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2012年10月

2012-10-24

自家製タマネギドレッシングで秋刀魚の包み焼き

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魚を買いに行くのが楽しみな季節となった。やっと。そして、この時期が来るのを今年は特に、待ち遠しく思っていた。食欲が停滞気味な夏がとんでもなく長かったというのがその原因だと思うが、その割に今夏のBBQは、誘われただけでも5回はあった。お肉はそうそう大量には食べられるものではないが、ブラジルとイランの出身のご夫婦の味付けが美味しく、目先が変わったせいもあって、いつもよりは美味しく頂いた。でも、基本的には塩と胡椒で食べるのが肉の味を満喫できるし、肉が美味しく食べられるという私流ではある。

そんな時、理研の「あめ色玉ねぎ」(参照)というドレッシングを肉に掛けて食べると存外に美味しい、という情報を目にした。ノンオイルだし、確かに玉ねぎは肉に合う。早速取り寄せてみたら旨い!しかも、何にでも合う。焼肉にはもちろん、魚の塩焼きの塩を薄めにしてかけて食しても良かった。美味しい美味しいと言って使っている内にあっという間に一瓶終わってしまう。その虚しさが今日のタレの開発につながった事は言うまでもない。また、制作上に関係したヒントとして、イラン人のご主人の豚レバーの味付けがある。

彼は、週一回は豚のレバーを漬け焼きで食べていて、ソテーする前日にタレに漬け込んで下味をつけている。タレと言っても、それが玉ねぎのあらみじん切り少々にすった玉ねぎ、塩を適当に混ぜただけのものだ。これがめっちゃ旨。こっそり言うと、私は豚のレーバーが大の苦手だ。全部ではなく、臭みの強いものがダメ。因みに、鶏モツも同様の理由でダメ。綺麗に処理されたもので極稀に臭みのないものもあるが、それなら大丈夫。というわけで、勧められてもあまり頂かないのだが、彼の下味つけでソテーした豚レバーは別格だった。大変美味しい。その理由は、単純に玉ねぎ効果だと思うが、そんな簡単な事になぜ気づかなかったかということが問題だと思った。

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彼の玉ねぎタレと、理研の「あめ色玉ねぎ」ドレッシングを上手く組み合わせて美味しいタレは出来ないものか?ドレッシングが切れた時、ふとそういう発想が起きていた。前書きが長くなって、また、ごめん。早速、その簡単なレシピを紹介したいと思う。

自家製玉ねぎドレッシングの材料
玉ねぎ、醤油、酢をそれぞれ同量(グラム数)混ぜ合わせる。

これだけ。

日持ちについても実験済みだ。

9月ごろ多めに作って、どれくらい日持ちするものか冷蔵庫で保存しながらちびちび使っていたが、約一ヶ月は味に変化もなく使えた。酢も醤油も、基本腐るものではないのだし、玉ねぎもしっかりこの混合液に浸かっているので腐りはしないと踏んではいた。が、かなり長持ちするものだと思った。

使い方は、野菜サラダに使う時は、野菜にオリーブオイルをまぶしてから好みの量をかけて頂く。オリーブオイルは、ビタミンAの吸収のためで、ニンジンやトマト抜きのサラダなら無用。焼いた肉や魚のタレとしても、下味つけ用にも大変良い。

理研のドレッシングの内容を見ると、少し糖類を使用している。微妙に甘みがあると食材との相乗効果を生み出すのか旨みを感じるので砂糖を少し入れてみたが、砂糖を加えると塩分が不足気味に感じてしまう。これはちょっとダメかと思い、酢の甘みだけにした。また、不思議な事に、玉ねぎの辛さや匂いはかなりなくなる。酢と醤油に馴染んで、玉ねぎが入っているとは思えなくなるからこれも不思議。玉ねぎは熱を加えると辛味が甘みに変化するため、とにかく食材が美味しくなる。

さて、秋刀魚のレシピはあってないようなものだということが大体、想像つくのではないだろうか。それでも、画像のような秋刀魚の作り方だけでもと思い、書きとめておくことにした。
作り方
1. 一尾に対して大さじ1の玉ねぎドレッシングを使用してビニールの袋に入れて空気を抜く方法か、バットに並べて落し蓋の代わりにサランラップを密着させ、一二回ひっくり返して半日、下味を付ける。
2. そのまま直火で両面焼いてもよいが、せっかくのタレの味をそのまま食べたいので、私は、オーブンシートに包んでホチキスで止めたあとマルチグリラーの280度8分に手動設定して焼いている。
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魚はふっくらとして少し焼き目がつくので美味しい。マルチグリラーを絶対に買えとは言い難いが、あると、絶対に重宝する。両面焼きで、最高温度が280度というのは焼き魚には最適な設定だと思う。購入した時の興奮状態で紹介エントリーを書いたので、こちらも御参考までに(参照)。
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秋刀魚もそうだが、焼き魚にする時は、下処理して味付けが終わったら、しばらくざるの上で乾燥させると身が締まって味が凝縮されて美味しくなる。ハエよけの付いたざるがあれば日陰に干してもいい。これもちょっとした食いしん坊の知恵だが、半生干しの鯵の開きの旨さを想像してみれば分かると思う。ね!!

