2012-07-25

冷たい味噌汁レシピのつもりが、いつの間に教師の話になった

最近、テレビのコマーシャルで見た「冷たいパスタ」「冷たいお茶漬け」「冷たい○○」。世の中はなんでもアリになってきたのだね。夏は、なんでも冷たくして食べるのが今ごろの趣向らしい。団塊世代の上になると、暑い時こそ熱いお茶だというものあるみたいだ。節電ムードが昨年の夏以来漂っている結果として、何でもいいから涼しく過ごそうと知恵を絞るのは当然だろうと思う。大飯原発再起動にまつわる反対運動をよそに、政府は、再稼働に踏み切った。節電15%という話がつい先達てまで言われ、デフレ不況が続く日本の暑い夏に、業界は、どうやってしのぐのかが商戦となり、コマーシャリズムに踊らされているのを自覚しながらも、日本人て優しい。皆に優しい。どうしたら涼しく過ごせるか、叡智を寄せ合い、それを皆で共有するなどの結束力には優れている。これもみな、助け合いの精神が支えている現象なのだろうな、すごいな。

最近、イジメ問題がニュースを賑わしている。生徒が自殺に至るまで、いったい何が追い込んでしまうのか。いろいろな理由を聞く。行政が悪い。教師がイジメに気づかない。調査が徹底していない。生徒同士が見てみないふりをするのが良くない。教育委員会が生徒を守ることに徹しない。家庭環境が良くない。など、こんなところだろうか。極論して、例えば、これらの問題が全て改善されて準備万端整ったとしたらイジメはなくなるだろうか?そんなことはない。そもそも、イジメが起こらない子ども社会などあり得ない。言葉を変えると、自己主張を子どもに止めさせることはできない。なぜなら、それは形を変えた育つ力が源になっていることであり、人格形成の上で、他人と価値観をぶつけ合う姿であるとも言えるからだ。またそれは、幼い子供が砂場で小競り合いをするのと全く同じで、それを端から止めさせてきた結果、後から発露したとも言えると思う。育つ力が正常に働く子どもほど砂場の雪辱は後々まで残り、小学生くらいになると少しエスカレートしたものに変わる。ここで指導上教師が割って入り、周囲の友達までもが寄ってたかって阻止しようとし、当然ながら、やっと出てきた自己主張の芽をまたしても摘まれてしまう。そして、中学、高校へ進むと、子どももやや知能犯となり、隠れた場所でこっそり派手にイジメとしてその鬱積した鬱憤を弱い者にぶつけるようになる。

遠い昔の、あの砂場あそびでの喧嘩を止めさせた親から始まり、何十倍もの難関を突破したエリートと呼ばれる挫折なしの教師がそのアカデミックさを発揮して「イジメはいけません」バリで子どもの前に立ちはだかる。また、新人教師には上が(教頭や校長)、「問題だけは起こさないように」と、圧力をかけるのである。この話は実話だよ。息子の新人担任が子どもをハンドルできずにパニクっている時、泣いて愚痴をこぼされたのは母である私だ。だから、慰めたよ。と言っても「よくやっていると思うよ。私ならそんな職場なら、とっくの昔に逃げ出しているよ。」と、言っただけなんだけど、なんだか元気になっちゃっただけ。

「新人教師は子どもから洗礼を受けるんですよ。そこから這い上がる力こそが大切なんです。」って、既に学級崩壊したクラスの副担が他人ごとのように新人の指導にあたっていた。その新人さんは、通勤拒否になってしまったし。

皆、自分の正しさで、正しい行いをしているのだろうけど、じゃーどうして自殺する子どもを増やしてしまっているのか?

はっきり言って、イジメが始まるとそれまでの仲良しは離れてしまうのだよ。まきぞいにならないための自衛本能だから冷たい奴らだといくら恨んでも、自分がその矛先なったらどうだろうかと仮定すると、仕方がないなと思う。むしろ、自分に関わったために一緒にイジメられる側になどなって欲しくない。遠くで「ごめんね」と言えず、目を背けているのがその証拠でしょう。だから、イジメの対象に一度なったら避ける事はできない。蛇に睨まれたカエルにしかなれないのである。こんな時、教育委員会が出てきてどうする?仮にその場でイジメを止めさせても、その子どもに鬱積した思いは払拭できないで残ってしまう。そういう子ども達がいい大人になって、「誰でもいいから殺したかった」などいう理由で通り魔と化すのかもしれない。最近、そんな風に思うようになってきた。そう考えてみると、社会から跳ね出された犠牲者とも言える。砂場あそびで自己主張を咎められたため、どこかにそのはけ口を求めて。自己主張という行動は、誰もが必ず通る道なのだと思う。

