「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」村上和雄-神様を信じない私が毎日祈っているし
![]() 奇跡を呼ぶ 100万回の祈り 村上和雄 |
「奇跡を呼ぶ100万回の祈り(村上和雄)*1」の書評(参照)を読んで、久しぶりに不思議な思いが残った。と、同時に、恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。この話は後に触れるとして、今回の書評には「本書は、○○である」のような紹介が全くないことに気づいた。一箇所小さくあるにはあるが、極東ブログの書評では珍しいことではないだろうか。だからだろうか、文字からの理解ではなく、感じながら読むことにつながった気がする。そして、テーマは「祈り」である。
実は、この本のタイトルを見た印象は、いかにも宗教という印象だったが、そうではないらしい。でも、極東ブログの書評でなかったらパスしていたと思うし、読んで見ようなどときっと思わないだろう、本だ。が、様子が違う。「祈り」と、私がこれまで思ってきたこととはちょっと違う。しかも神様の存在を信じないと言っている自分が、実は、祈ってばかりいる。なんじゃこの矛盾は。それが赤面することにつながるのだが、とにかく私も読んでみることにした。
個人的な話しをすると、以前にも書いたが、今まで宗教に嵌ったことも神の存在を信じたこともないし、これからもないと思う私だ。昔、聖書は読んだよ、という程度の関心しかない。この感覚は、書評を書かれたfinalvent氏もどうやら同じなのか、冒頭には、本書のタイトルについて同じような感想を書かれていることからそう思った。ただ、宗教を学問として面白いと思ったことはあって、神学者の書いた本などは関心がある。また、矛盾していると自分でも思っていることに、神様の存在は信じていないのに自分の都合で許しを請うことはある。このことかと思った部分が、次の引用に触れてこうある。
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。書き写していて驚く。私はこれをよく祈る。祈りなんかしないと言ってるわりに、けっこう祈り続けている。信仰を失って久しいのに、主の祈りだけはいつも思い起こし口にしている。
「おゆるしください。」とは、祈りであった。願い事をかなえてもらいたく祈るというプロセスは理解できるが、許しを請うことを「祈り」に今まで含めていなかったことに気づいた。実は、この類の祈りは最近多い私だ。願って止まない思いは、届かないとも限らない。かなえられるかどうか誰にも分からない。これを、運を天に任すとも言う。だから、祈ったことがない私は、祈っても祈らなくてもどうせなるようにしかならないと、神様の決めたとおりぃ♪という調子だったが、それって祈っているじゃないの、と気づいた。そう言えば、長崎の浦上天主堂の懺悔の部屋に入って同じようなことを思ったなと思い出した。つまり、神様を信じずとも、祈ることへの矛盾に苦しむ必要はないよというメッセージを受け取った気がした。
書評の言葉を借りるなら、「祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」と、もう既に決定されていることでもある。啓示ということだろうか。
これがパウル・ティリヒの「祈り」の下りに続いたところで、嗚呼、もうだめだ、見抜かれている。この時点で降参のフラグが立った。
*1)著者について(Amazonより)
村上 和雄(むらかみ かずお)
1936年奈良県生まれ。1958年京都大学農学部農芸化学科卒業。1963年京都大学大学院農学研究科(農芸化学専攻)博士課程修了。オレゴン医科大学研究員。1975年バンダービルト大学医学部助教授。1978年筑波大学応用生物化学系教授。高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読を成し遂げ、世界的評価を得る。1996年日本学士院賞受賞。現在、筑波大学名誉教授、国際科学振興財団バイオ研究所所長。『生命の暗号』『アホは神の望み』(サンマーク出版)、『生命のバカ力』(講談社)、『スイッチオンの生き方』『人を幸せにする「魂と遺伝子」の法則』(致知出版)、『愛が遺伝子スイッチON』(海竜社)など著書多数。
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