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2012年1月

2012-01-22

リフレ派の議論が政策に反映されない理由について雑感

 日本はなぜ円高なのか?
 政治家が馬鹿で、日銀が臆病者だからに決まっている。こんな風に最近、確かに思ってきていた。政権交代時、大きな期待はなかったが、それでもここまで民主党が嘘つき政党だとは疑ってはいなかった。先日も、ひどいトリッキーなことをしてくれたものだと腹も立ったが、少し落ち着いたので書いておこうと思う。
 この政権が歳出の削減に大きなウエイトを置いていた行政刷新会議がなくなるという話だが、その裏を取れば結局、岡田さんが行政改革相と行政刷新相を兼務する手前、「行政改革調査会」と名称を変更したという諸事情が背景はあったようだ(参照)。この名称変更に伴って、法的な執行力でも付けるという話ならまだ評価できるが、その望みはない。理由はこれに変わる前の行政刷新会議は、頓挫したも同然だったからだ。鳩山さんがダンプカーを乗り回した後にホコリが立ち、菅政権がそのホコリを被ったまま苦しい参院選を迎え、この敗北によって参院で成立の見込みのないものとなってしまった。その後の衆院で撤回されたという経緯がある。蓮舫節約大臣の鼻息はここまでだった。この名称を変えて頭を岡田氏にし、メディアが相当ふっかけても、法的な裏付けのない「行政改革調査会」というのは、学級委員会レベルの会合でしかない。これに騙される国民が多少はいるとは思うが、もはや、この程度のカモフラージュで増税するといった子供騙しを使う程度に成り下がった政権でもある。そろそろ終わりの風景だと言われるのもしかりかと思う。

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円高の正体
安達誠司

 さて、前置きはこれくらいにして。極東ブログで紹介の「円高の正体(安達誠司)」をマジで読みたくなったきっかけだが、先日、アメリカの経済学者ポール・クルーグマン氏のコラム「Taxes at the Top」(参照)の翻訳サイト(参照)を読んだ時、日本のことが気がかりになっていたからだ。まず、クルーグマンの話から。
 現在アメリカではオバマ大統領の対抗馬を選ぶための選挙が行われているが、この選挙に出馬している共和党の有力候補者ミッド・ロムニー氏の納税額を取り上げ、アメリカの課税率の不公平さを説明している。富裕層への税率は低く、子育て真っ最中で何かと物入りな中間層への税負担が比率的に多くなるのは何故か?という問いかけだ。簡単に言うと、株価の上昇やその売買から受け取る利益に対する税金額は、給与所得に対する税率よりもはるかに低い。これは、おかしいんじゃないかと疑問を投げかけている。

 お金持ちがこうもわずかしか税金を払っていない主な理由は,彼らの所得は大半がキャピタル・ゲインのかたちをとっているためだ.キャピタル・ゲインは,最大でも15パーセントしか課税されない.これは,賃金・給与の課税上限をはるかに下回っている.そこで問題はこうだ:キャピタル・ゲイン(その4分の3は所得分配の上位1パーセントが得ている)は,そうした特別扱いがふさわしいんだろうか?     ※キャピタル・ゲイン(参照

 アメリカの収入格差問題は最近、よく言われている。全米の1%が大金持ちであるゆえんだとしている。ほう、と感心してはいられない。日本ではどうだろうか?
 調べてみると、平成13年12月31日という期限付きで10%。通常は20%だそうだ。これ、低いでしょう。不労所得にはしっかり課税して税金を払っていただかないとと誰もが思うのじゃない?と、所得の少ない私ごときが言うと、ヤッカミにしかならないが、富裕族へは誰も突っ込まない。何故?政府もメディアも、誰もが増税しやすい消費税をターゲットにしている。しかも20年もの間デフレ不況で、円高を理由を大手企業は海外移転の傾向にある。このままでは本当に仕事もなくなってしまう。しかしながらこの政府は、「社会保障と税の一体改革」に走り、景気回復政策へ舵を切るつもりはないようだ。その理由については極東ブログでも考察されているが、以前から私もずっと思っていたのは、この政権を支えている世代は高齢者だという点だ。
 平成23年版 高齢社会白書(全体版)のグラフを見ると、60歳を境に15歳以上の人口と高齢者の人口はほぼ同じである。また、14歳以下の児童は年々減っている。

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 つまり、政権を支えてくれている有権者には増税を課せられない弱みというのが見え見えである(他にももろもろの理由はありそう。)今まで悶々としていたことがこの数字によってかなりはっきりしてきた。が、このような何故、どうしての疑問に本書が応えてくれると言うよりも、むしろ、リフレ派の議論についてもっと触れたいという欲望のようなものを掻き立てられた。また、リフレ政策ができない理由や弱点があるとしたらそれは何か、そこを考えるに当たってもっと刺激が欲しいと感じていたことに気づいた。

