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2012年9月

2012-09-25

Kibe(キビ)の肉団子(ブラジル料理)

 

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町内にこの春引っ越してきた外国人夫婦とのお付き合いは、6月頃から始まった。知り合ったきっかけは、区内の集まりだった。奥さんのセシリアはブラジル日系三世で、彼女の母上は、ブラジルで生まれた日本人。でも、ブラジル人。父上は、スペインやイタリアの血が混ざっているブラジル人のため、セシリアの顔立ちは正に外国人である。彼女の旦那様はイラン人で、名前はアサヤさん。二人は20年以上前に日本で知り合って日本で結婚し、12才(小学校6年生)の息子くんが一人いる。とまあ、家族紹介はこのくらいにして、今日は、昨日ブラジルに帰国した母上直伝のブラジル料理を記念にここで紹介したいと思う。

 

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私が彼女らと知り合った時にはすでに彼女の母上は来日していて、私の母とは年も近いため、話しているとなんとなく母と話しているような気分になる方だった。日本語は家族の中で一番上手だが、いろいろと忘れていると言っていた。懐かしさもあるのだろうか、私が訪問する度にいろいろな日本の食材のことを聞かれ、昔、ご自身の母上が作ってくれた日本料理を回想しているようだった。逆に私は、ブラジル料理を教えて欲しくて、一つ峠を越えた塩尻市にあるブラジル食材店からいろいろな材料を手当たり次第に買ってきては、料理の手ほどきを受けていた。日本のおかずと時々交換したり、楽しいひと時だった。

 

その母上が昨日、帰国してしまった。私が焼く、フランスパンがお気に入りで、週に一度は焼いて届けていたが、早くから、帰国する時はお土産に持って帰ると楽しみにしてくれていた。昨日は、焼きたてのそのフランスパンと、大好きだと言うので、出来上がったばかりの杏梅の梅干しとミョウガの甘酢漬けを届け、さよならをしてきた。名残惜しい気持ちが湧いて口をついて出てきた言葉は「また、日本に来てね。」だった。この言葉がいけなかった。母上は「私はもう歳だから日本に来ないかもしれない。」と寂しそうな顔でそう言った。私が余計なことを言ったためにそう言わせたようなものだった。馬鹿馬鹿、自分。余計なことを言ったものだ。母上が涙ぐんでしまった。私も同時にもらい泣きしてしまった。親戚でも何でもないただの近所付き合いだが、食を通して楽しい時間を共に過ごすというのは何か、特別な絆ができるものだと改めて思った。また、母上にしてみたら、高齢というのもあって、二度と来日するチャンスはないかもしれないと言うのが本音だと思う。この私ですら、この年で海外に出ればそれが最後のチャンスとなるかもしれないと、そう思うのである。「これが最後」と思うと、名残惜しさというよりも、生きて会うのが最後を思い知る別れでもあった。その涙であった。

 

さて、助走はこのくらいにして、料理の話に移ることにしよう。

 

Kibe(キビ)というのは、ふすまの付いた小麦の粒を挽き割ったもののことで、どうやら、中東からの移民とともにブラジルに運んでこられた食材らしい。今日の肉団子はブラジル料理といっても、中東のケバブのようでもある。

   

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ブラジル食材店でよく見かけるファーストフードコーナーでも、温かく保温した容器で売られている。他には、鶏の丸焼きやPastel(パステル)という揚げパイのようなスナック、ポンデケージョ、コシーニャというブラジルコロッケ(レシピ参照)なども一緒に並んでいる。この肉団子の特徴は、水で戻したKibeと牛肉のひき肉を練り合わせ、にんにくやピーマンなどを刻んで塩と胡椒であじつけし、よく練り合わせて俵型に整形して揚げるシンプルさである。好みで、クローブやシナモンを少し加えて香りを味わうのもいい。Kibeと牛肉の割合は、半々か1対3くらいが適量。Kibeの量が多いと、慣れないと肉団子が破裂しやすいが、多い方がKibeの風味が良くなるし、ヘルシーでもある。今日は教えてもらったとおり、半々で混ぜた。また、卵や片栗粉のようなつなぎは一切加えないので、牛肉をよく練り上げておく必要がある。材料を混ぜる前に牛肉をほぐすように練り、味付けをしてから刻んだ野菜とKibeを混ぜ合わせると上手く行くと思う。

 

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このKibeの入手先だが、ブラジル食材店はもちろん、都市部なら外国食材店で「Yoki」製が多く売っている。

 

セシリアの母上の置き土産となってしまったこの肉団子レシピ、今後も時々思い出しては作ることになりそうである。

 

材料(3人分)   
牛ひき肉・・250g   
Kibe・・50g   
水・・200cc   
赤ピーマン・・みじん切り1個分   
ピーマン・・みじん切り1個分   
塩・・小さじ1   
胡椒・・適宜   
にんにく・・みじん切り1片分   
クローブ・・少々   
シナモン・・少々   
揚げ油・・適宜

 

