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2011年6月

2011-06-30

バジル大統領、中国に旅をする-雑感

 昨日、国際刑事裁判所のお尋ね者であるスーダンのバジル大統領が中国を訪問した。周知の通り、バジル大統領の容疑は、スーダン西部のダルフールで起きた民族争乱の際の大量虐殺を首謀したからだ。国を出れば捕まるものだと以前、無知な私は思い込んでいたが、国際刑事裁判所との調印を交わしていない国においてはその効力はない。従って、中国へ渡っても、中国が拒否さえしなければ拿捕されることはない。それどころか、バジル氏は今回、真紅の絨毯で国賓として胡錦濤国家主席に迎えられた。画像では表情は固いが、凄い歓迎振りだ。これを報じるのを知ったのは、29日のBBC記事でTwitter経由だった。ちょっとした問いかけのつもりが、適格な言葉ではなかったため、意味不明なつぶやきとなってしまい、Twitterでは上手く対話ができなかった。

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 飛んでしまった中間部分の思いとして、このところのスーダン政府の南部攻撃激化が何故なのか、それがまず頭にあった。これを隠していたわけではないが、押し黙った心のどこかにあった。ここで中国と親密になるためには原油を確保し、権力基盤を固めて中国との外交関係を良好に保とうという意向の表れかと思った。それを中国の「プレッシャー」と、裏を返して表現したのも変だった。
 Twitterで短い文字でと思うばかり、かえっておかしな言葉を用いてしまって後悔した。他にもいろいろあるがそれはさておき、バジル氏のことを簡単に整理し、中国とスーダンは今後どのような関係になって行くのか、少し考えてみようと思う。
 南部が独立することは、バジル氏の権力基盤にとってはマイナス要因。これまで南部独立を妨害していた理由がその全てで、ここで南部の独立が迫り、バジルが係争中のアビエイで圧力をかけ始めた。国際社会からは非難を受け、この地に両者とも近づかないよう宣告されている。中国は、自国の石油輸入高量の7%をスーダンに頼っており、また、これはスーダンの総生産量の二分の一に相当している。つまり、中国はスーダンにとってはお得意様である。また、テレグラム紙では次のように伝えている。

The main item on the agenda for Mr Hu and al-Bashir was how to maintain Sudan's oil flow to China despite the splitting of the country into two states next month. For years, Sudan has supplied roughly seven per cent of China's oil needs – the equivalent of half its daily output – in exchange for financial and military support, including in the form of weapons.
胡氏とバシル氏の主な議題は、来月国が二分されても中国に供給するためのパイプラインを維持する方法だった。スーダンは長年、中国の石油需要の7%を供給してきたが、これはスーダンの一日の石油採掘総量に等しく、交換として軍事的な支援と資金援助を含めて行われてきた。

 今回のバジル氏の訪中は、胡錦濤国家主席にとって南北の分離後も石油の供給を確保するための合意を取り付けたかったと言うことが第一目的のようだ。その表れとして、バジル氏を歓待したしたのは言うまでもないと思うが、記事で気になる点が少しある。

Human rights groups have been appalled by Beijing's reception of al-Bashir, who faces several charges at the ICC. Around 300,000 people are thought to have died in Darfur since 2003.

The US State department said it continued to "oppose invitations, facilitation, support for travel by ICC indictees". However, the US is thought to have tacitly condoned al-Bashir's visit, calling on China to help broker peace between the North and South.

人権保護団体は、北京の歓迎ぶりにに愕然とした。バシル氏はICCでいくつかの嫌疑をうけているからだ。およそ300,000人の人々が、2003年以降にダルフールで殺害されたと考えられている。
米国務省は、「ICCによる被告は、招待行為、集会、旅行行為を阻止すべき」と述べている。しかし、米国はバシル氏の訪問を暗に容認したと考えられます。そして、中国に南北間の和平の仲介の援助を求めたいという思惑がある。

 中国に頼まずとも、中国は自らが求める石油を得るために、結局スーダンの南北と上手く付き合って行かなくてはならない。そのために、バジル氏が北部と犬猿の仲では商売がやり難くて仕方がない。また、アメリカは、漁夫の利を得たと言うものだろうか。
 視点がずれるとどうしようもない妄想で終わってしまう内容だが、現段階での私の読みは以上。

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ギリシャが財政再建法案を可決したことにまつわる雑感

 昨夜、深刻な財政状態にあるギリシャでは、EUからの支援の前提条件とされるこれまで以上の緊縮財政を盛り込んだ五ヵ年財政再建法案が審議され、賛成155・反対138で可決された。これまでのギリシャの様子を伝えるメディアから、ともすると否決されるのではないかという見方もあった。支援側の都合で言うならこれは、極端な話、否決されてEUに対して債務不履行(デフォルト)に陥ると、連鎖的に欧州各国の金融危機と日本も含む世界全体の金融危機にもつながることが懸念されていた。破綻国に手を差し伸べたばかりに共倒れとなるかどうかの瀬戸際だったようだが、可決されたからと言って安心できる状態でもないようだ。現状を把握するために、備忘的に書きとめておくことにした。
 この法案の可決の緊急性と重大性がかかっていたのは、まず、来月中旬に国債の償還日を迎えるに当たり、投資家に払い戻す資金がないことが挙げられる。これに関して、次のように朝日は伝えている(6月29日 朝日)。

 総額1100億ユーロ(12兆6千億円)の支援を実施中のEUと国際通貨基金(IMF)が、可決を前提に5回目の入金として来月振り込む120億ユーロ(1兆3千億円)を充てる予定にしているため、法案が否決されれば、債務不履行(デフォルト)に陥る危険性が高い。ギリシャ国債を保有する欧州の金融機関が損失を被り、そこに投資する米国の投資信託などを通じて影響が広がる可能性がある。市場では「最悪の場合、第2のリーマン・ショックになる」との見方もある。

 これだけの借金を抱えて緊縮財政は当然であるし、よほどの覚悟もいると思うが、以前から気になっていたのはギリシャの国民の強い反発で、この不満は政府の政策に対するものが大きいようだ。が、どんなに反対しても、UEの支援なしに危機を乗り越えられるものではないとしたら腹を括るしかないとしか言えない。逆に、同じ財政危機を持つエジプトはIMFの支援を望んだにもかかわらず、先日急遽キャンセルした。国情が違うと言えばそうだが、支援なしでどう切り抜けるのか不思議な事態が起きた。日本ではあまりこの件を報じないが、関係がないわけではない。中東や中欧で国が破綻すると、その影響は全ての国に波及してくることになる。
 エジプトは、国民から反対されたことを理由にしたのもだったが、支援なしで財政再建するのはかなり難しそうだ。7月以降から組まれた来年度予算から40億ドルの削減をするか、IMFから30億ドル借りるかのどちらかしか国家存続の選択肢はないという試算をロイターが報じていた(Reuters)。
 この削減は、赤字に対するGDP比を8.6%までにキープすればバランスできると財相は発表したが、純経済的にはそれは可能なのかもしれないが、実際面ではかなり厳しい数字だ。エジプトがIMFから支援を受けると、今のギリシャのように緊縮財政を迫られるのは当然だが、国民の反発をコントロールできる範囲にとどめる必要から借り入れをキャンセルしたのではないだろうか。この決定は、借り入れを要望していた政府の決定ではなく、軍の決定ではないかと思っている。エジプトの軍なら、国民の反発をコントロールして緊縮財政を強いることが出来るという判断をしたということなのだろうか。数字ではそうも思えずいろいろ憶測もあるが、エジプトが不安定になるだけで中東全体にその影響が波及するのは避けたい。
 逆にギリシャ国民は、「われわれはEUの支援など望んでいない」「こんな危機を招いた政府が悪い」「これ以上の痛みには耐えられない」と反政府運動が激化しているようだが、借りたものを返すために節約をするのはあたりまでの話だと言ってしまえばそれまでだが、ギリシャの首相もどこかと似て経済音痴だと言われる節もあるようだ。Newsweekはそこまで言っても委員ですかと思ったが、具体的な根拠がはっきりしない(参照)。

「統治も辞任もしない首相」ギリシャにも

ギリシャのパパンドレウ首相は、父親も祖父もかつて首相を務めたという政界のサラブレッド。だが、ギリシャ政界に半世紀以上に渡って君臨してきた名門パパンドレウ家は今、「退場」の瀬戸際に追い込まれている。
7月までに融資が下りなければ、ギリシャはデフォルトに陥る。それなのに、パパンドレウ首相の父親が1974年に創設した与党・全ギリシャ社会主義運動の国会議員の中にも、緊縮財政法案に反対する者がいる。

「手に負えない状態だ」と、政治科学を専門とするエール大学のギリシャ人教授、スタティス・カリャバスは言う。「債務危機は非常に深刻で、そもそも交渉の余地などなかった。政府は過去30年間に行うべきだった経済改革を1年間で実行しなければならなかった」

 ギリシャの今の事態に対して、首相が無策だから首相には向かないという評価の程は分かった。が、ギリシャで選出された首相であるし、資質を問うのであれば、自分の首をかけても引き続き関連法案を可決に導くしか方法は無いと思う。
 首相の資質の話になったところで日本の国会のことにもついでに触れると、日本の与党も、菅さんが辞任を表明してから首相下ろしに熱が入ってきているようだ。これほど見苦しい限りの醜態はないと思っている。在任中である以上、職務を全うするで何故一致できないのだろうか。使うエネルギーと使い道が違うのじゃないだろうか。
 昨日、ここで団塊世代の元朝日記者と読売記者の話しを持ち出したが、同じ世代でもいろいろだと思った。建設的な考え方に至るには、十分な失敗を学生運動という儚い運動で経験したのではないだろうか。今、国会で大騒ぎして、国政を妨げ、自らの職場を壊している姿は、学生だったころのあの姿がそのまま年寄りになっただけにしか映らない。本当に成長のない人達だと諦めるしかないのだろうか。嘆かわしいことだ。

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2011-06-29

日本が立ち直るために-二人の新聞記者の姿から雑感

 《ある元朝日新聞原発担当記者の回想》という文章を昨日、Twitterで知って読んだ。このことから、新聞記者の資質や、自分が生きた時代に向き合うことになった。これは個人的な中傷のつもりではなく、現代の報道に疑問を持つ元の部分であると思うことであり、考えるきっかけをもらったのだと思えた。これを書いた記者の名前も年齢も分からないが、文脈や筆致から測って、私よりも一回りくらい年配の方かもしれない。同じ昭和に生まれて育った私が、この記者達が高度成長期を駆け抜ける姿を客観的に見たからこそ振り返えれるのではないかと思った。
 この文章はこのように始まっている。

 長年、いつか来るのでは、と恐れていた原発の大事故になってしまった。最前線で命をかけて頑張る作業員や、汚染地域で不安にかられながらも避難所や自宅で屋内退避している住民に心配を寄せるしか出来ない己の無力さに言葉無し。せめてかつて一時ではあるが、”原発記者”だった自分が、なぜ朝日新聞が原発の危険を訴える報道から退いて行ったか、一時期を知っている者として僅かではあるが知るところを記す。

 このメッセージの意味は、現役を退いた記者が昔の社内事情を話さないではいられなくなるような悔恨の意ではないかと思う。懺悔(さんげ)と言っても良いだろうか。何か、意に反したものであることは間違いない。人の意思を歪曲した当時の事情が見て取れる。
 最近の朝日新聞で個人的に感じていたのは、政権交代後くらいからだろうか。昔は、リベラル派とも言われてきた朝日新聞だが、現在は、全くその体を成していない。自民党政権当時、野党の反論を押してきたが、政権が交代して民主党が過去の自民党の劣化型に変貌し始めると、流石に物が言えなくなったというのはあるだろう。極端に中国の肩を持つ辺り、その辺を報じる部分に報道とは言いがたいものがある。また、記事の劣化と言っていいのかどうか迷うところだが、かなり酷い。真実を伝えないどころか、外国の読み物を引用するにも、都合の悪い部分は文章を切り取って編集を加えている。
 この後に続いて、かつての朝日が原発報道から退いて行った理由がざっくり書かれている。

 研修の初日に、当時の編集担当だった秦 正流・専務が開口一番「記者は社論に従って記事を書けばいい」と発言。出席者騒然となり、「反対運動を報じるなということか」等々、開会早々、研修会が中止になりそうになった。

今の新聞社では考えられないほど、取材と記事に関しては記者個人個人が紙面づくりの責任感、使命感、社会悪を許さない正義感が強く、どんな上司や言論人としての大先輩であっても対等に論争を繰り広げたものだ。それが週刊誌にも報じられた。

 もちろん紙面でも、さんざん書いてきたが、読者の反響が限られていたのも悲しいかな事実。目先の欲、甘い汁につられて動いた人も多く、「どんなに頑張っても、読者レベル以上の紙面は作れない」と嘆きもした。すでに新聞は自分たちが思っているほどの力は持っていなかったのだ。また、「反原発」の原稿に力を入れた諸先輩が決して優遇されないのを後輩・新人記者達は目の当たりにみて育った。なんせ「3人集まれば人事の話」というぐらい、人事の好きな社風、下手に者の方針に逆らうよりは、当たり障りの無い発表記事が次第に増えて行った様におもえる。

