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2011年8月

2011-08-27

「決断できない日本(ケビン・メア)」の指摘について雑感

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決断できない日本
ケビン・メア

 ケビン・メア氏の著書「決断できない日本」がやっと届いた。著者は、本書の帯にも書いてあるとおり、「沖縄はゆすりの名人」という発言をしたという共同通信社の報道が元で米国務省から更迭され、4月に退職した人物である。日本では大きく報道されたこともあり、この本は、かなり注目を浴びているそうだ。
 メア氏の問題で私はここで、三本のエントリーを書いている(参照参照参照)退職後の報道を聞くことはあまりなかったが、311の東日本大震災の「ともだち作戦」のために米国務省の調整官の指名を受け、退職の決意後約1ヶ月間、その任務を遂行して退職されたと知った。メア氏は、この環境の変化を、「私はまるで猛スピードで急降下しては再び上昇していくジェットコースターに乗っているかのような、目まぐるしく、奇妙な感覚を味わっていました。」と表現されている。氏の名前も日本ではかなり知れ渡っていると思うし、Amazonのランキングでは上位の方らしく、多くの人に読まれていることだと思う。
 先の発言や、他にもいくつか事実とは違う報道をされたことを心外だとし、これらを釈明するために退職の道を選び、今は自由に発言されている。これが、本書を書かれた理由でもある。私の関心も正にその部分であったし、いかに反論されるのかに注目したが、退職後、早速にウォール・ストリート・ジャーナル(日本)のインタビューに答えるビデオの内容と概ね同じであった(参照)。本書でもほぼ同じような展開で話は進められているが、釈明だけの内容ではなく、その残念な自身の体験から、日本の政府や当事者を厳しく批判しながら様々な指摘があり、それらは日本を応援するエールとして強いメッセージだと感じた。親日家のほどが窺われ、これが、私のメア氏に対する好感度をぐっと上げた。そういったメア氏の投げ掛けに反応したい気持ちがこみ上げ、少し触れておきたいと思う。
 そのものズバリだが、本書のタイトルである「決断できない日本人」についてを幾つかの場面で説明されている。この本の主要部分と言ってもよいかと思う。この点に的を絞って考えてみたいと思った理由に、ちょうど2020年までの「中国の軍事・安全保障に関する年次報告書」が公表されたばかりで(読売)、日本はますます防衛問題に真剣に取り組む必要性が出てきたことを感じた。ついては、アメリカとの同盟を今以上に堅く結ばなくてはならない。日本に対してアメリカは、短命首相が続く日本の政権とスムーズに同盟問題を進められないというジレンマを感じたが、様々な懸念や疑問視がアメリカ側にあるようだ(産経)。そして、本書との関係で言えば、メア氏の指摘する「決断できない日本」のままでは、国民の安全の確保はどうなるのか気になった。
 例に挙げると、PACミサイルの搬入の際、これに反対するデモ隊がミサイルの輸送ルートを塞いだ時、地元警察は動かなかったというエピソードで、メア氏が直接警察に要請する羽目になったのは、明らかにおかしな話だったと指摘している。理由は、地位協定というアメリカと日本の間で交わされている協定に抵触しない範囲で米軍の権利を守るもので、ミサイルの搬入は合法であるにもかかわらず、沖縄防衛局はメア氏の要請に応えず、直接警察に要請を依頼するように言われたというのである。メア氏はこれにかなり呆れたと憤慨しており、私も当初、日本が決断できない国の象徴的な事件だと解した。が、後で考えが少し変わった。メア氏の状況説明にはこうある。

日米地位協定は、港湾施設・空港などの出入り口の権利を保障していて、その権利行使が妨害されている場合、法執行当局は妨害要因を排除する義務があります。ところが、沖縄防衛局は、デモ隊を排除するためには総領事が直接、警察に要請したほうがいいと言ってきた。そうしないと警察は動けないという。これを聞いて私はあきれてしまいました。
もう占領時代は終わっているというのに、日本の警察は米国の総領事の指示で動くというのだろうかーー。

私は防衛局(防衛省の出先機関、かつての那覇防衛施設局)の担当者に「この問題は日本の政府の責任ですから、防衛局が警察と調整できませんか。私が直接、警察に要請するのは筋違いではありませんか」と言ったのですが、相手は、「それは分かるが、総領事が責任を取ってほしい」というのです。

この話は、後になって知った外務省がかんかんに怒ったと聞いています。基地の外で起きた日米地位協定に関わる話なのですから、当然の怒りだったでしょう。これは、国家の主権に関わる問題だからです。

 ここで決断ができない理由が二点あると思った。
 まず、警察と防衛局(防衛省)と、後で怒ったという外務省と防衛省のそれぞれの管轄の違いで、命令系統が違うことに原因があるのではないだろうか。例えば、些細な話だが、家庭内で起きた暴力問題は民事だとして警察は関わらない。電話で通報しても、すぐに飛んでは来ないことがある。また、ストーカーなども昔は、警察は相手にしてくれなかった。日本の法制度にもかなり問題があると思う。国民の不満もあるくらいのことなので、メア氏が呆れるのも理解できる。
 もう一点は、責任を取りたくない体質による弊害があるとしたら、こういった法制度や関係省庁の組織構成に問題があり、そのため枠内の職員間に、我が家に問題を起こしたくないという体質が出来上がった結果ではないだろうか。この辺のところは、専門家の意見を聞いてみたいと私も思っていた部分だけに関心もある。
 メア氏の指摘は、このような問題は、「日米安保体制の危うさを象徴している一件」だと紹介している。ここが肝で、どこを改善したらその危うさを回避できるのか、せっかくの指摘に反応するための政治は政治家に任せている市民の問題へと降りてくることになる。
 話は飛ぶが、菅首相は昨日辞任を表明した。次の首相選びは国民は不参加となるが、国民が選んだ議員から選出される。いろいろ批判的なことを思ってしまう私だが、自分たちの選んだ議員から誰が首相になろうと、応援してゆくしかないという言い聞かせも、この政権が続く限りだと思う。懲り懲りするのは時期尚早だと、自己反省の念を記しておかないとバツが悪くなった。
 メア氏の話から首相選挙の話に落ち着いてしまったが、メア氏は最後に次のように私たちに温かい言葉をかけてくれている。

問題は、政治のレベルの低さなのです。責任を取らず、自己保身を図ることが目的化してしまっている今の政治から、一刻も早く脱却しなければなりません。
The Japanese people deserve better politics.

日本人は今の政治のあり方に甘んじてはいけないと思います。日本の国民はもっと良い指導力、良い政治に恵まれるべきです。

 最後になったが、メア氏が日本とアメリカの友好関係や同盟問題に対して尽力されたことを感じ取り、胸が熱くなる描写も多々あった。この様なアメリカの外交官に恵まれたことにとても感謝している。ありがとう。

 私とは全く違う視点で極東ブロブでも書評を書かれている(参照)。「沖縄はゆすりの名人」と「怠惰でゴーヤーも栽培できない」、という発言をしたと報じた共同通信社の記事について詳しく考察されている。多くの人の関心事であったと思うし、真相を確認する意味でも参照されると良いと思う。

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2011-08-25

「トロイの木馬」作戦によるトリポリ陥落-今後の気になる点について

 あれほど気がかりだったリビアのカッダフィー独裁政権が24日、あっけなく幕を閉じた。しかも、当のご本人と息子は、今のところ行方不明だと報じていた(jiji.com2011/08/25-06:18)。これからどうなるのか、気になるところだ。そういえば、リビアがうまく収まる方法として、自分なりの予想を以前立てたことがあったのを思い出した(参照)。国際社会からお尋ね者カッダフィーと祭り上げ、誰かの手によって首が絞められるか拿捕する、というのが一番落ち着く方法ではないかと思っていた。特に、ビン・ラディンがパキスタンの隠れ家で見つかり、アメリカの特殊部隊による包囲によって一気に片付けてしまったように、あのような図柄を想像していた。それだけに、カッダフィーがさっきまでくつろいでいたのではないかと思うような居間の映像などをTVで見た時は、如何に逃げ足の速い人だろうかと驚いた。日本のメディアでは報じている様子はなかったと思うが、陥落の直後だと思う、Twitterのクリップでイギリスのテレグラム紙が作戦の詳細を伝えていた(参照)。私は、なんだか気が抜けて、まるでその前の日までリビアの行く末を思っていたのが嘘のようだった。お見事であったと思った。
 そして、MSN.産経ニュースが先のテレグラフ記事を引用してNATO軍の働きを讃えていた(参照)。私個人の、今までのリビア情勢を見てきた感想は、反政府軍がよくこれまで諦めなかったものだということだ。NATO軍から誤爆をうけて死傷者を出した情報も何度か耳にした。兵器も、政府軍とは比べものにならない様な古ぼったいお粗末なものだっと聞いていた。それが、トリポリ市を包囲し始めたと知ってからわずか2日の内に陥落のニュースが入った。
 また、昨日、極東ブログ「トリポリ陥落の印象」(参照)では、この作戦を「トロイの木馬」と呼んでいた。ぴったりな比喩だと思って感心した。トロイを陥落させるために木製の木馬に人を忍ばせて欺いたという、ギリシャ神話だ。それが、テレグラム紙に書いてある詳細の通りだと思った。私などは、それがいかにもスマートだからか、良案としてうまいこと事が運んだとしか思わなかった。仮に、カッダフィーとの取引が事前にあり、身柄の保証と引換に、降参しろという話ができていたとしたら、このスマートな幕引きに頷ける。また、息子が23日捕まったというニュースが上がった時点でもしかすると、息子が父を見捨てたのかとも思っていた(参照)。
 思いはいろいろ錯綜してばかりだが、陥落後で一番気になったといえば、ポストカッダーフィーは誰が務めるかだった。いや、独裁政権のやり直しという意味ではなく、リビアにそもそも民主化が訪れるとは思えないものがあることと、政治体制がほとんど無いようなリビアにどうやって政府などが建つのか、それが想像がつかない。このニュースのとおりになるのかどうか分からないが、先程日経で「リビア、高官ら相次ぎ反体制派に転向 外相は停戦促す」(参照)で、カッダフィー政権下の高官が鞍替えするそうだ。


【ドバイ=中西俊裕】カダフィ大佐の独裁が事実上崩壊したリビアでは24日、カダフィ政権の保健相や情報機関高官から反体制派への支持や転向を表明する発言が相次いだ。外相ら反体制派に恭順の意を示す政権側幹部が政権側の兵士に戦闘停止を促す動きも表面化。反体制派首脳は大佐の身柄に懸賞金がかかったことを公表するなど所在に関する情報収集を急いでおり、大佐と配下の兵力を追撃する動きが加速している。

中東の衛星テレビ、アルアラビーヤは24日、カダフィ政権のヒジャジ保健・環境相とハリファ情報機関副長官(対外担当)が反体制派に転じたと報道。「長官は政権側の将兵に反カダフィ革命に加わるよう求めた」と伝えた。

アブデル・ラティ外相はトリポリ市内で英テレビ・チャンネル4の電話取材に答え、内戦は反体制派の勝利で決着したという認識を表明。「私にまだ(外相の)権限があるなら、大佐側の兵士に武器を捨てるように言いたい」と語り、停戦への調停を務める意向も示した。


 簡潔に書いてあるせいか、とても簡単そうな印象を受ける。負けを認めてしまえば、報復措置として勝利側が有利に事を運べるというのは理屈ではわかるが、そう上手く行くものだろうか、と少し疑問が残る。
 また、大佐について、正式な表明が出たようだ。


一方、国民評議会のアブドルジャリル議長は記者会見で、大佐の身内や身辺に居た関係者に「大佐を殺害するか生きたまま捕らえれば恩赦を与える」との意向を表明。ベンガジにいるビジネスマンが大佐拘束のために200万リビアディナール(約1億3090万円)を支払う考えであることも明らかにした。大佐の所在は25日未明時点でなお判明していない。


 これ、フェイクじゃないだろうか。と、今朝もこれと似た記事がウォール・ストーリー・ジャーナルで上がっていた(参照)。つまり、逃亡の色を濃くするためにフェイクだとしたら、一生見つからない場所に潜伏しているか、誰かが匿っているかだろうか。
また、今後の問題で、原油の管理と言ったらよいのか、西側諸国が結局リビアの原油を管理することになるのは最初からわかっていたことだ。
 ロシアと中国は、国連の介入に反対だったため、反政府側は、原油の配当を拒否することを表明したため、もらい分が無い。功績のあったアメリカには、その名も上がらない。これまでを思えば当然だが(参照)。また、24日、ブルームバーグ「海外資産と原油資源持つリビア、復興では外国の金融支援は不要か」では、これまでのダメージを修復するための費用は、カッダフィー政権が海外に持っている500億ドル(3兆8500億円)で賄えると見ているらしく、ドイツのメルケル首相が、海外銀行の凍結解除を申し立てているようだ。
 なんだかこのスピードに圧倒されて仕舞いそうななる。エジプトの足ふみ状態とは全く違うスピードだけに驚く。ここでまたしても、これはシナリオがあったのではないかと勘ぐってしまう。が、リビアには金蔓である原油が有る。その点は安心できるようだ。むしろ、これからは正常な管理体制になるというものだろうか。


北大西洋条約機構(NATO)軍の空爆や後方支援で、リビア反政府勢力は首都トリポリをほぼ制圧。行方が分からなくなっているカダフィ大佐と大佐支持者らの捜索が続いているが、ドイツのメルケル首相ら欧米首脳は、リビアの民主政権移行を促すためリビアの海外資産の凍結解除を呼び掛けている。

民衆の大規模な抗議活動で政権交代を実現したエジプトやチュニジアは国外からの金融支援を必要としたが、海外資産に加え、アフリカ最大の原油埋蔵量を持つリビアの状況は異なっている。

カダフィ政権から今年2月に離反した前リビア中央銀行総裁のファルハト・ベンガダラ氏は、「われわれには融資は不要だ。リビアには巨額の金融資源と原油埋蔵量がある。必要なのはリビアの海外資産凍結を解除する国際社会の協力だ」と述べた。

 

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極東ブログで指摘されたasahi.comの不可解な記事について、朝日新聞社に問い合わせた件:その2

 昨日のエントリー「極東ブログで指摘されたasahi.comの不可解な記事について、朝日新聞社に問い合わせた件」(参照)で、朝日新聞お客様窓口の次長中島氏の回答について書いておこうと思う。
 この質問の趣旨は、朝日新聞社の紙の新聞と内容がまったく同じであるasahi.comの13日付けの「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)の一部の記述が、はてなブックマークの痕跡に残る同記事と見られる記述の内容と一部が異なるため、事実関係を明らかにするものであった。その肝になっている部分は、南相馬市で行われた内部被曝の検査で、60代の男性から検出された「1ミリシーベルト」は、一年間の被曝換算か50年間換算によるものかを問うものである。問題の焦点になっている理由は、この「1ミリシーベルト」は、一般人の一年間の被曝限度であるため、記事の記述が「50年間の換算」であれば、福島原発事故の被曝が無問題であると言い切れるような朗報である。
 逆に、これが一年間の被曝換算であるなら、この男性が事故後に水を探して山歩きをしたのと同様な行動をした人は、念のため検査を積極的に受けたほうが良いという判断基準ともなる。そして問題はもう一点。この記述の有無から、それが誤記による編集か、仰天記事のように仕立てるために改竄を試みたものなのかである。
 一部のサイトで引用されて残るものもあれば、時系列的にはもっと古いにもかかわらず、記述のない記事のコピーが見つかったりと、時系列の違いなども重なってその軌跡が不可解さを残している。
 混乱を回避するために、極東ブログで引用されているものを簡単に整理してみることにする。

「将来にわたる総量を50年換算(成人)で評価した」の記述の有無とその引用の元記事

  • 2011年8月13日20時26分 2ch掲示板-(asahi.comの速報記事引用)
  • 2011年8月13日20時55分 asahi.com(朝日新聞(紙)14日掲載記事と全く同じ記事)-
  • 2011年8月13日20時55分 阿修羅掲示板-(sahi.com速報記事引用)
  • 2011年8月13日21時43分 はてなブックマークの痕跡ー(asahi.com速報記事引用-

 上記の「asashi.comの速報記事」というのは朝日新聞社の説明によると、速報性を重視しているため、元の記事がある場合はそれを編集した記事であったり、速報記事として、紙の新聞とは別に独自に記事を起こしたりもするということだった。
 で、今回のケースは、朝日新聞社の記事が元にあり(14日発刊)、この発刊よりも一日早い13日にasashi.comが速報でまずインターネット上にアップした。その速報記事に「50年換算」の記載があるものとないものがあるというのは、編集時点で編集者の考えに基づくもので、速報記事ではよくあることで、訂正や編集などを加えることがあるという説明だった。ここではてなの痕跡についてだが、加えて、はてなという会社が運営しているブックマークの機能がどのように設定されて記事を抽出するかの点で、asashi.com記事そのものであるとは言い切れないなどの指摘もあった。
 上部に挙げた記事を確認してみると、一番早く引用記事をアップしたのは2chの掲示板で、「50年換算」の記載はない。阿修羅は有り、はてなブックマークの痕跡には有るが、そのリンク先のasahi.com記事には無い。無い→有る→有る→無いと、実際このように編集されるケースはあるのかと質問すると、(編集した本人しかわからないことだが)推測すると、最初の記事を書く時点で、間違えが見つかったり、何を記事でアピールするのかという点などを検討する段階で編集されたと解釈するほかない、という意見だった。つまり、客観的な見方からではこれが改竄であったかどうかは判断できないという意見であった。
 このような回答しかもらえないということは質問当初から分かりきっていた事でもあるが、中島氏の発言で、「仮に、50年間換算による数値なら記事にはしないでしょう」という言葉が残った。この言葉の根底に、中島氏の記事性に対する考えを垣間見た気がする。
 そして、産経の記事を思い出した。タイトルは「1人が内部被曝1ミリシーベルト超 南相馬市が900人調査「緊急治療必要なし」」(参照)。被曝の数値に関する部分にこうある。

2011.8.13 20:48
福島県南相馬市は、小中学生を含む市民約900人の内部被曝(ひばく)検査で、体内に取り込まれた放射性セシウムによる被曝線量が今後50年間の換算で1ミリシーベルトをわずかに超えた人が1人いたものの、ほとんどの人は0.1ミリシーベルト以下だったとの調査結果を13日、まとめた。

 また、asahi.comのタイトルは「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)で、数値の部分は次のように記述されている。

2011年8月13日20時55分
福島県南相馬市が住民の内部被曝(ひばく)を調べたところ、60代の男性1人から1ミリシーベルトを超える数値が検出されたことが分かった。市立総合病院が13日発表した。住民の検査で1ミリシーベルト以上の内部被曝が明らかになったのは初めて。

 同じ事実を伝える記事として、それぞれが何を伝えようとしているか、その違いがはっきり見て取れる。
 朝日新聞社の中島氏と話して確認した通り、「記事には編集ありき」からみて、asahi.comの編集回数や、昨日のエントリーで指摘した文脈の辻褄が合わない点等を思うと、不自然な振る舞いを感じる。その不自然さは、記事の改竄を隠蔽するためか、捏造を試みて後に修正したとしか思えない。そう疑ってしまうのが正直なところだ。
 こうして調べてみて、不可思議な部分が更に色濃くなった。残念なことだ。

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2011-08-24

極東ブログで指摘されたasahi.comの不可解な記事について、朝日新聞社に問い合わせた件

 昨日、8月13日付けasahi.com記事「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出 南相馬の男性」(参照)と、同記事の末尾に三段落が追記されている別記事とみられる記事(参照)が、Web上になぜ混在するのかを問い合わせるため、朝日新聞社に電話した。この問い合わせに至ったのは少しわけがある。
 まず、この二つの記事の存在を知った最初の情報は、Twitterのクリップ記事だった。そして、類似している記事のコピペが阿修羅というサイトにあり(参照)、先の二つの記事とほぼ同時に三本同じスポッターから拾った。これには何か訳があると踏んだが、ざっと読んだその時点では、内部被ばくの線量に異常がないという部分だけ把握し、一つ一つの記事の細部の違いについては気づかなかった。後で、このようないい加減な読み方は、記事の持つニュアンスや、文脈の読み手に与える印象の影響力が大きくなることを思い知ることにつながった。
 さて、時間をおいて、三本の同じような記事が意図的に流された理由は何か、と気がかりだったため、自分でもGoogle検索で記事のタイトルと内容の一文を切り取って検索をしてみた。が、うまく三つの記事が出てこなかった。しかも、これらの記事は、8月13日であったため、内部被爆による異常性や緊急性が後にどう影響したかも気になり、それを探すために13日以降の記事にも当たったが、言及されている様子はなかった。そして、午後になって極東ブログ「朝日新聞「住民検査で初の1ミリシーベルト超検出」という記事の不可解さ」(参照)で、不可解な点を考察したエントリーが掲がった。
 探すとなると出てこないと思っていた同種の記事が、ずらっと並んでいる。詳細はエントリーで読み取ってもらうとして、このエントリーで投げかけられている疑問は、ネット上のニュースからはもう見つからないことだとすぐに諦めた。あれだけ調べ上げた上、疑問として残ったことを私如きが調べて出てくるものでもない。が、どうしても朝日記事の類似した二本の記事は気になり、これは発信元に問い合わせるしかないと思った次第だ。加えて、朝日新聞の近頃の体たらくな姿に対して一言言いたかったというのもある。
 極東ブログで疑問が投げかけられているのは次の部分で、問い合わせに至った。

 はてなブックマークの痕跡と付き合わせて見ると、阿修羅という掲示板が朝日新聞記事を改竄している可能性はかなり低そうだ。この記事が原形であったかもしれない。そうであれば、2つの意味を持っている。(1)「50年換算(成人)で評価」という表現が意図的に削除された、(2)「2011年8月13日20時55分」というタイムスタンプは内容の改訂を意味していない。
 これはどういうことなのだろうか。普通に推理できることは、朝日新聞は内部被曝について無知であるというより、「50年換算(成人)で評価」という内容を除去することで、あたかも年間の内部被曝であるかのような印象を与えたかったのでないかということだ。この点については、先の署名記事の錬石和男・放射線影響研究所顧問のコメントの修辞とも調和しており、いっそう疑いを濃くする。
 ただし、タイムスタンプの謎はこれだけでは解けない。同朝日新聞記事をネタにした2チャンネルの掲示板にも引用があるが、そのタイムスタンプはさらに古く(参照)、現在のバージョンが記載されている。

この情報も改竄されている可能性がゼロではないが低いと見てよいだろう。すると、該当朝日新聞記事の、私が追跡できる最古のタイムスタンプは「2011年8月13日20時15分」であり、この時点で現バージョンが存在していたことになる。これは阿修羅という掲示板のバージョンで追跡できる時刻より古い。いったん現在バージョンが出て、その後、「50年換算(成人)で評価」のバージョンが出たあと、現在バージョンに戻ったのだろうか。

 電話で問い合わせる条件として、記事の特定がある。ここでちょっと問題が発生した。
 「50年で換算した内部被爆」の部分が見つかったのは、産経記事とはてなブックマークに残る痕跡からであり、残念なことに「このページをよむ」のリンク先朝日記事では「50年換算」のくだりの部分が出てこない(改竄か記事修正かが不明な部分である)ため提示できない。そこで、明らかになっている13日20:55分の類似した2つの記事の存在と、内容がそれぞれ違うという点に絞って質問することにした。