作り方   
1.  ボールでKibeを200ccの水で約1時間戻す。

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2.  にんにくとピーマンをみじん切りにする。   
3.  ボールで牛ひき肉をほぐしてよく練り合わせ、塩と胡椒、クローブ、シナモンを混ぜ合わせる。   
4.  1のKibeをキッチンペーパーなどで包んで水気をよく絞り、3に混ぜ合わせる。   
5.  6等分して俵型に形を整えながら、手のひらで叩くようにしてできるだけ空気を抜く。

   

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6.  揚げ油を160度に温度を上げ、少量ずつ順に上げて出来上がり♪

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2012-09-23

今後の日本の防衛について

昨夜は寝付かれなかった。尖閣諸島にまつわる日中の緊張が和らいだとも思えず、いろいろな思惑が頭の中をめぐり、いつまでも目をつぶったまま結論の出ない思考を繰り返していた。言い換えると、これからが本当の外交力を問われるのだということを私個人としても問われるのだと認識した。起きたら、少し情報整理をしてみようと思えた頃、なんとなく眠りについたようだった。

クリップした情報で気がかりだったのは、産経が報じた「日米、グアムで「離島奪還」訓練を公開 「特定の島、想定せず」」(参照)のタイトルにもあるとおり、「離島」を意識した訓練を強調して報じているからだった。

陸自と米海兵隊の共同訓練はこれまで、米西海岸や、日本国内の山間部の演習場で行われてきたが、初めて離島を使って実施。参加部隊も米側が沖縄に司令部を置く第3海兵遠征軍(3MEF)、日本側が九州と沖縄を管轄する西部方面隊で、尖閣諸島など南西諸島を強く意識させる内容となった。(共同)

太線部分を強調したいのは共同通信社であり、現実の尖閣諸島に領有権の問題は存在しないというのが日本のスタンスで、仮にも「想定」した訓練などと報じるのは政府の足を引っ張ってわざわざ中国と係争しようという意思表示をしているような印象を読み手に与えている。これは、洒落にもならない報道であるといささか憤慨した。

そして、この報道からと言うよりも、米国がアスプリ(オスプレー)を沖縄に配備する計画を一歩も譲らない点がかねてからの気がかりだった。産経の内容からすぐさま連想したのは、沖縄からの海兵隊出動の利便性も、配備計画の理由の一つにも考えられる点だ。が、米軍の配備計画の本当の目的は、日本政府には知らされていない向きもあり、だからか、政府の日本国民への説明も「安全性」のみに一貫されているようでもある。だが、安全性を確認したと日本政府が何万回言っても、「絶対」はない。これだけの反対を押し切って、仮に市街地で事故でも起きれば、日本国民全体が米軍基地に対して反対するだろうと想像する。その意味は、日米安保がギクシャクすることにもつながる。そういった懸念は、私だけではないと思う。それでも日本政府が配備を促進せざるを得ないとしたら、米軍の理由は何か?

その答えが少し香ってきたのは、ウオールストリートジャーナル日本語版の記事、「日中の領土問題への対処に苦慮する米政府」だった(参照)。長い記事だが、以下がその部分だった。

バーガー教授は、米国が支援に消極的だと日本が感じた場合、日本が弱腰になるのではないかとの懸念を示す。同教授は「そうなれば、日中対立が激化した場合よりも、東アジアにおける米国の国益は長期的にははるかに大きなダメージを受ける」と警告。さらに「中国が日本に対し高圧的 な戦術を使って、自己主張を通すことになれば、フィリピンなど東南アジア諸国はどう対応することになるのだろう」と疑問を投げ掛け、「そういう事態になら ないようにするため、米国は過度に公平なアプローチを修正し、日本を支援すべきだ」との見方を示した。

領有権問題に過度に触れず、かと言って日本を放り出すでもなく、支援しながらフィリピンなど東南アジア諸国を中国の主張から守ることは米国の国益だと述べられている。因みにこの記事は、2012年9月18日の柳条湖事件記念日に中国各地で起きた反日デモと、暴徒化した民衆が日本企業を襲撃した翌日の日付で、まさに、米国の日中領土問題への対処に苦慮が報じられている。そんな記事の中に、まさかに米軍のオスプレー配備の本音がポロリと出るとは思わなかった。(ああ、これは私が「しめた!」と、舞い上がっただけですが。)

さて、この記事のとおり、日本の自衛隊が「離島を意識した訓練」をしたのは、米国自らの国益としてフィリピンや東南アジア諸国を中国の乗っ取りから守り、米国の防衛のためでもあるが、日本もこれに賛同せよという事ではないのか?つまり、日本に中国が領有権を盾に攻めてくれば、アメリカに守ってもらうのと同じように、フィリピンや東南アジア諸国の平和を維持するのも同一スタンダードということだ。断り書きを入れておくが、この私の考えには、戦争問題を解くための駆け引きも何もない、極ナイーブな素人の思考に過ぎないが、誠実に事に当たるとすればそういう解釈が成り立つというだけだ。

「日本もいよいよ戦闘に参加するのか。」と、率直に思いたくなかったがため、夜中に脳内で葛藤していた。でも、現実には、訓練の様子を伝えていた記事の画像にあったような戦闘体制になる可能性は尖閣諸島にではなく、東南アジアの島国で起こる可能性は大きい。

と、ここまで愚考を進めて一旦終わりにしようとしたところ、私が布団の中でもがいている間に他所で考察は進み、どうやら確実な裏付けを得たようだ。

「日米による離島防衛上陸訓練に関連して」(参照)というタイトルをつけて離島防衛先や、その背景となる中国の野望についての引用も公開されている。重要事項として抑えておきたい。是非、参照されたい。

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2012-09-22

日本語が崩壊しているのか?それとも、私がアスペルガー症候群なのか?

