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2011年7月

2011-07-31

音がでるiPad App、素晴らしいです!

 iPad用の楽器のアプリケーション(App)、エアー・ハープの紹介が極東ブログであった(参照)。ふっと、肩の力が抜けるエントリーで嬉しかった。短いエントリーだが内容は恋ぜ。今なら格安(85円)でAppが購入できるというお知らせもあるし、簡易チターという実楽器の紹介も含まれている。
 エアー・ギターなら知っているが、エアー・ハーブなんて聞いたことがないという人に、まずはこれを見てイメージしてみて!

 チター(独:Zither)という楽器は、ハープの小型版で弦の数も少なくて短い。音を鳴らす構造は、日本のお琴と同じだと思う。私はお琴なら弾いた経験はあるが、チターは手にとって見たこともない。実楽器が手に入るのなら欲しいと思ったが、せっかくAppの紹介があるのだし、いまなら85円とあって、まずはエアー体験してみた。
演奏の気分に浸れる!これ。
 紹介にある通り、かなり楽しくチター演奏の仮想体験ができる。で、エアー・ハープならではの体験として分かったことは、すでに触れている弦に別の指で触れても同じ音がだせること!ギターやお琴では、片方の指で弦の長さを調節するから音の変化が楽しめるのだが、よく考えたら、チターの弦の長さは音階ごとに調節された楽器なので、音階は見つけなくても良いのだな、これは。だから、iPadを置いて両手で演奏ができる。しかも先に書いたように、同じ弦に重ねて指を置いても、放して触れる動作をすれば何度でも続けて音が出せるので、複雑で深みのある演奏ができる。ランダムに指を動かすだけでもかなり良い響きの音楽に聞こえるから不思議だ。これを意図的に作曲して譜面を起こし、意図的に弾くことができたら素晴らしい楽器になるに違いないと思った。
 実は、ずっと前にiPadのジニアスで「Garageband」というAppのお勧めがメールで届き、当時850円(だったと思う)を買ってiPadにダウンロードしてある(参照)。ついでなので、これも紹介しちゃう。

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 なんと!今なら450円ですぞ。この使い方は、こちら☞。英語でしゃべっているけど、お姉さんの指の運びを一緒にやると納得できると思う。
 最初にエアー楽器の感動を味わったのが、このGaragebandだった。これがまた凄いAppで、私にもう少し作曲のセンスがあったらと悔やまれるが、フルバンド演奏も可能な位の楽器を取り揃えている。とても賢い。
 フレーズを設定し、楽器ごとに自分のビートに合わせて音をインプットしながら記憶させ、他の楽器も同様に同じフレーズで入力して音を重ねて行くだけ。この楽器の凄さは、例えばドラムセットのシンバルなどで体験できる。触れる場所によって音が変化するようにできている。また、ギターは、和音ボタンが弦のそばについているので、アルペジオと和音の組み合わせが同時にできる仕組みになっている。で、しばらくこれに夢中になって、少し作曲もして保存してある。
 これをどうやって使いこなすのかと思い、Youtubeで探すとあるある。

 皆さん、実楽器のギターなどと組み合わせて演奏しちゃっている(参照)。ピアノやギター演奏ができる人は、iPadをそばに置いて音をスピーカーに出力すればリズムボックス代わりになるわけだ。すごいこっちゃ。

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2011-07-30

菅さんの国会答弁は領収証の日付がどちらに転んでも二つの嘘が見えてくる

 昨日の参院本会議はNHKの中継が入っていなかったこともあり、菅さんが在日韓国人から104万円の献金を受け、それを3月14日に返金したことを表明したのは産経記事で午後に知った(参照)。早速、Youtubeに夕方、ビデオが上がっていた。

 この報告を知って、直感的に、菅さんは二つの嘘をついて逃げ通すつもりだと思った。今更騒いでも、事後承諾で逃げ切ろうとする菅さんを罪に問えるのかどうかは分からない。そんなことはしないというのならそれもそれ。私には、菅さん下ろしを担おうという意図もないが、間違いや嘘を容認した上、菅さんを応援する気持ちにはなれず、なんともすっきりしない。先日もこの領収証の件では、どう考えても腑に落ちない点があり、深い問題が潜んでいるような気がしたままだった(参照)。それが、昨日の産経が報じるた菅さんの報告で納得の行くものではないため、その不可解な部分を記録的にまとめてみることにした。
 結論から言うと、菅さんは、在日韓国人だと知って献金を受け取ったのではないかという点と、領収証に関する報告に偽りがあるのではないかという二点だ。
 前者は、立証しにくいこともありおそらく永久的に真実は明かされないかもしれない。だが、二点目の領収証の日付が正されれば、ともすると政治資金規正法ばかりか外患誘致罪にも問われかねない案件だと思う。現職の首相がこの罪に問われるなど信じがたいし、そのようなことが起こるとも思えない。理由は、重い罪だけに問われる前にみな辞職してしまうからだ。その良い例が前原元外相である。金額は、4年間で20万円と言われているが、前原氏は、在日韓国人であることを知って献金を受けたと国会であっさり認めた上、辞任してしまった。その職にない者を問える道理もなく、日本が大騒ぎする前にさっさと閣内からいなくなった。故意ではなくとも在日韓国人だと知って献金を受ければ、先の二つの罪に問われかねない事案だった。
 さて、菅さんの話に戻すと、まず二点目の領収証の偽り部分について、104万円の献金を返金した事を立証するための領収証の日付の点で、質問者と回答している菅さんの認識が違う点だ。以下の7月21日の国会の様子が掴みやすい(2011/07/21-12:00時事ドットコム)。

 参院予算委員会は21日午前、菅直人首相と閣僚が出席し、東日本大震災の追加的な復旧対策を盛り込んだ2011年度第2次補正予算案の総括質疑を行った。首相が、在日韓国人からの献金を返却した際の領収書の提出に難色を示したことに自民党が反発し、質疑は30分余り中断。理事による協議を踏まえ、前田武志委員長が領収書提出の可否を同日夕までに報告するよう首相に促し、質疑は再開された。

 委員会質疑では自民党の山谷えり子氏が、領収書の速やかな委員会提出を求めたのに対し、首相は「週明けのなるべく早い段階で(対応を)報告したい」と繰り返した。自民党は納得せず、質疑の続行を拒んだため、いったん休憩にして理事懇談会で対応を協議した。

 この問題をめぐっては、7日の同委で自民党の礒崎陽輔氏が、首相が受けた計104万円の献金について「3月10日に神奈川県の保土ケ谷パーキングエリアで、首相のスタッフがこっそり返したのではないか」と指摘。首相は「弁護士から、現金で3月14日に返金したと報告を受けている」と否定したが、自民党の要求を受け、同委は首相側に領収書提出を求めていた。

 昨日産経が報じた菅首相の報告の通り、7月7日にこの件が発覚してから一貫して「3月14日に返金し、領収証ももらっている」と答弁してきた。
 ところが7月7日、礒崎陽輔参議院議員(自民党)が返金の経緯を問い正し、報道前の「3月10日に保土ヶ谷PAで首相のスタッフが現金手渡しにより返金した」との情報をつかんでいる、と質疑した。これに対して首相は弁護士に任せていると答弁したため、磯崎議員は理事会にて領収書の提出を求めた。また、すでに在日韓国人の献金者は事情聴取を受けている事と、この献金者との利害関係が分裂したことを考え合わせると、「保土ヶ谷PA」という言及は生々しい。推測だが、これは事実ではないかと思う。ただ、この推測の上に妄想を加えても事実が引き出せるわけでもない。そこで、記事にある国会中継のビデオでその部分についての質疑応答を確認した(Youtube☞)。

 このビデオのスタートから3分30秒地点から約3分間で、保土ヶ谷の密会の件と、返金日について微妙なやり取りがある。磯崎氏はこう言い残している。

震災当日の3月11日の決算委員会で始めて知ったと答弁しているが、もしも、10日に返金していたとしらこれは大事になると言うことだけは申しておこうと思います。

 そして、7月21日、選手交代して山谷えり子氏から、先の予算委員会で磯崎氏が求めていた領収証の提出を再度要求されるも、これを拒否した形となり、議事が紛糾した(Youtube ☞

 領収証の日付、つまり返金日について両者の言い分が物別れになっている。ここで整理してみた。
 両者の主張するそれぞれの日から仮定してみると、磯崎氏の主張する3月10日の場合、3月11日に初めて知ったと答弁した菅首相は、虚偽答弁したことになる。菅首相の主張する3月14日の場合、保土ヶ谷PAで現金を手渡しで返金したことが証明されれば、領収書捏造になるのではないだろうか。また、前者である3月10日であれば、在日韓国人だということを知っていたという可能性も出て来る。つまり、発覚前に証拠隠滅を企てた可能性もあるということではないだろうか。そうなると、物騒な話だが、外患誘致罪ともなりかねない。因みにこの罪は、外国と通謀して日本国に対して武力を行使させることを内容とするとあり、量刑は死刑のみとある。
 また、政治資金規正法に抵触すると公民権停止の対象となり、選挙権はなくなり、勿論議員でもいられなくなる。
 話のぶり返しになるが、前原前外務大臣は、外国人献金問題で辞任という良い前例を作ったとは思う。が、メディアは市民に真実を伝えて本当の意味でよい教訓とさせてくれただろうか。振り返ってみると、その価値を下げたのは、メディアだったのではないだろうか。
 当時の朝日新聞社説は、次のように述べていた(参照)。

 自民、公明など野党は、参院への問責決議案提出も視野に、前原外相の辞任を求めている。民主党内でも、辞任やむなしとの声が上がっている。
 しかし、この問題はまだ表面化したばかりだ。女性から献金を受けることになった経緯や献金の総額など、前原氏による事実関係の調査と、国会や有権者に向けた説明はこれからである。
 「事務的なミス」(民主党の岡田克也幹事長)なのかどうかを含め、解明すべき点は多い。辞任か否かの判断はその後のことだろう。
政治的駆け引きのなかで、重要閣僚の進退がこれほど短兵急に取り扱われる展開には首をひねらざるをえない。
 予算案と関連法案の修正が焦点となるなか、野党が政権打倒一辺倒になって世論の共感を得られるだろうか。
疑惑の当事者には、まず徹底して説明責任を果たしてもらう。それすらしないという強硬な態度は論外として、辞任で手早く幕引きにするというのも責任ある姿勢とはいえない。

 かつての朝日の記事の勢いを知っている世代である私からすると、この記事は朝日らしくはない。これが自民党だったらと思うと、叩く程度で終わっているかどうかを疑うような勢いだった。その朝日が、これほどに静かで、ちょっと間違うと前原擁護とも言われかねない内容にとどめているのも民主党だからだろ、と思う。であれば、徹底的に菅擁護となるように社説子の筆致で、一貫してどこまでも擁護して貰いたいところだ。だが、事案が致命的なため、おそらくこの件に関して触れられることはないだろうと思う。

 極東ブログでは昨夕、この件で詳しく検証されているが、私とは少し違う角度でもあり、大変興味深く読ませてもらった☞こちら菅直人首相はたぶん、嘘をついている

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2011-07-29

夕顔の話でも-夕顔と鯖の旨煮

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 夕顔というとせいぜい花のことか、源氏物語に登場する「常夏(ナデシコの古名)の女」の事を思い出すくらいだろうか。これで源氏物語がでる人は読書好きで、日本史にも詳しい人かもしれない。まさかに、あの干瓢(カンピョウ)がそれだと私は、思わなかった。干瓢料理と言えば、巻き寿司には欠かしたくないあの細長い煮物が多いかな。因みに、すし屋さんのレシピまでここにはあるよ☞参照。あの甘く醤油煮したものが、からからに乾燥した白い紐からできていることを知らない人だって多いはずである。自分で料理しなくても出来合いで済ませることも多くなった近頃では、こういうことは珍しくないし、知らないからと言って恥でもない。だが、ここ諏訪で、夕顔が干瓢の原料だということを知らないのは、恥ずかしいことかもしれない。それくらい干瓢がこの土地と密接な関係にあると思っても良いと思う。

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 夕顔がこの諏訪に多い理由は、寒天や高野豆腐、塩丸いかなどと並んで保存食文化の流れだと思う。周知の通り、長野県には海がない。代わりに山ばかりである。夏場に収穫した野菜などを乾燥させたり塩漬けにして保存し、野菜の少ない冬用に何とか蓄えようと、このような文化が盛んになったのだと思う。それが、今でも続いているのは、手製は他と比べようもないほど美味しいのが理由ではないだろうか。野菜の自然の味が、素朴な味付けで生き返ってくるようで、気持ちも満たされるのが嬉しい。また、どんなに不恰好なできばえの野菜でも、自分で耕した土が育てた野菜は可愛いものである。

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 偉そうな言い方をしているが、これもここ数年、自分で野菜を育てるようになって初めて実感が持てたというものでお恥ずかしい限り。
 さて、あの細長い干瓢を作るからには、実が沢山ないとできないわけで、どれ程の大きさを想像されるだろうか。聞いて驚くなかれ、今まで見た中で一番大きなのは長さが80cmくらいであった。太さは、大人の大きな手を三つ広げて囲む位、と言えば想像つくだろうか。これが、ごろごろと畑に転がっている風景は、壮観な眺めであることは言うまでもない。
 作り方は、2~3cmの輪切りにして、種の入っている綿のようなふわふわした部分まで、包丁でりんごの皮むき要領で薄切りするだけである。これがかなり長く続くのは、あの干瓢を想像してもらえば分かるとおりである。これを日陰で乾燥させれば出来上がる。手製の干瓢が食べられることはかなりの幸せ者で、自家製を食べてみたいと話すと、ご近所から直くに届くのでありがたいものだ。
 それで、まだ話しがある。夕顔とは干瓢にするだけのものとばかり思い込んでしまったのも恥ずかしいお話しで、実は、いろいろな料理で味わえる。ここでは、スープ(参照)や炒め物(参照)、蒸し物(参照)料理などで紹介してきた。夏場の瓜なので、水を沢山含んでいるため火が通りやすく、ツルンとした喉越しには感激する。夕顔と似て、冬瓜もその喉越しが楽しめるが、収穫時期は夕顔よりもやや遅い。真夏の冷たいスープは、夕顔でも楽しめる。

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 今日は、揚げ焼きの鯖と一緒に煮込んだ料理にしてみた。当初はここでレシピを紹介するつもりはなかったが、作りながらおいしそうになってきたため、黙っては入られなくなったのがこのエントリーを書くに当たっての経緯である。だから、美味しい。

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 鯖の切り身に片栗粉をまぶして香ばしく揚げ焼きにし、炒めた夕顔と一緒に煮込んだ料理でだけだが、味のポイントは、鯖のコクのある出汁と夕顔の甘みで、これだけで十分味が引き出せる。オクラを加えて最後に軽く醤油で香り付けする程度で出来上がる。時間があれば冷めてから冷蔵庫で冷やすと、なんだかビールや冷酒のおつまみにもなると思った。酢を加えて煮込んであるので、嫌味のないさっぱり感がとてもよかった。是非、お試しあれ。

材料

  • 夕顔・・300g(皮をむいて種を出して150g)
  • オクラ・・6本
  • 生鯖・・三枚下ろしの半身
  • 塩・・小さじ1
  • 片栗粉・・大さじ2
  • 水・酒・酢・・各半カップ
  • 醤油・・大さじ1
  • 生生姜・・みじん切り大さじ2
  • 鷹の爪・・1本
  • 細葱・・適宜

作り方

  1. 夕顔の皮の緑色の部分を剥いて中心の種の入っている綿の部分も取り除き、3cmほどに切って水にさらす。
  2. 鷹の爪の種を抜きとり、生姜をみじん切りにする。
  3. 鯖の骨を抜いて2cm幅のそぎ切りにし、片栗粉をまぶして余分な粉を叩き落とす。
  4. フライパンに大目の油を引いて中火で3の鯖の皮目を下に並べ、両面を香ばしく焼く。
  5. 4のフライパンの油を払って大さじ1ほどの油を引き、1の夕顔の水気を切って鷹の爪と一緒に炒める。
  6. 油が回ったところで水、酒、酢を加えて蓋をし、夕顔が透き通るまで約5分煮込んで火を一端消して余熱で火を通す。
  7. 夕顔がすっかり透き通ったら夕顔の上に3の鯖を並べて生姜のみじん切りと醤油を加えてさらに5分煮込む。
  8. 片栗粉が余っていたら水で少量の水で溶いて加え、とろみ付けにする。
  9. 味が馴染んだところで鍋を振って上下を軽く返して器に盛り付け、細葱を刻んで一振りする♪

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嬉しい知らせかどうか微妙-パキスタンとインド両外相の会談について雑感

 約二週間前、アメリカがパキスタンへの軍事支援の一部を凍結させる事を決定した背景などをここで触れて以来、パキスタン情勢について気になる動きは特になかった。気になっていたのは、アメリカ支援の一部凍結の一方で、中国がパキスタンを支援する声明を出していた点がまず一点。それと、2008年のパキスタン人グループによるムンバイの高級ホテル襲撃事件に続いて、今月再びムンバイで襲撃を受けたため、インド市民は、シン首相の外交姿勢を非難するに至っている。こういったパキスタンとインドの緊張状態に、両国と外交関係を持つ中国の動きなどがやはり気になっている点として挙がる。
 幸いと言っては良くないのは承知だが、中国は、今はそれどころじゃない。先日の高速鉄道事故後の政府の対応に対して、被害に合った市民の怒りが湧き上がり、政府はその対応に追われているようだ。が、長期的な展望として、インドは、パキスタンに協力的な中国に対し、もしもパキスタンと戦争でも始まれば中国はどのような役割を果たすかと、難色を持っているようだ(参照)。
 こういった様子をやや緊張気味で見ていたが、パキスタンの女性新外相カル氏(33)とインドのクリシュナ外相(79)が27日、一年ぶりに会談に臨んだことを報じていた(産経)。この記事は、パキスタンを腐しているのか応援しているのか、会談内容がどうであったかは二の次になっているようではある。若年の女性政治家起用とあって、私の関心もそっちへ向いた。記事にはこうある。

“お飾り”か、新風か パキスタン初の女性外相・33歳カル氏
パキスタン外交は実質、軍が掌握している状況だが、カル氏はパキスタン外交を国際社会にアピールするには十分な容姿と経歴を備えており、対外的には潜在性の高さをにじませている。

初の女性外相に就任したカル氏は、パキスタン最大の東部パンジャブ州ムザファルガー地区出身で、同地区の州知事、州首相などを輩出してきた有力政治家の一員。名門のラホール経営大学を卒業後、米国の大学院でホテル経営学を学んだが、2003年の総選挙で当選したのをきっかけに政界入りした。

政権のカル氏登用の狙いははっきりしない。だが、パキスタンが男性優位社会で、女性の権利が守られないとの国際社会のイメージを変える狙いがあるとみられている。

 この記事には画像がない。「十分な容姿と経歴」が外交の鍵だとしたら、その容姿を見せてくれなきゃ記事が中途半端じゃないかと思い、AFPから引っ張り出してきた。

Screenclip

ニューデリー(New Delhi)で会談の前に握手するインドのS・M・クリシュナ(S.M. Krishna)外相(左)とパキスタンのヒナ・ラッバーニ・カル(Hina Rabbani Khar)外相(2011年7月27日撮影)。(c)AFP/Prakash SINGH

 パキスタン人に良くある目鼻立ちのはっきりした美人系であるが、「政権のカル氏の登用の狙いははっきりしない」とあるように、記事の「外交の鍵」という見方は、産経記者独自のものの見方のようだ。が、男性には、美しい人が起用されることは外交上のメリットと考える節があるのだろうか、未だに。まあ、ブスを目の前にするよりは美人の方が良いかもしれないが、だからと言って決まらないものが決まるというようなメリットなどあるだろうか。あると考える男性は、ちょっとおかしいじゃないかと思うが。ブスに対して失礼だワ、そもそも。
 冗談はさておき、このカル氏、産経が評価するほどの政治家かどうかは分からないが、家柄は政治家一族らしい。つまり、世襲だと思う。美人で世襲と言えば、話題を読んだタイのシンラック新首相も政治家としての経験はない。新興国はこういう傾向にあるんですかね。または、記事にもある通り、「男性優位社会」というレッテルを払拭するためだとすると、本当にそういう見方が男性にはあるのだろうか。女の私からは、美貌を武器に政治活動ができるともまた、意図的にやろうとも思えないが、007じゃあるまいし。あ、最も私はお呼びじゃないので自分のことを当てはめてもどうかとは思う。
 書いていて、やっぱり産経の記事には偏見があると思う。美しいと言って悪いわけではないが、それを何かに利用すると言う文脈で使うのは、言ってみればセクハラ的な要素を持った表現だと思う。これは頂けない。
 さて、何が言いたいのか支離滅裂になってきた。パキスタン外交で気になるのは外相が誰であっても軍が全てを掌握している国であるため、今回の人事もその軍が動いているのはそうだと思う。そして、パキスタン軍統合情報局(ISI=Inter-Services Intelligence)が潜伏機関として情報の漏洩に務めている。アメリカからの支援凍結が決定的になったのも、ISIの情報漏洩によってアメリカに不利を齎したことが原因だったとされている(毎日)。こういった背景から、美人でセレブなお嬢様系の女性を外相に起用するという姑息な発想ならありうることかもと思う。会談内容はどうであったか、AFPが少し言及している(参照)。

 クリシュナ外相は会談後、両国の関係は「正常な方向に」戻ったと述べ、今回の会談を評価。カル外相は「協力関係の新時代」と表現した。

 会談後の共同声明では、テロ対策や貿易促進、和平のための対話継続における両国の包括的な取り組みの構想がうたわれたものの、こうした楽観的なムードを裏付ける実質的な合意はほとんどみられなかった。

 パキスタンとインドが和やかなムードで会談ができたというのであれば、それに越したことはない。一年ぶりで再開できたことは良いきっかけであったと思うが、内容は、充実していたとは言いがたいようだ。

追記:Youtube「インド パキスタン 経済関係強化へ 米国支配脱却 歴史的出来事?【重要】」は、和訳のテロップが流れ、分かりやすい☞参照

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2011-07-28

雑感 関心事と現実問題がすれ違っていくこと

 「竹島の領有権を主張する事の意味について雑感(参照)を今朝ほど書いた後、さらに竹島についてネットで調べていたところ、極東ブログ「雑感 関心がすれ違っていく」(参照)に遭遇した。書かれてる「書く」自分に向き合う内面の部分に共感のようなものを覚えた。それに触れて少し「あとがき」として書いておくことにした。

 極東ブログのエントリーとはあまり内容的には関係ないが、気持ちの持ちようのような問題かなと思っている。初めて竹島の事をここで書いた時(参照)と、今朝のエントリーを書いている自分の気持ちが、書くことについてきていない。これは、何か内面で無理をしていると感じていた。それは竹島の問題というよりは、それを取り上げて何を言いたいのかという書き手である私の問題と、現実に起こっている事実との間にすれ違いのようなものを感じているからかもしれない。

 竹島を取り戻すことは既に不可能であろうと思っているが、だからどうすればよいのかという問題に掘り下げる事に行き詰まる。それを人に訴えたいでもない。その上、人々の関心はどこにあるのか、それも掴めない。放っておけない何か漠然とした現実問題を宙に浮かせているような気持ちになり、書くことに躊躇するような気持ちになる。

 ブログが何を取り上げるかというのと、個人の関心と社会への訴えかけのバランスみたいのは、どことなくむずかしい局面にはあるような気がする。

 この部分で、バランスをとることが非常に難しいと思い始めているということなのだとは思っているが、ではどうするかという答えは出せない。

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竹島の領有権を主張する事の意味について雑感

 昨日、韓国の東亜日報の社説「日本政府と政界は軽はずみな行動を慎むべきだ」をTwitterで知った(参照)。こう言ってはなんだが率直な印象として、感情を剥き出しにした筆致で、新聞社説というよりは、ブロガーが個人的な思いのたけを自分のブログにぶちまけているのなら話は別、と括れるような内容である。が、それが韓国が持つ日本に対する率直な感情なのだろうと解釈した。繊細な問題であるし、100年以上も前から解決できずに物別れになっている竹島問題であるため、日本の民主党の手に負えるものではないと私は思っている。7月16日、「竹島上空を飛行した韓国に対する日本政府の対応について雑感」(参照)では、私としては初めて日韓問題に触れて書いた。個人的には、この問題を大きく捉えるのは難しく、何か事あるごとに書き留める程度の書き方になるかもしれない。それでも少しずつ韓国を理解して行きたいと考え、この度の動きも押さえておくことにした。
 社説の背景となっているのは、自民党の視察団が8月1日から4日で予定している韓国の鬱陵島(ウルルンド)訪問計画である。これに強く反対する韓国は、この計画の発端になっているとする日本の竹島の領有権の主張が背景にある。大韓航空のエアバスA380の就航を記念する飛行が竹島上空で行なわれたことに対して松本外相がメールで関係省庁に、大韓航空機の公的利用を一ヶ月間禁止する通達をした。これに抗議した韓国政府の態度に対して牽制する意味でも、韓国が建設中の独島博物館を視察しようと計画した。これが、今回の韓国の感情を一気に噴出させた原因となっている。
 先の東亜日報社説の一部を引用することにする。

日本の自民党議員4人の鬱陵島(ウルルンド)訪問計画は、日本の「国の品格」と日本人の良心を改めて考えさせる。彼らは、来月2日に鬱陵島を訪れ、独島(ドクト、日本名・竹島)博物館を視察する計画だという。日本の議員がどれほど韓国を見下し、鬱陵島までやって来て独島が自分の土地だと言い張ることができるのだろうか。

日本外務省は18日から1ヵ月間、すべての職員に大韓航空の利用禁止令を下した。先月16日の大韓航空A380の独島上空テスト飛行に対する抗議の意思表示ということだ。外務省が話にもならないけちをつけ、今度は野党議員が常識以下の行動に出たのだ。日本の裁判所は21日、日本の弁護士も「最悪の判決」と酷評する判決を下した。東京地方裁判所は、日本の植民地支配期に強制徴用で生き残った韓国人を死亡したと処理し、戦犯と合祀した過ちの是正を求める訴訟で、「死亡者の名前が載っている霊璽簿は神の領域なので、いかなる表記も修正することはできない」という靖国神社側の手を取った。

 冒頭からいきなり靖国問題に入っている。これを読んで、日本の野党の視察団が訪韓することに、これ程までに怒る必要がどこにあるだろうかと、韓国の過剰な反応に正直驚いたが、本気なのだとも感じた。それだけに、自民党の視察団がどれ程の意味を持って視察に挑もうとしているのか知りたくなった。
 少し長いが、Youtubeで外務省の官僚と自民党の数名による「領土に関する特命委員会2011・07・15」で、8月1日からの視察に向けた協議の様子を聞いた。

