« 2011年9月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011-12-28

米アイオワ州共和党ロン・ポール氏の急浮上を報じるアメリカの背景がわからない

 2012年アメリカ大統領選挙がいよいよ始まる。共和党予備選・党員集会が1月3日のアイオワ州全米で最初に始まり、その1週間後の10日にはニューハンプシャー州、21日にはサウスカロライナ州、31日にはフロリダ州と続く。このトップであるアイオワ州に異変が起きていると報じる記事に昨夜気づき、幾つか疑問のようなものを抱いたので、メモ的に記録しておこうと思う。
 目に止まった記事は、日経ビジネス「アイオワ州で台頭するロン・ポール候補共和党の体質改善に一石を投じる高濱 賛 」(参照)。

 支持率調査でトップの座を占め、越年すると思われていた保守強硬派のニュート・ギングリッチ元下院議長(69)の支持率が12月中旬に急落。代わって、これまであまり目立たなかった保守中道派のロン・ポール下院議員(76)がアイオワ州で首位に躍り出たからだ。
 米国の中西部に位置するアイオワ州は全人口の93%が白人。45%は折り紙つきの保守主義者、43%は「どちらかと言えば保守派」。人口の6割はエバンジェリカルズと呼ばれるキリスト教保守派。モルモン教を嫌う風潮が強いとされている。

 もう一本は、有力候補であるキングリッチ元下院銀とロン・ポールについて西日本新聞が小さな記事にまとめている(参照)。ロン・ポール氏の台頭がどこまで影響するかはわからないが、もしも当選すれば、保守党が分裂を起こすこととなり、オバマ大統領は黙っていても当選することになるのではないだろうか。これが、共和党に対抗馬がいないと見る所であり、オバマ氏再選と私が思うゆえんでもある。
 アメリカではかなり保守的な州とされているアイオワ州で、共和党のロン・ポール氏が急浮上したのは見逃せない点だと思う。と、書き始めると、アメリカ大統領選挙速報になってしまうが、着目点はそこではなく、泡沫候補と言われるポール氏が浮上するアメリカ社会に何かが起こっているのではないかという自分の疑問が頭から離れない。

cover
他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ
―リバータリアン政治宣言―
ロン・ポール

 おっと、泡沫候補という代名詞をつけてしまうのもいささか失礼かもしれない。過激な発言をする方だとは思うが、主張はかなりまともではないかと思う。記憶に新しい「オキュパイ・ウォールストリート」でデモが行われている頃、彼の著書「他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ ロン・ポール」(参照)を読んでそう思った。一部に、ポールがアメリカで旋風を起こしているという人もいるようだが、詳しくは知らない。この著書のエディターレビューが分かりやすいので引用した。

内容紹介
本書は、現在アメリカで一大旋風を巻き起こしているリバータリアニズム思想運動の旗手、ロン・ポール連邦下院議員の政治思想書であり、現実政治への宣言文である。ここには、「反・統制、反・官僚支配、反・重税国家、反・過剰福祉」という明確なメッセージがある。これらはいずれも、現在の日本にとっても重要な課題である。ロン・ポールの本書での主張は、そのまま日本への政策提言(ポリシー・メイキング)である。
副島 隆彦

政府は誰かか税金でお金を集めて来なければ、誰かのために一セントも使うことは出来ない。そして政府が集めてくるお金は、人々が一生懸命に働き蓄えてきたものだ。税金とは国家による泥棒なのである。この重要な事実が、すっかり忘れ去られている。そしていつものように政府内では、かわいそうな人々や業界を助けるべきだという議論が始められる。この議論から置き去りにされているのが「忘れ去られた人々」、つまり税金を取られるばかりの人々なのである。
(本書第1章「経済の自由、その真の姿とは」より)

 何故このような人物が急浮上するのか。わからない。今までメディアは彼の主張や存在すらも報じなかった。今回のように、彼が容認されたアメリカ社会にいったい何が起きているというのだろうか。
 本来、メディアは、両方の主張を並べて書くのが当たり前の姿だと思うが、残念なことに、現在の主要各紙は締め出しを食らわないような内容しか書かない。余談だが、これまで私は頑張って紙の新聞を取ってきた。新聞配達の方を支えるつもりであったと言えばそうだが、新聞に目を通さなくなったため、今年の暮れから新聞を購読するのを止めようかとさえ思っている。事実を正確に伝えない新聞は、読むに値しないからだ。
 ポール氏に関して報じているという事実は、喜ばしい事だと思うが、この当たり前が今までなされず、何故ここへきて報じているのか?何かがくすぶっている知らせだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011-12-27

