2011-06-26

ピーター・フォーク(Peter Michael Falk)

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 刑事コロンボといえば、私にとっては昭和の顔というべき人。ピーター・フォーク氏(Peter Michael Falk, 1927年9月16日 - 2011年6月23日83歳)が23日、アルツハイマー病を患って亡くなった。とてもしんみりした。日本では1970年代からNHKで時々放送されたと聞いて、刑事コロンボの放送の日をマークして観ていたのを思い出した。一度打ち切りになった時は、あのコロンボ刑事がいつか始まらないかと心待ちにしていた。最初の頃のコロンボはこざっぱりしたショートカットのヘアースタイルで、細いネクタイのモノクロ画像だったような気がする。それが、「新コロンボ刑事」になってから恰幅はよいが、薄汚いよれよれのレインコートと葉巻にぼさぼさ頭がトレードマークになって登場した。ドラマからは、ピーター・フォーク氏自身の私生活などを想像させる余地もなく、コロンボ刑事として定着した。ドラマを見ながら良く思ったのは、「うちのかみさん」と頻繁に出てきたコロンボの奥さんに、今回は会えるだろうかと毎回心待ちにしていたことだった。この人物を一度も登場させずに、終始一貫して終わらせたことが凄い。刑事コロンボを通してしか窺い知ることのできなかった人物として、今でも会ってみたい人物で終わっているところは、製作側のポリシーがここにもあると思っている部分だ。また、刑事コロンボが始まれば、奥さんは登場させるだろうかという期待感があるが、ピーター・フォークは再来しないのだと思うとしんみりした気持ちになる。
 同時に思い出すのが、あの番組を見ていた昭和の風景だ。当時住んでいた家は木造の平屋で、両親が一番最初に建てた家だった。母は、真っ黒のくせ毛でいつもウエーブのかかった前髪を横に流し、脇の毛は耳の後ろにかけていた。父もこれまた天然パーマと言われたくせ毛で長身。ハンフリー・ボガートか三船敏郎といわるれほどの渋くてカッコイイ人だった。現在もそれなり。「昔は女性にもてた」などと軽口を叩く人ではなかった。母からいつもけちょんけちょんに下げられてもいたが、無口であったし無抵抗でもあった。ここに弟が加わって、一家四人で板の間に座って刑事コロンボを子ども時代のように観ていた記憶が蘇ってきた。テレビの前で全員揃えば一家団欒と思っている人も多いと思うが、それは違う。刑事コロンボという番組が、たまたま家族全員が観たい番組という一致性でしかない。この頃は、忙しい日本になっていて、父が定時に帰宅することはなかなかなかった。電車で一時間ほど都心に通勤する毎日で、9時近くが帰宅時間だった。母の方針で、父の帰宅に合わせて全員で食事をするため、いつも腹ペコだった。が、団欒はそこにはあった。
 私の生活時間が段々まちまちなリズムになり、刑事コロンボを見逃すとこともよくあった。次第にテレビから遠のき、いつの間にか放送も終わった。ピーター・フォークが他のドラマに出ていることも知り、何かを見た記憶はあるが、刑事コロンボ以外のピーター・フォークには興味がなかった。

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 同時期に対抗して「刑事コジャック」もしばらく日本で放送された。個性的なテリー・サバラスが演じるコジャック刑事はコロンボとは全く違うニヒルなタイプに描かれていた。棒つきのキャンデーをいつもくわえていたが、アレは今でもコンビニなどに売っているイタリアのチュッパチャプス (chupa chups) ではなかっただろうか。その当時私はイギリスのロンドン郊外SWに住んでいたが、最初にAu-pairとしてホムステーした弁護士の家庭は、二人の小坊主と三歳の娘がいた。彼らのヒーローは刑事コロンボではなく刑事コジャックだった。同じ刑事物の番組としてイギリスでも放送されていたが、子ども達にとっては、刑事コジャックの方がカッコよかったのかもしれない。
 彼らの両親であるNashさんは、刑事コロンボファンだった。夜の居間では、刑事コロンボを見終わると、その時抱えている裁判の様子をなどを話題に英語で会話する時間だった。この時間が、私にとっても一番楽しみだった。Nashさんは、ロンドンでも名の通った弁護士で、ニュースでかかわっている裁判のことが取り上げられると、事件の真相をじっくり話してくれたのを思い出す。話しが散漫になったが、刑事コロンボというといろいろなことを思い出す。

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 そのピーター・フォークがアルツハイマー病だと知ったのは一昨年だったか、年老いた彼を見たいとは思わなかったし、病気で伏しているピーター・フォークを想像するのも気が引けた。財産管理ができなくなるほどわけがわらなくなったようで、娘さんが後妻から財産を保全するための裁判を起こしたそうだが(「Peter Falk's Daughter: My Dad Has Alzheimer's」)、財産管理の権限は後妻のシェラ・フォークになったそうだ(AFP)。名優だっただけにそれだけの財産もあったと思うが、身内で裁判を起こすのは良くある話とはいえいいものじゃない。母の兄弟にもいたが、だからだろうか、母は、お金は残さないで使い切って死ぬつもりだと言ってじゃんじゃん使っている。その前に、うちで一番お金持ちは弟なのでその心配はないと、先日も話して笑ったところだった。
 そう言えば昨日、アルツハイマー病の話しからちょっとショックを受けた。私は、この病気にかかると思っていないということが分かったというか、自分の脳が壊れるなどと思ったことがなかった。その自覚をする前に「なったらなったで」としか思っていない。ある日突然自分がこうなったら、という仮定の元に恐怖を覚えるのは嫌だなと思っているし、そのことに対して何か準備するというものでもない。「もしも」と仮定しても、その後の心配くらいにしか考えが及ばないのかもしれない。が、例えば、駐車場に停めてある自分の車に乗ろうとしたらドアーが開かない。どうしてかと思ったら他人の車だと気づくが、何故他人の車のドアーを開けようとしているのか疑問に思うような、これが痴呆症から来ているとしたら、そんな自分から世界がどう見えるかなど楽しみでもない。ピーター・フォークは近年、自分が刑事コロンボであったことも分からなくなってしまっていたと報じていたが、本人にとってはそんなことどうでも良い過去のこと。たった今しか生きていない人に悲しいと言っても始まらない。
 私の祖母が亡くなる二年前がそうだった。骨折で入院し、足を固定して寝たきりになって三週間程で私のことは分からなくなっていた。その前に、少しボケもあったが、86歳であった。もうそういう歳としか言えない。だから、寝たきりにさえならなければと思う節もあるが、痴呆や認知症は高齢にかかるとも限らない。
 そうなった時の風景の中に自分を置くと、恐怖としか言いようのない現実的な画像が今は浮かぶが、おそらくそうなった私自身は辛いことではなく、むしろ自分の世界を楽しんでいるに違いない。ただ、自分の知る人から私が認知されなくなる時の思いは、寂しく悲しいものだ。

ピーター・フォーク☞Wikipedea

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