8日のデモにまつわるエジプト情勢について雑感
8日、カイロのタハリール広場に集まった市民たち=ロイター
記事「カイロ中心部の広場で大規模デモ 改革遅れに不満」より
8日、エジプトの首都カイロ中心部にあるタハリール広場で、ムバラク前政権崩壊後の改革の遅れに業を沸かした市民たちによる大規模なデモがあった。と思っていたが、昨日のSekaiNippoのカイロ記者、鈴木眞吉氏が伝えているところによると、100万人の呼びかけに遠く及ばず、1万数千人であったようだ(参照)。
このデモは、2月の反政府運動を主導した若者グループや、最大の野党勢力で革命後に合法化された穏健イスラム勢力・ムスリム同胞団などが参加し、前政権の元高官らの訴追や改革の遅延に抗議するためで、激しく奇声を上げる様子を伝えていた(BBC)。ムバラク政権が崩壊したエジプトの現在の政治体制は、軍最高評議会が暫定的に統治する形であり、事実上は無政府状態が続いている結果だと思う。今後の民主的政治体制に大きな期待を持つ市民の怒りや苛立ちの方向は、2月の民主化運動を武力弾圧したムバラク前政権幹部の処分によっては大きな変革を見ることにもなるかもしれない。2月のクーデターに続き、今度は暫定政権を実質運営している軍にその怒りが向いた形となっているようだ。が、その軍も、このデモが平和的な集会という認識で、今のところ傍観姿勢に徹していると知った。
今回のデモでは当初、参加しないと公表していたムスリム同胞団が急遽、参加という動きになった。エジプトの最大野党であるムスリム同胞団は「アラブの春」後に合法化され、その幹部らが今秋、予定されている大統領選に無所属で立候補する意向を示すなどの動きもあるようだ。このことから極端な話し、エジプトの民主化運動の帰結は、イスラム原理主義の色合いを濃くする政権運営に向かうとも考えられる。軍政の改革であるクーデターで終わるのがやっとではないかと、エジプトの反政府運動に対して高を括っていたが、軍への反発がここまでに至るとは予想だにしていなかったことでもあり、この先の動向が気になる。備忘的に記事をクリップしておくことにした。
8日のハリール広場のデモに至った市民の軍への不満は、5月頃から次第に醸成されていたと思える背景がある。毎日が伝えている(参照)。
ムバラク前大統領を辞任に追い込んだ「革命」後、軍が暫定統治するエジプトで、軍に逮捕され、軍法会議で収監された市民が5000人に達し、革命で死亡した犠牲者への補償も遅れていることから、軍政への不満が高まりつつある。革命は評価しながら「以前よりひどい」との失望感が広がっている。
革命前後に警察や軍警察に逮捕された市民の家族と支持者らは数日おきにデモを行い、釈放を訴えている。今月中旬もカイロ市内で数百人が集結した。
軍法会議法は、市民の審理を軍施設での犯罪に限るが、暫定政府は治安維持のため市民にも適用している。活動家は「無差別に逮捕され、弁護士もなく短期間で判決が下されている」と批判。軍は今月初めの声明で「不明朗な逮捕は調査する」としたが、具体的な進展はない。
一方、革命で死傷した市民への補償も遅れている。
暫定政府が発足させた「事実調査委員会」によると、「革命」中の市民の死者は846人に上る。暫定政府は2月、死者に補償金5万エジプトポンド(約70万円)と年金を出すと発表したが、支払いは一部にしか行われていない。
この間、小さなデモはあったにせよ、5月から暫定政府の対応や経済的な不満などが積もり、冒頭の8日の大規模なデモとなったようだ。ここで、ムスリム同胞団が何故このデモに参加したのか、BBCの記事には言及がない。
推測になるが、革命は起こしてはみたが、その後の政権運営を担当し、主導権を握るのは、ムスリム同胞団という流れが自然で、これを政権交代のチャンスにしようと動き始めたのではないだろうか。政策は、市民が求める現実的な内容にシフトしたということだろうか。当初、「憲法第一」として拘束中の市民の開放などを訴えてきたが、ここでデモの目的を考えると、「革命第一」に政策を切り替えたのだろうか。または、この逆も考えられる。
ムスリム同胞団が積極的に現実的な動きにならざるを得ない理由として、青年たちの最近の造反もあると思う。このことはワシントンポストの7月5日記事で、5名の若手が造反したとして追放したと伝えていた(参照)。日本では8日の産経が、これについて踏み込んだ話を報じている(参照)。