それから約30年近く立った今、ごらんの通りの「大本営報道」のみが繰り返されている。私は数年前に定年退職したが、正直言って記者生活の終りに近づくにつれ、「社会をよくしようと思っているヤツなんかいるわけない」と出世がすべての人間が増えた。

記事の価値判断も出来ず、原稿にまともに手も入れられず、もちろん修羅場をくぐる本当の取材のノウハウを知るわけもなく、従って若手後輩に教える能力もない人間に、まともな紙面が作れるはずはない。

頼むから、新聞よ、もう少し、私が死ぬ迄しっかりしてくれないか、といいたいのだが、いや、ろくな新聞社にしなかったのはお前も責任があるだろう、と言われたら一言もない。愚痴になりそうなので、ここまで。読んでくださった方に感謝する。

 ここで共鳴するのは、反響のないものは書く意味がないといった、正に劣化の始まりの時代であったと思う。この時代は、他にも真実を歪曲したままにした事件も多々あった。ロッキード事件などは、その代表かも知れない。原発は安全だという神話を信じ込んで住民が浮かれている時に、「イエス、バット」が言えなくなる理由に、売れる新聞を作る以外記者として生き残る道はなかったということだろう。これが、高度成長期に日本が生み出した腐敗であった。私はこの腐敗が嫌で落ちこぼれたが、その後の人生は幸せだったとも言える。だから、彼らの苦悩が手に取るように分かる。率直に言えば、人が死んで初めて自分の罪が理解できたと言うだけの話だが、これを言ったら罰しなければならない人間は五万といる。そこを今更咎めるものではなく、良心の呵責を持つ人は、一生それに苦しむしかないと思う。ただ、私個人としては、このような人を既に許している。高見の見物の趣味もない。
 私は、自分自身がこのような時代のことを知っていることが嫌で、思い出したいとは思っていなかった。その理由に、大多数の人はこの時代の波に乗って勝ち組と言われていて、私はその対極の少数派の負け組みだった。心は痛んでいないのに何故か自信をもって自分を誇らしく思えていない。何かを苦にして生きてきた。「私は実は勝ち組」と、どこかで思っていなければ、自分らしく生きるのが憚れたような気がする。

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ポル・ポト伝
デービット.P. チャンドラー

 ここでふと思い出したのは、時を同じくして読売新聞の記者であった山田寛氏の書いた「ポル・ポト伝」(参照)だった。この本訳本は、山田氏がカンボジアに転勤した折に出会った「ポル・ポト伝」デービット.P. チャンドラーの原文からだった。当時日本では知られていなかったポル・ポトのことを伝えようと、山田氏自ら翻訳し、出版に漕ぎ着けたそうだ。ネットで探してみると、山田氏のインタビュー記事があり、そこでもこのことについて触れている(参照)。

西側の記者として初の解放区入り
 カンボジアへはまず1973年8月に出張という形で行きました。その当時、ベトナムではまだ戦闘は続いていたんですけど、一応1973年1月にパリ和平協定が結ばれ、とにかくベトナムからはアメリカ軍がいなくなり、アメリカの戦争は終わった。そしたら、しばらくはもうベトナムのほうはいいんじゃないかって。一方、カンボジアのほうは解放勢力が強くなっていて、プノンペンが落ちるというような状態になっていたんです。
 その頃は「解放区入り」という言葉が独特の響きを持っていて、朝日新聞社の本多勝一さんなどが、「解放区に入るということは、戦争を両方の側から見て公平に伝えることだ」と言っていたんです。でも、1970年ころは解放区の危険が十分に認識されておらず、亡くなったり行方不明になった記者が多かったです。特に、カンボジアの場合の1973年当時は解放勢力側が、新聞記者を捕まえたら殺すということを言っていたので、皆行かないんですよね。だけど、僕はなんか行きたいというような気持ちになっちゃったわけです。若気の至りというか、不安よりも他の記者がしていないことをしてやろうという気持ちが強かったんですね。

 随分前に読んだので記憶も薄らいでいるが、印象に残っているのは、ポル・ポトが悪人かというというとそうでもなく、かと言ってチャンドラー氏が擁護しているわけでもない。浮かび上がるポル・ポト氏は、殺人鬼のような人物でもない、極普通の人。これが何故、国民の四分の一を虐殺したポル・ポト政権になったのか、あの革命は何だったのかと思うに至った。

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ポル・ポト〈革命〉史
虐殺と破壊の四年間
山田寛

 山田氏はその後2004年に「ポル・ポト〈革命〉史」(参照)で、自分の目で見て聞いたカンボジアの当時の様子をそのまま忠実に伝えている(一部抜粋)。

 大量虐殺の本格的幕開けとなったのは、1975年4月17日のロン・ノル政権降伏、クメール・ルージュの首都プノンペン入城でした。
 プノンペン市民はクメール・ルージュ兵士を“解放者”として歓迎しましたが、市民全員の農村への強制移住という信じ難い命令が人々に下され、地獄が始まりました。

 「何千という病人、負傷者が町から出ていく。……中にはベッドの上で、輸血や点滴を受けながら家族に運ばれていく病人もいた。輸血用の血液や点滴液が大揺れに揺れていた。ちょん切られた虫のようにもがきながら進んでいく両手両足のない人、10歳の娘をシーツにくるみ、吊り包帯のように首から吊るして泣きながら歩いていく父親、足にやっと皮一枚でつながっている足首がぶらぶらしたまま連れていかれる男。私はこうした人たちを忘れることはあるまい。」(プノンペンに留まっていたフランス入宣教師のフラソソワ・ポソショー神父の言葉 )

 この大方針がいつ決定されたのか。ポル・ポト自身は、七七年になって、「それは七五年二月だった」と述べている。二月下旬に聞かれた党中央の会議で決まった、というのである。

 最終的にはそうでも、実際にはずっと以前から計画されていたとみられる。七四年半ばにこの計画は上級幹部たちには明らかにされ、次項で述べるようにフー・ュオン、チュー・チェト(党西部地域書記)らが異を唱えていたが、もちろん取り上げられなかった。

 エン・サリは、七五年九月に公表された外国人記者とのインタビューで、「首都に入ってみると首都の人口が予想以上に多く、ほぼ三〇〇万人にも増大していたから、飢饉を防ぐため人々を食料のある場所に行かせる必要があった」と説明している。

 だが、そんな短時間に、大雑把にせよ人口調査など行っているはずもない。内戦中の七三、七四年ごろから、彼らは都市や町を攻略すると、住民を退去させ、住家を焼き払うことを繰り退していた。強制退去は、革命の敵が集結した“悪と腐敗”の巣窟の都市を壊滅させるためだった。全国民を農民、労働者にし、生産に邁進させる。敵をバラバラにし、選別を容易にする。それが都市への憎悪と警戒心に基づいた彼らの基本戦略だった。

 ただし、七七年四月に逮捕され、粛清地獄のツールスレン監獄(S21)に放り込まれて処刑されたフー・ニムは、殺される直前に書かされた供述書の中で、「四月一九日に、兄弟一号(ポル・ポト)と兄弟二号(ヌオン・チェア)から、状況と住民退去計画について説明を受けた」と記している。情報相だったフー・ニムですら、強制退去開始後二目たってやっと実際の退去計画について話を聞いたわけだ。それほど計画は狭い範囲だけの秘密とされていた。

 まさに、この時の虐殺を問う裁判が始まったところだが(参照)、ポル・ポトは 1998年4月になくなっていて、当時の政権ナンバー2と3など4名だが被告として出廷し、無罪を主張している。政権の生き残りであり、当時犠牲となって殺害された人々の家族などが待ち望んでいた裁判だと言われているが、始まった途端、体調不良を訴えて三名が退廷したと報じている(参照)。この裁判が今後どうなるのか、全く見えない。
 新聞記者の話から少し逸れてしまったが、振り返ってみて、真実というものは隠し切れないものである。でも、生き抜くために隠さなければならなかったとしたら、生きにくい世界を作ってしまったのも私たちである。

【参考】
 先の、元朝日新聞記者の話(Tiny Messageによる)の信憑性について少し調べた。どういう経路でTwitterに流れてきたのか。
 ジャーナリストの有田芳生氏のTwitter上での以下の発言にtkucminya (Takeuchi Jun) さんが情報提供したものらしい。

aritayoshifu:朝日新聞が「脱原発」を社論にするという。東電のマスコミ対策に乗って原発賛成を明らかにしたのは1979年。岸田純之助論説委員と渡辺誠毅社長のコンビによる。その5年前。渡辺氏が編集担当専務のときに原発促進の意見広告を解禁した。32年ぶりの方針転換。問題は「脱原発」の内容である。

これにtkucminya 氏が以下のように返信:

@aritayoshifu 様。その直前の証言です。ご参考まで;《ある元朝日新聞原発担当記者の回想》 以下にリンク☞TinyMessage

と、ジャーナリストである有田芳生氏にリンク先URLで情報提供されたものらしい。その出典は分からない。

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2011-06-28

クリニクラウン塚原茂幸、丸窓電車からのスタート-「PACKMANと笑っていこう」

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東北震災後、テレビのニュースや新聞で、なんとなくパックマンこと塚原茂幸さんの活動の知らせを探している自分に気づく。おかしいな、ちっとも彼のことを報じない。もしかしたら彼はもう活動をやめたのかしら、などと消息を気にしていた矢先、先日、「クリニクラウン(cliniclown)」という臨床道化師の姿でテレビで紹介されていた。ああ、彼は本気で正業として活動しているんだ、と、ほっとしている自分がいた。と同時に、もっと彼が若い頃に語ってくれたあの時の彼の印象がそのまま蘇ってきた。思えば十年以上前、ある機関紙に紹介記事を書くための取材で彼と食事をしたのが最後だった。
 彼との出会いは、私の子ども三人の真ん中の長男が保育園の頃だった。当時の彼は、長野福祉大学を卒業後、アメリカのクラウン養成所を卒業したばかりの道化師の修行中だった。団員は一人だが劇団名は「ストリートシアター道芸」。パックマンが愛称ではあるが肩書きは「山の道化師」。四輪駆動の大きな車に小道具から大道具の一切合財を積み込んでどこへでも参上する。生れは渋谷。兄弟に兄を持ち、普通の会社員の家庭の育ちである。彼が何故、道化師の道へ進んだのか?彼の話を聞いていると人生の素晴らしさや生きるとはどういうことだろうかと、いろいろ考えさせられた。

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 当時、日本には彼を含めて二人しか道化師はいなかった。その彼は、長野県にお世話になったからと、県内各地の保育園でお呼びがあれば参上し、子ども達に大道芸の醍醐味を披露しながら笑いの一時を一緒に過ごしてくれていた。私は、そんな活動を新聞で知り、思い切って当時彼をサポートしていた上田市の「丸窓電車」という喫茶店に電話し、彼と初めて話しをした。これは、今から約20年前の話だ。彼のお父さんのような存在で、稼げなかった塚原氏がお世話になったと話す喫茶店の店主だ。この電車は上田市の名物で丸い窓があり、店の直ぐ前に展示されている。写真のように、店から見える。残念なことに、この喫茶店は昨年5月に閉店している。

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PACKMANと笑っていこう
つかはらしげゆき×パックマン
山の道化師

 彼との最初の出会いから約8年後、再開する機会があった。当時、私の子ども達はヤマギシズム学園で寄宿生活をしながら、息子は三重県阿山町(現在の伊賀市)の小学校で、娘は豊里の中学に通っていたため、皆離れ離れだった。娘や息子達がそれぞれの友達と一緒にパックマンとの笑いの一時を過ごせたらどんなにいいだろうかと思い立ち、友人の堀さんと、共同企画としてステージを立ち上げた。その時の観客は体育館の床に座り込むようにしてぎゅうぎゅうに詰め込んで3000人ほどだった。きっと子どもたちの記憶にもあるはずだ。この公演に間に合うように印刷を急がしたと言っていた彼の最初の本「PACKMANと笑っていこう」(参照)は、子ども達がお小遣いをはたいて買ってくれた本だ。この本の前書きにこうある。

 「何かをするにはあまりに短く、何もしないにはあまりに長い人生」そんな一生を一生懸命に全うしたい・・・そんな願いが私を道化師の世界に導いてくれたのです。大げさかもしれませんが、笑いこそが人間の希望であり夢なんだと信じています。いつも笑顔の傍らに身を置きながら、そんな思いを人に伝えていけるような道化師としてのお節介を、これからも続けていこうと決めています。

