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2012年4月

2012-04-28

バーナンキ氏のこのところの発言から地味にショックを受けている

日本の動向について、なんだかいろいろと気になる毎日である。どれもこれも政治が不在のために起きている事と言って「見ざる言わざる聞かざる」を決めても、自分の心に嘘は付けない。不安や焦りという気持ちに恐れという弱さも自覚している。でも、そういった事から発する不満を政治で解決して欲しいと訴えるのではなく、もう少し建設的な意味合いから整理してみたい。

日本の経済停滞は1990年以降、20年も続いていると言われている。会社を営む側であるという立場から見ても、現場感覚としては将来不安としての材料は山積されている。なんとかこのデフレから脱出できないものかと、識者の意見やアメリカの動向などを追っている。なぜアメリカかというと、アメリカも日本と同様にこの道を辿っていたからだ。そ、ここで過去形となった。

25日、行われたアメリカ連邦公開市場委員会(FOMC)の終了後に、バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長が会見で、現時点でのアメリカ経済全体についてどう認識しているか語った(参照)。その中で一番注目していた点は、量的緩和についてだった。次のように発言が要約されている。

<金融政策は正しい位置にある>

FRBが実施してきた経済、および見通しに関する分析に基づくと、金融政策は現時点で、おおむね正しい位置にあるとみている。これは、FRBが追加措置を実施しないという意味ではない。FRBには当然、追加措置を行う用意がある。ただ、当面はおおむね正しい位置にあるように見えるということだ。

「金融政策が正しい位置にある」というのは、アメリカは昨年、QE1とQE2(量的緩和政策)を二度行なってきている。どんどんドルを刷って世界にばらまいたというあの政策だ。世界的なバランスから見ると、ドルが増えた事による影響で、インフレを起こした国もあれば、デフレに加速がついた国もある。日本はどうかというと、黙っていればデフレが深刻になる。と、突然インフレとデフレは景気の傾向を指す言葉についてだが、日本は今「デフレで深刻な状態」というのは、円高ドル安を指している。身近な例では、海外旅行で買い物をすると、円安の時よりも同じ物が多く買える。物によっては、輸入品がかなり安価になる。が、デメリットは、輸出では逆に利益が少なくなる。海外からは、日本製品は高くなってしまう。では、どうしたらインフレへと移行できるのか?計算上は次のようになる。

円とドルの換算率の求め方は簡単な計算だ。今の日本の円がざっと160兆円ぐらいで米国が2兆㌦と仮定すると、160÷2=80。1㌦が約80円となる。仮に、1ドルを100円程度の円安にしたかったら160兆円のマネタリーベースに40兆円を足して200兆円に増やせばいい。計算ではこういう簡単なことだが、市場には「期待」という空気で左右される難しさもある。ここで先のバーナンキさんの発言の意味が出てくる。その空気を醸成する一言が会見では含まれていたことが、重要なポイントだと思った。

「FRBには当然、追加措置を行う用意がある。」

この発言は、私の記憶では昨年の7月から言い続けている。

子どもが親にお小遣いをせびるとする。親はできるだけ子どもを甘やかしたくないので、直ぐには現金を渡さない。あるときは我慢もさせる。でも、いつも我慢ばかりでは欲求不満を起こし、時には親子関係も悪くなるじゃない。そこで、「本当に必要なものならいつでも買ってあげたい」とい言うと、子どもは親に安心感を持てるし、「そうか、今度は本当に欲しい物を頼もう」と、期待も裏切らない関係を保てるでしょう。そんな感じの狡猾さがバーナンキさんにはあると感じた。この例が分かりやすいかどうか疑問だけど、言いたいことは察しておくれ。

そして、彼はこの会見で日銀の失敗をばっちり指摘してくれた(参照)。

「我々は(日本のような)デフレに陥るのを回避した」。バーナンキ米連邦準備理事会(FRB)議長は25日の記者会見で、米国は素早い政策対応をした結果、バブル崩壊後の日本のような長期の経済停滞は回避できるとの見通しを表明した。

バーナンキ氏はFRB入りする前の学者時代から、政策金利をゼロにした後も中央銀行はあらゆる手段を使ってデフレを防ぐ重要性を説いていた。FRB理事だった2003年には、日銀により積極的な金融緩和の提案をしたこともある。

25日の会見では「当時の私の見解は、今の我々の政策と完全に一致している」と述べ、FRBが早期に量的緩和など積極策をとったことが日米の違いを生んだとの見解を示した。

