2012-01-11

吉本隆明翁とクルーグマン氏、サマーズ氏に教えてもらったこれからの日本について雑感

 Twitterでは思うままに時々つぶやいていきたことだが、戦後、資本主義をもっとうに経済発展を遂げてきた日本が、このままではどうもいけないという危惧を持ち始めていた頃から疑問が払拭できないでいた。Twitterのタイムラインにそのまま置いておくよりはまとめて記録しておく方が後々良いかと思い、まとめることにした。ここでは、「おぉ、日経が米外交政策批判をしている」(参照)でも書いたように、日本の歴史を少し振り返ってみたりしたこともきっかけではあった。世の中が変わってしまい、日本が変貌を遂げてしまった根本理由は何か?昭和の時代感覚を自覚している私が感じるこの違和感は、今の世代は持っていないし、上の世代は、現実的ではない何か別の幻想を追っているかに思え、一人の思考ではどうにも解決できないものだと思っていた。そこに降って湧いたように大きなヒントをもらった。まず、そのことから書いておこうと思う。
 「吉本隆明の言う「精神の速度」について」(極東ブログ)で、吉本翁の説を引用して説明されている現代社会が非常に説得力のある、わかりやすい内容だった。「完本 状況への発言」(Amazon)につての書評というエントリーではないが、私の世代感から、翁の話はすんなり入ってきた。ここでテーマを拾ったと感じたのはこの部分だった。

 この産業の高速化のなかで、人間が再び、その人生の総合的な意味を獲得することが可能なのか。私にはわからない。私について言えば、人間なのだから、そうする意外ないだろうというだけだ。

 これは大きなテーマである。
 今現在、産業は高速化しているだろうか?という疑問がまず降りてきた。これは精密業の盛んな諏訪という特別な地域色からそう思うのだろうか。私はここに住んで25年程になる。その中で、ここ数年で諏訪の製造業の大手は海外移転に方針転換しているため、戦後からその恩恵に縋ってきた中小企業は廃業、もしくは倒産という現実だからだ。そして、ふと気がつくと、これらの会社を運営し経営の一線を画してきた世代は団塊の世代であった。何故、彼らの経営は崩れたのか?いろいろ原因はあると思うが、突然大きな倒産を催した会社のやり方は、一攫千金的な手法だったと言える。高度成長期時代は、とにかく、作れば売れた。その好景気において生産できる最大量は「潜在生産量」と言われているが、それが絶頂を迎えたのは1990年までだったということがここではっきりした。アメリカの経済学者であるポール・クルーグマン氏が興味深い考察をしているので紹介したい(参照)。
 労働人口あたりのGDPを表すために、潜在労働力に対する産出を日本とアメリカで導き出し、日本対アメリカの比率が分かるようになっている。

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ちなみに,2007年でとめてるのは,金融危機による変化で全体図をゆがめないためだ。

 ここからわかるのは、1990年-2000年はホントに「失われた10年」だったってことだ:日本の潜在労働力あたりの産出量は,かつてこそ安定して上昇していたのに,アメリカに対して大きく下がってる.ただ,2000年以後は,その失われた分のすべてではないけど大半を取り戻している。

 アメリカと比較するという意図は、Eamonn Fingletonという経済学者が日本に関して分析した論文をクルーグマン氏がどのように評価するか読者に答えるためのエントリーであることから、アメリカの生活感と比較しやすいようにだと思う。ことさらアメリカと比較するまでもなく、一目瞭然だ。
 失われた10年と言わず、20年だということも付け加えたい。これは後で触れる、クルーグマン氏の提示するグルフではっきりする。つまり、二十年以上前の好景気時代の残像を夢見て一勝負を賭けた会社は、賭けた以上の負債をカバーする余力もなく突然姿を消してしまったのだ。そして、その予言するかのように昔にそのことを説いていたのは吉本隆明翁だったというわけだ。
 ここで私は思いの外翁に親近感を感じ、早速「完本 状況への発言」を注文した。
 さて、ここで一件落着したかに思ったが、話の展開はローレンス・H・サマーズ氏(ハーバード大学教授。元米財務長官)のコラム「資本主義はなぜ人々を失望させているか=サマーズ氏」(ロイター)で、私の心はがっつり掴まれた。ちょっとー、私の心をどうして読めるの?と、このコラムを読んで嬉しくもあった。色々考えた挙句、これ以上考えられないという知性の限界にどうけりをつけるかと言えば、何かの主義のせいにして思考を停止することがその結末だった。が、市場資本主義がダメなんだよ、ということに帰結するのは的はずれだと指摘された。いや、いてーなぁ。ははは、水が上流から下流に向かって流れるように、知性と教養のないところへはあるところからちゃんと降りてくる。早速、読んでみて、これまた嬉しいことに著名な先生方の連鎖じゃないか。吉本翁の時代感覚を裏付けるかのようにクルーグマン氏がお絵かきをして見せ、更にはサマーズ氏のコラムで吉本翁の説に肉付けのような説明が加わった感じである。
 何故、望まない社会が今形成されたか?その経緯と結果はこの部分に要約されていると思う。

