2012-08-03

「I am a queue.」なんてこった、私が一番よ!

タイトルの通り、自分が並んでいる列にいきなり割り込んで来た人に一言、イギリスなら一喝して言う言葉はこれ❝I am a quere.(私が列よ。または、私が並んでいるのよ。)❞。読み方は、アイ エム エィ キュー。アクセントの一番強いのが「I」と「queue」の部分。しかも、「queue」という時、声のトーンを上げるとリアルにヒステリックな感じに聞こえる。その人の感情によって、このアクセントが微妙に違うが、同じアクセントで穏やかに言われると、なんとなくその場は和やかで、言われた方も、単に気づかなかったとか、勘違いした程度として済まされる。だから、「あんた!私が並んでいるのが見えない?後ろに並びなさい!」と、一喝という含意もあれば、「ち、ちょっとごめんなさい。私、並んでいるんですけど・・。」という控えめな印象を与えることもある。で、これを言われると、普通は、❝Oh,I'm sorry about that.❞とか軽く謝って後ろに回る。これで速やかに事は済む。かなり昔の話だが、この言い方は、今でも伝統的に守られているんじゃんないだろうか。そして、私の観察眼からだが、男性が言うことは滅多にないと思う。アレは、規律を守る派のイギリスの中年女性が多く口にしているように思う。風刺の意味も込めていると思うが、Mr.Beanの「The Bus Stop」が見事にその心理をついて表現している。

The Bus Stop

イギリスの習慣を知らなくても、単純にこの男性の心理が見え見えで面白い。また、Mr.Beanこと、ローワン・セバスチャン・アトキンソン(Rowan Sebastian Atkinson、1955年1月6日 -)氏のアクティングがずば抜けている。

女性は、自分が一番前だと思っているが、Mr. Beanが執拗に割り込みたがっていると思い込んだに違いない。が、赤ちゃんに危害が与えられても困ると思ったのか、逆らわずに後ろに並んで落ち着いたが、後からやってきた盲人に、「誤魔化されちゃダメよ」とでも入れ知恵をしたのだろうか、内緒話をしている。この時点で順番争いは2対1となっている。誰もが自分が一番と思い込んでいる点と、列を乱すことに非常に喧しく、規律を重んじる国民性という当たり前の意識が基本にあるから傑作な風刺にもなっている。

「The Bus Stop」を思い出したのは他でもない、「夕涼みにマクドに立ち寄る」(参照)で、お腹を抱えるほど笑ったからだ。読んでいる内に、あのローワン・セバスチャン・アトキンソン氏演じるMr.Beanと筆者の脳内劇場が重なって、無声の動きが私の脳内で展開され、無声映画のようだった。が、待てよ。笑っている場合じゃない、これは。私にも何度となく同じような経験がある。そして、勘違いとかではなく、明らかに意図的に割り込む人が大人で、しかも若くもない人にいるんだと知って驚くばかりだった。この経験からもだが、マクドナルドのカウンターで順番待ちをしているという明らかな状態で、人が自分の前に立ちはだかれば、それは割り込みとしか思えない。事態がどうだったかは読んでもらえば分かるが、問題は、マナー違反だとはっきりしている場合、割り込まれた私はどうしたらいいのか?これだ!

スーパーマーケットのレジで私が先頭で、後ろに3人ぐらいいた時、70歳くらいの男性がレジ越しに手を伸ばしてお金を渡そうとしている。反対側の手には何か品物を持っていて、それを見せている。彼は私の90°横にいる。はっはー、さては割り込み?ここで私が一言、「後ろに並んでください」と言うべきか、レジに並んでいるのだからレジの女性の管理下だとして、彼女が何か言うだろう的なオーラを送って黙っているべきか。なんだか胸の中がざわざわして嫌な感じがした。また、後ろに並んでいる人から、なんとなく空気が漂ってくる。その空気は、私に送られている。私が一番前なのだから私が何かを言えばいいんじゃない?って言われているような空気。これ以上は間が持てない、どうしようという瞬間、レジの女性が「こちらからお願いします。」と、その男性に列の存在を知らせた。と思いきや、男性は私の真横に来てお金を差し出している。あり、何この人。っと、呆気にとられた。順番を待っている人の一番後ろに並ぶ、という当たり前がない人なの?びっくりこいた。結局、レジ嬢は男性に「こちらのお客様の後でお願いします。」と後回しにして解決したかに思ったが、男性は、「急いでいる」とか、文句を言っていた。超自己中な人に遭遇したものだと、年末のくじの一等でも当てたかの確率だと思った。

世の中が変わったなと思った印象深い事がもう一つ。

銀行で、ATMが何台か並ぶコーナーにロープが張られ、先頭と列の一番後ろが分かる誘導路を作った時だった。えっ、ここに並ぶの?と察知したと同時に機転を利かせて後尾を探した時だった。無言で並ぶその時、目線をどこに持って行こうか迷ったり、ただ突っ立っているのが馬鹿みたいって感じた。そう言えば、ユニクロのレジカウンター前も同じようになっている。人がカウンターに居るならロープを貼る必要などどこにあるのか?とか、いろいろ感じたり思ったこともある。

なぜ、人は対話をしなくなったのだろうか?

子どもの頃は、何か悪いことがあると、近所の大人によく叱られた。やれ花壇に入るなとか、溝に物をすてるななど些細なことだったが、どこにも人目があって、それで社会性を身につけたというのもある。悪いことは悪いと教えてくれる大人がいて、それが当たり前で育った私にとっては、正義感などという大それたものじゃなく、普通に、声をかけてしまうこともあった。が、今は、注意すると逆切れされるし、相手が悪いと、何かされやしないかという恐怖心もあって言わなくなったのは確かだと思う。個人的にはそういう理由から、面倒を起こして返って人の迷惑になるという配慮の方が先に働く。注意されたことを気持ちよく受け止められない世の中に荒んでしまったと言えばそうだけど、子ども時代に、人に叱られていない若者が多くを占めているのも理由だろうか。マナーが悪くても放置するしかないのら、社会性を学ぶ場がなくなり、礼儀正しさを失うことになる。日本人の礼儀正しさと言えば、海外では結構鼻が高かったりしたものだった。というか、嬉しくもあった。

私が知るイギリスのように、個人的に注意したりされたりするのが日常的で、それで揉め事にならないのなら一番理想的じゃないかと思う(今のイギリスのことは知らないが)。一方日本では、最近、規制が多くなってきた。何か事が起こると直ぐに政府は、規制を敷く。規制で管理し、違反者には罰則規定を設けているが、こういう罪人認定は、どこか殺伐として穏やかな国ではなくなるという感じを受ける。その点、日本の昔の曖昧な法律の味わいもいいものだと思っていた。人同士が注意し合って済むことなら、その方がずっとマシな社会じゃないかな。

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コメント

ツィッタリンク先のコメントも含めて面白く読みましたが、列の割り込み一つでもいろんな社会的考察ができるものですね。私は、小柄なせいか?デパ地下の食品売り場では頻繁に割り込まれますが、普通にやり過ごせます。混んでいても急ぐ人のためにエレベータの右(関西では逆)をあける習慣がありますが、それと同じ感じです。1つの売り口でも、自然と急ぐ人のために横をあけておくと思うわけで。二人も越されると店員さんがたいてい対応してくれるか、並びも絶えますから。

投稿: kamiteku | 2012-08-03 17:44

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