バーナンキ氏は「日本のバブルのほうが大きかったし、その崩壊の衝撃も(米国より)大きかった」と、日本の困難さに理解を示しつつも「我々はデフレ回避のために積極的かつ予防的に動いた」とFRBの対応を自賛した。金融システム対応でも、米国は公的資金を使った銀行の資本増強に素早く動いた点をあげた。

日本もあの時に金融緩和をやっていれば、今ごろはこんなにひどいデフレにはなっていなかったんじゃないの。と、言われたように感じる。かねてから日銀の金融政策の失敗だと識者からの指摘を聞くが、実際に緩和政策を思い切ったアメリカが実験を行なってくれたわけなんで、これを受けて日本はこれからどうするのかが気になる。いつまでも日銀神話を固持するものでもないと思う。 私がちらっと思ったことは、アメリカが緩和政策を行わないのなら、日本がインフレになる絶好のチャンス。だったが、そんなにあまくはない。

さて、その気になる結果だが、27日の金融政策決定会合後の記者会見で白川総裁は、がっかりな結論が判明した。毎日記事「日銀総裁:物価上昇1%、14年度にも達成の見通し」(参照)。これを2%にするだけでいいという意見はすでに、元日本銀行審議委員の中原伸之氏から出ていたのだが(参照)。\(^o^)/オワタ

ところで、現在、プリンストン大学の教授であるポール・クルーグマン氏について、私は少し誤解していたようだ。彼は、中央銀行に量的緩和を求めるリフレ派だとばっかり思ってきたが、月間VOICEの2月号の特集で扱っている記事ではこのように述べている。

日銀は、インフレ目標を持ち、実質金利がマイナスになるまで継続させ、財政出動を行う。今は増税を行うべきではない。

三年前のニューヨーク・タイムズのコラムで「いったん流動性の罠に陥ったら金融政策でマネーサプライを増やすことは絶対に無理だ。だから財政政策しか総需要を増やせない」という考えに転じたようだ(参照)。つまり、有効なリフレ策の前提条件が整わない以上、「流動性の罠」から抜け出すには財政出動しかないでしょ、という主張になったようだ。

これは、ミルトン・フリードマン氏(故人)の「日本は量的緩和を行えば短期間のうちに経済は拡張していく」という主張に反論したもので、クルーグマン氏とフリードマン氏のどちらの見方が正鵠を射ていたかは現実を見よということだ。

簡単に整理すると、中央銀行は不況時には政策金利を下げる金融緩和をし、景気が過熱状態になれば政策金利を上げて金融の引き締めを行っている。が、今の日本は、政策金利がゼロ付近であるにもかかわらずデフレ不況から抜けだせないでいる。中央銀行の手の内はもう無い。そこで、日銀はフリードマン氏の主張通り、公開市場操作で国債を購入する緩和をしたが、結果は今の「失われた20年」イマココ。前段の換算式の分母であるマネタリーベースを増やしても、資金需要の限られている市中銀行は、民間に資金を供給できない。中央銀行は、通貨をストックさせても意味がないということになる。

そのクルーグマン氏が、バーナンキ議長に「インフレを押し上げることで失業を減らせ」と助言をしたが、「非常に無謀だ」と跳ね返されたという話がある(参照)。このやりとりで私の頭は少し混乱したが、市場が安心するために一芝居打ったかに思った。そして、「FRBには当然、追加措置を行う用意がある」と口パクしてきたバーナンキ氏の狡猾さというのが潜んでいる部分だと後で悟った。頭のキレる人は違うなと、感嘆した。

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2012-04-25

メルマガ発刊には向き不向きがあるっていう話

昨日、メールマガジン(以下、メルマガ)の話を書いてみて、ブログ界隈では一体どんな人がメルマガを書いているのかなとNET上をうろついていたら、いろいろな考察をしている人がいた(参照)。初めは、課金手段の変更という切り口から話は始まっている。この時点で私が考えもしない着眼点なので、読むのをやめようかと思ったが、最後まで読んでみて、いろいろ考察されていて興味深いと思った部分もあった。年齢の違いからなのか、読みものに対する価値観が違うからなのか、とにかく私とは違う考えなので興味が湧いた。少し参照しながら書いてみようと思う。

