元少年に示された「死刑」判決-光市母子殺害事件
2月20日、最高裁で死刑判決が確定した山口県光市母子殺害事件のことを再び思い出していた。13年前にこの事件が起きた頃は、少年犯罪が多発し、ニュースでは多くが報じられる度に憤りを覚えたものだった。かと言って、今回の「死刑」判決を喜ばしく思っているかといえばそうではない。むしろ、この判決に反発するような気持ちや疑問が湧いた。判決を知ったこの日からずっと悶々とした気持ちが滞り、一体何だというのか、この気持がまったく見えないでいた。まず、最初にこの判決を知ったNHKニュース(参照)で気になる部分を取り上げてみた。
平成11年、山口県光市で主婦の本村弥生さん(当時23)と生後11か月だった娘の夕夏ちゃんが殺害された事件では、当時18歳だった大月(旧姓福田)孝行被告(30)が殺人などの罪に問われました。
1審と2審の判決は無期懲役でしたが、最高裁判所が審理のやり直しを命じたのを受けて、4年前、広島高等裁判所が死刑を言い渡し、被告側が上告していました。
20日の判決で、最高裁判所第1小法廷の金築誠志裁判長は、「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷、残虐で非人間的な犯行で、遺族の処罰感情はしゅん烈を極めている」と指摘しました。
そのうえで、「被告が犯行当時少年で、更生の可能性もないとは言えないことなど酌むべき事情を十分考慮しても刑事責任はあまりにも重大で、死刑を是認せざるをえない」と述べ、被告側の上告を退けました。
これによって、死刑が確定することになりました。
中略
少年事件は厳罰化の傾向
少年の事件では、少年の立ち直りの可能性を考慮して成人とは異なる取り扱いをすることになっていますが、厳罰化の傾向が強まっています。
少年が事件を起こしても成人に比べて未熟だとされる少年の立ち直りの可能性を考慮して、18歳未満には死刑を言い渡すことができないなど法律上、成人とは異なる取り扱いをすることになっています。
20日の最高裁の判決は、少年であっても凶悪な事件を起こした責任や結果を重視するという姿勢を改めて示したもので、少年による重大事件の厳罰化の傾向がさらに強まりそうです。
私は何に反発しているのか。判決そのもだろうか、それとも、終身刑では不服とする遺族である夫の訴えや、それをごもっともだとする世論に対してだろうか。または、裁判官の意見が真っ二つに分かれていたにも関わらず、死刑判決を出した経緯に対して議論が不充分だったと言いたいのだろうか。近年の凶悪犯罪に対する量刑の厳しさに対する反発だろうか。いや、反発とも違う。気持ちが沈んでしまってそのやり場に困り、諦めざるを得ないような残念な気持ちだろうか。そんな中、極東ブログ「光市母子殺害事件元少年の死刑」(参照)でこの判決について考察されたエントリーを読み、疑問を感じていた核のような部分に触れてやっと思いが氷解し始めた。
20日の最高裁第一小法廷では「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷・残虐で非人間的な犯行。心からの反省もうかがえず、遺族の被害感情も厳しい」「刑事責任はあまりにも重大で、死刑を是認せざるをえない」とされたが、この言明に日本国民の支持が暗黙裡に織り込まれていると見てよい。残忍非道なら死刑を是認せざるを得ないとする現在の日本国民の意思に、最高裁が法を調節したものだろう。今後こうした刑事事件は裁判員裁判の対象となり、日本国民の死刑についての意思が露出してくるが、それに先回りして調節したものでもあるだろう。
この意味は、私が裁判員にいつか選出された時、そして、この様な事件に遭遇したとしたら、他の裁判員と激論を交わすということなのだと腹に落ちた。
私は、今回の判決には反対意見で、と言うよりも、裁判官の間で議論になったと報じられた元になった「被告の育った環境などを考えると精神的な成熟度が相当低い可能性があり、死刑を避ける必要があるかどうか、さらに審理が必要だ」という意見に賛成だ。と、断言できるだけの確固とした理屈が並べられたらどれほどすっきりするかと思うが、裁判の成り行きを理路整然と言い切るのは非常に難しい。
きっかけとなったのは、1審と2審の判決は無期懲役だったが、最高裁判所が審理のやり直しを命じたのを受けて、4年前、広島高等裁判所で死刑が言い渡された時だった。18歳1カ月の未成年者であろうと「死刑を例外とはしない」と踏み込んだ判決に驚きを隠せない感情もあったが、これは、後世の裁判に影響する極めて重い判断だったと思った。1968年の「永山基準」だけでなく、結果の重大性や遺族の被害感情を重視した司法の姿勢がうかがえたからだ。
