2011-07-13

コリン・ジョイスというイギリス人ジャーナリスト

 たったの二年半だがイギリスに住んだことは、私の人生に影響と栄養を齎してくれたことではないかと思っている。いつ思い出しても、懐かしい遠い昔のこととしてではなく、自分自身の中で醸成されて行くというのか、自分自身の感じ方が更新されて行くみたいだ。第二の故郷のような存在になってきているのを感じることもある。気づかない部分でイギリス流を比較に出して「どうだいイギリス、凄いだろ」と、自慢したくなるような時さえある。

       コリン・ジョイスのプロフィール参照
 つい先日もNewsweek日本語版のコリン・ジョイスのコラム「紅茶を愛するイギリス人は過去の遺物?」(参照)を読んで、私がここの料理コーナーで嘆くようなことと似たような感じ方に共鳴したばかりだった。日本の食文化が変わるのも、紅茶が茶葉からティーバッグに移行しつつあるのも理屈ではなく、時代としか言えないけれど、昔ながらのものを愛する自分は、古いものになってゆくだけなんだな。ジョイスさん、自分が時代の遺物になって行く寂しさや侘びはこれからもっと深まって、そのうち苦しみのようになり、諦めや受容という段階を踏みますよ。と心の中で、コラムの向こうの彼に話しかけていた。

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「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート
コリン・ジョイス

 昨日、Twitterのタイム・ライン上で私がフォローしている人物が、「[書評]「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート(コリン・ジョイス)」(参照)をクリップしていることに気づき、迂闊にもこのエントリーをスルーしていたことに気づいた。いや、スルーと言うよりは、エントリー自体に気づいていなかったようだ。なんか気持ち悪い。どうしてかといろいろ振り返ってみると、Yahooブログからはてなブログに引越しするなど、何かと気をとられていた時期で、他所様を訪問する気持ちの余裕がない時期であった。短い期間だったが、その真っ只中であったと思う。
 私がコリン・ジョイス氏のコラムを読むようになったのは、昨年くらいからだった。劇的な出会いのようなものはなく、Newsweek記事をここで取り上げるような時、たまたまイギリス人ジャーナリストと言うだけで目に止まっただけだった。歯に衣を着せない語り口が好きで、大げさな表現を使ってうけ狙いな感じの筆致でもなく、落ち着いて淡々と書く姿勢に好感を持って読んでいる。何よりも、イギリスと日本に関しての話は面白い。私は、彼の語りに登場するイギリスの話を読むことで、自分の中に焼きついているイギリスを少しずつ更新していて、それが読む楽しみのようにもなっている。その彼が、「抱腹レポート」をしたためていたとは。これは、彼が案内人となって、彼の感性で私の知らない日本を案内していくれるのだろうなと、今から待ち遠しい。
 書評で引用されているところだけでも笑えるのは、イギリスの正統派Gentsは公衆の面前ではかなりおすましていて、物事に動転したり感情をあまり見せないところがあるが、壁にぶつかって打ち砕かれている内面を赤裸々に書いているようで、自虐的なユーモラス精神を感じた。日本の習慣や生活に対して感じるイギリス人のそのままを、地で書くだけでもかなり楽しめる。そうそう、Mr.Beanことローワン・アトキンソン氏は、そのキャラクターでこっそり、イギリス紳士の滑稽さを教えてくれてもいる(参照)。
 また、finalvent氏がコリン・ジョイス氏を取り上げるきっかけとなった元外交官野上義二氏の移動人事にまつわる舞台裏と、その理由をすっぱり言い切ったジョイス氏をこのように書かれている。因みにこの野上氏に触れたエントリーは、2004年9月に書かれている。非常に面白く読ませてもらった。

私が、コリン・ジョイスを立派なジャーナリストだと思ったのは、「極東ブログ: 女王陛下、英国大使の野上義二でございます」(参照)で触れた野上義二の記事がきっかけだ。日本の聞屋たちは叩けるときは野上義二を叩いておきながら、英国大使昇進のときは批判をネグりやがった。「やっぱ、ばっくれやがったか、日本の聞屋」と思ったので、私はジョイスの心意気に応えるべく先のエントリを書いた。もっとも聞屋から見れば日本のブログなんてクズだ。読む価値もない。でも、グーグル様はそう見てないっぽい。野上義二で検索したら現状ウィキペディアについで第二位(参照)。え?グーグルだってクズだろってか。

 このエントリーは2007年6月に書かれているが、さほど昔のことでもないと思いつつ、日本の聞屋は相も変わらない。というか、劣化している。先日も書いたが、政権が交代した上、民主党がかつての自民党の劣化型になってしまったため、朝日などは何も言えなくなってしまっている(参照)。高級紙とは言えないが、一応日本の四大紙と言われている。ジョイス氏に言わせると日本の新聞は素晴らしいそうだ。本書に書かれているそういう部分を当時の認識として読むのはそうだとしても、この二年ほどで様変わりした実感はある。これは社説に関して特にそう思うようになった。読むべきものがないというか、情けない。これは、期待と裏腹な気持ちからだが、実際友人にもそう思う人がいて、新聞はやめた人も多い。
 私世代くらいが高齢者の範囲に入ってくる頃は、きっと日本の新聞需要はがっくり落ちると思う。既にネットでしか読まなくなっている世代が後に控えている。今の新聞業界を支えているのは高齢者だと思うし、読者層の世代交代が間近に迫っていることを実感し、なんとなく寂しい気もする。

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