いきなりこのようなうタイトルをつけると、何か、病的なものを診断するのかと思わせてしまうかもしれない。大丈夫。誤解なきよう先に少し説明すると、実は、他所で昨日、日本語の会話がつらい時の話が取り上げられていて(参照)、私は、そこを読んで二つの事を思っていた。一つは、外国人の拙い日本語を理解するときに使う推察力のこと。現実に起きていることから推察して何が趣旨なのか判断して受け答えする、ある意味特殊技能的な会話術のこと。もう一つは、私の息子に以前疑ったアスペルガー症候群のことであった。後者については、息子の名誉にも関わることなのであまり詳しくは書くべきじゃないと思ったが、実は、息子にアスペを疑った私が、実は、常識観念的には問題があるのかもしれないと思っていることなので、軽く触れて書いておきたいと思った。但し、上手くまとまめられていないので、文章が散漫になるかもしれない。ただ、今回は、書き留めておく良いチャンスだと思ったので、とりあえず筆を走らせている。

まず、前段の一つ目に挙げた、特殊技能的な会話術について。外国人の日本語と言っても流暢なレベルとそうでない、単語を並べたようなレベルがある。ここで取り上げるのは後者の方。例えば、最近身近に起きた例を挙げると分かりやすいかもしれない。

私は、ご近所から沢山の茄子を頂いた。新鮮な内に食べようと思ったら我が家ではとても食べきれない量だし、そうだ、近所の日系ブラジル人のセシリア(因みにご主人はイラン人)に食べてもらおう。そう思って袋に茄子を詰めて届けに行った。彼女は不在で、代わりにご主人のアサヤさんが応対してくれた。その時の会話がこうだった。


私 「ご近所から沢山茄子を頂いたので、おすそ分けに来ました。茄子は、食べますか?」
アサヤ 「あ、うちももらったよ。ちょっと待って、出してくるから」

この時点で理解できたのは、茄子はもらったから彼の家にもたくさんある。だから、私のはいらないということ。でも、「ちょっと待って」って、何故だろうか。出してきて見せてくれなくてもいいからね、と思っていた。待っている間、彼の言葉の意味は何なのか、何を待っているのかさっぱり分からないまま待っていた。

彼は、自分の車から大きな袋を二つ抱えて戻ってきた。そして、こう言った。
アサヤ 「車に忘れていたから持ってきた。」
私 「茄子を食べてもらいたくて持ってきたんだけど、沢山あるからいらないよね?」
アサヤ 「一つあげる。」

私は、自分が持ってきた茄子を彼に渡し、彼からは、もっと大きな袋に入った茄子を渡された。現実に起きたことと、彼との会話はとても結びつかなかったが、彼が意図したことは、私の茄子と、彼がもらってきた茄子を交換しようということだった。最後に私が、「交換するの?」と聞いて初めてそれが分かった。彼にしたら、彼の意志を日本語で説明するのが難しかったようで、おそらく、行動で示した方が速いと判断したのだろうと思う。

さて、こちらのご夫婦とは最近お付き合いし始めたのだが、日系ブラジル人のセシリアとイラン人のご主人の二人の会話はと言うと、殆どが日本語なのである。でも、私にはそのやり取りが理解できないことが多々ある。隠語だらけで、何がなんだかさっぱり分からない。さっきの茄子の会話のように、茄子をもらって欲しい私への返事がなまずなかったように、こちらの意図が伝わったかどうかも怪しい内に次の茄子の交換という意志さえも読み取れなかった。そと同じようなパニックに陥ることは儘ある。でも、ご夫婦には、一緒に暮らしてきた年月から、慣用的な日本語がきっと脳内に培われているに違いない。不完全な文法の日本語でも、その不完全さに逆に一定のルールがあって、二人の間では通じ合えるのだと最近わかってきた。問題は、この会話を理解しようとする私は、会話中の主語を探し、意図としての動作を見て言葉の理解が適っているかどうかを確認する作業を課せられている。これを素早く脳内で行うのは、アスペに見られるような特定の事象への「拘り」なのだろうか?という疑問である。というのも、毎回の会話でへとへとになってしまうからだ。