 的を絞ったところで朝日新聞本社に電話した。
 代表窓口から記事の問い合わせ窓口へつながれ、担当の男性が出た。上記の点に絞って端的に質問すると、asahi.comの記事については紙の朝日新聞は関与していないため、紙の新聞にしか答えられないという話だった。ここで引き下がってはならぬと自分に喝を入れて、朝日新聞でどちらかの記事を扱ってはいないか?と聞くと、あちらは、朝日新聞のバックナンバーがPCから検索できるようになっていて、固唾を飲んで回答の程を待っていると「あります」と。私が指摘している記事は、朝日新聞社が掲載した8月14日の記事で、最後の三段落を切らない状態の記事を出しているということだった。窓口は、ここで話を終われせようとしているのが電話の向こうの様子で見て取れたが、私は、話を核心に持ってゆく糸口が見つかったと内心飛び上がる思いだった。
 朝日新聞が責任をもって紙面に載せたという記事の前半の部分だけを切り取ったようにasahi.comがWeb上で扱っていることは、朝日新聞社に関係がなくはないはずで、どういう経緯で記事が切り取られているのか、また、そいういった行為のため、男性の被曝が1ミリシーベルトであることが見つかったことが「初めて」のことだという文脈で伝えたいのか、被曝は安全だと伝えたいのか、二本の記事の信ぴょう性が疑われるという点を指摘した。そこで初めてasahi.comの記事に興味を持ったようだった。メールでこの両記事を添付するので見比べてほしいと提案すると、それは、おそらくこの窓口のルールに違反するからだろう、そういう方法はとっていないと言い出した。ここでしばらく待たされたが、相手の対応は変わらなかった。そこで、記事を読み上げて肝心の部分を指摘したが、これ以上asahi.comの記事に関わるのは御免といった態度だった。そして、いきなり電話が別の担当に渡され、トーンの違った男性が出てきた。
 次の男性は、先の担当の2.0と言わんばかりの強硬な態度で、私の提示している二つの記事の確認は、如何に門外かを私に説得しようとしている。が、こちらは同じトーンで、朝日の紙の新聞を引用してasahi.comが出している記事は、改竄されている可能性を指摘しているにもかかわらず、関係なくはないと押した。そして、これを放置するのは、朝日の紙新聞社の文責が問われる点と、朝日新聞がasahi.comに苦情を申し立てても良いような内容だとは思わないのか、と言い方を変えた。すると、ガラっと聞き方の態度が変わり、asahi.comから出ている二本の記事を教えてほしいと言いだした。メールのやり取りは社内規定に反するというので、口頭でアドレスを聞きとってもらい、初めて相手が私の提示している記事をここで確認した。電話の向こうで驚いていた「え、あ、ありますねぇ、確かにぃ」。やっとここで本題に入った。が、確認のため時間が欲しいと言い出し、ここで電話を切る。
 約一時間後、この窓口の次長の中島という人物から電話がかかった。回答はこうだった。

 asahi.comで上げた短い方の記事は、長い方の記事を編集したため短く詰めた。その理由は、速報性を扱う「一般記事(広く多くの人の目に留まるよう)」での扱いだったため、担当者がそういう判断をして編集した。長い方の記事が本来の記事で、記者の著名があるとおり、取材などを行って書かれている。また、このアドレスの違いで分かる通り、長い方の記事はasahi.comでは「原発特集記事」でも掲載しているため、二つの似たような記事が同時にWeb上に存在する。ただし、指摘されている通り、前者の短い方の記事の扱いは単に短くしたという編集によったとすると、かなり乱暴で、文脈も本来とは違ったものになるのは納得できる。「あたかも改竄」して男性の被曝を大げさなものというニュアンスになることも了解した。この件で指摘された点をasahi.comに厳しく伝え、今後、改善するよう要請した。
 asahi.comとの話をこのように伝えられたが、これは朝日新聞社としては異例の行動で、このような横のつながりは普段は行わないそうだ。朝日新聞社はasahi.comの記事を一々チェックしていないということだった。

 ここで、本題の「50年間換算」という肝の部分にやっと駒が進んだ。先方も聞く耳を持ってくれたという感じだった。どこにその部分があるか、はてなのアドレスを伝えて電話を切った。が、その文章が出ているわけではないので、追跡は難しいかもしれない。連絡を待つことにした。

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2011-08-23

「自己矛盾」の解決について、困惑している件

 参加の権利がなく、黙って見ているほかないことにいろいろ言っても何も始まらないのは分かっているが、これはおかしい、変だろうと思う自分が変なのか、いささか困惑していることがいくつかある。これを書くのも、どの角度で視点を当てればよいのか躊躇する気持ちもあるが、自分の今のこの状態をそのまま書くことにした。
 まず、松本市にある創造学園男子バレー部がこの夏、インターハイで全国優勝した話から。
 監督であり学園長である壬生義文(岡谷工業高校元教諭)氏が、率いるバレー部の主将とNHK(長野)のインタビューを放送するという事前の知らせを夕方のニュースで聞いた。監督自身の秀でた教育理念や、世間の目を奪うような優れた選手、または何かのエピソードでもない限り、高校インターハイで優勝したチームのインタビューなどは普通は特化しないものだと思う。放送するにはそれなりのスポットの当て方もあるのだろうと思い、偏見を持たずにこのインタビューを聞いてみようという気になった。
 こう思ったわけは、壬生監督の岡谷工業高校バレー部監督時代の出来事にある。記憶に残っている人もいるかもしれない。何度か優勝経験のある名門といわれた岡工バレー部の二年生部員が2006年3月、風邪をこじらせて入院し、一時危篤状態に陥った。この件の問題は、監督の自宅を寮としていたため、生徒の健康管理にどれほど配慮があったかや、監督責任として生徒の体調管理上、怠った点などがあった。近くの病院で緊急入院をの必要を診断されたにもかかわらず、入院させず、そのまま練習させたことが直前の入院の原因となり、その後、敗血症などで一時心肺停止となった。この問題が明らかになったことから、長野県教委は前監督を県教委高校教育課付に異動させた上で、6月11日、停職6か月の懲戒処分にした。その後、創造学園からバレー部監督して声がかかり、就任後現在の学長に至っている。
 インタビューが始まった。
 主将と監督にそれぞれの優勝の抱負を聞いた後、監督の輝かしい過去の成績に焦点が絞られた。そして、壬生氏は最後に、「これまで自分が信じてきた指導方法は間違っていなかった。改めて確認することができた。」と抜かした。述べた。NHKのインタビューの趣旨は、これを言わせて日本の監督陣の代表者的存在をアピールするためだったのだろうと理解した。
 ひどい話だと思った。過去の責任はすでに世間は問うてはいないし、私も、監督としてやり直しのチャンスをもらったのだと、創造学園に就任した当時はエールを送って見守りたいとさえ思った。が、自分のかつての教え子が生死をさまようような状態にあり、バレーを諦めざるを得なくなった無念さや痛みのことなどを思えば、一生、壬生氏の心のどこかに戒めのように置かれているはずだと思っていた。それを抱えながら監督という道を選んだのだとしたら、立ち直ってほしいとエールを送ったつもりだった。が、あっさりと自画自賛してしまった。恥を知れと思った。腹も立ったが、責めるまでの気持ちもない。
 世間は、他人事をいつまでも覚えてはいないし、人の噂も75日ということわざもある。が、当事者は、その心に忘れてはならない事ととして残っているものだと思う。
 当時、壬生氏を必要とした創造学園の経営には問題があり、教員が学園を訴えたり、生徒が33名になるなどして危機的な状態だった。ここが公立との違いで、経営の立て直しに部活動の活性化は大きな役割となる。つまり、壬生監督は、創造学園を立て直すためにバレー部を強化するという使命があったのは当然のことだった。見事にその偉業を果たしたとはいえ、自画自賛するその姿勢から、人としての好感は持てなかった。
 これだけで今日はもう充分としたいところだが、これに似たことで政治家の節操のなさに嘆いてしまう件がある。ただ、この件を言っても、国民が選挙することではないのでどうにもならないジレンマがある。菅首相退陣後の民主党党首の立候補者に関することだ。
 先ほど報じられたばかりの情報によると、前原氏は首相に立候補する考えを固めたらしい。その理由を端的に伝えているのはウォール・ストリート・ジャーナルだろうか、以下の「前原氏、代表選出馬へ=きょう正式表明―主流派分裂必至」がその部分だ。(参照

 「出馬させてほしい。これで政治生命が終わってもいいという覚悟だ」と伝えた。23日夕にグループの会合を開き、正式表明する。既に立候補の意向を固めている野田佳彦財務相(54)と、菅政権を支えてきた「主流派」の票を奪い合うことになり、野田氏は戦略の見直しを迫られる。

 前原氏は幹部との協議後、記者団に「自分の決意をあす(23日)述べる」と語った。

 ここで突っ込みを入れると、「政治生命」は、改めてここで言わずとも、外務大臣を辞任した時点で、ある程度絶ったのではないか?と思う。故意の献金ではなかったと後に釈明したそうだが、では何故やめたのか?という疑問を蒸し返すと、報じられていないことがある。この件は、極東ブログ「前原外務大臣辞任、呆れた」(参照)で、綺麗に浮き彫りになったことで、沖縄問題から逃げたという推論がますます色濃く事実に近づいた気がする。

 前原氏は当初、外国人献金問題で3月に外相を辞任した経緯から出馬に慎重だった。一転して出馬を決断したのは、各種世論調査での高い人気を背景に、グループ内で待望論が高まる一方、野田氏の支持が広がらず、同氏を推しても勝算がないと判断したためだ。前原グループの議員は22日、野田グループの議員に「前原氏が出るなら推せない」と伝えた。

 ただ、党内では「スキャンダルのうわさもあるのに、大丈夫なのか」との声も上がっており、前原氏がどこまで支持を広げられるか不透明だ。

 野田氏が財務大臣を置いて首相に立候補する理由は、増税しかないのだろうと思うが、メディアが大騒ぎする理由がよくわからない。私からすれば、財務大臣を置いて立候補している場合じゃないだろ、と言いたい。第一、野田氏を推さない議員も多く、首相としての支持率は確か4%ほどだったと記憶している。当選の可能性が薄い人と、40%支持率だという弾突に人気がある前原氏を比較に出す先のWSJ紙もよくわからないが、前原氏に決まる可能性は高いと思う。
 だが、その前原氏への野党の反応はというと、国民が言い出し兼ねないようなことだと思った。産経記事が「「人間としてありえない」参院自民 前原氏出馬に反発」(2011.8.23 00:4)で次のように伝えている。

 民主党代表選に出馬の意向を固めた前原誠司前外相に対し、野党側は「献金問題で引責辞任してわずか5カ月。性懲りもない」(参院自民党幹部)などと反発を強めている。 

 今年3月、前原氏を在日外国人からの献金問題で、閣僚辞任に追い込んだ自民党の西田昌司参院国対副委員長は22日、産経新聞の取材に「前原氏は禊(みそぎ)を終えたつもりかもしれないが、説明責任を果たさないまま辞任しただけで、その後も何ら釈明していない」と指摘。「何の反省もなく表舞台に出ようというのは、バッジを付ける人間としてあり得ないことだ」と怒りをあらわにした。

 そのうえで、「きりがないほど問題点がある」として、前原氏が首相に就任した場合は国会で厳しく追及する考えを示した。山本一太政審会長も22日の記者会見で「最初から『政治とカネ』の問題で追及せざるを得ない」と警告した。

 今は、喉元過ぎれば熱さを忘れても良い世の中なのだなと思う。
 前原氏は表向き、国会議員としての責任を自ら取る形で辞任したはずだが、沖縄問題から逃げたのではないかとすると、それが恥ずべき行為だったと反省されたとしても、首相になるとなれば、どこかで自己矛盾は起きないのだろうか。この話を持ちだして前原氏を責め立てたいわけではなく、こういった問題は、自覚の問題だという前提で考えてみている。先の壬生氏の件と同じように、自己矛盾の解決の問題だとすると、それを隠したままの行動に疑問は起きないのだろうか。心が痛まないのだろうか。
 壬生氏と前原氏だけに限らず、最近、こっちから見ていると変な世の中だと感じることは多い。これは、自己矛盾の解決を問うから問題になってしまうのだろうか。それとも、自己矛盾などは最初から存在しないのだろうか。人を嘘で誤魔化すことよりも、その自分の嘘を、弱い私は抱えきれない。嘘をつき通す責任は重すぎて、くたくたにくたびれてしまうのは小さいころに経験して懲りている。この感覚から外れてしまうと、私には理解できない問題となってしまう。

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2011-08-22

「愛と愛のメタファーにも差がない」という意味から気付かされたこと

 「10年以内に消え去るもの」の中に、電子ブックリーダーがあるという話から、「愛と愛のメタファーには差がない」という興味深い視点での話を見つけた(参照)。
 これによると、電子ブックリーダーという単体の「機能」は、スマートフォンなどに吸収され、機能として十徳ナイフのように組み込まれてしまうという説に対して、電子ブックリーダーへの愛着から、「本」というメタファーを表現しているものだと述べられている。電子ブックリーダーといえば、私は持っていないがKindleなど、一時購入を検討したことがある。今のころは、iPad2がその役割を持っていて、各情報のリーダーとして重宝している。私にとっては、このiPadが電子ブックリーダーそのものだ。
 先の話をこれに例えてみると、単に字が大きいとかの理由ではないが、機能上とてもよく似ているiphoneも持っている。一見、大きさが違うだけで、同じようなものを何故買ったのかという疑問を持ってもおかしくはないと思うが、私がiPad2を買った動機に、「本」というメタファーがあった。買って手にとってみた最初の感覚は、正に「物」だったかに思うが、使いこなしてゆくうちに、これが書架から取り出す本の感覚に変わって行った。この質感は、同じようなと思っていたiPhoneには、物理的に望めないのは一目瞭然でもある。
 現在は、電子ブックの数を充実させる段階であると思うが、読みたい本がなんでも読めるまでは至っていない。そうは言っても、著作権の切れた昔の本ならずらっとある。たとえば、そのお蔭で漱石を最近読むようになった。今や、手元に漱石の紙の本は一冊も置いていない私だが、青空文庫では漱石の本が選び放題だ。それが、全部自分の本であるという嬉しさでもある。今思うと、新たに紙の本として買ってまで読んだかどうか、そこは何とも言い難い。
 自分の書架から本を取り出す動作は、ダウンロードという方法でリーダーに取り込むという動作に変わり、読む途中しおりなどを挟んだり、わからない語句を調べるための辞書もアプリケーションとして購入したものを組み込んだ。これが、読んでいる「本」と連動するため、小脇に抱えている感覚だ。ボタン操作で指先からの伝達で辞書のその語句のページが開く。このスピーディーな一連の機械的操作は、本を書架から取り出して読む感覚そのもので、大きな書架に本を山のように持っている安心感さえある。これらが「本」を表現するメタファーとも言える。
 長々と、いかに私が電子ブックリーダーの愛用者かを語ってしまったが、この感覚が、実は「愛」と表裏一体の位置関係にあると思えばこそで、リンク先の最後のこの下りにつながった途端、泣けた。


そして人間にとってメタファーと実体とはあまり差違がないものだ。愛と愛のメタファーにも差がない。それは始まりにおいて、そして終わりにおいて。


 今まで「愛」を、それと似た何か同じようなものに置き換えたことも、そう仮定して考えたこともなかった。が、愛(め)でるとか愛着といった言葉に潜んでいる感覚的なものの存在を感受し、あえて言い換えれば、そこには差異がないことに気付いた。その対象が人であったり、草花であろうと、それを愛する自分の心の存在そのものに何ら変わりはない。そして、嬉しいことに、次から次に私が愛しているものが浮かび上がった。それをこっそりと温めていられることは豊かさであり、贅沢に尽きる。
 ところが、この幸せな和やかで穏やかな心持ちも、実現性を少しでも持つと、そこには絶望感が現れる。この秘めた豊かさは、一瞬にして残酷な世界に変わってしまう。物の見方や捉え方によるこの変化や差異は、現実に生きる私には酷な現象である。これを上手くバランスするものは「物」ではない。始まっていしまった以上、これに終わりもないのだとやっと思えた。
 自分の好き勝手な操作でそれを消して、存在しなかったことにはできないのだと思えたら、たとえそれがどんなに醜く見えようと、こっそりと温めて生きることなのだと思えた。

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2011-08-21

茶会党(ティーパーティー)バッシングによる毎日新聞の奇妙な展開記事について雑感

 Twitterで昨日拾った記事、「米保守革命:第1部・ティーパーティーの実像/2 非妥協で政治が機能不全」(毎日)に些か戸惑った。足元をすくわれて転んだ痛さのようなものをまず感じたが、何度か読み直してみて、勘違いでも誤読でもないようだ。記事の解読に時間がかかったことはさておき、この記事では、アメリカ議会政治が茶会党(ティーパーティー)によって崩壊の途を辿っているかに報じている。素直に文字面を読めばそうだが、民主的な政治の執行という文脈で読み進めると、茶会党の行いに疑問を投げかけるような点は何らない。何が問題か、それが解きにくいのが、強いて言えば問題。政治の文脈以外でどう読んだら良いというのか、つかみにくい。そして、この記事が海外紙の引用でもなく、調べると、毎日が独自に書いた記事のようだった。しかも、「(その2)」とあるように、前日の8月18日に「(その1)」(参照)がかなりのボリュームで書かれている。この一連の記事を通してやっと、毎日が何を言いたいかがうっすらわかってきた。そして、このままだと、アメリカ大統領選挙まで、毎日の文脈で話題を引っ張って行くような気がした。「(その1)」の紙面の半分に渡るティーパティーについての解説が、そのスタートを知らせているかに思った。
 事実をまるで歪曲するような悪質な記事でもあると思うし、アメリカ大統領選挙までこんな記事に付き合って振り回されるのは御免。なので、詳しく当たってみることにした。
 記事からだが、まず何が起こったか。

昨年11月の中間選挙では「小さな政府」を目指す議員らを応援するため、全米をバスが走り回った。ウィスコンシン入りの目的は、リコール(解職)された共和党の州上院議員6人の出直し選挙を応援するためだ。

こういった茶会党の選挙応援運動そのものが、「非妥協」で、そのため政治が機能不全を起こしている、というのが毎日の文脈。では、具体的にどういう「非妥協的」態度で、どんな摩擦を起こしたというのか、以下がその部分だろうか。

 「ウィスコンシンで起きていることは間違っている。保守系議員はウォーカー知事(共和)とともに財政均衡のために尽力したまでだ」。バスを背後にエイミー・クレイマー代表(40)はリコール運動を起こした民主党側を批判した。
 州財政削減を公約に掲げた知事は昨年、茶会の支持を受けて当選。就任すると、州政府職員削減を視野に公務員の団体交渉権を剥奪する法案を提出した。反発する労組は州都マディソンの議事堂を占拠。民主党上院議員14人は定数不足に持ち込んで採決を阻止しようと隣のイリノイ州に「逃亡」した。

 ここが指摘の「摩擦」部分だと思うが、文字面では与野党の攻防戦のようで、摩擦と見えないこともない。が、茶会党が推した知事だというだけではなく、この知事の「議会への提出」といった行動に何ら問題はない。むしろ、与党が先に議事堂を占拠するなりして機能不全に陥るような行動をしたというのならわかる。これが、茶会党のせいにして道理を通すのなら、毎日は、米与党を無理矢理擁護するために書いていると証明している事にもなる。ここが、どこの米紙を引いてきたのか探した部分だが、引用はしていないようだ。何を言いたいか、さっぱり検討がつかなかった。
 いくら何でも、こんな支離滅裂な記事で終わるわけはないと、じっくり何度か読み直してここかと思ったのは次の部分。

労組の抵抗に屈せず大ナタを振るったウォーカー知事の改革姿勢は全米の茶会の称賛の的だ。一方、世論調査によると、公務員の団体交渉権停止については州民の過半数が反対しているという。

 世論を味方ににつけて茶会党叩きをしているとしか思えない。ウォーカー知事を賞賛しているのは全米の茶会党だけで、州民からは半分以下だと虚仮(こけ)にしているが、これによって、毎日記事の文脈はなんとかつながる。州民からは半数以上に反対されているにもかかわらず、知事が公務員の団体交渉権停止を強行したのは、茶会党の後押しがあるためで、その茶会は、「非妥協」を武器に政治家を思うがままにしている。という筋書きははっきりしたが、そうなの?という疑問は、これだけでは払拭されない。
 まず、知事が行った「提出」は、非難されるに相当しない正常な行為であるし、これが、ティーパーティーが「非妥協」で政治を機能不全に追い込んでいるという主張の裏付には不充分である。ここまでティーパーティーを虚仮降ろしてその先に何が言いたいのかという点で、毎日記事がおかしいにもかかわらず、それを決定づける事実がどこにも見つからなかった。
 時間をおいて夕方、極東ブログ「茶会党(ティーパーティー)バッシングという都合のいい物語」(参照)が挙がって、胃の支えがストンと落ちた。また、おかしな兆候が見え始めた時点で早期に指摘するという配慮は、ありがたく思った。毎日記事を取り上げて叩こう、などという意図はさらさらないし、先にも書いたが、大統領選挙まで今後、色々な記事が出てくると予想すれば、できるだけ事実を正確に知りたいというのはある。自分の生活に直につながる日本の政治を見てゆく上で、海外の動向は重要になってくると思う。
 毎日記事の終盤部分から話はつながっている。

 今月9日のリコール選挙で共和党は6議席中4議席を維持し、上院(定数33)で過半数を確保した。「いま大事なのは雇用創出であり、共和も民主もない。協力できることから始めたい」。リコールされた後、そう話していたランディー・ホッパー議員(45)は惜敗、雇用創出に取り組む機会は失われた。

 話をすんなり読むなら、労組と民主党の強攻策でリコールされた共和党議員が返り咲いたのは、「ティーパーティー・エクスプレス」大型バスによる茶会党の運動であり、それこそが強攻であり、政治混乱を引き起こし、雇用創出機会も失われたというのだが、この話は、嘘と論点の錯綜である。錯綜というのは、雇用創出はまず当面の問題ではないということだ。
ではどこが嘘なのか。

 げ、「嘘」とは。
 何度記事を読んでも真相が見抜けなかったわけだ。で、当のファイナンシャルタイムズ記事は、この部分を暴露するといった記事でもなく、オバマ政治を伝える記事の中でサラっと書いている。私も以前クリップしていた記事だった。ここで二度目のがっくり。それはさて置き。
 リンク先の引用部分を読んでもらえばわかるが、民主党と労党は買収行為で共和党議員をリコールすることに成功したが、茶会の応援による共和党の返り咲きに会い、議席を減らしたとある。
 毎日がこの事実を知っていたのであれば、事実を歪曲した上、記事を捏造したと言えるし、知らなかったとしたら、ただのでっち上げで、悪質極まりない。下手をすると、茶会党から名誉棄損で訴えを起こされても仕方がない。
 真相がわかってすっきりとはしたものの、後味は悪い。日本だけに限らないとは思うものの、それにしても毎日がこのレベルだとは。この記事でふと重なったのは、イギリスの先日の暴動だった。
 動機や意図を全く共有しない人々が、小さな出来事に便乗して暴徒化し、盗みや乱暴を働いてストレスを発散させるために狂ったように暴れた姿だった。記者が言葉を巧みに操って、今回のような記事を書き、それが風評となって世界中にばら撒かれる状態と何ら変わりはないと思った。
 「茶会のまいた対立を火種」として燻らせようとしているのは、毎日ではないだろうか。

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2011-08-20

トルコの悩ましい問題について雑感

 8月18日、トルコ政府軍は、トルコから独立を目指しているクルド人労働者党(PKK)に対してジェット機や迫撃砲による激しい報復攻撃を行ったことを報じていた(参照)。今月に入ってからPKKのトルコへのテロ活動が目立つようになってきたこともあり、状況は日増しに深刻化しているようだ。昨日、ニュースを読んでいてこの理由がわかった。8月30日は、トルコの戦勝記念日で、この日を祝う式典などを邪魔立てするというのがPKKの攻撃の狙いなのだとすると、テロ活動もこの日だけに限らず、トルコ政府や要人、各施設などが標的になるではないかと思った。記事によると、トルコ軍の報復の規模がかなり大きいと報じている点もあり、これが悪化して戦争勃発となるかどうかが気になったが、PKKのテロの目的などを思うと、今がそのチャンスなのかどうか気になった。背景を少し考えてみた。
 PKKを組織するクルド人のトルコへの不満は何か、と考える前に、トルコがなぜPKKの侵略を嫌うかをたどる方が歴史が見えやすいと思った。この問題は、簡単ではない。一番大きな理由に、クルド人は、自分たちの国を持っていない。イラク、トルコ、イラン、シリアという中東の4カ国に分散して住み(地図上の黄色部分)、クルド人としての国家を持たない民族である。微妙な位置関係がわかるように地図画像を参照してみた。

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 そして、2003年のアメリカのイラク攻撃を手伝うことになったのは、クルド人の建国のまたとないチャンスだったからだと思う。イラクを制覇して、イラク北部の油田をもとに国家を作る計画があった。これが計画倒れとなった原因は、1970年代のオイルショックで、クルド人がイラクのキルクーク油田財源に計画していた独立国家の構想が、イラクによって阻止されたことにある。イラクは、クルド人を山岳地帯に強制移住させ、アラブシーア派の移住を奨励してアラブ化した。ところが、フセイン政権が転覆したため、アラブ化されたこの土地をもとに戻そうと、クルド人は逆に非アラブ化を試みている。
 クルド人のこの計画は、アメリカが撤退するまでが勝負といったタイミングでもあると思う。また、アメリカの同盟国であるイスラエルは、クルド人のこの計画を支援する側にいる。イスラエルは、シリアやイランなどの敵国の弱体化を望み、自国を守るという点がクルド人と利害が一致する点である。
 クルド人が、イラクのキルクークをクルド化しようと強硬な態度に出れば、国境に近いトルコがイラクに侵攻してくることになる。これが、冒頭のロイター記事にある通り、トルコの首相が強硬姿勢を表明した背景だと思う。
 状況は、次のように報じられた。