その前に、私が昨日書いた「極東ブログ・メルマガの試作第一号に寄せて」では、メルマガ賛成、大いにやってという内容だった。彼がなぜ始めようかと思い立ったのか理由は知らないが、私が挙げた理由は、購読したい人が買って読むための読み物である以上、コンテンツに期待があることだ。ブログなら右だ左だとやってきて、ひどいネガティブコメントを投げられ、どうかすると脅迫めいた内容にまでエスカレートする。お金をもらって書くのであれば、読者からの文句も受け止めて、なんならお金をお返すこともありうるが、ブログはタダであり、意味合いとしては、「ここに書いておいておくけど何かの参考にでもなるならどうぞご自由に読んでください」という程度のものでしかない。気に入らなければ読まなくても良い。にも関わらず、あまりひどい誹謗中傷を受けるくらいなら、自由に書いてナンボの世界としてメルマガに移行するのであれば大賛成したのだった。購読してみて、自分の期待とは違う結果であれば、もちろん購読しなくなる。それが私の一般的な考え方である。

さて、メルマガである程度収入を得るためには、カリスマ性が必要だというのが今回発掘の考察にあった。人気作家の小説には期待感が膨らむのは私も同じだが、一度読んで二度と読まない人気作家だっている。以下の部分だが、どうだろうか。

何故今更メールなのか。これはおそらくプライベートな雰囲気と親密さの演出である。

堀江さんのメルマガでは、堀江さんが読者からの質問に答えるというQ&Aのコーナーが最も人気を博していて、毎週たくさんの質問が届き、堀江さん自身がそれに全部答えているようなことを、以前に当人のブログで読んだ。そのときは、結局他のコンテンツが大して面白くないということなのではないかと訝しがった記憶があるが、ファンイベントであれば交流がメインになることは、考えれば当たり前のことだった。ディナーショーにおいて、ステージから降りた芸能人が歌いながらテーブルの隙間を練り歩き、ファンと簡単な挨拶を交わすみたいな風景を夢か何かで見たことがあるが、メルマガのQ&Aコーナーというのは、まさにそういうことではないのか。

この例だと、メルマガ本文ではなく、オプションで人気取りをしているということだと思う。言い換えると、ホリエモンという人気者だからオプション効果が模索しやすい。そういう前提で質問コーナーが開設されたとも言える。

この考察からそのまま、ブロガーならどういうタイプのブロガーが人気を得るのかという考察になっている。すでに発刊しているブロガーもいる中、私が昨日話題にしたブロガーもいるが、「誰」という個性ではなく「どんなブロガー」と捉えると分かりやすい。

そういう意味では、逆にハックルさんや池田先生はあまり向いてないと思う。ファンが多いことに違いはないが、彼らの魅力というのは、あまりプライベートな感じのスペースでは映えないと思うからだ。あの統合されているのか何なのかよくわからないキャラクター、筋が通っているのか通っていないのかよくわからない論理、計算されているのかどうなのかよくわからないファン心理。 ディナーショーというよりは、どちらかと言うと野外ライブみたいな見せ方が向いているんではないか。

「野外ライブ」とは、どんな場が想定できるかな。オープンなスペースで人が集まりやすく、入場料は無いみたいな場だろうか。サテライトスタジオとか?よくわからないが、メルマガにしても儲からないタイプとしても良いのだろうか。はい、次。

ファイナルベント翁も、意外とメルマガで商業化という野心を隠さないが、まああんまり向いてないのではないか。誤解を恐れずに言えば、イメージが暗すぎる。消費意欲を煽らない。まじめに社説の解説とかしそう。おそらく、自分というものを客観視し過ぎではないのだろうか。自分のキャラというものに対するコミットが感じられない。もっとこう、なんと言うか、息をするように自然に友達のような顔ができる人が向いてるんじゃなかろうか。人なつっこいというか。

前者も後者も「メルマガ向き不向き」の指摘部分は、太字の部分が該当すると思うが、「向き不向き」は人柄も関係するようだ。しかも、ブロガーの筆致からその人柄を嗅ぎ分けるようだ。

「文は人なり」という言葉もあるくらいで、人柄は隠せないものでもあるが、その点で無理やり私の好みをぶつけたのが昨日のエントリー。で、池信先生のブログは必ず読むというわけではないが、時々、識者の見識として読ませてもらうことはある。なかなか実直で、熱心に書かれていると感じている。でも、経済学者は他にも大勢いて、多くの人の意見を知りたいという一人にすぎない。メルマガは読んでいないが、そういう意味では、経済学者の看板を上げている数名のを読まなくては意味が無い。結局、集中して読む時はどういう時かというと、日銀がなぜこうも頑固にインフレ目標を1%で固持するのかなどを調べたい時だ。コラムなどを拾っていろいろな人の見識をなるべく得ようと思うので、メルマガまでは手が伸びない。

メルマガに人柄が必要かどうか?