蛇足のついでにもう一つ、丸揚げにする時も一時間ほど表面を乾燥させるとカラッと揚がる。油が驚いて水を弾かなくなるし、料理しやすくなる。よ!!

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2012-10-18

水島弘史流 里芋と鶏肉の煮物「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる」

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 今週の頭に岐阜の友人が、自作の里芋を手土産にやって来た。上手く育ったと言ってニコニコであった。いやその気持はとても良く分かる。ここでちょっと里芋の話をすると、家庭菜園の経験上、里芋を育てるのはとても難しいのである。里芋は、「肥料食い」と言われるほど、たんまり肥料を与えないと上手く育たないことで有名。また、水も、切らすと赤い斑点がついてしまい、アル中酒さ(*1)のような赤ら顔になってしまう。親芋に小芋が付いたところで、その小芋を大きく育てるのに一苦労する。そろそろいいかと思って掘っても、肥料不足で小芋ができていない失敗が続いた私は、遠の昔にギブアップした次第。だから、友人がドヤ顔で里芋を見せたい気持はよく分かる。その大切な里芋を如何にして料理するか、それが問題でもあった。

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    (中央の大きなのが手のひらサイズ!

 とにかく、里芋の美味しさを一番味わえる料理だ。人それぞれあると思うが、私は、皮のまま蒸してごま塩か甘味噌派(レシピ☞)。友人は、烏賊と大根を一緒に煮たのが一番だと言う。まあ、でも鶏肉の出汁で煮含めるのもいいか。あれこれ迷った挙句、水島氏のセオリーにそって煮てみた。早速その画像をiPhoneで撮り、里芋の作者である友人にメールで送って説明したところ、水島流料理法を知らないと言われた。あり?私はそこで初めて気づいたのだったが、うっかりしていたのか気が抜けてしまっていたのか、料理研究家でありシェフでもある水島弘史氏の調理法によるレシピを何一つここに書かずにいた。Twitterでつぶやいたのを書いたのと勘違いしていたらしい。早速、彼女からレシピをアップしろと催促されて書き始めた次第である。下手をすると里芋の自慢話で終わるところだった。

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美味しさの常識を疑え!

強火をやめると、誰でも料理がうまくなる
水島弘史

 水島氏の料理法とは、これまでの料理の常識を覆すと言ってもいいと思う。私の料理法も似ていると言えば似ているが、弱火でゆっくり作ると美味しくできるよという程度のぼんやりしたものだった。水島氏の著書「強火をやめると、誰でも料理がうまくなる!(参照)」を読んでからはその根拠がはっきりし、自信を持って作れるようになった。
 本書を読めばわかるが、単に「弱火」料理の推奨者ではない。肉のタンパク質が何度で変化するのかを加味して、できるだけ加熱温度との差をなくすよう、科学的な根拠をもった料理法である。本書を読まれて最初に驚くのは、鍋やフライパンで野菜や肉に油を回してから火にかける方法かもしれないし、冷たい油から揚げ物をするとかだったりかもしれない。一般的な料理法は、彼の料理法に全て否定されてしまうから面白い。暫くの間は、本書を見ながら料理することになるかもしれない。が、とても勉強になる。そして、肉や野菜、魚がとても柔らかくて美味しく出来上がる。料理がマンネリ化している中年以上の人には新たな挑戦として楽しめ、これから料理を学ぼうとする人にはうってつけとなると思う。それでもまだ疑わしい方は、こちらの書評をチェックしてみては(参照)?本書を買った時、もう少し料理の実例があるといいと思っていたら、先月、「水島シェフのロジカルクッキング 1ヶ月でプロ級の腕になる31の成功法則(参照)」が出版された。