 大学時代に車で自損事故を催し、身動きの取れない生活が長く続いた結果、「自分は、生きたくて生きている」という当たり前のことに気づかされ、これがきっかけで道化師の道に進んだそうだ。
 その後、神戸の震災にボランティアで復興作業に参加していた彼が道化師だとは誰も知らず、また、彼も語らず、復興後皆が笑ってすごしたいと思えるようになる時までと、ずっと内緒で活動していたそうだ。その時の話も含めて、彼がどんな経緯で道化師を始めたか、また、どのような活動をしてきたかなど彼の生涯についてがこの本で窺える。
 冒頭の「クリニクラウン」とはどういった活動か、私も番組で初めて知った。医療道化師という言葉らしい。英語で病院を意味するclinicと道化師clownが一緒になってClinicrownという造語になったそうだ。外に出られない病気療養中の子ども達の病室に突然現れ、一緒に遊ぶだけなのだそうだが、いわばステージは子ども達の病室。そして、ギャラが出るでもない。彼は昔からそういう人だった。どうやって生計を立てているか知らないが、定期的に収入があるわけではないため、結婚も僕はしないと思うし、その必要を感じないと話していた。HPがきっとあるはずだと探してみると、あった(参照)。地味な活動だが、テレビで紹介していた病室の子ども達の笑いを思い浮かべると、これほど大きなプレゼントは他にあるだろうかと思った。

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2011-06-27

IMFから借り入れを断ったエジプトの背景について雑感

 政治を読むというのは、非常に難しいと感じている。ここでは割りと断定的に意見を書いているが、意見だからかけるのであって、本当のこと、真実はどこまでも分からないことだと実は自信のない私だと思っている。ただ、分からないからといって途中で投げ出したりはしたくない。それはもっと分からないところへ自分を放り出すことになるため、これはどこまでも自分でたどりつかなければ意味がないことだと思っている。
 変な書き出しになったが、昨日、BBCが伝えるエジプト情勢について、私にとっては解読が難しいと思う記事に遭遇した。エジプトが特殊だというよりも、記事から何を読むかという点で、如何に自分自身が複眼的に情報を見ているかで見えるものが違ってくるという点だ。何度もこの記事を読み返してみて、現時点で見えていることから推測を書きとめておくことにした。
 問題のBBC記事は以下で、要約すると、国債通貨基金(IMF)からの借金の条件は寛大としても、ムバラク時代、IMFに対する評判は悪く国民には人気がない借款であるため、借り入れを止めたと報じている(参照)。

25 June 2011 Last updated at 12:43
Egypt drops plans for IMF loan amid popular distrust

Egypt has dropped plans to seek loans from the International Monetary Fund and World Bank, Finance Minister Samir Radwan has said.

The move comes after the planned deficit in the 2011-12 budget was revised down from 11% to 8.6% of GDP, Mr Radwan told Reuters news agency.
An adviser told AFP news agency the decision had been partly a response to the "pressure of public opinion".
Many of those who took part in Egypt's uprising denounced the role of the IMF.
It was seen as bolstering the rule of now-deposed President Hosni Mubarak while imposing harsh economic conditions that benefited the rich more than the poor, says the BBC's Arab affairs editor Sebastian Usher.
But the uprising led to a haemorrhaging of public finances, he says.
But Mr Radwan turned to the IMF in May, telling the BBC that the situation was "very difficult", and extra funds were needed to finance the demands of the people on the heels of the revolution.
He agreed a $3bn (£1.9bn) 12-month stand-by loan facility - an agreement which came on top of loan deals agreed with the World Bank and the African Development Bank.
Despite apparently lenient terms on which the IMF offered the loan, many Egyptians were unhappy, feeling it was a betrayal of the protest movement that had denounced the IMF as a tool of imperialism, our correspondent says.
Mr Radwan now says that following discussions with civic and business groups and the military council, the budget forecast has been revised down from a deficit of 170 billion Egyptian pounds ($28.5bn; £17.8bn) to 134 billion pounds, and loans are thus not needed at this stage.
Dilemma
He said Egypt would cover the greater part of the deficit from "local sources", as well as packages from Gulf Arab states such as Saudi Arabia and Qatar, which he said had provided $500m in the past week as a "gift".
The issue over the loan highlights the huge dilemma facing Egypt - and the rest of the Arab world, our correspondent says.
The protesters want a complete change from the lumbering, state-controlled economic systems that failed to provide jobs for tens of millions of young people.
But the unrest has paralysed business and decimated tourism. To remake Arab economies, many state jobs will have to go - and the private sector is too weak to provide replacement jobs.

 国際通貨基金(IMF)から借り入れをする事になった経緯は、先月フランスで行われたG8のメインテーマであった中東問題解決の一環で、長引く反政府運動で衰退した経済を立て直すことが優先されるという結論が出た。そこで、IMFを通して30億ドルの融資が決定していた。この決定に至っては、エジプトからの要望によるものでもあったことから、BBCが伝えている「融資を取りやめた」という変更の理由を私なりに探した。次に、そこからエジプト情勢を読むのに取り掛かった。
 記事にも書いてある通り、2012年までの赤字に対するGDP比が8.6%までなら何とかなると判断しているようだが、それはちょっと難しいと思った。その理由に、雇用問題を抱えている点からまず仕事がない。長引く反政府運動の末、町は観光客を呼び込める状態ではないため、外貨獲得(観光などから)は当分の間無理ではなかという点。そのため、国債も下落すれば経済が上向きになる要素がないとすると、エジプト経済は危機的な状態になるのではないかと懸念したからだ。借り入れのを断念する根拠に乏しいと思った。
 私のここまでの見方を仮定としてこの先を考えるのは少し無謀かもしれないが、ギリシャのように財政が破綻すれば中東全体への影響はどうなるのかなど、不安定になる要素ともなりうると思った。軍か政府もか、国民の感情を鎮圧しながらさらに復興計画を推進するというのは如何なものかと思った次第だ。
 それと、エジプト国民はIMFの存在を知っているとは到底思えないというのが一点ある。日本でもそうだと思うが、ニュースを聴いて名前は知っているという程度の認識はあっても、それがどういう機関で、関わりをもつとどうなるかまでのことを知って反対しているのかという疑念がある。そのため、実際、IMFの借り入れを拒んでいるのは誰か?という疑問は払拭できないでいる。だが、エジプト政府が急に路線を変えるだけの強い意見力を持つのは、今のところ軍しか考え付かない。
 また、これからのエジプトを、IMFとの関わりという文脈でみるのに対比しやすいのはギリシャの例だと思う。ギリシャの金融危機では、EUとIMFの厳しい条件を飲んで国民全体を敵に回してしまった。現在、引き締めの厳しさに喘ぐ国民が、あちらこちらで反政府デモを繰り広げている。BBCのコメンテイターには、破産宣告した国としてユーロ圏から出た方が良いという意見も見る(参照)。借りるからには利息と元金を返して行くのは当たり前だが、経済を立て直す政策ありきであり、それを国民が納得した上で選択していれば、今のようには反政府運動が広がるはずはないと普通は思う。これとエジプトが同じかどうかは分からないが、借り入れた資金が、歳入を生み出すために使われなければ元金は返して行けなくなるのは目に見えている。そこを加味して、2012年までの赤字に対して8.6%を下回る程度に抑える政策を打ち出したというなら、それは喜ばしく、素晴らしいことだと思う。
 当初、私は、IMFの借り入れによる経済引き締政策を実行しようとするエジプト政府に対し、国民が「No」を突きつけたからだと読み、エジプト市民の反政府パワーがヴァージョンアップしたのかと思った。エジプト政府は、一般国民に過度の締め付けをしたのでは政治が持たない、ということは既に学習済みではあると思ったのも理由だ。それと同時に感情的なものを振り返ると、初めにエジプトは借金をしないで建て直しをすべきだと思い、借り入れが決まるとそれが今は良い方法と思い、借り入れを止めたと聞くと大丈夫かなと心配な気持ちになる。という自分の思い方に支配された感は残った。おい、またこれですかい、みたいに思った。
 国民全体と言うと語弊があるが、反対の強いIMFを断り、自ら緊縮財政に立ち向かって復興を決意したというのであれば、それこそ誰かが誰かに不平不満を言うでもないと思う。これは立派な一人立ちとして、エールを贈ると言うものではないだろうか。
 今更だが、この記事はそれを伝えているのだろうか。

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2011-06-26

アメリカ軍のリビア介入の首がつながった件

 今朝、日が変わって直ぐにピックアップした読売の「米のリビア作戦「認めず」…米下院が決議」(参照)の記事によると、オバマ氏の暴走にちょっとブレーキがかかったようで安堵した。オバマ大統領はこれまでの経過で、リビアの介入に関してアメリカ議会を無視してきた。中には「これじゃ独裁」という表現をする人もいて、私ははらはらしながら見ていたという状態だった。が、民主主義議会の醍醐味というとオーバーかもしれないが、日本の国会や政治とは大違いなのだとつくづく思った。その辺の話もあるが、まずはオバマ大統領が何をしてきたか、ここを順追って簡単に書きとめておきたい。
 まず、オバマ大統領が何故独走しているかだが、戦争をしない日本にはないルールがアメリカにはある。初めの頃、私もこの法律の内容をしらなかったが、いよいよオバマ氏が下院から訴えられるという直前、ニュースで知った次第だ。「戦争権限法」(参照)と呼ばれ、大統領の暴走に唯一ストップをかけられる法律で、ベトナム戦争の反省から生まれた法律とある。オバマ氏はリビア介入時、この法律の次の部分に抵触した。

 「事前の議会への説明の努力、事後48時間以内の議会への報告の義務、60日以内の議会からの承認の必要などを定めている。」

 この期限にさらに30日間、大統領には軍が引き上げるまでの猶予が与えられるが、この90日のリミットが6月19日の日曜だった(BBC)。リビアから軍を引き上げないオバマ氏に対し、議会は当然これを批判し、訴えが起きた。その後下院で議決され、その結果を今朝ピックアップした読売記事では次のように報じている。

【ワシントン=黒瀬悦成】米下院本会議は24日、北大西洋条約機構(NATO)が主導する対リビア軍事作戦への米軍の限定的関与を認める決議案を反対295、賛成123の反対多数で否決した。

下院で多数を占める共和党の議員に加え、民主党の70人も反対し、オバマ大統領が議会の承認なしに軍事行動への参加を決めたことへの明確な異議を議会が申し立てる結果となった。決議に法的拘束力はなく、米軍の作戦に直接の影響はない。
(2011年6月25日23時10分  読売新聞)

 何ともおかしな結果が出たものだと戸惑った。「NATOが主導する」とあると、アメリカは関係ねぇじゃん。と言われそうな話で、実際この話しを人にしたら、アメリカは介入していないんでしょう?と聞かれて泡を食った。嗚呼、オバマさんの信用度ってすごいな。ノーベル平和賞ももらっているし、誰も率先して戦争する人とは思っていないみたいだ、と分かった。ご本人もリビア介入は、民間人保護が目的であると終始言ってきたことだ。が、実態はと言えば、NATOが勝手に動くわけもないし、アメリカはNATOに任せたいと言って来ただけである。そして、そのNATOが先日も飛行場を爆撃してくれた(参照)。これが戦争でなくて何だ!と怒りを指先からキーボードに走らせてもどうにもならない。オバマ大統領には非常に残念な思いが湧き上がり、がっかりしていた。ここで苦しい詭弁を聞く羽目になったのは勿論だ。しかも、落ち着いて考えれば、今回の下院本会議では「米軍の限定的関与を認めない」と決議された。アメリカ議会は捩れているため、下院では共和党が多く占めていることにプラスして70票も民主党の反対票が加わったということだ。これが意味するのは何か?先を越されて午前中にエントリーされてしまった極東ブログ「オバマ大統領によるリビア米軍介入を米国下院が否定」(参照)にしっかり書いてあった。

 いずれにせよ、オバマ大統領の与党である民主党ですら4割が反対票を投じたことから、米国民がいかに大統領の権限というものを恐れている実態がよくわかる事例ともなった。

 票を読むというのは勝った負けただけじゃない。日本と違ってアメリカは民主的な議会の基盤の元に国民の声がこうしてちゃんと反映される国なのだ。ついでに言うと、日本は選挙は公平で、方法も民主的だ。違うのは誰が政権についても官僚の操り人魚にやってしまうので、国民におべっかを使った民主党も、国民を平気で裏切ることになる。鳩山さんがそのことをわかっていなかったのと、アメリカとの同盟国である日本というか、抑止の問題を分かっていなかったのが悔やまれる。今頃まただが。
 冒頭で「安堵」といった理由はこれだ。アメリカの議会制度が正常にあるうちは、誰が大統領になってもそれほど民意とかけ離れたことは起こらないという安心感がまた、持てた。
 さて、もう人踏ん張りな話しがある。
 これだけ戦争はしていないと言及してきたオバマ氏にお墨付きの軍費が出たことだ。

 一方、下院本会議は24日、米軍のリビアでの作戦への支出を禁ずる共和党議員提出の法案を反対多数で否決した。リビアへの介入自体は必要と見なす共和党議員が多数反対に回ったためで、議会では大統領が主張する作戦の重要性について一定の理解が得られていることも浮き彫りになった。

