2011-06-15

「続明暗」(水村美苗)が楽しみな件

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続明暗
水村美苗

 極東ブログで「続明暗」(水村美苗)の紹介があった(参照)。勿論、速攻で注文したが、自分としてはかなり焦り気味でAmazonにアクセスした。理由は、極東ブログで紹介された本は、直ぐに在庫が尽きてしまうからだ。時々買えなくなるのと、漱石の「明暗」の続編と思ったら買いに走る人が殺到するのではないかと想像したからだ。案の定、在庫は二冊だった(中古はまだあるみたいだ)。
 実は「続明暗」のことは知らなかった。何故こんな不手際が生じたのかと出版時期を見たら、連載されていた頃も重ねて、私の人生で一番忙しい時期であった。この頃は、読書は愚か、新聞に目を通すような時間も惜しまれた忙しい日々だった。前にも書いたが、私の読書暦は長いが、子育て時期がすっぽり抜けてしまっている。ついでに音楽や創作活動からもだが、遅ればせながら、今頃その穴埋めのようなことを始めているといえばそんな感じかもしれない。
 「明暗」を再読していて感じたのは、昔読んだ「明暗」はそれなりで、今読んでもそれなりだが、登場する人物の心の機微のようなものは、私が歳を食った分なりの解釈になったと思う。先日買ったiPadを使って、「i文庫」というアプリケーションに「青空文庫」から取り込んで読んだ。「大辞泉」という辞書の、これもまたアプリケーションが連動するので読みながら指一本で字引が使えるのが嬉しい。昔の漢字や語句の意味など、細かく調べながら読むことができたのも解読には役立ったと思う。
 「明暗」は、朝日新聞に当時連載物として発表されたが、途中で漱石が病没となり終わっている。未完のままでよいと言えばそうだし、他人が続編を書いたものに何の価値があるかくらいに思ったのが正直なところだが、「明暗」の続きというと外せない魅惑がある。それは、小説というコンパクトな枠の中で登場させる人物像と、その人間関係を巧みな心理描写使って描かれているのことだろうか。一種の覗き見的な魅力がある。小さな穴から見るというではなく、見えているようで見えない。答えであるようでそうでないもどかしさが残るのがまたいい。
 さて、「続明暗」が届く前に「明暗」について少し整理しておくことにした。

 主人公の津田由雄は、勤め先の社長の仲介で半年前にお延(おのぶ)と結婚したが、恋愛結婚にもかかわらずなんとなくぎくしゃくした生活が続いている。お延は、津田から愛されているという実感が持てないため、その愛を得るために巧みに奮闘するが、津田は薄気味悪くも感じていた。津田は大痔主で、この治療のために病院に入院することになる。
 お延との結婚前、清子という女性と交際していたが、結婚直前に清子に逃げられてしまう。おそらく、自尊心が許さなかったのだろう、清子が自分から去った事をいつまでも引きずった。小説の終盤でその清子に再会することになるが、自分からではなく上司の妻、吉川夫人の策略に乗ってしまったからだった。

 お延は、恋愛の末に選んだ夫津田から愛されなければならないという変な意思が強く、その愛は、自分にだけに向けられる絶対的なものでなければならないと信じている。津田に対しては至れり尽くせりの親切心を寄せ、良妻を徹底追及するが、津田が存外にそっけなく、身勝手な夫だと不満を持っている。

 津田が痔の手術で入院中、現れた上司の妻吉川夫人は、かつて津田に清子を紹介した人物で、清子が流産したことを知らせる。湯治している先に会いに行くように勧める。

 この先の肝の部分が気がかりでならなかったが、極東ブログにそこの部分がポロリと抜き出してあるではないか。もう・・・。こんな風。

 続編に漂う底知れぬ悪意の表出はすばらしかった。なるほど吉川夫人と清子はこのように決着を付けるほかはあるまいと納得するほどの鬼気が漂っていた。が、多少筆者も照れを感じてはいるあたりが知的偽物らしい骨頂といえるものだった。まあ、よい。
 まいったと思ったのは、関という男への度胸のよい解読である。漱石の明暗にある次の伏線に当たるものだ。当世でいえば泌尿器科であろうか、その薄暗い控え室で由雄は妹の夫と級友に出会ったことの回想である。

 この陰気な一群の人々は、ほとんど例外なしに似たり寄ったりの過去をもっているものばかりであった。彼らはこうして暗い控室の中で、静かに自分の順番の来るのを待っている間に、むしろ華やかに彩られたその過去の断片のために、急に黒い影を投げかけられるのである。そうして明るい所へ眼を向ける勇気がないので、じっとその黒い影の中に立ち竦むようにして閉じ籠っているのである。
 津田は長椅子の肱掛に腕を載せて手を額にあてた。彼は黙祷を神に捧げるようなこの姿勢のもとに、彼が去年の暮以来この医者の家で思いがけなく会った二人の男の事を考えた。
 その一人は事実彼の妹婿にほかならなかった。この暗い室の中で突然彼の姿を認めた時、津田は吃驚した。そんな事に対して比較的無頓着な相手も、津田の驚ろき方が反響したために、ちょっと挨拶に窮したらしかった。
 他の一人は友達であった。これは津田が自分と同性質の病気に罹っているものと思い込んで、向うから平気に声をかけた。彼らはその時二人いっしょに医者の門を出て、晩飯を食いながら、性と愛という問題についてむずかしい議論をした。
 妹婿の事は一時の驚ろきだけで、大した影響もなく済んだが、それぎりで後のなさそうに思えた友達と彼との間には、その後異常な結果が生れた。

 妹・秀子の夫については、それが秀子という人間の素性を暴露する背景として悲喜劇に描くのはよいとして、「友達」は大きな伏線である。「その後異常な結果が生れた」とは、つまり、彼が関であった。清子が由雄を捨てて得た夫である。
 そこまで読んでよいのかということにためらいがあったが無理な読みではない。由雄を捨てた清子の男は花柳病であった。淋病だろう。続ではこの伏線を大きい線で描いた。清子の流産もそのせいであろうと見ている。
 おそらくそうであろう。続ではそれ以上踏み込んでいないが、由雄とお延の結婚の半年という期間は、清子の流産までの時間を指してもいるのだろう。清子と関の肉体関係の悪魔的なクロノロジーであろう。清子は生理が途絶えたときに由雄を捨てたのではないか。だがそこまでは続も展開しない。

 ああ、ここまでみせちゃっているぅと、わくわくするのはおそらく誰もがそう思うのだろう。「友達」作戦かあ。これが伏線の鍵だったのかと思うと、漱石は他にもいろいろと隠しているような気がした。読ませるなあと感嘆しつつ、続が届くのが待ち遠しくなった。
 余談だが、今頃の人は淋病と聞くとエイズや梅毒と同等に驚くみたいだが、母からその昔聞いた話が面白い。母が会社の事務員をしていた頃(昭和25年くらいだろう か)、男性社員一人一人宛てに「売春宿」から請求書が届いたそうだ。まるで定食屋のツケ払いのように。その請求額を、給料から天引きして支払うのを当たり 前にしていた時代があったと聞いた。淋病もその付属的なこととして、憚りもなく病院で治療を受けていたらしい。それを聞いた時「え‶っ、お父さんも?」とうっかり聞いた事にバツ悪く思った私だった。

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