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水島シェフのロジカルクッキング
水島弘史

料理例もさることながら、説明が詳しくなっている点で、ちょっとした疑問などが自分で解決できるようになった。こちらも合わせて読まれるといいと思う。何種類か試している内にコツが分かってくるので、どんどん応用が効くようになり、知らぬ間に、料理時間よりも美味しさ追求へと関心も移ってしまった。実は、長年書き続けてきたここのレシピも全部書き直したいくらいの衝動にかられたが、さすがに3000ページはご勘弁な話。
 さて、里芋と鶏肉の煮物の作り方に話を移すことにしよう。
 大きな流れは、材料を一口大に切り、鶏肉と野菜を別々にそれぞれ油を回してから中弱火にかけて加熱を始める。だいたい10分位だろうか、途中、一・二回ひっくり返す程度で、あまり材料をいじらないことがコツ。炒め合わせると言うよりは、じっとしばらく置いて焼くという感じ。鶏肉も野菜も、そのままでも食べられるくらいに火が通ったら、ここで両方を一緒にして調味料と出汁を加えて10分ほど煮こむだけ。これで完成。ただし、里芋だけはちょっと別の方法で下ごしらえする。これは水島流ではなく、我流。この方法だと簡単に皮を剥くことができるだけでなく、味の染みこみが良くない里芋にも八分通り味が入るのでお試しあれ。以下にその説明を続けて書くことにする。
 里芋をよく洗って泥を落とし、耐熱の皿などに置いてラップをふんわり被せ、加熱(強)で5分加熱する。そのまま庫内で余熱による加熱を10分してから取り出して皮を剥く。包丁で皮を引っ掛けるだけですっと、面白いように剥けてしまう。次に一口大に切る。断面を見ればわかるが、表面から1cmくらいのところまで火が通って身が透き通っている。その内側はまだ生っぽいが、やや火が通り始めているのが分かる。ここでしっかり火が通った部分に、後の味付け段階の味が染みこむ。出来上がったら見て確認してみるとわかる。
 この半生状態の里芋と、すでに火が通った野菜と肉を鍋で一緒にし、鰹出汁と調味料を加えて中弱火で煮込むと出来上がり。出来上がってからそのまま10分ほど置くと、味が染みこんで美味しくなる。だが、煮物の最も美味しいのは、一度冷めてしまったものを温めなおしてからなので、出来れば翌日と言いたいところだが、そうも言ってはいられない。最低15分程置いてからがいいと思う。または、晩御飯の準備で一番最初に作り上げておくとちょうどいい塩梅になるかもしれない。

材料(4~5人分)

  • 鶏もも肉・・1枚(約350g)
  • 里芋・・500g
  • ニンジン・・1本(約200g)
  • こんにゃく・・1丁
  • 絹さやえんどう・・50g
  • 炒め油・・大さじ1
  • 鰹出汁・・300cc
  • 酒・・大さじ3
  • 砂糖・・大さじ1

作り方

  1. 里芋を洗って泥を落とし、水気を拭きとってから耐熱皿に並べてラップをふんわり被せ、5分加熱後、余熱で10分、庫内にそのまま置いてから皮を剥いて一口大に切る。
  2. こんにゃくを熱湯でグラグラするまで茹でて水気を切り、スプーンなどで一口大にそぎ取る。
  3. ニンジンは一口大に卵切りする。
  4. 絹さやえんどうは筋を引いてヘタをむしっておく。
  5. 鶏肉の余分な油を取り除き、筋部分に包丁目を入れてから一口大に切りそろえる。
  6. フライパンに分量の油から小さじ1ほどの油を回して鶏肉を敷き詰め、小さじ1の油を垂らして鶏肉に油を回して中弱火で焼き始める。(水が出てきたらキッチンペーパーをそばに置いて吸い取る。)
  7. 同時に煮物用の鍋に残りの油とニンジン、2のこんにゃくを加えて油を回し、中弱火でゆっくり火を通す。
  8. 1の里芋と6の鶏肉を7の鍋に移して鰹出汁と調味料全てを加え、蓋をして中弱火で煮る。途中、一・二回鍋を煽って上下を入れ替えるように空気に当てる♪

 水島先生の料理中のお姿はないものかとYoutubeを探したが、あまり数はなく、愉快な先生ということで、こちらはどうだろうか。


*1) 「酒さ」とは➡http://www.facedoctor.jp/hpgen/HPB/entries/32.html

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2012-10-09

京都大学山中伸弥教授、ノーベル医学生理学賞と研究の妨げとなる特許とは?

昨夜、出先で今回の受賞を知った。毎年、日本人は何らかのノーベル賞を頂いているが、今回は、京大の現役教授であったことになんとなく嬉しい気持ちを持った。どのような研究なのか、詳しいことは家に戻ってから調べてみた。朝日新聞が報じている「iPS細胞の山中氏らにノーベル賞 再生医療実現に道」(参照)は、科学的に詳しくない私にもわかりやすく書かれている。

皮膚などの体細胞から、様々な細胞になりうる能力をもったiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り出すことに成功した。難病の仕組み解明や新薬開発、再生医療の実現に向けて新しい道を開いた。

山中さんらはこの生物学の常識を覆した。突破口を開いたのが、ガードンさん。1960年代に脊椎(せきつい)動物で初めて体細胞からクローンを作製。オタマジャクシの体細胞から核を取り出し、核を除いた未受精卵に入れると初期化されることを突き止めた。

