2011-06-09

NHK朝の連ドラ「おひさま」の昭和初期から思うこと

 あっちこっちでばら撒いているので今更言うほどのことでもないが、私は、長野県の諏訪に住んでいる。この土地の生まれの人と結婚したからここに住むようになったので、他所から来た嫁である。実家は東京近郊で、父は大正14年(昭和元年)、母は昭和3年生まれで両親とも健在。と話し出すと、生い立ちから育ちの話がしたくなる流れになるのでここで切ることにするが、昭和生まれというのはいいものだと最近つくづく思う。特に、震災後のこれからの日本がどんな経済社会を歩むようになるかを想像すると、私の小学生の頃の暮らしが浮かんでくるようになった。ところで、私は昭和の何年生れか、ここでは明かしていない。誕生日は8月18日なので、そろそろ秒読み段階といったところかな。やれやれ、また一つ歳を食ってしまう。生まれた年は、やはりここでは明かさないことにした。下手に明かすと、更年期後の皴(しわ)の深さと肌の柔らかさは骨密度の低さを表すなどと、ありがたい情報が集まってくる(参照)事になりかねない。これもありがたいもので、このように気を置いてくれる友達がネット上に充分いる。これらの情報を頂く度にげんなりと加齢の現実を見つめつつ、実は蓋をしている。年の数は、もう数えないことにしている。
 歳のせいもあると思うが、長く長野県に住んできてみて段々ここが好きになってきている。子育て真っ最中の激動の日常に追われていた頃は、自然や暮らし、気候、植物等に目を配る暇がなかった。やっと、ここ数年でいいところに住んでいるという実感が湧いてきた。相変わらず土地の人間になりきることも似ることもできず、未だにご近所の年配の女性から「どこの奥様かと思った」と冷やかされる。もしかしたら「お洋服がとてもお似合いになっていてよ」という意味かもしれないが、日常のちょっとした言葉のニュアンスが未だに掴めない。昔は、このように声をかけられるとむっとなったものだ。普段着を何故そんな風にいわれるのだろうかと、悩むこともあった程だ。が、最近は、このような角張った部分が丸くなったとも言えるし、言葉の意味や相手の表情から、良い意味で言ってくれていると解釈しておくようにしている。
 最近、私自身の心のゆとりができたことも手伝い、昔を振り返ることがよくある。思い出しておきたくなるといった方が正確かな。若い頃はあまり昔のことは振り返らなかったが、昭和のよき時代に似たような時代が、もしかするとやってくるのではないだろうかと思うようになったことも理由かもしれない。そう、あの3月11日に起きた地震と津波の災害後、元の暮らしに戻れないことを嘆く被災地の人々の気持ちは痛さとして伝わってくるが、元に戻るとはとても思えない。そのことでは慰めようもなく言葉も無いが、元に戻るという考え方はすっぱり切り離してはどうかと思うようになった。これは、他人事としてではなく、私自身が昭和のあの時代の暮らしに戻るということかと思っている。それが楽しみに思えてきたのがちょっと意外だったが、ドラマがきっかけとなった。

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中国に夢を紡いだ日々
さらば「日中友好」
長島陽子

 NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」がじんわりと面白い味を出してきている(参照)。昭和初期、第一次世界大戦時代に、長野県安曇野に生まれた女性の生き様をドラマ化している。番組の当初は、美しい自然が一杯の安曇野の風景が楽しみで見始めたが、ドラマに描かれている時代の人々の礼儀正しさや、その対人関係から、家柄や身分の上下関係、男尊女卑的な社会の風景から当時の社会が少しずつ見えてくるようになった。途端に、俄然面白さを増してきた。一番は、1928年生まれである私の母は、大戦が収束した1918年の10年後に生まれている。そして、私は第二次大戦の10年以後生まれている。ヒロインの陽子さんが生まれたのは1922年で1941年に師範学校卒業後教師になっている。母より6歳年上が陽子さんで、ドラマ中では亡くなっている陽子さんの母親は、私の亡くなった祖母と同世代である。このドラマでこの人達を見るのは、私の祖母の母親時代を知る事になるし、母からは聞けない戦争の頃の日本を垣間見ることができる。これが面白くてたまらない。

