「国会議事堂の石の壁」の向こうとこっち側
菅さんがファイナンシャルタイムズから「優柔不断」と言われ、まあそうかなと思っているだけに辛いところだと黙っていたが、日経が、そのFT記事の翻訳を出したので、それに触れながら今の日本の情勢も書いておくことにした。
それにしても、民主党のあのドタバタは滑稽だった。こういう言い方は憚れるが、呆れるばかりの程度の低さで、内閣不信任案提出騒ぎが終わった。これに私は腹が立ったし、政治というものが分からなくなった。結局、菅さんは、遠くない近い将来の辞任と引き換えに内閣不信任案成立を阻止することを鳩山さんと約束した。そこで梯子を外された形になった小沢さんは一旦は激怒したが、かろうじて投票には不参加という形で面目を誇示したかに見えた。これと言うのも、鳩山由紀夫という人物の正体を暴けずに、またしても信じてしまった小沢さんの自業自得であり、「身から出た錆」だったのかもしれない。
いうまでもないが、全てが終わって、菅さんが約束不履行にするかもしれないと判断した途端、鳩山さんは「ペテン師」だと罵り、民主党のオーナーを気取っていた。その様子から見て、最初から民主党を多数の与党という枠組みから崩す気など毛頭なかったと言える。小沢さんだけではなく、自民党の長老達も梯子を外されて激怒したらしいが、今回の不信任案提出劇は、鳩山さんの仕掛けに自公が乗ったのではないだろうか。そして、最終的には民主党を与党として体裁良く残した鳩山さんの勝ちと言うものだろうか。全てに恵まれた人が最後に欲しがるのは、権力の座かそれを支配する立場ではないだろうか。
また、不信任案に賛成した小沢派議員二名と、欠席または棄権したのは小沢さんの他14名だったが、他は、内閣不信任案の否決が確定的になるや、みな保身にまわってしまった。松木さんを影で羽交い絞めにして押さえるという光景を目にしたが、あれはもはや薄汚い利権の亡者にしか映らなかった。かつて150名とも言われた数の力を誇る小沢氏に、たったの十数名しか残っていないということだ。小沢さんの終焉を見たというものだった。直後にこれだけでは収まらず、党内ではまたごたごたが始まった。
菅さんと鳩山さんが交わしたという覚え書で、退任の日時が明記されていないと言うことが発端となってまた政局の話にもつれ込むような気配があった。これを聞きつけた北澤外務相は、訪問先のシンガポールから事態の収集を図る会談を持つよう、意見が示されたそうだ(NHK)。北澤さんくらいではないだろうか、このような事態に巻き込まれず、粛々と仕事をこなしているのは。
もういい加減に勘弁してつかーさいと、悲鳴を上げそうになったところへ昨夕、またしても凶報を知った(読売)。
「自民改革案「骨抜き」に…ベテラン議員ら反発で」
派閥の影響力排除などを柱とする自民党改革委員会(委員長・塩崎恭久元官房長官)の改革提言案が、ベテラン議員らの猛反発で「骨抜き」の危機にさらされている。5月末にまとめた提言案は、派閥について「党運営に関与しない」と明記したほか、「検討課題」として、「首相経験者は、次期総選挙において公認・推薦しない」との方針も盛り込んだ。
改革委のメンバーは中堅・若手議員が中心のため、「これをやりきれば自民党も変わる」(当選2回の平将明衆院議員)と、世代交代の促進を狙った。
これに対し、伊吹派会長の伊吹文明・元幹事長は、「党運営に派閥が関与したことは一切ない。(古賀派所属の)塩崎君は派閥を抜けてから言うべきだ」と主張。麻生派会長の麻生元首相も、谷垣総裁に「公認されなくても、オレは選挙に出るぞ」と怒りをぶちまけた。
党執行部は「提言案は刺激が強すぎた」とし、内容の見直しを改革委に指示する構えだ。
読売らしいタイトルだが、自民党の長老がいなくなると「骨抜き」になるのかどうかは分からない。それよりも、政局を争う薄汚い民主のオヤジ達に続いて今度は自民かとウンザリした。被災された方の意見をチラッとラジオで聞いたが、みなうんざりして呆れている。まともな政治など期待できたものではない。と、政治が分かっているような口をきくものでもないと思った。政治ってわけが分からない。
先日、ファイナンシャルタイムズで「The indecision of Naoto Kan」(参照)いうタイトルで日本の政局が話題になっていた。直訳すると「菅直人の優柔不断」または、「菅直人のためらい」だろうか、図星なだけに印象が強く残っていた記事だったが、日経で翻訳が挙がっていたのを昨日、Twitter知った。翻訳を読んで、原文を読んだ印象と大きく違うとは思わなかったが、なんとなく違う。いつもの悪い癖で、こういうのをこのまま放置すると誤読になるかもしれないと思い、原文を再読してみた。なんとなくピントがおかしい。