 こういう正反対の決議がなされるとは思わなかったが、出てしまった。つまり、オバマさんは、戦争はしていないといいながらNATOのせいにしてやってきた。これからは、米政府から軍費をもらって戦争ではないと言いながら公然と戦争を続行するということになりそう。これは「アフガン戦争2.0」である。この意味は、ここからオバマ氏の詭弁がさらにヴァージョンアップしないと立場がなくなる。ただ、このような並ならぬ努力の先の目的がよく見えない。また、アメリカ経済はQE2による好転ということもあるが、まだ厳しい状態を引きずっているのも確かだ。
 ああ最後に、オバマ氏についても何か言っとくかな、と、思ったけど、先を越された極東ブログの表現が気に入ったので、引用させてもらうことにした。

 オバマ政権の言い分が正しければ、戦争権限法が連想される議会決議もありえなかったが、そこまで議会を無視できず、オバマ大統領は詭弁の縁から詭弁にずり落ちた。

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ピーター・フォーク(Peter Michael Falk)

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 刑事コロンボといえば、私にとっては昭和の顔というべき人。ピーター・フォーク氏(Peter Michael Falk, 1927年9月16日 - 2011年6月23日83歳)が23日、アルツハイマー病を患って亡くなった。とてもしんみりした。日本では1970年代からNHKで時々放送されたと聞いて、刑事コロンボの放送の日をマークして観ていたのを思い出した。一度打ち切りになった時は、あのコロンボ刑事がいつか始まらないかと心待ちにしていた。最初の頃のコロンボはこざっぱりしたショートカットのヘアースタイルで、細いネクタイのモノクロ画像だったような気がする。それが、「新コロンボ刑事」になってから恰幅はよいが、薄汚いよれよれのレインコートと葉巻にぼさぼさ頭がトレードマークになって登場した。ドラマからは、ピーター・フォーク氏自身の私生活などを想像させる余地もなく、コロンボ刑事として定着した。ドラマを見ながら良く思ったのは、「うちのかみさん」と頻繁に出てきたコロンボの奥さんに、今回は会えるだろうかと毎回心待ちにしていたことだった。この人物を一度も登場させずに、終始一貫して終わらせたことが凄い。刑事コロンボを通してしか窺い知ることのできなかった人物として、今でも会ってみたい人物で終わっているところは、製作側のポリシーがここにもあると思っている部分だ。また、刑事コロンボが始まれば、奥さんは登場させるだろうかという期待感があるが、ピーター・フォークは再来しないのだと思うとしんみりした気持ちになる。
 同時に思い出すのが、あの番組を見ていた昭和の風景だ。当時住んでいた家は木造の平屋で、両親が一番最初に建てた家だった。母は、真っ黒のくせ毛でいつもウエーブのかかった前髪を横に流し、脇の毛は耳の後ろにかけていた。父もこれまた天然パーマと言われたくせ毛で長身。ハンフリー・ボガートか三船敏郎といわるれほどの渋くてカッコイイ人だった。現在もそれなり。「昔は女性にもてた」などと軽口を叩く人ではなかった。母からいつもけちょんけちょんに下げられてもいたが、無口であったし無抵抗でもあった。ここに弟が加わって、一家四人で板の間に座って刑事コロンボを子ども時代のように観ていた記憶が蘇ってきた。テレビの前で全員揃えば一家団欒と思っている人も多いと思うが、それは違う。刑事コロンボという番組が、たまたま家族全員が観たい番組という一致性でしかない。この頃は、忙しい日本になっていて、父が定時に帰宅することはなかなかなかった。電車で一時間ほど都心に通勤する毎日で、9時近くが帰宅時間だった。母の方針で、父の帰宅に合わせて全員で食事をするため、いつも腹ペコだった。が、団欒はそこにはあった。
 私の生活時間が段々まちまちなリズムになり、刑事コロンボを見逃すとこともよくあった。次第にテレビから遠のき、いつの間にか放送も終わった。ピーター・フォークが他のドラマに出ていることも知り、何かを見た記憶はあるが、刑事コロンボ以外のピーター・フォークには興味がなかった。

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 同時期に対抗して「刑事コジャック」もしばらく日本で放送された。個性的なテリー・サバラスが演じるコジャック刑事はコロンボとは全く違うニヒルなタイプに描かれていた。棒つきのキャンデーをいつもくわえていたが、アレは今でもコンビニなどに売っているイタリアのチュッパチャプス (chupa chups) ではなかっただろうか。その当時私はイギリスのロンドン郊外SWに住んでいたが、最初にAu-pairとしてホムステーした弁護士の家庭は、二人の小坊主と三歳の娘がいた。彼らのヒーローは刑事コロンボではなく刑事コジャックだった。同じ刑事物の番組としてイギリスでも放送されていたが、子ども達にとっては、刑事コジャックの方がカッコよかったのかもしれない。
 彼らの両親であるNashさんは、刑事コロンボファンだった。夜の居間では、刑事コロンボを見終わると、その時抱えている裁判の様子をなどを話題に英語で会話する時間だった。この時間が、私にとっても一番楽しみだった。Nashさんは、ロンドンでも名の通った弁護士で、ニュースでかかわっている裁判のことが取り上げられると、事件の真相をじっくり話してくれたのを思い出す。話しが散漫になったが、刑事コロンボというといろいろなことを思い出す。

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 そのピーター・フォークがアルツハイマー病だと知ったのは一昨年だったか、年老いた彼を見たいとは思わなかったし、病気で伏しているピーター・フォークを想像するのも気が引けた。財産管理ができなくなるほどわけがわらなくなったようで、娘さんが後妻から財産を保全するための裁判を起こしたそうだが(「Peter Falk's Daughter: My Dad Has Alzheimer's」)、財産管理の権限は後妻のシェラ・フォークになったそうだ(AFP)。名優だっただけにそれだけの財産もあったと思うが、身内で裁判を起こすのは良くある話とはいえいいものじゃない。母の兄弟にもいたが、だからだろうか、母は、お金は残さないで使い切って死ぬつもりだと言ってじゃんじゃん使っている。その前に、うちで一番お金持ちは弟なのでその心配はないと、先日も話して笑ったところだった。
 そう言えば昨日、アルツハイマー病の話しからちょっとショックを受けた。私は、この病気にかかると思っていないということが分かったというか、自分の脳が壊れるなどと思ったことがなかった。その自覚をする前に「なったらなったで」としか思っていない。ある日突然自分がこうなったら、という仮定の元に恐怖を覚えるのは嫌だなと思っているし、そのことに対して何か準備するというものでもない。「もしも」と仮定しても、その後の心配くらいにしか考えが及ばないのかもしれない。が、例えば、駐車場に停めてある自分の車に乗ろうとしたらドアーが開かない。どうしてかと思ったら他人の車だと気づくが、何故他人の車のドアーを開けようとしているのか疑問に思うような、これが痴呆症から来ているとしたら、そんな自分から世界がどう見えるかなど楽しみでもない。ピーター・フォークは近年、自分が刑事コロンボであったことも分からなくなってしまっていたと報じていたが、本人にとってはそんなことどうでも良い過去のこと。たった今しか生きていない人に悲しいと言っても始まらない。
 私の祖母が亡くなる二年前がそうだった。骨折で入院し、足を固定して寝たきりになって三週間程で私のことは分からなくなっていた。その前に、少しボケもあったが、86歳であった。もうそういう歳としか言えない。だから、寝たきりにさえならなければと思う節もあるが、痴呆や認知症は高齢にかかるとも限らない。
 そうなった時の風景の中に自分を置くと、恐怖としか言いようのない現実的な画像が今は浮かぶが、おそらくそうなった私自身は辛いことではなく、むしろ自分の世界を楽しんでいるに違いない。ただ、自分の知る人から私が認知されなくなる時の思いは、寂しく悲しいものだ。

ピーター・フォーク☞Wikipedea

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2011-06-25

アップル社はどうしてハクティビスト(hacktivist)、「正義」を問うハッカーに攻撃されないのだろうか

 「ハクティビスト(hacktivist)」。これ、初めて聞いた言葉。ハクビシンという畑を荒らす動物いるが、それに似た何かと思った。これは、英語らしい。らしいと言うのは、この言葉が誕生した背景は、ハッキング事件が背景にあるため、生まれる言葉は英語となる。カタカナと英語が混ざった中にどんな内容が潜んでいるのかと、注意深く読んだのが極東ブログ「ハクティビスト(hacktivist)、「正義」を問うハッカー」(参照)。ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のハッキング事件は記憶にもくっきり残っている。幸い私は該当しなかったが、Twitterのフォロワーにどうやらこれにやられて疲れきっている人が数名いたようだ。その数は、77,700万人というから凄い規模だった。
 私は割りと平気でPCから買い物をするし、カード情報もAmazonや楽天に登録している。なんとなくネット上での買い物も、個人的にはあまりガードを固めていない。なので先日、このソニーの話しを知ってから、どういう会社がどんな理由で狙われるのだろうかという関心はあった。詳しくない分野なので少し読み進めて、ここで何か参考になるようなことでもあればと思い、件の記事を読み進めた。
 まず、言葉になれることが重要。聞き慣れ、書き慣れ、使い慣れると言うことで良い思う。寄る年波、記憶がきつくなってきたのかもしれない。入ってくる情報も多くなったせいか、新しい記憶が消えたり思い違いに走ったり、勘違いしたりの混乱を収めるのに、「各種情報をきちんと読まれてはいかが」とか忠告を頂くような状態になってしまった。これがちょっとショックだったのは、言われたからではなく、若い頃は慌てん坊で済ませられたことがそうも行かなくなったことを自分で受け止めてゆくのがキツイくてしょぼーんな感じ。そういうわけで、新語にには少し緊張がきて、これを快く歓迎したいというお呪いをまず自分にかける必要があった。
 余談はさておき、次の言葉は今後も時々出てきそうだと思うので頭のどこかにクリップしておくと良いと思った。

 「ハクティビスト(hacktivist)」は、「ハッカー(hacker)」と「政治的な活動家(activist)」を合わせた新語。政治的な目的意識をもってハッキング活動を行う人やグループを指している。英辞郎には「政治的ハッカー」という訳語もあった。

 ラルズセック(LulzSec)は"Lulz Security"の略である。"Lulz"という見慣れない英単語は、"Laugh Out Loud(大声で笑う)"を意味する略語"LOL"の音読をスペリングに戻したものだ。日本の掲示板などでよく使われる、文末の小文字で笑いを表す"w"や、"(爆笑)"といった表現に近い。

 これらの言葉が事件にどう絡んでいるかの下りは、こうある。

ソニーの個人情報流出事件とラルズセック(LulzSec)
PlayStationネットワーク(PSN)から7700万人の顧客情報が流出した4月末のハッキング事件は世界に衝撃を与えたが、このソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のハッキング事件もハクティビストの文脈で報道された。
6月2日にはソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントもハッキングされ、100万人もの顧客情報が流出したが、この事件では「ラルズセック(LulzSec)」と称するハッカー集団が犯行声明を出していた。

 で、極東ブログでは、ソニーにハッキング攻撃したランズセックの声明文と、PlayStation3(PS3)の閉鎖性との関係からハッキングの目的(理由)を暴き出している。
 ここで申し訳ない、この先のPS3の話しが読めない私。このプレーステーションのことを知らないので真相が掴めず、ネットで少し調べて分かったという次第(参照)。
 で、何故、ランズセックがソニーを相手取って集中的に攻撃を仕掛けたかだが、アノニマス(Anonymous=匿名)というハクティビストとして有名だった集団との類似性や関連性があると注目されていたとある。読めばその通りのことだが、どうも集団の意味や位置関係が自分の中ではっきりしない。ハクティビストは、アノニマスの声明に半ば便乗してソニーを攻撃したと言うことだろうか。
 この一連の流れからハクティビストの目的は何か、で、特徴が二点挙げられた上で、次のようにPS2の閉鎖性との関係が述べられている。

PS3は非公認ソフトが実行できない仕組みになっているが、通称「脱獄(Jeilbreak)」と呼ばれるプロテクト解除ツールを使うことで非公開ソフトも利用可能になる。非公開ソフトには海賊版のゲームなども含まれることから、SCEは2月16日、脱獄ツールを使った利用者をライセンス違反とし、保証を無効にするとした。さらに、PlayStation Network(PSN)のアクセスを停止するとも警告(参照)した。
この警告が全体主義的だとしてアノニマスの怒りを買い、ソニーへの宣戦布告(参照)に至った。ラルズセックはこの文脈から出現してきた。

 ここで、AppleのiPhoneのアプリケーションの話しがポロリとこぼれてきた。え、私iPhoneもiPadも使っていますが・・・。急に怖くなると言うよりも、どうして狙われないのだろう?「ハクティビストの「正義」に巧妙に対応しているからではないだろうか。」とあるが、意味不明。
 ここまで読み進めてきて、アノニマスが怒った理由は、ソニーの閉鎖性が全体主義的な悪と見なされたからだと理解したが、Appleの巧妙な対応ってどういう所がそうなんだろう。なんか、最後に来てちっとも訳がわからない私で、しょぼーん。しかも、最後の一文が意味深。

