2011-06-16

清子の態度から雑感-「続明暗」(水村美苗)より

cover
続明暗
水村美苗

 昨日の朝、早い時間に「続明暗」(水村美苗)が届き、読み始めてから途中少し中断はしたものの午後、読みきってしまった。噂の通り素晴らしい。漱石の筆致に似せて書いてあるというのは重々承知で読んでいるにも関わらず、いつの間にかそれを忘れて引き込まれてしまった。そして、読後に残る余韻は、漱石の書いた未完に終わったあの「明暗」の余韻とまるで同じで、伏線が蘇ってきたことだった。筋書きを変えられているというような違和感が残らない理由に、新たなテーマを設けたり、粗筋が大きく変わったということもないからだろうか。「明暗」に登場した人物の関わりを上手くつなげて伏線の部分の風通しがよくなったという印象を持った。が、これがあの答えか、と言った感動や驚きのようなものではなく、読後もじんわりと辿っている余韻があり、もう一度伏線部分を読み返してみようという不思議な気持ちが湧いている。探究心とでもいったらよいだろうか。描かれている人物像をもっとはっきりしたものにしたいと言う欲望が旺盛になる。その人物の奥にある、漱石が伝えたいものをもっとはっきり見たいという欲望である。
 続では、主人公である津田由雄描写が薄いというか、漱石自身が書いているものではなかったなと時々思い出す程度だったが、「あとがき」を読むと、筋の展開に気を置くため心理描写を少なくしたという意図があったようだ。全て仕組まれたのかと思うと素晴らしい作品としか言いようがない。
 「明暗」の伏線から読むようなことになるが、津田が結婚前にあっさり捨てられてしまった清子の言動がなんとも気になる。ストーリー全体から結末を読むよりも、プロローグとして清子を視点に抜き出してみた。

 ***

 津田は、痔の手術後、流産した後温泉で湯治をしているかつての恋人清子に会いに行った。廊下でばったり彼女に会った時のやり取りから大きく変化が起こっている。
 清子は、津田が故意に待ち伏せしていたと思い込み、これは津田にとっては心外なことだった。抗議した津田に
「理由はなんでもないのよ。ただ貴方はそういう事をなさる方なのよ
と言い捨てている。この言葉の奥には、津田に対して何かの固定的な思い込みがあり、これは、津田のかつての清子とは違うという評価につながっている。さらに、前夜、廊下でばったり会った時の清子の驚きようとは打って変わって翌朝は、落ち着いてしまっている。これは更なる疑問となり、津田の次の質問へと展開している。
「昨夕そんなに驚いた貴方が、今朝は又どうしてそんなに平気でいられるんでしょう」
これに対して清子は、
「心理作用なんてむずかしいものは私にも解らないわ。ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」と、そっけなくあしらうように答えている清子も、津田が知っているかつての清子とは違う。
 また、津田の疑問に答えようともしない清子の態度から、津田にどう思われても動じていないというきっぱりとした拒絶的な態度を感じさせている。津田との再開は、あってはならない事だったということをここで強く印象付け、津田を避ける意味がこのそっけなさにはあった。
 この態度から、突然津田の前から理由も言わずに姿を消した清子の謎の部分は、再開した今もその理由が存在することを意味をしている。つまり、津田が一番知りたい「捨てられた」理由は、昔の出来事ではなく、再開した今もなお拒絶される理由として生きているということが伏線になっている。これが清子の夫である関と深く関係していることを思わせる清子の言葉は、
「宅から電報がくれば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」
「清子はこう云って微笑した。津田はその意味を一人で説明しようと試みながら自分の部屋に帰った。」と、続き、さらに何が隠されているのか、意味深な言葉となっている。
 清子が関と結婚した経緯はちょっと複雑で、傾きかけていた清子の実家に取り入って援助と引き換えに清子の歓心を買い、津田の知らない裏側で清子には津田を軽蔑させるような噂話を吹き込むという下準備が整っていた。単純な清子は関の言うことを真に受けてしまった。つまり騙されてしまった。だから、「ただ貴方はそういう事をなさる方なのよ」と温泉で翌朝、津田に吐き捨てた言葉につながる。
 この経緯を他所で聞いて知っている小林は、関と津田の共通の知人で、小林の口からこの大芝居が清子や津田にバレては困ると関は思っている。それが理由で関は清子に、津田との再会を禁じている。これが、清子が津田に偶然会った時、蒼白になるほど驚いた理由だった。
 清子が関のこういった策略によって奪い取られたことを知った時、かつての清子ではなくなっている事にも気づき、それまでの清子への未練の意味がなくなった。
 そういう清子と関の夫婦関係も良いとは言えない。関の金策に奔走する状態を助けるような器量もない清子は、どちらかと言うと関には邪魔になっていたと思われる。清子の口をついてでてきた言葉、
「閑暇な人は、まるで生きていられないのと同なじ事ね」は津田に向けられたが、清子自身がそうだったからだと思う。知人を裏切ってまで手に入れた女が役立たずだったという思いを関は持つようになり、夫婦関係も上手く行かない結果となる。そこで流産が決定的であることと、この流産の原因が、性病の影響であるなら、ともすると二度と子どもが生めないということにもなる。
 津田はこのことを小林との話で知る事になるが、「どうしてあの女は彼所(あすこ)へ嫁に行ったのだろう」という津田の疑問に、一つの答えとして最終段階で結んでいる。
 ここまで追ってみて、彼らの結婚は何だったのだろうかという疑問を思わずにいられなくなった。愛することと表裏一体にあると思っていたはずの嫉妬の欠片もない。嫉妬などとは醜いものだと今まで思ってきた部分があり、それは薄汚いものとして嫌悪したくらいだったが、嫉妬心も併せ持たないような愛がここに描かれているのかと思うと、私の愛に対する観念的な見方を疑った。一体これは何だろうか。
 極東ブログに「明暗のテーマは、人間の深淵を描いているようでいて、実は、人の美醜が必然的にもたらす愛憎というものの、その機械性が孕む悲劇を描いているのではないかと思っている。」(参照)とあるが、美醜とは、美しく醜いと書く。確かに、この言葉は言い当てていると思った。それを登場させている人物のいたるところに配置し、人の愛憎を巧みに引き出して見せ付けてくれたと言える。なんとなく途中のような気もするが、今日はここまで。

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