英語も少し通じるので、英語で会話を始めると、セシリアは単語を拾って理解しようとしてくれるが、アサヤは英語は殆どできないので、セシリアが彼女の日本語で彼に説明するという変な現象が起こる。だったら、私が初めから日本語で喋ればいいのではないのか?うーむ。とても悩ましい。これは、彼女らともう少し交友が深まれば自然に会話に慣れてくるということなのか?それに多いに期待したいところだが、私は、会話を理解するのにどうしても主語を見つけ、何を意図しているのか目的を知ろうと、困憊してしまうのである。

アスペ判定は如何に?昨日のブログのエピソードを読んで悩んでしまった。

もう一つの気がかりは、息子の一種の癖に関してで、物をいろいろなところに押し込んで片付けるという癖のような行動に、どう理解を示したらいいのか分からなかったことだ。

息子が東京の大学に入学する春のこと、私は、この件で彼を精神科に連れて行った。勇気のいることだった。長時間の心理テストの果てに得た診断は、知能指数は普通よりも高く、思考に問題があるとは認められないということだった。この時は、診てもらった医者を間違えたのかと思った。何を心配したかと言うといろいろあるが、特徴的なのは先に挙げた、物をしまい込む癖だった。

例えば、毎日お弁当を作って持たせていたが、時たま、友人とコンビニでも行って何か別のものを買って食べたくなったとしよう。彼は、お弁当を持っている事を忘れるからか、無視して別のものを食べたいくなっただけなのか、とにかく、何かを買い食いする。そこでお弁当が残る。これを持ち帰って自室の押入れや物入れにとりあえず仕舞い込む。この日の処理はこれで終了。また別の日、同じようなことがお昼に起こり、手付かずのお弁当を持ち帰る。いつかのお弁当処理と同じように、どこかに仕舞い込む。このようなことが連続し、妙な匂いにある日私が気づいた時は、彼が固まって貝のように口を閉じてしまうまで私の怒りが飛ぶ。この時は、私は病気になるかと思うほど神経をすり減らして彼を理解しようとしたが、彼の行動の本当の意図は分からなかった。たまたま病院で測ったら、血圧が上が157、下が98だった。平常時では低血圧気味の私には辛かったあの日々を思い出すが、自分がアスペなのか、息子の変な癖がおかしいのか分からない。

初めは息子は、お弁当を食べなかった事を隠蔽するために仕舞いこんだのかと思い、日頃、叱りすぎているせいかと反省もした。が、こう何度も同じことが続くと、息子にはアスペのようなものがあってそれがこういう行動となるのかと疑った。もしもそうだとしたら、親の私がそのことを知って彼の理解者にまずなることだろう。そうでもなければ、東京生活で彼は周囲と揉め事を起こすのではないかと心配した。それが、彼を精神科に連れて行った理由だった。と言っても、彼を納得させて連れて行くのにかなり話をした。仮に騙して連れて行っても、それは受診の時にもう一波乱起こることになる。だからだった。私のためだからと言って、頼んだ。渋々だったが、受信することに何ら躊躇することもなく、行くとなったらその足取りは軽かった。

結果、何も新発見はなかったが、二人で心理テストを受けたことや、何よりも精神科医に診てもらうというハードルを二人で越えたということへの達成感のようなものが私にはあったが、息子は、面倒なことに付き合ってやれやれと、疲れていたようだった。私が頼んだのだから確かにそうだったと思う。

とてもまとまらない内容になってしまったが、もう少し頑張って書くことにする。

「アンとサリーのテスト」で、前述のような息子と格闘した日々が蘇ったのである。私が隠されたお弁当を探す点で、筆者と同じような論理を引いていた。

「不確かな状況で不可解なことが問われるというときは、その状況から起きるべき事態と関連人物の行動パターンの可能性の事例をいくつか推測するんだ。この場合だと、ビー玉を探せという不可解な問いかけに対しては、アンがビー玉を隠すというのが一番ありそうなことだと思うね」

私なりに解釈すると、息子の行動パターンから、押入れや物入れ、バッグ、布団の下など、彼がしまい込みそうなところを探すと、必ず一つや二つ出てくる腐ったお弁当。そのことで私は、彼の行動パターンを学習し、探すのに苦労はしなかった。である。

この結果は、結果であって当初は違っていた。

息子がお弁当を残し、それをどこかに仕舞い込んでいるとは疑いもしなかった当初、見つけた私は即座に、息子はお弁当を食べなかった事を隠蔽したと判断した。親に叱れれて嫌な思いから逃れるために子どもが働かせる知恵だと思っていた。が、何度かこのことを繰り返す息子に、別の理由を疑いはじめたのがアスペだった。でも、息子にしてみれば、隠したのではなく、仕舞ったと言うのである。嘘でもなさそうだった。罪の意識は、息子からはあまり感じられない。彼に何が起きたというのか、親としての悩みは深かった。が、そういう彼なのだと、時間の経過と供に受け止められるようになった。否定したり頭ごなしに叱ることは全く逆効果になるし、私の精神状態がおかしくなるので、一旦棚上げした。