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2012-01-16

「沖縄そば」手作りしてみた:ブラジルで広まった「沖縄そば」に魅せられて

 夕方6時過ぎの30分間ほど、NHKで「海外ネットワーク」という海外のトレンディーな情報を紹介する番組がある。たまたま1月14日、途中からこの番組を観ていた。女優の紺野美沙子がゲストだと紹介していて、なんだか久しぶりに彼女の姿に触れて「老けたなぁ」などと思いながら番組に釣られた。
 前段は、日本から送り出したPKOの南スーダン情報で、さすがに現地の人々が動いている姿には関心が寄った。その次に紹介されたのが、ブラジルに住む150万人(と言われる)の農地開墾時代の苦労話で、開墾の重労働で故郷を懐かしみながら沖縄からの移住者が食べた沖縄そばの話に移った。その「沖縄そば」の昔ながらの作り方がそのまま二世、三世と受け継がれ、現在、大きなレストランとして人気を呼ぶ名物店になったという話だった。調べてみると、1908年の第一回移民は780名で、沖縄出身者は325名と、半数に近かったことが分かった(参照)。
 開店当初の話が面白かった。ずるずる音をたてて食べる日本式の麺の食べ方が恥ずかしく、カーテンをかけて店の中を見られないようにしたのが功を奏し、ブラジル人の関心をかい、ブラジルに広まったそうだ。へっ、沖縄そば!沖縄ではそばのことを「すば」と発音するという話や、現地でおジイと呼ばれる初老の男性から伝授されたその父親の手打ちそばが旨いという話を思い出した(参照)。動く画像でこのそばを見たのは初めてだった。沖縄名物の豚の三枚肉の煮物の厚切りと紅生姜、青々としたきざみ葱がこんもりのっている。想像通りのそばだった。いつか本物の沖縄そばが食べてみたいものだということだけが強烈にインプットされていた。そう、その想像していた通りの沖縄そばをブラジルの大きな店で、大勢人が食べている光景が番組で紹介された。ひょえー。これ作る!すぐにそう思った。
 ここでちょっと番組の話になるが、紹介されていた沖縄そば店の初代オーナーであるおバア、のお年はお幾つくらいだろうか、90歳近いのだろうか、私の両親よりも少し上くらいだろうか。そう思って観ていた時、母から聞いた話を思い出していた。それは私が成人したころだった。ブラジル移民やその後の生活を伝える番組は昔からあり、たまたまそのような番組を当時NHKで親子で見ていた時だった。「長崎に住んでいた頃、ブラジル移民の話があって、家族でブラジルに移民しようかと本気で考えていた頃があった」と言うのである。これを聞いたとき、ああ、私はブラジルの日系人として育っていたら、もしかしたら農場の娘になっていたのかもと、わくわく胸がときめいたのだった。その後、私はイギリスへ一人で旅立ったが・・。母の話で興味深かったのは、政府の誘い方が巧妙で、楽天地のようなブラジルだという印象付けをしていたらしく、怪しいと勘ぐったそうだ。そして、その話に乗らなくてよかったと両親が安堵していたことだった。番組に登場していた移住した人々の話も、開墾作業の辛さやお腹が空いていつもひもじい思いをしていたといった苦労話ばかりであった。が、どうだろう、昨年のある番組では、養鶏で成功した大会社の社長もいたし、大牧場のオーナーの話もあった。そして、そこには苦労話もつきものであった。
 母がブラジルへ移民しなくてよかったと言っていた頃は(1977年頃)、ブラジルの日系人二世が苦労している頃であっただろうか、そのうちの一握りの日系人が成功して今に伝えられている。と、そんな時の流れを感じ、また、老いを実感し、感慨深くしんみりした。何かをすればその結果は出すことができるが、何もしなかったとしてもそれも結果であり、自分の人生なのだと思うと、何となく何も残せていないような人生だったと思った。これから自分にどれだけのチャンスがあるかわからないが、何かをやろうと思ったらその時がチャンスなんだろうか。
 さて、沖縄そば。これ食べたいと思った。今がそのチャンスなんだなということで、早速作ってみることにした。もちろん、伝統的な材料は入手できないので、以下の紹介を参考に作ることにした。その前に、雰囲気を盛り上げる意味で、その部分をちょっと読んでスタートしたいと思い、引用させてもらった。

オジー伝承・手打ち麺の作り方だが、かんすいは使わない。ガジュマルの木灰の上澄みをかんすいの代わりにする。現在では、この製法で作る沖縄そばを「木灰そば」と呼ぶことがある。麺は白い(中華麺が黄色くなるのは本来はかんすいのため。現在では着色)。歯触りがぷりっとして噛むとぷちっと切れて心地よい。麺も滋味深い。余談だが、沖縄の豆腐もにがりを使わない。海水をそのまま使うと当然にがり成分が含まれているからだ。
オジーによる麺生地の裁断だが、うどんと同じである。伸ばして畳んで包丁でざくざくと切っていくのである。職人ではないからそう細くは切れない。それが沖縄そばが太い理由である。
ちなみに私も手打ちをしたが、うどん同様(参照)、パスタマシンで作った。ガジュマルの木灰ではなくベーキングパウダーを少量使った。重曹でもよいが、ベーキングパウダーだとつるっと感が出る。塩は入れない。

そば汁は、基本は豚ダシと鰹ダシである。豚ダシにはわけがある。そばに載せる三枚肉の煮た汁をダシとして使うのである。
三枚肉とは皮付きバラ肉である。塊で買う。東坡肉やラフテーもそうだが、皮の部分がゼラチンっぽくてうまいのである。が、沖縄とても本物の三枚肉はそう手に入るものではない。沖縄の豚肉の多くはオランダとかからの輸入品が多く、皮なしの二枚肉になる。
これを塊のまま水煮にする。小一時間煮る。沸騰したときにはアクを取る。スロークッカーとかだと煮るプロセスが簡単になるし、アクをとったらシャトルシェフに入れておいても、それなりに煮える。
煮たロース塊は8ミリくらいにスライスして、醤油と砂糖で甘辛く味付けする。これが叉焼よろしく具になる。三枚肉ではなく、豚スペアリブにすると「そーきそば」になる。
他の具では、かまぼこが欠かせない。これが内地ではあまり見かけない。方言でいう「かまぶく」は内地のかまぼこみたいな、プラスチック消しゴミみたいな感じはない。おでんの具の練り物や笹かまぼこなんかに近い。おそらく、沖縄のかまぼこは内地の昔の製法なのではないか。とりあえず、内地で作るなら笹かまぼこで代用する。
具というのもなんだが、散らすネギも欠かせない。内地・関西のネギと同じで万能ネギである。きざんで載せる。他に、紅ショウガを載せることもある。