山中さんは、難しい核移植をしなくても、初期化できることを発見した。06年8月、マウスのしっぽから採った体細胞に四つの遺伝子を導入することで、様々な細胞になりうる能力をもつiPS細胞を作ったと発表した。07年11月にはヒトの皮膚の細胞でも成功したと発表。すでに特定の役割を持った体細胞を再び受精卵のような万能の細胞に戻す常識破りの成果だった。   

それまで「万能細胞」の主役だった胚(はい)性幹細胞(ES細胞)は、受精卵を壊して作る必要があり、受精卵を生命とみる立場から慎重論もあった。ヒトiPS細胞はこうした倫理的な問題を回避できる。

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 記事にもある通り、山中氏の今回の研究は、ガードン氏の発見があってこその成果だったということが伺える。また、山中氏が、ガードン氏(今回同時に受賞)が健在で一緒に研究を進められることを光栄に思っているという様子から、研究者の師弟の関係も思わせる。こういった連携で志を同じくする異世代、異国の研究者同士の絆は、私の想像以上に深く確固たる何かで結ばれているのではないだろうか。それだけではなく、切磋琢磨する部分もきっとあるのではないだろうか。先駆者としてのガードン氏の発見から、人類にとって更に貢献できる成果をもたらしたことが今回の受賞につながったのではないだろうか。

また、私がもっと喜ばしく思ったのは、山中氏の受賞を報じる中で、この研究に大きく貢献した高橋和利氏という腹心の存在だった。これを報じているNHK記事がそうだ。(参照)。

山中さんが初めて構えた研究室で大学院生としてともに研究に当たったのが京都大学iPS細胞研究所で講師を務める高橋和利さんです。      
高橋さんは体の細胞を受精直後のような状態に初期化して、万能細胞を作り出すという山中さんの研究テーマを実現するため、ひたすら実験を繰り返したと言います。受精卵を壊して作る万能細胞で特徴的に働いている遺伝子を探し出し、24の遺伝子を細胞の核に移すと体の細胞が初期化することを突き止めました。      
この24の遺伝子をさらに絞り込む過程で、高橋さんは、山中さんが講演などで「天才的なこと」と紹介するアイディアを持ち出します。      
24の遺伝子を1つずつ減らして細胞の初期化が可能か実験を繰り返し、初期化に本当に必要な遺伝子を確かめていくという発想です。これによって特定されたのが、iPS細胞を作り出す4つの遺伝子「山中ファクター」でした。      
高橋さんは、山中さんが絶大な信頼を寄せる共同研究者としてiPS細胞を実際の医療に応用する研究を続けています。

iPS細胞を作り出すための4つの遺伝子を見つけ出すための実験方法を発想したのは高橋氏だったということは、その方法だけでもノーベル賞受賞に匹敵するくらいではないかと感じた。これまで多くのノーベル賞受賞後の抱負を聞いてきたが、この感動は、2008年のノーベル化学賞を受賞した下村さんの時と似ていた。

 クラゲの発光体抽出の研究には大量のクラゲを検体として要したと、下村氏が話す中で、研究に必要な大量のクラゲ捕獲で活躍してくれたのは奥様やお子様たちだったそうだ。当時を思い出しながら懐かしそうに、楽しそうに語っていた。下村さんの腹心は、ご家族だったわけだ。この話を聞いた時、妙に人懐っこい普通の家の父ちゃんをイメージした私は、それまで思っていた、研究室に閉じこもった暗い研究者のイメージから開放された。「夢を叶えるコツはね、身近な物事に繰り返し問いかけることなんだよ。」と、教えてもらったような気にさえなった。本当にうれしく思えたのだった。

 それが、今回の山中さんからも同じように研究秘話のように伝わってきたのが何とも嬉しかった。この喜びの余韻がしばらく続いている内に実は、ちょっと知りたいことがある。

昨日ちらっと知ったのだが、この度の受賞で、米国の特許網に牽制をかける意味があるという考察だ。その意味とは、おそらくこの研究が更に人類に貢献できるように、また、実際の病気治療に早期利用されるための露払いではないだろうか。特許は、研究者にとっては痛いところだと思うが、どんな特許が妨げだったのだろうか?知的財産権が最近騒がれだしたことも相まって物を生み出す人には、そのことを守ることも大切であると同時に、それが相互関係で侵害し合う事にもつながるというのは人類の汚点でもあるように結びついてしまう。

追記: 「山中伸弥・京都大教授、ノーベル医学生理学賞受賞、雑感」(極東ブログ参照)に、欧州側から米国科学特許への牽制ではないかということについて言及があった。是非、参照されたい。