現在、彼は、東京に長男と一緒にマンションで暮らしている。先日、長男からこんなことを聞いた。「〇〇は、ゴミの袋を押し入れに仕舞い込むんだよね。」私は、ああ、またあの変な癖が出たのか、と思って聞いた。そして、念のため、押し入れを開けてみるとゴミの袋が置いてあった。これがそうなのかと長男に聞くと、「あ、それ僕の。」だって。何故、押入れに仕舞い込んだのか聞くと、長男の理由は、部屋に置いておくとショウジョウバエが湧くからというのである。それって、小学生程度の言い訳でしょと言うと、苦笑いしていた。つまり、母親が帰るまで隠しておいただけの話だった。これはごく普通にわかることだ。

話が長くなったが、書きながら少し自分の過ちに気づいてきた。日常の一見オカシイと認定してしまう自分の尺度にも問題があり、物事を観て判断する時、常識観念に捕らわれていることに気付かず、他人の言動に問題があると思いがちなのではないかと思った。

アンとサリーの件でも、書いてある事を客観視すると、箱にビー玉が移されている事を認知した上で設問されているので、当然、箱を最初に疑うべきだと回答する。だが、絵の状況に入り込んで自分がサリーになってみると、留守中にアンがビー玉を箱に移したことは知らないわけだ。つまり、最初からアンが隠したとは疑わないはずだというのが常識的な見方だとすると、私は、「あなた、最悪ね」と言われるのは、人を直ぐに犯人扱いする疑い深い人という意味だろう。最初から、アンが隠したと疑ってかかることが最悪だと認定されてしまったのではないだろうか。猜疑心の強い人は、人をいつも疑ってかかるという常識観念でもあるのだろうか。または、「猜疑心の強い人」と認定されてしまっているのか。

「アンとサリーのテスト」では、この話に入り込めるかそうでないかで視点が違うし、その前提条件を共通理解しない上で意見交換すると誤解が生じる。話を客観視出来る人は、初めから箱に入っていると観ているので「箱を探す」と、答えるが、話に入っている人からは、人を疑ってかかる人という偏見で見られる。そういうことではないだろうか。そして、これがアスペ認定のある一定のラインのどの位置なのか、気にはなるが、そういう新たなラインから尺度を持つよりも、人は何らかの理由で自分とは異なるのだという点と、自分特有の癖として具体的に知っていおくことは、他人とのコミュニケーションを少しでも円滑にする要因になると思った。

このことが、息子を私がどう見守るかの「鍵」になった事は言うまでもない。テーマとしてあがったことに感謝したい。

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2012-09-21

尖閣諸島を国営化した日本政府の本当の理由

野田政権による尖閣諸島の国営化は、中国共産党内部の権力闘争の格好の踏み絵となった。毎年恒例となっている中国の柳条湖事件記念は、今年は、特に壮絶な事態を招いたが、終わってみると、中国政府の権力闘争に中国人民の反日感情を上手く利用したのもだった。その手口に使われるのは見え見えで、野田政権はわざわざそれをこの記念日の直前に実行した。ニュースで知った時は、何をいったい考えているのかと、腹も立った。こう言ってはなんだが、偽政者とはいえ、意図していないはずもないとその理由を探した。

 

保守的な面から言えば、中国共産党大会を目前に控えているこの時期でもあり、中国が領有権を主張する尖閣諸島をわざわざこの時期に国営化するのは、中国感情を逆撫でして刺激してしまう馬鹿げた行動でしかない。仕返しがどんだけ返ってくるかと身構えるか、机の下に潜って丸くなってじっとしているしかない。と、それくらい不安を煽られた。だが、そうも言っていられない。ここは冷静に見守ると同時に事態を静観し、野田政権の尖閣諸島国営化が意図的に中国に先手を打ったに違いないと、そう信じてみようとまで思った事だった。これは、冗談ではなく、あのような緊迫した状態が意図的ではないとは信じがたかった。何らかの意図が政府にあり、あそこまでズタズタに破壊された中国の日本企業の姿を見るには、政府の意図的な外交手腕をもって正当化する以外なかった。結果は見えている、あくまでも途中経過なのだと自分に言い聞かせていた。その意図とは何か?ずっと気がかりではあったが、一連の暴動が収まってみると、野田政権の尖閣諸島国営化に踏み切ったことは悪くはなかったのだと振り返ってみた。

 

胡錦濤国家主席は親日派として君臨してきた。中国のNational電気を絶賛し、日本の技術を中国に教えて欲しいと言って、中国の近代化のために日本とは良い関係を築いた人物でもある。そのPanasonic工場を破壊する映像を見た時、これは反胡錦濤の仕業で、胡錦濤政権に反目し、権力の略奪を目論む者の仕業だと確信できた。ところで、ここでの権力闘争は、国家主席の椅子を狙うということではなく、中国を動かすトップの9名の椅子である。胡錦濤氏がこの椅子を7つに減らすという声明を少し前に発令したが、次期国家主席に内定している太子党の習近平氏にとってはたまったものではない。権力を握るトップであるにもかかわらず、自分の派閥から指導者の椅子がもらえないとあっては奪い取らねばというわけだ。国家の主席にもなろうかという人物が、椅子取りゲームのような感覚で委員会?とは思ったが、これはかなりまともな論理性に基づくものらしいことを知った(参照)。その胡錦濤氏は、今秋の第18回党大会などで共産党総書記と国家主席を辞めた後も中央軍事委員会主席に留任する可能性が大きいらしい(参照)。習新政権にしばらく睨みを利かしていたほうが、ないよりはマシな気がする。このままで行くと、習氏は、反親日かもしれないし。

