元少年に示された「死刑」判決-光市母子殺害事件
2月20日、最高裁で死刑判決が確定した山口県光市母子殺害事件のことを再び思い出していた。13年前にこの事件が起きた頃は、少年犯罪が多発し、ニュースでは多くが報じられる度に憤りを覚えたものだった。かと言って、今回の「死刑」判決を喜ばしく思っているかといえばそうではない。むしろ、この判決に反発するような気持ちや疑問が湧いた。判決を知ったこの日からずっと悶々とした気持ちが滞り、一体何だというのか、この気持がまったく見えないでいた。まず、最初にこの判決を知ったNHKニュース(参照)で気になる部分を取り上げてみた。
平成11年、山口県光市で主婦の本村弥生さん(当時23)と生後11か月だった娘の夕夏ちゃんが殺害された事件では、当時18歳だった大月(旧姓福田)孝行被告(30)が殺人などの罪に問われました。
1審と2審の判決は無期懲役でしたが、最高裁判所が審理のやり直しを命じたのを受けて、4年前、広島高等裁判所が死刑を言い渡し、被告側が上告していました。
20日の判決で、最高裁判所第1小法廷の金築誠志裁判長は、「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷、残虐で非人間的な犯行で、遺族の処罰感情はしゅん烈を極めている」と指摘しました。
そのうえで、「被告が犯行当時少年で、更生の可能性もないとは言えないことなど酌むべき事情を十分考慮しても刑事責任はあまりにも重大で、死刑を是認せざるをえない」と述べ、被告側の上告を退けました。
これによって、死刑が確定することになりました。
中略
少年事件は厳罰化の傾向
少年の事件では、少年の立ち直りの可能性を考慮して成人とは異なる取り扱いをすることになっていますが、厳罰化の傾向が強まっています。
少年が事件を起こしても成人に比べて未熟だとされる少年の立ち直りの可能性を考慮して、18歳未満には死刑を言い渡すことができないなど法律上、成人とは異なる取り扱いをすることになっています。
20日の最高裁の判決は、少年であっても凶悪な事件を起こした責任や結果を重視するという姿勢を改めて示したもので、少年による重大事件の厳罰化の傾向がさらに強まりそうです。
私は何に反発しているのか。判決そのもだろうか、それとも、終身刑では不服とする遺族である夫の訴えや、それをごもっともだとする世論に対してだろうか。または、裁判官の意見が真っ二つに分かれていたにも関わらず、死刑判決を出した経緯に対して議論が不充分だったと言いたいのだろうか。近年の凶悪犯罪に対する量刑の厳しさに対する反発だろうか。いや、反発とも違う。気持ちが沈んでしまってそのやり場に困り、諦めざるを得ないような残念な気持ちだろうか。そんな中、極東ブログ「光市母子殺害事件元少年の死刑」(参照)でこの判決について考察されたエントリーを読み、疑問を感じていた核のような部分に触れてやっと思いが氷解し始めた。
20日の最高裁第一小法廷では「何ら落ち度のない被害者の命を奪った冷酷・残虐で非人間的な犯行。心からの反省もうかがえず、遺族の被害感情も厳しい」「刑事責任はあまりにも重大で、死刑を是認せざるをえない」とされたが、この言明に日本国民の支持が暗黙裡に織り込まれていると見てよい。残忍非道なら死刑を是認せざるを得ないとする現在の日本国民の意思に、最高裁が法を調節したものだろう。今後こうした刑事事件は裁判員裁判の対象となり、日本国民の死刑についての意思が露出してくるが、それに先回りして調節したものでもあるだろう。
この意味は、私が裁判員にいつか選出された時、そして、この様な事件に遭遇したとしたら、他の裁判員と激論を交わすということなのだと腹に落ちた。
私は、今回の判決には反対意見で、と言うよりも、裁判官の間で議論になったと報じられた元になった「被告の育った環境などを考えると精神的な成熟度が相当低い可能性があり、死刑を避ける必要があるかどうか、さらに審理が必要だ」という意見に賛成だ。と、断言できるだけの確固とした理屈が並べられたらどれほどすっきりするかと思うが、裁判の成り行きを理路整然と言い切るのは非常に難しい。