おぉ、日経が米外交政策批判をしている

cover
この国は俺が守る―田中角栄アメリカに屈せず
仲 俊二郎

 民主党政権があまりにも酷く、最近は言葉もない。あらためて何かを言おうというものでもないが、この様な日本になってみて、一体どこで何が狂ってしまったのかと、少し歴史をさかのぼって調べてみたくなっている。単純に自分の興味の範囲なので、読む本も特定しているわけでもないが、「この国は俺が守る 田中角栄アメリカに屈せず」(仲俊二郎)は、最近読んだ中で面白かった。
 ロッキード事件が持ち上がった頃、角栄さんは毎日テレビのニュースを賑わしていた。国会での答弁で「記憶にございません」を連発して黙秘したため、当時の小学生でもこのフレーズを使って遊んだほどだった。そして、この本を読んだ後だっただけに、昨日の日経記事「混迷8年超、イラク戦争集結「新世界秩序」妄信の果 米ブッシュ政権、野心と功名争い」(参照)につながり、歴史の重みをずっしりと感じた。また、これらの事件や戦争が起こる傍らで私は生きてきたんだという、個人的には生き証人になってしまった自分だという感慨もある。そういうわけで今日は、この日経記事を全文ここに記録として残しておきたい衝動に駆られ、会員限定記事であるにもかかわらずコピペしておこうと思った。まず、個人的な感想を少し書いておこうと思う。
 日本の有力紙としての日経が、かなり先鋭的にアメリカの外交政策を批判している記事だということが内心嬉しくもあった。今まで日経は市場原理主義を賛美してきたと感じていたからか、そのギャップが自分にあるのもそうだが、この記事は明らかに今までの日経とは違う。ちょっと、記念すべきと思った。どこでそう思ったかというと、冒頭の「新世界秩序」という言葉を使っている部分だ。

どこで針路を誤ったのか。最大の要因は「新世界秩序」構築という当時のブッシュ大統領が描いた大きすぎた夢にある。功名を争う側近たちがバスに乗り遅れまいと熟慮なき決断を後押しした。

 「新世界秩序」という言葉は、陰謀論を意識した言葉だと思うが、実在の米元大統領の政策を表現する言葉としてはかなり強い批判を意識していると思う。読めば分かることだが、イラク戦争の失敗を親子でやらかした上、ここでオバマの指揮下で撤退したことに疑問も投げかけてる。そりゃそうだと私も言いたい。
 撤退後、イラクの至る所で爆弾テロが起きて市民が大勢死んでいる。宗教闘争が激しい中、ここで撤退したことは何の解決にもなっていない。それどころか、今までアメリカ軍の存在で抑圧されていたイスラム過激派のエネルギーが吹き出したという勢いだ。オバマ氏が来年の大統領選挙で再選されることになれば、彼はこの責任をどう取るのだろうか。頭の痛い問題を抱えてしまった。因みに、オバマ氏が撤退を決めたあたりの背景については、極東ブログ「オバマ米大統領によるイラク戦争終結宣言の背景」(参照)で詳しく考察されている。再選の暁にはきっと読み返したくなるのではないかと思い、リンクを貼らせてもらった。
 以下がその記事である。

混迷8年超、イラク戦争終結
「新世界秩序」妄信の果て 米ブッシュ政権、野心と功名争い
2011/12/26付
日本経済新聞 朝刊

 9年近くに及ぶイラク戦争は米軍の最後の部隊が23日に米本土に帰還し、完全終結した。フセイン独裁体制は打破したものの中東情勢は混沌としたままで、米国民に戦勝気分はない。どこで針路を誤ったのか。最大の要因は「新世界秩序」構築という当時のブッシュ大統領が描いた大きすぎた夢にある。功名を争う側近たちがバスに乗り遅れまいと熟慮なき決断を後押しした。