やっぱり私は、その人の取り上げるトッピクスに惹かれるかなぁ。それと、自分では思いもよらない角度から物事を捉え、そのような姿勢から書かれている内容に気持ちも惹きつけられているとは思う。それが私の感じる書き手の人柄と言えないこともない。が、なんとなく、引用の「向き不向き」の部分で考察されている「人」の捉え方とも違うみたいだ。

と、ここまで書いてみて、よく分からないが、お金を払う側は、書き手に何を期待するかという究極の問題のような気がする。メルマガの書き手としての「向き不向き」のジャッジも、読み手の人それぞれの意見ありきといったところである。ただ、課金がテーマに大きくある書き手は、そこは演じてでもファンが喜ぶようなパフォーマンスやサービスを提供すべきでしょう。その観点から言うと、上に指摘されているようなホリエモンやちきりんさんなどは、人気を得て、それなりにお金儲けも出来るのかもしれない。でも、私のように、内容で勝負してほしいという読み手にとっては、その人物が人気者である必要はないので、付帯するサービス精神は無用となる。

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2012-04-24

極東ブログ・メルマガの試作第一号に寄せて

昨日、極東ブログで、「極東ブログ・メールマガジン 試作品 No.1 (2012.4.23)」(参照)という一風変わったタイトルのエントリーがあがった。何が変わって見えたかというと、極東ブログがメルマガの試作品の公開場所となっている事。何でもありなんだなと、ブログを柔軟に使っていることが新鮮だった。その新鮮さが消えてしまわないうちに感想を書いておきたくなった。極東ブログの今後の発展のためになどとおこがましい気持ちはないので、これはまあ、届かなくてもよいようなメッセージなんだけど。

さて、読ませてもらって感じたことは、試作と言っても内容は充実していると思う。彼に書かせたら、例えば、日本の政治問題などは日頃の情報収集力も相俟って、世界からの視点も柔軟に取り入れたり、厚みのある内容になるに違いないと思う。湯水のごとく湧いてくる知性と教養がずらりと並べられる場所になるに違いない。そこに、大きな期待はある。どれくらいの頻度になるか未定らしい。まだ、始めるかどうかも決定していないのに、私はもう始まるものだと思っている。どうだろう。今回の試作くらいのコンテンツなら、週一回配信で月額500円はお安いものだと思う。自分語りみたいなるかもだけど、最近の新聞社説のレベルの低さにうんざり感もある。「finalventの日記」(参照)で一時、まったくニュースを取り上げなくなった時期があった。その時も感じたが、劣化している記事にコメントなどあったものではない。腐すのが関の山ではあったと思う。昨日の社説も、論旨は元より、筆者が何が言いたいのかもよく分からないような内容だった。向きあって出てくる自分の醜い姿をこれ以上見たくないと、そのような気持ちから書かなくなったと、理由を書かれていたかに感受したが、そこを一歩踏み出されて最近また再開されている。

思い起こせば、私は、極東ブログよりも少し早くにこちらの日記のファンになったのだった。社説にケチをつけるだけの日記なんてそれまで出会ったことがなく、読み応えがあった。あの刺激は、何だったかというと、脳内で、社説に洗脳されそうになるエネルギーの分配によって、均衡が取れ、視野が広がるのに大いに役立っていた。よりリベラルに物事を見つめようとする能力が自ずと引き出されていくのを実感する日々であった。今の私に大きく影響したのは確かだと思う。

以上のことから、ご本人が何故、メルガマに傾倒されるのか、理由は分からないでもない。受けた刺激が、人によっては書き手に罵倒を浴びせたり、誹謗中傷の的として面白がる人がそこはかとなく湧いてくるような現象もある。書き手の物事に対する率直な見解を書けば書くほど、その的になりやすいし、伝わらないもどかしさに七転八倒するときもあると思う。その点、メルマガは、読みたい人が申し込んで、読みたくない人は購読する必要もない。また、書き手の一方通行なので、書き手の気分の悪くなるようなことも起こらない。そのかわりと言っては何だが、読者の感想や記事に対する反響も返っては来ない。だが、それに関しては、アンテナの向け方に寄ってはある程度集められる。そういう性質のものであるがゆえ、今回の試作内容は、取り上げるテーマも多方面に渡っているし、良質の情報の提供があるのも良いと思った。TVの教養番組の紹介や新書などがそれに該当する。やかなり本格的だと思う。