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2012-10-08

「世界最悪の原発事故の現場とは思えないやりとり」そして、日本の政治家と原子力規制委員会の姿について古賀茂明氏の解説(テープ起こし)

2011年3月11日東日本大地震後、大きな津波が襲った。そして、海岸沿いに建設された福島第一原発が制御不能の状態に陥り、近隣の市民には避難勧告が出た。今でも多くの住民が自宅に戻れない状況にあり、世界から多くの支援や励ましが送られている一方で、技術力を誇る日本の東京電力やその安全を監視する立場にある日本の政府役人や政治家の隠蔽問題が問い正された。残念なことだったが、いまさらこれを言うまでもない。原発不信に陥った人々が、日本のあちらこちらで原発反対の声を上げるようになった時、内心、科学の芽を摘み取らないで欲しいとずっと願っていた。政府にも、あとに残った問題から逃げないで原発を放り出すようなことはしてほしくないと思っていた。朗報というべきか、その後、東電や政府の事故当事者とは全く関係のない第三者による事故調査委員会が立ち上がり、福島原発事故が検証されることになった。この委員会は、立法府に置かれた権威ある位置づけであると共に、日本では初めての試みでもあった。この事故調査報告書が世界にもたらすものとして、将来の原発開発において可能な限り安全なものにしていくための重要な資料となることに大きな期待があったが、その期待を満たすに十分な内容とは言えなかった(参照)。

前置きが長くなったが、どう振り返っても、胸に残るもやっとした思いは払拭されない。悔恨のような思いが出てきてしまうのは、もう私くらいの年になると自分の力が何かに及ぶとも思えないからだろうか。若い世代の将来に何も残せない不甲斐なさばかりで、本当に申し訳ないという気持ちでいっぱいになる。

さて、東電が原発を制御するにあたり、停電してしまった現場に電源を送ろうとバッテリーを調達しようとしている現場のやり取りがYoutubeにあがったのを昨日知った。このビデオは、福島原発事故後2日目の3月13日に録画されたものである。とにかく、驚いて呆れた。世界最大と言われると原発事故のあの現場で展開されていた東電社員の会話が、信じられないくらい暢気で馬鹿げていたからだ。こんなものをここに書いてもどうにもならないことだと思ったが、次の世代には二度と同じような事を繰り返して欲しくないという思いが勇気に変わった。存分に呆れて暴言を放ってくれて結構だと思っている。今の政治家らと共に育ち、彼らを選んだ私への罵倒だと受け止めたい。

Youtubeは後で削除される可能性もあるので、聞き取れる範囲で文字起こししてみることにした。東電のやり取りは掲載サイト(参照)から転載させてもらうことにしたが、これを報じているテレビ番組の司会である古館氏とゲスト出演している元経産省官僚古賀茂明氏の会話のやり取りは、私がここで引くつぐことにした。

福島第一原発 混乱する事故現場 海水注入「もったいない」
http://www.youtube.com/watch?v=UB3lAscYRZs

福島第一原発 資材班
「現金が不足しております」
「申し訳ありませんが現金をお持ちの方、
貸していただけないでしょうか?よろしくお願いします」
本店 小森明生 常務(当時)
「今日 ヘリコプターで飛ぶ人いるのかな」
「ヘリコプターで飛ぶ人誰ですか」
「役割は現金」
ナレーション
「2号機と3号機にもせまるメルトダウンの危機。原子炉冷却のためには
車のバッテリーをつないで弁を動かすしかなかった」
「しかし、命綱のバッテリーを買う現金すら無かった」
「ようやく10時間後・・・」

本店
「本店から相当多額のお金を持って(福島の)オフサイトセンターに一人向かわせています」
「オフサイトセンターに現金がある状態が今晩ぐらいから生まれるのでご活用ください、お願いします」
福一 吉田昌郎 所長(当時)
「はい、それは借用書を書けば貸してくれるということですね」
本店
「信用貸しといたしましょう」
福一第一原発 吉田昌郎 所長(当時)
「はい、わかりました。ありがとうございます」
ナレーション
「ところが福島第一原発から20km圏内にはすでに避難指示が出ていた」
「近くには空いている店は無かった」
福島第一原発 資材班
「私どもも地元で(バッテリーを)調達しようというふには努力しているんですが、
なんせいわきに行くまで6時間くらいどうもかかっているようなので、
ぜひ本店さんにもご協力していただきたい」
福島 オフサイトセンター
「今日 うちの方でいわき方面にバッテリー買いに行ったんですけれどもどこも買えませんでした」
福島第一原発 資材班
「明日また買い出しに行きますのでホームセンターなどで手に入るような物で、
何か希望の物があればリストを持って口頭で構いませんから資材班の方までお越しください。」
ナレーション
「物資の補給はホームセンターへの買出し、世界最悪の原発事故の現場とは思えないやりとりが続く」
以下略(以降、「海水注入もったいない」のやり取りや、「水素爆発」という文言で統一する打ち合わせ部分、それを報じた会見や報道が続く)