 反戦団体の集会に必ず登場する「戦犯ブッシュ」人形(米ワシントン)
イラクの石油利権を狙う産軍複合体の代弁者であるチェイニー副大統領らネオコン(新保守主義)勢力が、ありもしない大量破壊兵器を口実に強引に攻め込んだ。反戦団体はイラク戦争をこう指弾する。
 戦争に実利はつきもの。チェイニー氏が副大統領就任の直前まで最高経営責任者(CEO)を務めた石油企業ハリバートンが復興事業を担ったのは事実だ。
ただ、ブッシュ氏本人の動機が石油利権にあったという証拠はない。むしろ読み取れるのは歴史に残る大統領になりたいという素朴な野心だ。
米国主導で民主主義と市場経済による世界の一体化を進める。ブッシュ・ドクトリンに盛られたこの考え方の根源は1970年代初めにさかのぼる。ニクソン政権のキッシンジャー国務長官は中ソの仲たがいにつけ込み、中国との接近に成功。提唱した「新世界秩序」は共和党外交のキーワードになった。
 「制圧は容易」
 90年の湾岸危機の際、父ブッシュ大統領はイラクへの反攻の大義名分として「新世界秩序」を持ち出した。冷戦勝利の高揚感も相まって、唯一の超大国として世界安定の責任を負うという壮大な絵図に米国民は酔った。
 長男であるブッシュ氏はそれを実現させて父を超えようとした。同時テロ後のアフガニスタン進攻で主要都市を簡単に占領したことでシリアやイランを含めた中東制圧は容易と誤解。「私の業績を決めるのはテロ戦争だ。イラクはその一部にすぎない」。マクレラン副報道官は開戦前にブッシュ氏がこう豪語するのを聞いた。
 ネオコン勢力が誤解させた面はある。開戦前、ホワイトハウスのリンゼイ経済顧問は戦費の見込みを「1000億ドルないし2000億ドル」と発言。アフガン戦争を含めた戦費が1兆ドルを超えたことを考えると、いかに手軽な戦争と見ていたかがうかがえる。
 戦費をかけまいとウルフォウィッツ国防副長官は少数兵力による電撃攻撃を立案。大規模派兵による万全の備えを訴えたシンセキ陸軍参謀総長は退役に追い込まれた。手を携えて開戦へと突き進んだネオコンと軍は皮肉にも戦争を始めたことで離反した。
 ブッシュ政権の政策決定は直線的だった。チェイニー氏やラムズフェルド国防長官らネオコン勢力は必ずしも一枚岩ではなかったが、それが相互抑制に働くのではなく、大統領の機嫌取り競争に転化した。
 ハース国務省政策企画局長はライス大統領補佐官(国家安全保障担当)に開戦を止めるよう進言したが、返ってきた言葉は「言わないで。大統領はその気なの」。最側近のライス氏も耳障りな情報は上げなかった。
 評価は後世に
 「間もなく歴史の一部になる」。戦争を引き継いだオバマ大統領は14日の戦争終結宣言の際、こう付言した。開戦に反対した経緯を考えれば「祝勝」はあり得ないが、「敗退」とおとしめる必要もない。評価は後世に委ねるしかなかった。
開戦時の政権担当者の多くが回顧録を出版したが、「イラクで戦ったことで米本土へのテロを抑止した」と胸をはるチェイニー氏以外はイラク戦争の是非には言葉少なだ。ブッシュ氏は大量破壊兵器に関して上がってきた情報が間違っていたのだから自身の判断ミスではないとの言い分だ。もっとも2003年にこんなことも言っていた。
「歴史なんか知りたくもない。我々がしたことが歴史になる頃にはもう生きていない」
=肩書は当時
(ワシントン支局長 大石格)

<MEMO>ブッシュ・ドクトリン
米ブッシュ政権が2001年9月の同時テロを受けて定めた国防戦略。冷戦期に有効だった核武装の優位による戦争抑止力が損なわれたと判断。テロ支援国への先制攻撃を辞さず、との方針を明確にしたのが特徴だ。
民主主義と市場経済に基づく「新世界秩序」構築も打ち出し、独裁国家への軍事介入を正当化した。02年1月の一般教書演説に盛り込み、8月の国防報告で体系化した。

 1991年の湾岸戦争勃発→2001年の9.11同時多発テロ→2003年のイラク戦争。そして、2008年のリーマンショックで流れが変わった。つまり、ブッシュ親子二代にわたって「新世界秩序」構想が破綻したのだということ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-12-25

野田増税内閣は大混乱に陥るのかも

 昨日の夕方のNHKニュースで安住財務相は、「国債に頼るのは無理だから増税する」と、マイクの前で話していた。聞きなれた「国債」「増税」という単語が並べば、国の財政難をこう表現するのだなと聞き流すこともできる。