 外務省のメンバーが繰り返し「こちらは領土問題を話し合いたい。韓国は、靖国問題で反省がない。その一点張りでそこから話しが進まない。」と説明している。これに対し、野党議員(新藤氏)は口調を荒げて「竹島が日本の領土であることを主張しなければならない」と、この発言も協議というよりは、両者の主張を出し合っているだけで、具体的に踏み込んで議論するという内容ではないと感じた。印象として、野党メンバーには意気込みはある。が、韓国が燃え盛る火事現場だと仮定すると、その中へ防具無しで飛び込むような状況になるのではないかという印象を持った。外交のことは分からないが、この委員会にないのは政府の代表団という位置づけで、日本の政治家が訪韓することに感情論を持ち込む韓国政府に対して、政府同士の対等な立場で話しができないのが問題点ではないだろうか。その難しさを外務省の担当官が何度も説明を試みているが、この会合では野党メンバーの心に届いたとは思えない。
 かくして日程の通り訪韓する方向で昨日きたところ、韓国から20日、正式に声明が出されたようだ(参照)。

【ソウル=黒田勝弘】領土問題関連の自民党議員団が来月初め、竹島(韓国名・独島)に近い韓国の鬱陵(ウルルン)島を訪問する計画を明らかにしたのに対して、韓国では「上陸阻止」論などマスコミや政治主導でまた世論がわいている。

特に強硬論を主張しているのは李明博大統領の側近の1人である閣僚の李在五・特任相(無任所相)。インターネットを通じ「独島を日本領と主張するための訪問なら韓国領土に対する主権侵害であり、絶対に許せない。あらゆる組織を動員し国民の名で鬱陵島上陸を阻止する」と“扇動”している。

 そして、日本では民主党逢沢一郎国対委員長が、国会運営中につき訪韓は避けて欲しいと述べている(参照)。が、同時期に小池百合子氏のクエート訪問を許可しているため、訪韓に関しては特別に意味があって中止を要請していると思われる。
日が変わって先ほど産経が報じていることによると、自民党石原幹事長から中止の要請があったようだ(参照)。

 石原氏は27日、鬱陵島訪問を計画した特命委の新藤義孝委員長代理らと党本部で約40分間会談。「韓国の状況は非常に厳しく、身の安全が保たれるか非常に心配だ」などと懸念を表明。さらに国会日程や政局が微妙な時期であることなども挙げ、視察を中止するよう求めた。これに対し、新藤氏らは「韓国を刺激しに行くわけではない。(視察を中止すれば)自民党の外交姿勢が問われる」と反発し、結論は先送りとなった。

 視察を予定しているのは新藤氏、平沢勝栄、稲田朋美両衆院議員、佐藤正久参院議員の4人。佐藤氏はすでに参院から海外渡航の了承を得ており、一人でも視察する意向を示している。

 後から引っ込みがつかなくなったという事だろうか。意気込んでいただけに中止となると体裁は悪いかもしれないが、韓国を本気で怒らせたら戦争になりかねない、という懸念も抱かないのだろうか。一人でも行くと話している佐藤氏の勇ましい姿は、元陸上自衛官であったからだろうか。
 率直と書いて、ここではこの率直という言葉が何度も出てきて、これは自分でもはっきり言いたいのだと自己分析しても始まらないが、率直に言って、子どもの喧嘩レベルだ。これを言うと、子どもに失礼じゃないかと石が飛んできそうで困ったな。理性的な判断を仰ぎたいとしか言いようがない。血走って、勢いでやるのは祭りだけにしておくれと言いたい。あなた一人の興奮で戦争に巻き込まれるのは嫌ですと言いたい。
 では、私はどう思っているか。私は、竹島を日本の領土とするためには、韓国と戦争して勝つ以外に道はないと思っている。では、戦争してまで竹島を日本の領土にしたいかと言われたら、そこまでして欲しいとは思っていない。その覚悟が日本の政治家にはあるだろうか。韓国は、中国や北朝鮮に挟まれて厳しい条件で国を守ってきている。北朝鮮の砲弾を受けた時も、応戦している。またそこで国民に、力不足を批判されて軍拡を意識している。負けん気の強い韓国と戦争をするような日本の姿を想像したこともないが、勝てるとも思わない。アメリカは、尖閣諸島とは違って竹島に関しては抑止のスタンスを取らないと思う。そういう覚悟があって乗り込むというのなら、仕方がない。市民から選ばれた政治家のすることであると、承服しないわけには行かない。

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2011-07-27

菅首相の資金管理団体が他の政治団体へ献金する理由は?

 先日、菅首相は国会で、自らの政治資金管理団体「草志会」が、北朝鮮拉致事件の容疑者が関係する政治団体に献金していた問題が取り上げられ、菅首相の歯切れの悪い答弁に批判が出ていた。この問題について、山谷えり子氏から領収書の存在を明確にするべきだとして、質問が何度か繰り返し行なわれた。私は、たまたまこの時間にこの様子をラジオのFM波を通して聴いていた。つまらない問題を取り上げるものだと当初思っていたが、菅首相が献金を受けているのではなく、献金した側であることは不思議だった。そもそもそういうことはあまり聞かない話である。しかも、その献金と拉致問題の何に関係があるのか、それさえも不透明だと思っていた。何が論点なのかよく分からないながらも、何か裏で動いているとしたらそれは何かと、気がかりではあった。未だに何もわかっていない状態だが、昨日、妙な記事を見つけたこもあって備忘的にまとめて置くことにした。
 国会で質問された領収証の件から、当時の菅首相の対応はこうだった(時事2011/07/21-15:57 )。

「団体が(拉致事件と)関係あることを知らなかった。(政治団体と)連携活動をしていたことについて大変申し訳なく思う」と陳謝した。同時に「そうしたことがあるのであれば、政治的な付き合いは控えたい」と語った。自民党の山谷えり子氏への答弁。
参考人として出席した拉致被害者家族会の増元照明事務局長は、横田めぐみさんの母早紀江さんが「何を信じていいのか分からない」と嘆いたことを紹介。拉致事件解決に首相がリーダーシップを発揮するよう訴えた。
首相は7日の同委員会で、拉致事件の容疑者の親族が所属する政治団体に関連する神奈川県内の政治団体に対し、「草志会」が2007~09年に合計6250万円を献金していたことを認め、「当時、党役職者としての職務を果たすため、ローカルパーティーとの連携・支援のため寄付した」と説明していた。

寄付を認め、返金されたと答弁したため、その領収証の提示を求められていたのが私がラジオで聞いた部分だ。この一連のやり取りから、首相の拉致問題関与が個人的な人気取りであると推論され、野党から批判が出ている。また、それだけではなく、これはスキャンダルだと取り上げられているようだ。ここでやっと、献金の意味が分かったかに思ったが、これはあくまでもメディアが報じている政局の文脈に過ぎず、真相は明らかではない。また、菅首相は意図的ではないと答弁している。この事実関係を追ったところで北朝鮮側は、拉致問題は終わっていると一貫した態度であるし、これでは問題に切り込む糸口がないと思っていたが、昨日の産経「裏切り行為」自民から批判噴出 菅首相訪朝模索と中井氏の極秘接触」(参照)で、具体的な動きがあった事を伝えている。

菅直人首相の北朝鮮訪問を念頭に中井洽元拉致問題担当相が北朝鮮の宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使と21、22両日に中国で極秘に接触していた問題について26日、自民党外交部会で批判が噴出した。

小野寺五典部会長は同日の外交部会で「日朝の直接会談を首相の命を受けた人がやっているということは外交上、大変な裏切り行為だ」と指摘。北朝鮮問題解決のため南北会談の優先を確認した日米韓外相会談と同時期に首相側が「非公式なルートでの接触」を行ったことを問題視し、国会などで首相や中井氏を追及していく考えを示した。

一方、外務省は中井氏の行動について「事前に承知していなかったし、一切関与していない」と説明。その上で「いますぐ日朝対話を調整していることはない」と述べ、日朝の直接交渉よりも南北対話を優先する考えを強調した。

 この記事から、何が裏切り行為か全く見えなかった点と、菅首相と北朝鮮問題を結びつける動機としてみてよいのか、それが政治家としての人気取り行動としてみてよいのか全く分からない。ただ、そうだとして野党が騒いでいるというのは理解できる。ここで一点目の疑問である裏切り行為が何であるか、絞ってみた。
 野党の批判は、日米韓外相会談で南北の話し合いが優先させているにもかかわらず、菅首相が中井議員を使いにやり、菅首相と朝鮮の直接会談を取り付ける段取りをしているのがその元になっているらしい。この背景となる、日米韓外相会談の目的と会談内容を調べると、毎日の「日米韓外相会談:北朝鮮非核化へ具体的行動促す」(参照)が分かりやすい。

【ヌサドゥア犬飼直幸】松本剛明外相、クリントン米国務長官、韓国の金星煥(キムソンファン)外交通商相は23日午後、バリで日米韓外相会談を開き、22日の南北対話を歓迎しながら今後も継続・前進すべきプロセスだと強調した。一方、6カ国協議再開に向けて、北朝鮮にウラン濃縮計画への対処など非核化に向けた具体的行動を促すことで一致し、共同声明として発表した。

声明では、北朝鮮の挑発行為には結束して対応する姿勢を示す一方、中国やロシアとの協力を一層進めることも一致したと記述。拉致問題解決のため北朝鮮に行動を取るよう要求した。

会談で松本外相は「南北対話の進展後、米朝、日朝対話を経て6カ国協議の再開につなげるという流れを我々は支持する」と強調し、南北対話の進展次第で日朝協議も検討する考えを示した。

 この会談は、六カ国協議再開に向けた北朝鮮の非核化を目標とする日米韓の合意の確認であると思う。南北朝の対話に期待するというのは確かにここで確認されているようだが、これと菅さんの動機が全く整合しない。野党の批判は、菅首相が北朝鮮との拉致問題に個人的にアプローチしようとする件に寄っている。六カ国協議を目的とした外相の動きに何ら関係ねーと、私はここで判断した。
 では、だから問題が残るのが困りもの。菅さんのうっかりミスは良くあるが、拉致を実行した犯人の家族だという人物との関係で、菅さんの資金団体である「草志会」が献金した理由と、北朝鮮との直の関わりの真相が見えてこない。ご本人は否定しているが、何かが動いているようでもある。
 昨夜遅く産経は、枝野氏の発言と菅首相の答弁を次のように伝えている(2011.7.26 22:44参照)。

「首相の外国人献金の返金領収書 「発言は控えたい」枝野氏」

枝野幸男官房長官は26日の記者会見で、菅直人首相の資金管理団体が在日韓国人から違法献金を受けた問題をめぐり、首相が返金時の領収書の国会提出を拒んでいることについて「国会の参議院予算委員会の理事会で議論されている。行政府が何か申し上げるとお叱りを受けるので、発言は控えたい」と述べた。

首相は21日の参院予算委で、領収書の国会提出に関し「予算委理事会で議論してほしい」と答弁。理事会で結論は出ていない。

 野党が疑念を抱く理由とは違う理由があるなら、一連で問われている献金がどういった目的であったかはっきり釈明すべきで、この点が払拭されないまま推論が起こり、別の疑惑へと話しが広がっているようだ。予算委員会で議論する問題というよりは、菅さんが率直に答弁すればよい話ではないだろうか。そして、全ては菅下ろしへつながって行っているように見える。蛇足だが、文責もはっきりしない、割りと若い層に読まれているニュースサイトかとおぼしきところに「“売国菅”裏切りの訪朝画策「全真相」…これじゃ世界の笑いもの」(2011.07.26ZakZak)のような推論の上に理屈をつけて菅叩きをしているような記事もあって、何をどう読めばよいのか困惑した。
 以上のように記事を読んだだけに過ぎず、菅さんの献金問題は全く見えてこない。
 昨夜遅く、極東ブログの「菅直人首相の資金管理団体は、なぜ特定の政治団体に献金していたのか」(参照)でも取り上げていて、こちらは、献金目的を別の視点で見ているようだ。結論は出ていないもようだが北朝鮮との問題は切り分けて、公職選挙法違反の文脈で考察されている。献金先は、選挙ブローカーではないかとするNewsweekの推論を辿っているようだ。この話は、菅首相と献金先とのつながりがストレートに見えてくるし、政治家が献金する側に立つケースとして見過ごせない問題でもあると思う。
 全体として、北朝鮮との関係も不透明であるし、辞任前にすっきりとさせてもらいたい問題だと思う。

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2011-07-26

中国高速鉄道事故後、中国が最も恐れていることについて雑感

 中国の高速鉄道で23日、大変大きな追突事故が起きた。現時点での犠牲者は、少なくとも死者35名、負傷者210名と報じている。中国政府の発表によると、落雷の影響で非常停止していた新幹線に後続の新幹線が追突し、両者で合わせて6両の列車が大破した(新華通信)。高架橋から落下した先頭の車両は早々に重機によってその場で埋るなどの片付け作業を済ませ、事故後38時間経った時点で運転が再開された。この事故に関して当初、ここで取り上げるつもりはなかったが、昨日、温家宝首相の声明をテレビの画像で見た時、書かずにいられない気持ちに変わった。
 いくら中国とは言え、事故の様子は各メディアが報じるとおりで、概ね事実なのだと思う。この事故を最初に知った時、これほどまでの惨事になるとは思いもしなかった。6月末に開業を喜ぶ式典から一ヶ月もたっていない。また、上海から北京に向かっていた高速鉄道(中国版新幹線)が13日午前、出力喪失のため江蘇省内で走行不能になる事故が起きた。10日に山東省曲阜市内で雷雨で架線が故障し、12日には安徽省宿州市内で電力供給設備が故障して緊急停止していた事を知った(参照)。4日間で起きた3回のトラブルによって、運転や車両に対する点検や注意点は、さらに強化されるものと思っていたため、今回のような最悪の事態になったのは残念だ。日本とは違って、国土の広い中国で高速鉄道が走り抜ける姿は、さぞ豪快なのだろうと想像し、個人的には楽しみでもあった。
 日本の新幹線は高度成長期に開発され、未来の都市をいろいろと思い描いたものだった。故田中角栄元首相の「日本列島改造論」によって、新幹線が日本列島を縦断する計画が進められた。その後、バブルがはじけ、思いのほか経費がかかる新幹線の運行に危惧を抱く政治家の声も聞くようになった。また、旧国鉄も民営化したため、路線延長を断念する地方自治体も出現し始めた。いつの間にか、夢の高速列車新幹線は、喜ばれなくなってきたのも事実のようだ。このことをはじめに知ったのは、今年の2月24日、極東ブログの「新幹線など高速鉄道はどこの国でも重荷になるだけらしい」(参照)で、いずこも同じで緊縮財政の折、維持費の問題は夢を断ち切るのかと落胆した。早速私も影響を受け、田舎の交通手段などを取り上げて考えたものだった(参照)。リニアー新幹線誘致では積極性を見せた諏訪だったが、どうやらこの市を迂回して操業されることになりそうだ。つまり、新幹線が停車する市町村は、観光客の足が止まることで市の発展や繁栄に期待を持つのは当然だ。だから夢の新幹線となるのは道理だ。つまり、中国もそのスタートを切ったばかりであった。
 今回の事故の影響として、今後の中国にどのようなものを齎すのかいろいろ思った。沿線の拡大計画や他国への売り込み、市民の不安をどのように払拭するというのだろう。今回の一連の事故の原因究明と対策が必須となるのは当然で、何よりも安全走行しかないと思う。が、どうだろう。中国政府はその物的資料を土に埋めてしまった。そんなバカな事があってはならないと疑ったが、昨日の早朝の新聞で確かにそう報じていた。一斉に世界中のメディアが突き出したのも然りである。ファイナンシャルタイムズですら、「Crash threatens China’s high-speed ambitions」と、大きく取り上げ(参照)、日経が意訳をつけて「[FT]中国鉄道事故、高速網整備や輸出に打撃」と、報じた(参照)。事故車両に土を被せて葬ってももう遅い。中国の信用はがた落ちだ。操業前から急ピッチで進む計画に対し、安全性の欠如を懸念する声も多かっただけに、人々の関心はそれ見たことか中国といったところだろうか。
 だが、私は、このように中国をバッシングしたり叩いたり非難するのは第二の犠牲者を生む結果になると思っている。もうこれ以上中国を吊るし上げにするのは止めて欲しいと思っている。危機としてこれを思ったのは、温家宝氏の引きつったような形相と甲高い興奮気味の声をテレビで観たからだった。
 中国政府は、世界が中国をどう見るかなどには関心を持っていないと思う。あるのは、中国国民への体裁ではないだろうか。今月19日、ウイグル地区の警察が何者かに襲撃された。この事件の前に、警察が平和的な抗議活動に発砲したことがあり、それが原因ではないかと「世界ウイグル会議」で明らかになったようだ(参照)。今、中国で起こっているのはこういった政府への反発であり、風通しが多少良くなった中国に世界の風が入ってきていることで国民が一党独裁政治や軍のあり方などに不満を持つようになったようだ。中国の人々は、ようやく人としての生き方を模索するようになってきたところだと思う。それはそれで結構なことだし、エジプトのようなクーデターやさらには革命が起こることも良いではないかと思っているが、煽るような行為は避けるべきだと思う。
 昨夕のNHKニュースがその辺を微妙に伝えていた(参照)。

また中国の経済紙の記者は、インターネットのツイッターで、テレビや新聞などを管理する共産党宣伝部が、国内のメディアに対し、事故現場での取材をやめ、国営新華社通信の記事を使うよう指示する通知を出したとしています。中国政府は、事故への対応を巡り、国民の間に政府に対する不信の声が出始めていることから、批判の声が高まらないよう神経をとがらせています。

 人の道から逸脱しているようなちぐはぐな表面を見せる時は、裏面で何かを繕う必然のある時だとネット上の友人に教えてもらって以来、中国の内情を努めて見るようにしているが、中国政府はただの悪漢でもない。ただ、政府の言うとおりにしない市民を押さえるため、圧政はさらに強化され、結果、市民に死傷者が出るようになる。その良い例が天安門の事件で、当時の中国の姿を象徴したものだったと言える。あれから時が経ち、中国も変化してはきているが、エジプト軍のような寛容さは中国軍にはまだないように思う。

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2011-07-25

暑さを吹き飛ばす話題でも

 ここ数日涼しい諏訪だが、温暖化が言われ出す前の諏訪の夏はこんな感じだったのを思い出していた。暑い東京からやってきた私の自慢は、涼しい信州の夏だった。クーラーを必要としない夏の空気が如何に美味しく健康的であるか、それを自慢げに味わったものだった。その感覚がここ数日で戻ってきて、嬉しく思っている。
 一方、都会では暑さが戻りつつあるにも関わらず、困った問題も浮上したようだ。これから夏が本番だというのに関西電力では、他の電力会社から調達してくる予定の29万キロワットの電力が、機器のトラブルによって受電できなくなることを報じていた(参照)。政府の10%以上節電の要請が25日から始まるというのに、受電設備の復旧の見通しが立たないため、かなりの節電体制となる見込みらしい。調達先はどこかと思えば、それは明らかにされていないと報じているが、その理由が分からず政府のやることは謎めいた話ばかりだと思った。ますます暑苦しい気分になるようなニュースばかりが流れているので、暑さに負けないお話しを今日は一つ紹介したい。題して、「夢の宇宙太陽光発電、福井大などが装置研究」(参照)。なんか、太陽光発電を宇宙単位でぶち上げるんですか?!すごっ。と、この記事に飛びついた。こんな風に紹介している。

 天候や時間帯に左右されない太陽光発電の実用化に向け、福井大大学院の金辺忠准教授(工学研究科)が、宇宙空間で太陽光を効率的にレーザー光に変え、地上に送る装置の研究を宇宙航空研究開発機構(JAXA)と共同で進めている。
装置が完成すれば、地上で受け取った光で発電し、原発1基分にあたる約100万キロ・ワットをまかなえるという。
 反射鏡形の装置(縦約200メートル、横約2キロ)を約3万8000キロ上空に飛ばす。金辺准教授は太陽光を吸収・透過しやすい素材を開発。この素材を装置に組み込み、分散している太陽光を“整列”させてレーザー光に変換する。レーザー光は真っすぐな光のため、太陽光よりも強い光を地上に届けられるという。
 地上での太陽光発電は、光の差さない夜間に発電できず、雨や曇りだと発電効率が落ちる欠点がある。人工衛星などに太陽電池パネルを搭載し、宇宙空間での発電も行われているが、効率的に光を地上に送る技術が確立されていなかった。
 JAXAは2025~30年をめどに試験装置を設置する予定。金辺准教授は「太陽の無尽蔵のエネルギーを活用でき、石油など化石燃料も不要な夢の発電方法。実験を重ねて実用化を目指したい」と話している。(2011年7月24日  読売新聞)

 なんか前に聞いたことがあったが、これはうろ覚えだ。私の興味の程は、危機感がないと全く関心が向かなかったとしか言えない乏しいものだ。早速、どんなものか、日環特殊株式会社のホームページの画像を借りてきた(参照)。

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 とても分かりやすい画像だ。巨大な宇宙ステーションが宇宙に浮かんでいる風景は見慣れているが、その感じにそっくりではないか、と実現性への期待でわくわくしてきた。 地上だと夜間の発電ができない太陽光発電を、昼夜に関係なく採光できる宇宙を舞台に発電計画が立てられるなんて凄いな、その発想が。
 ところで、こちらは地味だが、大規模な太陽光発電の話もちょっと耳寄りな話がある。市町村規模の発電所計画の実例だよ。

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 中央高速道路を飛ばしている最中、太陽光発電で見慣れたパネルがずらっと並んでいる光景をある日発見した。その風景がしばらく続くため、なんじゃこりゃときっと誰もがびっくりするのではないだろうかと思った(画像の右端が中央高速道路)。
 家に帰って直ぐにその施設が何であるか調べて分かった。山梨県の北杜市営の「北杜サイト太陽光発電所」として平成23年からスタートした発電所だった。「人と自然が躍動する環境創造都市」を目指して始まったそうだが、そもそもは、1997年の京都で行なわれた地球温暖化防止のための議定書に沿って研究開発を始めたようだ。NTTファシリティーズという会社の公募で北杜市が選ばれ、2006年から着工されて研究が始まり、今年3月で研究の終了と同時に北杜市に移管されたということだ(参照)。
 太陽光発電だけではまだ市全体を賄うだけの電力量には満たないまでも、この計画が素晴らしいと思ったのは、市町村単位で発電所を経営するという形態だった。この発電所を知ったのは、311災害の直前の週に東京へ車で走った時で、特に電力への危機感などはなかったが、市町村の事業形態として将来性のある発想に着眼点があった。そして、先日、極東ブログの「空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」」(参照)で描かれていたこのフレーズが私の脳内に戻ってきた。

50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。

 これを読んだ時に「これだ!」と、北杜市の発電所の事を咄嗟に思い出していた。 国の政策で市町村が管理されるとろくな事がない。このことは、この度の震災でよく分かった(参照)ので、発電事業を市町村単位で賄うのはいい案だと思った。市町村単位の発電事業を推進するような発想を持つ議員がいたら、絶対に一票を投じると思ったのは冗談ではなかった。
 これが実現した社会を想像してみた。東電が国に管理されることから開放され、私企業として市町村の生み出す電力事業と競合するような形態をとるのは、会社のあり方としては健全ではないだろうか。そうなると、政治家や政府がそれぞれの役割で健全に機能する社会にも成り得ると思う。そして、日本経済を支えてきた自動車産業だけに頼らない新たな事業として市町村が発電に取り組むのは、生産から消費の一環性を持ったバランスの良い社会が実現するのではないだろうか。
 世界に向けたグローバルな計画は一部では進めるとしても、足元を固めるために地域で何ができるかと考えた時、自ら生み出すことで活気を取り戻したいものだと思った。電力事業に限ったことではないが、こういうことを模索すると元気が出て来るものだ。

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2011-07-24

心理学的に自分の「性格」を調べてみようと思う件

 先日、就任後9日間で復興相を辞任された政治家が、「私は九州の人間だから語気が荒い。B型で短絡的なところがある」と、着任後訪問された被災地の知事との会談でこの話しが飛び出してきた。このとき、本気で言っているのか冗談半分なのか疑った。その表情からは本気かなと思い、その顔をまじまじと見てしまった。また、この発言を知った自民党の三原じゅん子B型議員は、「暴言を血液型のせいにするなんて失礼ですよ。私もB型です。」と、本気で反旗を翻した。あらら、この方達本気で血液型による性格診断を信じているんだと驚いた。(※、この政治家は辞任後の調べで、精神障害もあったと知ったが、血液型による性格診断を信じるか否かとは関係ないと思うので、あえて触れなかった。)
 というのは、血液型と性格との関係は結びつかないとほぼ決着がついている。血液型による性格診断が大流行した時期もあったし、そう信じられたことも勿論あったが、未だにそれがまかり通っているという点で認知度が低いのだと思った。
 私の経験に、初対面の人で血液型を聞いて来る人が時々いたが、これも、私の性格を自分で見分けるよりも血液型のせいにする人のようだった。そうやって逃げるという意味だったのかは定かではない。これは、私の性格を血液型で見分けるつもりだからだろうと思うが、目の前の私との人間関係から実感するのがあなたの思う私の人柄や性格ではないの?なぜ、血液型によって判断するの?という疑問がわく。 血液型で判断された私がずっとインプットされたままになるのは嫌だなという違和感と、血液型から判断された私の性格がその規格から外れた場面ではどうなるの?修正できるの?などを考えるうちに、その人物との付き合い自体がそれ以上深まらないことを自分に感じたことがある。血液型で性格判断するのが趣味のようになって、会話の間で、「そういう思い方をするのもA型の特徴だ」などと言われるとげんなりしたものだ。
 人の性格を調べたいとは思わないが、自分の性格のことは気になる。性格というよりももって生まれたものというか、嫌だと自分で思うことは多少は改善できても、自覚できていない部分は良いも悪いもない。たまたま昨日書いたエントリーで、英語を今更勉強してもどうなるものでもないにもかかわらずなぜ、こうも好奇心や勉強意欲がもりもりわいてくるのかと不思議になった。これも性格だと思っているが、そのメカニズムがあるのなら究明したいとも思っている。

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性格のパワー
世界最先端の心理学研究でここまで解明された
村上宣寛

 性格診断テストというものがネットでもある。髄分前に知って試したことはあるが、自覚できていない自分の性格として意外な部分が発見できたりする(参照)。が、全部を信じ込んでしまうと先の血液診断のように、信仰的になるのが危険だ。診断によって自己暗示にかかってしまうのはよくないと思う。
昨日、極東ブログで紹介されていた「性格のパワー 世界最先端の心理学研究でここまで解明された」(参照)は、この手の本としては初めてになるが、今回、読んでみようと思った。
 このように紹介されている。

 別の言い方をすると、おそらく一般の読書人が読んで心理学的な、かつ有意義な「性格」を理解するには、本書が最適であろうと思う。なお、村上宣寛氏の著作の真骨頂というなら、地味なタイトルの新書だが「心理学で何がわかるか」(参照)だろう。