また、当時の世論から、「自分の家族がこんな事件に巻き込まれたら」と被害者側の感情を想像し、その遺族に同情が寄せられたのも理解できる。が、死刑か否かの二者択一を迫るような「量刑判断」は、それ自体がカプセルのような狭い場所に社会の世論全体が封じ込められてしまったような状況だったとも感じた。無期懲役判決が出るやいなやメディアからは、被告や裁判所に対する激しい反論や異論がカプセルから飛び出した。今回の最高裁が出した死刑判決は、これら世論の影響を少なからず受けたのではないだろうか。率直に言うと、日本社会が応報感情に左右され、それが集団的圧力となって裁判に影響するのであれば、裁判が、「人民裁判」になるとも言えなくはない。
整理してみると、私の悶々とした感情の元は、どうやらこのことだったようだ。裁判員としての私が議論を交わす相手とは、とてつもなく「大きな集団的圧力」になるのだろう。そう覚悟したものだった。
この裁判の件から私事で二つ、悔やまれることがり、書き添えておきたい。
娘が中学三年になったばかりの春、8年間の山村暮から地元中学へ戻ってきた直後の事だった。別のクラスの女子に嫌がらせを言われ、イジメを受けていると言うのである。担任に状況を確認してみたところ、担任はその様子を知らないようだった。だが、家庭的な問題を抱えている生徒で、度々この様なことが起きている背景もあり、おそらく、娘には非のないことでイジメが存在しているのだと思う、と話していた。
この話を聞いて、何度となく繰り返されたこの生徒のイジメ行動は、今までの教師の指導が指導になっていないからだと感じた私は、同じように生徒を指導することに異論を話した。が、担任は、「どんな事情が家庭にあろうと、悪いことは悪いですからここは叱って正します」と、言い切った。ここで意見でもしようものなら越権行為ともなりうるるため口を噤んだが、気になっていたのは、同じ事を繰り返す生徒の行為の背景を学校が知っているにも関わらず、同じような指導して「生徒指導」として終わりにしている点だった。この生徒の悲しく寂しい気持ちが、他者へのイジメという歪んだ形となって表出していたのは、満たされない気持ちを何とかしたいというサインであり叫びではなかっただろうか。光市の事件の加害者である青年は、若妻に襲いかかったのではなく、赤ちゃんを抱いている母の姿に自分の親を重ねて抱いて欲しかったと供述したのを知り、自殺して戻ってこない母を慕って寂しかった気持ちを誰にも受け止めてもらえなかったことが窺える。これらは、子どもたちが未成年の内に傍らの大人が気づいてやるべきではなかったのかと悔やまれてならない。
もう一点は、息子が他校の中学生に暴行を受けた時だったが、被害届を出した後、警察をとおして生徒の親が謝罪したいと申し出てきた際、息子の学校長は、彼の家には家庭的な問題があり、「札付きの生徒」で問題ばかり起こしている。暴行という小さな事件程度で懲りさせる方が良い」という判断を私に知らせてきた。つまり、被害届を引っ込めないほうが良いのだと暗にほのめかしてきた。相手の親と面会もしない内に私は、校長の方針に沿ったが、ずっと後味の悪い思いが残っている。理由は、警察に突き出す前に、親として、相手の親にもっとお節介を焼いておけばよかったという後悔だ。思春期でもあり、家庭(夫婦)の不和の問題は、ひいては子どもが被る問題だと思うからだ。
親の抱える問題のしわ寄せを余儀なく受けている子どもらは、親には文句一つ訴えてくることはない。全て自分が受け身となるしか選択肢はない。その理由は、親の不和を心配し、その親に嫌われまいと生きてゆくしか無いからだ。子どもに親を選ぶ権利など無いからだ。その満たされない気持ちを押し殺して我慢しながら生きた挙句、「悪意」からの犯行だったと、私は言い切れない。
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コメント
人民裁判につながっていくとすれば、衆愚は政治だけでなく、司法までいくわけですね。ずっと思っていることなんですが、「命」ないしは「死」に対する考え方が日本劣化の一因ではないかと。「(自分の命が何よりも一番という」教育を受けてきたけど、違和感がありました。必ず死は訪れるし、不意打ちのような死があちこちにあるわけで。これは、死刑判決とは関係ないかもしれませんが。
投稿: tekukami | 2012-02-23 07:02
tekukamiさん、印象としては今回の裁判は「人民裁判」そのものだったような。ただ、一人の裁判官が異論として投げかけているのが今後、どのように影響するのかしないのかかと思います。また、「「命」ないしは「死」に対する考え方」というのは、現実に生き物に触れることが学ぶことだったりします。疑似体験や言葉ではなく。
投稿: godmother | 2012-02-23 07:41
2回目の書き込みです。
前回、私のコメントにまったく反応しておられなかったようですが、再度こちらにコメさせてもらいます。
wikiでも書いてありますが、「終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか」と、これらの手紙を友人に送っているようですが、これらの手紙の内容についてはどうお考えでしょうか?
