意味では全くないということだ。「再選」という言葉の響きから、私自身、なんとなく4年前を引きずっていたような気がしていた。それがノーベル平和賞受賞者のオバマであり、「チェンジ」であった。これはもうこれまでの4年間で終わったのだ。

なぜ終わりなのか?

就任早々、縁起でもないことを言うものじゃないくらいのことは常識の範囲としてあってよさそうなものだが、冷泉氏のかなり辛辣な発信からも、相応の覚悟をせよというメッセージだと受け止めた。

終わったといえば、大きな存在感の残るヒラリー・クリントン国務長官とティモシー・ガイトナー財務長官の二人の姿は消える。アメリカは、この二人にかなり助けられていたんじゃないかと思うと、今後の外交と財政面が大いに気になる。というか、アメリカの政治課題は大きくはこの2つだともいえる。また、オバマ氏は、アメリカの軍事的な関心をアジア・太平洋にシフトしていることから、日本の外交や軍事面でのアメリカとのタイアップが問われる事にもなる。

ここでふと気になったことがある。

私が、オバマ氏を嘘つき呼ばわりした背景には、中東問題が大きくある。反米感情をむき出しにするテロリストの存在や、これとは全く別にイスラム系の宗教対立がある。オバマ氏は、駐リビアアメリカ大使ら4名の殺害は、テロリストのメールによる犯行予告を知りながら、ムハンマドを冒涜したとするアメリカ映画に反感を持つイスラム教徒らの報復だとして誤魔化した。この問題は終わったかに思われているが、イスラム教徒は世界に散らばっているし、イスラムの怒りとしてテロには終わりはないし、宗教対立はずっと続く。このような騒ぎが再び起こらない保障はどこにもない。ここに影を落とすのが、ミャンマーで現在進行中のロヒンギャ族(イスラム教徒)の虐殺の問題だ。これは、クリントン氏とは直接的な関係はないものの、今やミャンマーの政治家として世界が認めるアウン・サン・スー・チー氏の関わり方が注目されているようだ。そして、それをリベラルなアメリカがどう見ているかに私の関心がある。あのイスラム過激派のテロを見過ごして宗教衝突だと嘘を言ってのけたオバマ氏だが、この手の誤魔化しでは結果が出せないでおわることになる。ブッシュやクリントン元大統領の尻拭いでも何でもない、オバマ氏が新たに取り組むべき問題としてヒラリーさんの置き土産でもある。

ミャンマーでの人権(国籍)を認められていないロヒンギャ族(イスラム教徒)と仏教徒の衝突の背景には、様々な問題がある。根は深く、歴史的にも長く解決できない問題として存続してきた。この問題は、いつかここで深く考えたく思っている。

アメリカの20年以上に渡るミャンマー制裁の中、ミャンマー軍事政権を軟化させ、スー・チーさんの解放に一役買ったのはクリントン氏であったが、ミャンマーへのアプローチは、オバマ氏のアジアへのシフトの一環であるし、これを助けるという体裁にもなっていた。 人権活動家であったスー・チーさんを政治家デビューさせ、これからという時にミャンマーでは市民権を認めていないロヒンギャ族と仏教徒の衝突が起きた。これに対してかつての人権活動家であるスー・チー氏が沈黙した。それどころか、政治家としての彼女の口からこんな言葉が出た。「問題の原因を見ずしてモラルリーダーシップ(道徳的指導力)なるものを発揮するべきではない」(参照

「問題の原因」とは何を指しているのか?原因は、ロヒンギャ族は、イスラム教徒だと言っているのではないだろう。ミャンマー国民ではないと言っている。不法移民だから指導力を発揮するには値しない、と婉曲に言っているに過ぎない。そういう印象を持った。

自宅軟禁されていた頃であれば、理想や理念を語っていれば済んだはずのスーチーさんが、野党の政治家としてはそうも言っていられなくなったという、それだけの問題だろうか。実際の政治と理想は別としても、政治家が理想を持って夢を語るのはどこぞの国の政治家も同じでではないのかな。

スーチーさん率いるのNLDが民主化運動家としか組むことができなくなってしまったとして、三年後の総選挙で政権を取ったとしても、この指導者ではロヒンギャ族はミャンマー国民にはなれない事ははっきりしたというもの。その前に、事が起きれば誰がどう対処するのだろうか。オバマ氏が片棒を担ぐとは思えないが、ミャンマーの安定政権は望むところとすると、その挙動に注意がいる。また、ミャンマーに投資する国の一つとしての日本、アメリカに追随する日本としても大きく関係してくる。

私はまた、そこで悪態をつくことになるのだろうか。もうもう、オバマ氏再選だけで十分と言いたい。

31aHe65FhhL._SL210_心がざわざわする時、悪態などついておかしな空気を醸し出すよりも、「ただ坐る」(参照)。これに限る(参考書評)。

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2012-11-06

干豆腐(かんとうふ)の魅力とは:白菜の炒め物

IMG_1218豆腐の魅力を端的に伝えるとしたらどう表現したらいいだろうか。今日の料理で紹介する干豆腐が、豆腐の加工品であることは言うまでもないが、今までにどれほど豆腐を賞賛してきたことかと振り返ると、この干豆腐に関しては考えこんでしまった。とにかく豆腐の中の豆腐と言った味がする、ゴムにも似たような弾力のある食感が特徴だ。この「ゴムにも似た」というのもあまり良く言い当てているとも言えないのだが、語彙が貧弱で干豆腐には本当に申し訳ないと思っている。

