2012-04-25

メルマガ発刊には向き不向きがあるっていう話

昨日、メールマガジン(以下、メルマガ)の話を書いてみて、ブログ界隈では一体どんな人がメルマガを書いているのかなとNET上をうろついていたら、いろいろな考察をしている人がいた(参照)。初めは、課金手段の変更という切り口から話は始まっている。この時点で私が考えもしない着眼点なので、読むのをやめようかと思ったが、最後まで読んでみて、いろいろ考察されていて興味深いと思った部分もあった。年齢の違いからなのか、読みものに対する価値観が違うからなのか、とにかく私とは違う考えなので興味が湧いた。少し参照しながら書いてみようと思う。

その前に、私が昨日書いた「極東ブログ・メルマガの試作第一号に寄せて」では、メルマガ賛成、大いにやってという内容だった。彼がなぜ始めようかと思い立ったのか理由は知らないが、私が挙げた理由は、購読したい人が買って読むための読み物である以上、コンテンツに期待があることだ。ブログなら右だ左だとやってきて、ひどいネガティブコメントを投げられ、どうかすると脅迫めいた内容にまでエスカレートする。お金をもらって書くのであれば、読者からの文句も受け止めて、なんならお金をお返すこともありうるが、ブログはタダであり、意味合いとしては、「ここに書いておいておくけど何かの参考にでもなるならどうぞご自由に読んでください」という程度のものでしかない。気に入らなければ読まなくても良い。にも関わらず、あまりひどい誹謗中傷を受けるくらいなら、自由に書いてナンボの世界としてメルマガに移行するのであれば大賛成したのだった。購読してみて、自分の期待とは違う結果であれば、もちろん購読しなくなる。それが私の一般的な考え方である。

さて、メルマガである程度収入を得るためには、カリスマ性が必要だというのが今回発掘の考察にあった。人気作家の小説には期待感が膨らむのは私も同じだが、一度読んで二度と読まない人気作家だっている。以下の部分だが、どうだろうか。

何故今更メールなのか。これはおそらくプライベートな雰囲気と親密さの演出である。

堀江さんのメルマガでは、堀江さんが読者からの質問に答えるというQ&Aのコーナーが最も人気を博していて、毎週たくさんの質問が届き、堀江さん自身がそれに全部答えているようなことを、以前に当人のブログで読んだ。そのときは、結局他のコンテンツが大して面白くないということなのではないかと訝しがった記憶があるが、ファンイベントであれば交流がメインになることは、考えれば当たり前のことだった。ディナーショーにおいて、ステージから降りた芸能人が歌いながらテーブルの隙間を練り歩き、ファンと簡単な挨拶を交わすみたいな風景を夢か何かで見たことがあるが、メルマガのQ&Aコーナーというのは、まさにそういうことではないのか。

この例だと、メルマガ本文ではなく、オプションで人気取りをしているということだと思う。言い換えると、ホリエモンという人気者だからオプション効果が模索しやすい。そういう前提で質問コーナーが開設されたとも言える。

この考察からそのまま、ブロガーならどういうタイプのブロガーが人気を得るのかという考察になっている。すでに発刊しているブロガーもいる中、私が昨日話題にしたブロガーもいるが、「誰」という個性ではなく「どんなブロガー」と捉えると分かりやすい。

そういう意味では、逆にハックルさんや池田先生はあまり向いてないと思う。ファンが多いことに違いはないが、彼らの魅力というのは、あまりプライベートな感じのスペースでは映えないと思うからだ。あの統合されているのか何なのかよくわからないキャラクター、筋が通っているのか通っていないのかよくわからない論理、計算されているのかどうなのかよくわからないファン心理。 ディナーショーというよりは、どちらかと言うと野外ライブみたいな見せ方が向いているんではないか。

「野外ライブ」とは、どんな場が想定できるかな。オープンなスペースで人が集まりやすく、入場料は無いみたいな場だろうか。サテライトスタジオとか?よくわからないが、メルマガにしても儲からないタイプとしても良いのだろうか。はい、次。

ファイナルベント翁も、意外とメルマガで商業化という野心を隠さないが、まああんまり向いてないのではないか。誤解を恐れずに言えば、イメージが暗すぎる。消費意欲を煽らない。まじめに社説の解説とかしそう。おそらく、自分というものを客観視し過ぎではないのだろうか。自分のキャラというものに対するコミットが感じられない。もっとこう、なんと言うか、息をするように自然に友達のような顔ができる人が向いてるんじゃなかろうか。人なつっこいというか。

前者も後者も「メルマガ向き不向き」の指摘部分は、太字の部分が該当すると思うが、「向き不向き」は人柄も関係するようだ。しかも、ブロガーの筆致からその人柄を嗅ぎ分けるようだ。

「文は人なり」という言葉もあるくらいで、人柄は隠せないものでもあるが、その点で無理やり私の好みをぶつけたのが昨日のエントリー。で、池信先生のブログは必ず読むというわけではないが、時々、識者の見識として読ませてもらうことはある。なかなか実直で、熱心に書かれていると感じている。でも、経済学者は他にも大勢いて、多くの人の意見を知りたいという一人にすぎない。メルマガは読んでいないが、そういう意味では、経済学者の看板を上げている数名のを読まなくては意味が無い。結局、集中して読む時はどういう時かというと、日銀がなぜこうも頑固にインフレ目標を1%で固持するのかなどを調べたい時だ。コラムなどを拾っていろいろな人の見識をなるべく得ようと思うので、メルマガまでは手が伸びない。

メルマガに人柄が必要かどうか?

やっぱり私は、その人の取り上げるトッピクスに惹かれるかなぁ。それと、自分では思いもよらない角度から物事を捉え、そのような姿勢から書かれている内容に気持ちも惹きつけられているとは思う。それが私の感じる書き手の人柄と言えないこともない。が、なんとなく、引用の「向き不向き」の部分で考察されている「人」の捉え方とも違うみたいだ。

と、ここまで書いてみて、よく分からないが、お金を払う側は、書き手に何を期待するかという究極の問題のような気がする。メルマガの書き手としての「向き不向き」のジャッジも、読み手の人それぞれの意見ありきといったところである。ただ、課金がテーマに大きくある書き手は、そこは演じてでもファンが喜ぶようなパフォーマンスやサービスを提供すべきでしょう。その観点から言うと、上に指摘されているようなホリエモンやちきりんさんなどは、人気を得て、それなりにお金儲けも出来るのかもしれない。でも、私のように、内容で勝負してほしいという読み手にとっては、その人物が人気者である必要はないので、付帯するサービス精神は無用となる。

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