2011-07-22

チェルノブイリの後を辿っている日本について雑感

 福島原発事故当初は、チェルノブイリのような事故ではないと言い続けていた政府だったが、今はどうだろうか。現実を認めざるを得ない政府の安全委員会は事故後、多くの疑問を払拭してくれるような事実を公表した。国民の知る権利を無視したような東電の会見内容。その随所に、辻褄の合わない矛盾が浮かび上がっても、国民を不安に陥らせないための配慮だと正当化してきた政府だった。斑目委員長が会見の場に出現し始めた当時は、ふんぞりかえってインタビューに答える横柄な態度と、軽薄な発言内容に人間失格の烙印を押された。こういう人間が原子力安全委員会委員長だということに多くの市民は嘆いたものだった。出だせばキリなく出て来る国家への不満と、自分がその国家に生まれ育ったことを猛烈に恥じたものだった。天につばを吐き捨てるようなものだという僅かながらの戒めを以って発言を控えたほどだった。
 一方菅首相率いる政権は、政府と東電の癒着体質にメスを入れるでもなく、原発の惨事にあたふたしているばかりの不甲斐ない体を晒していた。菅政権は何も見抜けず、足を取られたような滑り方を見せてくれた。背伸びしても、所詮はそこまでだったかと思った。
 アメリカの特殊部隊が去り、今の日本政府と東電の力だけで後は乗り越えて行くという時に、次から次に出て来た新事実の公表となった。それらの殆どは、アメリカのIAEAや原発技術者からとっくに指摘を受け、危険性などの示唆に我が身の安否を疑わない日はなかった。そして、絶句したのは、被災地で避難生活をしている住民や、先の不安を抱えながら現状で身動きの取れない農家や畜産農家の人々は、正確な情報も知らされずにいたことだった。政府の避難勧告も、「命令」や「指示」という強い語彙ではなかった上、アメリカの原子力規制委員会が非難半径を50kmと提起しても日本政府は受け入れなかった。ずっと「その心配はない」であった。今後、内部被爆した子どもに甲状腺がんが発生したら、これは原発事故由来以外の何物でもない。これがはっきりする数年後、頭を下げて済ますつもりだろうか。政府に雇われて早々に職を辞した大学の原発研究者の会見は凄まじいものだった。辞退理由は学者として、父親として、被爆の安全基準値を引き上げろという政府の圧力には屈したくないという理由だった。
 また、IAEAに政府が報告した「28の教訓」(参照)については、安全第一を掲げた通り一遍の内容になったが、安全性を追求するとなれば当然それに費やす費用も莫大になる。政府のこういった「指導」は、いたずらに私企業への資金的な圧力となる。この構造の解体こそが今後の大きな日本の課題であると思う。政府にとって都合のよい対策は単純な役所仕事で、これが企業を苦しめる結果となり、それを逃れるために癒着関係が生まれる。国家権力とはそういうものだが、裏取引や隠蔽が余技なく行われる薄汚い体質を作ってきた。そこで甘い汁を吸って私腹を肥やしてきた役人や天下りの脳無しは、高給待遇で椅子にふんぞり返っている。原発の知識もないような経営陣が東電のトップだというのがその姿である。
 地震がきたら直ぐに危険な原発は分かりきっていた。にもかかわらず、チェルノブイリを教訓にすることもなく、設備投資を行ってこなかった。その結果が福島原発だった。そして、菅首相は、「安全性を律することは困難」と発言し、安全性の追及を放棄しようと独走を始め、独裁政治のような状態になっている。54基の日本の原発のうち18基が稼動中のところ、昨日2基が点検作業に入った。稼動開始の目処などない。 静岡の浜岡原発は菅首相の一声で停止中である。おそらく再稼動することはないのではないだろうか。過疎地に原発建設を誘致し、原発文化と言うべきか、人々は原発によって潤ってきたのは事実だが、それが前触れもなく一瞬にしてなくなった地元民は、明日からどうやって生きて行くのか途方くれても政府はお構いなしである。
 もうこんな政府に負んぶに抱っこの関係はやめたい。国に食わしてもらう、そんな生き方はやめたい。政府に任せた義援金は、待てど暮らせど降りてこない。この「降りてくる」という言葉自体の存在がそもそもという話だ。

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こうして原発被害は広がった
先行のチェルノブイリ
ピアズ・ポール・リード