中国から輸入された中国食材であるにもかかわらず、なんとも日本の豆腐らしい味がする。私の言うこの豆腐らしさの基準とは何か、これも説明しないと人それぞれだと思う。私の基準は、豆腐製造中にしか食べられない「おぼろ豆腐」と呼ばれている、型に入れて水を抜く前の温かい豆腐がそれだ。豆腐製造には幾つか工程があるのでかる~く説明しちゃうとこう。

茹でた大豆をミキサーでペースト状にし、これを大量の水から煮立つ直前まで煮る。これを布で漉して白い液体だけにする。残ったカスがおからである。この液体を鍋で加熱し、沸騰直前ににがりを投入した時できる塊がおぼろ豆腐である。これをお玉で掬ってそのまま食べるのは格別である。残りの濁り水が豆乳である。このおぼろ豆腐の大豆の香りと甘みがなんとも美味しいのだが、このおぼろ豆腐を型に入れて重石をし、四角く切って売っているのが豆腐である。水分を抜いて味気なくしたのが豆腐の正体で、つまり、大豆のカスを食べているようなものだ(と、私は思っている)。豆腐を手作りした人なら、豆腐の美味しさが何たるかは知っていると思う。で、知らない人にその風味と味を教えてあげたいと思う時、なかなかサンプルになるような美味しい豆腐に出くわさないので困る。そこで、豆の香りが豆腐くささなのだということを証明できるのは、干豆腐ではないかと思えた。
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この干豆腐の具体的な製造工程は知らないが、豆腐を圧縮して硬いシート上にしたものを何枚も重ね、たたんで袋詰めされている。別名、百頁(ばいいえ)とも呼ばれている。使い道に合わせて適当な大きさに切り出し、湯通ししてから使う。今日は、3センチ角くらいに切って白菜やキノコ、牛肉などと炒めあわせたり、千切りにしてきゅうりや錦糸卵と一緒に中華和えものにしてもいい。何かもう一品アクセントに欲しいという時、干豆腐の食感がそれを助けてくれると思う。また、シート状で広げるとそこそこの広さがある、春巻きのように何か具を包んで揚げたり蒸したり、何にでも応用できる豆腐である。

さて、どこで入手するのかと言えば、横浜中華街の食材店にはもちろんあるが、横浜に限らず、全国の中華食材店で扱っているはず。今回は、上野に行ったついででアメ横に寄ったので「亜州食品」(参照)で400円(500g)で購入した。冷凍保存なら二三年は十分持ちこたえるというもので、一度解凍して残りは使いやすい分量に切り分けて再冷凍しておくと良いとアドバイスされた。
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干豆腐の風味を味わえるよう、淡白な白菜とキノコに少し牛肉を使ってオイスターと醤油ベースの味付けにしてみた。味がよく絡むように最後に片栗粉で少々とろみを付けるだけの簡単な炒めものだ。レシピは参考までに。

材料(3~4人分)
・ 干豆腐・・100g
・ 白菜・・4~5枚
・ キノコ(えのき茸、エリンギ、キクラゲなど)・・70g
・ 牛肉切り落とし・・70g
・ 長ネギ10cm・・あらみじん切り
・ 生姜みじん切り・・大さじ2
・ 片栗粉・・小さじ2(同量の水で溶いたもの)
・ オイスターソース・・大さじ1
・ 醤油・・大さじ1
・ 酒・・大さじ1
・ 塩・胡椒・・適宜
・ 炒め油・・大さじ1

作り方
1. 白菜は白い芯の部分と葉を切り分け、芯の部分は6~7cmの短冊に、葉は3cmほどのぶつ切りに切る。
2. キノコは適当な大きさに裂く。
3. 牛肉は3cmの幅に切る。
4. 干豆腐は3cmに角切りして1分程鍋で沸騰したお湯で湯通しし、ざるに上げておく。
5. オイスターソースと醤油、酒を一緒に合わせておく。
6. フライパンに分量の油から小さじ1ほどの油を回して牛肉を広げて中火にかけ、肉の色が変わり始めたら他の牛肉を広げて焼く。出てきた肉汁はキッチンペーパーで吸い取る。(毒出し:「水島シェフのロジカルクッキング」参照)
7. 肉の色が変わったらいったん取り出し、キッチンペーパーでフライパンの汚れを拭き取り、みじん切りの生姜と長ネギ、残りの油をフライパンに入れて弱火にかけ、ゆっくり香りを出したら一旦火を消す。
8. 7のフライパンに野菜とキノコ、4の干豆腐をほぐして入れてよく混ぜあわせてから弱火にかける。
9. 野菜は時々上下を返して混ぜ、出てきた水分はキッチンペーパーで吸い取り(毒出し)、10分ほど野菜がしんなりするまでゆっくり炒めあわせる。
10. 6の牛肉を戻し入れ、塩・胡椒で2~3分弱火で炒めたら5の合わせ調味料をまわしかけて全体に2~3分炒めてなじませる。
11. 最後に水溶き片栗粉をまわしかけて2~3分炒めて片栗粉を安定させて出来上がり♪

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