 ハクティビストの独善的な「正義」に向き合うために、企業は自社の「正義」を上手にアピールする時代になるかもしれない。

 ここを読まれた方、どう考えます?
 そうそう、この間、Appleの新型ノートパソコンに買い替えようかと計画して、その手のことに詳しい弟に現行のWindowsとの切り替えをきいたら「仕事でPCを使うならアップルはwordやexcelがないから完璧に失敗したと思うよ」と言われて、随分、独自性の強い会社姿勢だと思ったことがあった。つまり、他を入れない代わりに、自社だけで何でも出来るようにしている点で、利害が発生しない点が凄いと思った。つまり、他者とは全く違うメカで純粋に競合できている。このことは、ハッキングの対象である閉鎖性にはならないと言うことだろうか。うーむ、それくらいのことしか私には読めない。

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「震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!」-これからの日本の「常態」を知る

 私の住む町、諏訪がここまで危機的な不景気を呈しているのは、地方都市だからだろうか。相変わらず各紙の社説は暢気な書きぶりで、それを目にすると、ここだけが特別なのかと思いたくなる。政治家はこの現実を長く放置し、無機能な政府となって自分達の政局のことに明け暮れている。また、メディアはこの現実を率直に伝えない。これらの阿呆ぶりに些か切れてこの間も、「無政府状態に何をか言わんやだが、ちょっと一言」(参照)に書いたばかりだが、どうやらこの状態に腹を据えろと言わんばかりのタイトルの本が出現したようだ。

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震災恐慌!
経済無策で恐慌がくる!
田中 秀臣・上念 司

 「震災恐慌!~経済無策で恐慌がくる!」(田中秀臣・上念司)(参照)。この書籍の案内人はいつもの極東ブログである(参照)。まだ、出版されたばかりのようだが、書評を読むに、出来るだけ早く読んだ方がよさそうな気がしたので早速注文した。そして、書評を読んで、本書を読んでもいないのになんとなく読んだ気になってしまった。理由は、引用されている短い部分に私の思っている殆どのことが網羅されているからだ。が、一点だけ、思いがけない案が提示されていた。その部分にも触れて考えてみたいと思った。
 「震災恐慌」とは、東日本震災後にやってくる経済恐慌のことをさしているらしい。それは、気づかないうちに慢性化した胃潰瘍か何かみたいにじんわりとやってくるような印象を受けた。その部分は、こんな風に紹介されている。

テーマである「震災恐慌」とは何か。
東北大震災が引き金となる経済恐慌である。が、1929年から始まった世界恐慌とは異なる。むしろ穏やかであるかもしれない。どのような風景となるのか。

田中 そこで一番怖いのは、震災で落ち込んだことではなく、マイナス成長が長年にわたって続いていくことです。すると、みんな疲れてくる。その中で、とくに被災地域を中心に、東北が見捨てられるような状況になってしまったら、やはり多くの国民は、政府に対する根深い不信感を抱くと思うよね。今は、寄付だってみんな一生懸命やっているけど……。
 最悪のシナリオは、金融緩和は行われず、消費税だけが増税され、震災復興はしょぼい予算の組み替えだけで、だらだら続きます。税金を払う側はとられ放題で不満がたまり、救済としてもらう側も「こんなにしょぼいのか」と不満がたまり、国民全体に不満がたまっていく可能性がある。しかも、経済はどんどん縮小し、失業率が上がっていく。
 失業がかなり深刻な状態になると、雇用調整助成金みたいなものがどんどん出されるようになり、民間企業に勤めているけれど、半分公務員みたいな人たちがどんどんふえていくことになる。
上念 つまり、今回の震災が、みんなが平等に貧しくなっていく始まりになりかねないわけです。穏やかな震災恐慌がずっと続いていく始まりであると……。

 ここで言われている「最悪のシナリオ」が、先に挙げた私の住む諏訪の実態なので、言われているとおりのことが既に起こり、その皺寄せと不満が気づかないうちに蔓延し始めていると実感している。これに対処する方法として、私は今まで二つしか考え及ばなかったが、次に上げる三点が本書では挙げられているという。これが注文を急いだ理由だ。

1つは、財源を復興増税という名目で、増税によってまかなう方法。
2つめは、政府が復興国債を発行して民間から資金を集める方法。
3つめは、復興国債を政府が発行して、それをそのまま日銀にお金を刷らせて、直接買い取らせ、それを財源としてまかなうという方法です。

 1番が最悪のシナリオであることは私も常々政府批判で取り上げ、その対極として3番を挙げていた。理由は簡単で、1番のダメな理由から原因を抽出して、好転させるために反対の方法を考えれば自ずと答えが出て来るのが3番だからだ。この数学的な方法で考え付かなかったのが2番だった。書評ではこう述べられている。

リバタリアンの私としては、もう少し希望的に見るなら、本書では十分議論が尽くされていない二番目のシナリオ「政府が復興国債を発行して民間から資金を集める」がよいのではないかとも思う。そのためには、この間に考えつづけたことの一つであるが、日本国民が日本の復興を信じようとする緩和なナショナリズムが必要なのではないだろうか。

 1のダメから3の180度対極の最良へ数学的に結びつける前に考慮すべき点は、日本人の持つ心ではないかなと思った。先の田中氏の語りの引用にもふんだんに触れられているように、意欲や気力、助け合おうとする心は見捨てたものではない。世界からもこの友愛の心は絶賛を受けた。無意識に心が動いて、そばで苦しむ人に寄り添ってきた私達の心が底力と言うべきか、何かそのようなものにしっかり支えられて来ていることを忘れていた。
 本書で十分議論されてきていないのであれば、そこがやりがいと言うか、その実際を実行に移して行く事かもしれないと思った。まあ、まずは読んでからということだが、このまま放置すれば1番で進むしかないが、2番なら私達からアクションを起こすことも可能ではないかという気がしてきた。3番は、とてもじゃないが踏み出すような政府でも日銀でもないと思う。が、これも超党派議連によって、日銀に復興国債の全額買入を求める声明を決議したそうだ (ロイター)。考えられなかった3番が可能性を秘めたということで、なんだか嬉しかった。
 余談だが、昨日の各紙でアメリカの量的緩和の第2弾(QE2)の結果を報じていた。私もそろそろどんな塩梅かと気になっていた矢先だった。思ったよりも良い結果に導いたというバーナンキ氏の声明があったようだ(日経)。が、日経のこれを報じる内容がなんとなくずれていると言うか、日経ともあろう者がどうしてこういう結び方になるのか不思議だった。叩いてばかりで御免ね、だけど。どうしても気になるので書いちゃいます。

「デフレ懸念の解消に成功した」。バーナンキ議長は同日の記者会見で、QE2の成果をアピールした。議長がQE2を示唆した昨年8月末以降、米国の株価は約2割上昇した。これが個人消費を刺激し、企業収益の改善を通じて雇用の拡大にも波及したのは確かだろう。
 だがQE2の副作用は看過できない。大量の資金供給が国際商品の高騰や新興国のインフレを誘発したのは事実である。エネルギーや食料の世界的な値上がりは、米国にも景気減速と物価上昇をもたらした。
 震災後の景気低迷に苦しむ日本も人ごとではない。生産網の復旧を輸出の拡大につなげるというシナリオを描けなくなる。政府・日銀も状況を注視しなければならない。

 なんとなくふむふむと読み過ごしてしまうようなごもっともらしさが漂うが、なんとなく変だなと最後のくだりを考え直してみるに、「生産網の復旧を輸出の拡大につなげるというシナリオ」とはいけしゃあしゃあと言ったものだと思った。天下のトヨタでさえ、もはや国内生産の限界だと言及しているし(参照)、諏訪のエプソンなども既にその動きを始めている。これらの日本のトップメーカーが工場を閉鎖すると、連鎖反応で中小企業も倒産する。すると、街に失業者が五万と溢れることになる。また、大企業からの税金が市町村に入らなくなるため、市町村自体が貧乏になる。この状態に既に突入していると言うのに、日経は輸出を拡大して外貨で潤えると本気で思っているらしい。しかも、このトヨタのことを報じたのは同じ日経で、先週だった。FRBがQE2を施したのは、デフレをインフレ傾向にするために他ならないのだから、デフレの日本は人事にしないでQE2に見習うと言うなら話は分かる。輸出から稼ぎ出すシナリオを描けない理由として、デフレで円高のままでは価格的に競合できない上、国内生産の限界という現状(震災の二次的な影響で、部品などの調達が不備。また、消費電力の削減により生産性が落ちている。)では輸出に向けた拡大構想など無理だという理路が先にある。
 著者の田中氏の指摘から、書評では、このような実態が「常態」になるという事だと紹介されている。であれば、率直な見識として現実を早く知り、受け入れてからが始まりだと思った。

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2011-06-24

フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)

 ここ二日ほど、二人の案内人による「絵画鑑賞」が続いた()。この一連と相俟って昨日、ゴッホの自画像の一枚が弟テオドルス(通称テオ)の肖像画ではないかと、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館が発表したのをきっかけにゴッホを見なすことになった。これまで言われてきているゴッホの激しい性格や人生そのものも激しかったことから、何度か映画化されたようだが私は見ていない。以前に少し書いたが、ゴッホとの最初の出会いは10代で、同級生有志数名とゴッホとゴーギャン展に行った時だった。当時の私には、この二人が日本で人気のある画家だと言う情報は全くなく、また、そういうことに価値観を置かない年齢だったせいもあるが、客観的にアプローチしたと思う。ゴッホの絵は特に好きでもない。鮮やかな色使いの割りに地味な対象物が多く、力強い筆のタッチが印象的だった。
 1987年、安田火災海上(損保ジャパン)が「ひまわり」を53億円で落札し、1990年、「医師ガシェの肖像」が齊藤了英氏により124億円で落札されて話題になった。バブルの成せる業であったが、この時世界中に日本が金持ちであると知らしめただけでなく、このような高額落札による経済効果や文化に及ぼす効果は如何様か考えてみようかと思ったほどだった。因みに「医師ガシェの肖像」は1887年、弟テオの未亡人であるヨハンナによってわずか300フラン(約28,000円)でデンマークのコレクターの手に渡ったといわれている。それでも100年前であればかなり高額ともいえる。
 昨年、NHKでゴッホの特集番組「炎の絆・ゴッホ」があり、一度見逃して再放送で少し見た。ゴッホが生きている間に売れた絵はたった一枚、「赤い葡萄畑」だけであったこと。弟テオの援助だけで生活してきたこと。そのテオとは何度か途中で途切れながらも約20年間文通が続いたこと。赤貧の中で作品を描くゴッホの才能を信じ、画商を営む弟テオによって自宅での画展も開かれるが、絵はいっこうに売れなかった。番組ではその手紙を紹介したが、奇人という評判からは想像も就かないほど論理的で、弟には深い配慮が見られた。
37歳という若さで亡くなったが、銃による自殺説と、銃身の長さや右利きであるのに左脇腹から垂直に内臓を貫いているとして他殺説もあると知った(参照)。
 ゴッホの活動は約10年と短い。傑作と言われている作品の殆どは晩年の約2年半(1888年2月~1890年7月)に描かれたのもだと言われている。ゴッホの没後、数少ない作品も弟テオの努力によって世の中に知らされたが、そのテオも半年後に亡くなった。

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Self-portrait
1887 (spring)

 昨日クリップしたAFPの記事の弟テオの肖像画の件だが(参照)、ゴッホの生計を支えてきたほどの兄弟関係であるにもかかわらず、一枚もテオの絵が無いのも不思議ではあった。そして、その絵を食い入るように見たが、確かに指摘されている通り特に、耳の形と向きが違うように思った。

【6月22日 AFP】オランダの巨匠画家ビンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Van Gogh)の自画像として長らく知られてきた1枚の肖像画が、実は弟テオ(Theo)の肖像だったことを「発見した」と、アムステルダム(Amsterdam)にあるファン・ゴッホ美術館(Van Gogh Museum)が21日発表した。

ゴッホは数多くの自画像を残しているが、「自画像ではなく弟のテオの肖像画」と判定されたのは、青い背景に濃紺のジャケットを着て、黄色の帽子をかぶった姿の1枚(写真)。

例えば、他の自画像のひげはもっと赤みがかっているのに対し、この絵の男性のひげはオークル系で、耳も他の自画像よりも丸く、目の色も異なる。こうした身体的特徴や服の着方などが、現存しているテオの写真と一致するという。

 一致すると言われているテオの写真を探したが、ネット上では探しきれなかった。上の画像がそのテオの肖像画だ。比較に、似たような構図のゴッホの肖像画を並べてみた。没後、ずっとゴッホの肖像画だと思われてきたが、何故こんなことに今頃気づいたのだろうかと不思議な気がした。が、真実にいつか出会うため、疑問を持ち始めたら究明する人が必ず現れるものだ。ロマンチストと言っては叱られるだろうか、でも、追い求めるその先の真実が本当に真実であるかどうかは誰にも分からない。昨日の「La mort du jeune Barra」を描いたジャック・ルイ・ダヴィッドが絵に込めたのは国家への愛なのか、または同性愛的な悲哀を少年に向けて表現したのかなど、どちらも正しいとも言えるし、どちらか一方が正しいとも言える。もしかすると未来にまた、違った解釈が説かれるかもしれない。本当に面白いものだと思った(詳細は極東ブログのこちら☞)。
 ゴッホのことを調べていて2007年8月5日の、次のような記事が目に付いた(参照)