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 まず、麺のつなぎにはベーキングパウダーを採用した。書いてある通り、つるっとした麺の食感がポイント。それに弾力だが、冒頭のNHK番組で人々が食べているのを目を凝らして見たが、口に運んでずるずる吸い込むというよりは一口運んで歯で噛み切り、その部分から下の箸でつまんだ部分は、どんぶりに戻っていた。かなりの量であった。食べ方も豪快であったが、歯で噛み切った時に切れた麺が弾き飛ばされるような弾力というか、ぶっつり切れていた。あの弾力なんだろうなぁ。ますます楽しみになってきた。が、ベーキングパウダーだけであの食感が再現できるかどうかちと心配もあった。それに、「塩を入れない」というのが常識概念から外れている。パンだって、塩が入っていないと良く膨らまないし、甘くてまずいパンになってしまう。でも、初回なのでまず、レシピに忠実にやってみることにした。

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 それと、三枚肉の煮物。これは沖縄で「らふてー」と呼ばれている料理のことかな。だとすると、塊肉のまま下茹でして余分な脂を取り、厚切りして泡盛で煮込んで柔らかくしてから砂糖と醤油で味付けする。皮つきの豚バラがあればよろしいが、なくても豚の角煮(東坡肉:トンポーロウ)と思えば同じである。それらなかなり簡単な作り方のレシピはここにもあるぜ(参照)。うーむ、どうしよう。その時間もなければ、スライス肉に同じような味をつけてもいいんジャマイカ。これは、身が締まって固くなりやすい鴨のスライスなどに味付けする方法で、うどんや日本そばにのせて頂く料理である。
 と、ここまで書いて、行きつけの何軒かの店を回ってくることにしよう。豚の皮つき三枚肉があったらもちろん本格的にらふてーを作ってみよう。なんせこの煮汁が沖縄そばの出汁に使われるとあれば、それはやはり豚から出たコクのある出汁にしなくては意味がなくなりそうである。
 結局、豚バラブロック肉に落ち着いた。思いは沢山あるが、まずは作ってみよう。材料と作り方は画像と一緒にできるだけ実況に近い形で書いてみようと思う。

沖縄そばの具材(三人分)

  • 豚バラ煮物(沖縄らふてー)・・一人3枚
  • 笹かまぼこ・・一人1枚
  • 紅生姜・・適宜
  • きざみ葱・・一人大さじ2
  • 沖縄そば3玉(300gの強力粉で作った手打ち麺)
  • 鰹出汁・・1000cc
  • 豚出汁(らふてーで出来上がった煮汁)・・一人大さじ2
  • 塩・・一人一つまみ

豚バラの煮物(らふてー)の材料

  • 豚バラブロック肉・・790g
  • 水・・4㍑(肉の重さの約5倍)
  • 鰹出汁・・3カップ(肉100gにつきカップ1)
  • 砂糖・・大さじ4(肉200gにつき大さじ1)
  • 泡盛・・大さじ4(肉200gにつき大さじ1)
  • 醤油・・大さじ4(肉200gにつき大さじ1)
  • 経木・・1枚またはオーブンシートを代用
  • リードクッキングペーパー・・落し蓋代わり

作り方
こちらのサイト☞を参照したが、分量も煮る時間も違うので、今回作った通りにレシピを書いておくことにした。

  1. 塊で買ってきた豚バラ肉(790g)を約5倍の水(4㍑)で強火で蓋をしないで茹で始める。

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  2. 20分程すると泡と一緒にアクが浮き始めるので、こまめに掬い取る。

  3. その後、30分ほど時々アクを掬いながら下茹でし、脂身を崩さないように取り出して茹でたお湯は捨てる。

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  4. 肉を7~8mmの厚みに切り分ける。

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  5. 平鍋に経木を敷いて4の肉を並べ、鰹出汁と泡盛を加えて落し蓋をし、蓋をして中火で煮始める。

  6. 煮立ってきたら砂糖を加え、肉がわずかに動く程度の火加減に落とし、蓋を少し開けて10分ほど煮る。

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  7. 醤油の半量を加え、同様の火加減で10分煮てから残りの醤油を加え、6と同様に約1時間煮る。

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 ※煮汁が1/3になるくらいまで煮るのが目安だが、肉がほろほろの状態までできればじっくり煮込む。途中、水分が蒸発して煮詰まるようなら、鰹出汁を少し足しながら様子を見る。

沖縄そばの材料(3人分)

  • 国産強力粉・・300g
  • ベーキングパウダー・・小さじ1
  • 水・・150cc(粉の50%)

作り方は手打ちうどんと同じ方法で打つ(レシピ☞)。が、ベーキングパウダーだと麺を茹でると膨らむので、うどんよりも薄く延ばし、麺の幅も細目にすると喉越しが良くなる。これは沖縄そばに近づいているのだと思う。まずは、一人分だけ生地を切り取って作ってみた。
  1.  分量の水にベーキングパウダーを混ぜ、ボールで小麦粉に少量ずつ加えながら菜箸で均一になるように混ぜる。