私個人としては大いに賛成で、希望的観測で言わせてもらうなら、日本の社説が取り上げない不思議な現象の傍らで、極東ブログのメルマガ説として一本大きく記事に仕立ててくれたら嬉しい。まあ、週ごとの一大トピックという感じかな。

今回なら、フランスの大統領選挙の動向からヨーロッパ全体、ひいては日本への影響などに触れても良いと思うし。先日の石原都知事の尖閣諸島のお買い上げ要望の件なども、各紙共に頓珍漢な社説であったが、角度を変えると見えてくるものが違うという点に気づけるだけでも大きな収穫となる。それらのマターに対してどこへ角度を持って行くかなど、きっかけを得るだけでも、日本の政治にある意味感心が持てると思う。これをブログや日記に書いたのでは、右だ左だと的外れな誹謗中傷を受けるので、書くだけ馬鹿馬鹿しくなる。というのは私の感じ方の問題かもだが。

要望を言い始めたらきりがなくなるのでこの辺で止めておこうと思うが、問題は、ご本人が懸念されているように、有料というからにはそれなりのコンテンツをコンスタントに配信するという拘束、またはお仕事にはなる。これで飯が食えれば本望かな。でもないか。この負荷が、ご本人の生活や健康を脅かさない程度でバランス出来るのだろうか。これは余計なお世話かもしれないが、プライベートに立ち入るつもりではなく、何かが犠牲になりはしないかと少し心配でもある。

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2012-04-23

ビューリーブロート(Bürlibrot)ハード系のスイスのパン

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先日、知人にスイスで食されていると言われているビューリーブロート」(Bürlibrot)を焼いて差し上げたら、ご夫婦ともに大変気に入られ、フレンチのシェフが本業のご主人から、自分で焼いてみたいと言われ、一緒に作るところまで話が発展した。早速、5月の連休後に日程を取る段取りを考え始めたが、イースト菌を使わずホシノ天然酵母使用のため、発酵に時間がかかる。継続的な生地の観察と作業が途中に入るため、短時間で教えるのは難しい。と言うわけでまずは、ここにレシピを立ち上げることにした。

その前に、彼は、ネットでレシピの紹介はないかと探したそうだが、なかったらしい。パンの画像は見かけるが、確かに自分で作れるようなレシピは探した範囲では存在していない。ヨーローッパ最大のレシピサイトと言われる「シェフクック(Chefkoch)」(参照)に一点、レシピはあるが、材料を見ると、サワー種(酵母)を使った普通のフランスパンレシピだった。

では、ビューリーブロートとはいったいどんなパンか?フランスパンとは違うのか? 

この質問に応えるよりもまず、食べてみてほしいと言いたいが、文章で説明すると、こんな感じ。  フランスパンのようなクラスト(皮)の色とは少し違って赤茶色をしている。味わいは、深みのある香ばしさであることと、何よりも生地のもちもちとした食感や気泡の入り方は、大小様々。引き千切るにはかなりの力を要する弾力だ。大きさの割にずっしりと重いのに、切った断面で分かるとおり、大きな気泡の空洞が沢山あって重さほど質感がない。薄くスライスしてトーストすると、カリカリとしたラスクような食感になる。とまあ、こんな感じかな。ポイントは皮と生地。うん、それってパンの全てじゃんって言われそうだけど、画像も今回はしっかり撮ったので、拙い文字表現と画像からその味わいを想像してみてほしい。   
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さて、どうしたらこんなパンが焼けるのか?それには、魔法が二つ必要だ。その魔法が上手く効果を発揮してくれたら誰にでも簡単に焼けるパンとも言える。

    一つ目は、「モルト」を加えている。モルトというのは麦芽糖のことで、液状とパウダーの二種類あり、発酵を助ける役割がある。甘くないので、フランスパン系の生地に混ぜても生地が甘くならない上、焦げやすくなる。他に使用すると言えば、イギリスパンやベーグル。イギリスパンのレシピはここでも紹介しているが(参照)、普通の食パンと比べて焦げ色が違うのは歴然だ。また、ベーグルは、直に生地に混ぜるのではなく、焼く前の湯通しするお湯にモルトパウダーを少し加える。ベーグルの醍醐味は、あのクラストにもある。