 「一般の読書人として」というのが決め手になった。今まで、極東ブログで紹介されている本は殆ど読んできたと言いながら、昨年の3月に紹介された同じ著者の書籍は二冊とも読んでいない。精神的に参っていたこともあり、避けていた。かなり精神的にきつい時期で、心理状態によっては、信仰宗教化してしまいそうで嫌だった。今振り返ると、ある程度自分で気持ちが整理されている時でないとフラットに解釈できないような自信のなさが働いたのだと思う。だから、心理学者などによるその類の本は、意識的に読まないようにしていた時期だった。
 余談だが、性格なのか疾病なのか紙一重のようなことを疑って悩んだ時期があった。精神的に参って思い悩む自分を客観的に見たとき、病名が付くとしたらこれは何という病気だろうか、とか。それを直す薬はあるのだろうか、と疑って心療内科へ行った時、1時間くらいかかる心理テストを受けることになった。凄い量の質問だったが、微妙に語彙が違うというだけで同じような質問に繰り返し答えてゆくのだが、そのうちあれ、この質問さっきも出たみたいという疑いが出て来る。すると答えを同じにしないとダメみたいな心理が働いて困ったものだった。結果は、異常はなかった。少し疲れているだけのようだったが、この後、気が楽になったのは良かった。思い切って医者の門を叩いたというのが、肩の荷がもうその時点でかなり下りたという実感を持ったし、長々と質問に答えてゆくうちに気持ちが軽くなるのを覚えた。医者の問診に呼ばれる頃は、既に私は健常かも、と思えたものだった。この時、心の病と性格の関係を不思議に思ったし、なにか深い関係を思わずにはいられなかった。

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2011-07-23

えへ、今更だけど英語の勉強だよん

 今日は、タイトルのまんま。私の英語は全く以って劣化の途を辿っているが、一時期はかなり勉強した。当時の事を思いながら少し、英語の基本動詞について考えてみた。
 ところでその前に、以前にも書いたことがあるが、英語圏で英語を勉強する方法はいくつかある。そのうちの一番安上がりな方法で私はイギリス英語を半年間、英語学校で学んだ。その後、カレッジで陶芸に関わることになるが、その話はまたいつかということで、そのステップに上がる前に英語で読み書きしゃべるが必須ではないか。何をするにも英語。イギリスに10年住めば英語がしゃべれるようになるわけではない。日本人の中にいれば、イギリスにいても日本社会である。英語を学ぶために海外で生活するのなら、日本人とは縁を切る覚悟で当たらないと短い期間で英語を見つけるのは困難だと思う。英語で思考できるまで位を目標にするのなら、日本語のない環境で暮して働くというものだ。と、意気込んで行った。
 イギリスでは、英語を学ぶ目的の女性を対象にAu-pair(オペア)ビザという特殊な滞在許可がある。英語教師を目指すEU諸国の女性達は、このビザでイギリスにやってきて半年~1年、英語学校に通ってケンブリッジ大学の英語認定試験であるESOL検定(通称ケンブリッジ英検)のCPE(Certificate of Proficiency in English)の取得を目指す。これを取得すると、自国の英語教師の資格が同時に取得できるためである。この協定のお陰で、イギリスには多くの英語学生がいる。
 Au-pairの条件は、イギリス人の家庭でベビーシッターや家事の手伝いを一日4~6時間手伝うのを条件に住み込み、お小遣いをもらいながら英語学校に通うというもの。私は、始めは観光ビザで入国し、直ぐにAu-pairを紹介するエージェンシーからイギリス人家庭を紹介してもらい、直接面接してNashさんというお宅でお世話になった。この制度を利用すると、ほとんどお金を使うこともなくイギリス人家庭にホームステーできるので、大変お徳である。ついでに、家事労働も苦にならなくなるよ。
 話のついでに紹介と思ったため英国留学の話しになってしまったが、私は、この制度で半年間英語をみっちり勉強した。いろいろな英語教師がいたが、実用的な英語の勉強法として基本動詞の用法を叩き込んでくれた教師がいて、コーパスを採用したということが後で分かった。彼はオクスフォード大学の出身だった。
 コーパスによる学習法というのは、例えば一つの動詞の用法例を出来るだけ集め、どのような場面でそれが活用されているのかを実例で分析しながら覚え込むような方法だった。彼は、非常に自由な発想の持ち主で、教科書のページを順に追って教えるのではなく、教科書の内容を指導目的ごとに分類整理していた。本来なら半年くらいかけて終わるはずの教科書が、一ヶ月位で全て勉強したことになるようなスピード(合理性)だった。
 黒板にその日教えたい事を一気に書いてしまい、授業の最初の15分はそれをノートに転写する作業で始まった。次の30分で内容を一つずつ噛み砕いて教え込む。最後の15分で教科書に戻って確認するという流れであった。今でも覚えているが、この授業は大変ユニークで面白かった。彼に、なぜこのような一風変わった方法で教えるのか尋ねると、自分が英語を勉強した時に使った方法だからだと言っていた。これがコーパスというものだと知ったのはずっと後だった。
 この学習法が素晴らしいと思う点は、英語を話さなくなった今ではかなりの英単語を忘れてしまっているにもかかわらず、基本動詞の用法だけでいくらでも会話が出来ることだ。と思って、基本動詞「come」の用法について思い当たるだけ書き出してみた。

  1. come   to move toward
  2. come  S+V  Please come __. to the lobby at 9 o'clock/to my house
  3. come from  S+V I come from __. Japan/ America/China/Tokyo
  4. come I came here __. on vacation/on business/to study
  5. come  I came here __. alone/recently/yesterday/last week
  6. come  いらっしゃいませんか Would you like to come?
  7. come  I'm coming いま、行きます
  8. come Please come __. with me/again/right away
  9. come across I came across George at the station.
  10. come back  What time will _ come back? you/he/she
  11. come in Please come in.こちらへどうぞ
  12. come on "Come on ,George." ジョン、がんばれ
  13. come out  My Coke did not come out from the vending machine.自動販売機からコーラが出てこなかった
  14. come to A good idea came to me. よい考えが浮かんだ
  15. 色やサイズ The shirt comes in three sizes. サイズが3種類あります。
  16. 重要度合(主語が人とは限らない) My work comes first.何より仕事が大事だ。

 棒線の部分に後に続く単語を入れて、そのロケーションをインプットしながら単語を印象付け、使い回しを覚えるのがその方法だ。懐かしいなぁと、昔の授業風景やその時の会話まで思い出していたら半日過ぎてしまった。

cover
コーパス・フレーズ練習帳
コーパス100!で英会話
投野 由紀夫

 さて、このきっかけは極東ブログの「コーパス100!で英会話|コーパス・フレーズ練習帳(投野由紀夫)」(参照)の紹介だった。このエントリーを読んだ最初は、まさかに私がこの書籍を手に取るとは思わなかったがな。書評を読んでいるうちにやっぱりちょっと気になった。それが、先に挙げた基本動詞のことだった。
 エントリーでもいくつか動詞を取り上げて説明されていて経験上、コーパスだと動詞を広い範囲で理解できるため、覚えたそばから会話や文章に使うのが楽しくなる。「come」では、「来る」という意味と「行く」という両方に使うのも面白い。
 日本でもよく例文に出てくる一緒に行きますというのは、I will come with you.と普通は使うが、日本語の直訳からだとI will go with you.と言いがち。間違えではないしこれでも通じるが、comeは、よりその相手に寄り添うという意味合いがある。こういうのは理屈ではなく、英語圏で英語を話し慣れてくるとI’l go with you.が不自然な言い方だと分かってくる。
 今から英語を見直してどうするという目的などはないが、なぜかやっておきたいという欲望があるから不思議だ。友人にもよく言われるが、興味の範囲が広いのは別に得なこともないが、なんだかこういうことを日夜追いかけて楽しんでいるというものだろうか。

Marsha_krakower

 もう一点親近感を持った理由に、NHKの語学講座「コーパス100!で英会話」が元になっていることだ。この番組は連続してみていたわけではないが、NHKで懐かしいのは、マーシャ・クラッカワーさんがとても若い頃出演していた「テレビ英会話StepⅡ」だった。再放送か何かでしばらく見ていた。彼女の英語がきれいで、声が好きだった。特に「r」の発音でトーンが低くなった時にムードがあった。日本語にはない音の変化が英語にはあることや、それが表現に大きく影響すること、また、リズムがあることなどいろいろ感じ取った。英語とは魅力的な言葉だとそのときからずっと思ってきたので、私にとっては英語の最初の先生かもしれない。そのマーシャさんに似ていると若い頃言われている時期があって、今だから白状するが、内心飛び上がるほど嬉しかった。
 そういうわけで、私の人生では大きな影響を齎したNHK英語講座が元になった書籍なので、それだけでも嬉しい。

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2011-07-22

チェルノブイリの後を辿っている日本について雑感

 福島原発事故当初は、チェルノブイリのような事故ではないと言い続けていた政府だったが、今はどうだろうか。現実を認めざるを得ない政府の安全委員会は事故後、多くの疑問を払拭してくれるような事実を公表した。国民の知る権利を無視したような東電の会見内容。その随所に、辻褄の合わない矛盾が浮かび上がっても、国民を不安に陥らせないための配慮だと正当化してきた政府だった。斑目委員長が会見の場に出現し始めた当時は、ふんぞりかえってインタビューに答える横柄な態度と、軽薄な発言内容に人間失格の烙印を押された。こういう人間が原子力安全委員会委員長だということに多くの市民は嘆いたものだった。出だせばキリなく出て来る国家への不満と、自分がその国家に生まれ育ったことを猛烈に恥じたものだった。天につばを吐き捨てるようなものだという僅かながらの戒めを以って発言を控えたほどだった。
 一方菅首相率いる政権は、政府と東電の癒着体質にメスを入れるでもなく、原発の惨事にあたふたしているばかりの不甲斐ない体を晒していた。菅政権は何も見抜けず、足を取られたような滑り方を見せてくれた。背伸びしても、所詮はそこまでだったかと思った。
 アメリカの特殊部隊が去り、今の日本政府と東電の力だけで後は乗り越えて行くという時に、次から次に出て来た新事実の公表となった。それらの殆どは、アメリカのIAEAや原発技術者からとっくに指摘を受け、危険性などの示唆に我が身の安否を疑わない日はなかった。そして、絶句したのは、被災地で避難生活をしている住民や、先の不安を抱えながら現状で身動きの取れない農家や畜産農家の人々は、正確な情報も知らされずにいたことだった。政府の避難勧告も、「命令」や「指示」という強い語彙ではなかった上、アメリカの原子力規制委員会が非難半径を50kmと提起しても日本政府は受け入れなかった。ずっと「その心配はない」であった。今後、内部被爆した子どもに甲状腺がんが発生したら、これは原発事故由来以外の何物でもない。これがはっきりする数年後、頭を下げて済ますつもりだろうか。政府に雇われて早々に職を辞した大学の原発研究者の会見は凄まじいものだった。辞退理由は学者として、父親として、被爆の安全基準値を引き上げろという政府の圧力には屈したくないという理由だった。
 また、IAEAに政府が報告した「28の教訓」(参照)については、安全第一を掲げた通り一遍の内容になったが、安全性を追求するとなれば当然それに費やす費用も莫大になる。政府のこういった「指導」は、いたずらに私企業への資金的な圧力となる。この構造の解体こそが今後の大きな日本の課題であると思う。政府にとって都合のよい対策は単純な役所仕事で、これが企業を苦しめる結果となり、それを逃れるために癒着関係が生まれる。国家権力とはそういうものだが、裏取引や隠蔽が余技なく行われる薄汚い体質を作ってきた。そこで甘い汁を吸って私腹を肥やしてきた役人や天下りの脳無しは、高給待遇で椅子にふんぞり返っている。原発の知識もないような経営陣が東電のトップだというのがその姿である。
 地震がきたら直ぐに危険な原発は分かりきっていた。にもかかわらず、チェルノブイリを教訓にすることもなく、設備投資を行ってこなかった。その結果が福島原発だった。そして、菅首相は、「安全性を律することは困難」と発言し、安全性の追及を放棄しようと独走を始め、独裁政治のような状態になっている。54基の日本の原発のうち18基が稼動中のところ、昨日2基が点検作業に入った。稼動開始の目処などない。 静岡の浜岡原発は菅首相の一声で停止中である。おそらく再稼動することはないのではないだろうか。過疎地に原発建設を誘致し、原発文化と言うべきか、人々は原発によって潤ってきたのは事実だが、それが前触れもなく一瞬にしてなくなった地元民は、明日からどうやって生きて行くのか途方くれても政府はお構いなしである。
 もうこんな政府に負んぶに抱っこの関係はやめたい。国に食わしてもらう、そんな生き方はやめたい。政府に任せた義援金は、待てど暮らせど降りてこない。この「降りてくる」という言葉自体の存在がそもそもという話だ。

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こうして原発被害は広がった
先行のチェルノブイリ
ピアズ・ポール・リード

 極東ブログで「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ(ピアズ・ポール・リード)」(参照)が紹介された。私は、この書籍が評される時に書くつもりでいたが、チェルノブイリ原発事故後、隠蔽された諸事実が発覚して一番ショックを受けたのは、何も知らされなかった被爆地の住民の子どもを守ることができなかったという悔恨を知った時だった。その裏側でロシア政府が行っていたことをこの本で知ることになるのも分かっていた。エントリーでその一部が引用されているが、知れば知るほど前段で書いてきたような日本の政府とそっくりな体質を持っているのがロシア政府のようだ。ソ連当時からロシアを知る世代にとって、それが何を意味するかは言わずもがなである。

 改題書を読み進めながら、しばしば嘆息した。以前はチェルノブイリ原発事故は特殊な原発事故であり、今回の福島原発事故とはあまり比較にならないものではないかと思っていたのだが、現下の文脈で読むと、あまりの相似に圧倒される。極端な言い方をすれば、同じではないか、原発事故というものの本質が本書に明確に示されているではなかすら思える。
 だが同時に、その相似性は、原発事故の本質に根ざすというより、日本という国家が社会主義ソビエト連邦と相似であったことに由来するように思えた。率直なところ、それはこの時代に生きる一人の日本人としては、かなり悲痛な認識になる。そしてその悲嘆の認識から本書で示唆されるところは、ソ連がチェルノブイリ原発事故を実質象徴として解体したように、日本の政治権力も解体されなければならないという暗示でもあるだろう。

 この後に続いてウクライナとロシアの関係に話しが及んだところで私は、これを書くのをどうしようかしばらく迷っていた。確かにあまり考えたくないが、今の時点で思うことは書いておこうと自分で背中を押した。
 ロシアがどれ程変革されたのかはよくわからないが、ウクライナとロシアの関係は、ソ連崩壊後独立したウクライナがロシア帝国・ソ連に抑圧されていたウクライナ民族主義の勃興によって、ロシアとの関係は良くなかった。そして、原発事故によってロシア政府の体質に我慢できなかったウクライナ政府との関係は、最悪の状態を作ったともいえると思う。その辺りに触れて書評の最後にこうある。

この問題はその後、ウクライナという「国家」とロシアのという「国家」の関係という文脈にも置かれていった。
そのことが福島原発事故以降の日本に暗示するものについては、正直なところ、あまり考えたくもないというのが、現状の私の心境である。

 「ウクライナのチェルノブイリ対策大臣ゲオルギー・ゴトヴチッツはチェルノブイリ総合科学調査の調査結果を拒絶した」理由は、引用部分でも触れている通りだが、ウクライナのドミトロ・M・グロジンスキー氏は、チェルノブイリ原発事故の概要をまとめて世界に伝えている(参照)。両国の姿勢からも何が真実であるかを嗅ぎ分けるくらいの知性は持ち合わせたいものだと思う。
 日本の原発は東電が経営しているが、政府のエネルギー政策とタイアップしているため、構造的には政府がその安全面を管理する側に当たっている。政治家は、その地方に賛否を問いながら共に歩むというのが本来の道筋だとは思う。ロシアとウクライナの「国家」間の違いから、相容れないものが生じたことを日本に例えるならこういうことかかと思う。
 現場の状況を知る東電が一番悲惨な目に合っている。市民の立場であるはずの東電が、その市民と、管理する側の政府の隠蔽体質との板挟みになり、存命をかけて右往左往している。それが宿命だが悲惨でもあると思う。国が東電を見放すわけもないが、その国に一企業として依存しながら従弟関係を保たなければならない。この関係を断ち切ることはできないのではないだろうか。もっともこれは、ウクライナとロシアの関係を日本の政府と東電という文脈に当てはめたらの例である。そして、このような日本に困惑し落胆しているのは、同盟国であるアメリカかもしれない。
 被災者の声に一番多いのが国からの補償問題ではないかと思うが、予算が出たのは2兆円程度である。今、その金額について国会で野党が叩いているが、アレだけ安心してくれと言ってきたにもかかわらず、え、これっぽちですかと絶句するようなものになることは分かりきっていた。財源がない上、日銀が復興支援のための造幣をしない。経済の専門家は、復興財源にするために国債を発行して日銀が引き受け、国は長期で返済するのが望ましいというが、菅首相は、増税路線のようだ。期待した政府がどれ程のものかはいずれ分かるとしても、それを当てにするしかないと諦めるのか、自ら生きる道を模索するのか本気で考えたいと痛感している。

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震災恐慌!
経済無策で恐慌がくる!
田中 秀臣・上念 司

 先日、極東ブログの紹介で読んだ「震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!」(田中秀臣・上念司)」(参照)も、これからの日本がどうなるのかが語られているが、経済的にはどうにもならない時代が長くのではないかと覚悟している。まだその実感のない人も多くいて、貧しさとはこういうものかと納得できるまでには時間がかかるかもしれない。

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2011-07-21

「原発安全未来(古川和男)」-未来の眺望に誘われる件

 極東ブログの原発関連の二つのエントリー、「福島原発が世界に残すかもしれないひどい遺産」(参照)と「空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」」(参照)から、トリウム原発に興味を持っていた。今までは名前は知っているという程度の認識だったが、ここで特に興味を持った理由は、「空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」で、菅首相の孫の直子がつぶやいた言葉に何か、将来の展望のようなものが託されいるように感じ、その謎がトリウム原発にあるのではないかと薄々思っていたからだ。このような印象が残った部分は、「本当のパラダイムは」という直子のつぶやきに続いた下りだ。

50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。今では新清国への売り込みも始まっている。

 ここを読んだ時、日本の政治のあり方や、原発が市町村単位で管理されるような規模で実際、そのような都市が浮かび上がった。何故これほどまでに具体的な描写なのか。それはただの空想ではなく未来都市構想として画策されていて、まるでそれを予言しているような響きとして感じた。その可能性を思わずにはいられなかった。嬉しかった。そして、この部分に私の感想を次のように添えた(参照)。

 鉄腕アトム世代としては、科学技術の可能性に挑戦しないような時代って生きている気がしない、という感覚を呼び覚まされた感じがしたな。久しぶりに。この短編小説は、奇しくも筆者の夢がたっぷり潜んでいる。

 現実と空想がどこかでリンクしながら、ともすると実現性のある話だと期待感も持てるような、そんな不思議さの残る小説である。

 現実の菅首相は「脱原発依存」を先日から唱えているが、小説ではこの夏にブラックアウトを経験させている。その結果、「脱原発依存の」意向がトリウム原発に転換したと言う筋書きになっている。この小説には書いていないが、原発事故とブラックアウトの経験は、菅首相にとっては同列の恐怖としている背景がある。現実の菅首相は、原発事故に始めて遭遇して懲り懲りした結果「脱」を言い出したため、小説の中では、ブラックアウトの経験をさせてあげたかったという意図があったのだろうか。なんとなくそこが、菅さんを見抜いたところからの発想ではないかと苦笑した。
 これが、私がトリウム原発に関心を持った所以だ。
 トリウム原発がどんなものか、アウトラインだけでも知りたいと思い一昨日、ネットでトリウム原発の事を早速調べてみた。いろいろ出てきたが、トリウムの現物の画像に目を奪われた(参照)。

C98437bas       トリウム Credit: American Elements

 ざっと読んだところ、ウランとトリウムがかつて競合すした理由に核兵器利用の点があり、プルトニウムを精製できるウランに傾倒したとあった。ここでトリウム人気が失せたわけだ。そして、このページの下段へスクロールすると、二冊のトリウム関係の書籍の紹介があった。どちらを読もうか迷った。亀井敬史氏は「ガンダム世代」とある。実は私はちょっと引いてしまう世代で、どうせなら「「原発」革命」(古川和男)の方じゃないか?などなど迷った。何故か両方を読みたいとは思わなかった。

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原発安全革命
古川和男

 冷戦時代からの歴史があるのなら後者ではないだろうかと思いながら、finalvent氏がトリウム関連の書籍を読んでいないはずはないと思い尋ねると、近いうちに書評を書くつもりだとの回答をもらった。それがどうだろう。翌日に当たる昨日早速「[書評]原発安全革命(古川和男)」(参照)を書いてくれた。
 冒頭に、十年前に文藝春秋から出版されたとあるのは、「「原発」革命」のことだろうか。これが2001年に出版されている。先のブログで紹介されていて、私がどちらにしようか迷った書籍だ。タイトルは微妙に違うが、冒頭で言われている十年前の本は多分この書籍のことだろうと思った。
 紹介はこのように始まっている。

 山道を登っていてふっと木々の合間から、今来た道とこれから進む道が見えることがある。来し方行く末、こう辿り、こう進むのか。あるいはそう歩みたいものだと遠くを見る。書籍にもそう思わせるものが稀にある。「原発安全革命(古川和男)」(参照)はそうした一冊である。その描く未来を歩みたいものだと願わせる。

 山道に関してちょっと思うことがある。
 若い頃少し山歩きをしていた頃は、試練と言うか訓練のような歩き方をしていたものだった。それはそれでよかったとも言えるが、そういう歩き方をしている時は、引用のような景色や風景を見ないものだ。理由は、向かっている方向は登頂への歓びだからだ。向かう道は苦しい登りを経た先にある。ひたすらそれを目指して歩くのみだった。その途中で、まるで明暗を分けるような選択肢や、後ろを振り返る余裕はなかった。それが原発事業で言えば、今がその成れの果てというべきか、後は下るのみである。それは、ウランがダメだという意味ではなく、人の未来構想の如何によるものだと思う。政治家で言えば、首相が何を見据えて政策を画策するかが問われることと同じだ。
 本書がますます魅力的に思えたのは、「描く未来を歩みたいものだと願わせる」と、駆り立てられるような思いだ。今ならその意味が分かる。

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石橋を叩けば渡れない
西堀 栄三郎

 そしてもう一冊、「凡百の自己啓発書などよむ暇とカネがあるなら、西堀榮三郎「石橋を叩けば渡れない」(参照)をお読みなさい。」と言われている。この書籍も合わせて注文した。
 無粋なことかもしれないが、「百頁の自己啓発書など」と書かれているのをその文字通りに若い人達は読むのではないかと危惧するが、そのままで浮かぶ本もある。が、中味の薄い本の比喩だと解釈すると、どのような本を指しているかも分かると思うよ。

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2011-07-20

物騒な事件が相次ぐアフガニスタン、それでも撤退するアメリカ

 今日のエントリーはちょっと悪乗りして、刑事コロンボ風に初めから犯人を明かしてから推察を入れる流れにしみようかなと思う。しかも、これが自分で導き出した結末まではないのでその分、人の道筋に気楽にのっかるという軽い気分で書いてみたい。それにも理由はあるが、後で分かると思う。and自己弁護を言っちゃうと、私レベルだからだが、二日間もPCに張り付いてアフメド・ワリ・カルザイ氏殺害の謎解き一点で向き合っていた。その成果も多少はあって極東ブログの話がすんなり読め、腹に落ちた。さて、その話しとは。
 アフメド・ワリ・カルザイ氏とは、アフガニスタンの現職大統領の弟である。12日、南カンダハルの自宅で護衛に射殺された。また。18日、アフガニスタンの首都カブール(Kabul)で17日、武装グループがハミド・カルザイ(Hamid Karzai)大統領の側近、ジャン・モハマド・カーン(Jan Mohammad Khan)氏の自宅を襲撃し、同氏を殺害した。その場に居合わせた南部ウルズガン(Uruzgan)州のモハマド・ハシェム・ワタンワル(Mohammad Hashem Watanwal)議員も殺害されたとAFPが報じた(参照)。そして、間髪入れないタイミングで旧支配勢力タリバンが犯行声明を出している。普通ならこれで終わりであるが、実はこの犯行は、アメリカのCIAかオバマ政権がタリバンとの何らかの結びつきによる犯行ではないかというのが結論だ。
 これは、アフガニスタンから撤退する事を決めたオバマ政権が、その後のアフガニスタンの平和を願っての結果であるというのが真相ではないだろうか。でも、Untouchableなストーリーだ。ここを読む方も、ここから先の部分は、ちょっと探偵気分で一緒に考えて欲しい。
 オバマ政権、ないしはCIAと旧反政府勢力タリバンとの結びつきまでは流石にたどり着けなかった私だが、この殺害とアフガニスタンの権威移譲を祝う式典を報じるタイミングが18日であったため、いとも簡単にタリバンの犯行ではないかと騙された嫌いがあった。そして、タリバン以外の殺害者の可能性を疑う余地を与える間もなく、タリバンが犯行声明を出している。NHKニュースでこの式典の事を報じた時、今後のタリバン勢力を懸念する一言までもが付け加えられていた(参照)。

バーミヤン州は治安が比較的安定していますが、反政府武装勢力タリバンによるテロを警戒して、この日の式典は事前に公表されず控えめなものとなりました。

アフガニスタンでは、先週から、駐留する10万人のアメリカ軍の撤退も始まっており、2014年末までに戦闘任務を終えるとした国際部隊の「出口戦略」が本格化することになりますが、タリバンが各地で勢いを増すなか、現地の軍や警察が治安を維持することができるのか懸念する声も出ています。

 NHKがアメリカ政府と結託したと、そこまでのことは無いだろうと勿論思っているが、このニュースによって殺害の犯行は、タリバンによるものだとますます思い込む羽目となった。が、逆に、私がアメリカの動きがおかしいと思ったのはこの辺からだった。加えて、一連の殺害の犯行をタリバンがこれだけはっきり認めているにも関わらず、米政府は暢気に人事を動かしていることを知った。
 イギリスのBBC(参照)とファイナンシャルタイムズ(参照)がほぼ同時に18日午後3時ごろ報じ、日本では翌日19日、日経のワシントン支局から簡単な記事を出している(参照)。この記事を引いてきた。

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 【ワシントン=大石格】アフガニスタン駐留米軍のペトレアス司令官は18日、指揮権を後任のアレン司令官に引き継いだ。ペトレアス氏は中央情報局(CIA)長官に就任する。アレン氏は「(3万人増派の)勢いを維持したい」と述べ、反政府勢力タリバンの抑圧に努める考えを示した。
 米軍司令官は北大西洋条約機構(NATO)加盟国などを束ねる国際治安支援部隊(ISAF)司令官を兼ねる。増派後2代の司令官を務めたマクリスタル、ペトレアス両氏はイラク戦争で英軍との共同作戦の経験がある。アレン氏は米軍以外を指揮するのは初めてで、円滑な意思疎通ができるかどうかが焦点となる。