是非この部分は無視せずにご意見を伺いたいです。
そもそも本当に抱いて欲しかったという考えであるなら、死姦すらする必要はないのでは? さらには子供も殺す必要はないのではないでしょうか?
「赤ちゃんを抱いている母の姿に自分の親を重ねて抱いて欲しかった」
たったこの一つの供述だけで犯人に同情し意見を述べるのは、あまりに端的すぎるのではないでしょうか?
上記すべての発言を考慮し、判断するべきではないですか。
また親の抱える問題・・・のところですが、全ての子供たちが同じ環境で生まれ、育ち、同じ教育を受けて生きていくなど不可能でしょう。彼に限らず子供時代に辛い経験を過ごした人など山ほどいます。両親が居ない子供もたくさんいるでしょう。でもそのほとんどの人は殺人事件まで起こしません。
貴方の意見を読んでいると、死刑制度反対者でよくみかける「見識者で裕福な人生を送っているからこそ、卓上でしか物事を考えられない人」にしか見えません。
失礼ですが私からは一番重要である「善悪」の判断が貴方こそ欠如しているように見えます。
自分の満たされない気持ちを発散するべく、他人を殺めるのは、未成年だと許されるのですか?
となるなら、成人でも(例えば満20歳を過ぎても)子供の頃の生活が満たされない人生だったとするならば、全ての殺人犯に当てはめられる事にもなりませんか?
貴方はご自分の子供が酷い殺され方をしても、肉親が殺されても、その犯人の生い立ちを不憫に感じたならば生きていて欲しいと本心で思えますか?
所詮他人事であるから、被害者の感情を抜きにして卓上で意見しておられるようにしか見えません。
貴方のその意見は、被害者ご遺族の前で堂々と発言できますか?
投稿: 通りすがり | 2012-03-01 01:55
通りすがりさん、まず申し上げます。私の考えに沢山の反対意見がおありのようですが、如何にご意見を述べられてもそれは結構だと思いますが、ここで議論を交わすつもりはありません。エントリーに書いているのが私の一意見です。そして、ブログ(本文内で)が私の意見を述べる場です。
また、ついでなので少し反応させていただきますが、私がこのエントリーの最後に書いた二つの後悔は、子どもを育てる親として、子どもたちが親から巣立つ前に是非ともやっておきたかった私事として書いています。このような残酷な事件が二度と起きないようそう願って止みません。また、この事件で言えるのは、悪意からの罪ではなく、人間の持つ残虐さに偶然がいくつも重なって起きた事件と感じました。
最後に、コメント欄で私のようなブロガーにぶつけるのではなく、ご自身のブログでお書きになり、広く多くの方に読まれるようになさったらいかがでしょうか。
投稿: godmother | 2012-03-01 08:46
通りすがりです。3回目の書き込みになります。
お返事をありがとうございました。
確かにここで議論する事は不毛でしょう。
ですが、ここは公に公開してあるページです。誰でも読むことができる場所へ貴方はご自分の意見を述べておられます。
私事として備忘録のように何かに思いを書いておきたいならば、ご自分の机の上の紙の日記帳、またはローカルPC内のテキストファイルにでも記述し保存しておけばいいのではないでしょうか?
少なくともgodmotherさんは、BLOGという公の場で不特定多数の方にご自分の意見を述べておられるのですから(皆にご自分の意見を言いたい、読んでもらいたいという意図があったはずですから)、その意見に対してコメントが来た場合に、知らぬ存ぜぬでは我侭すぎないでしょうか?