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  2.  ひとまとめになったら丸めてスーパーのレジ袋の中央に置き、床の上で10分ほど足踏する。途中二三回袋から取り出して四つ折りにし、生地がなめらかになるまで踏む。
  3.  生地の三分の一を切り出し、打ち粉をした台で手のひらで細長く伸ばす。

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  4.  綿棒に巻きつけて中央から外側に向けて少しずつ押しながら前方へ綿棒を送って生地を伸ばす。

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  5.  広げて綿棒を生地のう上で転がして生地を2mm以下の厚みに整える。(幅は約15cm長さは40cmくらい)

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  6.  生地が重なる部分に打ち粉をしながら三つ折りにし、包丁で2~3mmの幅に切り、持ち上げて台に軽く叩きつけて麺をバラす。

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  7.  鍋にたっぷりのお湯をたぎらせ、麺を2~3分茹でてざるに取る。

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  8.  温めておいた器に麺を落とし、鰹出汁と豚出汁、一つまみの塩を加えた出汁を通す。

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  9.  具をのせて完成。「どう見てもうどんだよね。これ。」「これでいい野田。」

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 また、茹で上がった麺をすぐに食べる場合は、同時進行で出汁に好みの分量の豚出汁を加えて塩を一つまみ加えて沸騰状態にしておくとスムーズだが、茹で麺をしばらく置く場合は、油をまぶして風に当てるなどで素早く冷まし、冷蔵庫保存すると良いようだ。その場合の美味しい作り方がこんな風にある。

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さて、具はある、そばもある(買ったのでもいい)、汁もある、とする。
じゃ、丼に麺を入れ汁を入れ具を載せればいいのではないか。それはそうだが、そのままだと麺は冷えているし、丼も冷えている。麺は十分温まってこそ味わい深くなるものだ。
まず汁を鍋で煮立てる。軽く沸騰させる。汁を一人分丼に注ぎ、一人分麺を入れ、しばし待つ。麺と丼を暖めるのである。そして冷えた汁だけを鍋に戻す。
汁が鍋で再び煮立つのを待ち、煮立ったら、再び麺を持った丼にかける。具を載せる。うさがみそーれー。

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2012-01-14

鰊(ニシン)の昆布巻き:天然素材を前に脳ミソフル回転だ

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 今年の正月用に、昨年の暮れに鰊の昆布巻きを久しぶりに作った。他のお煮しめと一緒に実家に持ち込んで親類にも食べてもらったところ大変好評だった。おそらく、市販の昆布巻きとは見た目が違う点もあってか、手が伸びたのかもしれない。私自身は出来上がった時のお味見だけで、もっぱら人に食べてもらって終わっていた。それも手伝ったかと思うが、妙にこれが恋しくなり、また同じように作ってみた。今回は、レシピを書けるように調味料も計量しておいたのでそのまま記録しておこうと思う。
 昆布巻きの材料は全て天然素材使用なので、味付けの微妙な加減はその都度必要かと思う。が、そう難しいものでもない。簡単に言うと、素材の味を生かした旨味のある出来上がりにするには、味付けを濃くしない事だと思う。出来上がってから冷めながら味がグッと染み込むため、煮ている最中の味付けは少々薄い方が安心できる。また、最後の最後に醤油で味付けする方法で作っているため、出来上がる寸前に味を濃くすることも出来る。くれぐれも注意することは、最初に醤油を入れすぎないことだと思う。美味しく出来上がった喜びを味わって欲しいと願うばかり、最初から小言みたいになってしまったが、前の晩からニシンを戻して、翌日時間をかけてゆっくり煮ている時間がどれだけ楽しめるか、昆布巻きの味わいはここからもう始まっている。
 早速、材料の揃え方から書いておくことにしよう。まず、昆布巻きのメインである昆布のことから。
 私は北海道産の利尻か礼文島産の昆布を使用している。昆布は何と言っても北海道だと思い込み、産地が旨味の勝負だと思っていたら、北海道の産地のお婆さん曰く「どこでも昆布は昆布。同じ。」だそうだ。違いを感じるのは、昆布の部位による特徴のようだ。
 昆布というのは長い紐状の海藻で、部位によって厚みや幅もまちまちだ。乾燥して縮まった状態で袋に入っているので、袋の表示を頼りに買うしかない。「煮昆布」という表示の昆布は、その名の通り煮物に適しているようだが「早煮昆布」という表示のものもある。この表示の昆布は、比較的幅が狭く、身が薄い。昆布の先端に近い部分だそうだ。この表示の昆布を使って昆布巻きを作る場合は、煮崩れを加味して煮る時間を短くすると良いと思う。また、「出汁昆布」という表示で、肉厚で板状だとはっきり見て取れる昆布は今回使用の昆布で、食感がしっかり残るタイプだ。戻した時の幅は15~20cmほど、長さは25~30cmに切り揃えてある物を購入する。 

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 次、身欠きにしんのこと。最近は樺太方面で取れたものや、アメリカ産などと色々ある。昔ながらのカラカラに乾燥させたものから、半生干しの「ソフトニシン」と呼ばれるものまである。比較するのにちょうど良い画像があったので借りてきたが、右側にあるような半生のニシンを今回は使用している。戻すのに一晩で良いし、パサパサした食感が残らないからだ。
 身欠きにしんの戻し方は、糠を溶いた水か米のとぎ汁で戻すが、これは、ニシンの臭みの元となる余分な脂を米糠に吸着させる働きを利用する。余談だが、この方法で戻したニシンを甘辛く煮て蕎麦にのせていただくのが「鰊蕎麦」。私の大好物。