FTの記事は捻くれたようなイギリス独特の皮肉のようなものもあるが、起承転結がはっきりしていて読みやすさもある。導入部分でズバリ何が言いたいかがはっきり分かり、肝の部分ではタイトルの意味が解けてくるが、日経の翻訳はどうも歯切れが違う。良く見たらタイトルが「収束見えぬ民主の内紛 改革の機 台無しに(FT)」と、全く違うことに気づいた。と言うか、その文脈で読むなら落ち着くが、ここで違和感を見つけるためにFTの元のタイトルにそうように文脈を読み直して分かったのは、日経の翻訳は、FTの文脈の流れに沿っていない。ここで今度は極東ブログで直訳がつき、日経の翻訳と並べられていた(参照)。
並べた理由に、日経の翻訳が「意訳のような感じがする」とだけあるが、英語が少し読めて、なおかつ日経の翻訳を読んで違和感をもった私にとってはありがたかった。読んでみて感じたのは、日経は、FT記事の文脈を政治改革の失敗の文脈に読み変えた上、タイトルまで「「収束見えぬ民主の内紛 改革の機 台無しに(FT) 」」と変えて伝えている。
この部分がそうだ。
現野党の自由民主党が半世紀以上にわたり政権を独占することを可能にしたのは、日本の官僚制度だ。民主党は政権を奪取し、問題点を根本的に見直し、政治改革を実現する機会があったのに台無しにしてしまった。
民主党が公約した責任ある政治制度の構築は遅々として進まず、むしろかつての自民党ばりの派閥政治が横行している。
これがタイトルにつながったている部分でこれが日経が一番言いたい部分だと思う。これは、文脈を歪曲したと言っても良いと思う。ただし、その意図がよく分からない。日経記事に突っ込みを入れるためにエントリーを書いているつもりはないが、タイトルも違えば内容も違うとなると、わざわざ「()」をつけてFTとしているのは不自然だ。
この件はとりあえずさておき、FTが何を伝えたいか、それを素直に読むのなら極東ブログの直訳がよいと思った。大きく読み間違えるところだった危ない部分だけ拾っておくことにした。
Whether he can, or should, continue in office is moot. It is difficult to see how in his weakened state Mr Kan can reach out even to dissidents in his own party, let alone the opposition, in order to address the many serious challenges that Japan now faces.
(日経訳)菅氏続投の是非には議論の余地がある。弱体化した菅政権が党内造反派、ましてや野党に働き掛け日本が直面する様々な深刻な問題の解決を目指せるとは考えにくい。
(試訳)彼の政権は維持できるのか、それとも維持すべきなのかなど、机上の空論である。日本が直面している深刻な課題に取り組むのに、この衰弱した状態では、野党はもちろん党内対立者にどこまで菅氏が話を取り付けることができるのか、わからないのだ。
この訳の違いは大きい。
日経は菅さん続投の是非には議論の余地があると訳しているが、直訳では、机上の空論となっている。日経訳も間違えではなく、「moot」には余地があるという訳し方もあるが、後の「問題解決」への可能性は難しいとFTは結んでいるため、これを勘案すると後者の試訳の、議論の必要性はないと訳す方が筋が通る。
Some of the blame must attach to the DPJ. Since assuming power, it has squandered its opportunity to change Japanese politics for the better by sweeping away the bureaucratic system that had kept its predecessor, the Liberal Democratic party, in power for more than half a century. Little headway has been made in building the more accountable system that was promised. Instead the DPJ has subsided into the sort of factionalism that plagued the LDP. Mr Kan faced a leadership challenge last year and his predecessor as DPJ leader and prime minister, Yukio Hatoyama, lasted just months. Reforms have taken a back seat.