[イスタンブール 18日 ロイター] トルコ軍は18日、イラク北部に拠点を置くクルド系武装勢力に対し航空機や迫撃砲などによる激しい攻撃を行った。トルコからの独立を目指すクルド人労働者党(PKK)による襲撃への対抗措置とみられる。
同日夜、トルコ南東部の空軍基地から少なくとも軍用機12機が出撃。軍は詳しい攻撃目標について明かしていないが、参謀本部によると、迫撃砲による攻撃は168カ所に上り、さらに軍用機による爆撃も計60カ所で行ったと明かした。治安筋によると、標的の中にはPKK司令官の居住施設も含まれていたという。
PKKは17日、南東部ハッカリ県でトルコ軍の車列を襲撃。兵士8人と民兵1人が死亡し、15人が負傷した。
この事件を受けて、トルコのエルドアン首相は「われわれの忍耐はついに尽きた。テロと距離を置かない者たちはその代償を支払うことになる」と、PKKへの報復を行うと表明していた。

 また、トルコがクルド人の建国を受け入れたくない理由が他にもある。
 第一次世界大戦に遡るが、今のトルコ共和国は、オスマン・トルコ帝国としてイギリス中心の連合軍との戦いに敗れ、オスマン帝国の跡地が分割されてできた国である。今よりももっと小さい国であった。が、ケマル・アタチュルクというトルコの青年将校が現れ、隣国のギリシャとの戦いで領土を勝ち取った。その姿にイギリスが感心し、トルコと共に西欧を支配することを画策した。ところで、この後、日本は明治維新となる。イギリスは、日本の明治維新に深く関与したとされている富国強兵のための技術支援などをしたが、その姿は、トルコのギリシャ侵攻の姿でもあった。
 トルコに話を戻すと、仮にも北イラクにクルド国家が創設され、クルドの独立がトルコ領土にも波及するとしたら、アタチュルク出現以前のオスマン帝国滅亡後の状態に戻ってしまうという危機感につながる。アタチュルクは、トルコ人の英雄であり、クルド人の侵攻を許すことは、アタチュルクの偉業を無にすることになる。クルド人が国家を創設することなどは不可能だとしたいのがトルコである。エルドアン首相が、そう思っているかどうかはわからないが、国民感情は概ねそうだと思う。エルドアン首相の勇ましい声明は、これらの背景を受けてではないだろうか。
 ここでちょっと話が進むが、トルコがこの選択をしたことはどういう状況を周囲に作ることになるか考えてみた。クルド人の侵攻が強まり、これを封じるためにトルコが北イラクに更に報復攻撃を加えてイラクに侵攻すれば、それをきっかけにアメリカとイランが開戦するなどということは起きないだろうか。そうにでもなれば、それは、トルコにとって西欧の一員になるための80年間の夢が壊れることになる。つまり、中東イスラム世界の一員に戻るということを意味するのではないだろうか。
 また、トルコがクルドの独立を邪魔しないとしたら、いずれクルドは独立し、トルコの在クルド人の独立運動が広がるのではないだろうか。それが、今起こっている現実でもある。そして、トルコが北イラク侵攻を止めたとしても、EU加盟への希望が開けるということはない。トルコにとって、何を取るにしても損な状況だと思う。
 選択肢をどうするかよりも、トルコにとってはもともと絶望的な行き詰まりがはっきりしていたように思う。

追記: 嗚呼、軽くショックを受けている。このエントリーを書いた後に、極東ブログの「トルコが脱世俗国家へと変貌しつつあるようだ」(参照)を見つけてしまった。
 トルコの今のこの現状を2010年3月のエントリーで予言されていたのだった。これにショックを覚えたのは、今日のエントリーを書くに至るまでに、歴史の本やニュース記事など、結構な量の資料を読んでこぎつけた結果だったからだ。歴史の勉強を怠ってきたツケだと思う。それにしても、考察の深さに感心した。エントリーが、2003年のトルコのクーデターから引きずった事件が切り口のため、トルコの歴史的背景にはさほど触れらていないが、「難しいい問題に影を落としている」とある通り、背景を細かく書くとしたら本が一冊書けるくらいの量になるかもしれない問題だと思った。
 兎にも角にも、内容を参照されたい。

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2011-08-19

こんなに長く生きたなという機に、「どう生きたらいいかを考えさせる本」

 昨日誕生日だった。長く生きたんだなあ、と思った。若い頃、年をとった時の自分を想像する時、身近な親や職場での上司、交友関係のあの人この人に自分の年老いた姿を重ねては、どんな年寄りになるのかと想像を巡らしていたことを思い出した。そうやって想像していた自分の姿はすっかり忘れてれてしまったが、それは、「どう生きたらいいか」など、これっぽっちも考えてこなかったんだなあということでもあると思った。もう手遅れだが、そう振り返った。
 これとはあまり関係のない話だが、昨日次男が珍しく電話をしてきて、高校の時の挫折感からずっと不安でこれまできたことを明かした。どうやって生きて行くか、何も決められない自分だったこと。将来のために何かを決めなくてはならないという焦燥感に駆られて不安定な気持ちだったことなど、赤裸々に話しが弾んだ。それを聞くだけだった私だが、息子がこのような話がしたくなった理由は、ちょっとしたことがきっかけだったようだ。目の前のことをやるだけの、一見して些細なことから、自分がこれだと思うようなものが見つかるのかもしれないと思ったら気持ちが楽になった、と久しぶりに素直に喜ぶ気持ちになれたと言っていた。そして、これまでに聞いたこともなかったが、父親に、「諦めで何かをやめることは自分のためにならない」と言われたことの意味がやっとわかったと話していた。息子も成長したんだなと感じた。親が方向を決めたわけでもなく、たとえそれがどんな結論であれ、自分が決めたことの価値の重さではないかと思った。決めた本人だけが価値として受け取るもので、人の価値観で善し悪しが計れるのもではない。

cover
チャンピオンたちの朝食 (ハヤカワ文庫SF)
カート,Jr. ヴォネガット, カート・ヴォネガット・ジュニア, 浅倉 久志

 昨日、finalventの日記の「どう生きたらいいかを考えさせる本」(参照)で何冊か書籍の紹介があり、粋な計らいを感じた。「粋」というのも変かな。同年代として誇りに思えるような嬉しさだろうか。うまく表現できないが、昨日の息子の話も相俟って、親世代が子ども世代にできることなどあまりない中、食べ物で例えると、食べて欲しいなこれ凄く旨いよ、みたいなものを差し出しはするけど、食わせるのではないということと似ていることだ。難しいのは、好きなものだけを選ばせないための細工が、子育て冥利につきることだろうか。ともあれ、ヴォネガットの「チャンピオンたちの朝食」(参照)は、早速注文した。
 小さい子どもの育て方になってしまうが、一つ言うと、親として履き違えやすいことがある。上に挙げた例とは逆で、幼い頃から物事の選択をさせることは、意志をはっきり持たせられるという考え方は的外れが多い。子どもに決めさせるような育て方で何が育つかといえば、やりたくない世界観を広げ、やりたい意志の芽を摘んでしまうことだ。子どもの頃は何でも進んで楽しくやったのに、と嘆く親も多い所以だ。やりたい事だけの芽を伸ばし、やりたくないことはしなくてよも良い世界を育ててしまうことに気づくべきと言いたいが、これが難しい。この難しさを克服しようと、悩んだり苦しんだりすることからは逃げられないのだと受け止めるしかない。そして、自分を悩ますものの正体に気づくのはずっと後の話になる。なかなかその時には気付けないものである。
 息子の話から、「僕が能代で生活していた頃、仕送りされたお金が足りなくなるといつも追加で送金してもらっていたけど、決められた範囲でやり繰りするということ一つとっても甘かった。親には頼らないと決めた途端に不安になった。」と話していた。当時は、親として甘やかし過ぎではないだろうかと思い、息子の自己管理の甘さを指摘したことはあったが、そう言いながらも足りない分は足してあげた。それが甘いと自己評価もしながら暗中模索の子育てだったが、それがそっくり息子から返ってきたことになる。子どもから脱皮しようとしている息子の状態を振り返ると、一丁前に親に反発して親を批判できるような芽ができた頃から思うと、私よりもずっと早く訪れたようだ。
 生き方を考えさせる本とは、読む側の自分の視点もあるが、著者がそれを意図して書いたというのを知って読むのも良いと思う。というか、この本は、こう読んだよという人の視点をヒントに読むというか。紹介の中に漱石の「明暗」も上がっているが、確かに最初に読む本ではないかな。漱石読みにはコツがあって、これこそ、ストーリーだけの面白さで読めてしまいそうな本であると思う。人の描写に込められた深みを感じ取るために何度も何度も読み返すが、自分の読む年齢によって、これほども違うのかと先日読んだ時に、改めて思った(参照)。
 今回紹介の本は、おそらくこれから先そばに置いて、何度か読み返しながら味わって行く本になるような予感がする。紹介ありがとう。

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2011-08-18

馬淵澄夫前国土交通相は、なぜ「終戦の日」の二日前に靖国参拝したかについて雑感

 元国土交相 馬渕澄夫氏が13日、靖国神社参拝をした件に関して、メディアは静かだった。Twitterでも大した話題になっていなかったようだ。私はというと、いくつかの情報を目にして、馬渕氏が参拝したのは事実なんだろうと思っていたし、その行動を奇異に感じていた。こう書いてしまうと私個人の関心事にとどまってしまいかねないが、そうではない。靖国参拝の是非に関心があるのではなく、政治家が靖国参拝に対して政治的な意味をどう考えて行動しているのかという点は、政治家の資質を見分けるいい材料だと思っている。
 閣僚が靖国参拝をすると、中国や韓国の人々を刺激することはわかっているが、それを避けるのか、それとも対話してゆくのかなどの外交問題である。しかも、民主党には、韓国人との関係でいろいろと疑惑がある。先月、菅首相が国会で質問を受けた例の献金問題は、そのままになっている。これについては「菅さんの国会答弁は領収証の日付がどちらに転んでも二つの嘘が見えてくる」(参照)でばっちり書いた通り、民主党と韓国人の選挙ブローカーとの関係は、日本人からしたら普通の癒着ではないようにも思う。だから、韓国人が嫌うことを民主党はしないというか、石原都知事の「あいつらは日本人じゃないんだよ」が痛快な皮肉でもある(参照)。
 昨日、極東ブログ「馬淵澄夫前国土交通相は閣僚を辞していなければ靖国神社参拝をしなかっただろうか」(参照)で疑問視されている点は、まさに私の奇異に感じた点に呼応していた。ここで、気になっている点をまとめておくことにした。
 まず、政権担当をしている民主党内の不一致な点や、馬淵氏の単独参拝をどう見るかの点が上がる。
 昨日のTwitterクリップ記事で、献花の扱いに対する民主党員の話が記事の通りだとすると、参拝に対する考えがはっきりしていないことが窺える(参照)。


さらに、民主党自身も左翼・リベラル色が濃かった菅政権からの脱皮を模索しているようだ。今年は政権交代後初めて、党として靖国神社に戦没者追悼のための「献花」を行った。

関係者によると、当初は拝殿から本殿に向かう中庭に松原仁衆院議員ら有志が「民主党有志」名で菊などを供えるはずだった。

ところが、執行部側が「それでは格好が悪い。自民党が党として出しているのにメンツが立たない」と言いだし、最終的に民主党としての献花とした。

 有志による「献花」の予定が、自民党を意識しての体面と執行部の意見になびいたのが理由で、「最終的に民主党としての献花」になったというこの二点で、当初の「有志による献花」とした理由がぼやけてしまっている。ここで議論されたわけでもなく、状況に流されたのが実態ではないだろうか。意見が出なかったとしたら、それは政治家としての自覚がないに等しいのではないだろうか。
 また、これをどう見るのかという点で、馬淵氏の参拝も件も含めて次のようにまとめている。

「首相も閣僚も誰も参拝しなかったが、国のために命を落とした人の慰霊に行くのは当然だ。花の代金を出したことで党は自己矛盾に陥ったとも、少しは前進したともいえる」

松原氏はこう話すが、ただの混乱なのか、党は変わりつつあるのか。15日には政府内からも笠浩史文部科学政務官らが参拝したほか、次期首相候補の一人である馬淵澄夫前国土交通相も13日に参拝しており、一定の変化の兆しはある。

 この部分は極東ブログでも切り出している部分で、私が一番疑問になった点だ。馬淵氏が参拝したのは多分、事実だったと思う。目撃証言として扱っても良いと思う根拠に、Twitterノクリップ記事「元国土交通大臣 馬淵澄夫氏靖国神社参拝」(参照)で、当日、馬淵氏がお連れの2名と共に参拝している様子に驚いた、と書かれている。
 馬淵氏のこの行動をまるで何かの犯罪人の裏取り調査のように仰々しく書いていしまうが、この事実は後に、ともすると馬淵氏の外交姿勢が問われるともなりかねない問題だからだ。馬淵氏だけではなく、閣僚の靖国参拝の何を問題とするか、その視点をはっきりしておきたいが、民主党にその考えがはっきりあるとは思えない。それは、先の松原氏の発言からも窺える。
 これは私の勘繰りだが、小泉元首相のように、終戦記念日とした当日でなければ「個人の参拝」と言い逃れができるということかもしれない。この方法だと、自己矛盾は解消できるし、体面上も、逃げ口上だと非難されるに等しいとはいえるが、議員間では非難されずに済むからだ。人としてはどうか?私は、「セコイ」としか思わない。また、そこまでして律儀に靖国参拝をする馬淵氏の根拠が一番の謎だ。どうだろう、首相に立候補すると息巻いている馬淵氏からもう少し勘繰りを入れてみた。
 自主党の動きに連動して靖国参拝していることから、馬淵氏の立候補の勢いは、自民党の後押しか何かがあるのかもしれないか、馬淵氏が首相になるために媚を売ったのではないかと思った。たぶん、後者。そして、自民党が馬淵氏に義理立てする理由はともすると、菅首相の領収証問題で3月11日に保土ヶ谷のPAでお金の受け渡し(仮定)の事実を自民党に漏洩したのは馬淵氏かもしれない。そのつながりから、政治的に仲間意識のようなものがあるのかもしれない。打倒、菅、のような。これが現実問題になるとは思いたくないが、極東ブログの疑問点は、そこを問うている。私は、漏洩問題を外しては考えられない。
 以下がその問題だ。

 馬淵澄夫前国土交通相となると、三つの疑問が生じざるをえない。(1)もし閣僚であったならこの機の靖国神社参拝はどうしたのだろうか、(2)彼は首相候補に名乗りを出ていることと、この機の靖国神社参拝はどういう関係があるのだろうか。(3)首相になったら参拝はしないのか。

 私の馬淵氏に対する「セコイ」という評価が正しければ、仮に現職の閣僚として考えても同じで、回答はこうなる。
 (1)は、菅首相の意に反した行動はとらない。よって、閣僚であれば参拝はしない。(2)は、自民党との仲間意識を育む意図で、動きを同じにした。そもそも、首相という立場で参拝することが問題ではない。(3)は、自民党の様子を見て決める。
 仮に、馬淵氏が私の呼ぶ「セコイ」度が低かったとしたら、民主党の他の議員と一緒に明朗なDutch会計による「民主党の献花」に賛同していたかに思う。

【参考までに】:「終戦の日」が8月15日とは言いがたい問題もあり、極東ブログ「終戦記念日という神話」が詳しく解説している☞こちら

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2011-08-17

結婚に左右されない生き方についてそろそろ考える時期

 萬田久子(54)という女優の内縁の夫である佐々木力(60)という実業家が9日亡くなった。萬田は私と年も近くデビューの頃から知っているが、結婚しているものとばかり思っていた。久しぶりにその姿をみて、なんだかやつれていた。芸能界のことに疎いせいか、私生活に至るまではよく知らないことが多い。ここ数日、テレビで何度か萬田のインタビューを聞く機会があり、改めて彼女の生き様に魅せられた。美しい日々が流れるような人生だったとは言いがたいと思うが、男と婚姻関係そのものの生活を未婚という形で築きながら、片方では、母として子どもを育て上げたという生活を想像すると、社会的には多くの苦労があったのではないかと想像していた。
 いわゆる未婚の母だったわけだが、萬田の世代が、社会的には認められ始めた走りの世代といってもよいだろうと思う。昭和30年代では、女性が独り立ちできる時代とは言いがたく、社会的に男性と平等ではなかった。そういう時代で女性として生活力を持つことは、手に職をつけたり専門的な仕事や、芸能界入りするなどの何か特殊な括りの人でなければできなかったと思う。
 そういう意味で名前が挙がるのは、エッセイストの桐島洋子だろうか(参照)。1937年生れで、父親は、三菱財閥の重役であった。つまり、よいところの娘でお嬢様育ちであった。それを言うならジョン・レノンの妻であった小野洋子も桐島洋子と同世代で、よいところのお嬢様育ちと世間では言われる部類の人達だ。が、家柄をむしろ嫌い、個性を主張するような生き方を求めた気がする。そして、男尊女卑の時代で職業人としての行き方を模索し続けた結果だったのかもしれない。次の世代としての萬田は、桐島や小野の生き方を見ていたというのもあると思う。
 昔の話になるが、桐島洋子が未婚の母であったことは当時としてはセンセーショナルな出来事だった。物書きであったこともあり、普通の週刊誌はもとより、文藝春秋も取り上げていた。中で、対話のようなものを読んだこともある。未婚の母として大成した桐島にそのテーマでインタビューしたものだった。特に美人でもなく、下膨れのふくよかな面立ちであった。その対談で初めて桐島が、壮絶ともいえる生き方をあえて選んだことを知った。ただ、萬田との違いは、子どもを三人もうけた内縁関係のアメリカ人の男性とは別れ、別の恋人を作ったことだった。現代ではそのようなことをとやかく言う時代ではないが、昭和の日本では噂の種になり、メディアから叩かれたのだろう。桐島はアメリカ生活を選んだようだ。ふしだらな女として見るような部分と、カッコイイ生き方とみるような世代の評価が混在する世の中であった。
 萬田が何故アメリカへわざわざ行って出産したかは知らないが、当時、有名人が未婚の母になる登竜門のようだった。日本ではマスコミがうるさかったというのもあるかもしれない。こんなことどうでもいいような話だが、その時代を生きた私にとっては大きな変化であった。
 未婚の母が日本で生きるための地位の確立というか、認める社会が確立するまで、ざっと50年くらいかかっている。丁度、今年は戦後66年になる。振り返ってみると、敗戦によってこのような日本社会になったのはたまたまそうなっただけだ。これが戦争に勝っていたらと考えると、今の中国と似ている国になったかもしれない。天皇と極右政治に反発し、皇居前でデモでもやっていたかもしれない。靖国神社では戦死者の慰霊祭が盛大に行なわれていたかもしれない。戦争に負けたから中国や朝鮮との仲がギクシャクしているといえばそうだろうと思うし、勝っていたら未婚の母が子どもを育てるのは容易ではなかったと思う。
 さて、ここでさらに思うのは、法律的に婚姻によって守られる権利は勿論大きいが、精神的には既婚も未婚も何ら変わることはないと言えるかもしれない。萬田の生きてきた姿を見ると、自分が添い遂げたい男と生計をともにしながら子どもを育てる生活、という事実は既婚も同じである。むしろ、法律的には既婚であって、精神的に離婚状態の婚姻関係もおかしなものかもしれない。未婚の母を持つ子どもは、戸籍上、父の記載はない。これがあるかないかの違いはあるが、離婚した子どもの事を思えば同じである。ましてや、今は自分の戸籍を切り離して持つこともできる時代だ。このように考えると、何に拘って婚姻という形を選ぶのか、その辺がやっと浮き彫りになってきた。
 古い時代の考え方ではあるかもしれないが、私などは、子どもを育てながら会社員として勤める自信がなかったこともあるが、一つにはその環境がなかったこともある。そして、仕事を選んだがため、田舎の環境ではその仕事ができなかったというのもある。天秤にかけて専業主婦となったわけだが、社会人としての人格を社会に求めると、ジレンマに陥る。だからその思いはもみ消すといった中で生きていた。が、環境さえあれば、未婚の母も離婚者も既婚者も、結局、生きる姿は同じではないかと思うようになった。誰にとっても生きやすい社会環境が日本にはあるとは思えない。偏見など、まだまだ厳しいものがあるとは思う。
 最後に、離婚や未婚で子どもを持つ母のための社会的な理解は徐々によくなってきている反面、男性が子どもを引き取って育てることはどうだろう。昔、男尊女卑の色あいが濃かった日本では、離婚して男性が子どもを引き取る条件に、留守中の世話をする人の存在として親世代があった。桐島のように知り合いの未亡人に預けるわけには行かない。
 しかし、最近は、その親と同居しない夫婦が増えている。核家族化も、逆風には弱い面がでてくる。男親が、働きながら子ども養うことは前提にないのが日本社会でもあるが、これも今後の課題になるのではないかと思う。先日もNHKで、男性の育休問題を取り上げていた。子どもは母親が育てるのが一番いい、などと大きな顔ができなくなったというものある。まだまだ私の中には偏見もあるが、人の価値観が多様化してきて、それを受け入れる社会の器も、どれ程のも物を用意すべきかとは思う。昭和の頃の精神構造や、婚姻のあり方も悪くもなかったが、そんな精神性を云々する問題では、最早なさそうではある。

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2011-08-16

今日の掘り出し物は、極東ブログ「ニホン語、話せますか?」(マーク・ピーターセン)

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 積読本がなくなり、私の周囲がきれいに片付いている。昨日も書棚を見て再読したい本はないかと探したが、イマイチピンとこない。ここ二日で探し当てた極東ブログの本のように、今まで紹介されている中で未読から何かないかと当たってみた。「ニホン語、話せますか?」(マーク・ピーターセン)は、間違いなく面白ろそうだ(参照)。早速注文した。
 エントリーに度々貼られているリンクは、辿っても辿らなくてもご自由にどうぞだと思うが、本書がどんな本であるかを知るために辿らざるを得なかった。同書評は、「「ローマの休日」でアン王女のベッドシーンが想定されている箇所について」(参照)を用いて、著者のマーク・ピーターセンの洞察力を絶賛している。その世界は、この映画が如何に奥深い大人の感性に満ち溢れているかを浮き彫りにし、映画の醍醐味をどこまでも味わうことができる。中途半端に解釈していても名作は名作なりの評価は受けるものだが、ペーターセンの紹介から、まるで読み手に対して挑戦でもしているのかというほど、その書き方に奥の深さを感じた。

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ニホン語、話せますか?
マーク・ピーターセン

 「ローマの休日」の見所について、解釈が間違っているととんでもないよ、と言わんばかりにピーターセンの言葉を次のように紹介している。

まるでアイドルが出演するテレビドラマ程度の味気ないものになってしまう。ダルトン・トランボは、『いそしぎ』『ジョニーは戦場に行った』など、長いキャリアで数多くの傑作を書いたのだが、どれも洗練されたものばかりで、子供向けの作品は一つもないのである。

 隠されたワンシーンの謎を知れば知るほど、それは何を隠しているのか、奥の深いところから人生の悲しさやはかなさ、物寂しさが見えて来るようだ。その楽しみ方は、自分自身のこれまでの人生を透かして見ることにもある。ここで、「淀長」こと、淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年(明治42年)4月10日 - 1998年(平成10年)11月11日)さんは、この映画をどう見ただろうかと感想を聞きたくなった。

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 日曜映画劇場のナビゲーターとして長く人気があった人だ。番組の最後に「さよなら、さよなら、さよなら」とさよならを三度繰り返した声が蘇ってきた。映画好きが講じて映画評論家になったような人だったが、番組の終わりに僅か1分ほど、映画の見所を振り返ってくれる。後に水野晴郎氏が引き継いだ形になったが、こう言っては水野氏に失礼は重々承知で、淀長さんの語りの面白さと言ったら水野氏の比ではない。この最後のところが何よりも楽しみだった。自分の映画の読みと淀長さんの読みを比べて、当たり外れ、見たいなわくわく感が楽しめた。ヒッチッコックなどの後の語りは思わせぶりだった。
 昔話はこれくらいにして、本書「ニホン語、話せますか?」の著者、ピーターセン氏の文学的な資質の素晴らしさは、日本人の英語の訳に違和感を持つ辺りで、日本人以上に日本語を理解しようとしているのかもしれないと思った。特にヘミングウェイの「日はまた昇る」の引用が興味深い。
 "You are all a lost generation."は、従来は、「君たちはみな、失われた世代なのだ」と訳されて来たが、これが誤訳だという話だ。では何と訳すのかについては、答えは言及されていない。例え話を並べてイメージ化できるように、最大限に表現者としての努力を払っている。こういう一面から、言葉を大切にしている人物だと分かる。言葉や表現に、確たる答えなど出ない、出せないというところが原点であることの理解者なのだと思う。漱石先生に見た文学的な風合いを感じたところでもある。
 よって、答えは言及されていないが、ヘミングウェイの引用の前の憲法前文に使われている“the people”の誤訳の説明と共通していることが分かる。You are all(Which is)a lost generationというように、allが主格なので関係代名詞は省略されている。これを(which is)で補うと文脈が変わって、「途方にくれている」のように読み取れる。「途方にくれて彷徨っている世代」という感じだろうか。
 そういうことかぁ、と目から鱗が剥がれ落ちる。