 

さて、お隣の中国がその程度ではあったが、野田政権が尖閣諸島の国営化をやってしまったツケも大きかった。あの松下幸之助と鄧小平氏がにこやかにならんでいた映像は、当時、中国と日本の友好の始まりだと確信を持たてくれたのも事実であった。それがどうだろうか、Panasonic中国工場がズタズタにされた時は涙が滲んだ。虚しくなった。が、野田政権の判断をいつか、良かったのだと言える日が来るだろうかと期待もあった。が、最後の最後まで疑問として残ったのは、野田政権の尖閣諸島国営化の意図だ。これが何であるかによっては、中国と日本の将来の展望も抱けるというもの。物事は良い方向に向かうようにするものでもある。が、それがどうもあまり期待できないことが、つい先程判明した(参照)。それもNHKだけが報じているし、今頃なのである。情報操作したでしょ?ま、読めばわかること。(NHKは、後で直ぐにソースを削除してしまうので、あえて全文引用することにした。)

 
   

尖閣国有化直前 日中のやり取り判明

   

9月20日 21時55分

   

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玄葉外務大臣が、沖縄県の尖閣諸島の国有化について、先に中国の楊外相と意見を交わした際、「東京都の石原知事による購入を阻む唯一の方法」などという表現も使って、中国側から理解を得ようとしていたことが分かりました。

   

政府は、今月11日に沖縄県の尖閣諸島を国有化しました。    
これに先立つ今月8日、ロシアのウラジオストクで開かれたAPEC=アジア太平洋経済協力会議の首脳会議の夕食会の場で、玄葉外務大臣は、中国の楊外相と短時間、ことばを交わしました。      
政府関係者によりますと、この中で玄葉大臣は「自分は日中関係は非常に大事だという考えで対応してきており、そのことだけはくれぐれも誤解のないように理解してほしい」と述べました。      
そのうえで尖閣諸島の国有化について、「自分や野中広務元官房長官のように日中関係のことを真剣に考えている人はこの方法しかないと考えている」と、中国との関係が深い政治家の名前を挙げたうえで、「日本政府による島の購入が、東京都の石原知事による購入を阻む唯一の方法だ」とも述べて、中国側の理解を得ようとしていたことが分かりました。      
これに対し楊外相は、「いかなる形であれ、中国の領土主権を害する行為を中国政府は受け入れられない。中国は断固たる措置を取る。日本政府によるこのような行為は、一部の日本国民、特に右翼の関心に応えるために行っているものだ」などと繰り返し主張したということで、両者の溝は埋まらなかったということです。      
この翌日には、野田総理大臣が中国の胡錦涛国家主席とおよそ15分間ことばを交わし、胡錦涛国家主席が「島の購入は、いかなる形であれ違法かつ無効であり、われわれは強く反対する。野田総理大臣には、大局的な観点から誤った決断をされないようにしていただきたい」と述べたのに対し、野田総理大臣は「尖閣諸島は歴史的にも国際法上もわが国固有の領土であり、われわれはこれを有効に支配している」と述べました。      
19日夜、野田総理大臣は尖閣諸島の国有化に抗議する反日デモが中国各地で続いていることについて、「国有化するということを、再三、いろいろなルートを通じて中国側に説明してきた。一定の摩擦は起こるだろうとは考えていたが、想定を超えている」と述べています。      
玄葉大臣と楊外相のやり取りからも、日本政府が、尖閣諸島の国有化について、事前に中国側の要人に対して直接説明することで理解を得ようとしたことがうかがえますが、当初の日本側の想定以上に中国側の反発は強いものになりました。

 

中国が椅子取りゲームなら日本は何だろうか?石原さんと張り合ってどうすんねん?これ、本気だったみたい、トホホですよ、まったく。石原さんに渡したくないから政府が買うんだけど、いい?って、どの面下げて中国に頼んだかなぁ。バカじゃね。NHKがこれをあの怒涛の最中で報じなくてよかったよ。さもなくば、私は沸騰して蒸気を逸して破裂していたよ。

 

とても言葉では言い尽くせない気持ちはあるが、今、野田さんは日本の首相であるし、その野田さんの足を引っ張るような事をしても何のためにもならない事は十分承知している。例え私がどういう意見を持とうと、野田さんが首相であることに変わりはない。頑張ってもらうしかない。応援するしかない。頑張れー。