  二点目は、ビタミンC。レモン汁を代用してもいいと思う。パン材料の店で「ビタミンC」と言うと、白い粉末が出てくる。この粉末を水に加えて溶かしたものを5滴ほど生地に混ぜて使用する。ビタミンCを加えると生地が締まる効果がある。焼くとそれが生地の弾力にもなるが、何よりも、水分の多いフランパン系の生地は、ベタベタしているため成型時に生地を傷めやすい。扱いに注意しないとせっかくの発酵生地の気泡をつぶしてふくらみの悪いパンになってしまう。そこで、このビタミンCが活躍してくれる。生地に弾力がつきベタベタしなくなうえ、締まる。いくらかでも扱いやすくなるというわけだ。また、ビタミンCは熱で分解されてしまうので、焼き上がりのパンの味には影響しない。とまあ、理屈はこんな感じ。実際いろいろなパンを焼いてみれば、その違いも体験できると思う。当たり前だけど。

  発酵に使用したのはホシノ天然酵母から起こした生種だが、イースト菌でももちろんオッケ。イースト菌で代用する場合は、強力粉100gに対して1gと覚えておくと良いと思う。例外的に、砂糖の多いパンは発酵を助けるために倍くらい加える。ホシノ天然酵母から起こした生種だと、100gの強力粉に対して5g(小さじ約1杯)を基準にしている。

さて、いよいよ作り方の手順だ。このパンの特徴的な作り方でもあるが、二段構えで生地の発酵を進める(水種法)。まず、「水種」と呼ばれる水分の多い発酵種を分量の小麦粉から取って作り、その種と残りの小麦粉や塩を混ぜて「本ごね」をし、一次発酵させる。この作り方は、フランスパンに多く用いられる。水分の多い生地なのでこの方法だと扱いやすく、発酵や熟成も時間が短縮できる。また、生地に弾力をつけるために、ガス抜きを数回行う。下の画像は、本ごね後の生地のガスを抜いて再発酵させ、再びガスを抜いた生地の状態だ。因みに、他の製法だと材料を最初から全部混ぜる「ストレート法」や、小麦粉と水だけ初めにこねて生地を安定させてから他の材料を混ぜる「オートリーズ法」などもある。   
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次に、成型についてだが、難しい点は特にない。でも、用意するものがいくつかある。まず、成型後の最終発酵は、「布どり」をする。これには、キャンバス地が必要になる。この分厚い木綿の布でうねを作り、畝の間に成型したパンを並べて最終発酵をする。柔らかい生地は、牡丹餅のように潰れやすいので、畝の間で発酵させることによって、パンを上に高く膨らむようにするためだ。   
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最後に焼き。手持ちのオーブンがどういう機能を持っているかによって方法も変わる。フランスパンのあのバリバリとしたクラストにするために水蒸気が必要だが、その機能があるオーブンなら手馴れた方法で良いと思う。私のは、大きな200Vの電気オーブンで水蒸気を出す機能はない。だから、底部のターンテーブルに小石を敷いて熱し、成型生地を投入後、すぐに水をこの小石の部分に入れて蓋を閉める。蒸気を充満させてパンの表面がしっとりし、これがフランスパンのクラストを作る秘訣となる。原始的な方法だが、失敗したことはない。我ながら、なかなか苦労している。因みに、なぜ小石を敷き詰めるか?前に聞かれた時に考えた理由は、もし、仮に小石を敷かずにいきなり250度に熱せられた天板に水を注ぎいれればどういうことになるだろうか。おっそろしい勢いで水が反発して大火傷を負うことになるんジャマイカ。お気をつけくださいませ。   
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このパンは、表面にライ麦粉がかかっていて、その香りがまた香ばしい。このパンの作り方を参考にしたのは、「手作りパン工房(島津睦子)」(参照)だが、酵母を使う点から、分量や焼き方は全く違う。    
   
材料(二個分)   
水種   

  • 国産強力粉・・100g   
  • ホシノ天然酵母生種・・25g   
  • ※イースト菌の場合は2.5g(発酵時間は約2時間ほど)   
  • モルトパウダー・・1g   
  • 水・・100g