ゴッホの作品の下に別の作品、ゴッホ美術館が発表
【8月5日 AFP】オランダの印象派画家ビンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh)の作品「The Ravine」(1889)の下に、同年に描かれた別の絵画「Wild Vegetation」が隠されていた。アムステルダムのゴッホ美術館(Van Gogh Museum)が3日、明らかにした。

今回発見された絵を1889年6月に描いた4か月後に、ゴッホは同じキャンバスに現存する「The Ravine」を描いていたことが、エックス線撮影により明らかになった。(c)AFP

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 青の色使いが非常に美しい渓谷の絵だが、この下に絵が「隠されていた」と言うよりも、貧しい生活でキャンバスが買えず、使用済みのキャンバスを使ったと言うだけの話しではないのかと想像した。ゴッホに関してはいくらでも謎めいた話しが出来上がりやすいとは思った。

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ゴッホは殺されたのか
伝説の情報操作
小林 利延

 また、もう一つゴッホ情報を得た。「ゴッホは殺されたのか」伝説の情報操作 小林利延著が2008年に出版され、三浦天妙子氏による書評が日経ビジネスで3月に紹介されていた(参照)。サブタイトルからしてなんとなく下衆の勘ぐりをそそるではないか。もうこの際、ゴッホ先生は何を言われてもまな板の鯉でしかない。私も早速ポチした。
 また、ゴッホとテオの文通の話は有名であるが、実は私は一つもまともに読んだことはない。そこでついでと言っては何だが、小林秀雄の「ゴッホの手紙」上・中・下にここでやっと手を伸ばした。小林秀雄の「小林秀雄全作品集22」が読みたくて注文したばかりであるが、このところ頼んだ本が届かずに滞っている。

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ゴッホの手紙
小林秀雄作品集20
小林秀雄

 この夏は、これらの読書で過ごすというものかと思っている。ああ、極東ブログの今後の書評にも期待している。

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2011-06-23

「La mort du jeune Barra」-finalventという案内人による絵画鑑賞

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ジャック・ルイ・ダヴィッド『自画像』、1794年。ルーヴル美術館蔵

 自然科学の歴史上では例えば、今から約130年前に亡くなったダーウィンがいた。彼の説いた生物の進化に大きく関係した自然選択の理論を証明するための「移行化石」が当時発見されていたら、何かが大きく変わったかもしれない。が、ダーウインの進化論は、現代生物学の基盤として生き続けている。決して、歴史上の過去の人ではない。ダーウインの進化論が「移行化石の発見」(参照)によって現代、証明されるのと同じくらい私にとって驚きだったのは、「La mort du jeune Barra」という作品に作者が何を描出したかったかという謎解きだった。
 実は、どんな順番でどう切り出して書いたらよいのか戸惑っていて、もしかすると散漫な内容になるかもしれない。とにかく一昨日、震えが来るような感動に出会いたいとぼやいたとおりになった。この感動的な出会いは、極東ブログのエントリー、「La mort du jeune Barra」にあった(参照)。
 ここを読んでくれている方なら、昨日の私のエントリー「「絶頂美術館」-西岡文彦という案内人による絵画鑑賞」(参照)に何か関連した話だとピンと来ていると思う。そう、この西岡氏の著書「絶頂美術館」を注文し、この本で、西岡氏が案内してくれる絵画に出会うのを楽しみにしていたところだ。ところが、finalvent氏ときたら、西岡氏の「La mort du jeune Barra」という絵画の読みをすっかり上書きしてしまった。この事実に震えが来て三度もエントリーを読み返してしまった(三度目は途中で寝こけてしまったが)。つまり、この絵の作者であるジャック=ルイ・ダヴィッドのよき理解者が260年ぶりに現れたということだ。「良かったね、ダヴィッド!」と、感動して涙が溢れた。

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 内容は、リンク先のエントリーを読まれればわかることだが、上の絵二点は、ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David, 1748年8月30日 - 1825年12月29日)(参照)という、新古典主義の画家によって1794年に書かれた、Barraという14歳の少年鼓手の死体を描いた作品だ。そして、彼が殺害されるに至った経緯を知れば、彼が英雄的存在としてどれほどフランス国民から賞賛されてきたかが窺える。比喩にもあるが、靖国神社に葬られ、国民から手を合わせられるような存在だと言えば話しが早いかな。この少年の死後、翌年に描かれたこの作品がおそらく最初に表現されたものだと思われる。そして、最も史実に近い絵だとしたら、その「史」とは?この絵に描出された「史」の謎を解く鍵は?少年が裸で表現されていることから解き明かして行く二人の案内人西岡文彦氏とfinalvent氏の話の展開が、とても興味深い。ここだけ抜き出してしまってよいものかどうか、とても迷っている。ここは忍びない気持ちで一杯だが、究極の部分だけ引用させてもらい、私の驚きと感動部分として書いておくことにしようと思う。以下は、finalventさんの解釈だ。

 歴史的に見れば、ダヴィッドが同時代なので、冒頭の絵のほうが史実に近い作品ということになりかねないが、ここが歴史の妙味ともいうべきところで、映像ドキュメントの時代に生きる私たち現代人は史実をタイムマシンのカメラで見ることができるような錯覚を持つが、史実とはそれが語られた様式でもある。つまりバラの死とは、ダヴィッドが描くような幻想として始まったとしてよいという点で、これがオリジナルの幻想なのである。
 しかし、バラの死がダヴィッドが描く光景であったはずではないとするなら、この絵の、オリジナルの幻想は何を意味しているのだろうか。
 これを解くヒントが、高校生の歴史教科書などにも掲載されることが多い「球戯場の誓い」である。フランス革命直前、第三身分がヴェルサイユ宮殿の球戯場に集まり、憲法制定まで解散しないことを誓い合ったとされる事件であるが、ダヴィッドはこう描いている。

 二枚の絵は見た目、全く違うが、ダヴィットの描いたBarraの絵との比較に出て来るとは思わなかった。しかも、高校時代の歴史・・・。嗚呼、最悪だったことを思い出した。殆ど暗記でラインをキープしていた私にとっては、世界史も日本史も崩壊的。だが、救いもある。この歳になって極東ブログの歴史もので初めて歴史の醍醐味を知り、今では面白くて仕方がない。そのレベルの私なので、こういった対比も凄いことだと思ってしまう。
 さて、話しはここからだ。ここまではfinalventさんも西岡氏の「絶頂美術館」で解説されているのと同じ読みらしい。本が届いていないので未読だが、ここからが年の功の勝ちーって展開になる。
 一昨日の極東ブログの西岡氏の「絶頂美術館」の書評でfinalventさんは、次のように述べている。

下品な話で申し訳ないが著者より5歳も年下の私も現在すでに50代半ばに向かいつつあり、西欧風のヌードといったものにはある遠い視界になりつつある。逆にだからこそ、この書籍に描かれる作家たちの「老い」の感性も読み取れつつあり、理解が深まる面と同時に、やはり内面の寂とした感じがないでもない。

 この引用部分は、夏目漱石の「明暗」まで持ち出して説得的に書いた私だが、つまり、西岡氏が「La mort du jeune Barra」を評した時は精力満々で・・とは書いていないが、中世の西洋画に描かれている裸の男性を見れば、それをどういう解釈に結びつけるかという点で、評者の歳が関係していると思われる部分だ。その部分を引用されているので大変わかりやすい。でも何故か、ホモセクシャルという表現ではないなあ。私などは、この部分からして分からなかった。威張っても仕様がないとことだが、次の部分でもピンと来なかった。

 ところで冒頭述べたように、この絵について知識のない人がこの絵を最初に見たとき、受けるおそらく圧倒的な美の感覚の後に生じるであろう一番大きな印象は、多少禁忌の感覚を伴うある不可解な状況への困惑であろう。
 あるいは逆に、バラがそうであった「少年鼓手」という制度を知るとその疑念はいっそう強くなるかもしれない。

 「多少禁忌の感覚を伴うある不可解な状況への困惑」ここね、困惑しなかった。何も疑わなかった。何のことかさっぱり分からずだった。絵についても知識はない。禁忌の感覚もなかった。そういう私なのだ。エロスとかよく分かっていないようだ。このことがはっきりしただけでもかなりの収穫と言える。ここからしばらく読み進めると西岡氏の語りの引用があるが、西岡氏の修辞は美し過ぎと思ったが、ここが大きな別れ目となる。finalventさんは、西岡氏の解釈を次のように取り上げている。

 そこまで言っていいものだろうかと長く迷っていたが、「[書評]絶頂美術館(西岡文彦): 極東ブログ」(参照)の同書にも同じ理路で解説されていて、我が意を得たりというところだった。が、詰めの解釈は異なる。西岡氏はこう言う。

 人としてもっとも大きな幸福のひとつである「性」の歓びを享受することなく、若くして革命に殉じたバラへの、これ以上に悲痛な哀悼の意の表明はないかもしれない。

 「絶たれた生」への抗議として描かれたはずのこの作品が、強烈な同性愛的な官能性をただよわせ、むしろ見る者の「いまだ絶たざる性」を物語ってしまうのは、そのためであるのかも知れない。

 「もっとも大きな幸福のひとつ」という最上級の表現に続けてふたつはないでしょう、と突っ込みたくなるのだが、西岡氏は、裸のBarra少年を描いたダヴィッドに同性愛を見ている。それが、最上級の幸福として「性」の歓びだと言及している。このような解釈の由来は、西岡氏の若さなのかもしれない。もっと言うなら、男性特有の志向ではないかと女の側の私は思ったが、これも、私がその辺の感性に乏しいせいかもしれない。さらに言うと、もしかすると、西岡氏はバイセクシャルかもしれない。
 一方、finalvent氏の解釈は全く違う。

 逆であろう。
 ダヴィッドの描出こそが共和制への愛を貫徹した至福の姿なのである。
 鳩山由紀夫元首相が語る友愛(参照)、すなわちフラタニティ(fraternity)というものの、「強烈な同性愛的な官能性」とは、このような形象を有するものであり、むしろ武士道の至高に近い。
 三島由紀夫ならそんなことは自明なことであったに違いないが、奇妙なのは彼にとっては、本来は共和制のエスなるものが戦後日本の文脈では王制のエロスに偽装されていたことだ。
 むしろ共和国・共和制と限らず国家への愛を誘う政治的イデオロギーには、その表層の差違や論争的な対立の背後に、すべてこの情念の起源を隠し持っているのではないだろうか。

 「強烈な同性愛的な官能性」と言われているそのものが私には理解できないし、女にも同性愛者はいるが、それも理解できない。なんとなく分かるのは「友愛」だろうか。男女の隔たりを越えて存在するとすれば、それが国家を愛することともつながる。ここの解釈は、本当に難しい。「武士道の至高に近い」として、三島由紀夫の話で多少救われた。
 Barraの絵に描出されているのは、ダヴィッドの愛国心であり、その深さだったと私もそう思う。そして、あの絵から、それを解き明かす長い道のりを諦めずに案内してくれたお二人に拍手を贈りたい。

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2011-06-22

「絶頂美術館」-西岡文彦という案内人による絵画鑑賞

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絶頂美術館
西岡文彦

 趣味というにはトホホなくらい遠ざかってしまった絵画鑑賞だが、前にもここで書いたように昔から好き。田舎に引っ込んでしまってあまりチャンスもなかったが、今年已む無く閉店した上諏訪駅前の丸光百貨店が営業していた頃、イベント会場で行っていた絵画展に足を運んではいたな。こんな田舎で何故あのような小さなデパートで?と思ったが、絵はどんどん売れていた。こういった趣向が結構盛んな諏訪でもある。美術館が多かったりもする。こんな書き方になってしまったが、極東ブログで紹介している(参照)西岡文彦氏の「絶頂美術館」を読んでみようかと注文し、少し今までを振り返っている。
 昨年の秋から今年二月まで日比谷公園内の特設会場で行われていた「ダ・ビンチ展」の超高解像度カメラを駆使して観る「モナ・リザ」の探求もチェックしていたが、とうとう行く機会を作れずに終わってしまった。

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モナ・リザの罠
西岡文彦

 この機会にと思って調べてみると、西岡氏は、ダ・ビンチの仕掛けについて自著の「モナ・リザの罠」でも読み解いていることがわかった。ダ・ビンチ展と合わせて読んだらきっと面白いのではなどと、レビューを読んで想像していた。なかなか行く機会を作れず気持ちも絵画から離れて行くので、趣味の部分を開拓しておきたくなった。夏のすごし方として、ゆっくり読むのも良いかと思った。
 「絶賛美術館」に話しを戻して、書評で興味深く感じた部分がある。これは、歳をとってみると分かる共通項のようなものだが、ここを読んでくれている方がどのように感じるかなと思い、引用させてもらうことにした。