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母が重くてたまらない
墓守娘の嘆き
信田さよ子

 そして、私の小学生の頃の記憶の祖母は、陽子さんの亡くなった母親の実家のお婆ちゃんによく似ている。つんと澄ました高貴な雰囲気があり、着る洋服もオーダーしか着ないし、80を過ぎても指輪を毎日変える程のお洒落だった。気位も高かった。子どもながらに不思議に思ったことの一つに、人にお願いをしない人だった。人に頭を下げて頼むくらいなら要らないという人だった。挨拶は丁寧で躾は厳しかった。私が生まれた頃は既になくなっていたお爺様は満州鉄道で偉い人だったそうで、昔は、お金持ちだったらしい。祖母のあの高貴な雰囲気は、その暮らしの名残りだったのかもしれないと始めて気づいた。この家柄とか地主などというものが残っているうちは、子どもは、大人はえばっているものだと思っていたし、怖い存在だった。

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ぼくは日本兵だった
J・B・ハリス

 余談だが、諏訪で最初に仲良くなったのは、かつてシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥(参照)の最後の跡取りである故片倉祥雄氏で、ご夫婦とお付き合いがあった。戦後の財閥解体で消滅してしまって随分時は経っていたが、20代の娘さん二人の結婚は片倉氏が決めようとしていた。そして、諏訪藩が残したから池と庭園のあるお屋敷の跡取りをどうするかなど、昔の財閥という家柄を重んじるがための悩みというのも随分あったようで、話をよく聞かされた。現在の皇后様と小学校からずっと一緒だったといって昔、相手にされなかった事などを楽しく聞いた。まあ、だからどうということもない話だが、私の知らない祖母の生きた時代を垣間見ながら、昭和の断片を味わっているといった感じだ。

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ザ・コールデスト・ウインター
朝鮮戦争(上)
ディヴィッド・ハルバースタム

 この時代がまた戻って来るとは思わないが、東京オリンピック前の昭和がとても懐かしい。あの頃の子どもと今の子どもの何が違うだろうか。いや、子どもの着る物や髪型、持ち物は全く違うが、精神性のようなものが変わっているとは思えない。散歩でばったり会う子ども達は人懐っこく、寄ってきて話をすることが多いが、昔の小学生の私がそのまま入り込めるような雰囲気だ。ふと、この子ども達に、昭和のような時代をプレゼントできたらどんなに良いだろうかと思った。そんなことできるわけはないが、素朴な遊びが沢山あったし、わくわくするような駄菓子とかも・・・。電気が今ほど充分に行き渡らないのなら、例えば、本を読む時間が増える。これもいずれiPadなどで読むようになるのだろうと思う。人が出歩かなくなれば、コンビニも24時間営業しなくなるだろうし、昔のように、企業も夜遅くまで仕事をしなくなれば、親子で一緒の時間も長くなるのではないだろうか。夕食を一人で食べたりする子どもが減るのは良いことだと思う。

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ザ・コールデスト・ウインター
朝鮮戦争(下)
ディヴィッド・ハルバースタム

 批判的に言うわけではないが、子どもと接する時間が少ない親子関係が私にはよく分からない。それで良いと思っていない理由はいろいろあるが、私が結婚して子どもを育てると思った時から、仕事を片手に子どもを育てる自信がなかった。まあ、子どもを預ける儀父母がいなかったというのもあるかもしれないが、子どもが幼い内はできるだけ親が育てるのが良いと思っていた。何かと一番手のかかる時期だが、その経験は、自分が親になるために通ることだと後から思った。
 社会的にはどうか分からないが、私の思う親子関係というのは特別なものではなく、極普通に一緒に暮すというか、そういうものが取り戻せたらいいなあと思うと、どうしても昭和のあの時代が蘇ってくる。

 昔を思い出したついでに、戦争やその時代を間接的に知ることができる書籍を紹介できてよかった。全て極東ブログの書評で知って読んだ本ばかりだが、どれも読み応えのある本ばかりだった。因みに、「母が重くてたまらない」は、ここで少し感想を書いている☞こちら。また、ドラマでは第二次世界大戦時期に入るところで、紹介の「朝鮮戦争」が背景として面白いと思う☞極東ブログ

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