【カイロ=大内清】エジプトの次期総選挙でカギを握るとみられるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団で、複数の若手グループが公式政党とは別の新党を次々と結成し、指導部に公然と反旗を翻している。若手団員らは、現指導部による上意下達の組織運営を「旧態依然」と批判、究極的には同国の「イスラム国家化」を目指しているとされるイデオロギーをめぐる溝も表面化しつつある。
具体的には、若手中心の新党が誕生し始め、他の既存野党やリベラル勢力との連携を図り始めている点や、若手から支持を得る有力メンバー、アブドルムネイム・アブールフトゥーフ氏が6月、大統領選に出馬表明したなどの動きもあるという。
理念の面でも溝がある。総選挙で躍進を目指す同胞団は最近、米国との接触も否定しないなど現実路線を強調してはいる。だがその一方で、指導部からはしばしば、「盗みを働いた者は、シャリーア(イスラム法)に従い手を切り落とすべきだ」(マフムード・エッザト副団長)といった、急進的な「イスラム国家化」を志向する発言が飛び出し物議を醸している。
にもかかわらず“造反”が相次ぐのは、非合法化されていた同胞団を厳しい監視下に置いた前政権の崩壊後、団員がおおっぴらに活動できるようになったことで内部の意見対立が表面化しやすくなったためだ。
こうなると、野党の最大勢力でり、合法化された政治団体としてのムスリム同胞団ではあっても、内部分裂がどの程度まで進むのかと言う懸念もある。だからこそ、政策路線を「革命第一」と方向性を変え、デモに参加したと見てよいのではないだろうか。
Photo: EPA(2011・07・01)
またアメリカは、イスラム諸国が民主化運動によって政治力をつけてきていると見て、イスラム政党との接触を図り始めている。これまで、イスラムをできるだけ避けてきたアメリカだけに意外なニュースだったが、エジプトの今後について興味深く、ある意味方向性を示していると感じた(WSJ)。
オバマ米政権は、中東・北アフリカに広がった民主化運動である「アラブの春」を受けて、政治力をつけているイスラム政党への接触を図り始めた。中東の民主化により、米国はこれまで遠ざけてきた人気の高いイスラム運動を直接相手にしなければならないことに気付いたためだ。
米国がエジプトとチュニジアのイスラム政党にアプローチすることを決定したのは、両国で行われる議会選挙後にイスラム政党が重要な役割を演じる可能性が大きいことを反映している。世俗主義者が中東・北アフリカの民衆蜂起を主導したが、世俗主義政党は組織化に四苦八苦しており選挙では多くの議席を獲得できそうにない。
イスラム同胞団の内部がやや分裂を呈しているとはいえ、他の政党が対立的に立ち上がる団結力はないと見てよさそうだ。
また、市民の声が政府を動かしたと思われるような決断が下ったようだ(参照)。
エジプトのシャラフ首相は、ムバラク体制に反対し立ち上がったデモ参加者殺害に関与した警察官すべてを解雇する命令を出した。これは、TVアルジャジーラが伝えたもの。
シャラフ首相は、カイロ中心部のタフリル広場で演説し、その中で「内務省への新しい指示書に署名した。デモ参加者の死に関与した者達の即時解雇に関するものだ」と述べた。 エジプト国内での革命的騒乱事件、所謂「アラブの春」の結果、およそ850人が死亡、6千人以上が負傷した。
なお、2月11日に権力の座を降り、現在身柄を拘束されているムバラク前大統領は、デモ参加者への発砲を命じた罪で、死刑判決を受ける可能性がある。これに関する裁判は、8月3日に始まる予定。
市民の声が政治に反映されたと言い切れるかどうか分からないが、民主化へと改革は一歩近づいたとも言えると思う。ただ、軍事評議会が政治の実権を握っている以上、基本的には何も変わらないという見方は強く残る。また、革命的な方向が望ましいか否かについては、意見の分かれるところだと思う。大きな犠牲を払った上、これ以上の不安定化を望まない市民も多いということは、今回のデモ参加者の数に現れていると言える。また、ムスリム同胞団が受けてきた軍による弾圧を思うと、様変わりした新派のような姿は想像しにくい。
エジプトが変わってきているということは実感しているが、市民の体力(生活)がどこまで持ちこたえるのかも気になる。先日、アラブ首長国連邦から30億ドルの支援を好条件で受けたこともあり、経済の立て直しは急がれる。また、これを機会に、エジプトを中心としたアラブ諸国の関わりなども注視したい。
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