2011-06-01

人道に対する罪、大量虐殺を犯したムラディッチ被告はこうして裁かれる

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 This photo was taken on May 28, 2011 . This photo was taken on June 19, 2009 .

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 「なぜ流血を減らそうという政策をジャスティスの前に選択しないものなんだろうか。」これは胸にひりひりしてくる問いかけだと思った。極東ブログで昨日取り上げられた「ムラディッチ被告逮捕で問われる「ジャスティス」」(参照)のタイトルからも分かるとおり、お尋ね者に罰を与えたり審判する前に、政策問題を考え直しても良いのじゃないかと疑問が投げかけられている。中にはそのように読まずに戦犯は戦犯で罪を犯したことには違いないということで、罰するべきだという意見もあると思う。どちらかというと、それが国際社会の常識なのだと思う。勿論、公正に裁判が行われて然るべきと思うが、このところの国際社会のやり方は、人道を無視したやり方になってきいるのではないかと疑念を抱くようになってきた。これも嫌な心持ちだ。
 ウサマ・ビン・ラディン氏が先月、アメリカにって殺害された時、アメリカ国民が歓声を上げて沸き返った理由の一つに、911の悲劇を齎したイスラム過激派の首謀者を射止めた喜びがあったと思う(参照)。だが、私はあのキチガイ騒ぎが気持ち悪かった。そして、オバマ大統領やクリントン国務長官がこの度のムラディッチ被告逮捕を賞賛する声明を出していることに、同じような気持ち悪さが残っている。上手く言えないが、「正義」が大きく立ちはだかってシステムとなり、そこに組み込まれた仕組みが正常に期待されたとおりに機能すると、どんな人間も全て悪人となるような恐ろしい武器のようなものに感じる。それが、アメリカを代表とする国際社会が皆そうなってしまうのかという恐ろしさを感じてる。加えて、命をかけて戦うものに宿る魂は後世に引き継がれ、その血が途絶えてしまうことはなと言われているだけだけに、闘士一人を殺害して終わる話ではないことでもある。
 先日、セルビア・タディチ政権が進めるEU加盟問題に関して「欧州の南北に広がる経済格差を背景に主要国は迷走を始めた?」で少し触れたが(参照)、フランスG8後の欧州経済がテーマだったのであえてこの問題は避けた。ムラディッチ容疑者に関しては、人道という観点から彼自身を問う問題と、その虐殺と言われる行為が内戦の出来事で、ひいてはセルビア人全てを人道に反する行為を行った罪人として問う問題であること。これが、政治や経済の文脈とは違うと思うし、これはこれでいずれ取り上げたいと思っていた。
 虐殺という問題行為は、ムラディッチ被告及びセルビア人勢力だけではなく、それを言うのであればボスニア・ヘルツェゴビナ内戦に続いたコソボ紛争では、NATOも加害者としての反省が必要だと思う。NATOによる空爆で荒廃した国土となり、遂にはコソボも無くしてしまった。勿論、セルビア側にも「民族浄化」などとと言われるような行為があり、「悪玉」として手配されても致し方ないことだ。こういうことを言い出せば、喧嘩両成敗と言いたくなる。ただ、今問題になっているのは、敗戦の傷跡を引きずるセルビア国民にとって、内戦指導者であったムラディッチを戦犯として引渡すこと。また、これと引き変えに、EU加盟にすがるようにその選択を迫られている現実があるのだと思う。これらを受け入れがたく感じるものがあってもおかしくはないと思う。我らの英雄は敵国の戦犯なのである。EU加盟がセルビアの復興にとってどれ程のメリットがあるかは全く分からないが、ムラディッチ被告を手土産にEU諸国との関係改善を今図っておくことは、将来的には復興に結びつくとは思う。ところが、もろ手を挙げて賛成したいとも言いがたい面がある。
当のセルビア人の意見が割れている点を5月27日のNewsweekが次のように指摘している(参照)。

 EU統合セルビア事務所のミリカ・デレビッチ所長によると、現在EU加盟を望んでいるセルビア国民は57%で、02年以来最低の割合だ。セルビア人は戦犯引き渡しを求めるEUの要求を恐喝と見ている。さらに国外旅行をするセルビア人が増えるにつれて、実際に見るEUが政治家が喧伝するような「バラ色の社会」とは異なると実感し始めた。

ムラディッチ拘束を受けて、セルビア語のネット上には怒りの声も書き込まれている。「セルビアは何も得られない」「セルビア人はこれから、特にボスニアで大きな圧力にさらされるだろう」

 二つ問題がありそうだ。貢物としての戦犯引渡しに抵抗する点と、EUの「バラ色社会」が白あせて魅力がなくなった点だ。EUが緊縮財政であることや、ユーロでは南ののほほん国家と北の富裕国家がいがみ合りになり、ドイツは特に、これ以上のほほん国会を養うのはウンザリだという反発が漂い始めている。このことは先のエントリーで書いたことにつながる(参照)。

 ベオグラードでも街の中心部で若者のグループが愛国的な歌を歌うなどの現象がみられたため、セルビア警察は組織的な集会を禁止し、警備を強化した。
ある世論調査によれば、セルビア人の51%がムラディッチの身柄引き渡しに反対だった。フェースブックのセルビア国防相のページには、あるユーザーが「まるで自分が拘束されたようだ」と書き込んだ。「われわれは誰しも神の前では小さな存在だ」

 フェースブックで広がる辺りは、なんとなくエジプトの「革命2.0」のような動きを感じる。この動きがともすると反政府運動につながる可能性も秘めていると思う。
 セルビアに関してどうしても書いておきたいと思うことは、これらの背景がある中でアメリカの勇ましい雄叫びが滑稽にも見えてくることだ。これは、「薄汚い正義の現実世界」この上ないことは勿論だが、その世界水準には日本も含まれる。だから私もだ。私はそこまで落ちぶれたくない。そして、いきなり闇討ちのように殺害したビンラディン殺害よりも当初はましかと思ったが、そうでもない。比べられるものでもないが、もっと悪い。政治の取り引きに戦犯を利用している点と、他国の手に負えない独裁者への見せしめに利用する点だ。これに私は加担はしていないが、これを行使する「国際社会」の一員であることは間違いない。これが許せない、と言っても始まらない程ちっぽけな存在なのだ。
 ハーグ裁判が公平に行われることを望むしかない

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