 が、これはとんでもない理論だと思う。国の財政を家の家計に置き換えてみれば、こんな矛盾は通らない。給料が減ったら財布の紐を引き締めるのが筋と言うもの。この当たり前のことを素通りして、「収入が減ったから増税する」というのである。

 国の歳入が減った理由は、各家庭の収入が減って納税額も減ったから。国家は、普通はここで歳出を減らすのが筋だが、収入が減った各家庭に増税をしようと言っている。

 ちょっと待て。その前に歳出を減らすと約束したことがあるだろが、と誰も突っ込まないので今日は少し書いておくことにした。

 国会議員の数を80名減らすという公約や官僚の数を減らすこと、公益法人の数の見直しはやったの?既に頓挫したも同然のマニフェスト違反だとか文句をいうつもりはないが、あまりにも矛盾した話しで、これをどう納得したら良いのだろうか。
 歳入を増やすためには、各家庭の収入が増えるように景気を回復させるのが先で、それが出来なければ、国の歳出を抑えるべきではないの?随分前に言っていた、「国民生活を第一」というのは、まったくもって綺麗事である。
 東日本大震災の復興費用が数兆円必要だというのも、これに投じる費用は資産計上出来る国家の「資産」になるのだから、言い換えれば「建設国債」として国債発行によって賄い、長期で償却すれば無問題な話。

 道草して言うけど、沖縄の仲井真知事と会談した野田さんは、沖縄振興予算を地元の要望に沿って増額したと報じていた(琉球日報)が、環境影響評価(アセスメント)を年内に提出するというアメリカとの約束のためにここへ来てドタバタしている様子が窺える。この評価書を手土産にオバマ氏との会見を実現しようと言うものだったのだろう。先日キャンセルされたこの会談にしても、沖縄県民が反対している中で、評価もあったものではない。これは空手形であり、アメリカはその手には乗らない。鳩ポッポの「Trust me」で既に懲りている。沖縄振興に予算を投じた目論見がとんだ見当違いで、結局、ここでも無駄遣いとなったようだ。個人的に、沖縄振興に予算を投じることに反対をしているわけではないので誤解なきように。

 さて、同じ民主党である小沢氏が最近また動き出している。裁判が始まった頃は全く表に現れなかったが、その裁判が小沢氏にこのところ優勢に働いているみたいだ。先日、日刊ゲンダイ「ますますアホらしい小沢裁判 会計、法律のカリスマ教授が決定的証言」(参照)がそのことを取り上げていた。また、一昨日の同紙の「ようやく始動した小沢一郎」(参照)では、消費税増税に反対する大勉強会を立ち上げ、106名の国会議員が集まったそうだ。野田政権が消費税増税にこのまま突っ走れば、野党の不信任案に小沢グループが同調するかもしれない。そうなると民主党内は分裂し、政界再編選挙になるのではないか?これは、誰もがそう推測するのではないだろうか。野田政権は現在、「消費税増税を含む一体改革」をまとめる追い込みに入っているが、小沢氏のこの動きのタイミングがぴったり合っているというのはそう思った。

 小沢氏のこの動きが、前段に述べた消費税増税反対理由と同じかどうかはわからない。106名のリフレ派万歳ヽ(^。^)ノと、エールを贈りたいものだが、小沢さん自身の求心力というか、これが小沢政治なんだよということなのか。

 何れにせよ、年明け早々に政治が大混乱に陥ってもいいんじゃないかな。一波乱でもあって、政治が少しでもマトモになるというのならどんどんやってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-12-24

にんにくの芽と烏賊、ベーコンのビーフン炒め

Img_0130

 二週間前に塩漬けして乾燥という行程を経た豚バラの燻製が昨日、ようやく仕上がった。大型のスモーカーをこの夏に購入し、これがすこぶる調子がいい。燻製する材料の量に合わせて一段か二段にして使い分けができ、火起こしの際、円筒形の本体が風よけの役目をしてくれるため、迅速に準備が整う。朝、火を起こして肉を温燻にする楽しみは、午後のお昼寝をすっ飛ばしても待ち遠しい方が勝るんだな、これが。レシピもよかったら☞こちら