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 次、干瓢(かんぴょう)のこと。今回使用した干瓢は手作りだが、市販の漂白した干瓢で充分。干瓢まで手作りするんですか?と、Twitterでは驚かれたが、保存食文化が残る諏訪ではいまだに手作りする人がいる。夏に収穫した夕顔がその正体。因みに、作り方はこちらで書いた☞
 市販品との違いは、戻し時間が早くとても柔らかい。味は、干瓢にも甘味があるということがはっきりわかる。自家製は、漂白などの工程がないため、剥いたらそのまま干して水分を抜くため、干瓢の甘みが凝縮されている。昆布巻きが解けないように結びに使用するため、水で軽く洗って柔らかくなったらそれで準備オッケー。
 昆布巻きで一番頭を悩ますのは、昆布の幅とニシンの長さの関係だと思う。つまりカッコよく作る努力だ。昆布は、使用前に水で10分ほど戻して巻きやすくするが、煮込んでいる内に次第に煮汁を吸って身が厚くなり、幅も広がる。つまり太ってくる。鍋物で、最後まで残った昆布を見たことがあるだろうか?あれだ。その太り分を予測してニシンの長さを決める点と、干瓢は緩めに巻き、結び目は解けないようにきつく結ぶ点だ。準備段階でニシンを昆布の幅に切り揃えてしまうと、出来上がるころにはニシンが昆布の中の方に入ってしまう。かと言って、昆布の幅よりは長いニシンを切って捨てるのは忍びないではないか。ここで、捨てずに全て使い切るには?と、頭がフル回転する。と思う。

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 私の方法は、ニシンを半分の長さに切って切り口を昆布の両端に少し飛び出させて置き、中央部分では頭部と尻尾の部分が互い違いに重なるようにしている。これだと、昆布巻きの太さもほぼ一定になる。作る数が少ない時は、あらかじめ切り揃えた昆布を広げてニシンを乗せ、数合わせをすると良い。戻したニシンは腹側と背側の切り替え部分で切り離して使うため、一枚の身欠きにしん(三枚おろし)で二本の昆布巻きを作ることになる。昆布は、乾燥状態で25~30cmの物であれば、長さを半分にして昆布巻き一個が12~15cmの長さの昆布で巻くことになる。

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 こんな風にまとめてみたがどうだろうか。実際、作った分量も書いておくことにしよう。

材料(昆布巻き15cmの長さで10個分)

  • 利尻出汁昆布・・長さ30cm×幅15cmを10枚
  • 身欠きにしん(ソフト)・・5枚
  • 干瓢・・4m(一袋)
  • 竹の皮・・2枚(なければ経木、それもなければオーブンペーパーに少し穴をあける)

調味料

  • 酢・・大さじ 2       
  • 砂糖(きび砂糖や素精糖などの少し癖のある砂糖)・・大さじ4       
  • 濃口醤油・・大さじ3~4(はじめは3だけで味見する)       
  • 日本酒        ・・大さじ4
  • 水・・カップ5(昆布一枚につき1カップ)

作り方

・下ごしらえ

  1. 身欠きにしんを米の研ぎ汁か糠を水に溶いて一晩かけて柔らかく戻す。 しっかり乾燥したニシンの場合は、身がふっくらするまで、冬なら2日間くらい、研ぎ汁を替える。
  2. 柔らかくなったニシンのうろこや鰭・汚れを落とし背側と腹側に切り分け、さらに長さも二等分する。
  3. 昆布は布巾で両面を拭いて汚れを落とし、水5カップを入れたボールで10分ほど戻して柔らかくする。戻し水は捨てない!
  4. しなやかになった昆布は二等分して長さを半分にする。(10枚できる)。
  5. かんぴょうは水をくぐらせて揉んでしなやかにしておく。

・昆布巻きの作り方

  1. 昆布を縦に置き、ニシンの断面を昆布の両端に少し飛び出させて端から緩めに巻き、干瓢を二重巻きして結ぶ。 結び目は固く、巻き方は緩めに巻くこと。固く巻くと昆布も干瓢も膨らむので解ける原因になる。 

・昆布巻きの煮方

  1. 平鍋に縦に切り目を入れた竹の皮を敷き、その上に昆布巻を並べる。
  2. 昆布を戻した水を、昆布巻がすっかり隠れるくらい入れて強火にかける。
  3. 沸騰したらアクや泡を取り除いて酢大さじ2を加え、落としぶた(代わりにリードクッキングペーパーはとても良い)をして中火で約1時間煮る。 煮汁が減ってきたら、残った戻した水を加える。
  4. 昆布巻に串を刺してスッと通ることを確認して日本酒と砂糖を加え、落し蓋をして30分煮る。
  5. 昆布巻が艶良く、かんぴょうも透き通ったら醤油を加えて弱火で煮込む この間、時々煮汁をスプーンですくって昆布巻にかける。
  6. 煮汁が鍋底にやっと残っている程度まで煮込んだら出来上がり。 この時の煮汁の味は、冷めた時、昆布巻きの味そのものになる。そのまま落とし蓋をして冷ます。