 タリバンが騒ぎ始めているにも関わらず米軍が撤退を始めれば、ますますアフガニスタンは目が離せなくなると言うのが一般的な見方で、私はこの人事が疎ましいとさえ思った。米軍の指揮に当たった経験しかない上官にNATOの面倒まで見させて大丈夫かよと思った。だから、この人事をタリバンがあざ笑うかのように、アフガニスタン政府の要人の殺害をやってのけたと言うものだろうと、アメリカの脇の甘さくらいに思っていた。
 アメリカは一体何を考えているんだろうかと、次第に疑心暗鬼になってきたが、何一つ確信が持てない状態だった。また、ぺトレアス氏がCIA長官に就任するというのが分け分からん状態に陥る一つだった。実は、これが紐解きの時のコツだと以前、教えてもらった。つまり、表向きの不整合は、裏に別の理路があることを意味していることが多い。正当性や整合性が見えない理由だと思った。
 軍人をCIAの長官に配置する意味は、アメリカ政府がタリバンと背後でとつながるための情報機関である必要としか言えないが、これは、今後のアフガニスタン情勢を円満にする意図的な意味があるため、不慣れなアレン氏の就任はあまり問題ではないのだろうと思った。実際の指揮はCIA長官であるぺトレアス氏であるか、二人がタイアップするということで問題はないと見た。
 さて、私にとってはこんな野蛮な方法でと言いたいが、これはアメリカの今出来る知恵の頂点かもしれないと思った。まだ陰謀論の域を超えているわけでもないが、極東ブログの得意技である裏読み「アフメド・ワリ・カルザイ氏殺害を巡って」(参照)が助けになった。
 ポイントは、カルザイ大統領は、アフガニスタンでは人気がない。だか、親米派で、アメリカにとっては都合は良い。アメリカ軍がいなくなれば、国外逃亡を考えざるを得ないと思っていてもおかしくない人物である。これらをオバマ政権は利用して、彼がアフガニスタンに居座れるようにするための動機とした。
 第二に、殺害された弟は異母兄弟でカルザイ大統領とは実はあまり近しくない。麻薬の密輸などに手を染め、何かとトラブルの恐れのある目の上のたんこぶでもあった。そのため、彼の死を痛むよりも、むしろ抹殺の方が何かと都合が良かった。というのはアメリカにとっても同様の利益で、軍を撤退させた後カルザイ氏には棘の道よりも花道を用意したことになる。不甲斐ないカルザイ大統領にどうやって今後のアフガニスタンを任せるか、頭をもたげた結果、搾り出した知恵ではないだろうか。
 どうだろうか。私の腹にはこれで落ちた。そして、最後にリビアに触れて、まるで次の謎解きを予告するかのように思えた。

 いずれにせよ、西側諸国はアフガニスタンを民主化するというより、タリバンと共存していくという選択しかないし、NATOが壊滅するよりはましではないかという合理的な選択とみるなら、さすがに切れ者だなあ、オバマ米大統領とも思える。
 そして、この方式は、たぶん、リビアにも適用するのだろう。

 このリビアだが、昨日、ロイター記事を引いた産経がこんな事を報じていた(参照)。

米、カダフィ政権側と会談 早期退陣を直接要求(2011.7.19 10:31)
 ロイター通信などによると、米政府当局者は18日までに、リビアのカダフィ政権の代表者とチュニジアで会談し「最高指導者カダフィ大佐が退陣することが、前に進むための唯一の道だ」と指摘、早期の退陣を直接要求した。
 米国は15日、リビア情勢をめぐる連絡調整グループの外相級会合で、リビア反体制派「国民評議会」を「正統な統治機関」として承認すると表明。これを受けてカダフィ政権側と会談したが、米国務省当局者は「退陣を迫るメッセージを伝えるためだけに行われた」と述べ、交渉は一切していないとした。(共同)

 これが目に止まった理由は、カッダフィー政権側と国連側であるアメリカとの対話が直に行われている点と、こんなに大きな出来事であるにもかかわらず、なぜ報道がここまでこじまりしているのかというアンバランスだった。「メッセージを伝えるだけ」というコメントはわざとらにも見えるし、何か裏取り引きのようなものでもあるのではないかと思えた記事だった。
 アフガニスタンのカルザイ大統領の事例で「リビアにも適用」してみると、カッダフィーが格好良く退陣できるため、誰を生け贄にするか、とそっちへ気が行ってしまうが、どうだろうか。
 今後を注視して行きたい。

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2011-07-19

政策変更を行おうとする菅首相に一言

 7月13日菅首相の記者会見「原子力は安全性確保だけでは律するのことできない技術だ」という発言からそろそろ一週間になる。この発言自体は一国の総理大臣の発言だからして重大ではあるとは思ったが、菅さんの発言とあって、はっきり言って思い付きにも程がる程度の感想を持ち、ことさら取り上げることはなかった私だ。じっと我慢したが、この発言が、発言だけに終わることなく実行段階に入れば意味が違う。その段階にどうやら入っているらしい。
 昨日、Twitterのクリップした日経記事で具体的な組織図を添付して報じていた(参照)。この際、ここにも貼り付けておくことにしよう。

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 ここまでくればもう、菅総理は独裁者と呼ばれてもおかしくないレベルだと思った。日本の政治構造では総理大臣であれ、政治家一人の考えで国家の政策を勝手に変えたりできない仕組みになっている。国会という場で審議されて可決されて初めて、民主的な手段による政治と言える。そこを経ずに一人の考えで採択されてはたまったものではない。黙っているわけには行かないので書きとめておくことにした。
 13日の菅さんの問題発言をはっきりしておくため、その部分だけ報じているNHKニュース「首相 原発に依存しない社会を」がよいと思った(参照)。

 菅総理大臣は、13日夕方、記者会見し、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、国のエネルギー政策を抜本的に見直して、段階的に原発を廃止し、将来的には原発に依存しない社会の実現を目指す考えを示しました。
 この中で、菅総理大臣は、「3月11日の事故を経験するまでは、原発は安全性を確認しながら活用していくという立場で、政策を考え、発言してきた。しかし、大きな事故を私自身体験して、原子力事故のリスクの大きさを考えたとき、これまでの考え方では、もはや律することができない技術であると痛感した」と述べました。そのうえで、菅総理大臣は「原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至った。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していくことが、これからわが国が目指すべき方向だ」と述べました。

 国のエネルギー政策は戦後の自民党の政策課題として国民から承認されてきた結果であるが、政権交代時に政策転換の意向なりが公約として挙げられていたというのであれば別だが、それはなかった。3月11日の震災を受けて安全対策を講じるというのであれば話は分かるが、菅首相の会見内容は、政策転換の方向性として将来的な展望を述べたに過ぎないという受け止め方が妥当であると思った。そうでもなければ、重大な公約違反に値するような内容であるし、そこを叩いても意味がないとこの時点では思っていた。それがどうだろう。先の日経「「脱原発」 頼みは原発相と民間人 首相、経産省・官僚とは距離」は、かなり具体的な人事に取り組みだしていることを次のように報じている。

 菅直人首相が進める「脱原発依存」で、国家戦略室の民間スタッフと細野豪志原発事故担当相のチーム重用が目立ってきた。「私個人の考え」と表明した脱原発依存策の裏付けとなる夏の電力需給対策も、基本的にはこの2つの集団が手がけており、経済産業省や官僚とは距離を置く。だが首相官邸内にも「退陣表明したトップの個人的な見解に、国家組織が付き合う必要があるのか」との疑問が絶えない。

 これは冒頭の部分だが、菅首相の「個人の考え」に対する疑問視の部分だけでは指摘が足りない点と、この記事のタイトルからして菅首相の組織作りの意図のような文脈だからだろうか、二つの違うテーマを並べたような構成で少し無理がある。同じく日経で、19日付けの「」が、菅首相の立ちどころを浮き彫りにしている(参照)。

 菅直人首相は15日、自らが打ち出した「脱原発依存」の方針は「個人の考え」と強調した。退陣表明をしながら記者会見でエネルギー政策の根幹の変更につながる発言をし、短期間で位置付けをすり替える首相に、閣内や与野党のいらだちは頂点に達している。党内の中堅・若手を中心に首相の即時退陣を求める署名活動が始まるなど、退陣圧力は強まるばかりだ。

 当の首相の意識はズレている。15日、国会議員会館の民主党の全議員の事務所を菅事務所の秘書が訪れ、白い封筒を配った。中身は13日の記者会見に臨む首相のカラー写真と、記者会見での発言。表紙には「菅総理の発言 全文」とあるが、約10分の冒頭発言だけで、記者団との20分以上のやり取りに関しては「その後の質疑応答は割愛」と結んでいる。

 自らの「信念」を伝えたいと言わんばかりの振る舞いに困惑と反発が広がった。ある幹部は「首相に個人の発言はない」と指摘。民主党の羽田雄一郎参院国会対策委員長は記者会見で「私的な事だと言われると受け止めようがない」と批判した。

 羽田氏が言うように、「個人の考え」には批判も指摘も対象から外れるというのはあると思う、が、ではこの人達は、公費を使って菅さん個人の戯言を聞き、黙っていると言うのだろうか、と突っ込みたくなる。菅さんに「個人の考え」と言わせた上、そうさせているのは野党では?現に、脱原発依存を将来目標に掲げ、国家戦略局の構成まで弄っている。この一連の行為は、国民に無断で政策転換を行った線上の独裁政治ではないか?という疑問を持った。国家の根幹につながる発言をしたにもかかわらず、実際の組織編制までしておいてこれは「個人の考え」だという理路の矛盾に気づいていないとしたら呆れる話だ。野党は、この矛盾点を指摘し、それを議論の場に挙げるのが役目であり、それが民主政治ではないのだろうか。
 今回の菅さんの立ち回り方は菅さんの得意とするもので、後付の理屈は、既に起こした行動を正当化し逃げ道を作る手法だと思う。

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「反核」異論 (1983年)
吉本 隆明

 もう一点、菅さんの個人的な考えに対して私の個人的な考えをぶつけておきたい。
 原発事故を催した国はこれまでにチェルノブイリとスリーマイル島の例があるが、日本は世界の二番目に原発を有している国だというのに、これらの二つの事故から何を学んでどのように対策を取ってきただろうか。「絶対安全」の元に科学に蓋をしてきたのではないだろうか。日夜研究に勤しむ学者がいて研究自体は進む反面、それを発展的に原発に生かす政策を取ってこなかったのではないだろうか。政治家が学者である必要はないが、菅さんの「安全確保だけでは律することができない」という考え方は、吉本隆明氏の言葉を借りると「敗北主義的敗北(勝利可能性への階梯となりえない敗北)に陥っていく」(参照)姿だと思う。原発に対して敗北的になっては決してならない理由は、エネルギーに核を選択した時点で、これは科学への挑戦に踏み切ったことを意味し、まだ未開の部分が残っているからだ。これを「原子力事故のリスクの大きさ」を思い知ったから程度の理由で科学することから離脱するのはただのへタレ。そこからが本当の科学ではないのかな。菅さんがへタレであってもなくてもどうでも良いが、巻き沿いは勘弁して欲しい。かといってそんなに大きな事をやれと言いたいのではない。エネルギー政策の根本を議論し、日本は核というものへの向き合い方を考え直すときではないかということだと思う。この科学と言う文脈では、極東ブログの「福島原発が世界に残すかもしれないひどい遺産」(参考)の意見もある。昨日のエントリーにもリンクを貼らせてもらった記事だが、吉本氏が指摘する科学は原理を言われているため不動である。これにつての理解が根底になくては議論していることにもならない。ざっくばらんに別の角度で言うと、持論から原発の賛否に問題を帰結させる科学者は、その職を置いて発言しているようなものだと思う。と、その程度にしか受け止めないことにしている。
 私は、現存の日本の原発に科学技術の進歩を生かして、より安全な方向を模索することではないかと思っている。得体の知れないままでは、日本の原発をただの灰にしてしまうばかりか、チェルノブイリとスリーマイル島の事故当時の古い原発のまま葬るだけに終わる。いや、もっと悪い。将来の科学の芽まで摘み取ってしまうことになる。

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2011-07-18

[書評]空想未来小説「サンフラワーサンクチュアリー」

 東北大地震と津波の被災による福島原発の被害は、今思えばこの程度で済んでよかったと言えるかもしれない。それでも毎日、原発関連のニュースを聞かない日はない。集まった多くの義援金が被災者の手に渡ったのは僅かその五分の一だと聞くと、政府の段取りの悪さを思わずにはいられない。特に今年の夏のスタートは例年よりも早く、意地悪くこれが泣きっ面に蜂で、既に猛暑の毎日である。信州の夏は、それでも都会の暑さよりは幾分か涼しく過ごせるとは言え、高温に対する耐力は弱い。過ごしにくい毎日が続いている。
 クーラーのスイッチに手をやるとき、使用電力の「15%カット」と言う言葉が呪いのように脅かす。まるで涼しさを求めるのが罪悪か、それは人間の弱さだと閻魔様が背後で仁王立ちして睨んでいるのじゃないかという気がしてくる。こんな時、いっそのこと15%カットに拘らずに今まで通り会社を営業し、家庭では普通に暮らし、それでブラックアウトしてみてはどうかと思う。電力供給を原発に頼らなかった昭和のあの薄暗いような暮らしに戻るのはわけないなどと我慢しないで、現代人に相応しい暮らしを市民が選択した結果としてブラックアウトすることは、政府への良いメッセージとなるのではないだろうか。昔のような抑圧的な国家主義の再来のような、電力がその一手段のようなこんな空気は真っ平御免と言いたい。もっと言うと、昭和の当時を知らない今の若い人達も、他人が書いた文字からしか汲み取れないようであるし、経験のためにも一度そうなってみれば科学が物語る意味が理解できるのではないだろうかと思う。例えば、「福島原発が世界に残すかもしれないひどい遺産」(参考)の真意など、まるで理解できていない。
 自分の理解力不足で意味が分かっていないかもしれないなどの疑問すら感じられないコメントもあるが、人の書いたものに批判的に反応していうるうちは、自分の考えは持てない残念なことになる。一度経験すれば、電力供給の今後のあり方について、他を批判するだけには終わらずに実のある考え方にならざるを得なくなると思う。
 なんとなくフラストレーションが溜まって、その爆発をまるで避けるかのようで、このところの心持ちに息苦しさを覚えていた。止まる止まると怯えていないで、皆で一度ブラックアウトと言うものに遭遇して、それがどれ程のことか体験してみたらどうかと思っていた。懲り懲りして電気を使わないのではなく、懲り懲りするからこそもっと安全に安心して電気が使える日を創造するということではないだろうか。わざわざブラックアウトしなくてもよさそうなものだが、菅直人総理の世代は実体験しないと分からない世代の人達だから仕方がない。そんなことから、科学の力を信じて未来構想を画策してはどうかと思っていた。

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 昨日、これからのエネルギーは一体どんなものになると良いのだろうかと思いながら、ネットサーフィンしていた。「藻で作る油」という火力発電源としてはクリーンな油の精製技術を研究しているという記事を見つけ(参照)、何でもいいから科学する事を続けることに意味があると、嬉しい気持ちがした。「魚油のチェーンはそこに行き着く。」と知って少し調べたら、既に燃料として使われていることを知った。未来に実現しようという研究者の存在は、それを知っただけでも明るく嬉しかった。
 夕方、「サンフラワーサンクチュアリー」(参照)という空想未来小説の短編を読んで驚いた。菅さんがその孫の代に、トリウム炉を遺しているではないか。そうか、とここで共鳴したのはキーワードが「ブラックアウト」であった。思わずにんまりした。結託しようぜ!とも思った。
 この小説は、菅さんの33回忌の翌年というシーンから始まっている。孫の二人が誘い合って菅さんの墓参りに行く直前の会話だ。姉は直子という菅さんの直人から一文字もらっているが、性格は奥さんの伸子さんに似ていると弟の伸男が見ている。ふむふむ。姉は40に手が届いているのだろうか、首相で、弟も35歳にして独身という設定。姉は、この夏のブラックアウトの時にどうやらできたらしい。そうか、ブラックアウトしてしまった世の中でじゃ人は暇になるし、夜もテレビでナイター観戦するでもないだろから暇つぶしにできた子どもだな。それを弟が笑っているというような描写は、今の若い人には書けない芸当だと思う。このような昭和な感覚が文中に潜んでいるのが笑えてしまった。これが分かる人がどれだけネットの世界にるだろうかと思うと一々脚注をつけたくなったが、野暮なことはやめておこう。因みに、菅さんの息子さんの話が丸で出てこないので調べてみた。Twitterにはご健在のようだ(参照)。
 面白いのは今の中国が「新清国」となって朝鮮はどうやら国としての存在はなくなっているらしい。つまり、この当たりはマジに昔、中国は満州族の王朝のことで、朝鮮は清国の属国であった。これが未来では合併して「新清国」になるらしい。北朝鮮も韓国もこの頃には統一されているのかな。
 これも内容と重なっておかしくなったことの一つだった。昨日、アメリカへの韓国移民が減りつつあり、中国の韓僑が増え始めていると言う情報から少し調べてみたら、メキシコの例がそれを実証していると結びついたことだ。昔「後進国」といわれた現在の「新興国」である中国、韓国、インド、ブラジル、メキシコなどの国は、経済成長率5~8%と、目覚しい成長を遂げている。これもアメリカの量的緩和政策による影響もあり、ドルが流入してインフレを起こしている。また、こういった経済成長が目覚しい時代は日本は既に通り過ぎているからよく分かるが、メキシコなどは子どもの数が減って一家の生計が楽になってきている点もその要因だと分析されている。これについては、機会があったら書きたいと思っているが、中国も一人子政策が功を奏して、一家の暮らしが楽になっていているのはあると思う。経済成長していると言われている割りに暮らしぶりがイマイチなところが皴寄せの原因だろうか、韓僑傾向にあるのは納得できる。そして、中国と統一朝鮮が一緒になって「新清国」になる話につながってもおかしくないと想像をめぐらせて楽しかった。現在の動きはその未来像へ向かっているのかと思うと、脅威としてではなく、穏やかに見守りたいという気がしてきた。なんだか不思議な現象だ。
 そして、私達の住む都市構想はこんなに具体的。

50万人単位の行政区に原子炉と廃棄物処理所とデイケアを一体化させたトリニティ・システムを配備し、ネットワーク化して日本全土をカバーした。今では新清国への売り込みも始まっている。

 鉄腕アトム世代としては、科学技術の可能性に挑戦しないような時代って生きている気がしない、という感覚を呼び覚まされた感じがしたな。久しぶりに。この短編小説は、奇しくも筆者の夢がたっぷり潜んでいる。こういう言い方は良くないかもしれないが、現実の菅さんの未来では、褒め称えられる姿はこのままではあり得ないと思う。そういう名誉を重んじているわけではないのかもしれないが、私達市民からは高嶺の花であるところへ登りつめたのだから、どうせならそこで咲いて欲しいと思った。だから、生まれ変わるという意味でも、小説では亡くなったお爺様という設定も良いと思ったし、世襲の息子ではなく、架空の孫という時空を置いた設定が良いと思った。この時空は、想像をめぐらすための良い空気に感じられた。

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「反核」異論 (1983年)
吉本 隆明
 現実と空想がどこかでリンクしながら、ともすると実現性のある話だと期待感も持てるような、そんな不思議さの残る小説である。
 そうそう、せっかくなので書籍のご紹介。吉本隆明氏の「「反核」異論」などは、原発に関する考え方の間違いに気づける良書だと思う。(一部抜粋)

 知ったかぶりをして、つまらぬ科学者の口真似をすべきではない。自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即時的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したのと同義である。また物質の起源である宇宙の構造の解明に一歩を進めたことを意味している。これが「核」エネルギイに対する本質的な認識である。すべての「核」エネルギイの政治的・倫理的な課題の基礎にこの認識がなければ、「核」廃棄物汚染の問題をめぐる政治闘争は、倫理的反動(敗北主義)に陥いるほかないのだ。山本啓の言辞に象徴される既成左翼、進歩派の「反原発」闘争が、着実に敗北主義的敗北(勝利可能性への階梯となりえない敗北)に陥っていくのはそのためだ。こんなことは現地地域住民の真の批判に耳を傾ければすぐにわかることだ。

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2011-07-17

イスラエルを支持するアメリカ基盤で中東和平を唱えることの矛盾について雑感

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 アラブ連盟は、パレスチナ暫定自治区が9月の国連総会で独立国として加盟する方針に対して協議した結果、全面的に支持する考えを明らかにした(NHK)。アラブ連盟とは21の国から成り立っており、ここがパレスチナを後押しするということは、イスラエルを支持するアメリカ・オバマ大統領にとっては嫌な展開であることは間違いない。アラブ諸国やイスラムとの和平政策がますますやりにくくなる筈のオバマ氏からは今のところ何も聞こえてこないが、今年5月の中東和平に関する演説が微妙に読みにくかった(参照)。その時点での私の考えは、国連総会という国際会議の場で採択する運びとなれば世界は文字通り二分されてしまう。そうなる前に、アッバス氏に提出を諦めてもらうということをオバマ氏は暗に目論んだと見ていた。そのために、1967国境案に基いてパレスチナの要求をいくつかのもうということらしいというのが協議の肝だったのではないだろうか。これは、今までとなんら変わりないことだが、具体化できるかどうかが鍵であったし、何が違うかと言えば、国連総会の場を外すことだ。そのための最低不可欠な要求をのめば(この場合、イスラエルが)採択する案自体が消滅することになる。話し合いがまとまらずとも、時間の引き伸ばしにはなるとは思った。ところが、事態はオバマ氏の願った通りには動いていないようだ。現在の状況把握として、ニュースを拾って少し整理してみようと思う。
 今回のパレスチナ暫定自治区の独立と国連加盟そのものは実現不可能であると見られている。決議案として総会に提出する前に、国連安保理の常任理事国から承認され勧告を受けなければならないが、アメリカはイスラエルの唯一の同盟国であるため、拒否権を行使するはずなので全員一致を見ることはない。それでも、なおかつパレスチナが独立に向けて各国を訪問しながら賛同を得ようと動いている事を先のNHKでは次のように伝えている。

パレスチナ 国連加盟で米をけん制
パレスチナ暫定自治政府のアッバス議長は、12日、ヨルダン川西岸のラマラで、記者団の取材に対し「あくまで和平交渉の再開が最優先だ」と述べ、イスラエルが交渉の場に戻るよう、アメリカの働きかけの努力が必要だという考えを示しました。そのうえで、アッバス議長は「アメリカがパレスチナ側の立場に賛同し、国連で拒否権を行使しないことを望む」と述べ、アメリカに対し、和平交渉を再開に導けない場合はパレスチナの国連加盟を妨げないようけん制しました。

 国連の発足や組織は、常任理事国には都合よくできているので、加盟を求めるパレスチナもそれを承知の上での外交だとは思う。現在、パレスチナの特使が来日中で、昨夜遅くにNHKが報じているインタビューで、日本政府に支持を求める外交の目的もはっきりしている(参照)。

 日本を訪れているパレスチナ暫定自治政府のシュタイエ特使が、NHKのインタビューに応じ、「20年も和平交渉を続けてきたが進展は見られず、もはや限界だ」と述べ、交渉に失望感を示し国連への加盟に向け各国に働きかけていく姿勢を強調しました。日本政府はいまのところ、交渉を重視し、一方的な国連加盟には慎重な立場を取っていますが、シュタイエ特使は「G8・主要8か国の1つの日本がわれわれの立場を支持してくれれば、これ以上イスラエルによる占領は許されないという強いメッセージを送ることができる」と述べ、日本の支持に期待を示しました。国連への加盟には安全保障理事会の勧告が必要で、アメリカが拒否権を行使する構えを見せていることから、パレスチナの加盟は難しいとみられていますが、シュタイエ特使は「目標が達成されるまで挑戦し続ける」として、外交努力を続ける考えを示しました。

 アメリカから何も聞こえてこないのは、拒否権を使うことがはっきりしているため、今直ぐに対応することもないかもしれないが、パレスチナを支持する国が多くなればそれだけオバマ氏の今後の中東和平政策がやりにくくなる。これに向け、何か動きなどはないかと調べているうちに、イランのラジオ局のネットユースで7月7日付けの小さな記事を見つけた(Irib)。

 フランス通信によりますと、アメリカ国務省のヌーランド報道官が、「アメリカ政府は国連でのパレスチナ国家の正式承認に向けた努力をよい考えだとは見ていない」と述べました。
 ヌーランド報道官の発言の一方で、6日水曜、パレスチナ自治政府の上級交渉担当者とアメリカのデイヴィット・ヘール中東和平担当特使、およびデニス・ロス元中東特使と会談しました。
 一方、アメリカ下院のイスラエルの利益の主な支持者である共和党のエリック・カンター下院院内総務は、敵対的な口調で、「パレスチナとイスラエルの問題は唯一協議によって解決することができる。この問題を国際的な注目を引き付けるための道具に使うことで、協議を軽視すべきではない」と語っています。

 フランス通信の直訳だろうか。かなり私情を含んだ記事だと思うが、「協議によって解決できる」というアメリカ側の意見は、イスラエルに言うべきことじゃないかとこの際思う。これまでの経緯から、イスラエルが協議のテーブルにつかない張本人で、そのイスラエルにアメリカが交渉できない理由に在米のユダヤロビー*1の存在は大きいと思う。
 アラブ連盟の後押しに始まりパレスチナが活発に独立に向けた外交を進める中、アメリカの拒否権によって独立自体は実現できなくとも、賛成国を相手にオバマ氏の和平問題に対する姿勢を表明しないわけには行かない状況にはなると思う。イスラエルとパレスチナ暫定自治区を前に平和とそのための協議の必要性を公言しながら、土壇場になればイスラエルの肩を持ち、パレスチナには歩み寄れとは。これは二枚舌と言われても仕方がないかもしれないが、その罵倒で帳消しにする問題ではない。

*1)ユダヤロビー:米国には約530万人のユダヤ系市民がおり、活発な政治活動で知られる。その数は、米国の人口の2%以下に過ぎないが、その組織率と投票率の高さ、大統領選挙の際に重要なニューヨークやイリノイなどの州への人口の集中、マスコミ、大学など言論界での発言力の大きさなどの要因が合わさって、政治的に無視できない力を有している。伝統的にユダヤ人の大半が民主党支持で、民主党の大統領には特にユダヤ人の影響力が強い。しかし、近年になって共和党支持のユダヤ人も増えてきた。その諸組織は、ユダヤ・ロビーとして知られている。ユダヤ・ロビーは、その力をイスラエルのために行使してきた。       
( 高橋和夫         放送大学助教授 )

