2011-07-18

[書評]空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」

 東北大地震と津波の被災による福島原発の被害は、今思えばこの程度で済んでよかったと言えるかもしれない。それでも毎日、原発関連のニュースを聞かない日はない。集まった多くの義援金が被災者の手に渡ったのは僅かその五分の一だと聞くと、政府の段取りの悪さを思わずにはいられない。特に今年の夏のスタートは例年よりも早く、意地悪くこれが泣きっ面に蜂で、既に猛暑の毎日である。信州の夏は、それでも都会の暑さよりは幾分か涼しく過ごせるとは言え、高温に対する耐力は弱い。過ごしにくい毎日が続いている。
 クーラーのスイッチに手をやるとき、使用電力の「15%カット」と言う言葉が呪いのように脅かす。まるで涼しさを求めるのが罪悪か、それは人間の弱さだと閻魔様が背後で仁王立ちして睨んでいるのじゃないかという気がしてくる。こんな時、いっそのこと15%カットに拘らずに今まで通り会社を営業し、家庭では普通に暮らし、それでブラックアウトしてみてはどうかと思う。電力供給を原発に頼らなかった昭和のあの薄暗いような暮らしに戻るのはわけないなどと我慢しないで、現代人に相応しい暮らしを市民が選択した結果としてブラックアウトすることは、政府への良いメッセージとなるのではないだろうか。昔のような抑圧的な国家主義の再来のような、電力がその一手段のようなこんな空気は真っ平御免と言いたい。もっと言うと、昭和の当時を知らない今の若い人達も、他人が書いた文字からしか汲み取れないようであるし、経験のためにも一度そうなってみれば科学が物語る意味が理解できるのではないだろうかと思う。例えば、「福島原発が世界に残すかもしれないひどい遺産」(参考)の真意など、まるで理解できていない。
 自分の理解力不足で意味が分かっていないかもしれないなどの疑問すら感じられないコメントもあるが、人の書いたものに批判的に反応していうるうちは、自分の考えは持てない残念なことになる。一度経験すれば、電力供給の今後のあり方について、他を批判するだけには終わらずに実のある考え方にならざるを得なくなると思う。
 なんとなくフラストレーションが溜まって、その爆発をまるで避けるかのようで、このところの心持ちに息苦しさを覚えていた。止まる止まると怯えていないで、皆で一度ブラックアウトと言うものに遭遇して、それがどれ程のことか体験してみたらどうかと思っていた。懲り懲りして電気を使わないのではなく、懲り懲りするからこそもっと安全に安心して電気が使える日を創造するということではないだろうか。わざわざブラックアウトしなくてもよさそうなものだが、菅直人総理の世代は実体験しないと分からない世代の人達だから仕方がない。そんなことから、科学の力を信じて未来構想を画策してはどうかと思っていた。

