暑さを吹き飛ばす話題でも
ここ数日涼しい諏訪だが、温暖化が言われ出す前の諏訪の夏はこんな感じだったのを思い出していた。暑い東京からやってきた私の自慢は、涼しい信州の夏だった。クーラーを必要としない夏の空気が如何に美味しく健康的であるか、それを自慢げに味わったものだった。その感覚がここ数日で戻ってきて、嬉しく思っている。
一方、都会では暑さが戻りつつあるにも関わらず、困った問題も浮上したようだ。これから夏が本番だというのに関西電力では、他の電力会社から調達してくる予定の29万キロワットの電力が、機器のトラブルによって受電できなくなることを報じていた(参照)。政府の10%以上節電の要請が25日から始まるというのに、受電設備の復旧の見通しが立たないため、かなりの節電体制となる見込みらしい。調達先はどこかと思えば、それは明らかにされていないと報じているが、その理由が分からず政府のやることは謎めいた話ばかりだと思った。ますます暑苦しい気分になるようなニュースばかりが流れているので、暑さに負けないお話しを今日は一つ紹介したい。題して、「夢の宇宙太陽光発電、福井大などが装置研究」(参照)。なんか、太陽光発電を宇宙単位でぶち上げるんですか?!すごっ。と、この記事に飛びついた。こんな風に紹介している。
天候や時間帯に左右されない太陽光発電の実用化に向け、福井大大学院の金辺忠准教授(工学研究科)が、宇宙空間で太陽光を効率的にレーザー光に変え、地上に送る装置の研究を宇宙航空研究開発機構(JAXA)と共同で進めている。
装置が完成すれば、地上で受け取った光で発電し、原発1基分にあたる約100万キロ・ワットをまかなえるという。
反射鏡形の装置(縦約200メートル、横約2キロ)を約3万8000キロ上空に飛ばす。金辺准教授は太陽光を吸収・透過しやすい素材を開発。この素材を装置に組み込み、分散している太陽光を“整列”させてレーザー光に変換する。レーザー光は真っすぐな光のため、太陽光よりも強い光を地上に届けられるという。
地上での太陽光発電は、光の差さない夜間に発電できず、雨や曇りだと発電効率が落ちる欠点がある。人工衛星などに太陽電池パネルを搭載し、宇宙空間での発電も行われているが、効率的に光を地上に送る技術が確立されていなかった。
JAXAは2025~30年をめどに試験装置を設置する予定。金辺准教授は「太陽の無尽蔵のエネルギーを活用でき、石油など化石燃料も不要な夢の発電方法。実験を重ねて実用化を目指したい」と話している。(2011年7月24日 読売新聞)
なんか前に聞いたことがあったが、これはうろ覚えだ。私の興味の程は、危機感がないと全く関心が向かなかったとしか言えない乏しいものだ。早速、どんなものか、日環特殊株式会社のホームページの画像を借りてきた(参照)。
とても分かりやすい画像だ。巨大な宇宙ステーションが宇宙に浮かんでいる風景は見慣れているが、その感じにそっくりではないか、と実現性への期待でわくわくしてきた。 地上だと夜間の発電ができない太陽光発電を、昼夜に関係なく採光できる宇宙を舞台に発電計画が立てられるなんて凄いな、その発想が。
ところで、こちらは地味だが、大規模な太陽光発電の話もちょっと耳寄りな話がある。市町村規模の発電所計画の実例だよ。
中央高速道路を飛ばしている最中、太陽光発電で見慣れたパネルがずらっと並んでいる光景をある日発見した。その風景がしばらく続くため、なんじゃこりゃときっと誰もがびっくりするのではないだろうかと思った(画像の右端が中央高速道路)。
家に帰って直ぐにその施設が何であるか調べて分かった。山梨県の北杜市営の「北杜サイト太陽光発電所」として平成23年からスタートした発電所だった。「人と自然が躍動する環境創造都市」を目指して始まったそうだが、そもそもは、1997年の京都で行なわれた地球温暖化防止のための議定書に沿って研究開発を始めたようだ。NTTファシリティーズという会社の公募で北杜市が選ばれ、2006年から着工されて研究が始まり、今年3月で研究の終了と同時に北杜市に移管されたということだ(参照)。
太陽光発電だけではまだ市全体を賄うだけの電力量には満たないまでも、この計画が素晴らしいと思ったのは、市町村単位で発電所を経営するという形態だった。この発電所を知ったのは、311災害の直前の週に東京へ車で走った時で、特に電力への危機感などはなかったが、市町村の事業形態として将来性のある発想に着眼点があった。そして、先日、極東ブログの「空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」」(参照)で描かれていたこのフレーズが私の脳内に戻ってきた。
50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。
これを読んだ時に「これだ!」と、北杜市の発電所の事を咄嗟に思い出していた。 国の政策で市町村が管理されるとろくな事がない。このことは、この度の震災でよく分かった(参照)ので、発電事業を市町村単位で賄うのはいい案だと思った。市町村単位の発電事業を推進するような発想を持つ議員がいたら、絶対に一票を投じると思ったのは冗談ではなかった。
これが実現した社会を想像してみた。東電が国に管理されることから開放され、私企業として市町村の生み出す電力事業と競合するような形態をとるのは、会社のあり方としては健全ではないだろうか。そうなると、政治家や政府がそれぞれの役割で健全に機能する社会にも成り得ると思う。そして、日本経済を支えてきた自動車産業だけに頼らない新たな事業として市町村が発電に取り組むのは、生産から消費の一環性を持ったバランスの良い社会が実現するのではないだろうか。
世界に向けたグローバルな計画は一部では進めるとしても、足元を固めるために地域で何ができるかと考えた時、自ら生み出すことで活気を取り戻したいものだと思った。電力事業に限ったことではないが、こういうことを模索すると元気が出て来るものだ。
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