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2011-07-16

竹島上空を飛行した韓国に対する日本政府の対応について雑感

 竹島を巡る韓国と日本の領有権の話しがまた始まった。と書きながら、私は、ここで竹島問題を取り上げてきちんと書いたことがない。うーむ、何故かなと振り返ってみるに、竹島問題は根が深くどこを切ってもナショナリズム的な問題に帰結しそうだし、そうなるとどちらがどうだという良し悪しが言いにくい。というか、そういう話しになると難しい。日露戦争まで遡って記録をざっと見ても、日本の領土だろと思う私は、日本人だし。だから書きにくいという点ははっきりあるが、この度の日本政府の対応には些か驚いた。外交ってそういうものですかみたいな疑問もあるし、これで本当にいいのかと考え込んでしまった。というか、100年以上抱えてきた腫れ物だけに、今の民主党の手に負えるわけはないので止めれ、と言いたいだけかもしれないが、思い切って書くことにした。記事のクリップ程度になるかもしれないが、状況だけはきっちり押さえて置くことにしようと思う。

 竹島が微妙な位置にあることは地図でも分かる通りで、いっそのこと、どちらの持ち物でもないとした方がタブーにならないのではないかと思うくらいだ。今回浮上した問題は、日本の国土だと主張するこの島の上空を先月、大韓航空のエアバスA380の就航記念でデモ飛行をやらかしたため、韓国に日本政府が抗議し、外務省は全職員に18日から一ヶ月間公務で大韓航空機に搭乗しないようメールで通達した。これに対して韓国の反論が始まった。
 Twitterのクリップ記事、朝鮮日報は次のように報じている(参照)。

 外交通商部(省に相当)の張元三(チャン・ウォンサム)北東アジア局長は14日、在韓日本大使館の水越英明公使を呼び、強い遺憾の意を示した。同部のチョ・ビョンジェ報道官はこの日の記者会見で「航空管制上の問題がない限り、韓国の飛行機が韓国の領空で何をしても自由なはずだ。現在の両国関係を考慮すれば、日本がこのような措置を講じたことには失望を禁じ得ない。撤回を求める韓国の要求にどう対応するか見守っていく」と述べた。
 日本と韓国が共に調印している世界貿易機関(WTO)の「政府調達に関する協定」は、加盟国の政府が民間企業から物資を購入する際、ほかの加盟国の企業も自国の企業と同等に扱うよう定めている。日本の外務省は、大韓航空機の利用を自粛するよう命じたことが、同協定に著しく反するものではないと判断したという。だが、外交通商部はこれに対し、問題提起の余地の有無について検討を進めている。韓国政府の関係者は「日本の外務省の職員たちは通常、日本航空(JAL)や全日本空輸(ANA)を利用するため、実際に大韓航空に与える影響は微々たるものだが、政府レベルで民間企業に対する制裁措置を講じたことは、重く受け止めざるを得ない」と話した。

 韓国の言い分は、自国の領土の上空で何をしようといいじゃないかという点と、問題提起の余地として、WHO協定に触れているのではないかという点でも日本に反論する材料を模索中だと理解した。そして、引用部分の文末の「政府レベルで民間企業に対する制裁措置を講じたことは、重く受け止めざるを得ない」というのも韓国にとっては怒りの元にあるようだ。私だってこれはおかしいと思った部分だ。公私混同も甚だしい極みではないだろうか。正気の沙汰とは思い難い程幼稚な対応だと思った。が、ここでちょっと不思議に思ったのは、韓国の領土だとする独島(韓国の竹島の呼び名)のあの微妙な領域を何故わざわざデモ飛行したかだ。A380エアバスの見せびらかし?いや違うでしょう。と、思ったので記事を遡って調べてみた。
 毎日にこんな記事があった(参照)。

竹島問題:「国際司法裁へ提訴を」 県議会、全会一致で意見書 /島根
県議会は8日、竹島(韓国名・独島)の領土権確立のため国際司法裁判所へ提訴するよう政府に求める意見書を全会一致で可決した。首相や衆参両院議長に提出する。
県議会では、竹島に関する意見書はこれまで何度も可決されているが、国際司法裁への提訴を求めたのは04年10月以来。竹島周辺で韓国が総合海洋科学基地の建設を計画し、孟亨奎(メンヒョンギュ)行政安全相が先月、同島を訪問したことに対応した。
意見書では、韓国側の動きを「さらなる支配強化につながる恐れも想定される」と主張。国際社会へのアピールと国際世論喚起の必要性を説いた。

 この総合海洋科学基地の建設の話はいつ頃から日本のメディアで騒ぎ出したのか調べると、ざっと見て4月、日本が震災でてんやわんやしている頃のようだ。私も、原発問題にかなり気をとられていたときだったようだ。この背景を4月4日、Yahooニュースが伝えている(参照)。

独島の総合海洋科学基地、今月着工へ
聯合ニュース 4月4日(月)15時2分配信
【ソウル4日聯合ニュース】韓国政府が4日、独島の実効的支配を強化するため、今月中に独島総合海洋科学基地の工事に着手する予定だと明らかにした。
今月末に陸上で基地の構造物製作に着手し、12月まで組み立てを完了する計画だ。総合海洋科学基地は独島北西側1キロメートル海上に建設される鉄骨基地(延べ面積2700平方メートル、事業費430億ウォン)で東海(日本名:日本海)の海洋、気象、地震および環境などを観測する装備を備え、通常時には無人自動化システムで運営される。
 政府はまた、年内に独島に海水通過が可能な防波堤(長さ295メートル、幅20メートル)建設に対する基本設計を完了し、7月完工予定だった独島住民の宿泊施設工事を5月初めまでに完了するとした。
そのほか、1日には独島が韓国領土であることを強調した学習副教材を発刊して全国の小学校に配布。今後、独島教育広報館の設立も推進するとした。

 かなり批判的に、情感を交えて産経も怒っている(参照)。

 しかも、日本は今、東日本大震災の復旧・復興に向けて悪戦苦闘している最中だ。そのような時期に工事を始めるとは、隣国としての信義にももとる。
 松本剛明外相は衆院外務委員会で、ソウルの日本大使館を通じて韓国に抗議したことを明らかにし、「韓国の竹島への措置は到底、受け入れられない」と強調した。当然である。

 震災の事を持ち込む辺りは置いといて、この記事を引いた理由は、松本外相がこの件で韓国と関わった当人だということをはっきりさせたかった。冒頭の朝鮮日報の引用部分に続いて、韓国紙では、松本外相が最終的に大韓空港搭乗の一ヶ月禁止を命じた張本人だとして、これを菅政権の愚策に結び付けている。

 日本政府がこうした姿勢を見せる背景には、独島の領有権をこれまで以上に積極的に主張しようという意図があると考えられる。また、今年3月11日に発生した東日本巨大地震以降、極度の混乱に陥った政界の事情が背景にあるとの見方もある。菅直人首相が福島第一原子力発電所の事故をうまく収拾できず、辞任を求める圧力にさらされている中、菅首相の率いる民主党政権も、合理的な政策を打ち出すのではなく、無謀な措置を打ち出すことが多くなったというわけだ。大韓航空機の利用自粛令を最終的に承認した松本剛明外相は、民主党に所属する国会議員であり、伊藤博文の子孫に当たる。

 なんだかこの新聞も先の引用の産経に似て、松本外相があの500円札の孫だとかまで教えてくれなくてもよさそうなものだけど、何かと日本をコケにしたいのか、韓国人の喧嘩はこんなもの。オマエのカーちゃん出臍ー的。子どもの喧嘩宛らであるが、本気になるのも無理はない。事業費430億ウォン(約31億円)もかけて冗談を言っているとも思えない。
 独島の近海に建設することが独島の占有権を主張するために有利に働くと報じているが、そうかどうか私には分からないが、島根県が政府に国際司法裁判に諮るよう要請したとあるし、法律で解決できることであればそれに越したことはないと思う。が、この問題が昨日報じられた大韓航空機の不法航行につながったとしたらそれはそれとして、大韓航空機に搭乗させないという制裁措置のようなものは日本は取るべきではないと思う。これについて朝鮮日報が指摘するように、民間会社を巻き込むべきではないと思う。松本外相が詰られても仕方がないところだが、私は冷静にこのやり取りを見ていたい。ふとTwitterを覗くとBBCでも小さくではあるが、取り上げている(参照)。あまり事を大きくしたくはないな。
 当初は、ナショナリズム的な展開に発展することを懸念したが、松本外相の対応から、そんなものにも程遠いし、子どもの喧嘩程度で終わりにして欲しい。というか、首を突っ込んで欲しくないな。

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2011-07-15

8日の抗議集会から一週間のエジプト情勢について雑感

 先週の8日、エジプトで起きた最高軍事評議会のこれまでの対応に対する抗議の集会から一週間になる。当時の状況は「8日のデモにまつわるエジプト情勢について雑感」(参照)でまとめてみたが、軍の対応も出てきているので状況を把握しておくことにした。
 市民の抗議に対応する措置として、BBCが報じているエジプト政府の対応が意外だった(参照)。

Egypt to sack 700 police over killing of protesters
Protesters have again struck camp in Tahrir Square following Friday's massive rally
Continue reading the main storyAlmost 700 senior police officers in Egypt are being removed from their jobs over the killing of protesters during the revolution earlier this year.
Interior Minister Mansour Essawy said 505 generals and 164 officers would end their service on 1 August.
The move comes as protests continue in Cairo's Tahrir Square, calling for the speedy trials of police officers and corrupt Mubarak-era officials.
The military also confirmed that polls set for September would be delayed.
"It has been decided to hold [parliamentary elections] in October or November," an official from Egypt's interim ruling military council told the Mena state news agency on Wednesday.
Many of Egypt's new political parties have called for the vote to be delayed so that they can compete against better organised and more powerful opposition groups, notably the Muslim Brotherhood.
On Tuesday, the military said it would draft guidelines for selecting the 100-member assembly that will write a new Egyptian constitution. That could make it more difficult for any Islamist-led legislature to choose the body and thereby give the charter an Islamist slant, analysts say.

 市民の抗議を受け、エジプトの内務大臣は、505名の警察幹部と164名の幹部役員を8月1日に解雇する方針を固め、9月に予定されていた議会選挙を10月か11月に先送りすると発表した。これについて、選挙が予定通り9月に行われると、圧倒多数を有するムスリム同胞団の勝利となる事を懸念するエジプトの若手運動家らの要望を受けられた形となった。
 また、Twitterでのクリップ、時事通信社の「改革停滞、国民に不信感=首都の広場で抗議再開―エジプト」でも次のように報じていた(参照)。

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改革の加速を要求する勢力は、首都カイロのタハリール広場で泊まり込みの抗議を再開した。国際海運の大動脈、スエズ運河の出入り口に位置する東部のスエズでも、デモ隊殺害に関与した警官の保釈をめぐりデモが激化。デモ主催者は「(行動を)エスカレートさせる」と宣言した。
こうした動きの背景には、旧政権要人やデモ隊殺害に関与した警官の訴追が進んでいないことや、9月の人民議会(国会)選挙を遅らせて新憲法の制定を先行させるべきだとの声に軍評議会が応えていないことへの不満がある。
軍評議会は、シャラフ首相に1週間以内に内閣改造を行うよう指示。旧政権寄りとされる閣僚が更迭される見通しだ。
 ただ、軍評議会のファンガリ少将は12日に国営テレビを通じて演説し、「抗議行動の際の逸脱行為や国家機関への妨害行為には断固対処する」と警告。民政移行に向けた国家のかじ取りを譲る用意はないと表明した。(了)[時事通信社]

 まず、警察の幹部や役員の解雇の数や旧政権よりの閣僚を更迭したり、内閣改造を模索したりと、とにかくエジプト市民の怒りを静めるために至れり尽くせりという対応だ。束となって抗議する市民の訴えを聞き入れた形となり、これを「第二の革命宣言」だと勝利を喜ぶ市民もいるようだが、最近、これが滑稽に見えてきた。
 時事通信社の誤訳でなかったら、この軍の声明もおかしなことを言っていると思った。エジプトは軍政であり、それを譲る気はないと言うのならともかく、「民政移行に向けた国家の舵取り」と、わざわざ表現する辺りは、市民感情に配慮するあまり言葉を間違えたのじゃないか。一方、エジプト市民もなんとなく矛盾している。
 ムバラクという独裁者を排除することには成功したが、エジプトの軍評議会は国家の最高議会という位置づけのため、この旧態に革新的な改革を求めるのは不可能なことだと思う。「改革」を起こしたくても起きないのが現実だと思う。と今は断言できるが、2月の争乱直後は、エジプトの国が変わるのではないかと錯覚したこともあった。
 若手の運動家らが、革新を求めて軍評議会を相手取って対立的な行動を取れば、無駄な血を流すこととなり、議会や大統領、憲法改正を遅らせてしまうことになるだけだと思う。矛盾点は、エジプトの革命家や若手運動家らは当初、これを訴えてきたにも関わらず、ここで早期の選挙に反対したため、10月か11月に遅延した。つまり、ムスリム同胞団を置いて、自分らの要求を通せということではないかと思う。それは、軍政に対してないものねだりに過ぎないことだが、これが通ると現状で正気でそう思っているとしたら、若気の至りではにだろうか。私は、エジプト軍政に保守的な立場でもなんでもないが、この見方は常識的だと思ってきた。これが間違った見方だとしたら、この先に起こるのは、軍打倒の動きかもしれない。そうなれば、再び多くの血を流し、治安は悪化し、国の経済も破綻してしまうのではないか、と、よからぬ方向へ妄想してしまう。
 ムスリム同胞団はどういう動きをするだろうか。ムスリム原理主義というイデオロギーを持つ大きな集団となれば何が起こるかと、しばらくエジプト情勢からは目が離せない。
 また、日本のメディアで一番新しい情報では昨日、エジプトの内閣改造を一週間以内に行うと報じている(参照)。

 首相は内閣改造を「革命の目的を実現するためだ」と説明。イサウィ内相に対し、15日までに民衆蜂起の弾圧に関与した幹部を内務省内から排除するよう指示したと述べた。司法当局にも容疑者の訴追を加速するよう求めたという。さらに、一部の県知事を7月中に置き換える意向も示した。
改革停滞、国民に不信感=首都の広場で抗議再開―エジプト

 どうにも変わりようのないエジプト軍政ではあっても、内相の声明の「革命の目的を実現するため」と言う言葉遣いからも、市民感情に対して相当の配慮をしていることがうかがえる。

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2011-07-14

アメリカとパキスタンの気になる動き

 一昨日のTwitterのクリップ記事、「米国:対パキスタン軍事援助、大幅凍結…態度軟化狙い」(参照)が難しい。両国に関係す国を拾い上げると、もしかしたらこれは大きな転機ともなることではないかという気がした。実は、毎日記事を拾う前に6月24日、イランのラジオ局ネットニュースで、小さく取り上げていた「アメリカがパキスタンへの軍事支援を削減」(IRIB)で、既にアメリカが準備にかかっていたことは知っていた。なので、毎日記事は、それが現実的な展開になってきたことを報じているのだと察知した。過去に戻って背景を少し押さえた上で考えてみたいと思う。

 まず、毎日の記事で気になる点を挙げてみたい。
【ワシントン白戸圭一】米政府は「テロとの戦い」の同盟国として今年約20億ドル(約1600億円)の軍事援助を供与する予定だったパキスタンに対し、総額の4割に相当する8億ドル(約640億円)の援助を凍結する措置に踏み切った。

米軍のパキスタン領内での活動に「主権侵害」と反発するパキスタン政府は、米特殊部隊による国際テロ組織アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害(今年5月)を機に、米国の対テロ戦に非協力的な姿勢を強めている。米政府は軍事援助の一部凍結で揺さぶりをかけ、パキスタン政府の態度の軟化を引き出したい考えのようだ。

 この決断に至る一番大きなきっかけは、今年5月、アメリカ軍は、パキスタンに隠れていたビン・ラディン容疑者の家を見つけ出し、殺害したことだ。これに対しパキスタン政府は、「主権侵害」だと抗議したため、アメリカに対して非協力的な態度に変わった。これを軟化するための揺さぶりとして軍事援助を削減するという狙いがあったと解釈した。が、24日に既に支援を削減する考えを報じているため、記事の辻褄が合わないと思った。だから、揺さぶりをかける理由が他にあるのか、何か隠れた事実でもあるのかはっきりしないため、アメリカの意図が読めない記事だと感じた。そして、結果的には、パキスタン政府がそのアメリカを断わり、意のままにアメリカを相手取って得意になっているという文脈になり、中国の支援に頼る形で赤字をカバーで出来ると結んでいる。
 アメリカのこのところの経済状態を思うとかなり逼迫している上、8月2日までに決済されないと、債務不履行となる恐れもあるようだ(参照)。と、ここで私自身もアメリカの大義名分になる理由付けをしたいところだったが、ふと、この思考は、私の関心に文脈をすりかえる悪い癖だと思いとどまった。まずは、アメリカがパキスタンを切るに相当する理由をつきとめることが問題を解く鍵だと思い直した。
 まず、パキスタン側から。
 パキスタンは、中国という後ろ盾があるため、アメリカの態度に対して何ら困る様子もなく、非常に強気な発言をしている。

◇「影響ない」と強調…パキスタン
【カブール杉尾直哉】米政府による対パキスタン軍事支援の大幅凍結方針に対し、パキスタン陸軍スポークスマンのアッバス少将は11日、「我々は外部の支援なしに武装勢力掃討作戦を実施できている。大した影響はない」と述べ、強気の姿勢を示した。

 米軍特殊部隊のビンラディン容疑者殺害でパキスタン軍の威信は失墜した。その反発から、パキスタン軍は国内で米軍が実施している地元兵士の訓練縮小や、米中央情報局(CIA)職員の帰国を強く求め、軍トップのキヤニ陸軍参謀長も、米国の軍事支援を縮小する代わりに民生支援に割り振るべきだとの考えを示していた。こうした中での「支援凍結」表明は、パキスタン軍にとって、自身の訴えを米側が受け入れたとアピールできる機会となった。

 この記事だと、パキスタンは、端からアメリカの支援を必要としていなかったのではないかと思える。昨年来からずっと無人機による誤爆のため、パキスタンの民間人が死傷していることを伝えるニュースが相次いだが、中国との関係がどの程度、いつ頃から始まっていたのかは、かつてのインドとパキスタンの戦争以来といえばそうだろうと思う。深いつながりというか、戦友のような関係だろうか。
 さて、ここまで書いてみて行き詰まりを感じ、ネット上の情報を探し始めた。何を?アフガニスタン問題を抱えるアメリカにとっては不可欠なはずのパキスタンに「軍事支援の大幅凍結」を言い渡す理由がこの記事では不十分だからだ。それが掴めないうちは、間違った読みになるのは見えていると思った。また、6月24日、既にその用意をしていると報道しているように、何かが動き出していたに違いない。

♢ ♢ ♢

 模索しているうちに極東ブログで同じ問題を同じ視点で考察するエントリーが挙がった(参照)。まず、脱帽。そして、私が逆立ちしてもこの事態を読めないと思った理由に、パキスタンのISI(Inter-Services Intelligence)の動きが入っていなかったことだ。ISIというのは、印パ戦争当時にできた組織で、パキスタンでは最大の軍の情報機関だという位置づけだ。アメリカ政府は、ISIがアメリカにとって不利に働く組織だというしっぽを掴んでいるようだ。証拠ではないにせよ、引用されている記事を読めば動きは自然につながる。中でも、パキスタン政府とビン・ラディン容疑者との関係をすっぱ抜いたパキスタンジャーナリスト、サリーム・シャフザド氏の殺害事件は記憶に新しく、不可解な事件だった(参照)。加えて、この事件にもISIか関与している可能性を報じている。この疑惑から、ISIが実行したと睨んだアメリカ政府は、ISIの反米行動を阻止する必然が発生し、手始めにISIのトップのクビ切りを要求したとある。冒頭の毎日記事で曖昧だった部分がこれではっきりした。
 さて、問題はこれから先にある。パキスタンとアメリカとの関係如何では、イランの動きが気になってくる(WSJ)。また、アメリカ軍のイラク駐留延長の用意もあると伝えている(NHK)。さらに気になるといえば、ISIのパシャ長官が動き出している。
 極東ブログで推考された文脈に沿って産経記事、「米圧力に離反も パキスタン、米の軍事援助凍結に」(参照)を眺めると、風景がガラッと変わり、はっきりしてきた。

 こうした強気の発言が出る理由は主に国内事情にある。5月の米軍による国際テロ組織アルカーイダ指導者のウサマ・ビンラーディン容疑者殺害で吹き出した「米国の主権侵害」との論調を筆頭に、パキスタン国内では近年、米国不信が相当強い。

そこにきて、今回の米国の圧力。パキスタンではテロとの戦いにおける対米協力から手を引くべきとの声だけでなく、米国のかわりに中国との関係強化をもっと進めるべきとの意見が出ている。米国の影響力をそぎたい中国は12日、「パキスタンは南アジアの重要な国。引き続き支援していく」(中国外務省報道官)と応じてみせた。

ただ、米国と協調しての対テロ戦はパキスタンにとってもメリットが少なくない。必要以上に米国との関係を悪化させたくないのが本音とされる。

こうした中、パキスタン軍情報機関の3軍統合情報部(ISI)のパシャ長官は13日、米中央情報局(CIA)との対話のために米国に向かった。にらみ合いが続く両国関係に歯止めをかけることを模索するとみられる。

 ISIの長官が対話のためにアメリカに向かったと報じているが、アメリカ政府の圧力に対してISIがこのように突然出て来ることが不自然であり、何故CIAとの対話なの?という疑問がわく。
 この文脈に、先の極東ブログの推考を組み込むと、パキスタンにとっての「メリット」云々の文脈ではなく、ISIの長官の裏切り行為のケツをどう拭うのかが対話のポイントではないだろうか。ここで動かないままでは自分の首が飛び、支援凍結という制裁措置を取られる上、無駄にアメリカとの関係を悪化させることになる。これが、自らアメリカまで足を運ぶ理由ではないかと思う。
 つまり、アメリカとパキスタンの同盟関係に皹が入ったり、最悪、離反という展開にもならないのではないだろうか。その代わり、パシャ長官の首は免れないかもしれない。悪の根絶とはならないまでも、風通しは多少良くなるのではないだろうか。ちょっと気になったのは、この話にオバマさんが一切登場しないことだが、何かあるのだろうか。

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2011-07-13

コリン・ジョイスというイギリス人ジャーナリスト

 たったの二年半だがイギリスに住んだことは、私の人生に影響と栄養を齎してくれたことではないかと思っている。いつ思い出しても、懐かしい遠い昔のこととしてではなく、自分自身の中で醸成されて行くというのか、自分自身の感じ方が更新されて行くみたいだ。第二の故郷のような存在になってきているのを感じることもある。気づかない部分でイギリス流を比較に出して「どうだいイギリス、凄いだろ」と、自慢したくなるような時さえある。

       コリン・ジョイスのプロフィール参照
 つい先日もNewsweek日本語版のコリン・ジョイスのコラム「紅茶を愛するイギリス人は過去の遺物?」(参照)を読んで、私がここの料理コーナーで嘆くようなことと似たような感じ方に共鳴したばかりだった。日本の食文化が変わるのも、紅茶が茶葉からティーバッグに移行しつつあるのも理屈ではなく、時代としか言えないけれど、昔ながらのものを愛する自分は、古いものになってゆくだけなんだな。ジョイスさん、自分が時代の遺物になって行く寂しさや侘びはこれからもっと深まって、そのうち苦しみのようになり、諦めや受容という段階を踏みますよ。と心の中で、コラムの向こうの彼に話しかけていた。

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「ニッポン社会」入門―英国人記者の抱腹レポート
コリン・ジョイス

 昨日、Twitterのタイム・ライン上で私がフォローしている人物が、「[書評]「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート(コリン・ジョイス)」(参照)をクリップしていることに気づき、迂闊にもこのエントリーをスルーしていたことに気づいた。いや、スルーと言うよりは、エントリー自体に気づいていなかったようだ。なんか気持ち悪い。どうしてかといろいろ振り返ってみると、Yahooブログからはてなブログに引越しするなど、何かと気をとられていた時期で、他所様を訪問する気持ちの余裕がない時期であった。短い期間だったが、その真っ只中であったと思う。
 私がコリン・ジョイス氏のコラムを読むようになったのは、昨年くらいからだった。劇的な出会いのようなものはなく、Newsweek記事をここで取り上げるような時、たまたまイギリス人ジャーナリストと言うだけで目に止まっただけだった。歯に衣を着せない語り口が好きで、大げさな表現を使ってうけ狙いな感じの筆致でもなく、落ち着いて淡々と書く姿勢に好感を持って読んでいる。何よりも、イギリスと日本に関しての話は面白い。私は、彼の語りに登場するイギリスの話を読むことで、自分の中に焼きついているイギリスを少しずつ更新していて、それが読む楽しみのようにもなっている。その彼が、「抱腹レポート」をしたためていたとは。これは、彼が案内人となって、彼の感性で私の知らない日本を案内していくれるのだろうなと、今から待ち遠しい。
 書評で引用されているところだけでも笑えるのは、イギリスの正統派Gentsは公衆の面前ではかなりおすましていて、物事に動転したり感情をあまり見せないところがあるが、壁にぶつかって打ち砕かれている内面を赤裸々に書いているようで、自虐的なユーモラス精神を感じた。日本の習慣や生活に対して感じるイギリス人のそのままを、地で書くだけでもかなり楽しめる。そうそう、Mr.Beanことローワン・アトキンソン氏は、そのキャラクターでこっそり、イギリス紳士の滑稽さを教えてくれてもいる(参照)。
 また、finalvent氏がコリン・ジョイス氏を取り上げるきっかけとなった元外交官野上義二氏の移動人事にまつわる舞台裏と、その理由をすっぱり言い切ったジョイス氏をこのように書かれている。因みにこの野上氏に触れたエントリーは、2004年9月に書かれている。非常に面白く読ませてもらった。

私が、コリン・ジョイスを立派なジャーナリストだと思ったのは、「極東ブログ: 女王陛下、英国大使の野上義二でございます」(参照)で触れた野上義二の記事がきっかけだ。日本の聞屋たちは叩けるときは野上義二を叩いておきながら、英国大使昇進のときは批判をネグりやがった。「やっぱ、ばっくれやがったか、日本の聞屋」と思ったので、私はジョイスの心意気に応えるべく先のエントリを書いた。もっとも聞屋から見れば日本のブログなんてクズだ。読む価値もない。でも、グーグル様はそう見てないっぽい。野上義二で検索したら現状ウィキペディアについで第二位(参照)。え?グーグルだってクズだろってか。

 このエントリーは2007年6月に書かれているが、さほど昔のことでもないと思いつつ、日本の聞屋は相も変わらない。というか、劣化している。先日も書いたが、政権が交代した上、民主党がかつての自民党の劣化型になってしまったため、朝日などは何も言えなくなってしまっている(参照)。高級紙とは言えないが、一応日本の四大紙と言われている。ジョイス氏に言わせると日本の新聞は素晴らしいそうだ。本書に書かれているそういう部分を当時の認識として読むのはそうだとしても、この二年ほどで様変わりした実感はある。これは社説に関して特にそう思うようになった。読むべきものがないというか、情けない。これは、期待と裏腹な気持ちからだが、実際友人にもそう思う人がいて、新聞はやめた人も多い。
 私世代くらいが高齢者の範囲に入ってくる頃は、きっと日本の新聞需要はがっくり落ちると思う。既にネットでしか読まなくなっている世代が後に控えている。今の新聞業界を支えているのは高齢者だと思うし、読者層の世代交代が間近に迫っていることを実感し、なんとなく寂しい気もする。