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2011-08-15

日航パイロット小林宏之氏の話す「危機管理」と、極東ブログ紹介の「無駄な抵抗はよせ」はよせ」(日垣隆)

 菅さんが退陣表明し、これによって国会議員が動き始めたようだ。なんだかとても信じ難いのだが、菅さんの首相任期も残すところ9ヶ月である。その9ヶ月にどれ程の命をかけるか知らないが、引き継いでやるだけである。その前に、首相である限り、菅さんは解散総選挙の鍵も握っている。なので、最後の最後までわからないと言えばそうだと思う。だた、総選挙などをやれば復興も中断し、決まるものも決まらないずに国民が困ることになるため、おそらくそんなことはしないだろうと思っている。それにしても、みんながこぞって選挙に対して躍起になっている姿を見ると、そのエネルギーを別の場所に向けて欲しいと、冷ややかに思ってしまう。
 さて、原発の今後について考えていた。菅さんは「脱原発依存」を言い放って方向性を見せたようだが、最終的に、あの発言は自分の個人的な思いだと、広島の慰霊祭のあとのインタビューで語ったそうだ。私は、ここで何度も触れてきたとおり、原発は安全に保存するしかないし、直ぐに原発を止めても日本の経済が混乱状態に陥るだけで、止めるのは難しいと思っている。先日、「菅さんの辞任発言後、噴き出し始めた日本の将来設計について雑感」(参照)で書いたとおり、政治家の一部では新しい原発の構想もあるようだ。これに対して嬉しい気持ちもあるが、危機管理という課題が実は、ずっと気になっている。原発事故後、この言葉を聴かない日はなかったかに思うが、日本人の危機管理能力は非常に低下してきていると思う。若輩者と言われるような私くらいの年の人間が言うのも些か憚れるが、昔の常識は今の時代では通用しなくなった。言葉も通じないし、意志や思いも伝わりにくくなったと感じている。ユーモアも通じないし、ちょっとした比喩も通じないことがよくある。こんなことはどうでも良いことだと思えるし、通じないからといって人が死に至るわけでもない。私の婆だし、で諦めもつくが、これが原発事故で表面化したと悟った時は、大いに関係のあることだと思い直し、苦痛すら覚えた。
 具体例では、東電と保安院、政治家との間で、まともに日本語が通じていない事実が沢山表面化した。まだ、危機的な1号気の弁の開閉についての報告や指示が上手く伝達されなかった。刻一刻と変化する現場の状況が保安院に正確に伝わらなかったことによる数々のミス。皆、忘れていないと思う。この原因沢山あると思うが、現場の判断が瞬時に問われ、的確に関係方面に伝達されなかったのは大きい。これを人災という人も多くいたが、「危機管理能力」とは、プロであるなら自己最高のものを目指してこそだと思った。
 今の世の中で、この危機管理はどう克服されるのだろうか。これが大いに疑問となった。原発が新しくなろうと、今の原発を安全に保つのであろうと、危機管理能力が問われる。その一点を解決しなければ同じような事故を繰り返すのではないだろうか。科学や技術的なことと並行して、精神面で何か足りないもの、これをどうやって補い、育成して行けばよいのだろうか。こんなことを思いながら悶々としていた。
 「危機管理」でネットを検索しているうちに小林宏之という今年65歳になる現役パイロット(参照)のインタビューの動画を見つけた(参照)。小林氏のことを知る人も多いと思う。私は、前に何かの番組で見て既に知っていたが、昨年の3月、定年退職された後も日航の現役パイロットであると知って嬉しかった。

  短いが、この動画は2010年の2月、おそらく番組のために過去の記録も含めて編集してあるようだが、東北大震災の前の月だ。ここで「危機管理」がテーマとなっているのは何かのめぐり合わせか、小林氏の話がとても興味深い。危機管理能力を後継者にどうやって教えて行くかがテーマになっている。また、パイロットは半年に一度免許を更新する義務があり、現役を貫くために数々の経験も積んできたことが分かる。必ずこの小林氏から学ぶ事があるはずだと思い、いろいろ探すが、特に自叙伝のようなものはないようだ。ところが、もう一つ、情報を探し出した。

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「無駄な抵抗はよせ」はよせ (WAC BUNKO)
日垣 隆

 極東ブログ「無駄な抵抗はよせ」はよせ(日垣隆)」(参照)の書評で取り上げている書籍に小林氏のインタビューがあるそうだ。検索中、この記事にヒットし、また嬉しくなった。
 どんな書籍かと早速、書評を読んだが、日垣隆氏によるインタビューを8点まとめたものだった。小林氏の紹介部分が真っ先に挙がっていて、しかも、もっと話を聞いてみたいという感想が述べられている。他のコンセプトも興味深く、取り合えずこの本を注文した。

 

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塩尻へ行ってきた話-レンズ豆のサラダ

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 長野県の塩尻市は、県内では有数の葡萄の産地として有名なところ。そして、食べ物なら蕎麦の産地として名前が挙がる。それを言い出すと、ここで書くよりももっと詳しい観光案内があると思うので、今日は、個人的に好きなところについて書きたいと思う。
 塩尻に目当ての店があり、昨日、そこまで買い物がてら出かけたついでに足を伸ばして、奈良井宿まで行き、蕎麦を食べてきた。目当ての店については後で書くことにするとして、まず、諏訪から塩尻市内へ行くルートが好きな場所の一つとして挙げておきたい。
 諏訪から塩尻に行くルートは、二通りある。一番使わないのが、中央高速の諏訪ICから乗って塩尻で降りるルート。出口から国道19号へまっすぐ下る直線の道からの景色は素晴らしい。が、このルートは、塩嶺峠をトンネルで抜けてしまうので景観がない。その上、諏訪ICまで家から15分車で走るくらいなら、岡谷市へ向けて国道20号(中仙道)を走り、塩嶺峠を超えて塩尻に行っても時間的には変わらない。この辺の人達は、この塩嶺峠を越えて塩尻に行く人が多いと思う。

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 さて、ここで諏訪湖を見下ろしながら塩嶺下ろしの風に当たって涼むのに絶好のラーメン屋さんがある。「一番ラーメン」といって、50年近く同じ場所で創業されてきた(参照)。今頃のラーメンとはチト違う。家から車で30分はかかるが、わざわざ食べに行く店の筆頭に挙がる。メニューは少ないので迷うほどでもないが、でも迷う。私は、峠の一番ラーメンか、にんにく一番だが好き。どちらにするか迷うのである。お恥ずかしいが、どっちも食べたいが、二杯は食べられないというだけの話。注文したら夏は店の裏に陣取り、体のほてりが落ち着く頃したラーメンが出来上がる。涼しい風に当たりながら啜るラーメンは最高。

 腹ごしらえをしたらいよいよ塩嶺峠が下りになる。名前も塩尻峠となる。ルートラボをスタートさせると標高が表示され、道のりがくっきりしてくる。長い長い坂道でうっかりスピードも出てしまうが、諏訪から塩尻方面で警察のネズミ捕りはいない。止められる場所がないからだと勝手に思っているが、逆方向は、休日はほぼやっているので要注意。登り坂なのにスピードが出しやすい道なので困りもの。
 さて、塩尻峠を下ったところで大きな交差点がある。直進は奈良井宿、木曾方面へ国道19号へと切り替わり、右折は、この国道19号が松本市へと続く。左折は三州街道で、伊那方面へ向かう。
 目当ての店と言うのは、この交差点を左折して30mの右側にあるブラジル食材店だ。大きなうどん屋さんの隣だ。昨日は、乾燥の豆類や肉、調味料、オリーブの酢漬けなどを購入した。レンズ豆は緑色、オレンジ色、茶色、丸いタイプなど、殆どの種類が手に入る。レンズ豆は栄養価も高いが、なにせ料理しやすく、豆に味があるので病み付きになる。洗って水から茹でて15分もすると柔らかくなるので、水で戻したり、圧力鍋などを使う必要がない。昨日は、緑色の皮なしを使って、野菜と炒め合わせ、豆サラダにした。後でレシピを簡単に書くことにする。
 この店で買い物をしたら奈良井宿へ向かう道に舵を取り、井筒ワイナリーでワインをゲットする。

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 塩尻警察署の一つ先の信号を右折すると、そこはもう葡萄畑。一面の葡萄の葉の間をくぐるように100mほど行った先にワイナリーがある(参照)。車の運転者以外は試飲して喉を潤すと酔いよ。
 さて、ここを後に奈良井宿へ方向へ戻って直進する。15分程走りながら気をつけて見てると、「岩魚」の文字が目に入る。蕎麦屋さんだが、岩魚を店の横の生簀で飼っている。岩魚は溜まり水には住まない為、ここの池は流れがある。岩魚の養殖とは違うので、飼い方として勉強になる。ついでというのも変だが、この店の蕎麦も美味しい。茶色の田舎蕎麦といわれていいるタイプだ。蕎麦の殻も入っているためそういう色をしているが、家で挽いた粉とあって、新鮮な蕎麦の香りが楽しめる。さっきラーメンを食べたばかりだが、蕎麦ならまだ行ける、とね。因みに、岩魚の話と塩焼きのことはこちらに☞

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 この店から約5分で奈良井宿に到着する。昔ながらのたたずまいから、優しい空気が伝わってくる。夏もいいが、冬の奈良井宿も枯れた風情があって好きだ。
 漆工芸の街でもあり、この先の木曾福島や上松町で作られた檜製のわっぱや器に漆をかけたりしている。目が飛び出るほどのお値段でもなく、東京のデパートで買う半額くらいだろうかと思う。小物を自分用のお土産に買って、かなり幸せな気持ちに満ち満ちる。そして、この気分になったところで帰路に着く。
 実は、奈良井宿から中山道を20分走ると、木曽福島の漆器の町に行かれるが、家から半日コースだと、ここから引き返すのが時間的に都合がいい。で、木曽福島へは別ルートの権兵衛峠越えがあり、そちらへは伊那IC から抜ける道がある。このルートも素敵で、また別の機会に紹介したい。

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 さて、先ほどのレンズ豆のサラダのレシピを添えておこうかと思う。これは、超が三つほどつく簡単な料理。 難易度で言えば1くらいで、カップ麺を作るくらいの簡単度である。
 熱いままでも、冷ましてからでも美味しい。肉料理の付け合せやサラダに添えたり、鶏がらスープでのばせば豆スープとしても美味しい。
準備するものは以下の通り。

材料

  • レンズ豆(緑)・・カップ2
  • にんにく・・3片
  • ピーマン・・1~2
  • 玉ねぎ・・1/2個
  • 完熟トマト・・少2個(150g)
  • 塩・・小さじ2
  • 胡椒・・適宜
  • 水・・1リットル
  • オリーブオイル・・大さじ1

作り方

  1. 豆をよく洗い、1リットルの水から茹でて沸騰後15分ほど茹でる。
  2. 同時に、トマト以外の野菜をみじん切りにし、トマトは湯剥きしたら荒くきざむ。
  3. フライパンでオリーブオイル大さじ1でにんにくのみじん切りをローストして、油に香りを移す。
  4. 続けて玉ねぎ、ピーマンを炒め、しんなりしたらトマトを加えて煮詰める。
  5. 汁けがなくなったら1の豆を一気に混ぜ合わせ、塩を胡椒で調味し、5分ほどくつくつ煮込む♪

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2011-08-14

極東ブログ紹介の「勝ち馬に乗る」を読んでみようかと思ったことについて

 Twitterのフォロワーが発刊している「Paper.li」、という名前のネット新聞に最近目を通している。作っている人は大勢いると思うが、私が読むのは、フォローしている人の発刊時間が朝と夕方の部だけにしている。一日中ネットに張り付いているわけでもないし、自分自身が調べたい時事問題や、政治経済情勢もあるため、間欠して朝夕にしている。
 Twitterにアカウントを持っていて、フォローしている人がいれば、誰でも簡単に作ることができそう。以前、私も自分用に作ってもいいかなと思ったことがあるが、他の人の関心時に自分が乗ってみるのもよいし、実際、自分では拾わないような記事に遭遇することが楽しくなってきている。Twitter活用もいろいろあるものだと感心している。
 さて、先日、と言っても12日の「finalventの日記」で、「終風日報編集後記 「生き延びさせる力」」(参照)が気になった。このコーナーは、「finalventの日記」に新設された彼の「終風日報」(Paper.li)の編集後記を記録しているコーナーで、何故ここに毎日載せるのかと思ったら、Paper.liではこの部分は更新されてゆくようになっているため、日替わりランチ式にその日の分は、翌日には残らない仕組みらしい。だから、過去のものを見るときは、日記を当たるしかない。と言うわけで、「生き延びさせる力」について、じっくり考えてしまった。まあ、その部分を読んでみて欲しい。

トップニュースを開くとほとんど空っぽのページだった。それでもグロ写真が掲載されているよりはマシだと苦笑する。Paper.liの編集能力は低い。▼アルファブロガーでもありパールというコンピューター言語の推進者でもある小飼弾さんのエントリー「生き延びさせる力」がトップに並んでいたので読んでみた。残念ながら私には皆目わからない。引用されている内田樹先生のエントリーも同様。ブログの世界では話題のテーマだったのだろうかと妙な気がしていたら、2005年のエントリーであることに気がついた。▼お題である「生き延びさせる力」は結果的に生き延びてきた人にしてみるとひと言ふた言、言ってみたい気もする。私など説教を垂れそうである。だが、2005年の「生き延びさせる力」と2011年の「生き延びさせる力」は同じだろうか。▼垂れてみよう、私には同じとは思えないからだ。なによりそれは「力」といったものではないように思えるからだ。今のこの日本の状況で自分を結果的に生き延びさせているのは、小さな楽しみである。半径1メートルの生活と言ってもいい。それでよいのか、そこの圏内ですら苦しむ人をどうするのかと問われるなら、わからないとしか言えない。だが、私は私の小さい世界の楽しみをよすがに生きている。

 「垂れてみよう」に続く部分は実によく分かる。問題は、前段の内田先生(参照)と小飼弾さんのリンク先のエントリー(参照)に書いてある話だ。これは、批判でも批難でもなく、私には書いてあることが理解できなかった。また、何の話しかもわからなった。
 特に、小飼弾さんの、「支援を行なえるほどの「他者」は強者」とか「奪う」と言っているのは何が強い人で、何を奪う話なのかわからない。戦闘力が強く、国土を奪う話だとしたら、そんな事をしなくても生き延びられるし、とも思う。主観をいれずに努力して読んだが、全く理解できなかった。ただ、気になったのは、自分が受身で相手の事を判定することはできない。タイトルの「延びさせる」は、相手をどうするかと言う問題とも違うらしいが、自分の力量にかかっているようなニュアンスは受けた。でも、そういう位置でもない気がする。混乱してしまったのはこの辺り。ま、テーマが絞れる以前で引っ掛かっているので、この先をどう話すでもないなと諦めていた。
 そして、finalvent氏がコメントしているように「力」によって人が生きるといったものもないように思うと言うあたりに大いに共感した。ところが、これで終わらなかった。

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勝ち馬に乗る! やりたいことより稼げること
アル ライズ/ジャック トラウト

 極東ブログ「勝ち馬に乗る」(参照)が2008年3月のエントリーで紹介されている。ひっそりと、だた楽しげに紹介されているではないか。なんとなく、「力」があればこそ勝ち抜けると叱咤されるような気配のする書籍だ。読んでみないとわからないが、紹介の一部にこうある。

 邦題のサブタイトルはどうでもいい。問題は書題"Horse Sense"だが、サブタイトルからすると、馬のセンスということで、馬を見分ける感性という感じがするが、これは「常識」ということ。デカルトの良識とはぜんぜん違って、日本語の「常識」に近い。が、バカでもわかるんじゃねーのそんなことというニュアンスがあると思う。オリジナルが出版されたのは1990年。古い。本書は一応ビジネス書でかつ「成功願望者向け書籍」なので成功者の事例がこてこて出てくるのだが、あれから何年経ったでしょみたいに年月が経つとタイムマシンで結末を見るように見るわけで、クルル曹長の笑みのように巧まざる失笑が楽しめるというオツなところがある、ま、どうでもいいですが。成功本っていうのはあれだね、個別事例を書くと十年もすると痛いもんだな、と。
 でも本書がいくら失笑で楽しめても、お楽しみはそこにあるのではない。どこにあるのかは読めよなんだが、ありげにハンガリー狂詩曲的に紹介してみよう。

 とあるが、凡そ私には関係ねぇみたいな書籍だ。でも、「読めよ」と、勧めている。
小飼さんらの話がとんと理解できないがために、「成功願望者向け書籍」を読むとわかるのかもしれないというのは飛躍しすぎだろうか。しかも1990年と言ったら、バブルが弾けてもその自覚のない日本人がごろごろいる時代の頃と重なる。そのちょっと前の、ぎらぎらした人たちについて行けなかった頃の私を思い出す。だが、紹介されているのは2008年だ。政権交代する前の年のことか。あまり関係ないけど、ターニングポイントでもある。
 そういえば、今頃思い出した。この本をスルーした理由は、今更感が邪魔したのだった。
 うーむ、読んでみよう。

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イスラエル住宅高騰問題がパレスチナ和平問題解決を難しくしているとは考えにくい件

 「相変わらず円高ドル安は改善しない」と、テレビから聞こえてきて耳を疑った。え、円高がいくらかでも安くなる見込みがあると思っているのかなこの人、と、瞬間的に反応していた。これは、自分が正しいという思い込みからだ。自分の正しさから見たら、誰の言うことであろうと、間違って聞こえてくる。相手の話を「そうかもしれない」、ときちんと受け止めて考える方が争いも起こりにくいと思う。なかなかそれが身につかず、それが弊害となって生きるのを難くしているように思う。
 これは一つの例だが、日銀がお金を刷って市場に流せば、あるいは円安になるかもしれないじゃないか、という可能性だってあるにはある。「円高が改善」すると思っていないのは私だ。私のこういった考え方は将来の希望や可能性を乏しくしてしまうが、なんとも現実を見てしまうと悲しさや情けなさが先にたってしまう。今まで、こんな考え方をする自分を責めて苦しんでいたが、先日、吉本隆明氏の一言で、思い方が変わった(参照)。
 暗い現実や悲しい出来事への思いを断ち切ることではなく、そういう現実と分けて自分のことを考えるのも必要だと知った。が、これは、言うほど簡単ではない。飼っている犬が雷に怯えて私を頼りに擦り寄ってくることや、今日書いているこのブログが少しでも良く書けるように努力できるといった小さな幸せで、絶望感をやり過ごすだけなんだということがわかった。だから生きているんだと思えるようになった。
 さて、二日前、こんな記事を目にした「東エルサレム入植地に住宅1600戸の建設を承認、イスラエル」(参照)。イスラエルは、パレスチナと係争中である東エルサレムにあえて新たに1600戸の住宅建設を承認し、同地内の二箇所に合計2700戸の住宅の建設計画も承認する見通しだと伝えている。これは、パレスチナに宣戦布告をしたようなもので、非常に挑発的な行為だと思った。記事には、次のようにある。

 ラマトシュロモの住宅建設計画は2010年3月に発表されたが、中東和平協議の地ならしとしてジョゼフ・バイデン(Joseph Biden)米副大統領がイスラエルとパレスチナを歴訪したタイミングでの発表だったため米国が不快感を示し、両国の外交問題に発展した経緯がある。

 今回の発表を受け、パレスチナ側は強く反発。パレスチナが国家承認を得て国際連合(UN)への正式加盟を目指すなか、中東和平協議再開への道を模索する国際社会からの反発も必至だ。

 一方、イスラエル内務省は今回の承認について、あくまで経済的な理由によるものだと説明。国内で数週間前から続く住宅価格・生活費の高騰に対する住民の抗議デモに応える政策で、政治的な意図はないと強調している。(c)AFP/ Sara Hussein

 「あくまで経済的な理由」って、なんだ?住民の抗議デモの話は、私は知らなかった。それが国の政策を動かし、パレスチナとの国家間問題を拗らせてまでも強行するようなことなのかと疑った。
 そもそも、イスラエルとパレスチナ自治政府の中東和平交渉は、イスラエルが入植地への住宅建設を止めないことで頓挫していた。このため、パレスチナ自治政府は直接交渉を見切り、9月の国連総会でパレスチナ国家としての独立が承認されるよう決議案の採択を求める方針で動いている。これに対してイスラエルは、一方的行動は和平のためにならないと反発しているため、今回の建設許可は、パレスチナへの圧力としか思えず、この記事はクリップしただけに終わった。が、昨日、flickrという写真共有サイトで異様な光景を目にした。

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 おびただしいテントが野営をしている光景だった。それも、観光地と言う感じではない。早速調べてみると、先の記事にあった住民の抗議デモだとわかった。人民新聞というあまり聞いたこともないサイトだが、かなり詳しく書いてある(参照)。

7月31日(土)、イスラエル全土で、過去最大15万人規模のデモンストレーションが行われた。

きっかけは、ひとりのユダヤ系イスラエル人の呼びかけだった。その呼びかけは、瞬く間に「テント村」運動として全国に拡大。当初は住宅問題に限った要求だったが、子育て、医療、教育、そして物価抑制、労働条件など、あらゆる社会問題へと拡大した。

「ネタニヤフ退陣」を求める声も日増しに強まり、現在ではイスラエルの政治状況を揺るがすまでに運動は高まっている。パレスティナ問題解決に向けた動きは生まれるのか?イスラエルのテント村運動を追った。(阪口浩一)

 中東や北アフリカ諸国に起きている反政府運動と類似したデモが、ここイスラエルではこんな形で展開されている。なぜか憎めない。子どもも参加して絵本などを読んでもらいながら過ごす風景や、BBQをしながらビールを飲むグループなど、様々なことをしながらテントで生活する事自体がデモであった。それが、イスラエル政府を本当に困らせているのだろうか。

 運動の中心は、中産階級の学生を中心とした若者たちだ。とはいえ、教員、ヒッピー、アナーキスト、環境保護活動家、労働者、医者など、多種多様な人々が参加し、世代を越えた支援が拡大している。最新の「ハーレツ」紙の調査では、テント村運動への支持率は87%に達している。
 当初は寛大なコメントを出していたイスラル政府も、この事態を受けて、方向を転換。7月末にポーランド訪問を予定していたネタニヤフ首相も渡航を中止し、「①今後1年半で5万戸、うち1万戸を学生用として公営住宅を建造する、②学生に交通費を補助する」と公約したが、国民の要求は、もはや収まりはしない。
 「マーリブ」紙の報道によると、7月31日には、イスラエル建国以来最大規模の抗議行動となる15万人が、イスラエル各地の抗議デモに参加した。「アルジャジーラ」英語版のベン・ピーベン氏によると、「ビビは帰れ」(「ビビ」はネタニヤフの通称)の声が、前回23日のデモより拡大し、そこで頻繁に使われたスローガン=「私たちは社会的な正義を要求する」は、「アラブの春」を彷彿させたという。

 流血や破壊のない反政府運動として、これは賢い戦略だと思う。この抗議に対してイスラエル政府がどれだけ歩み寄れるのか、国の経済情勢はどうなっているのかが気になった。それと同時に、パレスチナへの嫌がらせ的な意図も疑っていて、これは、調べてみないとわからないと思った。
 Newsweek8月10日 日本語版で少し触れていた。

 数年前まで、テルアビブの物価は世界的にみればそこそこの水準だった(主要都市の物価ランキングで40位近辺)。だが03年以降、順位は次第に上がり、昨年はある調査で19位に。東京やモスクワよりは安いが、ニューヨークよりも高いという。

 イスラエルでは巨額の安全保障支出のせいで税金が欧米より高いからという説明が一般的だ。なかでも悲惨なのは自動車で、100%の購入税がかかるため新車はアメリカの2倍も高い。
 しかし、国防予算は70年代以降激減し、昨年はGDPの6.3%程度にとどまっている(アメリカは約4.7%、フランスやイギリスは3%未満)。

