2011-07-05

ジム・モリソン40周忌から-時代について雑感

 昨日、ジム・モリソン(James Douglas Morrison、1943年12月8日 - 1971年7月3日・参照)の40周忌を報じるAFP記事をTwitterで知った。まず最初に唖然とした。フランスにある彼の墓に集まった往年のファン達の一部の姿格好は、1970年前後のヒッピーの姿よりは清潔感のある出で立ちではあるが、どう見てもあの姿は私が昔見た欧米のヒッピーに似ている。懐かしい風景も思い出すが、ジム・モリソンといえば、27歳で心臓麻痺で急死したあのロック歌手で、「The doors」のヴォーカル(作詞作曲家)であった。死後40年も経つというのに、まるで神様でもあるかのように崇拝するファンが画像のように集まって追悼している。

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 私は殆どこのグループには興味はなかったが、当時、急死を知った熱狂ファンの悲しみ様を報じていたのはよく覚えている。私よりも一回り上の世代であった同時のファンは、かなり絶望したのではないだろうか。と、また横目で見ていただけだったが、あの雰囲気を直に感じ取る年代として、私が小学生だったらきっと覚えていないのではないかと思う。中学生だったからこそ感受できたのは、その理由として大きいと思う。初め、このことを取り上げて書くほどでもないかと思ったが、振り返ってみると、貴重な生き証人かも知れないとか思え、気を取り戻して書くことにした。今更何よ、的なことなので批判にもならないと思うし、気楽に書こうと思う。
 ジム・モリソンが亡くなった当時、私は中学生で、オールナイトニッポンという深夜放送をラジオで聞きながら夜中に勉強していた。世間では、確かビートルズのLet it be、ジョージ・ハリスンのMy sweet road、日本では岡林信康、フォーク・クルセダーズ等が歌っている頃だった。彼らの歌は時代そのものと言うべきで、ジム・モリソンの「The End」等は、けだるく生きる若者そのものの歌だと思う。この日本番は、私も岡林信康かと思う。歌はまあリ上手だとは思わないが、モリソンとも似て歌唱力云々ではなく、歌に込められたメッセージと歌に入り込んだ個人の生き方のようなものが人の心を掴むのだと思う。岡林は、あの気だるそうな歌い方に、高い音域の声質が重なって叫びのようにも聞こえる。どこか二人とも似ていると思う。世の中をもっと良くしてくれよと叫んでいるような歌と歌い方が、当時の若者の拠り所となったのではないかと思う。
 高度成長期に伴い、世の中が変貌を遂げつつある反面、ドヤ街では、日雇い労働者が吹き溜まりのように集まって暮らしていた。今思うと、アレは、東北などの冬の農閑期に出稼ぎにやってきた人達であったと思う。世の中の人々は忙しく働く反面、殺伐とした暮らしがあったため、若手は彼らの歌に救われ、年配者は演歌に癒されたのだと思う。上手く言えないが、影響を受けやすく、何事にも多感な年齢であった当時の若者の心に、そのまま救世主のようなアイドルとして残り、懐かしさやともすると熱狂的なファン時代のまま温められてきたのではないだろうか。その結果が、モリソンの40周忌のような光景ではないだろうか。
 これは、私には異様に映った。理解はしているつもりだが、ロック歌手やフォークシンガーに信仰的な崇拝者にはなれない。そこまでのめり込まないというか。年齢的にも幼く、社会を見る目として成熟度が足りなかったため、ロックやフォークシンガーに救いを求めるほど生きる糧を希求してはいなかったせいだと思う。
 集まったファンへのインタビューでそれが窺い知れる。

"I've spent half my life thinking about Jim Morrison. He was more than just a singer," said David Martin, who came from northern Italy with a group of friends in their thirties.

「僕は、ジム・モリソンのことを単なるシンガー以上の存在として、自分の人生の半分を生きたんだよ。」と、イタリアから30歳代の友人と共にやってきたデビッド・マーチン氏は言った。

 当時のロックは、世界を浄化するような志向があり、それに翻弄された若者達は、モリソンを崇拝していたのだと思う。
 このような感想を持った私がさらにちょっとびっくりしたのは、小説家の村上春樹氏がモリソンファンだったことだ(参照)。いや、ありうる話だが、先日カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチで「原発反対」を堂々と言ってのけた村上氏と何かがダブった。スピーチの感想は「原発のこれからを考えてみるに」(参照)で触れた。
 冷静に考えれば分かると思うが、原発は科学の力であり、日本の高度成長は原発なくしてはあり得なかった。しかし、先に、広島と長崎に原爆を投下され、敗戦した日本を生き抜いた親に育てられた村上氏らの世代に刷り込まれた物から想像するに、モリソンの40周忌に集まったファンと同じようなものを求めていたはずである。原発は、世の中を破壊してしまったものに過ぎないのかもしれない。これは理屈ではないんだろうなとは思うものの、「小説家、村上春樹」と重ねてしまい、発言は意外だった。
 岡本信康ファンがモリソンファンと若干似ているのは然もありなん事と、その様子をYoutubeで探したが、熱狂するファンの様子が見て取れる動画は見つからなかった(参照)。ただし、1978年、彼の作詞作曲である「山谷ブルース」などを歌っているコンサート風景で、手拍子や拍手を嫌う彼のポリシーは窺える(参照)。
 話は飛ぶが、初音ミクって知っているだろうか。アニメのキャラクターにヤマハが開発した音声合成システムで作られたヴォーカルパートを歌わせ、ヴァーチャルアイドルとして10代に人気があるらしい(参照)。私はあまり詳しくないが、調べると、このシステムそのものの精度に人気があるだけではなく、バーチャルキャラクターにも関わらず、この初音ミク本人(?)にも人気があるらしい。

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 先日ロスアンジェラスでコンサートがあったそうだ(参照)。これも、ジム・モリソンの40周忌を報じるニュースの直ぐ後にTwitterのTLに流れてきた。それに意味があったのかどうかは分からないが、40年前のモリソンファンと現代の初音ミクファンを並べて比較できるものではないと、最初は思った。なんと言ったらいいのか、私の感覚からすると唖然とする姿であり、この世界に嵌ってしまっている人の間で、何かとんでもないことがいつか起こるのじゃないかとさえ思った。

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 初音ミクの姿はアニメであり、架空の擬人だ。Youtubeでその歌うコンサート風景を見たが、手にトーチを持つファンがステージに歓声を送っている姿は異様な風景に映った。どんなに応援しても、歓声を発しても、またトーチを灯して共鳴を伝えても、相手はバーチャルキャラクターで無感情なただの映像である。それが当然承知の上だとして、では、あのファンの姿は何だろうか?陶酔の世界にいるのだろうか。ヴァーチャルという現実の中で陶酔しているということだろうか。ここに、現実の人や人の感情、肌のぬくもり等は一切ない。架空の擬人である初音ミクはただの映像だ。陶酔であるなら、早く目を覚ましてほしい。
 ジム・モリソンファンも初音ミクファンも、実在しないものに対して反応している姿という点で似ていると言えるのだろうか。理解できないでもないが、私は踏み込むことはできない。が、10年、20年後に私が生きているとして、あの世代はね、という語り口で何を言えるだろうか。なんだか私は、時代の移り変わりの凄い部分を生きてきたような気がする。

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