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2012-01-11

吉本隆明翁とクルーグマン氏、サマーズ氏に教えてもらったこれからの日本について雑感

 Twitterでは思うままに時々つぶやいていきたことだが、戦後、資本主義をもっとうに経済発展を遂げてきた日本が、このままではどうもいけないという危惧を持ち始めていた頃から疑問が払拭できないでいた。Twitterのタイムラインにそのまま置いておくよりはまとめて記録しておく方が後々良いかと思い、まとめることにした。ここでは、「おぉ、日経が米外交政策批判をしている」(参照)でも書いたように、日本の歴史を少し振り返ってみたりしたこともきっかけではあった。世の中が変わってしまい、日本が変貌を遂げてしまった根本理由は何か?昭和の時代感覚を自覚している私が感じるこの違和感は、今の世代は持っていないし、上の世代は、現実的ではない何か別の幻想を追っているかに思え、一人の思考ではどうにも解決できないものだと思っていた。そこに降って湧いたように大きなヒントをもらった。まず、そのことから書いておこうと思う。
 「吉本隆明の言う「精神の速度」について」(極東ブログ)で、吉本翁の説を引用して説明されている現代社会が非常に説得力のある、わかりやすい内容だった。「完本 状況への発言」(Amazon)につての書評というエントリーではないが、私の世代感から、翁の話はすんなり入ってきた。ここでテーマを拾ったと感じたのはこの部分だった。

 この産業の高速化のなかで、人間が再び、その人生の総合的な意味を獲得することが可能なのか。私にはわからない。私について言えば、人間なのだから、そうする意外ないだろうというだけだ。

 これは大きなテーマである。
 今現在、産業は高速化しているだろうか?という疑問がまず降りてきた。これは精密業の盛んな諏訪という特別な地域色からそう思うのだろうか。私はここに住んで25年程になる。その中で、ここ数年で諏訪の製造業の大手は海外移転に方針転換しているため、戦後からその恩恵に縋ってきた中小企業は廃業、もしくは倒産という現実だからだ。そして、ふと気がつくと、これらの会社を運営し経営の一線を画してきた世代は団塊の世代であった。何故、彼らの経営は崩れたのか?いろいろ原因はあると思うが、突然大きな倒産を催した会社のやり方は、一攫千金的な手法だったと言える。高度成長期時代は、とにかく、作れば売れた。その好景気において生産できる最大量は「潜在生産量」と言われているが、それが絶頂を迎えたのは1990年までだったということがここではっきりした。アメリカの経済学者であるポール・クルーグマン氏が興味深い考察をしているので紹介したい(参照)。
 労働人口あたりのGDPを表すために、潜在労働力に対する産出を日本とアメリカで導き出し、日本対アメリカの比率が分かるようになっている。

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ちなみに,2007年でとめてるのは,金融危機による変化で全体図をゆがめないためだ。

 ここからわかるのは、1990年-2000年はホントに「失われた10年」だったってことだ:日本の潜在労働力あたりの産出量は,かつてこそ安定して上昇していたのに,アメリカに対して大きく下がってる.ただ,2000年以後は,その失われた分のすべてではないけど大半を取り戻している。

 アメリカと比較するという意図は、Eamonn Fingletonという経済学者が日本に関して分析した論文をクルーグマン氏がどのように評価するか読者に答えるためのエントリーであることから、アメリカの生活感と比較しやすいようにだと思う。ことさらアメリカと比較するまでもなく、一目瞭然だ。
 失われた10年と言わず、20年だということも付け加えたい。これは後で触れる、クルーグマン氏の提示するグルフではっきりする。つまり、二十年以上前の好景気時代の残像を夢見て一勝負を賭けた会社は、賭けた以上の負債をカバーする余力もなく突然姿を消してしまったのだ。そして、その予言するかのように昔にそのことを説いていたのは吉本隆明翁だったというわけだ。
 ここで私は思いの外翁に親近感を感じ、早速「完本 状況への発言」を注文した。
 さて、ここで一件落着したかに思ったが、話の展開はローレンス・H・サマーズ氏(ハーバード大学教授。元米財務長官)のコラム「資本主義はなぜ人々を失望させているか=サマーズ氏」(ロイター)で、私の心はがっつり掴まれた。ちょっとー、私の心をどうして読めるの?と、このコラムを読んで嬉しくもあった。色々考えた挙句、これ以上考えられないという知性の限界にどうけりをつけるかと言えば、何かの主義のせいにして思考を停止することがその結末だった。が、市場資本主義がダメなんだよ、ということに帰結するのは的はずれだと指摘された。いや、いてーなぁ。ははは、水が上流から下流に向かって流れるように、知性と教養のないところへはあるところからちゃんと降りてくる。早速、読んでみて、これまた嬉しいことに著名な先生方の連鎖じゃないか。吉本翁の時代感覚を裏付けるかのようにクルーグマン氏がお絵かきをして見せ、更にはサマーズ氏のコラムで吉本翁の説に肉付けのような説明が加わった感じである。
 何故、望まない社会が今形成されたか?その経緯と結果はこの部分に要約されていると思う。

 農業中心の経済が工業中心の経済に屈した理由は、食料に対する需要を少数の労働力で満たすことができ、多くの労働者が農業以外のセクターに流出したためだ。現在、製造業や幅広いサービス分野でも同じプロセスが起きており、人々の雇用が減少している。同時に、近代工業時代の初期と同じく、産業構造の著しい変動や大量生産が可能になったことが、数少ない幸運な人々にのみ莫大な富をもたらす結果となった。

 高度成長によって技術開発が進んだ分、人を必要としなくなった製造畑で余った人々をどこに回したら良いのか案中模索の状態が今の状態と言える。もっと言えば、クルーグマン氏が示す通り、失われた20年になる前に手を打てばよかったのだと言われているようだ。誰が?え、私じゃないよ。と思った瞬間、政治家を選んだのは自分だなと気づく。しょぼーんな感情がまた、私を覆った。
 この後、サマーズ氏は放り投げてはいない。ここが立派なところ。将来の展望ではこう述べている。