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2012-09-15

宮脇淳子女史の生き方にふれて

運命の人との生き様に、「だからこそ私は幸せだ」と、言い切る宮脇淳子女史の話に羨ましさを覚えるような、とにかく胸を揺さぶられた。また、自分自身の今の生き様との比較をすまいといくら言い聞かせても心の隅で、それがどれ程の違いなのかと、その値をカウントしている悍ましさが醜さとしての欺瞞を証明しているのだとはっきり浮き彫りとなった。キツイな、これ。泣いて済ませたい誘惑とでも言うか、その程度の薄っぺらな自分でいたいとどこかで思っているからだろうか、右と左のどちらにするのかと問われているような強迫観念さえ起こった。

 

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宮脇淳子女史と岡田英弘氏は研究者という立場であるが、師弟関係でもあった。宮脇が東洋史、中でもとりわけモンゴル史を志した事で岡田教授との出会いがあったことは少し知っていた。年の差は25才で、二人は最初不倫関係だったが、長い年月の後、幸せな結婚をした。その事の馴れ初めから宮脇は、エッセイとして「THE SEIRON WOMAN―覚悟をもって生きる (日工ムック)」(参照)に赤裸々に書き綴っている(参照)。本書は、「凛として美しく、失敗を恐れないオンナたちからのメッセージ」として、他にも多くの女性のエッセーがまとめられている。その中の宮脇のエッセーを真っ先に読んだ理由は、彼女の人を愛するという姿勢に関心があったからだった。

 

結婚という形に捕らわれるなら、それは、子どもを産んで子孫を残す作業を選ばれた男女が成し遂げるということに尽きるだろう。でも、そういう形ではない男女の生き方があるとしたら、それは結婚である必要のないことだと思っていた。好き合った二人が、婚姻関係になることにどんな意味があるのかとさえ思っていた。だから、結婚は、それは自分の恋愛史の幕を下ろす時。そう思っていたのは私が結婚する前のことで、1970年代の頃読んだ書籍や著者の生き方からなんとなく影響された。

 

もっと言えば、婚姻関係は、愛がなくても成立する。お見合い結婚とはそういうもので、私の両親よりも上の世代では、恋愛結婚は珍しかった時代でもある。お見合い結婚で、良い人と結婚したと両方が思えばめでたし、めだたし。そう思えないで離婚というケースも多い。岡田氏の結婚はすでに崩壊していたそうだが、そういう結婚の始まり方だったのだろうか、そのへんはよく知らない。そこに現れた宮脇を弟子として可愛がる内に、宮脇も妻子ある岡田氏を好きになったと分かった時、神様に文句を言ったと書いている。分かる、分かる。この苦しさは何かに例えられるものではない。そういう人を好きになったところで、自分との結婚は考えられないし、仮に相手が離婚して再婚を考えてくれたとしても、その婚姻関係が成就するとは限らないし、ともすると泥沼にハマるかもしれないような賭けにもなる。そんな打算をしている余裕がある内は、本当の愛とも言えないだろうなどと小悪魔が耳元でささやき、略奪計画の恐ろしさに震える。

 

結局、最終的に残るのは、相手をどこまでも愛するという清らかな思いだけである。これが、なぜ「清らかな思い」なのか?

 

他人を傷つけるでもなく、裁判などと面倒なことに巻き込むことも巻き込まれることもないというだけである。だから、虚しいということでもある。

 

その清らかな愛というのは、相手との共有の時間も無ければ触れ合うこともなく、ただただその人を思うということのみ。一生、何も手に入らない。例えこれが清らかであったとしても、心にそれを抱えて生きることへの疑問はいつも降り掛かってくる。もしかすると、自分を最も醜く映し出しているのかもしれない。

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2012-09-01

A talk about infinite scandal of neighbor.

とうとう野田さんは国会で一人ぼっちで採決を待つ身になったのか・・・でも、まさかね。そう高をくくっていたら本当に問責されちゃった!(原文参照分かりやすい解説)ほいで、ここで自民党の馬鹿さ加減には呆れもしないぞと頑張ったけど、とうとう頑張りきれずに切れた。それは、昨日だった。

党の総意としてアレほどの馬鹿は演じたものじゃなく天然だわと半分以上お笑い種だったけど、自民党員の中には、この問責を出す党の矛盾に個人的に憤慨して書く人もいるんじゃないかとネットをググってみた。一人いた(参照)。自民党議員のブログだった。真相がこそっと書いてはあるが、読んで驚いたのは、その理論が破綻しておって・・・、その上で問責の矛盾を矛盾じゃないと言い張っている苦しい言い訳が書き連ねてあった。終いには、哀れでならなかったよ。

自民党を出て清々した小沢さんは今の民主党を築き、こんな政党にするつもりじゃなかったと、またしても出ていった。そして、二の次と評判の「国民の生活が第一」という党名の党首になっている。これが結構強かで、選挙戦ではどんな手を使うかとそれだけを楽しみに毎日新聞に目を通している。失礼、毎日、新聞に目を通している(でもないか)。今回の選挙ではどうするか?小沢さんは党員200人を既に用意しているらしい(参照)。ということは、小選挙区300人比例区180人の定員に対して200議席はぶんどる、と。みん党のように、選挙協力体制を多党と組むなんて助平な根性では共倒れするとわかっている。相互依存を回避するのが得策、ってなもんで、同じ選挙区で切磋琢磨し、小選挙区と比例区で2議席を確保するという戦術なんだと思う。そして、せっかく築いた民主党は今や敵。