Img_0129

 出来上がったばかりのベーコンは、イマイチ味が馴染んではいないという減点はあるものの、人に差し上げる前のお味見で何か作って食べようと言う訳で作ったシロモノが、ビーフン炒め。ベーコンの脂から軽く塩味と風味が染み出して、モンゴイカとにんにくの芽にしっかり馴染んだ味わいは格別なもので、味付けは、オイスターソースと醤油だけというからシンプルの極みだと思うよ。当初は、炒め物として考えていた献立てで、家族がこの料理を見たら「あ、知ってる、これ。」と悲鳴が上がるかもしれない、我家の定番の炒め物メニューで、皆、大好き。どういう訳か、このレシピがここでは欠落していることに昨夜気づき、急遽、ビーフンの炒め物として登場させる事にした。まあ、味付けを薄くしてビーフンを除けば炒め物なので、今日のレシピは、アレンジと思ってもらうと良いと思う。
 ベーコンの燻製から作ってください、とは言わないまでも、出来れば良く熟成されたベーコンを使用するに越したことはない。が、無ければ、普通に売っている豚バラベーコンを用意すると良いと思う。  にんにくの芽は、もちろん中国産。日本人は世界一潔癖症で、農薬の残留とか噂が出るとだれも買わなくなる。数年前、にんにくの芽もその槍玉に上がったようだったが、また、復活も早いようだ。昔と違って品種改良も行われたのか、とても柔らかくて甘い。これに関しては、外れが無い。この料理の場合は、思い切って沢山使って欲しいな。因みに一袋300gくらいで売っている。一人、100g位を見当に用意すると良いと思う。親指の第一関節に人差指の先端を当てて出来る小さな円くらいの束が約100gかな。
 烏賊は、冷凍のモンゴイカを使用したけど、生のスルメイカも味わいがあって美味しい。「松かさ」や「唐草」などの飾り切りにすると味が絡んで格別なものになる。切り方は、文字の上をクリックすると、わかりやすい動画がみられる。この画像は、なんだか、教育用の画像素材だって。シンプルでいい感じだと思ったけど、どうかな。
 因みに、画像の烏賊は「唐草」に切ったが、冷凍前の処理で、表面の皮がきれいサッパリ剥がされていたのだと思う。丸く縮まなかった。

Img_0131

 今日は、三人分のレシピのため多目。残ったら明日、温め直すとよいし、冷めたままでもこれが美味しい。なんというか、ビーフンに風味が移り、にんにくの芽と烏賊に味がしっかり絡んでいるため、寂しさや哀愁が漂わないんだな。
 では、そろそろレシピに行ってみよう。

材料(3人分)

  • にんにくの芽・・・300g
  • モンゴイカ(冷凍)・・・150g
  • 豚バラベーコン・・・60g
  • ビーフン(乾麺)・・・180g
  • オイスターソース・・大さじ3
  • 醤油・・大さじ2
  • 塩・胡椒・・少々

作り方

  1. お湯を沸かし始める。
  2. にんにくの芽をよく洗って4~5cmにぶつ切りする。
  3. ベーコンは薄くスライスする。
  4. お湯が湧いたらボールにビーフンを置き、熱湯をたっぷりかけて蓋をして5~6分固めに戻す。少しコシが残るくらいで止めておく。
  5. 烏賊を飾り切りにする。
  6. ビーフンの水気をすっかり切り、蒸気を飛ばして固めに戻しておく。
  7. 中華鍋(フライパンでも可)に油を薄く引き、弱火でベーコンから脂を出す。
  8. 火を強めてにんにくの芽を炒め、軽く塩と胡椒で炒める。
  9. にんにくの芽が色づいてきたら烏賊を加えて炒め合わせ、烏賊に九分通り火が通ったらオイスターソースと醤油で味付けする。ビーフンを加えるのでやや濃い目の味付けが良い。
  10. 最後にビーフンを加えて鍋を振リながら炒め合わせる。ビーフンが長い場合は、炒める前に食べやすい長さに切ると良い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-12-08

