宮脇淳子女史の生き方にふれて
運命の人との生き様に、「だからこそ私は幸せだ」と、言い切る宮脇淳子女史の話に羨ましさを覚えるような、とにかく胸を揺さぶられた。また、自分自身の今の生き様との比較をすまいといくら言い聞かせても心の隅で、それがどれ程の違いなのかと、その値をカウントしている悍ましさが醜さとしての欺瞞を証明しているのだとはっきり浮き彫りとなった。キツイな、これ。泣いて済ませたい誘惑とでも言うか、その程度の薄っぺらな自分でいたいとどこかで思っているからだろうか、右と左のどちらにするのかと問われているような強迫観念さえ起こった。
宮脇淳子女史と岡田英弘氏は研究者という立場であるが、師弟関係でもあった。宮脇が東洋史、中でもとりわけモンゴル史を志した事で岡田教授との出会いがあったことは少し知っていた。年の差は25才で、二人は最初不倫関係だったが、長い年月の後、幸せな結婚をした。その事の馴れ初めから宮脇は、エッセイとして「THE SEIRON WOMAN―覚悟をもって生きる (日工ムック)」(参照)に赤裸々に書き綴っている(参照)。本書は、「凛として美しく、失敗を恐れないオンナたちからのメッセージ」として、他にも多くの女性のエッセーがまとめられている。その中の宮脇のエッセーを真っ先に読んだ理由は、彼女の人を愛するという姿勢に関心があったからだった。結婚という形に捕らわれるなら、それは、子どもを産んで子孫を残す作業を選ばれた男女が成し遂げるということに尽きるだろう。でも、そういう形ではない男女の生き方があるとしたら、それは結婚である必要のないことだと思っていた。好き合った二人が、婚姻関係になることにどんな意味があるのかとさえ思っていた。だから、結婚は、それは自分の恋愛史の幕を下ろす時。そう思っていたのは私が結婚する前のことで、1970年代の頃読んだ書籍や著者の生き方からなんとなく影響された。
もっと言えば、婚姻関係は、愛がなくても成立する。お見合い結婚とはそういうもので、私の両親よりも上の世代では、恋愛結婚は珍しかった時代でもある。お見合い結婚で、良い人と結婚したと両方が思えばめでたし、めだたし。そう思えないで離婚というケースも多い。岡田氏の結婚はすでに崩壊していたそうだが、そういう結婚の始まり方だったのだろうか、そのへんはよく知らない。そこに現れた宮脇を弟子として可愛がる内に、宮脇も妻子ある岡田氏を好きになったと分かった時、神様に文句を言ったと書いている。分かる、分かる。この苦しさは何かに例えられるものではない。そういう人を好きになったところで、自分との結婚は考えられないし、仮に相手が離婚して再婚を考えてくれたとしても、その婚姻関係が成就するとは限らないし、ともすると泥沼にハマるかもしれないような賭けにもなる。そんな打算をしている余裕がある内は、本当の愛とも言えないだろうなどと小悪魔が耳元でささやき、略奪計画の恐ろしさに震える。
結局、最終的に残るのは、相手をどこまでも愛するという清らかな思いだけである。これが、なぜ「清らかな思い」なのか?
他人を傷つけるでもなく、裁判などと面倒なことに巻き込むことも巻き込まれることもないというだけである。だから、虚しいということでもある。
その清らかな愛というのは、相手との共有の時間も無ければ触れ合うこともなく、ただただその人を思うということのみ。一生、何も手に入らない。例えこれが清らかであったとしても、心にそれを抱えて生きることへの疑問はいつも降り掛かってくる。もしかすると、自分を最も醜く映し出しているのかもしれない。
| 固定リンク
コメント