(日経訳)民主党にも責任の一端はある。現野党の自由民主党が半世紀以上にわたり政権を独占することを可能にしたのは、日本の官僚制度だ。民主党は政権を奪取し、問題点を根本的に見直し、政治改革を実現する機会があったのに台無しにしてしまった。
民主党が公約した責任ある政治制度の構築は遅々として進まず、むしろかつての自民党ばりの派閥政治が横行している。
(試訳)民主党には非難される点がある。民主党は政権を獲得したというのに、半世紀にもわたる自民党政権を支えた官僚機構を刷新して日本の政治を改革するという機会を浪費してきたのだ。公約された、よりアカウンタビリティ(応答責任)ある制度構築へは前進なきに等しい。代わりに、自民党の宿痾であった派閥主義のような状態に陥りつつある。民主党を指導する総理として鳩山由紀夫は数か月しか保たなかったように、菅氏も昨年、指導者としての異議に晒された。改革は後退してきた。
ここは先に触れたとおり、あった文章がなかったように書かれている部分だ。極東ブログの注意書きの通りに太字にした。
FTは、民主党の公約違反は政治が前進してこなかったことを意味し、同様に鳩山、菅両氏の総理が短命に終わるのも、改革は後退と見ている。この部分の何を日経は隠したいのか分からないが、政権交代が無駄だったと言いたくないようだ。仮に短命でもよいと言う意味だろうか。FTの指摘する二箇所から、政権交代が無駄だったとする内容だが、それは現時点ではそうだと思うし、政治家としての限界を指摘されているわけで弁解の余地もない。国民にしたらここはがっくりする部分だが、仕方がない。
FTのタイトル「菅直人の優柔不断」に戻ると、菅さんの優柔不断はその計算違いからきていると思う。辞意を表明すれば菅下ろしの空気は収まり、不信任案は否決されて民主党の政権維持ができる。そのシナリオがその通りに運ぶことは菅さんが張り切る場を再確保する意味になると思ったのだろうか。そこが、辞任の時期を曖昧にした理由かもしれないが、これは、鳩山さんにとっては民主党が鳩山オーナーの元に確保されるためのシナリオだったのではないだろうか。政局には昔から派閥と言うものがつき物としてあるが、この政権に関しては財閥である。鳩山さんが下品に、執拗に菅さんの曖昧期限を罵倒するのも、彼独自の沽券に関わるからだと思う。この意味では、政治を利権に利用している薄汚いオヤジは鳩山さんであり、菅さんではないと思う。菅さんに人間的に望みがあるとするればこの部分だけで、他にはない。政治家に向いているとも思えないが、政治家が備えるべきものは菅さんにだけはあると思う。FTの指摘の通りになりたくなかったら、短命で終わらせることなく寿命を延ばして、よたよたになっても目標に近づくことだけを見て進むことではないだろうか。
しかし、FTの最後のこの一説にがっくりきた。
(試訳)情けない話だが、国民の心意気は国会議事堂の石の壁に阻まれ、議事堂の中では、職務と地位という見せかけだましの獲得に延々と口論を続けている。この事態が変わるまで、日本政治の手詰まりは終わらない。
菅さんが辞任の時期を鳩山さんの納得の行く日程に合わせれば、今のごたごたは直ぐに収まると思うが、FTが指摘しているのはもっと深いところで意味があると思う。壁の向こうの議員が自ら今の失態に気づくだろうか。これは問題だ。菅さんが近い将来辞任するとして、あの壁の向こうに後任がいるとは思えないだけに困ったものだ。
追記:その後、「退陣合意」の真相が明らかになり、Zakzakが詳細を伝えている(参照)。
菅直人首相の退陣“ほのめかし”発言は、民主党の枝野幸男官房長官、仙谷由人正副官房長官、岡田克也幹事長ら政府・民主党の幹部が仕組んだ、巧妙な戦術だったことが4日までに明らかになった。
巧妙なワナとも言える仕掛け。その後の首相の豹変を見抜いた人物もいる。野党多数の参院の円滑運営のために、首相が身を引くことを期待していた輿石東参院議員会長は、首相が最後まで退陣時期を明確にしなかったことを確認すると、電話で平野氏を怒鳴り上げたという。しかし、時遅しだった。
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