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2011-07-12

手製のカルピスのパンの話

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カルピス社員のとっておきレシピ

 最近、話題になることの多いカルピスの会社は、誕生から92年にもなる。うーむ、中国共産党よりも二歳年上かぁ(サーチナ)。なんとも感慨深いものがあるものだと、再び例のカルピスのレシピ本「カルピス社員のとっておきレシピ」*1を手に、新レシピを考えていた。ここでは、先日も紹介したばかりだ(参照)。この本のレシピの傾向は隠し味か、ソース類の甘みと酸味のような使い方で、そこがヒントと言えばそうだが、毎日食べる主食としてのパンにカルピスの乳酸菌を働かせてみてはどうかと思っていた。
 発酵食品が体に良いことはこの本にも書いてあるが、カルピス以外では、ヨーグルトや納豆、酵母パン、醤油、味噌などの食品を食べていればそれなりに摂取できる。パンを主食にすると、上記の食品はなかなかおかずになりにくいではないか。まー、ヨーグルトか、納豆のせトーストとかかな。それも何だし、いっそのことパンに練り込んで焼いてしまおうか、というのが作る動機となった。後で調べたら実際に食パンとして発売されていた(参照)。
 30ccに60億個もの乳酸菌が生きていると本に書いてある。これを生かして「サワードウ」(参照)を作れば、パンを発酵させる酵母が出来上がる。小麦粉と水だけでも出来るのがサワードウなので、カルピスでも出来るとは思っているが、これはまだ作ってみていない。個人的な趣味の域で、近いうちに試してみるつもりでいる。

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 私は、ヨーグルトをスコーンやパンの生地に練り込んで作ることがある。生地を一次発酵させる段階で乳酸菌が働きかけるせいか、非常に伸びの良い生地が出来上がる。このことからヒントを得て、生地にカルピスをそのまま練りこんでも柔らかくて美味しいパンになるんじゃないかと思った次第。結論から言うと、実にもっちり感のある生地ができた。が、その理由がカルピスの乳酸菌によるものかどうかは科学的な裏づけはここではできない。そのため、「カルピスの乳酸菌で美味しい生地が出来る」とは言及できない。が、試しに二度作ったら結果は同じで、伸びの良い生地ができ、しっとりとしたもちもちのパンに焼き上がった。画像がそのパン。
 分量の目安の割り出し方はこういう感じの展開だった。
 この本の解説の通り、飲料としてのカルピスは、5倍希釈が飲み頃の甘さらしい。個人差はあるが、私にとってはかなり甘い飲み物だ。砂糖の半分くらいの甘さだろうか。そう思って、パンに使用する砂糖の倍の容量に少しプラスして80ccを500gの小麦粉に使用してみた。市販の食パン生地の甘さよりやや甘い感じなので、二度目は減らして60ccにしてみた。食事パンならこれくらいがいいかもしれない。ここでちょっと甘みについて触れておくことにする。
 カルピスをパンの甘みに加えるならどれくらいが妥当だろうかと言う観点で考えてみた。これには、咀嚼も関係するからだ。小麦粉の甘さは噛むことででんぷんから糖分に変わるため、よく噛んで食べることが味わうことにつながる。が、砂糖を沢山入れたパンは噛まなくても甘いため、あまり噛まずに食べてしまう人が多い。これに気づいていないとすると、もしかしたら今回のレシピは味が薄いという評価を頂くかもしれない。だから、レシピを書く難しさがここにある。人の嗜好は、いろいろな要素で出来上がっているため、好みに合わせるのは難しいと言える。だから、好みを今日のパンに合わせて欲しい。実は、カルピスを使ったレシピを紹介するのを躊躇った理由もここにある。せっかくの歴史を持つカルピスに泥を塗ってはマズイと思ったが、それでも生地の出来栄えを足せば、軍配はカルピス入りのパンに上がると思う。ということで、またまた砂糖との比較で決めることにした。
 600g(2斤)の小麦粉を使って食パンを作る時、私は、24gの砂糖を使用する。ざっと、パン焼き器のレシピの三分の二程だ。この分量は至って少ない方。リーンなパン(塩だけで砂糖は加えないパン)以外で砂糖(素精糖)を使う時は、非常に少量に抑えている。だから、カルピスの原液の甘さを加味して、この倍の約50ccになんとなく10cc色をつけて60ccを採用した。参考までに、パン焼き器に付属しているレシピだと、250gの小麦粉に対して大さじ2の砂糖が一般的だと思うが、重さでいうと大さじ2は18gなので、二斤だとこの倍の36g。因みにカロリーは150㎉となる。

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 焼き上がった生地の食感はもっちり感があり、いつまでもしっとりしているし、冷めると分かるが、遠くでカルピスが呼んでいるような味がする。また、弾力がありながらもっちりとした食感の由来は、カルピスの酸味からかもしれない。これは、フランスパンを焼く時にビタミンCを加える理由でもある。
 今日のパンレシピは分量を参考にされたら良いかと思い、成型は特に拘ることはないと思う。変な書き方だが、パン作りは多様化してきているため、材料を仕込むだけのパン焼き器で応用出来るレシピにした。私は、捏ねるのはニーダーを使うが、成型して焼くまでは全て手作り。因みに今回のパンの形はこうして作った。

 ①二次発酵後の生地を14個に分割した後(1個は約61g)丸めて10分休ませる。楕円形(角の取れた長方形が望ましい)に延ばして中央で出会うように両端を折り、片方を半分までもう一度折リ込む。最後に閉じ合わせ、転がして15cmほどの細長い棒状の生地を作る。これを休ませながら同じように他の生地を棒状に作り、途中で休ませていた生地を30cmほどに転がして延ばす。この作業を繰り返して14本を30cmに伸ばす。成型は、真ん中に親指が二本入るくらいの穴を残して結び、その穴に片方ずつ端を上と下から通し、最後に片方の端を真ん中に出して花びらのように見せる。
 このパン生地の特徴は、生地を細長く棒状に伸ばすため、画像のように繊維が揃って細長くなる。この食感は、ケースパンにはない歯応えが楽しめる。

道具

  • 25cm以上のサイズのボール
  • 電子計量器(こういうの☞)
  • オーブンシート
  • 刷毛
  • 布巾・・2枚
  • レジ袋・・1枚
  • ビニール80cm×50cm(ゴミ出し用の袋を切るなど)

材料(1個が61gで14個分)

  • 国産強力粉(北海道産みのりの丘)・・500g
  • ドライイースト・・8g
  • 塩・・9g
  • 水(夏場のため氷入り)・・240cc
  • カルピス原液・・60cc
  • ショートニング(トランスファットフリー☞これ)・・30g ※カルピスの風味を重視したのでバターは使用しなかった。
  • 溶き卵・・少々(最後に表面に塗って焼き色をつけるため。なくても良い)

作り方(手作り)
全ての材料を計量する。

  1.  電子計量器にボールを乗せ、小麦粉、塩、イースト菌を計りながら加える。
  2.  小さな氷を大さじ2~3と水、カルピスで300gになるように混ぜ合わせる。

捏ねて発酵させる

  1. 上の1に2を加えて箸で混ぜ合わせ、粉っぽさがなくなったら台に移して手首の付け根で押し付け、生地が滑らかになるまで約10分ほど捏ねる。
  2. ボールに移してぬれ布巾を被せ、レジ袋に入れて結んで一次発酵させる。
  3. 生地が倍以上にふくらみ、指で押すと軽く戻ってくる程度になったらスケッパーやヘラで取り出す。
  4. 全体を計って14等分になるように一個の分量を割り出して分割する。
  5. 成型し(上記のの通り)してオーブンシートに乗せ、倍くらいに膨らむまでぬれ布巾を被せた上にビニールなどを被せて二次発酵させる。

焼き

  1. オーブンを180度に余熱しながら、溶き卵を生地に塗り、12分焼く。
  2. 蒸れないように網などに乗せて冷ます♪


*1)
 本書は極東ブログの書評で知った。カルピス誕生について興味深い話がたんまり味わえる。☞こちら

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2011-07-11

8日のデモにまつわるエジプト情勢について雑感

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8日、カイロのタハリール広場に集まった市民たち=ロイター
記事「カイロ中心部の広場で大規模デモ 改革遅れに不満」より

 8日、エジプトの首都カイロ中心部にあるタハリール広場で、ムバラク前政権崩壊後の改革の遅れに業を沸かした市民たちによる大規模なデモがあった。と思っていたが、昨日のSekaiNippoのカイロ記者、鈴木眞吉氏が伝えているところによると、100万人の呼びかけに遠く及ばず、1万数千人であったようだ(参照)。
 このデモは、2月の反政府運動を主導した若者グループや、最大の野党勢力で革命後に合法化された穏健イスラム勢力・ムスリム同胞団などが参加し、前政権の元高官らの訴追や改革の遅延に抗議するためで、激しく奇声を上げる様子を伝えていた(BBC)。ムバラク政権が崩壊したエジプトの現在の政治体制は、軍最高評議会が暫定的に統治する形であり、事実上は無政府状態が続いている結果だと思う。今後の民主的政治体制に大きな期待を持つ市民の怒りや苛立ちの方向は、2月の民主化運動を武力弾圧したムバラク前政権幹部の処分によっては大きな変革を見ることにもなるかもしれない。2月のクーデターに続き、今度は暫定政権を実質運営している軍にその怒りが向いた形となっているようだ。が、その軍も、このデモが平和的な集会という認識で、今のところ傍観姿勢に徹していると知った。
 今回のデモでは当初、参加しないと公表していたムスリム同胞団が急遽、参加という動きになった。エジプトの最大野党であるムスリム同胞団は「アラブの春」後に合法化され、その幹部らが今秋、予定されている大統領選に無所属で立候補する意向を示すなどの動きもあるようだ。このことから極端な話し、エジプトの民主化運動の帰結は、イスラム原理主義の色合いを濃くする政権運営に向かうとも考えられる。軍政の改革であるクーデターで終わるのがやっとではないかと、エジプトの反政府運動に対して高を括っていたが、軍への反発がここまでに至るとは予想だにしていなかったことでもあり、この先の動向が気になる。備忘的に記事をクリップしておくことにした。
 8日のハリール広場のデモに至った市民の軍への不満は、5月頃から次第に醸成されていたと思える背景がある。毎日が伝えている(参照)。

ムバラク前大統領を辞任に追い込んだ「革命」後、軍が暫定統治するエジプトで、軍に逮捕され、軍法会議で収監された市民が5000人に達し、革命で死亡した犠牲者への補償も遅れていることから、軍政への不満が高まりつつある。革命は評価しながら「以前よりひどい」との失望感が広がっている。
革命前後に警察や軍警察に逮捕された市民の家族と支持者らは数日おきにデモを行い、釈放を訴えている。今月中旬もカイロ市内で数百人が集結した。
 軍法会議法は、市民の審理を軍施設での犯罪に限るが、暫定政府は治安維持のため市民にも適用している。活動家は「無差別に逮捕され、弁護士もなく短期間で判決が下されている」と批判。軍は今月初めの声明で「不明朗な逮捕は調査する」としたが、具体的な進展はない。
 一方、革命で死傷した市民への補償も遅れている。
 暫定政府が発足させた「事実調査委員会」によると、「革命」中の市民の死者は846人に上る。暫定政府は2月、死者に補償金5万エジプトポンド(約70万円)と年金を出すと発表したが、支払いは一部にしか行われていない。

 この間、小さなデモはあったにせよ、5月から暫定政府の対応や経済的な不満などが積もり、冒頭の8日の大規模なデモとなったようだ。ここで、ムスリム同胞団が何故このデモに参加したのか、BBCの記事には言及がない。
 推測になるが、革命は起こしてはみたが、その後の政権運営を担当し、主導権を握るのは、ムスリム同胞団という流れが自然で、これを政権交代のチャンスにしようと動き始めたのではないだろうか。政策は、市民が求める現実的な内容にシフトしたということだろうか。当初、「憲法第一」として拘束中の市民の開放などを訴えてきたが、ここでデモの目的を考えると、「革命第一」に政策を切り替えたのだろうか。または、この逆も考えられる。
 ムスリム同胞団が積極的に現実的な動きにならざるを得ない理由として、青年たちの最近の造反もあると思う。このことはワシントンポストの7月5日記事で、5名の若手が造反したとして追放したと伝えていた(参照)。日本では8日の産経が、これについて踏み込んだ話を報じている(参照)。

 【カイロ=大内清】エジプトの次期総選挙でカギを握るとみられるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団で、複数の若手グループが公式政党とは別の新党を次々と結成し、指導部に公然と反旗を翻している。若手団員らは、現指導部による上意下達の組織運営を「旧態依然」と批判、究極的には同国の「イスラム国家化」を目指しているとされるイデオロギーをめぐる溝も表面化しつつある。
 具体的には、若手中心の新党が誕生し始め、他の既存野党やリベラル勢力との連携を図り始めている点や、若手から支持を得る有力メンバー、アブドルムネイム・アブールフトゥーフ氏が6月、大統領選に出馬表明したなどの動きもあるという。
 理念の面でも溝がある。総選挙で躍進を目指す同胞団は最近、米国との接触も否定しないなど現実路線を強調してはいる。だがその一方で、指導部からはしばしば、「盗みを働いた者は、シャリーア(イスラム法)に従い手を切り落とすべきだ」(マフムード・エッザト副団長)といった、急進的な「イスラム国家化」を志向する発言が飛び出し物議を醸している。
 にもかかわらず“造反”が相次ぐのは、非合法化されていた同胞団を厳しい監視下に置いた前政権の崩壊後、団員がおおっぴらに活動できるようになったことで内部の意見対立が表面化しやすくなったためだ。

 こうなると、野党の最大勢力でり、合法化された政治団体としてのムスリム同胞団ではあっても、内部分裂がどの程度まで進むのかと言う懸念もある。だからこそ、政策路線を「革命第一」と方向性を変え、デモに参加したと見てよいのではないだろうか。

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           Photo: EPA2011・07・01)

 またアメリカは、イスラム諸国が民主化運動によって政治力をつけてきていると見て、イスラム政党との接触を図り始めている。これまで、イスラムをできるだけ避けてきたアメリカだけに意外なニュースだったが、エジプトの今後について興味深く、ある意味方向性を示していると感じた(WSJ)。

 オバマ米政権は、中東・北アフリカに広がった民主化運動である「アラブの春」を受けて、政治力をつけているイスラム政党への接触を図り始めた。中東の民主化により、米国はこれまで遠ざけてきた人気の高いイスラム運動を直接相手にしなければならないことに気付いたためだ。

 米国がエジプトとチュニジアのイスラム政党にアプローチすることを決定したのは、両国で行われる議会選挙後にイスラム政党が重要な役割を演じる可能性が大きいことを反映している。世俗主義者が中東・北アフリカの民衆蜂起を主導したが、世俗主義政党は組織化に四苦八苦しており選挙では多くの議席を獲得できそうにない。

 イスラム同胞団の内部がやや分裂を呈しているとはいえ、他の政党が対立的に立ち上がる団結力はないと見てよさそうだ。
 また、市民の声が政府を動かしたと思われるような決断が下ったようだ(参照)。

エジプトのシャラフ首相は、ムバラク体制に反対し立ち上がったデモ参加者殺害に関与した警察官すべてを解雇する命令を出した。これは、TVアルジャジーラが伝えたもの。
シャラフ首相は、カイロ中心部のタフリル広場で演説し、その中で「内務省への新しい指示書に署名した。デモ参加者の死に関与した者達の即時解雇に関するものだ」と述べた。 エジプト国内での革命的騒乱事件、所謂「アラブの春」の結果、およそ850人が死亡、6千人以上が負傷した。
なお、2月11日に権力の座を降り、現在身柄を拘束されているムバラク前大統領は、デモ参加者への発砲を命じた罪で、死刑判決を受ける可能性がある。これに関する裁判は、8月3日に始まる予定。 

 市民の声が政治に反映されたと言い切れるかどうか分からないが、民主化へと改革は一歩近づいたとも言えると思う。ただ、軍事評議会が政治の実権を握っている以上、基本的には何も変わらないという見方は強く残る。また、革命的な方向が望ましいか否かについては、意見の分かれるところだと思う。大きな犠牲を払った上、これ以上の不安定化を望まない市民も多いということは、今回のデモ参加者の数に現れていると言える。また、ムスリム同胞団が受けてきた軍による弾圧を思うと、様変わりした新派のような姿は想像しにくい。
 エジプトが変わってきているということは実感しているが、市民の体力(生活)がどこまで持ちこたえるのかも気になる。先日、アラブ首長国連邦から30億ドルの支援を好条件で受けたこともあり、経済の立て直しは急がれる。また、これを機会に、エジプトを中心としたアラブ諸国の関わりなども注視したい。

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2011-07-10

「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」村上和雄-神様を信じない私が毎日祈っているし

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奇跡を呼ぶ
100万回の祈り
村上和雄

 「奇跡を呼ぶ100万回の祈り(村上和雄)*1」の書評(参照)を読んで、久しぶりに不思議な思いが残った。と、同時に、恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。この話は後に触れるとして、今回の書評には「本書は、○○である」のような紹介が全くないことに気づいた。一箇所小さくあるにはあるが、極東ブログの書評では珍しいことではないだろうか。だからだろうか、文字からの理解ではなく、感じながら読むことにつながった気がする。そして、テーマは「祈り」である。
 実は、この本のタイトルを見た印象は、いかにも宗教という印象だったが、そうではないらしい。でも、極東ブログの書評でなかったらパスしていたと思うし、読んで見ようなどときっと思わないだろう、本だ。が、様子が違う。「祈り」と、私がこれまで思ってきたこととはちょっと違う。しかも神様の存在を信じないと言っている自分が、実は、祈ってばかりいる。なんじゃこの矛盾は。それが赤面することにつながるのだが、とにかく私も読んでみることにした。
 個人的な話しをすると、以前にも書いたが、今まで宗教に嵌ったことも神の存在を信じたこともないし、これからもないと思う私だ。昔、聖書は読んだよ、という程度の関心しかない。この感覚は、書評を書かれたfinalvent氏もどうやら同じなのか、冒頭には、本書のタイトルについて同じような感想を書かれていることからそう思った。ただ、宗教を学問として面白いと思ったことはあって、神学者の書いた本などは関心がある。また、矛盾していると自分でも思っていることに、神様の存在は信じていないのに自分の都合で許しを請うことはある。このことかと思った部分が、次の引用に触れてこうある。

天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。

書き写していて驚く。私はこれをよく祈る。祈りなんかしないと言ってるわりに、けっこう祈り続けている。信仰を失って久しいのに、主の祈りだけはいつも思い起こし口にしている。

 「おゆるしください。」とは、祈りであった。願い事をかなえてもらいたく祈るというプロセスは理解できるが、許しを請うことを「祈り」に今まで含めていなかったことに気づいた。実は、この類の祈りは最近多い私だ。願って止まない思いは、届かないとも限らない。かなえられるかどうか誰にも分からない。これを、運を天に任すとも言う。だから、祈ったことがない私は、祈っても祈らなくてもどうせなるようにしかならないと、神様の決めたとおりぃ♪という調子だったが、それって祈っているじゃないの、と気づいた。そう言えば、長崎の浦上天主堂の懺悔の部屋に入って同じようなことを思ったなと思い出した。つまり、神様を信じずとも、祈ることへの矛盾に苦しむ必要はないよというメッセージを受け取った気がした。
 書評の言葉を借りるなら、「祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」と、もう既に決定されていることでもある。啓示ということだろうか。
 これがパウル・ティリヒの「祈り」の下りに続いたところで、嗚呼、もうだめだ、見抜かれている。この時点で降参のフラグが立った。

 

*1)著者について(Amazonより)
村上 和雄(むらかみ かずお)

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1936年奈良県生まれ。1958年京都大学農学部農芸化学科卒業。1963年京都大学大学院農学研究科(農芸化学専攻)博士課程修了。オレゴン医科大学研究員。1975年バンダービルト大学医学部助教授。1978年筑波大学応用生物化学系教授。高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読を成し遂げ、世界的評価を得る。1996年日本学士院賞受賞。現在、筑波大学名誉教授、国際科学振興財団バイオ研究所所長。『生命の暗号』『アホは神の望み』(サンマーク出版)、『生命のバカ力』(講談社)、『スイッチオンの生き方』『人を幸せにする「魂と遺伝子」の法則』(致知出版)、『愛が遺伝子スイッチON』(海竜社)など著書多数。

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2011-07-09

江沢民の死去にまつわる雑感(その2)

 7日、江沢民死亡説を完全否定する声明が中国外務省から出され、新華社通信から世界に向けて発信された(参照)。これを知ってますます江沢民の死去を確信してしまった私だが、仮に重態で危篤状態が続いているとして、亡くなったその時に報道されるかどうかは当然疑問符がつく。問題は、死亡したかどうかよりも、そのことをどのタイミングで報じるかだとはっきりしてきた。生きている人間を死んだとは報じないが、死んだ人間を生きているかのごとく装うことはあると思う。中国がやりそうなのは、何か都合が悪ければ黙っているし、言葉になる時は何かに利用する時だという事を思うからだ。江沢民の死を公表すると何にとって都合悪く、公表する時は誰が得をする時かと、中国情勢を読むにはそこから入るしか方法はない。そして、これほど中国に関心を持つ私は、単に臆病者だからだと思う。事の成り行きを確実にしたいという現われだと思う。
 昨日、中国のことを考えながら記事を拾ってみたので、先日の「中国江沢民元中央軍事委員会主席の死亡にまつわる覚え書」(参照)の続きとして、記録的に書いておこうと思う。
 あまり疑わなかったことの一つに、中国経済が思ったほど良くないのかもしれないという点がある。逆に、良いのかもしれないと思っていたのは、先月、知人のホームパーティーに呼ばれた時、信州大学を卒業したばかりの中国人の青年と話す機会があり、彼の話から今の中国を想像していた。
 ホストである友人は酒造会社の経営者で、この春、卒業と同時にこの中国人青年はこの会社に就職したばかりだと話していた。その彼に、最近の中国の暮らしはどうかと尋ねてみたら、中国の暮らしはかなり良くなってきている点や、政府に逆らったりしなければ多少の抑圧はあっても暮らしに不自由しない点などを挙げていた。彼の日本での就職は、いずれ中国で事業を始めるための修行のつもりだということだった。日本の酒を中国で販売するルートにでもなるのかもしれないと思うと、夢と言うか、将来の希望があってよろしい事だと素直に思った。
 出稼ぎで来日している中国人というイメージ自体が既にもう変わりつつある事をこの時に思い、中国経済は目覚しい発展を遂げていると実感した。この時、生活水準の高い日本というのは神話化しているのだと感じたが、中国の経済発展は既にピークを過ぎているというような見方も一方にはあると、具体的な例で知った。中国のバブルがいつはじけるかと言われているのも耳にするが、その辺をファイナンシャルタイムズの日本語訳、「中国経済の減速懸念、人民元相場の重しに 」の記事で詳しく解説している(参照)。
 この内容から、中国は対ドルでペッグ制(参照*1を廃止してから人民元が上がり続けていて、内需が増加することで輸入と輸出(今までは制限あり)がバランスを取れば、中国の収益の差異は今より小さくなるという話しがある。アメリカのQE2によるドル造幣でドルが上がっている中、中国の人民元もじわりじわり上がってきていることが頷ける。それというのも、中国が2010年6月からペッグ制の廃止をしてから、人民元が、ほぼ安定的に5.3%上昇するのを容認してきたということだ。この記事の最後にこうある。

大きな未知の要素は、世界的に金利が上昇し始めた時に中国に何が起きるか、だ。弱気筋は、それが中国からの大量の資本流出をもたらし、不動産市場の崩壊を引き起こすと考えている。今は、誰もそのシナリオについて心配していない。だが、それが起きた時は、すべてが白紙に戻る番狂わせが生じる。

 中国が「弱気節」だとい文脈は、この記事の冒頭にあるが、じっくり読んでみて、最後のこの部分に抵抗なくすとんと落ちるものがあった。
 もう一つ、中国は輸出制限で自殺行為をやらかしたと思う展開が見られた。8日のレコードチャイナは次のように報じている(参照)。

 2011年7月6日、中国紙・経済参考報は、世界貿易機関(WTO)の紛争処理小委員会が、中国が9種類の鉱物資源について輸出規制を行っていることに対し、WTO協定に違反するとの判定を下したことを受け、「欧米の次なる標的はレアアースだ」と報じた。
 紛争は米国や欧州連合(EU)、メキシコが2009年に訴えていたもの。輸出規制が違反とされた鉱物資源はボーキサイト、コークス、ホタル石、マグネシウム、マンガン、シリコン・カーバイド、シリコン、黄リン、亜鉛の9種類。中国側はこうした規制は国内の資源保護が目的だと主張していたが、WTOはこれを証明する証拠がないことを理由に主張を退けた。

 この9種類にはレアアースは含まれていないが、輸出制限自体にこのような判断が下ったため、今後はレアアースに絞ってアメリカが有利に動こうとするのではないかと、それを牽制するような記事になっている。
 記憶では、尖閣諸島沖で中国漁船と日本の巡視船が接触事故を起こした時、中国から突然レアアースの輸出制限に関する表明があった。あの時は、中国のやり方に呆れたが、それは自ら首を絞めることになるという世界からの批判はあった。5日のファイナンシャルタイムズ社説では、輸出制限は愚だとして、中国の外交には辛口口調だ(参照)。

 レアアース輸出制限は中国のシェア低下を招く中国のレアアースの輸出制限が好例だ。中国の低い人件費と環境基準は、事実上、同国を独占的な供給国にしているが、中国国内に眠っているレアアースは、世界の埋蔵量全体の36%にすぎない。
昨年、中国が輸出制限に動いたことを受け、他国は今、レアアースの調達先を別の場所に求めている。長期的には、中国の行動がもたらす正味の影響は、利益の大きいレアアース市場でのシェア低下だ。