以下は、スタジオで古舘氏と古賀氏の 検証部分。

古館
「あのう、古賀さん、これをじーっと見てますと、この期に及んで今日これをお伝えするとこ自体、福島をはじめたいへん申し訳ない気がしてくるんですよね。」
古賀
「そうですね。なんかこの、こういう事故に対応する準備がなかったというのがよーく分かりますよね。でも、もう一つですねこういう事態を踏まえて例えば今、大飯(大飯原発)が動いていますよね。大飯でシビアアクシデント、おなじような事が起きた時に、その時の対策ってどうなってるのか、これがすごく不安になります。今までこういうのは公開されていないですね。ということは、それを活かしているかどうか分からない。」
古館
「そうですね。東京電力に戻れば国有化されているわけですよね。」
古賀
「そうです。これは、あのう、今直ぐでも公開できるんですよ。要するに国有化しているんですから、枝野経産大臣ですがねまあ、社長に電話して国民、みんな見たいと言っているんだから早く明日にでもネットにアップしてくれと、で、アップすればいいんですね。まあ、国民皆がですね確認して、テレビ局皆さんが目をしょぼしょぼさせながら見るだけじゃなくて、皆で確認をしてですね、何がおかしかったんだ、こんなことがあったんだというのが分かりますよね。だから、それを早く枝野さんはやって欲しいんですよ。何のために国有化しのかと・・・」
古館
「原発をどうするかと、色々意見はわかれているところですが、まず根本は、この福島第一原発の事故原因、この検証、これをやらなければとずーっと言われているんですね。例えば、国会事故調などもありましたけれども、報告書を挙げてからは解散となって、結果、その遺言のようにしてですね、表現は悪いですけども、国会に第三者委員会を作るべきだと提言をした。でぇ、この前の国会でも公明党が一時ね、こういう委員会を作るべきだと言ったのですが、結果としてですね、何だかわかんなくなっちゃった。」
古賀
「そうです。まったく国会事故調の提言というのは生かれないどころか議論さえされていない。あのう、黒川委員長を呼んできて議論したいという話もありますけれども国会で、でも、自民党も民主党もやる気ない。で今、非常に心配なのはですね、今度規制委員会というのが新しくできました。それで何か、神様のような存在ができたように、政府は言っているんですよね。で、規制委員会にお任せしますよと、そう言って全部投げようとしています。ところが、この規制委員会の委員というのは、元々野田さんが選んだ人達ですね。ですから、しかも国会の同意がいるのに同意を得ていない。そして、それをサポートしていくですね原子力規制庁事務局、ここには大量に経産省から紐付きで出向しています。その人達に全部おまかせしますよと言っているんです。で、国会では何の議論もされない。で、このままどんどん行くと、大飯もですね、結局安全性確認されていないのに動いていますよね。私は、あの規制委員会ができらまず止めてくれと、言うんだと思ったんです。我々が安全を確認するだからと。止めてくれ、待ってくれと言うんだと思ったら、いやいやとりあえず動かしていいんだということになってしまっていて、なんとなく今感じるのではですね、自民党も民主党も実は、原発は進めたいと。で、だけどそれは自分たちの手で進るというのはそれはなかなか国民の手前言い難いと。だから、規制委員会に投げましたよと。で、こういうことで都合のいい人達と経産省事務局でどんどん進めてくれればといやいやもう第三者ですからと、一種の免罪符になっているなという形が進行しているなという気がします。いま崖っぷちに来ているなという感じがします。
古館
「そのことも大変大事な重要なものですし、そもそもが今日なんか、自民党と公明党の党首会談があってですね、年内解散を求めることで一致、そして、臨時国会。需要な決め事がいっぱいあると、そのためにはという流れになっているんだけど、どうも一部では、民主党は解散先送りのために臨時国会も先延ばしというよな動きも言われます。断定はできませんが。もしそうだとしたら、何やってんだて感じがしませんか?古賀さん。」
古賀
「しますよね。で、国会の動き見てると、自民党はですね、もう解散したいです。なぜかというと、選挙やれば勝つんじゃないかと。それから、民主党は逆にボロ負けするんじゃないかと、だから解散したくないと。それだけの理由で解散賛成、反対ということで争っているわけです。政策と全く関係ないですよ。政策が対立していて解散したというのであればまだ分かりますけど、政策とは関係ないですね。もうここで私、こうしたらいいんじゃないかと思うんですけど、赤字国債の特例法案は必要なんだからやると。自民党もそんなの取引に使わない。民主党も人質にしないで通すと。それから、選挙制度もですね、一票の格差の問題があります。これも大きな改革を短時間では無理ですから、とりあえず0増5減でですね合意をしていつでも解散できますよと、いう形を作って更にそこから原発問題あります。社会保障の問題あります。早くその議論を初めて、そこで意見が違いますねと。自民党はこうだけど民主党はこうだと。話がつかない、じゃー選挙しましょうということで解散と、こういういう道で解散に行くのが一番いいんじゃないかと思いますね。

