2011-08-04

日本から「SANYO」が消えた

 7月30日、日経に「三洋電機解体「何でこんなこんなことに」(参照)で、三洋電機の解体完了を知った。三洋電機といえば、松下電器(現パナソニック)と共に戦後の日本の電気産業をリードしてきた会社として愛着のある馴染み深い会社である。あの「SANYO」の文字が消えてなくなるというのは寂しいものである。近頃、戦後の昭和をリードしてきた電気会社の倒産や合併、一部部門の製造中止などのニュースを聞くことが多くなった。長引くデフレ不況と円高によって、これまで輸出産業で発展してきた日本が揺らぎ始めているのを感じる。つい昨日も、韓国などの進出によって価格競争の激化について行けなくなったとする日立が、テレビの生産を廃止する事を決めたと報じていた(参照)。東北大震災の二次三次災害とも言われる「震災恐慌」(参照)がじわりじわりと押し寄せてきているのも相俟って、日本はこれからますます貧乏になるのだろうと思う。その覚悟も今ではできているが、ナショナルの社名変更あたりからか、なんとなく時代が変わる節目のようなものも感じてはいた。
 松下電気のブランド名である「National」は、正確には1927年から2008年9月までの81年間使用されたが、社名変更に伴い、同年10月1日より「パナソニック」というブランドに統一された。この時も、感慨深いものがあったが、何度か言い間違えるようなことを繰り返してみると、直ぐにパナソニックのカタカナが脳内で変換されるようになった。そして、いつの間にか、ナショナルへの寂しさも消えてしまった。
 個人的には、三洋電機製品よりもパナソニックの方が多く愛用しているかもしれない。昭和時代からの刷り込みで、ナショナル製品は安売りしない事で有名であったし、信用度が高かった。が、三洋電気は常にナショナルを追いかけるように市場では並んでいた。故障が少なく安価だという評判で、ナショナルと比べて迷った経験は誰にもあったのではないだろうか。それもそのはずである。三洋電機創始者である井植歳男(いうえ としお、1902年12月28日 - 1969年7月16日)氏の姉むめのの夫が、松下電気器具製作所の創始者松下幸之助氏である。兄弟会社のようなスタートでもあった。
 井植 歳男氏は、兵庫県津名郡浦村(現・淡路市)で回船業を営む井植清太郎の長男として生まれた。13歳の時、清太郎の急死後、母親に無断で父の後を継いで叔父の船で船乗りになったものの、石灰石を積んで入港した大阪港で、乗っていた叔父の船が倉庫の爆発に巻き込まれて炎上沈没。歳男らは浦へ命からがら逃げ帰る。 そんな時、幸之助に嫁いでいた姉のむめのから手紙が届き、創業したばかりの松下電器器具製作所で1917年、働くこととなる。彼が15歳で既に船乗りであったことがまず驚きである。早くから親の仕事を助けて生きてきたということが、ただのお手伝いのような体ではなく、生きるためであったことが窺われる。
 終戦直後、松下電器は連合国軍総司令部(GHQ)に「財閥指定」を受け、経営者の総入れ替えを命じられた。会社に残れるのは1人だけであった。当時、松下幸之助氏の右腕として松下電器を切り盛りしていた井植歳男氏は「大将がおらんと、松下は回らん。わしが辞めます」と言って身を引いた。故郷に帰って漁師になるつもりだった歳男に、ポンと50万円(現在の価値で約2億円)を貸し、起業を促したのが住友銀行だった。焼け跡から一代で総合家電メーカーに築き上げたわけだが、当時の銀行は、リスクをとって会社を育てるといった気概があったようだ。
 歳男からこの話を聞かされて育った敏(さとし 1932(昭和7年生れ)、四代目社長、井植歳男氏の長男)は、銀行を妄信していた。だがバブル崩壊後の銀行は、利益を生まない企業に冷たかった。
 その敏氏が幼少の頃、度々訪れていた松下幸之助氏の家で見た光景を次のように書いている。

 幸之助氏というと、私には異様な思い出がある。子どものころ、この伯父の家によく遊びに行った。正座してしきりに筆を動かしているので、つい覗くと金の字が並んでいる。私に気づくことなく、なおも一心に「金、金、金」と書き続けていた。
 幸之助氏は「金はどこまでも道具であって、目的は人間生活の向上にある」と言い続けてきた。命より大事だと錯覚する怖さ、私心なく金を使う難しさを絶えず自問していたに違いない。私には不振の関係会社を整理するに当たって、債権者に土下座して詫びた苦い経験がある。事業には金はつきものだ。悩むたびに伯父のあの後ろ姿に問いかけている自分がいる。