本こね   

  • 国産強力粉・・150g   
  • 塩・・5g   
  • ビタミンC水溶液・・5滴   
  • 水・・70g

その他の材料   

  • スチーム用の水・・200cc   
  • ライ麦粉・・大さじ1程度    

作り方   

  1. 水種の材料をすべてボールに測り取り、ラップをして25度の室温で6時間発酵させる。出来上がりの状態は、発酵のピークが終わり、生地全体がしぼんで底に落ち他状態まで発酵させる。   
  2. 本ごねの材料を混ぜ合わせ、水種を加えてこね合わせ、ラップをかけて室温25度で生地が約二倍になるまで発酵させる。   
  3. 生地の底部にスケッパーなどを差し込んでガス抜き(パンチ入れ)をし、再び25度で生地が倍になるまで発酵させる。
  4. 3と同じことを2回繰り返してさらにパンチを入れて生地に弾力をつける。   
  5. 4の生地を打ち粉をしたキャンバス地に取り、スケッパーで二等分する。
  6. 生地を四つにたたんで丸く整形し、布とりしたキャンバス地に、とじ目を下にして並べ、乾燥しないようにビニールで覆って最終発酵させる。   
  7. 6が一回り大きく発酵したらとじ目を下にしてオーブンシートに並べ、ライ麦粉たっぷり振り、縦に1本、横に3本のクープ(切り込み)をいれる。   
  8. オーブンに小石をセットし、250度で余熱をし7のパンをセットしたら水を200cc入れて蓋を閉めて2分蒸らす。   
  9. 設定温度を230度にして25分、焼き色がつくまでじっくり焼く。

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2012-04-22

ますます見えにくくなるミャンマー

昨日、野田佳彦首相は、ミャンマーのテイン・セイン大統領を迎えて会談した。各紙が一斉にその様子を伝えている。その結果、どうやら、1987年以降凍結していた円借款を25年ぶりに再開するそうだ。債権額は5000億円であるが、その内の3000億円は、返済を免除。また、資源・エネルギー開発協力やヤンゴン郊外の経済特区ティワラ開発計画などの覚え書きに署名したようだ(朝日)。 いきなりこのような大きな約束事を決めてしまうのは、野田さんにしては早いなぁと不思議な思いで記事を読むと、「覚え書き」とある。どこかで約束事として成立していたらしい。いつ?誰が?大した問題でもないが、気になって調べてみた。

なるほど、1月に枝野さんが港湾開発の約束事を覚え書きにしたということ?(参照)。1月に枝野さんがミャンマーに行ったことなんてニュースになったかな?というほどクルーズアップされない話題であったのかもしれないが、着実に先行していたわけだ。

前段の日経ビジネス記事もそうだが、ミャンマーについては、ものすごい騒ぎ立てようだ。それもそのはずというか、これは昨年末、いろいろな制裁を課してきたアメリカのクリントン国務長官が突然ミャンマーを訪れたあたりからで、メディアの報じ方も、がらっと手のひらを返すように変わった。

ミャンマーは、軍事政権と言うだけで批判の的となり、インフラなどまるで無いに等しいような貧乏国というのがそれまでメディアが報じていた印象だ。その中で、唯一まともな組織としての軍というイメージが強い。私は、軍政がダメとは、ミャンマーに関してはあまり思っていなかった。上手くバランスをとって成功していたかに見えていた。軍人は政党に属していないため、政党内の拘束も発生しない。全員がそれぞれ個人の意志で議決するため、それだけでもどちらかと言うと、我が方の政治よりもまともじゃない?

アウンサンスーチー女史が政界に復活したということは、彼女の言う民主化の渦は、次第に目に見えては来ると思う。私がよく理解できないのは、ミャンマーの人達にとっての民主化とは、これまでの軍事政権化での生活が、どう変化していくのかという点だ。これがすっきり見えてこない。アウンサンスーチーさんは正しく、軍政権は間違っていると殆どのメディアが報じてきたミャンマーを、アメリカを始め国際社会は、政治、経済、金融面などでおもいっきり締め上げてきた。あの国を孤立させてきた。だが、ASEANだけは、民主化を支援する意味合いでミャンマーを加盟させた。その後、バーツの暴落でアジアに危機をもたらしたこともあった。とにかく、何故ミャンマーだけがこうなるの?と、気の毒なことが続いた。

最近、アウンサンスーチーさんのにこやかな顔がTVのニュースに現れることが多くなった。彼女も以前とは変化してきていると感じている。「鎖国」を解くまでは、哀れな拘束の身をというイメージだった彼女もこれからは、ミャンマーに民主化を齎すための顔になる必要がある。彼女の戦略は、欧米や特に日本のメディアに積極的に働きかけて国際世論を味方につけ、現政府の批判をすること。イギリスが生育の基盤でもある彼女(参照)には、イギリスやアメリカの支援もあり、今後のその路線からそれるような情報は報道されることもないだろうと思う。

また、The Last Piece of Sweet Cake”と言われているミャンマーと日本のこの度の合意は、とてもおいしい話となるはず。かつての中国やベトナム以上に投資&リターンが期待できる国という期待感もあり、しばらくはミャンマーにスポットが当たるのだろう。