 記事では、住宅価格などの物価高やその背景にあるされてる税金の高さは、巨額の安全保障支出よるものと言われている一方、ヨルダン川西岸への入植費用、ユダヤ教超正統派への福祉予算の膨張、競合性のない産業形態に原因があるとバルイラン大学の経済学者ダニエル・レビ氏は見ているようだ。つまり、誰に言わせても、政治が悪いということに帰結する。
 一方でユダヤ人入植者の住居建設に迫られ、他方で猛反発するパレスチナとパレスチナの独立に賛成する多くの国との板ばさみ状態になってしまった。このイスラエルという風景は、変わるのだろうかと考えていた。イスラエルを支えるのはアメリカしかない。そのアメリカも、イスラエルを擁護すれば、パレスチナやアラブ諸国を敵に回すはめになる。これでは身動きがとれない厄介な問題だ。イスラエルの経済が安定するためには、歳出の全体像は、補償費が多い国だという印象が強いが、では、このところの急成長はドル安からだろうか。一方では政策に圧力をかけるロビーの存在も大きいと思う。アメリカ大統領選挙で票の取りまとめなど、大きな力を持つと言われているロビーの機嫌を損ねることはオバマ氏の望まないことでもあると思う。
 テントのデモがきっかけだったが、考えれば考えるほど根深く難しい問題が潜んでいると思ったが、イスラエルが自縄自縛という風景とも映る。パレスチナの要求とイスラエルの事情をすり合わせて検討し、双方が歩み寄れば解決できるのではないかという思いも一方にある。

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2011-08-13

菅さんの辞任発言後、噴出し始めた日本の将来設計について雑感

 昨日、菅さんのシンクタンクの一人と言われている田坂広志氏(参照)のインタビュー記事を読んでいた(参照)。先日、テレビ番組に出ていて、同じような話を聞いたばかりだったが、文字になっているのを読むのとではやはり違う。
 私の関心は当初、菅さんの「脱原発依存」の発言の根拠にあった。官僚に言わされているに違いとまで思っていただけに、では誰の入れ知恵か知りたいとも思っていた。原発エネルギー問題を首相一人の意見で易々と変えられるものではないとは言え、首相という立場でこの発言をしてから一番気になっていたのは、世界から日本が自ら撤退すると公言しているようなものであるということだった。これについては、菅さんが、広島の原爆記念の慰霊式典の場で発言する前日にエントリーで触れた(参照)。原爆と原発被害を同格としてまな板に乗せて「脱原発依存」としてしてしまったことに愕然とした私だった。その根拠と真相が、先のインタビュー記事でそれなりに理解できた。
 世界の笑い者になったのは今に始まったことではないが、恥部をさらして恥ずかしいというよりは、核廃絶までをも宣言するということは、外交問題そのものである。当然、アメリカとの同盟を解消するのかという点が問われてしまう。つまり、日本の防衛問題に対して展望があるのかと、政策を知りたくなった。
 ここで一つ、大きな点が分かった。アメリカはもう日本政府を信用していないということ。今更裏切られたと思うでもないだろうが、菅さんの発言後、特別な動きを見せなかった。説明を求められなかったのは、全く相手にされていないという意味ではないだろうか。それにもがっかりした。がっかりした話しばかりもなんなので、後で、展望のある話も含めたいと思っている。
 その前に、菅さんのシンクタンクの話をまとめてみたい。

「脱原発依存」発言の根拠について
――もともと原子力を専門とされていて、いまや脱原発の中心にいるといわれているわけですが、脱原発のイメージをいつごろからおもちだったのですか。

 田坂 たしかに、メディアの記事では、まるで私が脱原発の急先鋒のように描かれていますが、そこには大きな誤解があります。じつは私自身は、原子力というエネルギー源は、まだ最終的な結論は出ていないと思っているのです。しかし、いずれ、最後の審判は、国民が下すことになるのでしょう。

 ただ、福島での事故が起こったあとに原子力エネルギーをどう捉えるかについては、私はまず国民の素朴な気持ちを大切にするべきだと思っています。いまから申しあげる二つは、日本人のほとんどがもつ平均的な感覚でしょう。第一は、「原発は怖い。できることなら使わないでいい社会にしたい」ということ。第二は、「ただし、原発をやめることで経済や産業が打撃を受け、雇用が失われ、生活に甚だしい支障が起こるのも困る」ということです。政府は、この国民の気持ちを大切にするべきであり、それを政策として掲げるべきだというのが私の考えです。

 それが、「計画的、段階的に原発に依存しない社会をめざす」というビジョンです。

 ここで息を飲んだ。
 これは、首相にインタビューしたのかと疑った。いや、相手は田坂氏だが、国民の気持ちを大切することを政策に掲げた結果が「脱原発依存」だということは、菅さんと同じである。つまり、田坂氏の言う誤解は、どこにもない。参与でありながら、まるっきり政治家気取りな発言といえる。おそらく、今までの姿勢がそのまま表に現れただけなんだろうと思った。
 また、国民の気持ちを大切に思うから「脱原発依存」と片方で言いながら、本当は、「原子力というエネルギー源は、まだ最終的な結論は出ていないと思っている」と、思っている。であれば、議論はそこから始めるべき。前面に「脱原発依存」を出したのは、普通は、誤魔化しと解釈される。田坂氏の言う「大きな誤解」ではない。しかも、核分野に足を突っ込んだら途中で止めるわけには行かないことも承知の上の発言のようだ。
 菅さんがあまりに酷いので表に出ざるを得なかったか、メディアの要望に応じた結果か知らないが、黒子は黒子に徹するべきで、菅さんの話は僕の考えですとわざわざ説明したことになる。本人はそのつもりではないと言っているが、ここまで説明してしまうともう遅い。そして、こんな裏側の話を言う時は辞任する時なら分かる。これも普通、「立つ鳥あとを濁さず」と言って、奥ゆかしさも日本の美徳というお行儀もある。これでは、今後菅さんが何を言っても、田坂の入れ知恵としか市民は思わない。菅さんがまともなら、身の程知らずといって首を切るところだと思う。もう少し頭の良い人かと期待して馬鹿を見たのは私だった。

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 さて、次の関心事は、塩爺の苦言「塩爺のもう一度よく聞いてください「脱原発」争点化は卑怯だ 元財務相・塩川正十郎」(参照)が痛快物。国民に正しいものの見方をして欲しいと願う気持ちと、自民党には菅首相が最後の切り札を「脱原発」路線できたら、堂々と受けて立てというメッセージを感じた。
 「脱原発」発言に騙されるなという心あるメッセージと受け止めた部分に、先にも書いた点がある。
 科学的な観点からも原発をやめるということは不可能なことで、稼動させないのなら安全に保存するしかない。それは、福島原発が事故で使えなくなったにもかかわらず、再臨界を起こさないように保存する難しさに取り組んでいる通りだ。その現実を見れば、「脱原発」が空論に近い言葉遊びでしかない。なにせ、止められないのだから。先の田坂氏も「結論は出せない」と言っている通りだ。それなのに、この言葉を国民の心に深く刻もうとすることは、「卑怯」極まりない選挙戦術としか思えない。
 また、爺の懸念は外交問題だ。頭がまともな人物に変わればアメリカもまた対応を考え直すとは思うが、東シナ海海域で有事を起こさないことが必須であるが、北朝鮮に対して本来日本を含んだASEAN諸国と中国、米、韓国が一枚岩にならなければならないところだ。今の日本は、聾桟敷(つんぼさじき)の目に合っていて、相手にされていない。核廃絶なんぞ言う前の鳩山元首相の「Trust me」からだろうか、徐々に相手にされなくなってきている。
 だから賢くなれ、と爺が言っている。

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 そして、昨日の大取りは、玄葉光一郎国家戦略担当相(民主党政調会長)は、ウオール・ストリート・ジャーナルのインタビューに応じて「小型炉など次世代原子炉がエネルギー戦略で一定の役割を果たすことになるかもしれないと示唆した」(参照)という情報をTwitterでもらった。
大きくは二点ある。

 エネルギー政策を取りまとめる役割を担う玄葉担当相は、福島の事故を受けて国民には原発への反感があるものの、日本の産業を苦しめる電力不足解消の対策として、小型炉活用の可能性を排除すべきではないとの見解を示した。

 玄葉氏は「(エネルギーシステムが)集権型から分散型になることに小型の新型炉が矛盾するかと言えば、そうでもない」と述べた。

 これは画期的な提案になると思う。原発への新たな開発は科学への挑戦だ。今の原発を安全に使いながら次世代の電力供給を模索するのは、将来性のある話である。福島の事故を生かして、より安全な原発を構想する姿に若さも感じた。
 そして、もう一つのメッセージは、集権型から分散型にすることだ。
 管理構造が何らかの形で変わると思う。ぶっちゃけ、これを機会に東電を解体して地方自治体単位の原発管理が良いかもしれない。この話は、宇宙太陽光発電の話で書いた(参照)。そして、極東ブログで紹介されていたトリウム原発の話も魅力的だ(参照)。この話は今に始まったことではなく、さほど珍しいことでもないが、政治家の口から一番聞きたかったこの二点がまとめて昨日聞けたことは、私にとってはビッグニュースであった。ただし、一つ注文をつけさせてもらいたい部分がある。「公共料金が上昇し、ライフスタイルが変わるような結果になるとしても、国民はエネルギー政策の大幅な変更を受け入れるだろうと語った。」の部分で、「公共料金が上昇」は、そうならないないよう検討していただきたい。お願いします。
 塩爺と玄葉氏がほぼ同時にこれらの話を出したわけだが、これは菅さんがはっきり辞任に言及するまで待っていたという印象を受けた。紳士的な姿勢が窺える。「若手に引きつぐ」と菅さんが発言した途端、はい僕でーすのタイミングで首相に立候補した政策のない人よりは、数倍も買う価値があると思う。ただし、言うだけなら誰でもできる。一言言わせてもらうと、それが伝統的になってしまった民主党でもある。

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2011-08-12

ロンドンの暴動から労働問題について雑感

 英国での暴動は10日、発生から5日目で沈静化の兆しが見え始めていると報じている(参照)。当初、この事件は、麻薬取り引きの関係者として警察からマークされていた29歳の男性を射殺したことに端を発している。それが一夜明けた途端、大きな暴動となり、ロンドン北部のトットナム市内のビルから煙が上がり、警棒と盾を持った警官と若い覆面集団が衝突をする光景に変わっていた。トットナムに行ったことはないが、昔住んだロンドンの古い町並みが思い出され、放火された挙句、レンガの建造物が破壊されている場面をみるのは辛かった。そして、何が原因で、どのような人達が暴徒化してしまったのか、それをつきとめたい気持ちでニュースを注視していた。
 イギリスの大衆紙と言われている「THE SUN」のWebニュースを見てみた。大きな画像や映像が紙面に展開され、放火された街の店主の自主的なお尋ね者捜索活動などを伝えていた(参照)。民間だけに、この店か、報じた「THE SUN」が二次的な被害に合うのじゃないかと懸念した程だが、それにしても何故、犯人捜査のような真似を一般市民がするのかという疑問はあった。それこそ警察の仕事じゃないのか、と思った。そして、この疑問が事件の紐解きに後で関係してくるとは思わなかった。
 また、この暴徒化した騒動に首謀者がいるのか、いるとしたら、当初の殺害された男性との関係はあるのかなど、疑問な点が多くあった。日本のニュースは、それらに関して殆ど触れた記事がなく、それも不思議だった。あれほどの事件の原因や背景が分からない日が続き、もどかしさを感じていた。
 当初の印象では、2005年に起きたパリ郊外の暴動と背景がとても似ている点だった。その後、これに確信が持てた記事は「Daily Mail」というイギリスの新聞のWeb版からだった(参照)。警官による射殺にたいして家族が抗議した事は単なるきっかけで、暴動となったのは、ギャングなどの便乗によるもののようだ。記事にも書かれているが、暴徒化する要素が潜在しているようだ。それを阻止するだけの力が警察になかったため、各地に飛び火したようだ。しかも、移民を受け入れた国家にしか起こらない問題もあり、その点で、このような問題はイギリスだけの問題でもないと感じた。
 記事からは、イギリスの緊縮財政による市民生活への圧迫と、これに重ねて学費などの値上げに対する学生達の反発、移民や労働者階層に蔓延する失業や治安の悪化なども潜在しているとある。日本ではあまり聞かない人種問題もあるようだ。画像を見てもわかるとおり、10代の子どもや女性なども含んでいる。こういった素地があり、これが暴動につながったということは、人々の不満が一気に噴出して便乗したものだと見る以外なかった。合法的なデモによって訴えるといったこととは違い、表面化しないジレンマでもあったかもしれない。因みにイギリスガーディアン紙は、暴動と貧困との関係性を模索するためのマップを作成して公開している(参照)。
 昨日の極東ブログ、「ロンドン暴動について」(参照)の考察は、正に暴動そのものについてであった。それまでずっとクリップ記事をフォローしていたこともあり、この暴動の本質を早くから見抜ぬかれていたのだと結果的に思った。そして、パリやイギリスに起きた暴動は、他国で起こる可能性も多いにあるのではないかという背景が確認できた。
 そこで、日本ではどうだろう。このような暴動は起こるだろうか、と考えてみた。政府の脳死状態が長く続いている日本であるにも関わらず、反政府運動やデモ、暴動のようなものは今のところ起きていない。その気配もないが、これからも起きないと言えるだろうか。読んでいてそんな疑問がわいた部分がある。

 ところが、今回の暴徒たちがスマートフォンを駆使できたように、食うに困る貧困ではない。職がないというのは大きな問題ではあるが、職の配分を均質にするには、基本的に異文化を社会に融合することが前提になる(同化せよというのではない)。
 それがうまくいってはいない。かくして、そもそもそれが必要となる社会に舵を切った英国ならではの問題でもあるとようやく言える。
 逆説的なのだが、オスロ事件の容疑者が賛美したように、日本のように異文化を社会に融合するニーズをそもそも少なくしている国家では、問題化しづらい。

 現状では移民を受け入れていない日本に、パリやイギリスに潜在するような問題はないと言えるが、これからはどうだろう。「融合するニーズ」は、高齢化社会が進み、働き手の減少傾向を思うとないとも言えない。移民を受け入れる事を自分の問題として考えた時、一人格として日本人と同じように認め、社会的に差別するようなことでもなければ上手く融合できるような気もする。
 イギリスやフランスの移民受け入れは、労働者不足を解消するため、かつての植民地から労働力として受け入れようというものであったため、職を均質にする点は前提ではなかったこともある。これが今も解決できていないのではないかと思う一つの原因に、教育や職業に対する偏見から、そのハードルを取り除いた雇用関係が構築できない問題もあると思う。それはいつの話だという事ではなく、こういった問題が解決できる見込みがあれば、人々の将来不安も解消されて行くだろうと思う。
 以前、日系ブラジル人を会社で雇い入れた経験からだが、当時の社会保険制度に(これは現行の制度であり、改革されていない)理不尽さを感じた。日系であれば、日本に入国して就労することには何ら問題はない。会社は、雇用関係が成立すると、社会保険事務所に登録して雇用保険の加入手続きをするが、彼らにも年金保料を納める義務があると言い出した。日本で就労するなら日本の法律に従ってもらうというのである。ところが、日系ブラジル人であっても、日本に定住するわけではない。日本人として帰化するつもりでもない彼らは、単に、ブラジルでは仕事がないから日本に仕事を求めてやっていて来ているだけだった。つまり、その彼らが年金保険料を支払っても、年金を受給できるわけではない。それが分かりきっているというのに徴収する、という制度に呆れた。では、帰国時、申請すれば還付されるのかと聞けば、そんな法律はないと言われた。そんな馬鹿な話、自分が外国でそういう待遇を受けたらどう思うかと窓口に聞くと、おかしな制度ですよね、と個人的には同意した。
 こういったことがきちんと整備されてもいないのに、彼らは「税金」と言われれば支払うしかない。が、制度の矛盾を後で知ればきっと腹立たしく思うに違いないと思った。勿論、私はこの交渉をした内容と、それが不発に終わったことも本人には告げた。
 このような法制度を整備してから外国人労働者を受け入れると言うものではないだろうか、かなり当たり前のことだと思うが。
 日本の移民受け入れについての可能性として将来的に考えた時、直ぐに浮かぶのは、労働量力不足の問題ではないだろうか。すでに高齢化社会ではあるが、この先30年は今の若手が社会の働き手となって支えて行く側になる。どう考えても支えきれるとは思えない。今よりも福祉に頼る老人が増える日本を想像すると、移民問題を労働力に置き換えて考えてゆく傾向になるのではないだろうか。その時に、日本人と同格な待遇を社会的に用意すれば問題はないと言えるだろうか。さし当たっての問題でもないが、よい問題提起となった。

 追記:今朝のクリップ記事で、ロンド警察の警官を増やすべきだという意見が野党から早速出ているという情報をもらった(参照)。

 こうした現実を受け、議会では警官の数を2015年までに1万1000人以上削減する政府方針に反対する声が相次いだ。最大野党・労働党のミリバンド党首は「警官削減を再考すべきだ」と首相に迫った。野党だけではない。

 キャメロン首相に近い与党・保守党のボリス・ジョンソン・ロンドン市長も9日、市内で略奪があった地域を視察後、「削減はやめるべきだ」と首相に反旗を翻した。連立相手の第2与党・自由民主党もこれに同調する姿勢を見せている。

 問題提起として既に考えていたいたことと結びついただけに過ぎないが、極東ブログの引用部分「そもそもそれが必要となる社会に舵を切った英国」でも言われているように、英国が決定した移民の受け入れを例に取ると、その人々が英国民と同様に社会生活ができるような社会に改革することが政治家に求められていると思う。政治力不足の問題と、警官の数の問題は違う。警官を増やしても政治が変わらなければ何も解決しないと思う。また、警官の数を増やして問題がなくなるという考え方を持てば、自ら敵を作り、それに備える政府の姿勢にしかならない。そこで議論も終わる。脳死状態の政府になるのは時間の問題となってしまう。

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2011-08-11

寝苦しい夜にこれ、どうかな

 この夏で一番寝苦しい夜がついにきた。さっき起きた時の気温は、27℃であった。25℃以上の夜は「熱帯夜」と呼ぶようになったのはいつからだっただろう。それだ。ヒートアイランド現象の影響で、1990年ごろから熱帯夜が増加と長期化し始めたのを覚えている。この言葉は、その頃、NHKの解説委員などを務めていた気象エッセイスト、倉嶋 厚氏が造った言葉だ(参照)。
 「熱帯夜」とはよく言ったものだと、当時感心して使い始めた言葉だが、それでも諏訪の家庭は平均してクーラーなどは入れていない家が多かった。今でもそうかな。うちでクーラーを入れたのは10年ほど前からで、それまでは必要を感じたことはなかった。そして、クーラーを使わない日は今でもあるし、それなりに涼しく過ごせる土地ではあると思う。諏訪よりもずっと暑い土地に住む岐阜の友人や、東京から娘や息子達が帰省で戻ると大変涼しいと喜んでいるのも道理だ。人の体は環境に順応するようにうまくできていて、私の体はもはや信州型に更新されてしまっていて、夏にここよりも暑い場所ではバテてしまうようになっている。ところがその諏訪も、熱帯夜を数える日が多くなった昨今である。
 お他所のブログで毎日、暑さにバテバテな一文を目にするようになって気になっていた。寝苦しい夜の温度調節のため、毎晩の失点抜刀話は笑うに笑えない状況になってきていた。そう言えば昨年も、その前の年も確かこの時期はこの話でもちきりになるなあ、などと振り返っていた。昨年だったか、毎晩暑さと奮闘して一つの結論を見出したのを思い出し、そうコメント蘭に書き込んだ。「寝具を厚めにエアコンはしっかり効かせる」って、そう結論していたんじゃなかった?なんて、なんて心無いことを言ってしまったのだろうと、後で思った。理由は、彼は今年は、夜中も節電に取り組んでいると知ったからだ。それでも、夜中だったら節電しなくてもよさそうなものだとも思った。つまり、東電の節電対象はピーク時のものだと私は理解していたからだが、そもそも根本の考え方が違っていることにさらに気づいた。
 東京電力という大ブレーカーが落ちるか落ちないかが問題ではなく、電気に頼らない生活の心得の問題なのだと思った。だから、暑かったら夜中ならクーラー入れればいいじゃん、という問題ではないのだと思う。
 考えてみると、今後の日本の原発はどんどん消えて行きそうだし、もっともっと電力使用量が制限されて行くと思う。後に新しい電力源が開発されるとしても、まだまだ先のことだと思う。そう言えば、細野原発事故担当相は一昨日、化石燃料はリスクが高いと述べた上で、ストレステストで安全性が確認できた現存の原発の再稼動を認めるべきだと発言した(参照)。そんなことは当たり前だろと思ったが、政府は、それが当たり前ではなったということを明らかにしたような発言だ。脳死状態の政府に言っても始まらないが、菅さんの発言の元には根拠や計画性があまりないため、現実問題からいろいろ理詰めで考えて行くと、元の話に帰結しないことが多い。細野氏の話は普通に納得できる。ともあれ、新たな原発は、しばらく建設されることはないだろうと思う。
 本題までの話しが伸びたね。寝苦しくてバテバテな方に、涼しく寝るための方法だった。暑いからといって、クーラーのスイッチを入れる問題ではないと。

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オンリーワン BOX型水枕
浪華ゴム工業

 ここでお勧めなのが、昭和よりも前の世代だって愛用したはずの「水枕」だ(参照)。これが頗る快調で、とてもありがたい。先月、NHKの朝の何かの番組で水枕を造る工程を紹介していた。大きなローラーを回しながら原料の天然ゴムとレンガ色の染料を一緒に伸ばして板状にする。これをカッターのついたプレス機で枕型に型抜きし、二枚を熱でぴったりはぎ合わせて枕の形ができる。こうして、然ゴム製の水枕が出来上がるまでを知った(参照)。そして、あの冷た過ぎずぬる過ぎない絶妙のひんやり感が長持ちする理由も分かった。
 番組を見ていて思い出したのは、子どものころ、熱を出すと作ってもらった水枕の感触と、氷と水の耳元の囁きだった。寝苦しい夜にこれはよいなと思い、早速買って使っている。他のメーカーもあるし、色やデザインが多少違うものも多く見かけるが、他のものは使ったことがないのでよく分からない。天然ゴム製であればどこのでも良いような気はするが、昔から変わらずに愛用され続けてきたメーカーが安心かと思う。
 何十年ぶりだったろう、本当に懐かしい。頭を乗せると中央がへこむようになっているため、安定して気持ちがよい。また、この気持ちよさがその懐かしさにある。枕の硬さは水の量で、冷たさは氷の量で加減する。タオルを巻きつけて枕にすると、後頭部から首にかけて冷やされ、次第に体のほてりまでが消えて行く。その頃には眠りについてしまい、気づくと朝になっている。
 クーラーの温度調節やタイマー管理が上手く行かずに途中で起きたリ、苛立ったりすると目が覚めて眠れなくなり、明るくなってしまうこともあると思う。こういう不快感に覆われると全身がぐったりしてしまうのもよく分かる。
 お役に立つとよいなと思った。

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2011-08-10

ソマリア支援を難しくしている背景について

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 アフリカ、ソマリアで起こっている干ばつによる飢饉で、6分に一人という割合で子どもが餓死するという状態に陥っている。
 7月21日、国連世界食糧計画(World Food Programme、WFP)と米国際開発局(US Agency for International Development、USAID)は、国連が飢餓宣言をしたソマリアの2地域に支援物資が確実に届くことが確認でき次第支援の開始を行なうことを知ったのが最初だった(AFP)。これがどういうことか説明するまでもないことかもしれないが、安全に確実に支援物資を必要とする人々に届けることが困難な状況とはどういう状況なのだろうか。
 国連が7月20日に飢餓宣言したバクール(Bakool)地方とシェベリ川下流(Lower Shabelle)地方は、イスラム過激派組織アルシャバブ(反政府組織)が実効支配している。2010年初頭、外国の支援団体に対し二年間の活動禁止令を出したため、WFPはソマリアから撤退していた。今月になって、このアルジャバブが深刻な干ばつを伝え、それに苦しむ人への支援を国連に要請してきたため、各支援団体への救援要請が呼びかけられていた。ところが、暫定政府に任命されたばかりの女性・家族問題担当相が21日、アルジャバブに誘拐されるという事件が起きたため、支援の難しさが浮き彫りになった。アルジャバブが約束を守れないうちは支援物資が届くかどうかも懸念されていた。また、アメリカの支援が途絶えていた理由は、別にもある。
 Newsweekが報じることによると、アメリカでテロ組織としての指定を受けているアルジャバブに支援物資が渡ると、法律上ではテロ組織を支援した罪に問われ、訴追される可能性があるからだとしている。また、テロ組織を狙った攻撃についても国連のソマリア人道調整官マーク・ボーデン氏は次のように話している(参照)。

