2012-02-16

欧米諸国とイスラム諸国の自由と民主化の奇妙な共通点

「民主主義」ってどういうことだったのかなと、最近とても不思議な思いで考えている。Wikipediaによるとこうある(参照)。

民主制(みんしゅせい、デモクラシー、英語: democracy)とは、国家や集団の権力者が構成員の全員であり、その意思決定は構成員の合意により行う体制政体を指す。日本語では特に政体を指す場合は民主政(みんしゅせい)とも訳される。日本語の広義の「民主主義(みんしゅしゅぎ)」は上記を指すが、狭義ではこの民主制・民主政を他の制度より重んじる主義(思想・運動)を言う「=民主制主義」。

この「民主主義」の定義に、現在世界で起こっている様々な情勢が当てはまらず、私の脳内に混乱が起こっている。中東の「アラブの春」に見る市民の民主化運動が勃発してから早、一年を過ぎて、今頃ふとこんな疑問を持った。これを機に、少し整理しておこうと思う。

まず、この様なことに疑問を持ったきっかけは、核を保有するイランに対して、米を中心に各国が経済制裁を与えると決議してからだった。イランは、核拡散防止条約に違反するとして米を中心に、中国とロシアを除く先進各国から制裁を受けている。この制裁によってイランを報復させ、核保有を放棄させたいからだが、イランは、核保有を正当としてこれに強く抗議している。また同時に、イスラエルとは反目が続き、年内にイスラエルがイランに先制攻撃を仕掛ける可能性なども関係者などでは論じられているようだ。また先日のイランの核科学者殺害に関しては、イスラエルが加担し、アメリカがそれを知りながら黙認しているということなどについて極東ブログ「イランを巡る不明瞭な状況」(参照)で真相を知った。この様なひりひりした関係の根底には、1979年の「イラン・イスラム革命」から続く、アメリカを含めた激しい敵対関係があり、イランの核拡散が懸念されている。

革命後のイランは、イスラエルがイスラムの土地を占領しているとしてイスラエルを国家として認めていないと言うのが根底にあるからだと言える。また、この両者の戦争を腫れ物のように欧米諸国が扱う理由として、イランの国教はシーア派イスラームであり、中東各国にシーア派が散らばっていることがその主な理由である。イスラエルとイランが戦争を催せば、昨年2月から続いているバーレーンでの、シーア派住民による反政府運動は収るどころではなくなる。少数派でありながら実権を握り続けてきたスンニ派は、唯一皇太子が改革の必要性を認めたくらいで、具体策に乏しい。

また、サウジ王政がバーレーンの動きに神経を尖らす理由に、石油産出地帯である東部を中心にシーア派が多く居住しとている点があると思う。これが少し厄介で、サウジアラビア国内のスンニ派の運動は、王政の非民主的性格を批判しているだけなのに対し、シーア派とスンニ派という宗教面から見ると、シーア派は、厳格な宗派であるワッハーブ派がサウジアラビアを取り込んでいることに反発しているため、「分離・独立」に向けて動く可能性があることだ。サウジ王政が脅威を抱くとすれば、東部地域で起きている抗議行動が、バーレーンのシーア派と連動することではないだろうか。このことは以前にも書いたが、イランとイスラエルが戦争を起こすと、中東のいたるところに居住するシーア派とスンニ派の戦いの火種になることだ。

また、イランが盟友シリアに食料品の輸入代金の名目でに780億円拠出をするというのだ(参照)。

アッザーム氏が昨年12月8日、イラン代表団のシリア訪問に関してアサド大統領らに送付した報告メールによると、イラン側はシリアから食料品などを10億ドルで輸入すると表明。また、シリアから日量15万バレルの石油を1年間輸入することを検討するとも約束した。

同月14日付のメールには「シリアとイランの中央銀行は、両国間の資金移動を容易にするため、ロシアと中国の銀行を利用することで合意した」とも書かれていた。(共同)

欧米諸国がどれほどの制裁措置をとっても、反体制を取っている中露の支援が、湯水のよ如く注がれるようだ。シリアの市民は政府の弾圧にもめげずこの一年、「民主化」を訴えてきているが、中露のシリア政府支援は、市民の弾圧を強化するための資金援助とも言える。

宗教の違いは、戦争の火種としては充分な要素だが、中東の「アラブの春」と言われているこれらの運動は、非民主的な政府に対する抵抗運動で、政権転覆を果たせば、そこには「民主化」が期待できるとしたら、欧米の民主主義国家は、その価値観でこれら中東諸国の政権交代を「民主化」と言い切ることが出来るだろうか。この疑問は、「ウオール街占拠」運動でアメリカ市民らが、グルーバル化した社会による収入格差や一部の銀行が世界金融を動かすことによる私服を肥やすための方策への不公平などを訴えるものだった。これの意味するものは、目指してきた「自由」と「グローバル民主主義」は、果たして本当に万人にとって豊かな生活を齎したのだろうかという疑問だと思う。

中東諸国の独裁と圧政に対する市民の抗議と、ウオール街に集まった市民の抗議は共に、ある意味自由を訴えるものでもあったと思う。働いて相応の収入を得、人として生きることを希求することではなかっただろうか。これは、市場原理主義の間違いを見直すきっかけともなった。

欧米の「グローバル民主主義」が市民によって問われていることや、中東諸国の反政府運動が「民主化運動」だと言えるのなら、両者の政府は何だと言えるのだろうか。言い方を変えれば、欧米諸国が中東で振りかざしている「グローバル民主主義」は、何か勘違いのようなものがあるのではないだろうか。 これは、他人ごとではない。日本は、米に追随している国だからである。私自身は、非常に居心地の悪い所にいる感じがしている。

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コメント

気になっていたことがここに表わされています。「グローバル民主主義」の問題なんですね。「グローバル資本主義」がだめだから「グローバル民主主義」を、なんていう単純なものでもなさそうだし、「坂の上の雲」の影響かもしれないけどもう、日本は明治の天皇制でもいいのではないからふと思ってしまいます。

投稿: kamiteku | 2012-02-16 07:29

kamitekuさん、因みに、日本は、明治維新以来の中央集権国家に逆戻りのような気がしています(笑)

投稿: godmother | 2012-02-16 11:46

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