大根のつみれ鍋:霜に当たった大根の旨さったらもう

 今年の冬は、信州としてはかなり暖かな冬だと感じている。とは言え、霜が降りる日も何度かあり、先日はあられが降ったり、12月初旬だというのに雪も降るようなおかしな陽気でもあった。今年はこんなことを繰り返してばかりいる。が、畑の野菜達にとっては好都合のようだ。その一つとして、今日は、大根に起こった異変から話を始めたいと思う。
 この近くの畑では、お盆を過ぎたら一斉に冬野菜の種まきを始めるが、お盆を過ぎた頃に暑い日が続き、私はこの時期の種まきをサボった。これは、ヘタレな家庭菜園の暢気さである。そして、9月の初旬、涼しくなってきた頃合いを見て大根や赤かぶ、小松菜、ター菜、ほうれん草の種を蒔き始めた。この光景は、畑の先輩である近くのお婆様達にはおかしな行動に見えたのだろう、と言うよりも異様に見えたのだと思う。何をしているのか聞かれ、答えると矢継ぎ早に「おめさん、今頃蒔いたって大根なんか寒くて育たんよ。葉っぱを間引いて食べるだけだえ」と、忠告を受けた。まあ、それが順当な考え方ではあるが、この時の私には、一雨降ればすぐに芽が出ると確信めいたものがあった。ほのかな期待ではあったが、もしかしたら気候の変動でも起きて暖かい冬となるのではないか、そんな幸せな冬を待っていた。

Img_0075

 というわけで、12月だというのに、青々とした大根の葉が私の畑だけに生い茂っている。あはは。嬉しくてたまらない。しかも、鹿被害を避けるためにネットまで張り巡らしたしなあ。あはは、手の込んだお仕事、やったゼ。 そして、霜が降り、日中のぽかぽか陽気の繰り返しで、葉物はますます甘みを増している。いや、ある意味鍛えられている。信じられないくらいの柔らかで甘い。早朝に引き抜いたばかりの大根を畑にまるで付属している小川の水で洗おうとすると、茎の表面の皮が弾けて剥け、中の筋が露出する。これはおそらく、小川の水の暖かさを感じた大根葉達の、霜に耐えてきた緊張がほぐれたからだろう。

Img_0078

 これが甘さの源であるのだと分かったのは、野沢菜漬けの漬かり始めだけに味わえる太い茎のぬめりを連想したからだった。茎の内側はややぬめりがあり、そして何とも言えない甘さを蓄えているあれだ。その理由は、野沢菜の収穫まえにはわざわざ霜を当てることも聞いて知っている。だから、大根葉とは言え、何倍も得をしたような気分になった。そして、この大根のお蔭で今年は、何度もつみれ鍋でこの幸せを感じている。おそらく、大根の産地で有名な千葉産なども、葉付きなら寒さに当って鍛えられているはずだと思う。ラッキーならきっとこんな大根に誰でもいつかめぐり会えるのではないだろうか。そう思ったら、この鍋のレシピをちょっとここに置いておきたくなった。

Img_0080

 このつみれ鍋は至って簡単。で、ポイントは、メインであるこの葉っぱの煮方にある。
 大根場を3cmほどにぶつ切りしたものを出汁を張った土鍋で10分ほど、茎の色が黄金色に透き通るまで煮込むことだ。畑から引き抜いてきたばかりの大根であるため、火の通りは早いが、じっくり時間をかけてもこの程度で充分である。次に、大根をピーラーで剥きながら好きなだけ鍋に落とし、続けて豆腐やつみれを落とすだけである。味付けは、塩と香りづけの醤油で調味する。手間をかけると言えば、しいて言えば、つみれがゆるふわになっている事だろうか。秘訣は、大和芋をすり下ろして若鶏のひき肉に混ぜ合わせる。これだけである。好みで、豚のひき肉だっていいと思う。大和芋をつなぎに使えば結果は同じである。そして、全てのうまみをしっかり吸い込んだ春雨が鍋の底の方で待っている。鱈腹食べてもちっとももたれないのは当たり前だ。ほとんど野菜だからである。

Img_0083

Img_0086

 そして、最後の極めつけは、残しておいた出汁汁にご飯を加えたおじやだ。ここまでくれば鍋のフルコースとも言えるが、この手前で大概満腹になるため、翌朝の朝ごはん代わりに食べることが多い。これが寒い朝の体を芯から温めてくれる。
 息子が帰省し、昨夜はまたこの鍋を囲んで話がはずんだ。

材料(3~4人分)

  • 大根・・小1本
  • 大根葉
  • 中国緑豆春雨・・80g
  • 木綿豆腐・・1/2丁
  • 昆布と鰹の出汁・・2リットル レシピ☞
  • 塩・・こさじ2
  • 醤油・・大さじ1

つみれ

  • 若鶏のひき肉(または胸肉)・・250g
  • 大和芋(または長いもか里芋)のすり下ろし・・80g
  • 塩・・小さじ1
  • 葱のみじん切り・・10cm