ソマリアに潜伏するアルシャバブやアルカイダの指導者を狙った米軍のミサイル攻撃や暗殺作戦も、救援活動の広がりを妨げる要因だ。「(アルシャバブへの攻撃は)人道支援団体の意図に対する疑念をかき立て、現地へのアクセスに影響を及ぼすかもしれない」と、ボーデンは言う。「過去にも、ミサイル攻撃が人道支援の足を引っ張ることがあった。大きな懸念材料だ」

 USAIDによると、8日までに食料危機による死者の規模が明らかになったのは初めてだとして、90日間に5歳以下の乳幼児2万9000人以上が死亡したとする推計を公表した。また、干ばつはソマリアだけでなく、ケニア、エチオピア、ジブチの地域も含めて、過去60年で最悪の状態だと報じている(参照)。
 国連によると、この地域で食料不足に直面しているのは約1240万人に上り、被害の最も深刻なソマリアについて国連は3日、首都モガディシオなど3地域が新たに飢饉(ききん)に陥ったと判断したとある。これで飢饉は当初のバクール、シェベリ川下流地域と合わせ5カ所に広がったことになる。短期間での広がりから、この干ばつと飢饉が限界を超えつつあることが窺える。
 一方で支援を要請していながら他方では同時に妨害するというアルジャバブ(参照)は一体どういう組織で、何の目的で妨害するのかが謎だったが、ロイターがその理由を報じている(参照)。

 ソマリアは1991年にバーレ大統領が反政府武装闘争で追放されて以来、事実上中央政府が存在しておらず、さらに武装勢力が支援物資の流入が依存社会を生むとして人道支援を妨害してきた。

 「依存社会を生む」。そんなことを言っている場合じゃない。あまりにも惨い映像なので、ブログに張って拡散したいとは思わなかったが、平和ボケしていると言われる日本でもあり、事実を知ることも一理あるという思いから載せることにした。


 カメラを持った男性の前にいる男の子は7歳で、小さい子の方はその妹。兄の身長は90cm以下で、体重は9kgほど。また、ポリオ(小児麻痺)にかかったため、歩く事もできない。
 また、アルジャバブが撤退を始めたからといって油断は禁物で、なおも緊張状態は続いているようだ。4年も雨が降らずに、食料も水もなく無言で死んで行く人々に手が届かないのがなんとももどかしい。
 そして昨日、朗報が舞い込んだ。アメリカ政府は、食糧や水など1億ドル(日本円にして81億円余り)の支援を行うと発表した(参照)。

 アメリカのホワイトハウスは8日、飢きんの影響を受けたソマリアとエチオピア、ケニアに、新たに食糧や水などおよそ1億ドル(日本円にして81億円余り)の支援を行うと発表しました。また、バイデン副大統領のジル夫人を含む政府の代表団が8日、ソマリアから大量の難民が流出しているケニアの難民キャンプに到着しており、ケニア政府とも今後の支援体制について協議することにしています。これまでソマリアでは、中部と南部を支配下に置くイスラム過激派組織「アッシャバーブ」が外国からの援助の妨げとなってきましたが、6日、首都モガディシオから撤退する方針を示しています。これを受けてアメリカ政府としては安全を見極めながら、できるだけ早く必要な地域に支援物資を届けたいとしています。

 一部の専門家に、今回の撤退は自爆攻撃の波が訪れる予兆だと指摘されていた中、武装集団が避難民の並ぶ食料配給場所で発砲事件が案の定起きた。少なくとも7人が死亡し、世界食糧計画(WFP)が緊急援助した食料の一部が略奪されたことをBBCが放送していた。が、その映像と記事はその後見当たらず、心ある記者によって削除されたのかもしれない。

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2011-08-09

8月8日は何の日?

 昨日、記念日検索をしていて8月8日は、グルジア軍(親ロシア独立派地域)が南オセチアに侵攻し、南オセチア民兵や平和維持軍として駐留していたロシア軍への攻撃を開始した日だった。これに応戦したロシア側も兵力を増強し、両国は交戦状態に突入した。わずか3年前の話だ。もっとも、この戦争は始まってから二日後にグルジア軍が撤退したため、ロシアも12日には停戦を表明し、グルジアとロシアは和平に合意した。短い戦争ではあったが、難民の数は230000人とも言われ、南オセチアでの民間人の死亡は2000人、グルジアでは228名の犠牲者だったと発表された。が、この戦争はすっきり合意に至ったわけではなく、ロシア軍は完全撤退を拒否して駐留を続けたと欧米諸国から非難されているものの、ロシアはこれを認めていない。そして、グルジア領内の南オセチアとアブハジアの独立を認め、残るグルジアとは断交した。
 その後、このロシアの姿勢はどうかわったのか調べてみると、グルジア軍の再攻撃を抑止する意味で独立後の南オセチアとアブハジア自治共和国の両国に今も駐留しているようだ(参照)。さらに産経「グルジア紛争3年 2地域独立めぐり譲らぬ米露」(参照)で、米露間に先の未解決の問題がしこりとなって残っていることと、さらに、その問題がロシアの世界貿易機関(WTO)加盟問題を拗らせている事を知った。

ロシアはこの紛争で欧州連合(EU)との和平合意に署名し、部隊を戦闘前の位置まで撤退させることを約束した。しかし、その後は「独立承認」を盾に両地域に軍事基地を構え、EU停戦監視団の立ち入りも認めていない。

米国上院は先月末、アブハジアと南オセチアを「ロシアに占領された地域」とし、ロシアが「グルジアの領土保全」を尊重して和平合意を履行するよう求める決議を採択した。

メドベージェフ大統領は和平合意と2地域の独立承認を別問題とし、米上院決議には「根拠がない」と批判する。

ロシア以外で両地域の独立を承認しているのはニカラグア、ベネズエラ、ナウルの3カ国にとどまる。

両国関係の「リセット」をうたう米露は2月、新戦略兵器削減条約(新START)の発効にこぎ着けたものの、米ミサイル防衛(MD)計画をめぐっては対立が和らいでいない。

ロシア内務省幹部らの大規模不正を告発したマグニツキー弁護士が2009年に獄死した事件をめぐり、米国が先月、事件に関係する役人ら約60人の入国拒否を決めたことについてもロシアは強く反発、対抗措置の準備に入った。

グルジア紛争から3年の節目は、米露間のこうした暗雲をさらに濃くしている形だ。露科学アカデミーのカフカス地域専門家、アレシェフ氏は最近の公開討論会で「グルジア紛争をめぐって米露には譲れない一線があり、『リセット』には明確な限界があろう」との考えを語った。

グルジアではサーカシビリ大統領が開戦責任を回避して政権を保持している。グルジアは、米国が総論で支持するロシアの世界貿易機関(WTO)加盟に反対しており、これも米露関係を複雑化させる要因になっている。

 ロシアがダブルスタンダードでもあるかもしれない。これが、グルジア領内の一部で軍事介入する用意がありながら、既にWHOに加盟しているグルジアにロシアの加盟を認めてもらえない状況を作ってしまったことになる。「昨日の友は今日の敵」と言う言葉を心に刻むと良いなどと言ってはいられない。ロシアの加盟は、エネルギー問題を解決する鍵にもなるメリットがあるからだ。
 それにしても、ロシアがWHOに加盟したいと意欲的ならば、既に加盟している国からロシアに注文をつけるいいチャンスでもある。ロシアに折れさせる絶好のチャンスだろ、と誰でも思うのじゃないかな。WHOにロシアが加盟していないとは思わなかったので、ちょっと意外だった。私もあまり関心がなったので、記念日検索のついでに調べて分かったことが多かった。
 で、さっきはっと思い出したのが、昨夕、Twitterのフォロワーが「ロシアは断固として普通の国として安定的に国際ゲームに参加するというあたりを国策に織り込まないと、つまり、天然ガス」というつぶやきだった。これ、さっぱり文脈が理解できなかったが、もしかしたらロシアのWHOの加盟問題かもしれないと、後で結びついたのだった。
 つまり、ロシアがWHOに入れてもらうためには天然ガスを手土産にすればおっけーよ、となる話?いや、あれだけの国土を持つロシアからガスが輸入できたらと心待ちにしている国も多いだろうと思う。調べてみると、国立国会図書館に資料があった(参照)。かなり詳しい説明が長く続くが、読んでみた。
 ロシアの加盟のメリットと承認する国のメリット、つまり利害の合致点が見出せればよいのだと思った。下の表がそれを物語っていると感じた。

Screenclip_2

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 本文で指摘されているが、天然資源の多い国が工業製品を必要とするのは、開発途上国の特徴で、中国が加盟するときもその認定では発展国とはならなかった。従って、ロシアは、表が示すとおりだと中国と似ているが、現実的にはもはや途上国とは言いがたい。であれば、国内消費用のガスの価格と海外輸出価格との格差を是正しろといった要望も出ている。因みに、ロシアの国内の販売価格は七分の一とも八分の一とも言われている。加入すると、ロシアの物価が上がることにつながるのはデメリットでもあるが、それはロシアのご都合主義と言われる所以で、「普通の国として」として国際ゲームに参加する最低の譲歩かもしれない。
 このレベルが最低の線という認識にロシアが立てるなら、これからはもっと柔軟な国家を期待できるだろうか。なんとなく楽しみになってきた。

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2011-08-08

増税は反対だが、支払うべき税金についてチト勉強した

 日本医師会常任理事の今村聡氏のインタビュー記事「控除対象外消費税放置に懸念、日医・今村氏- 「このままでは医療崩壊が加速」」( 2011年08月06日 10:00 キャリアブレイン )について考えてみた。
 日本医師会に加担する意図など何らないが、このところの関心事でもある震災復興問題でネックになっている財源の確保が与野党で煮詰まらないでいる。国債を発行すればその債務の返済に当てる財源をどうするかという問題で、増税案と、これに反対する意見が出ている。この時期の増税はナンセンスだと言い続けてきた私だけに気になっているが、医療現場でも増税に問題があることを知った。消費税増税がその経営自体を困難に陥れる例として、具体的な数字が上がっているのを見て少し驚いた。それ程私が無知だったということだと思ったが、増税が齎す悪循環に無関心ではいられなくなった。そして、何でも反対するものでもないと、過去の税への考え方を見直すことになった。
 まず、何が問題なのか、記事にはこうある。

 消費税は代表的な間接税で、最終消費者が負担するため、物を売る事業者は原則、負担しません。ところが、社会保険診療報酬の消費税は非課税なので、患者さんは消費税を支払わない。一方で、医療機関は設備投資や医療機器・医薬品購入などの際、消費税を支払います。もし課税の仕組みであれば、その仕入れに掛かった税額が控除されますが、診療報酬は消費税非課税なので控除されない。このため、医療機関が払いっ放しとなり、税負担が莫大な金額に上っているのです。

 私の、増税に反対する理由は、日本が長引くデフレから脱却できていないことと、円高が進んでいる現在、輸出産業が全く動いていないことなどから、国民の消費意欲が減退してお金が回らなくなるなどの理由が上がる。そして、最終的に消費者が消費税を支払うので、消費税率アップは消費者の生活を直撃する。先の記事で、それと同じことが医療現場にも言えるという点に気づかされた。
 医者で診察を受けて窓口で支払う流れの中で、今まで自分が医療費に消費税を支払っているともいないとも、そういう意識すらなかった。個人的には、あまり医者にかからないというのも理由で、医者に縁がない方が良いとは思っている。が、今まで支払っていなかったのかと思った瞬間、保険点数や診療報酬の値上げって以前していたよなあ。あれで採算ベースに乗っていたのじゃなかったのか、などとぼんやり思っていたが、この記事では数字まで提示していて実態がつかめた。

日医の調査によると、医療機関全体で診療報酬の2.2%に相当する控除対象外消費税が発生しています。具体的な例を見ると、私大病院(計82病院)の1病院当たりの負担額は、09年度には3億9200万円(診療報酬の2.6%に相当)に上っています。これだけあれば、年収300万円のメディカルクラークを130人、年収1000万円の医師を40人雇える。それほど大きな税負担と言えます。

 「控除対象外消費税」というものがあるらしい。普通、物の売り買いには一律に5%の消費税が発生するが、社会保険診療は非課税であるため、医者が薬品や医療機器を購入する際の消費税はそっくり持ち出しになるということだ。物を売る行為や買う行為全てに消費税がかかっているわけではないということはここでわかった。つまり、このまま売り上げから持ち出しになると、経営が行き詰まると言うのは数字で分かった。医師会に分かりやすい図があったので参照されたい。Screenclip

 

 で、消費税が10%になったら、病院の薬品や器材に対する支払税は倍になるため、入ってくる方を配慮して欲しいという訴えが理解できた。
次に、問題の解決に当たって、いくつか案が出されている。

 まず、社会保険診療に消費税を課税する仕組みに変えるべきです。それにより、医療機関では仕入れ税額を控除できるようになります。医療機関は支払った税額を返還してもらえるため、払いっ放しにはなりません。

 ふむふむ、ここは納得。患者がかかった医療費にも消費税を乗せよと。医者にかかったということは、買い物をしたのと同じ感覚で消費税を支払い、医療機関は、仕入れで発生した消費税を申請して還付を受ける。これで歳入から消費税を持ち出さなくて済むようになる。

 次に、課税に伴う患者さんの負担増を避けるため、税率を0%、つまり「ゼロ税率」にすべきです。ゼロ税率と非課税は、患者さんの負担は全く同じですが、医療機関から見れば消費税の負担を控除できるかできないかという、天と地ほどの差があります。

 ゼロ課税にするというのは患者への配慮で、何らかの形で患者側に還付を受けられるような仕組みの提案だ。「非課税」にすると税務署での扱いは還付の対象にしないため、「ゼロ課税」という言葉を用いると言う説明だ。
 ここで最初、サラッと読んでしまったが、「患者の負担は全く同じ」と言うのは、ゼロ課税にするので後で戻ってくるから同じだと言う意味だと思う。さて、その財源は?増税分から賄うというのであるなら、増税10%は名目であって、患者に還付することを前提に勘案すれば、医療消費税は実質どれくらいになるだろうか。まあ、10%の税収にならない事にはなる。これはあくまでも病院が損しないで患者負担も増えないという仮定で考えているだけだが、そんなに都合よく増税案がまとまるだろうかと言う気が、今からしてきた。嫌な予感。
 そして、最後の案。

 「ゼロ税率」の適用が難しければ、国が主張する診療報酬への上乗せ分1.53%と同じ規模の軽減税率を適用する。または、普通税率で課税する一方で、患者さんや保険者の負担分を何らかの方法で還付する仕組みをつくる方法も考えられます。

 今までの調査で発覚した凹み分をどこか他で減税するという案と、10%増税後に患者の負担分を国が還付するということらしい。突っ込みを入れるつもりでもないが、なんとなくこのロジックがしっくりこない。そもそも、医療費に消費税がかかっていない点が問題のキモかもしれない。
 ちょっと調べたら、参議院の請願に力強くあった「消費税の増税反対、医療・介護施設へのゼロ税率を求めることに関する請願」(参照)。

 この一〇年間、国民の収入が減り続ける中、定率減税の廃止、社会保険料・介護保険料の値上げ、医療費の窓口負担の増加などにより国民生活は一層苦しくなっている。消費税は所得の少ない人ほど負担割合が大きくなる最悪の税金であり、貧困世帯が増加するような状況で、追い打ちを掛けるように消費税が増税されれば、国民生活は破壊されてしまう。また消費税増税は医療現場にも大きな影響をもたらす。国の医療費抑制政策の結果、医療機関の経営は悪化の一途をたどり七割が赤字である。その要因の一つが、年間数千万円から数億円に及ぶ消費税負担である。保険診療は非課税で、薬剤・医療材料・医療機器など全ての仕入れに消費税が掛かり、医療機関が最終消費者として負担している。消費税増税は医療・介護を破壊する。今政府に求められているのは、直ちに減税し家計を応援し、国民の暮らしや社会保障を充実させ、命を守ることである。
 ついては、次の事項について実現を図られたい。

一、国民の生活と医療・福祉を破壊する消費税増税をやめること。
二、食料品など暮らしに関わる消費税を減税すること。
三、医療・介護施設への消費税はゼロ税率を適用すること。

 ということは、野党が民意をくんでくれていると解釈したが、医療費にかかる消費税は、毎度のご飯を食べるのと同じで、自分のかかった分は支払ったら良いものだと、私は思う。高速道路料金と同じである。高速道路を維持管理するための経費を消費税で賄うというのであれば、きちんと支払いたい。除外を考慮するとしたら上記にもある通り、老人や子ども、障害を持つ人、生活が困難人などで、健常で働いている人は自分の医療費にかかる税金くらいは払うと言うものじゃないだろうか。非課税が、医療側の経営を苦しめているとしたら、そんな理不尽なことはないと思う。「消費税は上げない」とか、「医療費の消費税はゼロ」とか、吹聴するかのように選挙公約にうたうものではないと思うし、そんなことを求めるのもおかしい。
 医療側として患者に、「患者が負担すべきだ」などとインタビューでは言いにくいと思うが、何でも「国」と言うのもおかしい。変だと思う。「国」とは、「自分」のことであり、「国の負担」は市民の税金で、役人に預けているくらいの感覚をそろそろ私達は持つべきではないだろか。今頃では遅いが。
 増税にはこの不況下では反対だが、払うべきところへ支払うのを怠れば、歪も出て来るということが分かった。税金は小さく、政府も小さくするのが民間との間に不正が起こらないことにもつながるのは今までも言ってきたとおりだが、民主党が言ってきた方向へも向いていないと思う。
 もう一つ付け加えると、税金を納めるのが嫌になる理由は、預けたお金が正しく使われずに役人を遊ばせ、豪華な職員宿舎の建設などに使ったりした経緯があるからで、信頼関係が崩壊したのも大きな理由だと思う。でも、必要な部分に税金が使われるのであれば、それを猛反対するような国民性でもない。

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2011-08-07

日本、この国がおかしいことについて雑感

 昨日、NHKでTVシンポジウム「震災後の日本経済を展望する」という公開番組の録画を見た。広島に原爆が投下された日でもあるし、朝から菅さんの式典での挨拶も聞いたことだし、なんとなくそれにちなんだ教養番組はないかなと思ってスイッチを入れただけだったが、中央に白髪の小泉元首相が座っているのに気づいたのは、カメラが引いた時だった。あら、懐かしいと思って新聞で番組を確かめると、パネラーとしては主賓のようだった。他のパネラーを見ると、日本をリードしてきて来たつわものがずらっと並んでいる。せっかくなので紹介すると、元内閣総理大臣:小泉純一郎、新日鉄名誉会長:今井敬、キャノン会長:御手洗冨士夫、パナソニック会長:中村邦夫、トヨタ自動車相談役:奥田碩、関西電力顧問:秋山喜久、タンフォード大学教授:フランク・ウォラック、【司会】経済評論家:田中直毅であった。個々にじっくり話を聞いてみたい人たちばかりだが、7月26日に公開録画したものを1時間に編集した番組だった事もあり、時間が短くて残念だった。
 構成として面白いと思ったのは、企業、政治家、電力会社、アメリカの学者というパネラーをそろえていたことで、震災後のエネルギー問題について、それぞれの立場から意見が聞けたことだった。内容は、議論や討論ではなく、聞く側の私達に「僕はこう思う」というメッセージをそれぞれが発したというものだった。詳細に渡る意見という内容でもなったが、企業側が制約された電力と製造をどうやり繰りするかというテーマから、原発廃止に取り掛かるというよりは、今ある原発から電力供給しながら新たな供給源を分散させ、スマートグリッドによって効率よくコストの削減に取り組むなどの意見が多かった。はっきり言って、菅首相の言っている「脱原発依存」には難色を示していた。小泉さんは、原発が仮に減るとしても、事故後のノウハウを世界に発信してより良きを求める使命感を日本は持つべきだと熱弁していた。一方アメリカは、アメリカには原発がなくてはならないものという位置づけを明確化していた。こと原発に話を絞るとこんな感じであった。
 で、私は、番組が終わってからしばらく雑念が払拭できず、呆然としてしまった。
広島での菅さんの話を聞いて、何故、この人は「脱原発依存」をこうも胸を張って言い切れるのだろうという疑問が残っていたこともその原因になっている。私の中では、この構想は、菅さんの思いつき発言にとどめておく以外、置き場のない事という位置づけだ。何故なら、マニフェストにも政治家としての菅さんの公約にもない構想で、福島で原発事故が起こってから言い出したことであるからだ。それを、世界から来賓を迎えている式典であり、日本全土に放送される番組で公言するのはあんまりだろ、という些か呆れた感もあった。菅さんにしてみたら、この日を心待ちにしていたのかもしれない。一昨日、懸念した通りになった(参照)。
 ウイキーリークスで明らかになった日本の政治家と官僚の権力関係から、ますますはっきり物を言うようになった私だと自覚して言うのだが、菅さんがこれほど浮きまくっているにもかかわらず、堂々と首相の座に座っていられるのは、官僚の言うがままに動く人だからではないかと思う。ある意味、官僚に支えられているというか。どれ程の神経の持ち主か分からないがよく耐えていると思うし、元々お人よし的な菅さんで、官僚にとっては扱いやすい人ではないだろうか。脇でよいしょしている財務畑の官僚がいるから「増税」路線を崩さないのだと思う。そういう意味では、与謝野担当相も同様だと思う。
 シンポジウムの話から、日本の企業の多くが安定的な電力供給を願っている背景だということが分かった以上、今後、「脱原発依存」など大きな口を叩けない場面も出て来ると思う。例えばこんな事があった。
 いきなり10%増税で大口をたたいた。国民から非難轟々の目にあい、民主党議員からも非難されて嗜まれて参院選では惨敗した。当の本人は、自分の発言に自信たっぷりだった。こういった経緯を辿ると、官僚が傍で操っているとしか思えない。
 こういう話しになると繰り返しになるので、自分でもくどいなと嫌気もさすが、矛盾した中で悶々とするのに耐えかねている。なので言っちゃうと、東北大震災後の復興や長年のデフレや円高、汚職などの問題が解決しないのは、政治家と役人の関係構造に問題がある。私達が普段生活していて、これは変だ、おかしいという疑念が湧くのも、こういった関係から正しさが隠れてしまっているときではないかと思う。嘘やまやかしが根底に潜んでいるのじゃないかと思うようになった。
 日銀が為替介入を行なったが、たった一日で円は元に戻った。これは予想の範囲だったが、介入額は戦後最大ではないかとも聞いた。それでも市場に吸収されてあっという間に元に戻ってしまう勢いだ。が、日銀の白川さんも馬鹿じゃない。頭の良い人ではあるが、何故そういう人が素人の私にもタネが分かる程度のマジックしかしないのだろうか。ここにも官僚と絡めると見えてくるロジックがあると思う。
 介入努力をしてもデフレや円高は阻止できない、という実証が現在できたことになる。これは増税がやむを得ないのだという理由になるのと同時に、国民を納得させるための口実である。増税案がまとまれば、公債の発行に伴う返済を増税によって賄うという見通しがつくことになる。復興財源が決議されれば、菅さんの目標達成ともなる。菅さんが首相として何がなんでもやり通そうと思っているのは復興であり(これに嘘や誤魔化しはないと信じていたいが)、官僚と菅さんの利害がこのように一致しているから「脱原発依存」によって、求心力を得ようとしているのではないだろうか。原爆の慰霊祭は、このための格好の日ではなかったかと思う。
 こう見ると菅さんは、悪い人じゃない。願いは国民のためにとは思うが、政治家として民主的かというとそうではないと思う。官僚と談合し、結託の挙句が今の状態だとしたら独裁的だとしか思えない。逆に言えば、官僚の圧力が軽減されれば、菅さんのような人は国民にとっては民主的な政治ができる人でもあるかもしれない。より、国民の話に耳を傾ける人として、リーダーの素養はあるジャマイカ。
 ダメ押しでもないが、昨日の広島の式典後の菅さんのインタビューを毎日が伝えていた(参照)。

 菅直人首相は6日、広島市内での記者会見で、核抑止力について「核廃絶を実現すれば、核抑止力そのものがないことになる。そのような世界を目指すことがわが国の方針だ」と述べ、当面の必要性について言及を避けた。
 昨年8月、広島市の平和宣言に「核の傘」からの離脱が盛り込まれた際、首相はその直後の会見で「核抑止力はわが国にとって引き続き必要だ」と語り、地元の反発を受けていた。
 また、首相は退陣の条件となっている赤字国債発行に必要な特例公債法案に関し、「この国会会期中に、野党の理解をいただいて成立させていただきたい」と語った。【高橋恵子】