 今のように不満足な成果しか得られない場合、現在の努力を一層進めるべきだと考える人と、進むべき方向を転換すべきだと主張する人の間で、常に議論が巻き起こる。だが、市場資本主義に関して言えば、その議論はやや的外れだ。市場資本主義が取り入れられた分野は大きな成功を収めている。次の世代の課題は、その成功がますます当然と受け止められ、苦しい場面ではますますフラストレーションの根源になったとしても、市場の領域を外れて成功を成し遂げることはできないことだ。最も必要な改革は現代の資本主義者の役割ではなく、少なくとも医療、教育、社会的保護に関わる人々の手に委ねられている。

 ここでの対象は、もちろん将来性のある若者達だろう。人生設計をこれからするのだという選択肢に、是非加えたらどうか。そんなメッセージが伝わってくるじゃなか。
 さて、最後に政治が浮上したことでクルーグマン氏が引き続きエントリーした「クルーグマン「さらに日本について(難しめ)」(2012年1月10日)」(翻訳)が興味深い。

労働年齢人口あたりの実質GDPをみてあげると,もっとよく理解できる.15歳から64歳の人口をもとにしたお絵かきをしてみた.対数で提示してある.これは,一定した成長率が直線の傾向になるようにするためだ:

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〔※タテ軸の単位?〕
直線の傾向を書き込んであるのは,もし労働年齢人口あたりの潜在GDPが一定の率で成長していたならどうなっていたかを示すためだ.
このお絵かきをみてもらうと,日本経済はたしかに約16年にわたって停滞していたらしいのがわかる.それも,1990年代後半の不況後に停滞は深まっている.でも,〔2008年の〕金融危機前夜にはおおよそ潜在産出にまで復帰していたのかもしれない。

 このグルフでわかることは、日本は1990年まで成長を続け、1990年を境に2007年まで潜在生産量をずっと下回って来た点だ。これは何を意味をするか?潜在生産量を基準に生産性が下回ると、生産者は生産能力の過剰をバランスさせるために値下げする。極端話、作れば作るほど赤字になるとも言える。いや、これは極端な例ではなく、現実に起こっていることだ。「インフレーションが減速する」とWikipedeaには書いてあるが(参照)、現場感覚ではモロに赤字経営となる影響は強い。
また、こうなる原因についてだが、クルーグマン氏はこうも述べている。

誤解なきように.これが示しているのは,政策が成功したっていうことじゃあない.それどころか,これは巨大な損失を示している.でも,その条件は永続的じゃなかった.
さらにもう一点:日本の適合についてどう考えるにせよ,日本銀行は,2002年から2007年にかけての比較的によかった好機を利用してデフレから脱却しなかったことで,その任務に失敗した.2008年に危機がおきたときにもまだデフレ経済だったことで,日本は必要以上に大きな痛手を被ることになってしまった.

 がちょ~んっ。やっぱり政治と銀行の政策が失敗だったと。これだけ先生方が日本経済を分析してくれていることに対してこれ以上何ら物申すことはない。
 では、これで将来が明るいのか?少なくとも私にとってのチャンスはもうないだろう。ただ、もっと気がかりもある。婚姻率減少の事実から、次の世代と言ってもどの世代を描けばいいのか、これが見えてこない。アメリカの統計から少し垣間見ることができる「米国の婚姻減少の理由は何か」(極東ブログ)が、興味深い記事を拾っている。
 日本は草食系男子を言うようになってからはてな界隈が少しざわついたが、つまり30歳代の婚姻はいいとして、子どもを産んで育てようと願うか?親としての自覚の定着性なのか、社会人としての単なる同居(同棲のような)なのか?よくこの世代のことはわからないが、婚姻率が低い上、子どもの出生率も低かったら、働き手は少なくなると見て良い。つまり、人は余らず、雇用が促進するのかもしれない。そう思いたいものだけど、どうだろう。