極端に言えば、たかがBLOGの書き込みでも犯罪予告は警察に捕まります。
ですがご自分の机の上の日記帳にそのような事を書いても捕まらないでしょう。
つまりここは貴方が開設したBLOGではありますが、貴方の自由空間ではないという事をご理解下さい。
公に公開設定しているBLOGである以上、記述してある内容には責任が伴うということです。
また反対意見が出るような事を公で話すのですから、それについて私は議論したくありませんというのは、ここを訪れて貴方のBLOGを読んだ方に失礼じゃないでしょうか?
どこかの政治家のように好き勝手に発言を繰り返して、発言の責任は持ちませんでは常識的に通らないでしょう?
それと同じことです。
BLOGやツイッターが炎上するのは、これらの媒体が不特定多数が読める公の場であるということを忘れて、好き勝手に意見を述べる方が多いからです。
道徳やマナーに反する場合は特に炎上しやすいでしょう。
ご自分の秘密が守られる机の上の日記帳(特定の人しか読めない状態)とは違うという事を理解しましょう。
それと私はここで延々と議論するつもりはありません。
ただ、死刑反対の意見を唱えておられるgodmotherさんのご意見をお聞きしたかったので、コメントを致しました。
私が指摘した部分をどのようにgodmotherさんは捉えて判断されて、それでも死刑反対を主張されるのか、そこを詳しくお聞きしたかったのです。
光市の事件でもわずか1歳にも満たない幼児が殺されております。
これらの被害者の人権を無視した凶悪事件でも、犯人に税金を使ってまで終身刑で生涯生活保障をしたいと考えているgodmotherさんのご意見をお聞きしたいのです。
失礼ですが私はgodmotherさんのご意見は、被害者よりも加害者の精神的内面ばかりを深く見ようとし、事件全体を考慮されておられないように見受けました。つまり被害者の方の生きる人権を蔑ろにしているように感じております。
そこを全て踏まえた上で、皆が理解し納得できるご意見をお聞きしたいのです。
であるならば、私も終身刑という制度もあってもいいのではないか?と感じる事になるでしょう。
しかし、現時点での貴方の書き込み内容では、そう思いなおすことができない端的なご意見だと感じております。
通りすがりです。お返事をありがとうございました。
確かにここで議論する事は不毛でしょう。
ですが、ここは公に公開してあるページです。誰でも読むことができる場所へ貴方はご自分の意見を述べておられます。
私事として備忘録のように何かに思いを書いておきたいならば、ご自分の机の上の紙の日記帳、またはローカルPC内のテキストファイルにでも記述し保存しておけばいいのではないでしょうか?
少なくともgodmotherさんは、BLOGという公の場で不特定多数の方にご自分の意見を述べておられるのですから(皆にご自分の意見を言いたい、読んでもらいたいという意図があったはずですから)、その意見に対してコメントが来た場合に、知らぬ存ぜぬでは我侭すぎないでしょうか?
極端に言えば、たかがBLOGの書き込みでも犯罪予告は警察に捕まります。
ですがご自分の机の上の日記帳にそのような事を書いても捕まらないでしょう。
つまりここは貴方が開設したBLOGではありますが、貴方の自由空間ではないという事をご理解下さい。
公に公開設定しているBLOGである以上、記述してある内容には責任が伴うということです。
また反対意見が出るような事を公で話すのですから、それについて私は議論したくありませんというのは、ここを訪れて貴方のBLOGを読んだ方に失礼じゃないでしょうか?
どこかの政治家のように好き勝手に発言を繰り返して、発言の責任は持ちませんでは常識的に通らないでしょう?