 昨年と今年で核抑止が180度ひっくり返ったが、この発言ものっぴきならない発言だ。原発やアメリカとの同盟問題は、国家の政策の根幹であるにもかかわらず、こんなに軽はずみに発言してはマズイ。が、後ろ盾が官僚なら話は分かる。
 もう一つ。菅さんが首相の椅子に座り続ける意思表明として読売から(参照)。

 菅首相が9月5日に東京で開幕する国際会議「日印グローバル・パートナーシップ・サミット2011」に出席し、基調講演を行う意向を示していることが分かった。
政府関係者が6日、明らかにした。
 同会議への出席は、首相が8月31日までの今国会の会期中に退陣せず、「9月以降の続投を模索するための布石ではないか」との見方が政府内で出ている。

 この記事で、国会会期中に復興財源の問題が解決するかどうかの点、この一点だけが取り合えず気になった。

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2011-08-06

広島の今日、今まで触れなかったことについて書いてみた

 今日は、66年前、広島が原爆を受けた日である。菅さんのスピーチの草案が出来上がったとNHKニュースで昨日聞き、どうしてそんなことがニュースなんだろうと、不思議な気がした。何か、変な前触れというか。そしてぼんやりと、菅さんの脱原発依存志向と原爆・戦争反対の日本が、下手をすると絶妙な取り合わせに使われるのではないかという懸念が過ぎった。村上春樹氏と同じ世代だし、それはありうるなあ。村上春樹氏のイタリアでのスピーチでは堂々と、原発反対と被爆国日本を抱き合わせたもので、私は驚いた(参照)。あの時、この世代は、原爆の恐ろしさを原発事故に重ねて見てしまうのだと認識したのを思い出した。そして、昨日、もう一つ思いがけない情報を知り、これを書くきっかけとなった。今まで私は、原爆を受けた日に原爆について書くことは避けていたが、吉本隆明氏の言葉に勇気付けられた。
 1950年代半ばにアメリカ政府は、日本に核配備を企てていたという公文書が米国立公文書館で見つかり、日米史研究家の新原昭治氏が関連文書を入手した事を報じていた(参照)。最初、戦争で負けた日本に対して勝利国であるアメリカが何を企ててもおかしくない話だと思った程度だったが、第五福竜丸事件のことが気になっていた。今日のこの日にまるでタイミングを合わせたようなニュースだが、アメリカの核実験の際に日本の漁船が受けたもう一つの被爆事故として記録的に書いておくことにした。
 ニュースは短く、「米、日本への核配備狙う 50年代、公文書に明記」と題して伝えている。

 米政府が、日本への原子力技術協力に乗り出した1950年代半ば、原子力の平和利用促進によって日本国民の反核感情を和らげた上で、最終的には日本本土への核兵器配備にこぎ着ける政策を立案していたことが4日、米公文書から分かった。
 米公文書は、当面は核兵器配備に触れずに「平和利用」を強調することで、米核戦略に対する被爆国の「心理的な障壁」を打破できると指摘。米国の原子力協力は54年3月の第五福竜丸事件を機に本格化したが、米側に「日本への核配備」という隠れた思惑があった実態が浮かび上がった。
 日米史研究家の新原昭治氏が米国立公文書館で関連文書を入手した。

 アメリカが「日本への核配備」を企てた背景に、1949年、勝てると思った中国の内戦で国民党が破れ、中華人民協和国が成立した。続いて朝鮮戦争が勃発し、国連軍として介入したがやっとの思いで引き分けとなった。アメリカにしてみれば、多くの犠牲を払って日本と戦争した意味が問われ、おそらく日本に再軍備を願っていたからだと思う。
 後に、戦犯として捕えていた戦士を獄中から引き出し、警察予備隊(参照)を作って後に自衛隊へと改組した。この警察予備隊の編成も1948年中に日本を反共の防波堤として冷戦体制に組み込む政策に転換し、軍事化と民主主義の制限という占領の第2期が始まった。NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」で、丁度、敗戦後のこの時期を背景にして話しが展開している。GHQによって敗戦国日本が様変わりする中、国民学校での教育方針もどんどん変革されつつある時だった。
 法学館憲法研究所というホームページで、当時のアメリカの計画を紹介している(参照)。

 沖縄を基地として確保したアメリカは当初、非武装となった日本は連合国の後身である国連によって安全を保障されることが望ましいと考えていました。しかし、占領の長期化に伴うアメリカの負担軽減の声の増大と冷戦の激化の中、朝鮮戦争の勃発は第2期の政策を一気に具体化させました。朝鮮戦争勃発の翌月の50年7月、マッカーサーは日本政府に対して7万5000人の警察予備隊の結成を指令しました。憲法9条に違反する実質的な軍隊が、改憲を経ずにポツダム政令によって創設されたことは注目されます。

 この状況の背景にある日本国憲法は、もともとアメリカの指導の下に制定され、アメリカにとって都合よく作られたというのもあるが、憲法9条によって非武装とした日本を戦力にするため、朝鮮戦争では警察予備隊という名目で実質軍隊を編成したのもアメリカであった。さらに軍事化するための根回しとして、自由や民主主義、平和主義を求める言論を公共空間から排除する政策と一体となって進めながら、核軍備体制を整えていった。さらにこう続く。

 この年、地方公共団体では初めてそれまでは届出制だったデモを許可制とする東京都公安条例が公布・施行されました。朝鮮戦争の開始と前後して、新聞700紙が休刊させられ、公共部門、次いで民間部門の報道業界、映画業界などからおびただしい数の人々が魔女狩り的に解雇されました(レッド・パージ)。

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核爆発災害―そのとき何が起こるのか
高田 純

 そして、1954年(昭和29年)3月1日午前3時50分、静岡県焼津漁港の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」(乗組員23名)は、太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁付近で、米国の水爆実験による灰を浴び、被爆した。
 この実験の背景は、米国が1945年世界初の原爆の実用化に成功し、二種類の原爆を日本に投下したことによって米国の核独占が数年続くことになったが、ソ連が1949年に原爆を開発し、その勢いで1953年には水爆を実用化した。ここでアメリカは、ソ連に遅れまいと広島原爆の千倍の威力を誇る水爆実験を行なった。この実験で危険地帯から離れていたにも関わらず、日本の漁船第五福竜丸も被爆した。
 被爆後日本への帰港コースを取る際、船長の判断でSOSは発信しなかったそうだ。その理由は、米国の飛行機や艦艇により証拠隠滅の為に撃沈や射殺、又は拉致されるという判断があり、低速5ノット(時速9キロ)で3000キロ以上も離れた日本をめざした。
 被爆後2日目から乗員達の顔色が変色し、髪が抜けたり頭痛や吐き気、目まい、下痢等の症状が出たが、それでも電波を発信せず航行を続け母港の焼津港についたのは3月14日だった。被爆後2週間を経過したことになる。(核爆発災害(高田純)より)
 半年後、この時の被爆が原因で死亡したと当初言われていた久保山愛吉氏の死因についてが話題になった。当時、慌てた日本の病院医師らが治療に使った大量の輸血血液による肝炎が原因だという展開になった。ここで考え直すべきは被爆の人体に対する影響で、福島原発事故では内部被爆と子どもや妊産婦への影響が今後の経過観察として課題になっている。
 時代と共にアメリカの考え方も変わってきたとは言え、私が育った土地にも当時、米軍基地があり、忘れがたい経験もある。近所には、米軍兵の住む家もあった。戦後生まれなのに、こういった環境で育ったせいか、戦争が割りと身近に感じられた。そして、アメリカ人は日本に勝った強い人達ということがインプットされた。が、高校へ通う頃には、基地内のアメリカンスクールとバスケットの試合を交えるほどの交流もあった。当時、日本の自衛隊が米軍と一緒に基地内にいることが不思議でならなかったが、かつては米軍によって作られた従属的な組織だということが分かってから、戦争から抜け出せていない日本なのだと思っていた。その基地が返還された今、当時は出入りが禁断されていただけに、あの道を車で走る自分がタイムスリップしたような不思議な気持ちを味わったことがある。
 ざっと書いてみたが、全く書き足りない。もっと丁寧に書きたいものだという気持ちが残ってしまったが、書くことに虚無感もある。福島原発事故後について言及するにも、それと同じような虚無感がある。そして、今日、数時間後には、広島のあの広場での式を迎えることになる。
 昨日、吉本隆明氏の言葉に癒され、目頭が熱くなった。自分を癒すことはしないで来た私だったことに、はっとした。こんなに素敵な言葉がぽろっとこぼれて、Twitterのタイムラインで流れてしまうのがもったいないと思い、慌てて拾った。

「科学に後戻りはない 「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている」……猫。」

追記: これは、日経に寄稿された吉本氏のこのエッセイで、「finalventの日記」の8月6日、朝日新聞社説にコメント共に全文が画像としてリンク先にあった(参照)。ここでも読みたいと思い、画像だけ借りてきが(参照)、日経の有料購読記事のため、このような方法となった。

20110805184408

 

【参考文献】第五福龍丸に関して:「核爆発災害(高田純)」(参照

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2011-08-05

日本が世界から撤退している件について雑感

 原発の問題は、国の政策の根幹に関わる問題だということが、政府にはどの程度了解されているのだろうか、ということを深く疑問に思った昨日だった。そのきっかけは、トルコの原発計画を進めてきた東電が撤退を表明した後、新計画の提示を要請されていたにもかかわらず、その期限である7月末を過ぎても回答をしなかったため、トルコが単独交渉を打ち切る考えを伝えてきたのを知ってからだった。
 始めにTwitterのクリップ47ニュース(参照)で知ったが、二時間後の日経「トルコ原発、加圧水型炉の検討要請 エネ相が日本に」(参照)が、少し詳しい。

【カイロ=花房良祐】トルコのユルドゥズ・エネルギー天然資源相は3日、日本と交渉中の原子力発電所の建設計画について加圧水型軽水炉(PWR)の検討を日本勢に要請したことを明らかにした。日本勢は東芝の沸騰水型軽水炉(BWR)を提案していたがBWRである福島第1原発の事故を受けて世界的にBWRの安全性のイメージが悪化。トルコ側が安全面を懸念した可能性もある。

 アナトリア通信が報じた。PWRは東芝傘下の米ウエスチングハウス(WH)などが手掛けている。運営する電力会社も関西電力のほか、フランスなどにある。BWRの運営ノウハウを持つ東電は先月下旬、トルコの原発の受注を目指す“日の丸連合”から脱落を表明した。

 ユルドゥズ氏は日本と単独交渉を継続するかについては明言を避け、先月末の両国の協議で「日本側は新たな提案をする用意があると伝えてきた」と述べた。トルコは日本との単独交渉について、日本が7月末までに交渉継続の可否を回答しなければ打ち切ると通告していた。

 とは言え、この問題は、日本では、あまり大きく取り上げられている風でもない。私は、世界から日本が撤退するメッセージを送ったと受け止め、これは重大なことだと感じた。
 文字面だけを見れば、東電は何をやっているんだということになるし、菅総理の支持率アップに利用するためのポピュリズムだとする程度の話かもしれないが、日本人なら分かるとおり、原発は戦後、日本政府が進めてきたエネルギー政策であるため、この責任は東電ではなく政府の問題だと思う。つまり、日本政府の外交問題であると思う。そこで、政府はどうするつもりなのかと考えていたが、そこへ、新成長戦略の中間見直しで「原発依存の低減」が筆頭に挙がった(参照)。菅首相の「脱原発依存」発言が思いつきにとどまらず、とうとう5日の閣議決定を待つばかりとなってしまった。
 いきなりニュースに反応した事からスタートしてしまったが、菅政権の迷走ぶりは今に始まったことでもないため、何か新しい思いつき発言が出て来るたびに政府首脳陣との意見の食い違いなどが露呈し、困惑してしまう。これも情勢をいくらかでも掴んで理解しようという努力と思いたいが、なかなかすっきりとしてこない。それらの点を挙げて、整理したいと思う。
 政府は7月末、復興基本方針を決定した。今後、10年間で23兆円をかけて復興してゆくというもので、最初の5年間を集中復興期間とて19兆円を当てることを決めた。そのうち6兆円は補正予算で既に措置が取られているため、13兆円の財源が気になる。
 政府が打ち出している案は、政府の資産売却や歳出の削減と復興債権(赤字国債)の三本立てで、この復興債権を当初は10兆円だとして世間を騒がした。理由は、全て増税によるという考えだからだ。これは、リフレ派のアナリスト達をびっくり仰天させた。それどころか、政府の超党派によるメンバーなどが、長期デフレと円高の折では逆の効果となると反対した。民主党内でも反対の声を聞く中、結局、具体的な数字は盛り込まなかった。つまり、復興財源の確保ができないまま、復興基本方針も架空の話となった、と言っても良いと思う。
 では、この財源確保のために第三次補正予算で話しがまとまるかといえば、無理だといえる要素ばかりが上がる。
 岡田幹事長を筆頭に党執行部は、菅総理退陣後の新しい内閣体制で取り組むという姿勢を示しているにもかかわらず、菅総理は退陣する意思をはっきり表明したわけではないという姿勢だ。この問題が尾を引いている間に何を言われてもまず、前に進まない点が大きい。
 そして、増税問題だ。党内でも超党派でも反対意見が多くある。そのほんの一例だが、新成長戦略会議では、法人税率の引き下げで企業の海外移転を防ぐ狙いを言い(参照) 税務調査会では、各種増税で復興財源確保するとまとめている(参照)。また、必ずしも日本経済の観点ではなく、選挙を遠目に見た、政局の利得問題に関心が大きいようだ。
 この問題がそっくり参院という括りにも散布されると見ると、ねじれ国会の景色が見えてくる。復興基本法案自体が可決されるような見込みはないような気がする。
 角度を変えて、菅総理から見てみると、菅さんが首相の椅子に座っていること自体が全ての問題を滞らせているようにも見える。だが冷静に見ると、これが民主政治の難点というべきか、正しい在り方なのかもしれない。流れはこうだ。
 菅総理が自由に発言した結果、反対意見者が現れたため議論を展開することになった→結論を出すためには時間がかかる→復興を早く進めて欲しい市民にとって政府は、努力している姿とは映らないまでも、協議してる段階だと解釈する他ない。そして、何を復興とするのかもはっきりしていない中、原発依存を低減することだけは公然と放置されている。
 原発をどうするかといっても、事故を起こした福島原発は、これから先何十年もかけて安全に安定した状態で保存するしかない。他の原発も同様に、直ぐに電力供給をやめても、安全に安定的に保つしかない。であれば、ストレステストや定期点検しながら電力供給し続けるという事ではないのかと思う。脱か否かの意味の違いはないと思う。突然やめられない理由はウラン燃料にあると思う。
 ここで菅総理の「脱原発依存」発言がいかに空論かと思うが、一国の首相の発言としては重大だ。世界はそれに反応している。東電も、自社がこれから生き延びるために、電気を生み出さない会社になってどうするのかという問題になる。そこまで突き詰めずとも、原発に対する姿勢は対トルコで既に示してしまった。東電が撤退を決め、要求されていた更なる新案を提示しなかったことは、話を進める気がないという返事をしたことになる。この真相に政府がどう絡んでいるのか、その点が気になるが、菅さんの「脱原発依存」発言は、世界に日本が原発の開発意思のないことを示した撤退宣言でもある。
 この言葉の重さを承知であるなら、政治家としての責任を果たしてもらいたいものだが、菅さんは、国民からの支持は17%しかない。どうやって延命するのかと思う。また、党内や野党からも辞任しなければ法案を通さないとまで言われている。伸子さんからは、「国会で泣いたら離婚するわよ」と言われている。もしかして、菅さんは、伸子さんが怖いだけ?

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2011-08-04

日本から「SANYO」が消えた

 7月30日、日経に「三洋電機解体「何でこんなこんなことに」(参照)で、三洋電機の解体完了を知った。三洋電機といえば、松下電器(現パナソニック)と共に戦後の日本の電気産業をリードしてきた会社として愛着のある馴染み深い会社である。あの「SANYO」の文字が消えてなくなるというのは寂しいものである。近頃、戦後の昭和をリードしてきた電気会社の倒産や合併、一部部門の製造中止などのニュースを聞くことが多くなった。長引くデフレ不況と円高によって、これまで輸出産業で発展してきた日本が揺らぎ始めているのを感じる。つい昨日も、韓国などの進出によって価格競争の激化について行けなくなったとする日立が、テレビの生産を廃止する事を決めたと報じていた(参照)。東北大震災の二次三次災害とも言われる「震災恐慌」(参照)がじわりじわりと押し寄せてきているのも相俟って、日本はこれからますます貧乏になるのだろうと思う。その覚悟も今ではできているが、ナショナルの社名変更あたりからか、なんとなく時代が変わる節目のようなものも感じてはいた。
 松下電気のブランド名である「National」は、正確には1927年から2008年9月までの81年間使用されたが、社名変更に伴い、同年10月1日より「パナソニック」というブランドに統一された。この時も、感慨深いものがあったが、何度か言い間違えるようなことを繰り返してみると、直ぐにパナソニックのカタカナが脳内で変換されるようになった。そして、いつの間にか、ナショナルへの寂しさも消えてしまった。
 個人的には、三洋電機製品よりもパナソニックの方が多く愛用しているかもしれない。昭和時代からの刷り込みで、ナショナル製品は安売りしない事で有名であったし、信用度が高かった。が、三洋電気は常にナショナルを追いかけるように市場では並んでいた。故障が少なく安価だという評判で、ナショナルと比べて迷った経験は誰にもあったのではないだろうか。それもそのはずである。三洋電機創始者である井植歳男(いうえ としお、1902年12月28日 - 1969年7月16日)氏の姉むめのの夫が、松下電気器具製作所の創始者松下幸之助氏である。兄弟会社のようなスタートでもあった。
 井植 歳男氏は、兵庫県津名郡浦村(現・淡路市)で回船業を営む井植清太郎の長男として生まれた。13歳の時、清太郎の急死後、母親に無断で父の後を継いで叔父の船で船乗りになったものの、石灰石を積んで入港した大阪港で、乗っていた叔父の船が倉庫の爆発に巻き込まれて炎上沈没。歳男らは浦へ命からがら逃げ帰る。 そんな時、幸之助に嫁いでいた姉のむめのから手紙が届き、創業したばかりの松下電器器具製作所で1917年、働くこととなる。彼が15歳で既に船乗りであったことがまず驚きである。早くから親の仕事を助けて生きてきたということが、ただのお手伝いのような体ではなく、生きるためであったことが窺われる。
 終戦直後、松下電器は連合国軍総司令部(GHQ)に「財閥指定」を受け、経営者の総入れ替えを命じられた。会社に残れるのは1人だけであった。当時、松下幸之助氏の右腕として松下電器を切り盛りしていた井植歳男氏は「大将がおらんと、松下は回らん。わしが辞めます」と言って身を引いた。故郷に帰って漁師になるつもりだった歳男に、ポンと50万円(現在の価値で約2億円)を貸し、起業を促したのが住友銀行だった。焼け跡から一代で総合家電メーカーに築き上げたわけだが、当時の銀行は、リスクをとって会社を育てるといった気概があったようだ。
 歳男からこの話を聞かされて育った敏(さとし 1932(昭和7年生れ)、四代目社長、井植歳男氏の長男)は、銀行を妄信していた。だがバブル崩壊後の銀行は、利益を生まない企業に冷たかった。
 その敏氏が幼少の頃、度々訪れていた松下幸之助氏の家で見た光景を次のように書いている。

 幸之助氏というと、私には異様な思い出がある。子どものころ、この伯父の家によく遊びに行った。正座してしきりに筆を動かしているので、つい覗くと金の字が並んでいる。私に気づくことなく、なおも一心に「金、金、金」と書き続けていた。
 幸之助氏は「金はどこまでも道具であって、目的は人間生活の向上にある」と言い続けてきた。命より大事だと錯覚する怖さ、私心なく金を使う難しさを絶えず自問していたに違いない。私には不振の関係会社を整理するに当たって、債権者に土下座して詫びた苦い経験がある。事業には金はつきものだ。悩むたびに伯父のあの後ろ姿に問いかけている自分がいる。

 父は松下のナンバー2の地位を捨て、あえてゼロから再スタートする道を選んだ。父が求めたものは夢であり、その夢を共有する幸せを味わった。そして、この二人から成功するまで決してあきらめない執念を見せつけられた。
 創業者というものは常人には及びもつかない天啓を得て新たな地平を切り開いていく。問題はおよそカリスマ性とは無縁の後継者である。「第二の創業」「第三の創業」の旗を掲げ、今日も社員に呼びかけている。「ナウ・レッツ・ビギン」と。

 父親の背中を見て育ったといえる年代も、もはやこれまでではないだろうか。この世代は、私の両親の世代でもある昭和一桁である。私が小中の頃は、どこの家庭の父親も家にいることは少なく、親が遊びに連れて行ってくれるようなことは年に数えるほどか、ない家庭も多かった頃だ。それでも父親が一生懸命働いてくれることや、たまに家にいる父親に対しては、気安く近寄れないような空気があった。当時は、参観日以外に学校での子どもの様子を参観できる機会は少なく、今のように、年に何度も親が学校に顔を出すことはなかった。それだけ親も、生きることに忙しい時代だったのかもしれない。
 その後三洋電気は目覚しい発展を遂げることになる。人のやらないこと、人が行かないところを模索しては進出し、ニッチ産業(隙間産業)の確立をしてきたが、それに飽き足らず、半導体と大型液晶分野に踏み込んだ。これが後に仇となるが、この企業戦略に関しては、先の日経が次のように辿っている。

 電気製品の頭脳である半導体と部品の王様である液晶パネルを持てば、パナソニックやソニーと正面から渡り合える。なにわのウェルチは大勝負に打って出た。半導体は新潟、液晶パネルは鳥取で、巨額投資に踏み切ったのだ。

  結果は惨敗。04年の新潟中越地震で半導体工場が被災する不運もあったが、突き詰めて言えば、身の丈を超えた投資だった。半導体や液晶パネルの競争は国内にとどまらない。半導体では韓国・サムスン電子、液晶パネルでは台湾大手に勝たなければ、生き残れない。資金力、販売力、技術力。どれをとっても三洋電機に勝ち目はなかった。

cover
三洋電機 井植敏の告白
(日経ビジネス)
大西康之

 その後、敏氏は、「三洋電機井植敏の告白」(参照)で、創業者の苦悩を打ち明け、三洋電機を「社員の会社」として再建を願うが、2009年12月、完全にパナソニックの子会社となった。
 この時、私も不思議に思ったものだったが、パナソニックにとって三洋電機の何が魅力で買い取ったのか、ブランドとしての魅力ではないと思いつつその意図を覗いてみたい気がしていた。そして、先の日経もそのことをかなり辛辣に書いているが、長引くデフレ不況と円高の煽りから、パナソニックの薄型テレビ事業の不振でお尻に火がついているという。そして、三洋電機の吸収合併においては、電池部門にしか興味がなかったともある。昔の松下幸之助氏と井植氏の関係からはとても考えられないことだと疑ったが、時代はとうに過ぎてしまい、義理人情的なことではどうにもならない時代へ変わってしまったようだ。こういうことに感慨を感じる私も、既に置いていかれているのだろうけど、高度成長期に培ったものとは裏腹に、失ったものも大きい。
 銀行にも、同根のパナソニックにも助けてもらえなかったため、結局解体によって切り売りする事になった。

7月28日、同社は洗濯機、冷蔵庫の白物家電事業を中国家電大手の海爾集団(ハイアール)に売却すると発表した。既に金融子会社も、携帯電話、半導体事業も売却した。祖業の白物家電の売却で、三洋電機は日本の電機産業の歴史から姿を消すことになる。

 また、昨日日経が報じた「パナソニック、三洋の白物売却、真の狙いは 」(参照)では、パナソニック子会社の三洋電機が国内と東南アジアで手がける洗濯機・冷蔵庫事業を中国の家電大手、海爾集団(ハイアール)に売却することで合意した事を報じる中で、高い地域シェアを持つ三洋の事業を手放す狙いは何か、と疑問を投げかけていた。

 パナソニックは三洋の白物家電をすべて不要とみているわけではない。同じ白物家電でも調理家電事業などは「融合」を進める方針で、既に三洋の技術者ら約130人がパナソニックの白物家電の拠点に出向。パナソニック社員とともにグローバル展開に向けた戦略商品の開発などに取り組んでいる。