いささか話が飛んでしまったが、子どもに元気がない時、親ならどうしたのかな?とそっと理由を聞いてみようかと思ったり、ちょっと気をつけて様子を見てみようかなとなる。いや、最近の親は忙しい人が多くて、子どもの変化に気づかなかったり、関心が薄れてしまったということも聞く。教師なら、生徒の様子が違って見えるのは、給食時の食欲や目線、休み時間誰と一緒にいるか、下校時は誰と帰宅しているかなどで、生活の変化は測り知ることはできる。おかしいと思ったら、しっかりした子どもに様子を聞くなど、いくらでも察知する機会はあると思う。そこで、マニュアルの通りに指導するのではなく、子どもを励ますことってとても大切。私はそれで救われた。

私を見てくれている人がいる!そう思えただけで励まされたものだった。イジメが、たった一人の愛で救われるとしたら、イジメの起こっている現場である学校という屋根の下で、自分を見ていてくれると教師に安心できればどれほど心を瘉すか、また、通学する勇気をもらえるかと思う。また、逆に、いじめる側の生徒にも、なぜ、虐めたくなるのかをとことん聞くと、寂しかったと、泣いて訴えるという子どもが多い。こんなことがなぜ私に言えるかというと、教師でも親でもない立場で中高生と関わった時の経験からだ。教師に相談できず、親にも言えない子どもの聞き役のようになってしまった時だった。時には、教師の愚痴聞きもした。その心に寄り添う人がいることが救いになるのであればと思ったものだった。

ついて出てくる気持ちのままに書いたが、昨日、「米国で一番優れた先生」(参照)にちょっと触発されたからかな。アメリカの試みは確かにすごいと思ったし、日本でも地方からノミネートされた、いわゆる人気先生を集めて一位を決めるというイベントに野田首相が先頭をきって楽しんでいるとしたら、そんな姿は夢のまた夢になりそうに思った。日本だったら、天皇から頂く勲章が関の山だろう。と、そんなことを思っていても前が塞がってしまう。教師叩きなどの趣味もない。これは、誤解なきように前置くけど、教師の資質はいかにアカデミックであるかよりも、子どもを愛して止まない気持ちと、子どもがいろいろなことを乗り越えて育っていくのを見届ける生き証人なのだという喜ばしい職に就いているという誇りのような気持ちを持ち合わせていることが大切だと、いつもより少し声のトーンを上げてここに記しておきたかった。

Photo

さて、頭が少し冷えたところで、冷たい夕顔の味噌汁なんていいよ!とちょっぴレシピっぽいことを書いて締めようと思う。どうしても夕顔じゃなければダメというものでもない。冬瓜でもいい。

3cm角くらいに切りそろえて、冷めた昆布と鰹の出汁でゆっくり火を入れて行くだけ。塩分は一日6gをキープすると癌予防になると最近知った手前、ちょっと言い難いけど、夏場は、汗をたくさんかくこともあり、少し塩分が多い方が旨いと感じる。しかも、キンキンに冷たくして頂く味噌汁なので、やや濃い目の味がいいかもしれない。でも、これも好みの問題なので、味見しながら好きな濃さでいいかも。

煮立ったら、中火以下で5分ほど煮て火を止め、味噌を加えて蓋をしてそのまま粗熱が取れるまで冷まし、冷蔵庫でさらに冷たくする。お椀に注ぎ分ける時、青みにみょうがや大葉をきざんで散らすとぐっと美味しくなるよ。今日の画像は、ほうれん草の刻んだのに切り胡麻を混ぜただけ。

冷たい夕顔が、お腹の中をスーッと降りて行くのが分かる。三つくらい食べると、体のほてりが収まるのが分かるよ。

材料(6人分)
昆布と鰹の出汁・・1㍑
夕顔・・300g
ほうれん草・・少々
切り胡麻・・大さじ2
信州味噌・・適宜

冬瓜の冷たいスープ実は、前に「きんきんに冷やした冬瓜ととうもろこしのスープ」(参照)で、洋風スープを紹介している。とうもろこしがたっぷり入った、まさしく夏のスープ!夕顔で代用しても美味しい。こちらもお薦めです。

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