それと同じことです。
BLOGやツイッターが炎上するのは、これらの媒体が不特定多数が読める公の場であるということを忘れて、好き勝手に意見を述べる方が多いからです。
道徳やマナーに反する場合は特に炎上しやすいでしょう。
ご自分の秘密が守られる机の上の日記帳(特定の人しか読めない状態)とは違うという事を理解しましょう。
それと私はここで延々と議論するつもりはありませんが、私が指摘した部分をどのようにgodmotherさんは捉えて判断されて死刑反対意見を主張されているのか、そこを詳しくお聞きしたかったのです。
光市の事件でもわずか1歳にも満たない幼児が殺されております。
これらの被害者の人権を無視した凶悪事件でも、犯人に税金を使ってまで終身刑で生涯生活保障をしたいと考えているgodmotherさんのご意見をお聞きしたいのです。
私はgodmotherさんのご意見は、被害者よりも加害者の精神的内面ばかりを深く見ようとし、事件全体を考慮されておられないように見受けました。つまり被害者の方の生きる人権を蔑ろにしているように感じております。
そこを全て踏まえた上で、皆が理解し納得できるご意見をお聞きしたいのです。
であるならば、私も終身刑という制度もあってもいいのではないか?と感じる事になるでしょう。
しかし、現時点での貴方の書き込み内容では、そう思いなおすことができない端的なご意見だと感じております。
先月でしたか、北海道で餓死した姉妹がおられました。
この姉妹は市の生活保護の方と相談されておられたようですが、結局受給できないまま北海道の極寒の中、餓死しております。
私達が収めている税金を、自己の欲望のままに人を虫けらの如く殺してしまうような殺人犯を生涯生活保障するために対して使われるのは、私は真っ平ゴメンです。
そのような殺人犯は死刑反対を訴えている方だけの支えで助けてあげてほしいと考えております。
投稿: 通りすがり | 2012-03-14 22:31
通りすがりさんが私に質問されている内容は、裁判で、お互いが裁判員として議論できる土俵に上がった時に交わすような内容だと思います。彼を死刑にすべきかそうでないかなど、ブログのコメント欄でやり取りしたいとはおもいません。また、そのことにだけ焦点を当ててこのエントリーを書いたつもりもありません。なので「私はgodmotherさんのご意見は、被害者よりも加害者の精神的内面ばかりを深く見ようとし、事件全体を考慮されておられないように見受けました。つまり被害者の方の生きる人権を蔑ろにしているように感じております。」と言った解釈は、的外れです。
貴方様の質問に答えたり、議論したりするようなやり取りをお断りした理由は以上のように、このエントリーに書いている私の真意を読み取ってはいただけていないと判断したからです。文中にも次のように書いています。「この意味は、私が裁判員にいつか選出された時、そして、この様な事件に遭遇したとしたら、他の裁判員と激論を交わすということなのだと腹に落ちた。」「他の裁判員」とは、正に貴方様のようなご意見をお持ちの方とです。そして、「整理してみると、私の悶々とした感情の元は、どうやらこのことだったようだ。裁判員としての私が議論を交わす相手とは、とてつもなく「大きな集団的圧力」になるのだろう。そう覚悟したものだった。」は、「人民裁判」のような形で片付けてしまいたくないと、この裁判の公正さの点から問うているのです。その部分は、「今回の最高裁が出した死刑判決は、これら世論の影響を少なからず受けたのではないだろうか。率直に言うと、日本社会が応報感情に左右され、それが集団的圧力となって裁判に影響するのであれば、裁判が、「人民裁判」になるとも言えなくはない。」で、ここに違和感を感じてエントリーを起こし、その自分に向き合って書いています。
また、「私が指摘した部分をどのようにgodmotherさんは捉えて判断されて死刑反対意見を主張されているのか、そこを詳しくお聞きしたかったのです。」というご質問も的外れです。死刑反対意見など、ここでは書いていませんし、そこが私の着眼点ではありません。「死刑に反対」という意見を私がすると、仮に仮定したなら、それを発するのは、裁判員として多くの方々と議論を交わす場所になるでしょう。
投稿: godmother | 2012-03-15 06:32
ご迅速な回答をありがとうございました。
また、文章を書き直すためにコピー&ペーストをしましたが、2回続けての書き込みとなってしまい、お見苦しい投稿となり大変失礼致しました。
まず貴方はご自分の意見が今回の光市の事件の判決と相違した(死刑判決に違和感を覚えた)という事でよろしいでしょうか?
また私の意見を「その他大勢」の裁判員と同じであると一方的に決めつけておられ、ご自分の意見は「その他大勢」と激しく激論を交わす立場になると述べられておりますよね?
貴方はまだ裁判員として選出されていない立場であるのにも関わらず、この様な事件に遭遇したと仮定して先に「その他大勢」と激論を交わすと決め付けておられますよね?
つまりは貴方の考え方は、その他大勢の意見と相違するであろうと自覚しておられて、その他大勢の意見はgodmotherさんの意見を汲み取ってもらえない、または理解してもらえない(程度の頭脳しか持ち合わせていない集団)と、これも決め付けておられる事になりますよね。
貴方は公正明確に物事の事象を判断することのできる素晴らしい人なのですか?