 解体といっても、社員にとっては、実力を発揮できる余地が残っているということだろうか。
 人の行かないところへ進出すると自らニッチ産業を築き上げた土地である中国であるが、そのハイアールに売却する事になったと知って愕然とした。私のどこかにまるで、中国には負けないという闘争心でもあったのかと疑う程だった。この思は、一体どこからくるのだろうか。今でも分からないが、どうしても胸がざわめく。不安だろうか。


【参考文献】:SANYOミュージアム/index.html

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2011-08-03

中国高速鉄道事故について言葉を控えたい心情について

 今日は、富士山の噴火を予測している学者さんの話でもと思っていたが、止めて、極東ブログ「中国高速鉄道事故についてさらに気の向かない言及」(参照)についてに急遽変更した。と、言っても、このテーマで書かれたエントリーを通して発露したネット上の言論の話でもある。私がネット界隈で何を言っても、大した影響力があるわけでもないし、だからと言って意図的にもの申すわけでもない。ただ、対話原則が失われてしまった実態を目の当たりにして、書かずにいられない気持ちになった。
 何が起きたかは、リンク先のエントリーを読んでもらうと分かると思う。そのついでにというか、できればエントリーの趣旨として中国という国の複雑な仕組みと、中国中央政権が鉄道省に対して現在どのような視点を向けているかを掴み取ると良いと思う。
 まず、極東ブログに挙がったコメントについて思うことから。
 ブログを畑に例えると、野生の生き物である鹿やハクビシン、狸などに荒らされる畑もあればそうでない畑もある。山から人里に下りてくるこれらの動物は、食べ物欲しさで畑の作物を食い荒らすので、比較的山の上の方の畑から順に下の畑へと移動する。トマトやにんじん、枝豆など美味しそうに色づいて食べ頃になるとタッチの差で食べられてしまう。これを防御する方法といえば、畑をネットで囲むことだろうか。そればかりか、鳥まで飛んできてトマトなどは突いて食べてしまうので、畑をすっぽり覆うしかない。そうやって自分達の食べ物を守るしかなくなる。また、山の下の方の畑は、上の畑のそういった被害が防波堤のようになって、結果、守れているとも言える。気の毒なようだが、平地にまでこれらの動物が下りてくるまでもなく、上の畑で腹を満たして住処へ戻るようだ。
 丁度、極東ブログで今回挙がった人達は、畑を荒らすこれらの無法者と同じで、結論からいうと、どうにもならない。それでも今回は、内容を補足するためのエントリーを掲げられたため、まだ、丁寧な扱いを受けている方だと思う。他所ではそんな話はまず聞かない。ゴミとして掃いて捨てられ、そのゴミ箱からも捨てられる部類である。また、他の読者にとっては、その恩恵にあずかる事でもある。さらに詳しく中国について知る楽しみを味わえるだけ儲けたということかもしれない。だから、それだけでは黙っていられないというのが私の心情だ。
 ちょっと推論させてもらう。
 内容が多少書いてあるコメントを読んでみたところ、読解力と対話に対する原則意識の欠乏が根底にあって、他人の文章が自分の読解能力を超えた時点で、さらに読解力を伸ばそうなどの崇高本能はない。そのため、書き手の文章力を揶揄したり蔑むことで苛立ちをバランスしている、という状態だろうか。さらに、ここに人としての良心というか、節操があれば、対話の原則というものが意識として働き、攻撃的にはならないのではないだろうかと思う。
 根底に、人が書いたものを理解しようなどという意識はないのかもしれない。では、何故読むのかと聞いてみたい。不満や揶揄を個人的に向ける暇があったら、自分の読解力や理解力と同等レベルの文章なりを探して読めばよいことではないのか。自分がつまずいて転んだことを石のせいにしても始まらない。そういう簡単な理屈が理解できないようだ。そうやって傷ついているのは自分だということが分からないらしい。
 見方を変えて、転んだ側になって思えば、自分で起き上がらなくてはならないということを学習するしかない。だから、下手な手を出すことはその人のためにならない。それがせめてもの愛情であるが、そこまでの付き合いもない赤の他人である。通りすがりのチンピラか何かのために労を尽くしても、所詮は伝わるものではないと思う。スマートな道を選ぶなら、これらに動じずに、我が道を進む力に転化することだろうか。
 中国の高速鉄道事故について言及するのが気が向かない理由は、人の心情というものを持ち合わせていたら分かることだろうと思う。あれだけの痛ましい事故を起こして悲しみの中にいる人々を横目に、中国政府叩きを誰もがしたいかと言えば、したくないことだ。とは言え、その中国について毎日社説があまりにも阿呆な文脈で書き連ねていた(参照)ことから、中国に対して失礼極まりない事を苦に書き添えたものであったと思う。引用されたワシントンポストの表現も辛辣であるが、引用せざるを得ない理由は、中国鉄道省の海外売込みについて、該当地がどのように見ているかをそのまま伝える必要からである。他国の傍観的な感想を書いても意味がない事くらい分からないものだろうか。ましてや、日本の新聞社も同様に、日本社会で生き残るためには、政府を敵に回せないジレンマもあるため、書けないという理由もあって、おかしな記事を書くことも良くある。無理をして書くと変な文脈になるのもそのためであることも無きにしも非ずである。これについては、「中国の高速鉄道事故について雑感」(参照 )で、既に触れた。中国政府が、「新華社」を政府御用達にしている理由に近いものがあるのは分かるだろうと思う。それくらい分かって欲しい。
 先のエントリーは、そういった背景の中で、ブロガーとしての善意の表れであり、だから、しゃしゃり出て書くようなものではないことぐらい理解せよと言いたい。
 私も理解されないで昔は苦しんだ。今でも表現に関して、思い悩まない日はないくらいだ。自分の文章や言葉使いのせいにして、その原因を全て取り込み、苦しみ悩んだ。その努力は無駄でもなかったし、努力した分程度、自分なりに成長したとは思った。それで本来は終わりにすべきだが、昨今のネット上の対話は崩壊寸前だと思うし、まともに相手にして自分の修行をするととは別問題で、進まないこともある。もっと私が完璧なら、人の原因は一切考えないものだが、であるなら、そこまで関わるのもどうかと一部の人との関わりで思ったこともある。傷口は、ぱっくり開いたままである。
 どこかでぷっつり切られるのがオチという事を、30代のネット暦の長い人から感じた事もあった。いつもの語り口になるのだけど、私の世代以外にはどうも違和感を感じる。これはネット上の話だが、難しいものだと思う。

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2011-08-02

対岸の火事にはできないオスロの一人テロ事件

 はてな時代から数えて、今日までで2145件のブログをほぼ毎日書き続けてきた。Yahooブログをこれに加算すると、2400件くらいのエントリーになる。途中、何度か止めようと考えたことがあった。書くことの苦しさというのも何度か味わった。きっと、これかも味わうのではないかと思うが、だからと言って、続けることに美徳を感じているわけでも苦行とも思っていない。書きたい事をこつこつ書いて継続させてきただけである。子どもなら親が褒めて、そこに馬鹿がつくと、将来この子は大成するかもと思いそうなことかもしれない。他にも何か続けてきていることはないかと思いを巡らすと、あるある。いっぱいあるじゃないか。
 まず、LongSlowDistance(LSD)という走法によるジョギングから始まった今のウォーキングだが、2008年5月から始めた。マイナス10℃以下を記録する冬の諏訪の明け方、つま先や指先に痺れを覚えるような寒さに負けず、毎朝、時に夕方、約8kmの道のりを一人走り続けてきた。おー、それを言ったら、何年間お弁当をつくり続けてきたことか。「継続は力なり」、「石の上にも三年」などという言葉をどこか、胸の隅に置いてひたむきにやってきた。
 友人は、godmotherは凄いね。一つのことをこつこつと続ける力ってなかなかあるものじゃない。尊敬するとまで言われている。また、息子も、お母さんの凄さって僕はできないけど見習いたいところだ」とブログを見て驚いている。
 言われている自分はというと、そんなに凄いこととは感じていないし、ただ、やりたいことを諦めないで続けてきているだけのことである。そこに他の何か違う要素などを考え入れる必要も余地もない。これは私の持つ力であり、私の側から見れば、他が持っていることが私にはないこともある、というのと同じである。あまり他人との比較を思ったこともない。だが、どうだろう、ある一言に冷や汗が出て、これらの賛美されるような継続力が狂気ともなるという考察を知った。ちゃぶ台返しのように、全てひっくり返った。他者の価値観とは裏腹な継続力への自分の評価の違いが、オスロ事件後の人の見方にもつながることが分かった。
 極東ブログ「オスロ事件の印象」(参照)を読んで、私、ヤバイかもと思った。自分のことを話す前に、あの事件を起こした容疑者の事を思い起こしてみたい。
 この容疑者は、最初から、精神障害を持つ人物に違いないと思っていた。それよりも当初、なんじゃこれは、と気味の悪さもあった。が、ネットのニュースで垣間見るに、政治がらみの犯行などと報じ始めたときは、このような異常行動を起こす人物を政治犯という知能犯の部類に入れるのか、という疑問があった。それこそが異常な感覚だと気味悪さを感じた。世の中は狂っている。何故、このような事件を引き起こす人格が形成されるのか、考えつかなかった。そんな今、今頃になって極東ブログではこの犯人像をこんな風に浮き上がらせている。

 本人談では、数世紀にわたるイスラム教徒によるヨーロッパへの植民地化を終わらせるための革命を準備した先制攻撃だというのだが、一歩一歩念入りに作り上げちゃった幻想なのではないのか。
 なんというのか、地味に着実にポジティブに事業計画を遂行していくことで、せっせと自己幻想がきちんと成長していって、どっかで引き返せなくなっていったのではないかという印象が私にはある。方向性が違っていたら、鳥かなんかを神風特攻隊に模したスマートフォン向けゲーム会社でも作って成功していたかもしれない、といったような。
 BBCには容疑者の学生時代の知人の談話があった(参照)。学生時代の友人は、容疑者の写真を見てご当人だと認めつつも、そんなやつではなかったんだがなあという話になっている。

 長きに渡って自己幻想を構築してきたことが、「数世紀にわたるイスラム教徒によるヨーロッパへの植民地化を終わらせるための革命を準備した先制攻撃」につながって犯行に及んだということだが、事情聴取では確か、正義の騎士を感じさせるような内容だった。彼にしてみれば、社会の悪を撲滅するための救世主気取りである。
 また、「どっかで引き返せなくなっていった」という精神状態の時、自分の幻想空間にいるときと実社会での自分を上手く使い分けているかに思われるが、それが周囲がこのような凶悪な行動を起こす人物という疑いを持たなかった理由だとすると、コントロールできた彼は、正常ではないかとも思った。二つの世界間での彼を想像したところで、現実には理解しがたい類の人間性だ。そして、言われているように、鳥をパチンコで飛ばして様々な対象物を破壊して遊ぶiPhoneアプリの「AngryBirds」(参照)の発想とテロ事件に、どこか紙一重的なものを感じる。彼にいたずら心があって、遊びに夢中になる童心のようなものがあれば、その集中力と攻撃し続ける継続力が、弾に模した鳥を勇ましく飛ばすゲームを発案する人物にも成りえたと思う。とても納得できる。
 そして、こう続く。

 容疑者の個人史などもいろいろ研究もされるのだろうが、なんとなくの印象だが、大事件を説明する、詰めの決定的な要素というのは出てこないのではないか。
 「継続は力なり」、赤尾の豆単に載っていた言葉ではなかったと思うが、凡庸な人間でも継続していけば力がつくといった意味だった。今回の容疑者を見ていると、凡庸な人間が、小さな継続していくと大きな狂気になるのではないかとも思える。
 むしろ狂気というのを見るなら、地味にこつこつ1500ページのコピペ集を作ってしまうという律儀さにあるかもしれない。それをいうなら、きちんとブログを何年も書き続けている人間なんていうのも、ご同輩。

 ここで、ハッと鳥肌が立った。冒頭部分のブログに関する私の振り返りも、ここを読んでから直ぐだった。私ももしかすると、ブログを継続してきた者として、何かの夢に酔った状態だから続けてこられたのかも知れないと疑ってみた。見ようによっては偉業ではなく「狂気」ともいえる。以前、そう思っていたことを思い出した。
 ブログは先にも書いたとおり、2145件に至っている。この犯人の1500ページ(参照)の比ではない。つまり、あの容疑者以上に継続力のある私であり、「同輩」である。きゃー。でも、疑ってみる価値はあると思い、冷静に少し考えてみた。
 継続力くらいが取り得のような凡人と、世界を恐怖に陥れるような殺人行動をする人格との境目は何だろう。どういった心理状態なのだろうか。例えば、分裂症というのもある。心の何かがカチッと引っ掛かって外れなくなったような状態というか。そんな経験はないが、分裂症が発症する前の状態で、知人がいた。
 融通の利かない性格で、こうと決めたらそうならないと許せない潔癖さがあった。仕事は真面目だが要領は悪く、つまらないことに挫けてしまう。気持ちが落ち込みやすく、劣等感が常に強く、有名大学出身者にコンプレックスを持つが、表面的には崇拝的な態度で接する。仕事でミスを犯したことが自分で許せず、職を転々と変わるが、同じ理由で長続きしない。ある時、彼が一番心を許せる人物に一言言われた。彼はすっかり馬鹿にされたと思い込み数日、飲まず食わずのような状態となり、それは丁度、鬱のような状態だった。真っ暗な部屋の隅に丸まって座る姿は、何者かに襲われないように防備していたらしい。そして、安全な場所に避難すると、嘘をついて彼を精神科の医者に見てもらったところ、強いショックから自分の人格を否定し、それから逃避する結果、精神分裂症を発症していると診断された。
 彼は現在50歳近い年齢だが、その時以来母親とべったりになり、幼児返りしたようだ。買い物へ行く母親を助けるということが彼を救っているらしい。育った環境から社会環境に漕ぎ出した時、ギャップをうまく受け止められなかったようで、順応できないまま心が壊れてしまったのだと思った。精神分裂症という病気は、外因性というよりは、遺伝的な要素が大きく発症に影響するらしいと聞いたが、1000人に7~8例という数字は、胃潰瘍にかかる率くらいだという。つまり、特に珍しい病気ではない。が、発症前の彼を知っているだけに、その変貌ぶりには驚いた。これも決して他人事とも思えない。
 オスロの事件で心に深く残ったのは、7月27日の終風日報(参照)編集後記(参照)のメッセージだった。

▼ガーディアンの社説(参照)に、私たちはノルウェーの民主主義が抱える問題よりも、容疑者の精神異常性を考えたほうがいいという主張があった。今回の容疑者は裁判が不能なほどの精神疾患ではなさそうだが、事件を政治問題に還元して理解したことにするのも現代社会の精神の歪みであろう。

 これは、現代社会を痛烈に言い当てていると思った。2145件もブログを難なく続けてきた私は、オスロ事件の犯人とどこが違うというのか、同じような精神障害にかかる可能性は充分あると思った。人から見ればある意味能力と評価されることが、実は、極普通の人がやってのけるような凡庸さからも疑ってみる要素がある事を知った。また、身近にそういう人物がいた時、私はその人物とどう接するのか、と、問われた。

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2011-08-01

中国の高速鉄道事故について雑感

 昨日の毎日社説「論調観測 中国の高速鉄道事故 安全軽視に厳しい目を」(参照)を一読して、最初、論旨が汲み取れずに再読した。まとめの部分から解釈すると、中国の高速鉄道の安全性を問いたいのだろうとは思ったが、それを問うために引き合いに出されているのが他社の社説という文章の構成のようだ。だが、安全性を問うなら、技術的な問題が具体的に出てこないと説得力がない。引用された各紙の文脈は、それとはかけ離れたモラルや国威発揚のための道具にしているなどという文脈の記事だった。だからか、すんなり腑に落ちないのは言うまでもないが、毎日社説は何が言いたいのだろうか。安全性を問いたいのか、中国政府の腐敗を言いたいのかどっち?という変な疑問までわいた。
 後者の中国政府の腐敗を問うのを論旨とするにしても、中国の実態には実際触れていない上、見えるようで見えないのが中国である。そのため、全て仮説となってしまい、論点が見えにくくなる。どの手を使っても中国政府を語るには乏しい材料しかない。でも、日本というお手本ならある。これについては、毎回書いている気がするが、朝日などは民主党や中国に不利なことは取り上げない。これで会社の筋はそれなりに通している。また、時々、事実を隠してでも擁護する部分はしっかり擁護している。だから、日本をお手本に中国を語る社説なんぞあり得ない。他紙も日本政府叩きはしないし、それをやると日本では新聞社として食っていけなくなる。そういう国家権力が働いているのは事実である。
 記者についても同じで、番記者と言われる仕事についている記者の表と裏の見え隠れする部分が時々記事から窺われ、それを物語っている。
 で、私はそのずっと端の方でブログを書くおばさん。新聞が書かないようなことはいくらでも書ける。だが、人や国を陥れるような意味合いになるなら書きたくない。真実は、時に隠されていた方がよい場合もあるし、Untouchableという便宜も必要だと思う。だが、昨日の極東ブログで取り上げられた内容は、社説の読みだけではなく、私が踏み込めないと思っていた部分にまで踏み込まれていた。
タイトルは「中国の高速鉄道事故についてあまり気の向かない言及」で、私が未消化だった毎日社説について細かい考察が入れられている(参照)。
 書いて欲しいとは望んでいたが、読んでみて、書かせてしまったという申し訳ない気持ちになった。だからということでもないが、いつもの私らしくというスタンスで、胸にあることを少し書いておこうと思う。
 率直にいうと、日本と中国の腐敗政治ということになるだろうか。
 先にも触れたように、中国社会のことは実態はよく分からないが、中国とよく似た日本の歴史や、生きてきた人々が遺したものから学んだことと照らして見ることはできる。それを言うのに手っ取り早いサンプルは、日本の原発事故だろうと思う。
 今更感が漂う福島原発事故後のニュースが近頃多くなったが、国家と電力会社の関係性から、ぼろぼろとほころびが見えてきた。繕いきれないほどの隠蔽や、東電の板ばさみ状態の苦しい立場も分かってきたと思う。特に、東電のせいにして、東電を隠れ蓑にしているという官僚たちの姿が近頃くっきりしてきた。前にも書いたが、私企業と、それを監視し指導する側にある国家が結託すると、水面下では談合もある。また、天下りという甘い汁を吸ってふんぞり返っている元官僚も大勢いる。この腐敗構造は、中国も似ている部分があると思う。汚職を報じている新聞もあるが、その事実を掴む必要もなく、国家権力の元に高速鉄道が建設されているというだけで、その構造は自ずと構築される。それがまず一点挙がる。
 老朽化した福島原発や津波災害の対策、地震時の停電対策などは前から不安材料としてあり、いつか起こる災害に対処するための指針も出ていた。それにも関わらず、適切な指導をしていなかった官僚(保安院など)の問題が浮き彫りとなった。この対策問題を放置した理由は、東電という私企業にとって、安全対策工事を怠ることで経費の節減という助平根性があったからだ。ここで同時に安全性の厳守がすっ飛んだことは言うまでもない。最近になって、いくつもの対策工事が見直されることになったため了解できる。そして、原発を誘致した地方や住民への対応などはそっちのけとなった。国家は保身へ回り、実質原発を稼動している東電が全て悪い、となったが、国民は黙って見過ごさないというメッセージを送り続け、海外からも注視され批判されてきてやっと最近、官僚が頭を下げる光景を目にするようになった。だからと言って済む問題でもないが。これらの姿と、中国政府が現在している事とダブって見えるというのが二点目に挙がる。
 大きな税で大きな政府を作れば、企業が国営化するというのは、日本は学習済みである。そこから見えてきたのは、国が面倒を見てくれてありがたいという依存体質を市民に植え付けることや、お代官様を作ってしまう。はっきり言って、原発で被災された方々の補償の一から十までを国の補償に頼る、または、賠償として責任を果たさせるということは、またしても依存体質を作る結果となる。しかも、増税となると、大きな政府作りをまたしても担ってしまうことになる。
 その姿を今の中国に見てしまう。中国に民主化が訪れない理由も、日本の政治が民主政治だと言い切れない点も、どちらもどんぐりの背比べである。国営一本の中国と民主化(民営化)できずに喘ぐ日本の姿だといえると思う。
 そこで、中国という国家から見えてくるのは、高速鉄道という国家の事業が何を齎すかだ。言わずもがな、一部に私腹を肥やす政府の要人や、政府管掌下の工事を請け負う公司などである。その実態は勿論明らかではないが、ここまで書いた日本の姿から想像できる。
 中国で新幹線に乗車できるのは一部のお金持ちだけである。どれ程インフレが進んだかはっきりとした生活観は言えないが、うちの会社で昨年まで働いていた中国人の娘達の話では、一ヶ月二万円もあれば生活には全く困らないと話していた。
 因みに、大紀元(中国紙翻訳版)「」で、次のように伝えている(参照)。

 また、G142沿線の蘇州北駅、南京南駅、蚌埠南駅の周辺で行った調査では、駅構内は極めて豪華に装われているが、駅の外は汚く、工事中の状態が放置されていたという。市内からも遠くてアクセスに不便なこれらの駅は、現在、周辺に関連施設はほとんどなく、計画中の施設建設プランが掲示されているのみであった。

 高速鉄道の乗車率が低い最大の原因は、チケットが高すぎることにある。例えば、G142(上海-北京)のチケットは410元~1750元で、中国人の一般的な平均収入(1000~3000元)で計算すると、1往復で1カ月の収入が全てなくなることになる。

 そんな高価な乗り物を作って一体どうするのか、という疑問は当然起こる。
 この疑問に応えてくれているのが、極東ブログで引用されているワシントンポスト記事の、アメリカを輸出の相手国として狙っていた点ではないだろうか。だが、この記事のポイントはそこではなく、そもそも高速鉄道の経済性のなさがポイントであるようだ。日本の新幹線が成功(?)したのも、経済成長という真っ只中にいて、将来への輝かしい夢もおまけにあった。今だったら経済性を懸念する声も多く、その意味も分かる。
 戦前の国家主義に戻るというのであれば、東電もJRも郵政も全て国営にして、すっきり国にお任せすることも選択肢にはある。が、生み出すのはでかい膿をもったできもののようなものだろう。私の指先に刺さった茄子の棘も痛いが、それどころの話ではない。その膿に気づいて傷を治すきっかけとなったのは、バブルが弾けて初めて腐敗が発覚したからだった。あのうんざり感を今の中国市民はきっと味わっているに違いないと思う。
 中国政府の正体を暴くのはわけもないことだが、中国政府を外から叩くと、その皺寄せとして圧政が市民に及ぶのが忍びない。それでも中国市民は潰れない強さを持っているのだろうけど、そういう姿にわざわざさせたいとも思わない。政治構造や腐敗は許しがたいが、政府の要人も含めた人を憎むわけではない。なんとも複雑な気持ちが残る。

追記:Twitterのクリップ記事、「脱・原発はムリ?民主“電力マネー”を食った議員リスト」(参照)によって、戦後の自民党政権からこっち、民主党政権に至るまでの癒着体質の顕現化ともいえるデータが得られた。

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      表:民主党議員への電力関連団体などの献金(パーディー券含む)

    「皆さんどう思いますか?」

  ソフトバンクの孫正義社長は今月23日、自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部の2009年分政治資金収支報告書で、個人献金額の72・5%にあたる4702万円が東京電力など電力9社の当時の役員・OBらからのものだったとの共同通信の配信記事を受け、こうツイートした。
  孫社長としては、自民党と電力業界の“癒着”を指摘することで、太陽光発電などで連携した菅首相や民主党を後押しする狙いがあったのかもしれない。
  ここ数年の民主党議員や民主党本部の政治資金収支報告書を夕刊フジが調べたところ、電力業界からの政治献金やパーティー券購入が確認できた=別表参照。
現職閣僚では、電力業界を所管する海江田万里経産相が2006年10月、東京電力労働組合政治団体から6万円。前経産相である大畠章宏国交相の政党支部には、茨城県電力総連や東電労組政治連盟本部、電力総連政治活動委員会などから計8万円が献金されていた。

「ポスト菅」の筆頭格とされる野田佳彦財務相の政党支部には09年8月、電力総連政治活動委員会の代表から3万円。維新の元勲・伊藤博文の子孫にあたる松本剛明外相の政党支部には09年8月、電力総連政治活動委員会から3万円など。

 額が大きいのは、平野博文元官房長官の政党支部が09年8月、関西電力労働組合から受けた30万円。民主党屈指の政策通である大塚耕平厚労副大臣にも09年7月に中部電力労組政治連盟から24万円。経団連の石川一郎初代会長を祖父に持つ下条みつ政調副会長には09年11月、東京電力から40万円が献金されていた。

 前段の癒着体質を数字で見るという点で有用な資料であると思い、追記した。

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