 昨年、菅さんが何かのサミットで訪米中、早速インドの代表とレアアースの共同開発を確認し、インドからレアアースを取り付ける折衝を済ませている(参照)。直ぐに品切れというわけではないが、このように、中国だけに頼らないという姿勢は各国に現れ始めていた。
 こうして見てみると、アメリカの量的緩和政策の効果と、自ら取り決めた輸出制限によって輸出先を失う方向になり、次第に首が絞まって苦しくなっているのが中国経済ということだろうか。
 江沢民の死去に話しを戻すと、仮に死去しているとして、それをいつ公表するのかの決め手に、先の二つの理由だけでは十分とは言えない。それを満たすのに、政局問題がある。経済が減速しても中央共産党がしっかりした足腰があれば問題はないはずだが、これを揺るがす材料があるとすれば、胡錦濤国家主席や温家宝首相の地位を狙うものがいるか、共産党に変わって国を治めようとする他党の出現などではないかと思う。
 大きな可能性は前者で、来年秋の第18回党大会で行われる予定の最高指導部人事だと思う。胡主席の後任は、既に習近平に予定されていると言いたいところだが、江氏が死去したとなると胡氏には遠慮がなくなる。つまり、習氏のような家柄だけの脳タリンに中国は任せられないと言い出さないとも限らない。それでなくても中国は今、バブルがいつはじけるかと世界から注目されてもいる。ここでもう一踏ん張りやるか、と、胡氏の野心がむっくり起きるかもしれない。
 共産党は、3大派閥と言われる胡錦濤国家主席が率いる「共青団派」と次期指導者と予定されている習近平国家副主席を中心とする「太子党グループ」、江氏を支柱としてきた「上海閥」である。江氏が死去したとなると、胡錦濤氏と習近平氏の派閥争いに発展する可能性はあると思うが、それはそれで別に問題はないじゃないかと、中国に疎い私は思う。
 ここに権力を誇示しようという綱引きのようなものがあり、江氏の存在が重要になってくるのであれば、普通に考えれば、胡錦濤氏が習近平氏にトップの座を譲りたくないということかもしれない。
 ただ、そういう番狂わせを狙って政局に奔走すると、中央が脆弱に映り、民衆が黙っていないと思う。それこそ中国がひっくり返るのではいかと懸念する。


*1) 自国の通貨と、米ドルなど特定の通貨との為替レートを、一定に保つ制度。

ペッグ制は、貿易規模が小さく、輸出競争力のある産業をもたない国等が、多く採用をしている。これらの国は、貿易を円滑に行う等の理由から、自国の通貨を、貿易において結びつきの強い国の通貨と連動させさせている。ペッグ制によって、自国の通貨と特定の通貨との為替レートは一定に保たれるが、その他の通貨との為替レートは変動する。
日本をはじめとする主要国は、ペッグ制ではなく、変動相場制を採用している。

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2011-07-08

新聞から事実を読むのが難しい件

 原発のストレステストの話題が多く、ニュースでもよく耳にする。そう思いながら詳しく知ろうとメディアに目を通すと、何が問題なのか分からなくなった。昨日の朝日社説からこの疑問は始まったが、先ほど更新された朝日の8日付けの社説も同じ流れになっていて、さらに海江田万里経済産業相の辞任の話しにまで内容が構成されている。何故事態がこのような流れになるのか、残念な思いもあるが、そういう話なの?という疑問もある。これを払拭しておきたく、少し整理しておこうと思う。
 福島第一原発の事故を受けて全国の原発は定期点検に入っているが、6月18日、海江田氏は定期点検中の原発の再稼動を求める方針を表明し、菅首相も翌日の19日、「全ての原子炉を止めることは、あまりにも経済に対する影響が大きい」としていた(参照)。ところが菅首相のいつもの思いつきで、先にEUが始めているストレステスト(安全検査)を導入するよう指示した。このため、海江田氏が話を進めていた九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働の可能性が頓挫した。一旦は再稼動を承認した玄海町長だが、これを撤回した経緯を次のように報じている(参照)。

 町役場で記者会見した岸本町長は撤回の理由について「いったん原発の『安全宣言』をしてから再度安全確認をする政府の判断はおかしい」と語り、政府が原発の事故・災害への耐久性を調べるストレステスト(耐性調査)の実施を表明したことに強く反発した。
 岸本町長は改めて再稼働への賛否を判断する時期について「ストレステストの結果を確認してからになる」と述べた。
 経済産業省が佐賀県民向けに開いた説明会を巡り、九電社員が子会社社員らに対し、一般市民を装って再稼働賛成の意見メールを送るよう依頼していた問題にも触れ「まさにヒューマンエラーそのもの。(九電との)信頼関係に亀裂が入った」と発言。同意撤回の判断にも影響したことを認めた。
 玄海2、3号機を巡っては、6月末に経産相が佐賀県を訪問し、原発の安全性を保証した上で再稼働を要請。これを受け、岸本町長は7月4日に九電に再稼働の了承を伝えていた。

 突然ではあるが、菅さん(=政府)の決定が新たに出たという事だ。順番が悪いと言えば、海江田さんの決定後にこのようなテストをするという点だと思うが、安全性の点で念には念を入れるという意味では、普通は喜ぶべきこと。ストレステスト後に再稼動の是非を決定するという岸本町長の決定は、道理であると思う。また、九電子会社社員らにメールの偽装工作を依頼したという件は、九電社長が責任を取って辞任する考えを明らかにしている(参照)。
 菅さんの思いつきで多少のもたつきが出るにせよ、この流れはその突然の指示に対応した適切な対処であると思うが、何が問題なのだろうか。世の中で騒がしくなる。菅さんがそもそもの原因だと叩くメディアもある。すると、話は政局へと関心が寄ってしまう。挙句の果て「信頼される安全の担保をどう得るかだ」という昨日の朝日社説のような文脈にすり返わってしまう(参照)。
 昨日、「finalventの日記」でコメントを読んで、初めてストレステストの解釈を元に戻すことができた。以下のNHKの引用がその部分である。

ストレステストは、あくまで住民の安心感につなげるためだとしています。また国の原子力安全委員会は、6日、原子力安全・保安院に対し、これまで各地の原発で実施された安全対策の効果をストレステストで調べる計画を1週間程度で報告するよう求めました。こうした動きに対し、佐賀県の古川知事は、6日夜のNHKのニュース番組で、「なぜこの時期に国が新たな対策を打ち出したのか理解できない」と述べて、国への不信感を示したほか、愛媛県の中村知事は「ストレステストがどういう位置づけなのか、情報がないので何とも言いようがない」と述べるなど、各地で戸惑いの声が上がっていて、全国の3分の2の原発が停止しているなかで国の対応が厳しく問われています。

 ここで国の対応はどうなるのかと、その後のニュースを探して出てきたのは、海江田さんの辞任表明だった(参照)。

 海江田万里経済産業相は7日、経産省内で記者団に対し、九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働を巡る混乱について「政治家は責任をどこかで取らないといけない」と述べ、所管大臣としての責任を取り、一連の対応を終えた後で辞任する考えを示唆した。菅直人首相は原発再稼働の前提として、ストレステスト(耐性試験)による安全確認を実施する考えで、海江田氏の発言は首相方針に対する不満を示したものとみられる。

 海江田氏の責任とは何だろう。各県知事が不快感を露にしたことで、迷惑をかけたということだろうか。そうではないだろう。海江田氏の責任はご本人も「一連の対応」と話しているように、各地の原発が一日も速く安全に再稼動できるようになることではないだろうか。菅さんの思いつき政治にはトホホ感があるのは誰も承知していることで、やってらんねぇという思いもあるかもしれない。が、私が文句も言わずに黙っているのは、原発が安全に稼動してくれることを望んでいるからだ。この夏、熱中症の心配なくクーラーをつけて涼しく過ごせうようにして欲しいし、職場の電気が止まることなく、安心して仕事の計画を立てられる事だったりする。ストレスチェックの挙句、その原発に問題があり、最悪の事態を想定すると稼動はできないと言う結論を出すのであれば、それも甘んじて受け入れようと言うしかない。
 だから、頑張れなんだよ。辞めたら普通のおっさんで、政治家になった意味がそれでゼロになる。歯を食いしばって頑張って仕事をしてこそナンボの世界だと思う。変な部分に責任を感じて辞めるとか、その発言も無用。悪いと言えば菅さんだが、国民は、菅さんからも原発からも逃げられない。だから、「頑張れ」としか言えない。
 ほれ、見てごらんと、言わんばかりの朝日の社説が今朝も出ている。しかもこのタイトル「経産相辞意―「内閣崩壊」の異常さ」(参照)原発のストレステストの話しを政局へと導いてしまうあたりはとても頂けない。
 新聞読みの軌道修正みたいな内容になったが、何が問われて何を問題に考えたらよいか、少し整理できた。

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2011-07-07

中国江沢民元中央軍事委員会主席の死亡にまつわる覚え書

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    胡錦涛国家主席、 中国共産党中央軍事委員会主席に就任時

 中国共産党創立90周年記念式典に欠席した江沢民(Jiang Zemin)前国家主席(前総書記)(84)事で、ネット上や一部のメディアで話題になっている。
 中国は元々、国家の要人の病気療養や死亡について、その公表の仕方や内容を慎重に扱うところがある。北朝鮮などを見ていても分かるとおり、両国ともよく似ている。はっきりしているのは、軍や内部の力関係が複雑で、もれた情報が自分たちの弱みにならないよう警戒心も強く、内部事情が漏れないようにかなり神経質なところがある。
 と言いつつ、昨日初めに江沢民が病床について危篤状態だと知った時には、昭和の顔として感慨に浸ってしまった( 参照)。が、夕刻からTwitter上で死亡説や隠蔽説などの憶測が飛び交うようになり、ニュースには注意を払っていた。そして、今朝になって、中国当局がネットで「江沢民」の検索に対してブロックをかけていると言うワシントンポスト紙を見て(参照)、中国政府が慌てて情報の拡散を阻止しようとするその意図を考え始めた。が、肝心の中国政府の動きや状況が読めない。難しい。今の段階では手に負えそうもないので、とりあえず備忘的に記事をクリップしておこうと思う。緊張がやや走るのは、胡 錦濤(こ きんとう、フー・チンタオ、1942年12月21日 - )は江沢民氏の後継者であり、現在の最高指導者であるため、江沢民の死は大きな影響を与えると見られている。中国に関する記事は少ないが、その都度ここに追記して行こうと思う。
 今のところの最新では、産経記事の「江沢民前国家主席が死去 今後の日中関係にも影響か」のようだ(参照)。

中国の江沢民前国家主席が6日夕、北京で死去したことが7日分かった。日中関係筋が明らかにした。84歳だった。遺体が安置されている北京市内の人民解放軍総医院(301病院)では厳戒態勢が取られ、共産党や政府、軍の要人が次々と弔問に訪れている。

江氏は1989年から2002年まで中国の最高指導者である共産党総書記を務め、改革開放路線を推進して高度経済成長を実現する一方、貧富の格差拡大を生み出した。次期最高指導者と目される習近平国家副主席の有力な支持者でもあり、江氏の死去は今後の政局や日中関係にも影響を与えそうだ。

中国のメディア関係者によると、江氏は長期間にわたり膀胱(ぼうこう)がんで療養していた。4月ごろから体調を崩して入院、6月下旬から危篤の状態が続いていた。7月1日の中国共産党創建90周年の祝賀大会を欠席したため、重病説や死去説が流れていた。

 また、afpはM中国政府の内部について次のように触れている(参照)。

中国政府は、国家元首の健康悪化が党の団結や政治的安定を損なうとの懸念から、国家元首の健康状態を国家機密扱いにしてきた伝統がある。江氏は来年に予定されている国家主席の交代にも多大な影響力を発揮したと見られており、2009年10月の建国60周年記念式典以来、公の場に姿を見せていない。(c)AFP

 また、今日の「finalventの日記・今日の大手紙社説」で、この中国の様子に関して概要をまとめられているので参考までに☞参照

 現在の問題として、南シナ海の領有権に関して昨年辺りから徐々に中国軍の主張が強くなってきた。ベトナムとフィリピン等の国を相手に、かなり緊張が高まってきている。これに関しては、「日本の庭先で中国とASEAN諸国が係争中について雑感」(参照)が直近のエントリーで、この執拗なまでの中国軍の攻勢の目的などは、はっきりと掴めていない。
 

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難民や不法移民について雑感

 9日に予定されているスーダン南部が分離独立することを前提に昨日、日本政府も「南スーダン共和国」の独立を承認する方針を固めたと報じていた(毎日)。これで、日本の承認国は3月のクック諸島に続き194カ国となるそうだが、認めた以上、これらの国が国として発展するのを見守るという気持ちも働いてくる。スーダンがここまでに漕ぎ着けるとはあまり思っていなかった昨年の事を思うと、この結果を喜ぶべきだと思うが、心境はそうでもない。つい先日、読売社説でコルドファンの治安のために、日本の自衛隊派遣を行うべきだといった記事が突然挙がって驚いたが(参照)、誰もが望むような状態ではないにもかかわらず独立の日だけが近づいているという気がしてならない。
 昨日、スーダンの様子が気になりネットでニュースを見ていた時、小さな記事だがスーダンの難民船がソマリア沖で炎上して沈没し、200名のうち3名だけが救出されたことを報じていた(ロイター

 報道によると、乗っていたのはスーダンの近隣国出身の難民で、サウジアラビアへ密入国しようとしていた。船は火災を起こして沈没し、3人が救助されたという。船の出発地などは報じられていない。
 スーダンに近いソマリアでは、治安悪化から密入国業者の手を借りてサウジに向かうケースが多発し、アデン湾を挟んで対岸にあるサウジ南部のイエメンに渡る人が多いという。

 ソマリアと言えば、ソマリア人の海賊が出没する海で知名度は高いと思うが、スーダンにとっては、国から逃れてエジプトへ渡るための出航地でもある。今回は、200名の密航者と知って、数の上ではかなり多いことから、それだけスーダン南部の情勢が逼迫(ひっぱく)しているということではないかと心配した。また、この記事から、密航者がソマリア人かスーダン人かはっきりしない点もあるが、ソマリアの国情もかなり悪いため(参照)、難民問題は、アフリカ全体で絶えない問題とも言えると思う*2。日本の政治がどれ程酷くて悲鳴を上げても、アフリカの暮らしからすれば比較にも値しない暮らしがまだある。安心して国に住んでいられず、近隣国へ助けを求めて避難する途中に命を絶たれるケースははかなり多いと聞いているが、いつ聞いても悔しい思いが残る。
 これはメキシコの不法移民の話だが、昨日、Twitterで拾った記事が非常に興味深く、この調査や研究の結果が今後の移民や難民問題を解く鍵になるのではないかと思った(参照)。
 この調査は、過去30年間のメキシコの不法移民の数の推移から、その減少の理由をいくつか挙げている。記事が長いので途中を引き抜くというよりも、内容に沿って考えを付け足してみたい。
 非常に単純明快な答えなのだが、アメリカに渡る魅力がなくなったというのがその理由だ。そりゃそうだろ、逃れる必要性がなくなれば誰もわざわざ危険を犯してまで国外逃亡などしないのは分かっている。メキシコがここまでの国になったのは、第一には人口を減らす政策のようだ。ローマカトリック教会の圧力に屈することなく避妊を推進したため、出生率が2007年では80万人となっている。グラフにもあるが、1970年代では、一人の女性の出産率は6~7人だったにもかかわらず、2010年では平均2人になっている。そして、2030年までには、30万人まで減少すると見ている。また、メキシコでは教育と雇用機会が増え、国内総生産と家族の収入は著名な経済学者、ロベルトニューウェル氏によると、2000年以降は45%増となっているようだ。
 ところで記事にはないが、ローマカトリック教会の決まり事があるにもかかわらず、どういう方法で子どもの出生率を低下させたのだろうか。ローマカトリック教会の「掟」は知っているだろうか*1。一昨日「お母さんの書く事は、ニュースで報じていないような内容については難しい。」と言われてしまい、多少、脚注を入れておこうと思う。と言いつつ、引いてきた情報が正しいのかよく分からないため、異論のある方のご指摘に期待している。よろしく。
 さて、中断してしまった。戻すと、政治的には、過去15年間でアメリカから正式に入国を許可されずにきたこの国に、民主的な政治が広がったことを挙げている。アメリカに近い海岸地域から広がり、次第に内陸部へと浸透し始めたようだ。加えて、米国では違法の生活が難しくなったことを挙げている。具体的には、不法移民の権利を制限したり、雇用するための法改正が2006年から数十の州で施行されるようになり、さらに取締りが厳しくなったのも理由のようだ。メキシコが住みやすくなり、アメリカが暮らしにくくなったことが不法移民の数を激減させたという説明はよく分かった。
 長年の悩みであったメキシコのこの問題解決をサンプルに、アフリカの難民を置き換えるとどうだろうか。はっきり言って、気が遠くなる。
 メキシコのようなベースが殆どないのは明らかであるし、何から手をつけたらよいのか戸惑うものがある。が、メキシコの人口減少は少しずつだが年々減ってきたのと同時に、国民生活も良くなっている。私の浅知恵だと、子どもを増やさないための指導をしたり、ともすると、コンドームを政府が配布するというものだろうか。自分で書いて冗談かよと、思ってしまったが、いやこれは大真面目な話だ。
 とにかく、メキシコの話は先が明るくなる話であるし、アフリカ難民問題の何かに生かせないだろうか、と考えた。

*1ローマ・カトリック教会の考え方参照
ローマ・カトリック教会は、前述のキリスト教全体の考えに同意すると共に、避妊について次のような見解を加えています。「人工的な避妊に対しては反対する。しかし、自然な避妊法は、家族計画の手段として奨励する。」
 カトリック教会は、人工的な避妊は、結婚の目的に反するため、望ましくないと考えています。それは、セックスの持つ、結合と生殖という二つの側面を分離させるからです。人はみな、神の恩恵を受けており、神は私たち一人一人に対してすべてを愛し、すべてを与えて下さいます。だから私たちも、結婚生活で互いにすべてを愛し、すべてを与え合わなければならないのです。夫婦間のセツクスは、オープンで、愛情に満ちた、新しい生命を生み出すものでなければなりません。
 このような愛情の表現と、人工的な避妊法は、共存できるものではありません。しかし、自然な避妊法による家族計画は、奨励すべきものとしています。

*2)極東ブログ「チャド情勢、本質はダルフール危機」(2008・02・08参照)では、アフリカから避難民が多く流れ出した経緯を詳しく解説している。

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2011-07-06

「友達」について、覚え書き

 娘との話に出てきた「友達」のことで、そう言えば昨日、「友達は7人いれば大丈夫・・・」という変な記事を読んだなと思い出し、電話を切ってからその記事を真面目に読んでみた。
あった、これこれ(参照)。

友達は7人いれば大丈夫、人生に必要な7つのタイプの友達
1.大きな車を持っている人
2.パソコンの知識がある人
3.子供やペットの面倒を見てくれる人
4.業界人
5.押しの強い人
6.いろいろな特典を知っている人
7.役得のある仕事に就いている人

 これを最初に読んで思ったことは、本気でこんなことを思っている人がいるんだろうか、冗談でしょうと疑ったくらい私とはかけ離れた認識だった。これ、ただのネタでしょと思っていたが、ここまで露骨に集約できずとも案外、「友達」の定義を見失っている現代人も多いのではないだろうか。娘の話を聞いていてそんな風に思えてきた。自分の「友達」に関する認識を挙げると、ともすると上記に似たような項目が挙がったりすることはないだろうか。娘の話にも出てきたことだし、この際、真面目に考えてみようかと思った。
 昨日の娘の話は、何年も友達と思ってきた女友達に、自分が都合よく利用されているだけだと感じ始めているようだった。昨年の夏、娘は彼女と彼女が付き合っているという彼を連れて家に遊びにやってきて二泊した事もある。彼らとは、同じ趣味の仲間だそうだが、同じ趣味を通しての付き合いにしか相手が思っていないことが分かってきたそうだ。その大きな原因に頼まれたことを断る事があり、それから段々疎遠になってきて、友達だという認識が崩れてきたそうだ。では、どういう人が友達だと思っているのか尋ねると、「気持ちを打ち明けられたり、わかってくれる人」だと言ってた。つまり、相手の求めることと娘が求めていることが違うというのがはっきりしてきたわけだ。
 私も、若い頃はこんな風に思っていたことを思い出した。表現上の問題もあるので一概にこれが間違いだというわけでもないが、上の7つの要件は「友達」と言及するよりも、自分の都合を満たす人であれば誰でも良いということだと思う。では、娘の文脈でいう理解者とは、自分を否定しない人が友達だと思っている節はないだろうか。自分に対して意見するような人が本当に友達だといえるのだろうか。どうもこの思考回路は全て、理屈の上の「自分に都合の良い人」となりがちだ。自分が嫌がることを言わない人が「友達」だったり、嫌なことを言う人も自分にとってはプラスになる人でもある。受け止め方次第で相手を良くも悪くもしてしまうのではないだろうか。こんな風に自分の考えを疑うのは母の影響もあり、お「互いを高めあえる人」が友達の条件だとインプットされている嫌いがある。それはそれで間違いではないが、もっとその奥に言葉になっていないものがあるような気がする。因みに私が友達と呼ぶ人は、私がショックを受けるほどはっきり何でも言ってくれる人で、時にはその怖さから逃げたくもなるような現実をきっちりと教えてくれたりする人でもある。友達って、お節介なもの。放って置いてくれないもの。
 そう言えば、この春、20歳を過ぎた長男が、友達に関しての悩みというか、寂しさを打ち明けてきた。大学のことで悩んでいた時、周囲の友達に一切そのことを話したり相談したいなどと思わなかった自分は孤独が好きで、結局本当の友達などいないと言っていた。ただ、辛い時に浮かぶのは、先輩に頑張ってる人がいて逆境に強く、何があっても負けないでやり通す意志の強い人のことだそうだ。息子は気づいていないようだったが、そういう人が本当の「友達」ではないかと思う。自分に頑張れと言ってくれるかどうかよりも、ふと気づくと思い出して自分に勇気を与えてくれたり、励みになるような人物が心のどこかにいつもいる。その人が「友達」ではないだろうか。
 他人がそういう存在になるには、時間を共有することから始まると思う。それが趣味や学習の場、運動する場だったりする。そこで自分の役に立つ人が「友達」だと思うのは大きな勘違いで、それらを目的とした友達付き合いは功利的になってしまう。それが分かっているからこそ悩むのだと思う。しかし、上の7つが友達付き合いだと思っている人も最近はいるらしい。それが昨日の娘の話に出てきた女友達のことだった。日本は変わってしまったなと寂しさが残った。
 自分のことを振り返ってみた時、私は過去にかなり辛辣に物を言ってきたものだ。本音の話が通じないくらいなら元々友達でもなんでもないと開き直ってぶつけたこともあるが、幸い見捨てられたことはなかった。どこかで誰かが私のことを「友達」だと慕ってくれているのが分かる。だが、私はどうだろうか。そういう人達から本音でというか、本気で何かを言われたことは少ないなあ。気持ちに針を刺すような痛いことを言うという意味ではないが、言われて初めて痛みを感じる言葉はある。かつて、そういう思いをしたことは少なかった自分に気づく。この先、友達作りのチャンスはあるかと問うと、そうはないと思う。交友関係をあえて広げようとういう意欲のようなものはもうあまりない。だた、少ないながらも友達と言える人が何人かいて、温めていたいと思った。

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2011-07-05

ジム・モリソン40周忌から-時代について雑感

 昨日、ジム・モリソン(James Douglas Morrison、1943年12月8日 - 1971年7月3日・参照)の40周忌を報じるAFP記事をTwitterで知った。まず最初に唖然とした。フランスにある彼の墓に集まった往年のファン達の一部の姿格好は、1970年前後のヒッピーの姿よりは清潔感のある出で立ちではあるが、どう見てもあの姿は私が昔見た欧米のヒッピーに似ている。懐かしい風景も思い出すが、ジム・モリソンといえば、27歳で心臓麻痺で急死したあのロック歌手で、「The doors」のヴォーカル(作詞作曲家)であった。死後40年も経つというのに、まるで神様でもあるかのように崇拝するファンが画像のように集まって追悼している。

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 私は殆どこのグループには興味はなかったが、当時、急死を知った熱狂ファンの悲しみ様を報じていたのはよく覚えている。私よりも一回り上の世代であった同時のファンは、かなり絶望したのではないだろうか。と、また横目で見ていただけだったが、あの雰囲気を直に感じ取る年代として、私が小学生だったらきっと覚えていないのではないかと思う。中学生だったからこそ感受できたのは、その理由として大きいと思う。初め、このことを取り上げて書くほどでもないかと思ったが、振り返ってみると、貴重な生き証人かも知れないとか思え、気を取り戻して書くことにした。今更何よ、的なことなので批判にもならないと思うし、気楽に書こうと思う。
 ジム・モリソンが亡くなった当時、私は中学生で、オールナイトニッポンという深夜放送をラジオで聞きながら夜中に勉強していた。世間では、確かビートルズのLet it be、ジョージ・ハリスンのMy sweet road、日本では岡林信康、フォーク・クルセダーズ等が歌っている頃だった。彼らの歌は時代そのものと言うべきで、ジム・モリソンの「The End」等は、けだるく生きる若者そのものの歌だと思う。この日本番は、私も岡林信康かと思う。歌はまあリ上手だとは思わないが、モリソンとも似て歌唱力云々ではなく、歌に込められたメッセージと歌に入り込んだ個人の生き方のようなものが人の心を掴むのだと思う。岡林は、あの気だるそうな歌い方に、高い音域の声質が重なって叫びのようにも聞こえる。どこか二人とも似ていると思う。世の中をもっと良くしてくれよと叫んでいるような歌と歌い方が、当時の若者の拠り所となったのではないかと思う。
 高度成長期に伴い、世の中が変貌を遂げつつある反面、ドヤ街では、日雇い労働者が吹き溜まりのように集まって暮らしていた。今思うと、アレは、東北などの冬の農閑期に出稼ぎにやってきた人達であったと思う。世の中の人々は忙しく働く反面、殺伐とした暮らしがあったため、若手は彼らの歌に救われ、年配者は演歌に癒されたのだと思う。上手く言えないが、影響を受けやすく、何事にも多感な年齢であった当時の若者の心に、そのまま救世主のようなアイドルとして残り、懐かしさやともすると熱狂的なファン時代のまま温められてきたのではないだろうか。その結果が、モリソンの40周忌のような光景ではないだろうか。
 これは、私には異様に映った。理解はしているつもりだが、ロック歌手やフォークシンガーに信仰的な崇拝者にはなれない。そこまでのめり込まないというか。年齢的にも幼く、社会を見る目として成熟度が足りなかったため、ロックやフォークシンガーに救いを求めるほど生きる糧を希求してはいなかったせいだと思う。
 集まったファンへのインタビューでそれが窺い知れる。

"I've spent half my life thinking about Jim Morrison. He was more than just a singer," said David Martin, who came from northern Italy with a group of friends in their thirties.