貴方が裁判長になり全ての事件の判決を出すと、極めて100%公正であり、感情に左右されない神様仏様のような立派な判決を出す事ができるのですか?
それだけ他人の意見を見下すことのできる、とても素晴らしい人なんですね。
私に対しても真意を読み取っていただけないと、門前払いを食らってますが。
貴方は今回の判決を(公正さを無視した集団の圧力による)「人民裁判」という皮肉を入れた内容にて記述しておられますが、では貴方は何が公正であるのか、今回の判決はどこが間違っていると思われるのか、まずはそれをお教え願いたいと思います。
【単に違和感を覚えたという曖昧な気持ちであるなら、BLOGに書かずにご自分の日記帳へどうぞ!】
>「今回の最高裁が出した死刑判決は、これら世論の影響を少なからず受けたのではないだろうか。率直に言うと、日本社会が応報感情に左右され、それが集団的圧力となって裁判に影響するのであれば、裁判が、「人民裁判」になるとも言えなくはない。」
つまり貴方は違和感を覚えているのですよね?
今回の判決結果のどこに違和感を感じておられるのでしょうか?
今回の判決結果の公正さが無いと判断されたのは、どこを見てそう考えられたのでしょうか?
私が現時点でひとつ確実に言える事は「事件の原因を作ったのは加害者」だということです。
加害者の彼が自己の欲望(見ず知らずの女性を犯したいという欲求)を実行しなければこのような悲惨な事件にはなりませんでした。
つまり加害者の自らの意思で引き起こした事件によって、加害者側がマイナスの立場から審議が始まるのは当然であると私は思っております。
そのマイナス分、つまり求刑に対して周りの状況などを踏まえて、減刑していくのが一般的な考え方であると思っております。
今回の事件については減刑されずに求刑通りの判決となりましたが、この判決結果を集団的圧力となって影響を受けたと何故そう貴方は言い切れるのでしょうか?
反対意見を言うのは誰でも簡単に言えるでしょう。
ですが、その意見が理路整然としており、誰もが納得しうる意見であった時に、初めて公正な意見ということが
できるのではないでしょうか。
今回の判決結果は公正でないと感じておられる貴方のご意見を是非お聞きしたいのです。
>「死刑反対意見など、ここでは書いていませんし、そこが私の着眼点ではありません」
書いてますね。小林被告の死刑の時のBLOGでも今回の光市の事件のBLOGでも違和感を覚えるということは、判決結果を納得できないからですよね。
また貴方様のBLOG内容を読む限り、はっきりと断言し書き込んではいないのかもしれませんが、それをほのめかす内容の文章は書いておられます。
それと、私が書いた終身刑の事についてと、BLOGという公に意見を発言するスペースでの利用についてどうお考えなのでしょうか?
貴方の考えのように、BLOGでは好きなことを言った者勝ち、犯罪はやった者勝ちとでも?
ご自分でご都合の悪い部分は全て無視されておられるように見えます。
残念でなりません。
投稿: 通りすがり | 2012-03-15 11:58
「残念でなりません。」>では、これにて。
投稿: godmother | 2012-03-15 12:58
この返答はなんでしょう?
人を馬鹿にするにもほどがありますね。
真面目に時間を割いて意見した者に対しての最大の侮辱です。
私は貴方の意見をお聞きしたいと書いたのですが、貴方は無視するのですか?
BLOGの公共性についてと、違和感についてと、終身刑についてのご意見を求めております。
それの正当性も主張できないのですか?
ご自分の意見を正当化できないのであれば、BLOGなどで発言しないでいただきたい!!
少なくとも初回の私のコメントに回答せずに、無視した時点で、貴方の人間性はそこまでの方なのでしょう。
真面目に意見した者に対して、荒らしと同様の対応をしないでいただきたい。
投稿: 通りすがり | 2012-03-15 14:44
「残念でなりません。」という言葉の持つ意味は、相手を自分が切っているのと等価です。残念の先に何も期待されないのがその意味でしょう。また、3つの質問は、このエントリーに意図して書いている内容に関してではありません(前段、コメント欄にて説明済み)。
書き手が書いていないことにまで質問への解答を執拗に要求する読者の傲慢さに呆れます。
投稿: godmother | 2012-03-15 16:04