作り方

  1. 昆布と鰹の出汁取る。
  2. 小ボールで春雨に熱湯を注いで蓋をし、10分ほど置いて戻す。
  3. 土鍋に3cmにぶつ切りした大根葉と1の出汁と一緒にひ、蓋をして茎が透き通るまで10分ほど中火で煮込む。
  4. その間に、鶏肉をボールで粘りが出るまでよく練り、すり下ろした大和芋を少しずつ加えながら混ぜ込んで塩とみじん切りの葱を混ぜ合わせる。
  5. 大根をピーラーで剥きながら3の土鍋に落としてゆく。
  6. 2の春雨の水けを切り、豆腐を一口大に切って加える。
  7. 塩と醤油で味を調え、最後に二本のスプーンを使って丸くしながら鍋に落とす。
  8. つみれに火が通ったら出来上がり♬

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011-12-01

ひじきと大豆の六目煮・煮る順番を設計してみる

Img_0049

 画像の六目煮。これがとにかく旨い。ご飯茶碗に一杯、これをよく噛んで食べただけの朝ごはんだったにも関わらず、大豆のお蔭か、今朝は腹持ちもよかった。しかし、待てよ。「六目煮」なんて作り方も言い方もあるだろうか。ないない。日本では割りきれる偶数は縁起が悪いとされているし、「4」という数字も「死」を意味するとかで敬遠されている。が、しかし、今回の煮物は六品目なので、偶発的にそう名付けさせてもらうことにしたった。悪しからzzz。
 さて、カラフルな彩のこの六目煮、見た目は、昔から日本にある副菜だ。作り置きの惣菜のチャンピオン的地位にあるのではないだろうか。ある人はこんなことからこの煮物を作ってみたいと表現されている。

「実は、幼い頃に火鉢に大豆が茹でてあって、大豆だけを腕にすくいあげ、汁なしにして、熱いうちに刻んだネギをまぜて醤油だけで食べていたのを思い出しおりまして御座います、人間の業の記憶とは!うまく行く事は望み薄で在りますが、やってみます。」

 私にとってこの煮物は、学校給食の献立と言う刷り込みが強く、残念なことに母の味からではない。母は忙しい人で、食材の下ごしらえで時間差のあるような料理はしなかった。この場合で言うと大豆がそのネックというか主だろうか。
 大豆を前日に水で戻して翌日、下煮をするという手間がこの料理の設計上、どこかでクリアーしないとならない。六目煮を作ることは難しいとは思えないが、難しくさせているのは、いざ作ろうというときに手順が描けないことではないかと思う。これは長年の料理作りで培われるものであるとは思うが、食材に対する柔軟な取り組み姿勢でもあるような気がする。だって、大豆は新物と古い豆では戻す時間も戻り方も違うし、ひじきは乾燥物もあれば生だってある。高野豆腐も、ものによっては戻す時間や戻し方が違う。いつも全てが同じではない。実際やりながらその様子を見て、戻し時間を延長したり短くしたりする匙加減が必要になる。この匙加減をせずにレシピの通りに作ると失敗することもあるジャマイカッ。「作り方」と書いてしまう事に罪深さを感じさせられるが、今日のレシピは、作り方云々よりも、こんなに美味しい煮豆があるんだぜ、てのを紹介したいと思っている。

Pb300007

 さて、この日記には既に二種類のひじきの煮物があって、ご存知の方もいると思う。因みにこちら☞その1☞その2。だが、肝心要の大豆が入っていないでしょ。大豆が入っていないと噛んで味わうという、あの味がしてこない。なので、品数を多くした六目煮の登場に相成ったというわけ。
  因みに食品群の揃え方だか、「大豆、ひじき、人参、こんにゃく、じゃこ天、高野豆腐」の六目を選んでみた。栄養価はどうか緻密に考えると理科の実験みたいになってしまうが、それでも一度は拾っておくべきと考え、以下のように調べた。
 畑の肉と言われるタンパク質の多い大豆、ひじきからビタミンAや繊維質、人参から β-カロチン ビタミンA 食物繊維 カリウムなど、こんにゃくから食物繊維グルコマンナン、じゃこ天(魚の練り物など)タンパク質やカルシウム、高野豆腐からは豆腐同様にイソフラボンやビタミンE・カルシウム・マグネシウムなどが豊富。高野豆腐は以下のサイトの商品を実際使用しているが、見事な栄養でびっくらこいた。(参照☞
 次に、食材の下ごしらえの段取りがあるので順に書いてみようと思う。