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2012-01-05

東京近郊で「肉そばつけ麺」なるものを食した

 一昨日、実家で新年を過ごした帰り道のことだった。途中、寄り道をしたため、いつもの圏央道から中央高速へ乗り継ぐルートではなく、東村山からまっすぐ府中ICへ向かい、そのまま中央高速へ乗るルートで車を走らせた。そして、寄り道が長引き、夕食を食べ損なって空腹であった。走りながら頭の中で、このまま高速へ乗ってしまうと一体どこで夕食にありつけるだろうか、時間の経過とサービスエリアの食事サービスをシュミレーションしてみた。が、夜の11時過ぎにサービスエリアで夕食というのもいかがなものかと思い直し、現時点で適当な店を見つけて食べた方が良いような気がしてきた。ちょうど小平に差し掛かってからそう決断し、食べ物屋の看板を道路の左側と限定して気をつけながら走った。お好み焼き屋や焼肉屋が直ぐにあった。が、この場合は不向である。さっと食べて帰路に早くつき、諏訪に早くたどり着きたい。さもなくば眠気がさして運転どころではなくなってしまうじゃないか。と、独り言を漏らしながらしばらく走ると、チェーン店のような大きな店構えのラーメン屋が目に飛び込み、これだ!とばかり左折してそのまま駐車場に入った。ガラ空きである。正月の三日目であるし、時間は夜の9時半を過ぎているし。空いててよかったというものだ。
 店に入るとアルバイトらしき若い男性が黒くて長いソムリエエプロンのようなエプロンをして現れた。「おタバコは吸いますか?」「いいえ、吸いません。」「では、こちらでどうぞ。」と、店のほぼ中央で、木枠に囲まれたエリアのテーブルに通された。このエリアでは私だけだった。周囲を見ると、小さな子供連れの親子が後ろの隅のほうに、正面のテーブルにカップルが一組だけいた。聞こえるのは、店員の掛け声で、それはオーダーを言い渡す側と作る側の暗号化された短い言葉だった。客が大勢だときっと威勢良く聞こえるのだろう。
  さて、メニューは?テーブルの隅に立てかけてあるニ三枚の写真入りがそれ。その手前にペーパーウエイトのような雰囲気の石のような塊がコロンと置いてある。何だろう、これ。手に取ってみると反対側に「ボタンを押してお呼びください」とある。オーダーは、これでコールするのね。了解。店員がそばで待っている間に注文を決めるのはなんとなく忙しないので、これで気分がゆったりした。メニューには迷うほどの数はなく、かなりシンプルなバリーエーションであった。熱々のラーメンが好きだが、この時間にそんな物を食べたら直ぐに運転で眠くなるし、これから180km道中を思うと軽い目にしておきたい。とは思いつつも、空腹時には食べられそうな気がするものである。結局、肉そばつけ麺・税込924円と、もちもち水餃子・6個にした。店員に「水餃子は4個と6個がありますが、どちらにしますか?」と聞かれ、とっさに6個と言ってしまったのは、多分その空腹のせい。
 待つこと5分。まず、麺類が届いた。「テーブルをお借りしまーす。」と、店員が持ち運んできたラーメンのお盆をテーブの側面に沿って乗せ、安定させてから器を持ち上げてサーブしてくれた。最後に氷が浮かんでカラカラ音をさせているピッチャーが置かれた。水はセルフサービスで、テーブルの端にセットされているプラスティックのコップに自分で注ぐシステムになっている。その脇にはティシュペーパーの箱もあった。向こう側には透明のフタ付きの器があり、茶色の粉が入っている。これは、何かにかけて好みの味にするための「魔法の粉」?だろ。
 さて、早速つけ麺と行こう。小丼には海苔と半熟煮玉子半分が添えられたつけ麺のスープは、白濁した味噌のような色。中の具までは見えない。正方形の海苔の三分の一くらいがスープに浸かり、その部分にこんもりと茶色の粉が、小さじ一杯くらい乗っている。あ、テーブルの粉と同じだ、これ。「これは、何でしょうか?」と店員に聞くと「カツオ節の粉です。」と。ふーん。スープは和風かな。そう言えば、私が注文したスープは何味系か聞かなかった。メニューにもなかった気がする。
 ラーメンは割と太めの平たい縮れ麺で、どっさり薬味の葱がのっている。うっ、これ大好き!と、心のなかで嬉しい叫び。一箸ごとにたっぷり薬味の葱が食べられるのは嬉しい。サービスエリアの安いラーメンでも、セルフサービスで好きなだけ盛り付けできる。この部分だけがサービスだと感じる嬉しい部分だ。葱の味はイマイチだが。
 まず、トッピングの葱を寄せてラーメンと一緒に箸で挟んで釣り上げる。次にスープを絡め、口に運ぶ。一口食べてみる。シャリッと氷が砕ける。うっ。葱が凍っている。それが解けると麺が人肌くらいの温かさだと感じ取る。そして、つけたはずのスープの味が微妙にしない。葱の味もしない。何味だろうか?もう一口運んで確かめてみる。が、味がわからない。さっきの鰹節の粉だろうか、その香りはする。そこへ、店員が湯気の立つ水餃子を運んできた。薬味の葱がたっぷりと、クリーム色の何かの千切りも乗っている。薬味の葱が解けるまで待っていたほうが良さそうだと思い、そのまましばらく放置することにした。そして、引き続き、スープが何味か突き止めることにし、葱を寄せて一口分の麺をスープに移し、スープの底の方の薄い肉片を麺に乗せ、さらにスープをまんべんなく絡めた。これで万事休す整った。どうだ、これで!が、それでも味がわからない。これって、薄味だから?
 肉だけ食べてみるが、味の主張が感じられない。どうして?かれこれ半分は食した。もうなんか、お腹が一杯になってきた。あろうことか、その上に水餃子が手付かず状態である。うーん、水餃子にある種の期待をして箸を伸ばした。
 もっちりしているのは分かる。真っ白なツルッとした小さな餃子を一口で口に入れる。ぜんざいの白玉団子のようなモッチリ感である。が、具の存在がイマイチ確認できない。もう一個口に運ぶ。同じだ。メニューに目をやって、その姿を確認してみると、半分に割れた中に豚の挽肉らしきものがちゃんと入っている。が、口の中ではそれを感じない。だけ?こちらも味の主張がない。そうそう、クリーム色の千切りは、どうやら生姜の千切りみたいだ。噛んで噛んで、やっと味がしてきた。
 既に満腹状態である。食べきれず、半分ほど残して店を出た。
 車を走らせながらしみじみとさっきのラーメンと水餃子のことを考えていた。あれは何だろうか。味の主張がない。何を食べたんだか分かりゃしない。そんな中華あり?そう言えば、スープの器のヘリに浮かんでいた白っぽいもの、あれは背脂だったみたいだ。途中、何かと思って箸の先で挟むと、簡単に二つに分かれたあの感じは脂だろう。「肉そば」と言っても肉らしきものはなく、スープに薄切りの脂のような物がふわふわ浮いていただけだった。もしかして、スープの表面には脂の膜が貼っていたのだろうか。だったら麺にスープが絡む前に、脂でコーティングした麺を食べただけだったのではなかろうか。まさか・・・。
 油、という主張のあるラーメンを食べたには食べたな。それに、もっちり感という主張の水餃子、と。

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