歯をむいた狼は、外山という議員を立て、「河野談話」にケチを付けて野田政権にダメージを与えようとした(参照)。こんな昔のこと、ではあるが、とても重大な内容を持つため、繊細な扱いが必要ではあるし、なんだか嫌な予感も少しあった。そして、翌日の参院予算委員会では、次のような展開となった(参照)。

  「国民の生活が第一」党の外山斎議員は「慰安婦が強制動員された証拠は全くない。歴史を歪曲する談話をなぜ踏襲しなければならないのか」という妄言で質問を始めた。野田佳彦首相は「歴代政権も河野談話を継承してきたし、基本的に私たちの政権も継承する」と答えた。しかし「従軍慰安婦を(日本軍が)強制的に連行したという事実は文書では確認されていないし、日本側の証言もなかったが、慰安婦に対する意見の聴取を通じて談話が出てきた」とし、強制性の証拠がないことを強調した。
  「証拠はないが談話は継承する」という態度は07年の安倍内閣以降の日本政府の基本立場だが、首相が公式的な席で明らかにしたのは異例だ。
  これに対し外交通商部の趙泰永(チョ・テヨン)報道官はこの日、「日本の首相および閣僚が日本軍慰安婦動員の強制性を否定するような発言をしたことに対し、深い失望を禁じえない」と述べた。

私の読み方が間違っていなければ、外山氏は、文脈を読み違えているか、歴史を歪曲することにもなると思った。  「証拠はないが談話は継承する」という部分が野田さんの矛盾点だと突っ込んでいるが、この部分だけを取ると、証拠がないのは強制連行の事実にのみで、慰安婦は存在し、日本軍兵士の相手をしたことの事実は事実ではないだろうか。野田さんの答弁に矛盾はないと私は理解している。野田さんの答弁が誤解された原因は、単純に「基本的に私たちの政権も継承する」とだけ、まるで誰かが書いたセリフを棒読みしたような答弁をするからとは思った。が、当の野田さんは、外山氏に誤解だと反論するほど慰安婦問題を知らないのかもしれない。とも思った。

で、最後になったけど、お隣の噂話ね。

外山さんが河野氏を国会に招致して質問するという話が持ち上がった直後、こんなニュースが産経から流れたのだよ(参照)。

小沢氏が「領有権放棄」表明と韓国のテレビが報道 真偽不明 2012.8.30 00:55 [韓国

韓国紙、東亜日報系のテレビ局「チャンネルA」は29日、島根県・竹島(韓国名・独島)の領有権問題に絡み、2009年12月にソウルを訪問した当時の民主党幹事長、小沢一郎氏(現「国民の生活が第一」代表)が李明博大統領に「自分が総理になれば(竹島の)領有権を放棄する」と述べていたと報じた。真偽は不明。

小沢、李両氏の会談に関与した外交消息筋の話としている。小沢氏は一方で、島根県の漁業者が竹島周辺で操業できるように求めたという。(共同)

もちろん、こんなのはデマに決まっている!って分かったけど、誰がなぜ、何のためにこんなデマを飛ばす必要があるのか、全く理解できなかった。

上の引用記事をこうやって並べて書けば誰だって察しはつくと思うけど、私の頭の中は日々、シリア、選挙、領有権問題、夕ごはんの献立、犬のことで頭が回っていて結びつかなかったのだよ。さっぱりわからない、とTweetしたら、小沢さんを尊敬するってプロフに書いている知らない人物からこんな風に教えてもらった。

小沢新党が、慰安婦が強制連行だったか再検証すべく当時の関係者の国会招致を要請した途端に、韓国メディアが小沢氏について真偽不明の怪情報を流した。 小沢氏はこれを否定。要は慰安婦問題の再検証をされたくない韓国(というか統一邪教)によるデマだと思います。正義の味方ラウンジ (無糖炭酸水ウマー)‏justice_lounge

言われてみればそうだとは思うけど、この理由が私の脳内に候補としても上がらなかった理由は、つまり、その、お隣がここまで高性能の瞬間湯沸器とは疑いもしなかったからだった。お隣は、大した精神の持ち主だと再認識した次第。

あと、極東ブログは「最近の過去ログ」をクリックしても2011年の10月までしかログがなくて、その下の「記事インデックス (過去記事一覧)」では2011年の4月までしか出てこない。その下の「週間バックナンバー」だと神経衰弱になってまう。このクソのような仕様をいつになったら改善してくれるのでしょうか…。

と、これは他人ごとでもないなぁ。

我が方の政府はと言うと、自民党は、広義において三党合意で増税案を通し、狭義において野田さんは要らないなどという矛盾を平気でやらかす節操のなさや、同じようなロジックを使って間違った因縁をつけるような、二の次と評判の「国民の生活が第一」党のような軽はずみもやらかす。

こゆの、いつまでもいつまでも続きそう。

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