 父は松下のナンバー2の地位を捨て、あえてゼロから再スタートする道を選んだ。父が求めたものは夢であり、その夢を共有する幸せを味わった。そして、この二人から成功するまで決してあきらめない執念を見せつけられた。
 創業者というものは常人には及びもつかない天啓を得て新たな地平を切り開いていく。問題はおよそカリスマ性とは無縁の後継者である。「第二の創業」「第三の創業」の旗を掲げ、今日も社員に呼びかけている。「ナウ・レッツ・ビギン」と。

 父親の背中を見て育ったといえる年代も、もはやこれまでではないだろうか。この世代は、私の両親の世代でもある昭和一桁である。私が小中の頃は、どこの家庭の父親も家にいることは少なく、親が遊びに連れて行ってくれるようなことは年に数えるほどか、ない家庭も多かった頃だ。それでも父親が一生懸命働いてくれることや、たまに家にいる父親に対しては、気安く近寄れないような空気があった。当時は、参観日以外に学校での子どもの様子を参観できる機会は少なく、今のように、年に何度も親が学校に顔を出すことはなかった。それだけ親も、生きることに忙しい時代だったのかもしれない。
 その後三洋電気は目覚しい発展を遂げることになる。人のやらないこと、人が行かないところを模索しては進出し、ニッチ産業(隙間産業)の確立をしてきたが、それに飽き足らず、半導体と大型液晶分野に踏み込んだ。これが後に仇となるが、この企業戦略に関しては、先の日経が次のように辿っている。

 電気製品の頭脳である半導体と部品の王様である液晶パネルを持てば、パナソニックやソニーと正面から渡り合える。なにわのウェルチは大勝負に打って出た。半導体は新潟、液晶パネルは鳥取で、巨額投資に踏み切ったのだ。

  結果は惨敗。04年の新潟中越地震で半導体工場が被災する不運もあったが、突き詰めて言えば、身の丈を超えた投資だった。半導体や液晶パネルの競争は国内にとどまらない。半導体では韓国・サムスン電子、液晶パネルでは台湾大手に勝たなければ、生き残れない。資金力、販売力、技術力。どれをとっても三洋電機に勝ち目はなかった。

cover
三洋電機 井植敏の告白
(日経ビジネス)
大西康之

 その後、敏氏は、「三洋電機井植敏の告白」(参照)で、創業者の苦悩を打ち明け、三洋電機を「社員の会社」として再建を願うが、2009年12月、完全にパナソニックの子会社となった。
 この時、私も不思議に思ったものだったが、パナソニックにとって三洋電機の何が魅力で買い取ったのか、ブランドとしての魅力ではないと思いつつその意図を覗いてみたい気がしていた。そして、先の日経もそのことをかなり辛辣に書いているが、長引くデフレ不況と円高の煽りから、パナソニックの薄型テレビ事業の不振でお尻に火がついているという。そして、三洋電機の吸収合併においては、電池部門にしか興味がなかったともある。昔の松下幸之助氏と井植氏の関係からはとても考えられないことだと疑ったが、時代はとうに過ぎてしまい、義理人情的なことではどうにもならない時代へ変わってしまったようだ。こういうことに感慨を感じる私も、既に置いていかれているのだろうけど、高度成長期に培ったものとは裏腹に、失ったものも大きい。
 銀行にも、同根のパナソニックにも助けてもらえなかったため、結局解体によって切り売りする事になった。

7月28日、同社は洗濯機、冷蔵庫の白物家電事業を中国家電大手の海爾集団(ハイアール)に売却すると発表した。既に金融子会社も、携帯電話、半導体事業も売却した。祖業の白物家電の売却で、三洋電機は日本の電機産業の歴史から姿を消すことになる。

 また、昨日日経が報じた「パナソニック、三洋の白物売却、真の狙いは 」(参照)では、パナソニック子会社の三洋電機が国内と東南アジアで手がける洗濯機・冷蔵庫事業を中国の家電大手、海爾集団(ハイアール)に売却することで合意した事を報じる中で、高い地域シェアを持つ三洋の事業を手放す狙いは何か、と疑問を投げかけていた。

 パナソニックは三洋の白物家電をすべて不要とみているわけではない。同じ白物家電でも調理家電事業などは「融合」を進める方針で、既に三洋の技術者ら約130人がパナソニックの白物家電の拠点に出向。パナソニック社員とともにグローバル展開に向けた戦略商品の開発などに取り組んでいる。

 解体といっても、社員にとっては、実力を発揮できる余地が残っているということだろうか。
 人の行かないところへ進出すると自らニッチ産業を築き上げた土地である中国であるが、そのハイアールに売却する事になったと知って愕然とした。私のどこかにまるで、中国には負けないという闘争心でもあったのかと疑う程だった。この思は、一体どこからくるのだろうか。今でも分からないが、どうしても胸がざわめく。不安だろうか。


【参考文献】:SANYOミュージアム/index.html

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