「僕は、ジム・モリソンのことを単なるシンガー以上の存在として、自分の人生の半分を生きたんだよ。」と、イタリアから30歳代の友人と共にやってきたデビッド・マーチン氏は言った。

 当時のロックは、世界を浄化するような志向があり、それに翻弄された若者達は、モリソンを崇拝していたのだと思う。
 このような感想を持った私がさらにちょっとびっくりしたのは、小説家の村上春樹氏がモリソンファンだったことだ(参照)。いや、ありうる話だが、先日カタルーニャ国際賞授賞式でのスピーチで「原発反対」を堂々と言ってのけた村上氏と何かがダブった。スピーチの感想は「原発のこれからを考えてみるに」(参照)で触れた。
 冷静に考えれば分かると思うが、原発は科学の力であり、日本の高度成長は原発なくしてはあり得なかった。しかし、先に、広島と長崎に原爆を投下され、敗戦した日本を生き抜いた親に育てられた村上氏らの世代に刷り込まれた物から想像するに、モリソンの40周忌に集まったファンと同じようなものを求めていたはずである。原発は、世の中を破壊してしまったものに過ぎないのかもしれない。これは理屈ではないんだろうなとは思うものの、「小説家、村上春樹」と重ねてしまい、発言は意外だった。
 岡本信康ファンがモリソンファンと若干似ているのは然もありなん事と、その様子をYoutubeで探したが、熱狂するファンの様子が見て取れる動画は見つからなかった(参照)。ただし、1978年、彼の作詞作曲である「山谷ブルース」などを歌っているコンサート風景で、手拍子や拍手を嫌う彼のポリシーは窺える(参照)。
 話は飛ぶが、初音ミクって知っているだろうか。アニメのキャラクターにヤマハが開発した音声合成システムで作られたヴォーカルパートを歌わせ、ヴァーチャルアイドルとして10代に人気があるらしい(参照)。私はあまり詳しくないが、調べると、このシステムそのものの精度に人気があるだけではなく、バーチャルキャラクターにも関わらず、この初音ミク本人(?)にも人気があるらしい。

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 先日ロスアンジェラスでコンサートがあったそうだ(参照)。これも、ジム・モリソンの40周忌を報じるニュースの直ぐ後にTwitterのTLに流れてきた。それに意味があったのかどうかは分からないが、40年前のモリソンファンと現代の初音ミクファンを並べて比較できるものではないと、最初は思った。なんと言ったらいいのか、私の感覚からすると唖然とする姿であり、この世界に嵌ってしまっている人の間で、何かとんでもないことがいつか起こるのじゃないかとさえ思った。

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 初音ミクの姿はアニメであり、架空の擬人だ。Youtubeでその歌うコンサート風景を見たが、手にトーチを持つファンがステージに歓声を送っている姿は異様な風景に映った。どんなに応援しても、歓声を発しても、またトーチを灯して共鳴を伝えても、相手はバーチャルキャラクターで無感情なただの映像である。それが当然承知の上だとして、では、あのファンの姿は何だろうか?陶酔の世界にいるのだろうか。ヴァーチャルという現実の中で陶酔しているということだろうか。ここに、現実の人や人の感情、肌のぬくもり等は一切ない。架空の擬人である初音ミクはただの映像だ。陶酔であるなら、早く目を覚ましてほしい。
 ジム・モリソンファンも初音ミクファンも、実在しないものに対して反応している姿という点で似ていると言えるのだろうか。理解できないでもないが、私は踏み込むことはできない。が、10年、20年後に私が生きているとして、あの世代はね、という語り口で何を言えるだろうか。なんだか私は、時代の移り変わりの凄い部分を生きてきたような気がする。

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2011-07-04

レバノン 2005年ハリリ元首相暗殺事件のその後について(続)-容疑者確定後のレバノンについて雑感

 国連の特別法廷(オランダ・ハーグ)は6月30日、2005年にラフィーク・ハリリ元首相の暗殺(爆殺)に関わったとするイスラム教シーア派組織ヒズボラの関係者4人に起訴状を出した。容疑は、ハリリ氏の暗殺を計画・実行した罪で、ヒズボラの軍事作戦担当幹部とされるムスタファ・バドレディン容疑者らを起訴したことが先日報じられた。30日という限定的な期間でレバノン当局が起訴状を執行し、4被告の身柄を拘束しなければ、特別法廷が起訴内容を公表する選択肢もあると報じられている。レバノンでこれからの30日間、いろいろな駆け引きが繰り広げられるのではないかと思うと、かなり不安定な状態になるのではないかと思い、記事を拾ってみた。
 レバノン政府がヒズボラであっても公式には協力せざるを得ないとは思うが、現実にはどの程度協力するかだと思う。そう言っている間に、これに対してヒズボラのナスララ党首は2日、テレビ演説で容疑者の引渡しを拒否したことがわかった(朝日)。

 国連主導のレバノン特別法廷(オランダ・ハーグ)が、レバノンの与党でもあるイスラム教シーア派組織ヒズボラの幹部らの逮捕状を出したことについて、ヒズボラのナスララ党首は2日、テレビ演説し、容疑者の引き渡しを拒否した。

 特別法廷は、2005年に起きたハリリ元首相暗殺事件を裁くために設けられた。ナスララ師は、法廷を「レバノンを不安定化させるためのイスラエルと米国の陰謀」「判決はもう決まっているのだろう。欠席裁判をやればよい」などと批判した。

 特別法廷は逮捕状の内容を公開していないが、レバノンでの報道では、ヒズボラの幹部ら党員4人が容疑者として挙がっているという。4人はヒズボラがかくまっているとみられている。(カイロ=貫洞欣寛)

 国際的に起訴されている容疑者を政府が引渡しに協力するとしても、宗教的な対立関係で容疑者を庇い立てするのが公然と行われる辺りの国情が掴みにくい。レバノン政府の構成が宗教的な派閥から成り立っていることは「2005年ハリリ元首相暗殺事件を背景に不安定なレバノンの状況」(参照)でも触れたことだが、かなり複雑な事情が重なっていて見えにくい。
 シリア軍撤退問題で、スンニ派であるハリリ元首相は、シリア軍の撤退を勧告する国連決議の実現に関わって親シリア派と対立していたとされ、暗殺にはシリアが関与したのではないかとの見方もある。この事件で、レバノンの強権的な支配政権に対する国民の反発や不満を一気に爆発させ、反シリアに政権が移った。引渡しを拒否したことで浮き上がるのはこういった背景で、今後、親シリア派と反シリアの衝突や、シリアの関わり方が気になる。
 先日、この起訴状が出された時点でふと思い出したのが、リビアが関わったロッカビー事件(パンアメリカン航空103便爆破事件1988・12・21)だった。ヒースロー空港を経由してニューヨークへ向かう途中、スコットランドのロッカビー上空で機内の荷物に仕込まれた爆弾によって空中爆発を起こした。機体の一部が飛散し、住民11名、死亡した乗客は243名という大事故となった。Wikipediaにも詳しく状況が書かれている(参照)。
 その後の調査でリビアの関与が確定して起訴状が出されたが、カッダフィー大佐は当初、引渡しに応じなかった。最終的には、度重なる制裁に屈する形で引き渡しに応じた。
 シリアもリビアと同様に、国際社会の介入が難しい国であることから、ハリリ元首相暗殺にどこまで関わったかなどの詳しい情報は聞かないが、何らかの関与はあると思う。となるともっと話は複雑化し、この件が長引けば、シリアの関与が露骨になるのではないかと思っている。
 余談だが、ロッカビー事件後、爆弾が仕掛けられた荷物の持ち主がいないことが発覚し、旅客と荷物の一致の原則に反した就業を行ったとして裁判で有罪判決が下った。このことが原因で三年後の1991年、パンナムエアーは経営破たんとなった。それまで、大相撲の千秋楽では、パンナム社長のから優勝トロフィーが渡されていたが、突然廃業したため、あのたどたどしい日本語の「ヒョウーショウージョー」が聞けなくなったのは残念だった記憶がある。

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2011-07-03

10分できる美味しいお一人様ドライカレー

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 簡単ドライカレーではあるけど、味はかなり日本人好みの味で美味しい。暑い夏の料理の手間を一気に削減できる節電料理とでも言ったらよいだろうか。それに、レシピを書くほどの代物じゃない。
 昨日Twitterで見た人もいるかもしれないが、ここにも書かないとなんとなくつんぼ桟敷にしているようで罪悪感さえ感じる美味しいレシピだと思う。しかしながら、あまりに簡単で内容が乏しいので、このカレーレシピが出来上がった背景でも書いておくことにしようと思う。読みたくない人は早速レシピを見て作ってみて。

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高級シリコンスチームプチ鍋つき
簡単スイーツ&ヘルシー野菜レシピ50
メイコ・イワモト

 先日シリコン製のスチーム用プチ鍋がおまけについた「簡単スイー&ヘルシーレシピ50」メイコ・イワモトを紹介したのを覚えていると嬉しい(参照)。このプチ鍋の使い勝手は、ここではインゲンの下茹でで知ってもらっただけだったけど、毎日使いながら新レシピに開発意欲を燃やしている。私は、特に、下ごしらえに重宝しているが、Twitterのラインで丁度カレーネタで話しが飛び交っていた時、ぽろっと天から降りてきたのが、市販のカレールーを使ったドライカレーの出来上がり像だった。
 熱で溶けたルーならご飯と上手く混ざるのではないかと思ったことから、野菜のみじん切りはシリコンのプチ鍋でさっと火を通せば、後は混ぜるだけで出来る筈だと思ったのがきっかけ。ただ、プチ鍋はどうしてもこれでなくてはというものでもなく、なければフライパンでさっと炒めると良いと思う。ただし、高価なものでもないし、プチ鍋の一つも持っているといいんじゃない?ここで是非買ってみてはどうか、と、もう一回勧めておくことにする。利点は、ノンオイルで野菜に火を通すのでカロリーがセーブできる点だ。また、野菜の水分で蒸すため、野菜の甘みや風味がそのまま残るのが嬉しい。炒めて味を濃縮するのも悪くはないが、やたらと道具を使わないのも「簡単料理」の大きな要素だと思う。

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 このレシピは早速息子に以前教えたが、聞いただけで直ぐに作りたくなるという話だった。また、昨日、Twitterでこのレシピをつぶやく一言を見つけ、つい、「もう一手間」と野菜の追加を加えると、「ちょっぴり、ひき肉」とつながって、なんか妙に嬉しかった。だから、是非作ってみて欲しいと思った次第だ。

Screenclip

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 作る分量だが、あくまでも一人ご飯を前提に考えている。作りたい向きがあれば、多分4人分くらいまでなら中華鍋など、道具を大きくすれば出来ると思う。今日は、どんぶりに約一杯分のご飯で作ったが、私にはこれでは多い。残りを250ml入りのプチ鍋に入れてみたら、丁度一杯。なので、男の人には今回の分量でよいと思う。
 さて、それではレシピを。

必要な道具

  • シリコンプチ鍋(無くても可だけど、その代わりご飯を炒めるフライパンを代用して、炒め油も少々追加)
  • フライパン

材料(一人分)

  • ご飯320g
  • 市販のカレールー・・1片(1/6人前)
  • 肉類・・30g
  • ピーマン・・1個
  • パプリカ・・ピーマンと同量
  • 玉ねぎ・・1/4個
  • にんじん・・3cm

作り方

  1. 野菜と肉を全てみじん切りにしてプチ鍋の蓋をして2分レンジ「強」で蒸す。
  2. フライパンにカレールーを置いて弱火にかけ、すっかり解けてプチプチ火が通ってきたら冷ご飯を加え、中火で炒める。
  3. ご飯体にカレーの色が行き渡ったら1を加えて炒め合わせて出来上がり♪

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読売社説が推す、南スーダンに自衛隊を派遣する事について雑感

 普段は、深夜に公開される各紙の社説などは殆ど読まないが、「南スーダン PKO部隊派遣へ検討を急げ」という見出しが気になり、読んでみた(7月3日付・読売社説)。
 日本が震災被害で各国にお世話になったお返しに、国際協力という立場で自衛隊を派遣したらどうかという内容だ。国際協力という立場でいうなら、国連加盟国としてPKO参加は当たり前のことではないかと、社説で言われていることはごもっともだと思うのだが、スーダンに関心を持ってこれまで考えてきた私には複雑な思いがある。というか、社説の筆致があまりにも軽く、比喩に持ち出されたハイチ復興支援と同列の扱いで、しかも「復興」の文脈で終始一貫している事が気になった。スーダン情勢を見ると、必ずしも「復興」だけで関われるとは思えないものを感じる。気になる点を、記事を拾いながら書き留めることにしようと思う。

 帰属をめぐりスーダンと争っている油田地帯を除けば、南スーダンの治安情勢は、おおむね安定的に推移している。ただ、治安は変化するため、常に情報収集に努めることが大切となる。
 陸自は昨年2月以降、震災被害を受けたハイチに、施設部隊など約350人を派遣している。がれきの除去や道路の補修などで、着実に実績を上げてきた。
 陸自として、2か国へ同時に施設部隊を派遣する余裕がないのであれば、地震発生2年となる来年初めにもハイチから撤収し、南スーダン派遣に切り替えるのが現実的ではないか。
 ハイチでは、復旧・復興が進み、陸自でなく民間でも可能な土木作業なども増えている。陸自派遣に代えて、政府開発援助(ODA)を活用するのも一案だろう。
 新たな国づくりが始まる南スーダンは、道路や施設の整備が大幅に遅れており、陸自が活躍する余地は大きい。現地調査など準備に必要な期間を考えれば、派遣の検討作業を急ぐ必要がある。

 この内容に一々文句をつけると、それは自衛隊の派遣を断念しろということになりかねないので、迂闊に批判もできないと二の足を踏むが、「南スーダンの治安情勢は、概ね安定的に推移している」というのは、何が根拠かと不思議に思う。
 先日バジル大統領は中国を訪問し、胡 錦濤国家主席との会談で、中国から今後の支援を約束されたが、スーダン南北の争いを沈め、平和的に話し合うこともその条件だったようだ。この仲介にアメリカは密かに期待し、逮捕状の出てるバジル大統領の外遊を見て見ぬふりをした理由でもあるとは思う。この辺りの分析は、先日「バジル大統領中国に旅をする-雑感」(参照)でも触れた。
 希望的観測として、スーダン政府の数少ない支援国である中国に釘を刺されたわけであるし、中国は自国の利権のためとは言え、これ以上死者を出すような戦争はやめるよう仲介したともいえる。その期待を少し持ったが、2日、産経が共同通信の記事を引いて「南部勢力と「戦闘継続」 スーダン大統領」(2011.7.2 12:42産経)で、早速バジル大統領の声明を取り上げている。

 スーダンのバシル大統領は1日、スーダンの南コルドファン州で6月上旬に始まった政府軍と、南部スーダンのスーダン人民解放軍(SPLA)と関係する武装勢力との戦闘について「この地域を一掃するまで軍事作戦を続ける」と述べ、戦闘継続の姿勢を示した。ロイター通信が伝えた。

 南部スーダンは9日にスーダンから分離独立する予定で、独立を前に双方の緊張が高まる可能性がある。南コルドファン州は北部スーダンにとどまるが、SPLAの関係勢力が残り、対立の火種となっていた。

 この記事で二点、思うことがある。その一つは、中国から平和的な解決を促されたバジル大統領の権力基盤に油田の確保というのは欠かせないことであるため、簡単には手を引かないという点だと思う。が、係争していたアビエイ地区に関しては、非武装としてエチオピア軍がPKOとして駐留するすることが既に合意している。
 もう一点は、南部の軍内部の問題だ。
 SPLAとは、スーダン人民解放軍の略称で英語表記はSudan People's Liberation Army となっている。南部独立のために北部と戦ってきたグループであるが、この一部が今もなお北スーダンに属する南コルドファンで反乱を繰り広げている。
 このSPLAに内在する不満が反発となり、南部独立のその日が近づくというのに油断できない状態だと2日、BBCの「South Sudan's enemy within」でも詳しく伝えている(参照)。
 「南スーダンの敵は、内部にいる」とは何事かと、この記事を読むのに複雑な思いはあった。油田の多いアビエイが非武装地帯となった矢先に今度は南部かと、この国が如何に複雑で難しい問題を抱えてるかだと思う。
 記事によると、南スーダンの予算の四分の一がSPLAに吸い取られ、それは健康や教育に費やされる予算の三倍に当たるようだ。そのSPLAと戦ってきた南部の反政府軍の一つであるSSLA(South Sudan Liberation Army )との間で、度々戦士が入れ替わりしているという。このような話を知ると、国のために戦っているとは思えない。南部独立が間近だというのに、新しい戦闘服と銃を配給されて喜び勇んでいる戦士の姿から、滑稽なものを感いる。こういっては何だが、それくらいの知性しかないのかと思うと戸惑った。が、よくよく考えると、スーダン紛争は21年間に渡っているため、現在の若い兵士達は、戦うことが生きることであり、そのために教育されてきただけではないかと思うと、戦争のない世界を知らないで育っているだけである。心情的にはそれがとても切なく悲しいことでもある。
 BBC記事では、南部の軍が反乱を起こす要因として、抑圧されてきた兵士に内在する不満についていくつか挙げているが、最後にSSLA の広報官、Bol Gatkouth Kolの考えを次のように報じている。

"Many of them were suppressed in the interest of South Sudan's independence, but they are beginning to surface as 9 July approaches.」

"Unless the SPLM becomes more open and governs more inclusively, these grievances will fester and lead to more rebellion."

「彼らの多くは南スーダンの独立のために抑圧されてきた。しかし、7月9日が近づいて、それらは表面化し始めてきている。
「SPLMが、さらにオープンに包括的に治められなければ、これらの不満は腐敗し、より多くの暴動に通じるだろう。」

 自衛隊派遣の意味や意義をどうしたものかと思うと、例えば、自衛隊員の家族として送り出すにも、ハイチへ送り出すのとはわけが違う。政府には、スーダンという国や情勢を良く知った上で判断してもらうしかないが、自衛隊がスーダンで出来ることは、読売が軽く語っているようなことではいような気がする。

追記:なんだか、社説を毎日チェックしている「finalventの日記」では絶句状態?でしょうか。取り上げられているようです☞こちら

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2011-07-02

今が適期な読み物として「正法眼蔵随聞記」

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正法眼蔵随聞記
水野弥穂子・校訂

 極東ブログで「正法眼蔵随聞記」の紹介があった(参照)。道元の弟子である懐奘によって書き残された道元の教えを綴った本で、歴史は古い。昨日は、この書評を読んでいろいろな思いにふけてしまった。そして、そろそろきちんと読むと良いのだろうなと思い、水野弥穂子・校訂の「正法眼蔵随聞記」(参照)をまず注文した。

 私にとっては、同年代との付き合いが一番気が楽で、その勧めであれば何でも良いと言い切れるほど安心して手が伸ばせる。育った時代を共有している点が大きなその理由であるが、取り分け「正法眼蔵随聞記」は、特別に読んでみたいと思った理由がある。書評の最後で、道元の解釈が変わったという部分だった。

 道元は厳しい師でもあったし、水野は、道元自身の母との死別、師・如浄の死別への共感の洞察を保ちながらも、人間的な共感として描き、その文脈で後の、懐奘による義介への配慮を読み取ってもいる。その解読は大きなドラマでもある。
 しかし、私は「正法眼蔵随聞記」に秘められた道元の配慮は、少し違うのではないかと思うようになった。道元は本当に懐奘が苦悩から救われることはただ禅にしかないと確信していただけなのではないか。禅のみのが人の苦悩を救う、その一点にのみ立つ道元には懊悩する者への優しさがあり、「正法眼蔵随聞記」はそれを伝えている。

 最近の極東ブログの書評で、昔の解釈が年齢と共に変わるという点に気づく。「私は「正法眼蔵随聞記」に秘められた道元の配慮は、少し違うのではないかと思うようになった」と言うあたりに非常に興味を持った。読書の醍醐味とでもいったらよいだろうか。
 先日も目から鱗が落ちるとはこのことかと感心したのは、夏目漱石の「明暗」だった。特に自分自身の歳に近い年齢で書かれていることがその魅力の一つとも言える。なんと言うか、読破後に残る余韻として、ある意味著者よりも成長した自分を感じられる。あと十年もしたら、漱石の50歳代のこの本の「愛」への感じ方もきっと変わっているだろう、と思えてくる。これがちょっとした再読への誘いとして残り、その余韻の大きさだと思う。

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『正法眼蔵随聞記』の世界
水野弥穂子・校訂

 道元は1200年に生まれて1253年、54歳で寂滅した。これだけで、道元が残した言葉を今読むに相応しいという誘いを受けたかに感じた。実は、「随聞記」を読む導入として「 『正法眼蔵随聞記』の世界: 本: 水野 弥穂子」を昔に読んでいるが、その後、日常が酷く忙しい日々になってしまい、読書どころではなくなって途切れてしまった。しかも同年で解釈が変わったと聞けば、ここで読まなければ適期を逸してしまうと思った。いつでも読めると思っていたら私、アラもうこんな歳に・・・である。
 もう一つの理由は、先日も少し触れた「破綻した神キリスト」ロバート・D・アーマン(参照)は、バイブルとは思わないが、自分自身を見つめる時には手に取る本である。この本と同様に、傍において時々手にとって読みたくなるような、または、一生傍にあっても良い本ではないかと直感した。冒頭にはこうある。

「正法眼蔵随聞記」は不思議な書物である。これに魅せられた人は生涯の書物とするだろうし、私も40歳を過ぎて絶望の淵にあるとき、ただ読みうる本といえば、この本だけでもあった。この本から生きることを学びなおした。

 読んだ人が感銘を受けている部分によるが、人の生き方はいろいろでも、心が冷え切ってどうにもならない時に見つけ出せないのは、自分自身のことだったりする。もがいている自分が落ち着こうとするとき、ちょっと寄り掛かることの出来る何かがほしいものである。その一つになるのではないかと、そう思った。
 余談だが、思い出したことの一つに今年の初め、近江八幡への旅仕度として読んだ本がある。「近江から日本史を読み直す(今谷明)」(参照)という本だが、書評(参照)で知り、速攻で比叡山へまず登ろうという展開になった。また、近江から奈良へもと、司馬遼太郎の「街道をゆく〈24〉近江・奈良散歩」(参照)まで読んだ。

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街道をゆく〈24〉
奈良・近江散歩
司馬遼太郎

 どちらかというと、こっちがお勧めな感じだが、先の本では、「日本仏教の母山ー生源寺・比叡山延暦寺」の章でその歴史が書かれている。といっても、旅行案内的に「比叡山ケーブル延暦寺駅から北西に500mほど歩けば・・・」などと、脳内でその景色が窺え、これも小脇に抱えての本かと思っている。
 旅の順路は、琵琶湖から比叡山へ登って、近江八幡へ下り、奈良へ突入。帰りは、名阪国道を一気に亀山まで走り抜け、名古屋へ着いたら「天むす」でも食べる、というルートを考えたのだった。3月に大地震が起こる前の1月の初めの話であったが、今年は実現しそうもない。が、これらの本を脇に抱え、親鸞や道元も歩いた路を歩るくのがちょっとした楽しみでもある。

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2011-07-01

日本の庭先で中国とASEAN諸国が係争中について雑感

 5月の下旬、中国とASEAN諸国が南シナ海の領有権問題で牽制し合い、中国は独自のオンラインマップ「天地図」に勝手にベトナム領海に自国の領海線を入れたとしてベトナムから抗議を受けていた(参照)。この地図に昨年気づいたベトナムは、それまでにも度々この海域で中国船との接触があったと報じていた。私がこの問題を始めて取り上げたのは5月26日で、その時点では、6月3日に予定されていたアジア安全保障会議でASEAN諸国の結束がさらに強くなり、中国との緊張が高まるという状態だった(参照)。
 ここでの視点は、アメリカがどのように関わるかで、例えば、日本はアメリカと同盟国であるため、守られているという意味では、中国とASEAN諸国との問題には直接関係することはないと思っていた。が、尖閣諸島沖で日本の巡視船が中国漁船から接触された事件でもわかるとおり、中国の干渉は、特にベトナムやフィリピンに対しては執拗な態度だった。南シナ海で起こる問題は、明日は我が身という緊張感が日本にあっても然るべきだと思う。つまり、中国の動きにはには目を光らせておくべきだという警告のようなものは感じていた。
 そして、昨日の朝のNHKニュースで、アメリカとフィリピンが中国を牽制する狙いで合同演習を行うと報じているのを耳にした。この時点では自分の知っている情報の範囲から想像して、さもありなん事と平常心で聞いた。が、昨日、この一連の係争の発端は2月、中国がベトナムの漁船に威嚇射撃をしたことだったと極東ブログの「2月25に中国艦艇がフィリピン漁船を威嚇射撃した事件をNHKは6月29日にわかりましたとさ」(参照)で知り、驚いた(参照)。と言うか、漁船が接触されて牽制された云々の話しじゃない、一歩間違えば、戦争へと発展する問題だと思った。また、半年近く前にそのようなことがあったというのを何故、今頃報じるのかという懐疑的な思惑もあり、冷や汗が出た。
 国際的には6月の2日、フィリピンで2月25日に中国から弾丸を受けた事を報じていたそうだ。今更言っても始まらないが、でも言いたい。言わせてもらいたい。
 6月14日のエントリーでベトナムが実弾演習を行ったことを報じる産経記事を引用し、中国とベトナムがさらに緊迫状態になったことを取り上げたが(参照)、この時点でも日本のメディアでは事の発端を伝えてはいなかった。私は、尖閣諸島で起きた漁船の接触事故と同じ手口だとばかり思っていたため、というか、そのようにしか報じていなかったため、ASEANの異様な緊張状態から、そこまで迫る中国の切実感は何から来ているのだろうかと、そちらにばかり気を取られてしまった。
 そして、フィリピンが威嚇射撃を受けたことを最初に報じたのもNHKのようだ。極東ブログでは、その理由を模索したようだが、それは、私にとっても関心事であった。

 しかし、この6月2日の記事からして、6月頭には確認されていたと見てよいのも確かである。当然、NHKも6月上旬には確認できたはずなのだが、なぜ6月末まで報道が遅れたのか、またなぜこのタイミングでの報道だったのか。奇っ怪。

 この「なぜなぜ」の先に、事実と前後しながら報道を順追って調べられているが、少しずつアメリカとASEAN諸国との関係が親密になっていっている様子が窺える。が、6月23日毎日の社説は倒錯しきっていた(参照)。

 とはいえ、「対中国」の柱が外交の強化でなければならないのは明らかだ。日中両国が掲げる「戦略的互恵関係」の前進を図るには、尖閣諸島沖衝突事件で損なわれた両国関係の立て直しを急ぎ、相互の政治的信頼の増進を基礎としたさまざまなレベルでの交流や協調行動の拡大が必要である。当面は防衛交流の再開やアジアの災害に対する協力の具体化などが挙げられる。また、日米関係だけでなく、中国との間で課題を抱える東南アジア諸国との連携を強化することも有益である。こうした重層的な対中外交戦略の構築こそが両国関係を前進させる基礎となる。

 この文面から、今にも威嚇射撃されるかもしれないという緊張感は全く感じられない。両国関係の立て直しをするような暢気な場合ではなかったはずで、自衛隊をどう配備するのかなど、積極的にアメリカと話し合うべき時ではなかったかと思う。そこにメディアは何故視点を向けないのかが分からない。漁船には、操業中の注意を促すような手配が政府から出てもおかしくない。それがあったのかなかったのか、メディアがテーマにして報じるのはそういうことではないかと憤慨した記憶がある。
 無政府状態とは言え、政府が守らなくて誰が市民を守るというのだろうか。この一連の報道を後から知り、ここにこうして生きていられるのは、ただの偶然の連続でしかないと思った。それで命がつながっているだけなのかと思うと、ぞっとしている。

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