2011-06-12

「人災」について

 今日、一つ前のエントリー「原発のこれからを考えてみるに」(参照 )で、「人災」という言葉を不用意に使ったなと反省した。その場で訂正して追記しても良いとは思ったが、この言葉はしばしば問題になるのでじっくり考えてみた。また、この言葉をどのように使ったか後で分かるようにそのまま残すことにした。
 まず、「人災」という言葉に何故拘るかだが、この言葉がでてくるときは必ず、人の過失や故意によるものかが結果として問われてしまう点がある。人は故意にも不本意にも過ちは犯すもので、その判定には、私法や刑法で係争しなくてはならなくなることがある。そうなると話しがずりっと本題からずれてしまうことがよくある。人災だと発したお陰で誰かを悪者にしなくてはならなくなる。それが個人の責任問題に発展すると、何が発端でその問題が浮上したのかさえどうでも良くなることがある。しかも、人災として問えるのかどうかも怪しいと思うようなことが最近目に付くようになった。これが主な理由だが、他人のことを言っているあんた、自分はどうなん?と、先ほどやっとこれが我が事になったような喜びを感じた。
まずきっかけとなった記事を読んでみて欲しい。

 【ロンドン=木村正人】1993~99年に国際原子力機関(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家ブルーノ・ペロード氏が産経新聞のインタビューに応じ、福島第1原子力発電所事故について「東京電力は少なくとも20年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置などを助言されていたのに耳を貸さなかった」と述べ、「天災というより東電が招いた人災だ」と批判した。
 日本政府は7日、事故に関する調査報告書をIAEAに提出、防止策の強化を列挙したが、氏の証言で主要な防止策は20年前に指摘されていたことが判明し、東電の不作為が改めて浮き彫りになった。
 氏は「事故後の対応より事故前に東電が対策を怠ってきたことが深刻だ」と述べ、福島第1原発が運転していた米ゼネラル・エレクトリック(GE)製の沸騰水型原子炉マーク1型については、1970年代から水素ガス爆発の危険性が議論されていたと指摘した。

 Twitterのクリップ記事「IAEA元事務次長「防止策、東電20年間放置 人災だ」(参照)である。タイトルが正に「人災」とあるが、これに釣られたんじゃないし、「元事務次長」という肩書きで言葉の重みを感じたわけでもない。単純に「人災」と書いてあったからそのまま倫理問題に結びつけただけだったが「倫理問題?」と聞かれてハッと考え出した。これで分かるとおり、いとも簡単に言葉を乱用している自分がまずいた。そして、独り言は続いた。
 ここでベロード氏は在任中の20年前、東電に氏の正しいとする専門家としてのアドバイスを与えているが、それを東電が聞き入れなかったことが今回の原発事故を大きくしたと批判している。氏の助言は専門家であると共に、国際原子力安全委員会としての立場として、正しい在り方だったとも思う。こうなると一方的に東電が引き起こした「人災」と言われても仕方のないことだ。と、今までは終わりにしていた。だからダメだった。大人として企業人として、原発を扱う者として聞き入れて当たり前くらいに思っていたが、東電は実行しなかった。その理由は何だろうか。何かの理由があったのであればそれを出して議論すべきではないか。重ねて、隠蔽と言われてそこを問われ、議論の的が外れる前に私企業としての不都合があるならなあるで、全て議論に含めて考えるべきではないかと思う。見識者の助言を聞き入れられない理由があるなら、その場で相手と議論すべきではないのか。
 しなかった理由を想像するに、この助言を全て聞き入れると費用が嵩む。東電が海水注入を躊躇した理由を思えば、聞き入れなかった理由は察しはつくが、それをも議論に乗せて検討するべきではないだろうか、と言いたい。これは、日本人の悪い面で、議論せずに隠してしまう部分だ。ベロード氏が「人災」だと批判した背景に自身の保身というのもあるかもしれないが、それこそブーメラン発言ともなり兼ねない。私の理屈で言わせてもらうと、責任ある立場なら、東電が実行するまで見届けるくらいのプロ意識を持ったらどうかと思う。まあ、発言者にものの言い方を注文つけるものではないが。
などと考えているうちに、次のように思った。

「人災」と判定する前に物理的に検証し、科学的に回避する方法を探し出すことを怠らなければ人災にも成り得ない。今までこれがよく分からなかった。「ルサンチマン」が人間社会の歪みを一言で片付けてしまう嫌な印象ばかりがあったけど、そういう思い方自体がルサンチマンを引き起こしてる自分だな。

 深く反省した。
 因みに、「人災」を大辞泉で引いてみた。

じん・さい【人災】
人間の不注意や怠慢で起こる災害。水害・地震などで、十分な対策を講じておかなかったためにこうむる災害をいう。⇔天災

 辞書の解釈で言えばベロード氏の言うとおりだが、この問題は、徹底的に物理的に検証して科学の力をフルに応用すれば「人災」は回避でき、改善された分原発は安全性の向上が図れたのではないかと思えた。未然に防ぐことができれば、辞書から「人災」の文字が消えるかもしれないと思った。おっと、辞書から文字が消えることが世の中にとって良いことかどうかを論じているわけではなかったな。つい熱くなってしもうた。
 人災を問うより、技術の向上や改善を詰めていけば、人災を問うような必要性もなくなると言いたい。

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コメント

「安冨歩(やすとみあゆむ)」という、なかなかに気骨のある経済学者さんがいます。その方がブログで、ここのところ原発のことについて書き綴(つず)っていて、それをずっと読んでいます。そのブログで話題に上った「ベロード氏」を検索しているうちに、ここにたどり着いた次第です。
「人災」についてのお話、卓見です。
「ルサンチマン」はずっと前にサルトルか誰かに関係する文章で見かけて以来、見かけることも使うこともなかったような気がします。
しかし、たしかに「ルサンチマン」から見えてくるものがあるようです。groundmotherさんのお話でそれに気づけたことは、非常に大きな意味を持っているように思います。
原発事故に関するネット上の発言で、一般の方だけでなく専門家や学者(安冨さんは違う……と思う)までもが、不用意に「ひとくくり」にして語り過ぎる傾向が強いように感じていました。
groundmotherさんのお話を読んでいて、その点でようやく信頼がおけ、自分でさらに考えるきっかけになりうる文章に会えた気がしました。
同時に、「反原発派」としての怒りを感じていたその私の怒りの中に、丁寧に考えることを怠っていたことによって、どう転んでも、ものごとをよい方向には向かわせない「怒り」がそこに根付いていたことがわかり、少しぞっとしました。
また、読ませていただきます。

投稿: 牛田モー吉 | 2011-06-12 21:37

……大変失礼なことをしておりました。
「godmother」さんのことを「groundmother」などと……。
心よりお詫びいたします。
大変申し訳ありませんでした。

投稿: 牛田モー吉 | 2011-06-12 21:42

牛田モー吉さん、コメントありがとうございます。ハンドルネームの件はお気になさらずに。全く気にしていませんよ。

投稿: ゴッドマー | 2011-06-13 07:52

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