下品な話で申し訳ないが著者より5歳も年下の私も現在すでに50代半ばに向かいつつあり、西欧風のヌードといったものにはある遠い視界になりつつある。逆にだからこそ、この書籍に描かれる作家たちの「老い」の感性も読み取れつつあり、理解が深まる面と同時に、やはり内面の寂とした感じがないでもない。

 年取った作家達といえば、夏目漱石の執筆時の年齢やその小説を読む私自身の年齢との関係を連鎖的に思った。つい先日も触れた「明暗」と「続明暗」でも、漱石の寂や私自身の読みにも同じように感じた(参照)。
 大昔に読んだ「明暗」のお延は、甲斐甲斐しく夫の世話をしながら愛情の豊かな部類の女性にカテゴライズしていたが、今回、全く違う人物像になった。彼女は、夫をまるで自分の持ち物か何かのように飾り物的に磨く妻にしか過ぎないと読んだ。ああ、話しがまた脱線してしまうけど、ここだけ触れておきたい。それもあって、清子のあの豹変とも言うべきものが、女性の成長と言うよりもむしろ騙されやすいタイプの単純なタイプだと映った。ただ、インプットされた夫の情報や、夫婦となって夫から影響を受けたためか、表面的には違う女性に変わったかにも思えた。
 このように、読む年齢によって小説の読みが変わるのと同様に、絵画もそうだと思う。「絶賛美術館」では、西岡文彦という案内人にそこを案内してもらうのだと思う。考えてみれば書評も同じで、他者の見方や感じ方を事前情報として捉え、自分なりに読むための導入にすぎない。ああ、そういう点で言えば、今回の極東ブログの書評の半分以上はfinalvent氏の「関心」部分が多い。全く違和感無く読んだが、「話を自分の関心に引きずり過ぎたが」と途中で切り替えられているので、そうかなと思った程度だった。客観的に物事を見聞するのと主観的にでは違うというのは理屈ではわかる。ああ、そういえば私が書くのは主観ばかりだから「感想文」か。あはは、今頃自覚した。
 いずれにせよ、美しいものを観るというのとはちょっと違って、芸術家がどのような背景でその作品を製作したかという基本情報はとても大切だと思う。年齢はいくつくらいか、既婚か未婚か、精神的にはどうだったかなどの情報によって絵の読み方が変わってくるのは間違いない。裸婦を描く画家の年齢を気にしたことは無かったが、思いがけないことに気づかされた。
 また、書評の中で触れられている、小林秀雄「近代絵画」がめちゃくちゃ読んでみたくなり注文した。

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小林秀雄全作品
近代絵画〈22〉
小林秀雄

 昭和28年50歳、というから私が生まれる前で、亡くなった祖母よりも少し若かった小林氏が絵画を観にヨーロッパ巡りをして出合ったのは、一流の画家の絵画ではなく、「とびきり一流の人生劇」であったと知ってますます読みたくなった。人の生き方に触れ、震えがくるというような感動に出会いたいものだと思っていたことがやっとはっきりした。デパートの絵画や日比谷のダ・ビンチではなく、彼らの人生劇に触れたかったのだと思った。そう言えば、ロンドンの大英博物館の案内人の内容よりも、彼らが如何に感動したかという話の方に引きかれたのも同じような理由だった。

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2011-06-21

カルピスにまつわる話でも

 先週末は都内某所で所用を済ませ、その後、実家で内々のパーティーがあったため一晩泊まって翌日の日曜に諏訪に戻った。東京の蒸し暑さは思ったほどではなかったが、こちらに戻ると、その差が歴然としてくる。少し疲れ気味だったが、段々楽になってきた。

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カルピス社員のとっておきレシピ

 さて、この留守中に極東ブログが面白い展開になっている。一昨日のシリコン製のプチ鍋に続き、「[書評]カルピス社員のとっておきレシピ(カルピス株式会社)」(参照)を早速注文して読んだが、びっくり仰天なレシピがユニークな社員から生れ、カルピスという土壌が出来上がった歴史は興味深かった。こんな会社が日本にもちゃんと存続していると思うと、なんだかほっとした。
 カルピスにまつわる話といえば昭和エレジーが聞こえてくるような悲しい思い出もあり、それも懐かしさとしてちょっと書いておこうかと思う。
 極東ブログのエントリーでは、カルピスの楽しみ方が満載だが、カルピスという会社が抱えている社員さんに何よりも感動したな。そして、この感動的な社員さんを抱えるカルピスという会社の偉大さを本書から感じた。一口にはなかなか言えないが、歴史のある会社であり、会社の存在意義として社会貢献が基本的にきちんとある。こういう会社を日本は生み出した、ということにも感動した。また、参照先エントリーの2006年5月28日、「初恋の味」(参照)にたっぷりその歴史が書かれていて参った。大隈重信が創業時に関わった辺りの話は「超」が二個くらいつく面白さだ。
 さらに、このエントリーの参照先である”COBS ONLINE:20世紀の発明品カタログ 第12回 「不老長寿の夢を求めて 初恋の味、カルピス」”(参照)がめちゃくちゃイイ。当時の人達が本気で不老長寿を考えるきっかけはこうだ。

国中に末世的風潮が蔓延していたこの頃、ときの元老・大隈重信は、「国力の源は臣民の健康にある」との信念のもとに、大正元年、イリア・メチニコフの大著『不老長寿論』を大日本文明協会から出版した。

いわく、人間の老化は、腸の中の廃残食物の発酵や腐敗によって有害な菌が発生することか要因で、それを抑えるためには乳酸菌飲料を摂ることが重要である……。その主張は、腸内の善玉菌と悪玉菌のバランスを保つことによって免疫カを高め、老化を抑制する、という現代医学の見解と一致し、今日の乳酸菌ブームの最初の医学的根拠となる。

 この七年後に三島海雲という人物が量産化に成功したとある。いかにももっともらしく書いていある通り、当時のお方達は本気で取り組んだのだろう。が、この後の極東ブログのコメントが、いかにも自称「科学少年」ぽくて憎めないのさ。

 「不老長寿の実践的なテクノロジーを述べた快箸」の最後のところは「怪著」とすべきかもしれない。私はポーリングとメチニコフの晩年のトチ狂いに関心をもって精力的に調べたことがあった。この分野のメチニコフ学説は単純に否定されているだろう(だって菌が腸に届かないんだし)と思ったが、日本では面白いことにヤクルトなんかでもそうだけど、メチニコフ学説のカルチャーが胃酸にも耐えてしぶとく生きていてなかなか無下に否定もできない空気が漂っていて、とか思っているうちに同じく辺境というか北欧で生き延びたメチニコフ学説がプロパイオティクスとして息吹き返してきて、なんだかわけわかんないになってきた。それはさておき。
 この時代の乳酸菌飲料の興隆はいまひとつわからないのだが、軍隊が兵士のカルシウム摂取のために牛乳を採用しようとしたけどゲリゲリな試験結果じゃんという背景があったと推測している。

 実は、未だに私の謎だが、あのヤクルトの乳酸菌て、あの飲み物の中で生きているとしても体にとってはどの程度良いのだろうか。良し悪しは別として、仕事場に堂々と売りに来るヤクルトおばさんの姿は今でもあるが、積極的に買ったことはない。あの販売姿勢にも、恐れ入り屋の鬼子母神なんだが。ヤクルトといえば、思い出す話がある。
 就学前の遊び友達の家がヤクルトの工場を経営していて、ある休みの日に遊んでいる時、彼女のお父さんが粉を溶かして飲ませてくれた。アレが私が最初に飲んだヤクルトだった。世にも不思議な飲み物だと感動したのを覚えているが、元は粉末のジュースというのがインプットされてしまった。

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 さて、ここまで来るともうテーマは何だっけ?状態。とても懐かしく楽しい出来事が回想され、しばらくその余韻に浸っていたが、その中でカルピスの水玉模様と、トレードマークになっていた黒人の絵にまつわるエピソードについて、ちょっと書いておこうかなと思う。因みに、右の画像は大正8年に発売された最初の「カルピス」(写真提供/カルピス)だそうだが、化粧箱入りで高価な感じがする。
 小学生の頃、カルピスとは切っても切れない悲しい思い出がある。あの水玉模様の包装紙は、皴加工してあるかさかさした質感の紙で、小学生の私にとってその紙は、とても特別だった。当時厳格だった母は、駄菓子やポン菓子、アイスクリーム、ジュースなどの部類は一切買い与えない人で、お小遣いなどは勿論なかった。いつも必要に応じて提案制でお金をもらっていた。アレだけ厳しい母のそういった方法をすり抜けるようなガキの浅知恵すらもなかった私は、小遣いをくすね取るようなこともしない真面目で良い子どもだった。が、そのカルピスだけはどうしても飲んでみたくて仕方がなかった。だからと言ってねだっても当然、却下されるのは分かっていた。

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 ある図工の時間に好きなものの絵を描く機会があったとき、私は、憧れのカルピスの水玉模様とトレードマークのイラストを書きたいと思った。そこで苦労したのが、水玉のあの青い色が出せなかったことと、実際、じっと見たわけでもないトレードマークの黒人の男の子の絵が上手く書けず、結局何も書けなかった。放課後、先生に呼び出されてその理由を詰問されても、自分の惨めな思いを泣きながら話すのが忍びなくてとうとう黙っていた。別の日に親が呼び出されて、反抗的な態度の私のことを取り上げて、母の躾の悪さを指摘された。その日、機嫌の悪い母は、私にだんまりの理由すら聞いてくれなかった。またしてもカルピスをねだるチャンスを失い、その後、一度も買ってもらったことはなかった。また、母に泣きつくようなチャンスも失ってしまった。これが「しらけ世代」と言われる元になるのかもしれない。
 これが私にとっては悲しい思い出で、その後もカルピスとはあまり縁がなかった。雪辱するともちょっと違うが、なんとなくカルピスの件では負けてきた私だけに、一度しっかり知っておきたいと思っていた。2006年の極東ブログの「初恋の味」は、不覚にも気づかずにいたのだった。

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 そして、カルピスのトレードマークや水玉模様の由来を知って、この会社の社長である三島海雲のポリシーにも触れて感動した。

 元々は、パナマ帽を被った黒人男性がストローでグラス入りのカルピスを飲んでいる様子の図案化イラストが商標だった。これは、第一次世界大戦終戦後のドイツで苦しむ画家を救うため、社長の三島海雲が開催した「国際懸賞ポスター典」で3位を受賞した作品を使用したものだが、1989年に“差別思想につながる”との指摘を受けて現行マークに変更された。

 この後のリンク先、「The Archive of Softdrinksというサイトの”Calpis Water”」が興味深い(参照)。

●水玉模様と黒人マーク
カルピスのパッケージは水玉模様と黒人がカルピスを飲んでいるマークがお馴染みであるが、水玉模様はカルピスの起源となったモンゴルで三島海雲が見た美しい天の川である。
 また、黒人マークは1923年(大正12年)に制定されたが、これは第一次世界大戦後のインフレで特に困窮している美術家を救うため、ドイツ、フランス、イタリアでカルピスのポスターの懸賞募集が行われた。その中から選ばれたのが黒人マークで、作者はドイツのオットー・デュンケルスビューラーという図案家であった。
 黒人マークは1980年代になると国際化時代の背景から人種差別的な問題を提起されたり、黒人差別をかかえる国々から反対意見を展開されるようになり、企業イメージの面で不利ということで1990年に使用を中止することとなった。

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 この頃、急に差別問題が浮上して、「ちびくろサンボ」「だっこちゃん人形」など、黒人の模写は差別を思わせ、助長させるとして全て姿を消した。消える時はさほどショックなことでもなかったが、アレがもう見られなくなるというがっかり感と同時に、歴史も見えにくくなるのではないかという残念な思いがある。ついでにその画像も見つけたのでここに貼り付けておくことにしたが、牧伸二と園まりが若い。何故、あのような人形が流行ったのか、ちょっと不思議だ。流行というのはそれが何故そういう流れを作ったのかなど、調べてもあまり出てこない。特に理由がない。

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 私にとっては幼い頃の思い出でもあるが、三島海雲が生涯をかけて守ってきたカルピスの背景に感動した。そして、それが今でも愛飲されていることは、この会社の凄さだろうか。底力のようなものを感じた。

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2011-06-20

これなんだけど「高級シリコンスチーム プチ鍋付き 簡単スイーツ&ヘルシー野菜レシピ50」-なかなかの優れもの

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高級シリコンスチームプチ鍋つき
簡単スイーツ&ヘルシー野菜レシピ50
メイコ・イワモト