 農業中心の経済が工業中心の経済に屈した理由は、食料に対する需要を少数の労働力で満たすことができ、多くの労働者が農業以外のセクターに流出したためだ。現在、製造業や幅広いサービス分野でも同じプロセスが起きており、人々の雇用が減少している。同時に、近代工業時代の初期と同じく、産業構造の著しい変動や大量生産が可能になったことが、数少ない幸運な人々にのみ莫大な富をもたらす結果となった。

 高度成長によって技術開発が進んだ分、人を必要としなくなった製造畑で余った人々をどこに回したら良いのか案中模索の状態が今の状態と言える。もっと言えば、クルーグマン氏が示す通り、失われた20年になる前に手を打てばよかったのだと言われているようだ。誰が?え、私じゃないよ。と思った瞬間、政治家を選んだのは自分だなと気づく。しょぼーんな感情がまた、私を覆った。
 この後、サマーズ氏は放り投げてはいない。ここが立派なところ。将来の展望ではこう述べている。

 今のように不満足な成果しか得られない場合、現在の努力を一層進めるべきだと考える人と、進むべき方向を転換すべきだと主張する人の間で、常に議論が巻き起こる。だが、市場資本主義に関して言えば、その議論はやや的外れだ。市場資本主義が取り入れられた分野は大きな成功を収めている。次の世代の課題は、その成功がますます当然と受け止められ、苦しい場面ではますますフラストレーションの根源になったとしても、市場の領域を外れて成功を成し遂げることはできないことだ。最も必要な改革は現代の資本主義者の役割ではなく、少なくとも医療、教育、社会的保護に関わる人々の手に委ねられている。

 ここでの対象は、もちろん将来性のある若者達だろう。人生設計をこれからするのだという選択肢に、是非加えたらどうか。そんなメッセージが伝わってくるじゃなか。
 さて、最後に政治が浮上したことでクルーグマン氏が引き続きエントリーした「クルーグマン「さらに日本について(難しめ)」(2012年1月10日)」(翻訳)が興味深い。

労働年齢人口あたりの実質GDPをみてあげると,もっとよく理解できる.15歳から64歳の人口をもとにしたお絵かきをしてみた.対数で提示してある.これは,一定した成長率が直線の傾向になるようにするためだ:

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〔※タテ軸の単位?〕
直線の傾向を書き込んであるのは,もし労働年齢人口あたりの潜在GDPが一定の率で成長していたならどうなっていたかを示すためだ.
このお絵かきをみてもらうと,日本経済はたしかに約16年にわたって停滞していたらしいのがわかる.それも,1990年代後半の不況後に停滞は深まっている.でも,〔2008年の〕金融危機前夜にはおおよそ潜在産出にまで復帰していたのかもしれない。

 このグルフでわかることは、日本は1990年まで成長を続け、1990年を境に2007年まで潜在生産量をずっと下回って来た点だ。これは何を意味をするか?潜在生産量を基準に生産性が下回ると、生産者は生産能力の過剰をバランスさせるために値下げする。極端話、作れば作るほど赤字になるとも言える。いや、これは極端な例ではなく、現実に起こっていることだ。「インフレーションが減速する」とWikipedeaには書いてあるが(参照)、現場感覚ではモロに赤字経営となる影響は強い。
また、こうなる原因についてだが、クルーグマン氏はこうも述べている。

誤解なきように.これが示しているのは,政策が成功したっていうことじゃあない.それどころか,これは巨大な損失を示している.でも,その条件は永続的じゃなかった.
さらにもう一点:日本の適合についてどう考えるにせよ,日本銀行は,2002年から2007年にかけての比較的によかった好機を利用してデフレから脱却しなかったことで,その任務に失敗した.2008年に危機がおきたときにもまだデフレ経済だったことで,日本は必要以上に大きな痛手を被ることになってしまった.

 がちょ~んっ。やっぱり政治と銀行の政策が失敗だったと。これだけ先生方が日本経済を分析してくれていることに対してこれ以上何ら物申すことはない。
 では、これで将来が明るいのか?少なくとも私にとってのチャンスはもうないだろう。ただ、もっと気がかりもある。婚姻率減少の事実から、次の世代と言ってもどの世代を描けばいいのか、これが見えてこない。アメリカの統計から少し垣間見ることができる「米国の婚姻減少の理由は何か」(極東ブログ)が、興味深い記事を拾っている。
 日本は草食系男子を言うようになってからはてな界隈が少しざわついたが、つまり30歳代の婚姻はいいとして、子どもを産んで育てようと願うか?親としての自覚の定着性なのか、社会人としての単なる同居(同棲のような)なのか?よくこの世代のことはわからないが、婚姻率が低い上、子どもの出生率も低かったら、働き手は少なくなると見て良い。つまり、人は余らず、雇用が促進するのかもしれない。そう思いたいものだけど、どうだろう。

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コメント

料理のような捌き感ですね。仕上がりに充実感はないでしょうが。草食系男子には期待感が薄いのですが、草食系男子に相応するように出てきた働き蜂系女子は、なんか犬死に覚悟のような働きをするので、何かを変えるかもです。

投稿: | 2012-01-11 12:32

Oh my God!草食系男子の対局を書くのを忘れました。どちらにしてもあまり期待感が持てないですわ、おほほ。

投稿: godmother | 2012-01-11 12:37

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