原子力規制委員会の中味は、野田氏が選んだ経産省の紐付き出向官僚で、国会の同意はまだ得られていない。与野党は議論もせずにそういう彼らに原発の今後を丸投げしようとしている。この姿は、国民に対する裏切り行為であり、何よりも密かに原発を推進するための工作のようである。これは、反原発に湧き上がる国民の抵抗に合わないための隠れ蓑でもあると思う。反原発擁護をするつもりは全くないが、これが先進国と言われている日本の政治家の今の姿である。そして、彼らを選んだのは有権者の一人である私だ。

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2012-10-03

情報の入手先としてのインターネットとの向き合い方について:日本の大手紙の劣化から思うこと

このところインターネット新聞(有料)や著名人の有料メールマガジンの購読の必要性として、それらに私は何を求めるかということについて考えていた。結論が出たわけではないが、情報の入手先やプラットフォームの開発に伴う変化の多様性にどう自分がアクセスすべきか、書き留めておきたいと思う。

日本の大手紙と言われる四大紙、日経、読売、毎日、朝日の社説が読むに値しないほど内容の劣化が激しいと感じてきていた。これが考えるきっかけとなり、いくつかの疑問や不満からであった。

新聞がインターネットに配信され始めてから久しいが、たとえ一社でも社説は読むべきだと、私の世代の人は、社会科の先生に言われたことがあるんじゃないだろうか。その重要性は言うまでもないが、社会人として社会に目を向け、関心をもつことの意味である。社説をまともに読んでいないと、社会常識が語れないし、教養を問われるようなレベルで比喩されたこともある。英語検定の上級では、Japan Timesの社説くらい理解できないと受からないと言われた程だった。私の祖母や両親は、新聞をとても大切に扱っていたのもその流れだと思う。床に置いてある新聞を跨いだり、踏んづけたりすると叱られたものだった。重要な情報源であったのも確かだ。それが、今や、パソコンを開いてニュースサイトにアクセスすれば、誰でもいつでも読みたい記事が手に入る時代だ。インターネットの無い時代を知る私にとって、PCは、情報の宝庫である。社説に関して言えば、どの新聞社のも読み放題だ。そして、手に入りにくい地方紙だって充実している。昔の話のついでて言うと、例えば、フランスやイタリアの新聞を調べたいと思ったら、大使館まで行ったこともある(その頃は東京在住)。電車に乗り継ぎ、小一時間もかけてやっと辿り着き、目当ての新聞があるかと言えば、ない時もある。本当に時間と労力を費やしたものだった。給料の安い社員が使いっ走りになるのが当然だったし、そうやって仕事を覚えたものだった。それには、それだけの価値があったからだが、長くなるので割愛。

昔はさほど疲れなかったが、最近は、劣化した記事を読むのにとても疲れるようになった。なぜかと、その理由を考えてみたら、文字のとおりに解釈できないからだと分かった。嘘も平気で書き連ねている時もあるが、こちらが情報に疎いと、疑いもせずそれは間違ったまま理解してしまうことにもなる。迂闊でナイーブな私は、社説内容はずっと何年も信じてきた。まさかに嘘までは書かないだろう。そう思っていた。

信者なんてとんでもないことだと認識し始めたのは2005年、「finalventの日記(参照)」と出会ってからだった。

社説の信者だった私にとっては当初、この日記は胡散臭く、時には下品に新聞社を蹴散らすし、ろくでもない人物が書いていると思ったのだった。でも、まんざら馬鹿じゃないというのも一方にあって、時々書籍紹介などが入ったり、誰かの日記を引用しては丁寧なコメントを書いたり。そういう姿と社説に毒づく姿はまるでジキルとハイドのようであった。だが、このように感じていたのは本当に束の間で、2ヶ月くらい経ってからだろうか、妙な親近感を感じた。何の記事だったかは忘れたが、世代的にも同じだし同じ時代の空気で育ったからか、筆者に違和感がなくなった頃社説のコメントをきちんと読んで社説と照らして考えてみようと、やっと真面目な読者への願望に芽生えた。以来、私がそれまで思っていた日本の姿とまるで違う日本に住んでいるという実感が持て、毎日が一層楽しくなった。間違い探しの楽しさでもあったかもしれない。その理解を共有する楽しさでもあった。日本の本当の姿を間違った社説に問うことでバランスできていたのかもしれない。信者だった頃の私は、何者だったのだろうか?戦後の私の世代の悲しさかもしれない。何でも鵜呑みにしなければならないような教育に素直に従っただけだったが、いい年こいて、やっと自分の考えを持てと言われ、持つようになるとはどういうことか、それを考えなおすことができたのもあの大手紙社説への毎日の(殴りこみ)コメントだった。まあ、やっと目が覚めたかもと言ったところだった。もしかしたら、今からでも私のような訪問者がいて、誤認という事態から救われる人がいるかもしれない。