大豆の戻し方

  1. 今年収穫したばかりの新豆は半日ほど三倍の水に浸して戻し、豆に皺がなくなるまでぷっくら水を含ませる。
  2. 古い豆の場合は、前日の夕方から翌日の夕方まで位を目途に24時間ほどかけてゆっくり戻す。
  3. スロークッカーの場合は、豆の3倍の水を加えて「弱」で6~8時間で乾燥状態の豆から一気に下ゆで状態まで下ごしらえする。
  4. 魔法瓶に乾燥豆と三倍の熱湯を注いで12時間ほど放置して半下茹でにする。
  5. 炊飯器の「保温」で乾燥豆と三倍の熱湯を注いで半日ほど放置し、様子を見ながら半下茹でにする。

※ 大豆は下茹ですると薄皮がとれてしまうものもあるが、大抵は残っている。繊維質として食べたいのでそのまま残すが、味の染み込み方が若干悪くなる。その反面、大豆らしい味わいも残る。

大豆の煮方

  1. 戻した生の大豆と戻し汁をそのまま鍋に移して中火で加熱。沸騰して灰汁(白い泡)が吹いてきたら掬って火を弱め、豆が湧かに踊る程度の火加減で約30分茹でる。または、10分ほど煮て、蓋をしてタオルなどで包んで余熱煮する。
  2. 大豆の堅さは味見をして決める。歯ごたえを残す場合は、10分ほど煮てそのまま火を止める。
  3. 上記の「戻し方」で半茹でにした場合は固めで戻るため、大豆と戻し汁を鍋に移して好みの堅さに煮る。


乾燥ひじきの戻し方

たっぷりの水で30分ほど戻し、笊にあげて水けをきる。

高野豆腐の戻し方

たっぷりの水で、20~30分戻す。

こんにゃくの下ごしらえ
Hint&Skilのこちらを参照してほしい☞
三つ方法があるが、ここでは1の下茹で後、2の乾煎りを採用している。理由は、こんにゃくの臭いを嗅いでみたらちょっと臭いがきつかったため下茹でし、こんにゃくに味が染み込みやすくなるように乾煎りして水分を抜くためだ。これでぷりぷりの触感と、小さなさいころに切ったこんにゃくの存在の生意気さが窺えるだろう。


昆布鰹出汁の取り方
(水4リットル作って余ったものは冷蔵庫保存)

  • 昆布・・15cm
  • 花かつお・・二掴み
  • 水・・4リットル

水に昆布を入れて一昼夜置き、沸騰させないように10分煮出すか、時間がない時は、水から沸騰させないように昆布に軽く泡がつている状態で30分煮出す。そのままの状態に花かつおを二掴み加えて10ほどに出して火を止め、そのまま冷ましてさらに出汁を取る。

 さて、これらのしたごしらえを進め、そろそろすべてが準備おっけになる頃合いを見て、人参やじゃこ天などをさいころに切る。レシピはここから書き始めることにしようと思う。

材料

  • 乾燥大豆・・カップ2
  • 乾燥ひじき・・カップ1
  • 人参・・150g
  • こんにゃく・・1/2丁
  • じゃこ天・・1枚
  • 高野豆腐・・2個
  • 出汁・・約500cc
  • 酒・・大さじ3
  • 味醂・・大さじ3
  • 醤油・・半カップ

今回は愛媛のこちらの甘口醤油を使用したため、味醂は使用していません。コクと香りのよりこのお醤油はお勧めです。


作り方

  1. 大き目の鍋で水けをきったひじきを乾煎りする。鍋に張り付かないよう時々鍋を煽る。ひじきが崩れてしまうため、ヘラなどで混ぜない。
  2. 鍋からプチプチ音がしてきたらさいころに切った人参とこんにゃくを加えて同様にしばらく乾煎りする。
  3. 戻した大豆と高野豆腐を加えてひたひたになるくらいに鰹昆布出汁を加え、蓋をして弱火で煮る。大きく沸騰させないように火加減しながら大豆が好みの堅さになるまで煮る。(煮汁はこの時、半分ほどになる。)
  4. ここで酒と味醂を加えて2~3分煮る。
  5. 続けて醤油を加え、じゃこ天を加えて10分ほど弱火で煮る。ここで煮汁は鍋底に残る程度になる。

 煮物は冷めながら火が通って行くため、長く煮込んで煮詰めて辛くしてしまわないよう、出来上がりはやや薄味に仕上げるとよい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2012年1月 »