きっかけとなったのは、1審と2審の判決は無期懲役だったが、最高裁判所が審理のやり直しを命じたのを受けて、4年前、広島高等裁判所で死刑が言い渡された時だった。18歳1カ月の未成年者であろうと「死刑を例外とはしない」と踏み込んだ判決に驚きを隠せない感情もあったが、これは、後世の裁判に影響する極めて重い判断だったと思った。1968年の「永山基準」だけでなく、結果の重大性や遺族の被害感情を重視した司法の姿勢がうかがえたからだ。
また、当時の世論から、「自分の家族がこんな事件に巻き込まれたら」と被害者側の感情を想像し、その遺族に同情が寄せられたのも理解できる。が、死刑か否かの二者択一を迫るような「量刑判断」は、それ自体がカプセルのような狭い場所に社会の世論全体が封じ込められてしまったような状況だったとも感じた。無期懲役判決が出るやいなやメディアからは、被告や裁判所に対する激しい反論や異論がカプセルから飛び出した。今回の最高裁が出した死刑判決は、これら世論の影響を少なからず受けたのではないだろうか。率直に言うと、日本社会が応報感情に左右され、それが集団的圧力となって裁判に影響するのであれば、裁判が、「人民裁判」になるとも言えなくはない。
整理してみると、私の悶々とした感情の元は、どうやらこのことだったようだ。裁判員としての私が議論を交わす相手とは、とてつもなく「大きな集団的圧力」になるのだろう。そう覚悟したものだった。
この裁判の件から私事で二つ、悔やまれることがり、書き添えておきたい。
娘が中学三年になったばかりの春、8年間の山村暮から地元中学へ戻ってきた直後の事だった。別のクラスの女子に嫌がらせを言われ、イジメを受けていると言うのである。担任に状況を確認してみたところ、担任はその様子を知らないようだった。だが、家庭的な問題を抱えている生徒で、度々この様なことが起きている背景もあり、おそらく、娘には非のないことでイジメが存在しているのだと思う、と話していた。
この話を聞いて、何度となく繰り返されたこの生徒のイジメ行動は、今までの教師の指導が指導になっていないからだと感じた私は、同じように生徒を指導することに異論を話した。が、担任は、「どんな事情が家庭にあろうと、悪いことは悪いですからここは叱って正します」と、言い切った。ここで意見でもしようものなら越権行為ともなりうるるため口を噤んだが、気になっていたのは、同じ事を繰り返す生徒の行為の背景を学校が知っているにも関わらず、同じような指導して「生徒指導」として終わりにしている点だった。この生徒の悲しく寂しい気持ちが、他者へのイジメという歪んだ形となって表出していたのは、満たされない気持ちを何とかしたいというサインであり叫びではなかっただろうか。光市の事件の加害者である青年は、若妻に襲いかかったのではなく、赤ちゃんを抱いている母の姿に自分の親を重ねて抱いて欲しかったと供述したのを知り、自殺して戻ってこない母を慕って寂しかった気持ちを誰にも受け止めてもらえなかったことが窺える。これらは、子どもたちが未成年の内に傍らの大人が気づいてやるべきではなかったのかと悔やまれてならない。
もう一点は、息子が他校の中学生に暴行を受けた時だったが、被害届を出した後、警察をとおして生徒の親が謝罪したいと申し出てきた際、息子の学校長は、彼の家には家庭的な問題があり、「札付きの生徒」で問題ばかり起こしている。暴行という小さな事件程度で懲りさせる方が良い」という判断を私に知らせてきた。つまり、被害届を引っ込めないほうが良いのだと暗にほのめかしてきた。相手の親と面会もしない内に私は、校長の方針に沿ったが、ずっと後味の悪い思いが残っている。理由は、警察に突き出す前に、親として、相手の親にもっとお節介を焼いておけばよかったという後悔だ。思春期でもあり、家庭(夫婦)の不和の問題は、ひいては子どもが被る問題だと思うからだ。
親の抱える問題のしわ寄せを余儀なく受けている子どもらは、親には文句一つ訴えてくることはない。全て自分が受け身となるしか選択肢はない。その理由は、親の不和を心配し、その親に嫌われまいと生きてゆくしか無いからだ。子どもに親を選ぶ権利など無いからだ。その満たされない気持ちを押し殺して我慢しながら生きた挙句、「悪意」からの犯行だったと、私は言い切れない。
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