その新聞が最近、有料化になってきている。

先日、Twitterで「日経だけは有料でも読むかな」というつぶやきを目にして、必要性に応じてそれもありかなとは思ったが、有料なら別にどうでもいいや、と反対側では思っていた。その理由は、先に述べた、お金を払ってまで読むに値しない内容だからだ。ところで、「価値がない」と言っているのは私個人の価値観かもしれないが、社説で事実を歪曲したり、わざと書かなかったり、嘘を書くというのは誰にとっても価値を認めるものではないと思う。「finalventの日記」を一ヶ月もさかのぼって調べれば分かることだ。ところで、今日は意図して社説コメントは無し?(参照)タダでも読む価値がないものとは、そういう内容レベルのものを指している。いまさらだが、お断りを入れておく。

そして、新聞社説の話しとは少し前後して、「cakes(参照)」という、デジタルコンテンツのための配信プラットフォームができた(参照)。今までメールマガジンという登録制で、メールによって配信されてくるものとはちょっと違う。因みに、メールマガジンは、私もいくつか登録しているが、個人で運営しているものは一つも読んでいない。

「cakes」は、ジャンルにこだわらず、各方面の方が書かれたものにある程度編集を加え、ネット上で配信される。まだ日が浅いので私自身があまりよく理解できていないが、どういう人達が書いているかと言うと、ネット上で人気のある若いジャーナリストやTwitterで話題になる方などの顔ぶれが多い気がする。ここは新聞とは全く違う情報が並び、自分の関心事であることを誰かが取り上げて書いていないかな?とか、私のように、特定の関心のある「人」の書くものを目当てに登録する人も多いかもしれない。まだ、始まったばかりなので、今後が楽しみな新システムだと思う。読みたい人の書いたものがここにあるのなら、金銭に厭いはしない。むしろ、こんなに安価でいいんですかい?と、その内容の濃さにはお得感がたっぷりある。

また、見識者様が書くコラムなども、はっきり言って、ネット上でこんなに詳しい話が聴ける(読める)るなんて、と感激するほどいろいろな読み物に遭遇できる。特に取り出して分かりやすいのが、元財務官僚で経済学者さんや元NHK勤務の経済学者さん、福島原発の事故の真相を究明すべく、御用学者を論破してしまうジャーナリスト様。おお、私が運営するこのブログだって、日に2500Pvというから、それなりにレシピが広がっている気もするよ。

自分が作者としてこれらのような関わりを持たなくても、私の友人にもいるが、人の書いたものだけを読む専門の人もいる。とにかく、PCを開ければ何かしら見つかる。大昔、丸一日かけて足を使って奔走して一文献拾った時代とは雲泥の差である。そして、長く関わってみると、自分が必要とする情報を見つけるのも速くなってくる。

どうだろうか。ここまで書いてみて、自分の求める情報が簡単に手に入るようになった今、昔ほどの内容もなく、日本人の社会常識を向上させるような崇高な考え方もないような日本の大手紙の社説が今後、どれほど必要とされるだろうか。

「finalventの日記」の読者として、彼がもう少し歯切れよく斬り込める程度の内容、願わくば、本当の事を書く新聞になってもらえないだろうか。仮にそれができなくても、情報はいくらでも他にある今、新聞社の生き残りに期待したいのは、歴史の一部としてここで消滅して欲しくないという寂しさも未練もたっぷりでござる。

先日、以下のように「新聞社の終わり」についてTwitterに落とした。こちらもコピペしておくことにする。

 

2012年10月02日(火)

新聞社の衰退を惜しむわけではないけど、毎日各紙の社説に目を通すことができる今なのに、もう少しまともなことを書かないと読まれなくなる日は近いと思う。それでも新聞をまともに読む人も多少はいるのかもしれないけど、団塊世代がいなくなったら、その時が終わりの時になると思う。posted at 17:11:27

日銀白川総裁が無策で無能というのが日本経済の立て直しを期待する人からの批判だけど、メディアが日銀を批判しない理由もわかる。持ちつ持たれつで、生き残りが切実な問題だもんね。でも、だから新聞から国民は離れると思うんだけど。特にSNSで専門家の情報が湯水の如く湧き出てくるのだし。posted at 17:06:19

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