 極東ブログで「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ(ピアズ・ポール・リード)」(参照)が紹介された。私は、この書籍が評される時に書くつもりでいたが、チェルノブイリ原発事故後、隠蔽された諸事実が発覚して一番ショックを受けたのは、何も知らされなかった被爆地の住民の子どもを守ることができなかったという悔恨を知った時だった。その裏側でロシア政府が行っていたことをこの本で知ることになるのも分かっていた。エントリーでその一部が引用されているが、知れば知るほど前段で書いてきたような日本の政府とそっくりな体質を持っているのがロシア政府のようだ。ソ連当時からロシアを知る世代にとって、それが何を意味するかは言わずもがなである。

 改題書を読み進めながら、しばしば嘆息した。以前はチェルノブイリ原発事故は特殊な原発事故であり、今回の福島原発事故とはあまり比較にならないものではないかと思っていたのだが、現下の文脈で読むと、あまりの相似に圧倒される。極端な言い方をすれば、同じではないか、原発事故というものの本質が本書に明確に示されているではなかすら思える。
 だが同時に、その相似性は、原発事故の本質に根ざすというより、日本という国家が社会主義ソビエト連邦と相似であったことに由来するように思えた。率直なところ、それはこの時代に生きる一人の日本人としては、かなり悲痛な認識になる。そしてその悲嘆の認識から本書で示唆されるところは、ソ連がチェルノブイリ原発事故を実質象徴として解体したように、日本の政治権力も解体されなければならないという暗示でもあるだろう。

 この後に続いてウクライナとロシアの関係に話しが及んだところで私は、これを書くのをどうしようかしばらく迷っていた。確かにあまり考えたくないが、今の時点で思うことは書いておこうと自分で背中を押した。
 ロシアがどれ程変革されたのかはよくわからないが、ウクライナとロシアの関係は、ソ連崩壊後独立したウクライナがロシア帝国・ソ連に抑圧されていたウクライナ民族主義の勃興によって、ロシアとの関係は良くなかった。そして、原発事故によってロシア政府の体質に我慢できなかったウクライナ政府との関係は、最悪の状態を作ったともいえると思う。その辺りに触れて書評の最後にこうある。

この問題はその後、ウクライナという「国家」とロシアのという「国家」の関係という文脈にも置かれていった。
そのことが福島原発事故以降の日本に暗示するものについては、正直なところ、あまり考えたくもないというのが、現状の私の心境である。

 「ウクライナのチェルノブイリ対策大臣ゲオルギー・ゴトヴチッツはチェルノブイリ総合科学調査の調査結果を拒絶した」理由は、引用部分でも触れている通りだが、ウクライナのドミトロ・M・グロジンスキー氏は、チェルノブイリ原発事故の概要をまとめて世界に伝えている(参照)。両国の姿勢からも何が真実であるかを嗅ぎ分けるくらいの知性は持ち合わせたいものだと思う。
 日本の原発は東電が経営しているが、政府のエネルギー政策とタイアップしているため、構造的には政府がその安全面を管理する側に当たっている。政治家は、その地方に賛否を問いながら共に歩むというのが本来の道筋だとは思う。ロシアとウクライナの「国家」間の違いから、相容れないものが生じたことを日本に例えるならこういうことかかと思う。
 現場の状況を知る東電が一番悲惨な目に合っている。市民の立場であるはずの東電が、その市民と、管理する側の政府の隠蔽体質との板挟みになり、存命をかけて右往左往している。それが宿命だが悲惨でもあると思う。国が東電を見放すわけもないが、その国に一企業として依存しながら従弟関係を保たなければならない。この関係を断ち切ることはできないのではないだろうか。もっともこれは、ウクライナとロシアの関係を日本の政府と東電という文脈に当てはめたらの例である。そして、このような日本に困惑し落胆しているのは、同盟国であるアメリカかもしれない。
 被災者の声に一番多いのが国からの補償問題ではないかと思うが、予算が出たのは2兆円程度である。今、その金額について国会で野党が叩いているが、アレだけ安心してくれと言ってきたにもかかわらず、え、これっぽちですかと絶句するようなものになることは分かりきっていた。財源がない上、日銀が復興支援のための造幣をしない。経済の専門家は、復興財源にするために国債を発行して日銀が引き受け、国は長期で返済するのが望ましいというが、菅首相は、増税路線のようだ。期待した政府がどれ程のものかはいずれ分かるとしても、それを当てにするしかないと諦めるのか、自ら生きる道を模索するのか本気で考えたいと痛感している。

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震災恐慌!
経済無策で恐慌がくる!
田中 秀臣・上念 司

 先日、極東ブログの紹介で読んだ「震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!」(田中秀臣・上念司)」(参照)も、これからの日本がどうなるのかが語られているが、経済的にはどうにもならない時代が長くのではないかと覚悟している。まだその実感のない人も多くいて、貧しさとはこういうものかと納得できるまでには時間がかかるかもしれない。

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