Photo

 昨日、これからのエネルギーは一体どんなものになると良いのだろうかと思いながら、ネットサーフィンしていた。「藻で作る油」という火力発電源としてはクリーンな油の精製技術を研究しているという記事を見つけ(参照)、何でもいいから科学する事を続けることに意味があると、嬉しい気持ちがした。「魚油のチェーンはそこに行き着く。」と知って少し調べたら、既に燃料として使われていることを知った。未来に実現しようという研究者の存在は、それを知っただけでも明るく嬉しかった。
 夕方、「サンフラワーサンクチュアリー」(参照)という空想未来小説の短編を読んで驚いた。菅さんがその孫の代に、トリウム炉を遺しているではないか。そうか、とここで共鳴したのはキーワードが「ブラックアウト」であった。思わずにんまりした。結託しようぜ!とも思った。
 この小説は、菅さんの33回忌の翌年というシーンから始まっている。孫の二人が誘い合って菅さんの墓参りに行く直前の会話だ。姉は直子という菅さんの直人から一文字もらっているが、性格は奥さんの伸子さんに似ていると弟の伸男が見ている。ふむふむ。姉は40に手が届いているのだろうか、首相で、弟も35歳にして独身という設定。姉は、この夏のブラックアウトの時にどうやらできたらしい。そうか、ブラックアウトしてしまった世の中でじゃ人は暇になるし、夜もテレビでナイター観戦するでもないだろから暇つぶしにできた子どもだな。それを弟が笑っているというような描写は、今の若い人には書けない芸当だと思う。このような昭和な感覚が文中に潜んでいるのが笑えてしまった。これが分かる人がどれだけネットの世界にるだろうかと思うと一々脚注をつけたくなったが、野暮なことはやめておこう。因みに、菅さんの息子さんの話が丸で出てこないので調べてみた。Twitterにはご健在のようだ(参照)。
 面白いのは今の中国が「新清国」となって朝鮮はどうやら国としての存在はなくなっているらしい。つまり、この当たりはマジに昔、中国は満州族の王朝のことで、朝鮮は清国の属国であった。これが未来では合併して「新清国」になるらしい。北朝鮮も韓国もこの頃には統一されているのかな。
 これも内容と重なっておかしくなったことの一つだった。昨日、アメリカへの韓国移民が減りつつあり、中国の韓僑が増え始めていると言う情報から少し調べてみたら、メキシコの例がそれを実証していると結びついたことだ。昔「後進国」といわれた現在の「新興国」である中国、韓国、インド、ブラジル、メキシコなどの国は、経済成長率5~8%と、目覚しい成長を遂げている。これもアメリカの量的緩和政策による影響もあり、ドルが流入してインフレを起こしている。また、こういった経済成長が目覚しい時代は日本は既に通り過ぎているからよく分かるが、メキシコなどは子どもの数が減って一家の生計が楽になってきている点もその要因だと分析されている。これについては、機会があったら書きたいと思っているが、中国も一人子政策が功を奏して、一家の暮らしが楽になっていているのはあると思う。経済成長していると言われている割りに暮らしぶりがイマイチなところが皴寄せの原因だろうか、韓僑傾向にあるのは納得できる。そして、中国と統一朝鮮が一緒になって「新清国」になる話につながってもおかしくないと想像をめぐらせて楽しかった。現在の動きはその未来像へ向かっているのかと思うと、脅威としてではなく、穏やかに見守りたいという気がしてきた。なんだか不思議な現象だ。
 そして、私達の住む都市構想はこんなに具体的。

50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。今では新清国への売り込みも始まっている。

 鉄腕アトム世代としては、科学技術の可能性に挑戦しないような時代って生きている気がしない、という感覚を呼び覚まされた感じがしたな。久しぶりに。この短編小説は、奇しくも筆者の夢がたっぷり潜んでいる。こういう言い方は良くないかもしれないが、現実の菅さんの未来では、褒め称えられる姿はこのままではあり得ないと思う。そういう名誉を重んじているわけではないのかもしれないが、私達市民からは高嶺の花であるところへ登りつめたのだから、どうせならそこで咲いて欲しいと思った。だから、生まれ変わるという意味でも、小説では亡くなったお爺様という設定も良いと思ったし、世襲の息子ではなく、架空の孫という時空を置いた設定が良いと思った。この時空は、想像をめぐらすための良い空気に感じられた。

cover
「反核」異論 (1983年)
吉本 隆明
 現実と空想がどこかでリンクしながら、ともすると実現性のある話だと期待感も持てるような、そんな不思議さの残る小説である。
 そうそう、せっかくなので書籍のご紹介。吉本隆明氏の「「反核」異論」などは、原発に関する考え方の間違いに気づける良書だと思う。(一部抜粋)

 知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即時的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したのと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイに対する本質的な認識である。すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。山本啓の言辞に象徴される既成左翼、進歩派の「反原発」闘争が、着実に敗北主義的敗北(勝利可能性への階梯となりえない敗北)に陥っていくのはそのためだ。こんなことは現地地域住民の真の批判に耳を傾ければすぐにわかることだ。

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