民主化を目指す国を快く歓待する各国の姿は、何か、餌を啄む鶏のようでもある。

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2012-04-21

「ACIM」を始めてみて、最近思っていることなど

このところしばらくここに書いていない。これにはちょっと理由があるが、しばらくそれは伏せておきたい。で、あえて書こうと思ったのは、ちょっとした気持ちの整理といったところ。それには、最近毎日行なっている「A Course in Miracles(奇跡の講座)」、通称「ACIM」のレッスンを始めたことで、今まであまり触れなかった心の領域に気づき始めたような気がして変化が見られるからだ。

51HsTaMnM5L._SL210_このACIMは、私自身、キリスト教徒でもないし神の存在などはまったく信じていない無信教者でもあり、今までまったく縁がなかった書籍だ。この書籍がどんな内容か、例えば書評を読めば分かるかというと、それよりも、書かれているレッスンのとおりに毎日素直に続けてみればいいのじゃないかと最近、思うようになった。私には上手く説明はできないと思い、ネットを少し調べたこともあるが、Wikipediaのその部分を読むとなんとなくだが、いかに労を費やされて書かれた書籍かが窺える。イエスキリストから来たとされるインスピレーションを文章化したものであるなら、このレッスンを通して日々精進すれば私はどうなるのか?凄く素敵な人にでも転身出来るならそうありたいではないか。みたいな思いが正直、どこかに潜んでもいる。が、その対岸では、そんな邪神はエゴであり、自分のためにだけであってはならない、という叱咤するような心が同時に働いてしまう。これが今の私の姿。たったこれだけのことから私の生い立ちというか、育ちのすべてが見通せてしまう。そう、私は誰よりも何よりも、自分自身を許せないし愛せない。この否定的な視点からの思考は、もうひとりの私が嗜めることもなく、いつの間にか刷り込まれてしまっている。泣いても始まらないが、泣ける。なんてかわいそうな自分だろうか。自分自身のことをこれほどまでに端的に表現できたことはなかった。私の苦悩の全ては、自己愛の欠落であるとはっきり言える。実は、今まで自分自身のことをかわいそうなどと、思っても言えない私だった。

ここにも時々、苦悩した日々の徒然としてしたためたことが幾日もあった。どれほど書いても、どのように原因を探そうとしてもなかなかはっきりしなかった。

レッスン40の「I am blessed as a Son of God.」にたどり着いた時、愕然とした。

世の中には親に愛されず深い心の傷を負っている人や、親の愛の欺瞞にのたうちまわる人もいる。どうしたらいいかといえば、そこに神の愛があったのだと気がつくほかはない。そしてそれが確信できるまで、苦しみは続く。
人はこの世の愛を乗り越えるまで苦悩する。

英語の部分の意味は、神の御子として私は祝福されているという意味だろう。これに、パーンと反発する気持ちが見えた時、本当に私は愛に飢えてきたのだとつくづく思った。また、「そこに神の愛があったのだと気づくほはかない。」とは。いよいよここで観念するしかないと思えた。そして、気持ちが静まってからふと、この苦しみが夏のじりじりした暑さのように思えた。癒される瞬間とはどんな時だろうか、私は夏の暑さの中にいた。そよ風に当たって汗ばんだ額や背中が冷やされ、一瞬涼しいと感じるような、あの満ち足りた感覚のようなものを感じた時が神の愛だろうか。これが気づきと言えるか言えないか、それを誰かの判定に委ねることではなく、私が神の愛と気づけばそれが探している愛なのではないかな。であれば、至る所に神の愛を見つける事ができると、そんな風に思えたのだった。

悲しいことに、神は、そう意識している時にしか現れてはくれない。

私には、許せないことがまだまだ沢山ある。その一つ一つを挙げていくとうんざりしてくる。だから、それだけ私自身を愛せない私であり、その一つ一つを許して行くことなのだと思う。

レッスンはまだ41だ。始めた頃はやたらと自分の愚かしさが露呈したが、どうやら、それからは逃れられないのだということを思い知る段階だった。そして、これまでの私の人生で私が自分自身を救うこと無く、放置してきたツケのように返ってきた。

震災の一年後である今年、3月11日にこのレッスンが始まったことや、その理由を昨日少し知って私のこの一年はどうだっただろうかと、少し振り返った。すでに41のレッスンをクリヤーしてきたものの、"God goes with me wherever I go."とはまったく言えない私であった。冒頭に「変化がある」 と書いたが、この事に、この方法で気づいたことは大きな変化だと思う。

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