 シリコンゴム製のキッチン用品が出回り始めたのはいつ頃だろうか、かなり早くから私は使い始めている。熱に強いため、劣化が気にならない優れた道具だなといつも感心している。今日のこのプチ鍋の紹介もどうしようかとずっと思いながら使っていたが、極東ブログで先を越されてしまった(参照)。ああ、素直にあんな風に紹介できたらいいのかなと、その視点が新鮮にも感じられた。紹介すると言っても、シリコンゴム製のキッチン用品はさほど新鮮さはないかもしれない。が、このプチ鍋には意外性もある。ここでふと、私の友人達の顔が浮かんだ。このプチぶりにどんな感想を持つか、だいたいの想像もつくのであえて紹介した方がよいと思えてきた。なので、ちょっと前置きに力点を置くことにした。

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 シリコンゴムとの出会いはかなり昔に遡るが、記憶に残っている感動は、ゴム製のヘラの先の部分がシリコン製になった時だっただろうか。ゴムは劣化が速く、何年かすると先端がぼろぼろ刃こぼれするように無残な姿になる。熱にも弱く、ホワイトソースのでき立てが鍋に張り付いているのにはいつも未練が残っていた。その長年の悩ましい苦悩を一気に晴らしてくれたのがシリコンゴムだった。

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 先端だけではなく、柄の部分まで一体構造になったものは例えば、炒め物用の木ベラの代わりをするようにもなった。刷毛も落し蓋も、みなシリコン製に変わった。私のキッチン用品をざっと見回すだけで、なんとシリコン製の多いことだろうか。友人にシリコンゴム製のスプーンをプレゼントした時、シリコンゴムの多様性に驚いていたが、私位の年代はそんな感じ。

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 え‶っ、これ炒め物に使っても大丈夫なんですか、みたいな疑問のような興味のようなものを持ち、次に感激するというパターンが常。へー、これ凄い、と、多分このプチ鍋で同じような感動に出会えると思う。お弁当用のミニカップも常用していて、これで蒸しパンが出来るのだって凄い。使い捨てじゃなくて何回でも使えるし。

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 少量の野菜はラップに包んでチンするのは常だが、取り出した途端、それまで空気の膨張で膨らんでいたラップがしぼんで野菜に張り付いてしまう。熱いからしばらくして、と思っているうちに余熱で火が通り過ぎたり、ラップがへばりついて取り出しにくくなる。そんなこんなで、ラップで加熱するのに抵抗感はないだろうか。第一、人間がもう古いし。

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 画像の絹莢インゲンだが、この間、私の畑で初収穫したもの。そんなことはどうでもよいキヌサヤだが、このプチ鍋に100g入った。お行儀よく並べるとちゃんと収まる。スーパーで買う量も殆ど100gではないだろうか。それをまるで見越したような鍋サイズなのだが、これに入れて蓋をして1分加熱する。ざるに取り出すと一部の莢の端1cm程が生のような状態で出来上がるが、余熱で火が通り、1分後には鮮やかな緑色になる。これが感動の一つ。
 ブロッコリーの蒸しの加熱も同じで、ラップで包んで蒸すようなムラができない。中で対流ができるからだろうか、短時間で直ぐに火が通る。蓋をして蒸らす時間を少し加減すると、硬さを好みに調節できるのもよい。これだけの理由でこのプチ鍋を持っている価値は十分あるが、目次の次のページにこの鍋のできる事が「3」で紹介されている。

この鍋ができること:焼く!・蒸す!・煮る!・冷やす!・量る!

 この中で注目に値するのが「焼く」ではないだろうか。耐熱の限度は240℃なので、直火では解けてしまうし、本体が熱源に近いと、やはりそれは「5」の使えない調理機種のオーブントースターや魚焼きグリルに相当すると思う。が、オーブンはおっけ。レシピには、じゃが芋のスライスにオリーブオイルと塩、胡椒をまぶしてローズマリーの葉を散らしたオーブン焼きのレシピが掲載されているが、200℃でこんがり焼き色もついている。
 もう一点、「冷やす」とあるが、これはこのプチ鍋が冷やすわけではない。そんなこと疑わないかな、普通は。私は一瞬、え”っ、マジで?!と思ってしまったが、例えばプチ鍋にゼラチンと水を入れてチンした後に味付けし、フルーツなどを混ぜ合わせてそのまま冷蔵庫で冷やし固める事が出きる。このゼリー寄せが、容器一つで最後の工程まで出きる事は感動的。しかも、取り出す出すときは逆さまにして鍋の底を押すだけ。これができることは、書いている以上に感動もの。ゼリーや寒天の寄せ物が一人分できることがまず感動であり、取り出すのに親指一本で押し出すことが喜びだというのは、トラディショナルな方法で作ってみた人なら直ぐに分かることだ。それから、書き加えたい感動がもう一つある。それは、一人分のご飯が炊けることだ。本書には栗ご飯のレシピがある。

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 先日、一人パエリアを作った時、この鍋のことをすっかり忘れていて、フランスのVISION製のフライパン(参照)で作ってしまった(レシピ☞)。このプチ鍋が板につしていないせいだが、せっかくのオーブン焼きチャンスを無駄にしたと無念が残った。
 ざっとこんな感じかな。そうそう、この商品はシリコン製のプチ鍋とレシピ本はセット価格になっているが、どちらが本体なのかよく分からない。一応、プチ鍋が付属だとは書いてあるが、両方で¥1470はリーズナブルだと思う。

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2011-06-19

無政府状態に何をか言わんやだが、ちょっと一言

 先日の与謝野馨経済財政担当相の増税発言がこの間から、少し気になっていた(参照)。その部分を簡単に言うと、消費税を増税して財政再建し、政策目的として長期金利を上昇させない事が大事だという内容だった。後で内容を引用しながら気になる点について書くつもりだが、この発言が気になっている矢先に、朝日の暢気な社説「原発再稼働―自治体の不安に応えよ」が挙がり(参照)、この日のfinalventの日記をチェックすると、同記事にコメントがついていた(参照)。菅さん下ろしに躍起になる今の自民党の野党ブリでは、仮に政権が戻っても「無策」だということは見えているし、菅さんが降りれば協力するというが、誰が立っても民主党政治自体が変わることは無い。菅政権の立てた(崩壊したとは言え)政策変更ができるわけでもない。だから、人を選ぶよりも政策の中味を議論してほしいと願っているのは被災された方々ばかりではないと思うが、議論は政局のことばかりでうんざりしている。このようなテーマで書くのも本当は無意味で無駄な気がするが、「しらげ世代」のマンマで終わるのも進歩がないと奮い立って書くことにした。
 経済を専門的に学んだわけでもない私が、与謝野氏の提案である増税は如何なものかと、受け売りのようにここで書くのも気が引けるが、日経が指摘している実際の例として後で、諏訪の製造業などの具体例も書き添えることにした。
 まず、与謝野氏の発言で気になる点は二点ある。一点目は、消費税の増税と長期金利は直接関係あるのかという疑問と、先にも触れたように、デフレ時での増税では税収は見込めないので意味がないのではないかという点だ。この理由は今までも随分繰り返しここで書いてきたが、今年の1月7日「「マイナス金利政策」が年明けのプレゼント!ファイナンシャルタイムズやるなあ」(参照)で言い収めているところをみると、私もこの件では諦め気分が半年、停滞していたらしい。先に消費税の反対理由から触れてみたい。
 このエントリーは、デフレ時でも歳入が期待できる可能性について触れたが、残念ながら消費税の増税ではない。勿論、増税はいつかは必要だと思うが、民主党は、資産売却や埋蔵金の発掘、特別会計などのムダ使い、公務員人件費の見直しなどの削減努力もなく、自民党の作った予算案に新たなばらまき政策を乗せたに過ぎない。デフレを放置したまま名目経済成長率を上げなければ自然に社会保障が増加するだけだ。そういう無茶がまずあった。デフレでは、物価は低迷したままで消費者が購買意欲のない状態なので元々、税収は見込めない。悪循環がそのままスライドするため、赤字国債を出さないと歳出が補えない。赤字国債を増やしたくないからか、消費税を上げるという道理だと思うが、そのような税収自体が望めないと経済学者も指摘している。
 長期金利と消費税増税の関係について後先になったが、与謝野氏の発言をロイターが次のようにまとめている。

[東京 15日 ロイター] 与謝野担当相は消費税の引き上げについて、20日に政府案を取りまとめた後も野党との協議や国会審議、民主党の公約などとの兼ね合いなどがあるとして、実施は「13年の年央以降になると考えている」と指摘。その上で「経済が定常的な高度を保っていれば、消費税(引き上げ)をやらないと、デフレより日本の財政に対する国際的信認、マーケットの信認のほうが大事になる」として、財政健全化の側面からも税率の引き上げが必要だとあらためて訴えた。さらに、消費税引き上げには「長期金利を上昇させてはいけない、という大事な政策目的もある」と述べた。
民主党などからデフレ下で消費税を引き上げることに異論が出ていることに関しては、引き上げ時の経済・社会情勢は大事だとしたが「デフレの定義自体が決まっていない。消費税引き上げの時期とデフレを相関させること自体が相当ではない」と退けた。与謝野担当相はデフレの要因は「多次元方程式を論じるようなもの。簡単にこれが原因で日本がデフレです、とは言えない」として、日本経済の最大の問題は国際競争力を保てるかにある、と持論を展開した。

 「長期金利を上昇させてはいけないという大事な政策目的もある」と言うのは、国債が800兆円もあれば、年利1%上がるだけで年間80兆円もの支払い利息が発生する。ということは、国の借金が増加する。また、市民への直接的な弊害もある。例えば、銀行の貸出金利が高くなるため、借り入れや住宅ローンなどが敬遠されてしまい消費が減退する。企業の借り入れなども同様になる。すると、株価が暴落する。だから、長期金利が上がらないようにするというのは納得できる。が、与謝野氏の言う消費税増税との関係が私にはわからない。もしかして、増税による税収アップを図り、それで赤字国債を埋めるというのであろうか。まさかに、そんな馬鹿げたことを考えるとは思えない。繰り返しになるが、デフレで増税しても税収は上がらないというデータも出ている。少し前の高橋洋一さんのコラムで、スウェーデンの例と日本を比較している(参照)。グラフで、歳出が右上がりで税収が右下がりに推移するのがワニの口をが開いた状態に似ているため、「ワニの口」と呼ばれているという説明が面白くて覚えていた。
 これは与謝野氏ご本人に聞かないことにはその意味は分からない。
 さて長くなったが、諏訪の実生活の中で見たり感じていたりしている部分を日経記事「製造業追い込む電力不足を放置するな」(参照)に沿って備忘的に書いておこうと思う。

電力不足が東電、東北電力や中部電管内以外にも波及する影響は産業界で大きい。東日本での生産減を西日本での増産で補う予定の企業は計画の抜本的見直しを強いられる。
円高や高い法人税率に電力不足が加わり、国内生産を維持してきた企業が海外へ積極的に生産移管し始める可能性がある。トヨタ自動車からは「日本でものづくりを続ける限界を超えている」との声が出ている。
国際協力銀行によると、日本企業の海外生産比率は2000年度の23%から10年度は31.8%に高まった。第一生命経済研究所の試算では海外生産比率が1%上がると製造業の就業者数が28万人減る。海外生産移転が加速すれば雇用不安が広がる。
原発は電力供給の3割を占め、休止中の火力発電所の再稼働や太陽光などの自然エネルギーでは補いきれない。当面の電力不足の拡大を防ぐには原発を再稼働させるしかない。

 トヨタの話の通りで、諏訪の大手(世界で通用している企業)が地元の中小企業に手配する仕事が徐々に減ってきている。新機種立ち上げの計画は海外に既に移管され始めていて、現実問題、人は解雇されている。既に長いデフレの影響で景気は低迷し、製造量も減っているため人件費の高い日本での製造はコストに限界がある。
 また、東京電力管内の地方製造業者からの部品などが予定通り入荷しないため、製造計画全体に支障をきたしている。その結果非常に効率の悪い循環が起こっているため、製造コストが維持しにくくなっている。これが、海外展開に切り替える親会社が増える原因と思われる。
 このまま原発が稼動しなくなるのかどうかの問題ではなく、日経が結論付けているように、日本の製造業を守るためには原発をこれ以上止められない状況まできている。その危機感が政府にあるなら「原発反対」の声が市民から今上がっていることにどう対応するのだろう。はっきり言って、事故で被災された方への保証問題もまだ進んでいない状態で、直ぐに稼動を採決するのは無理ではないかと感じている。それだけ政府に対して不信感もある。ましてや、先の与謝野氏の「日本はデフレとは言えない」という暢気な発言は聞き捨てならない。
 また、冒頭の朝日社説に至っては、そんな話は二ヶ月前に言ってくれと思うような内容だ。筆致からすると煽り記事のつもりだろうか。現実問題はもっと深刻に進んでいてで、原発の二次三次災害が地方には及んでいる。
 日本の大手社説があまりにも現実感のない話しをするのに加えて、日本の経済の中枢が頓珍漢に見えて黙っていられなかった。

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2011-06-18

受難の夏-パッションフルーツで乗り切るってイイナ

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 極東ブログでは、パスタの木の栽培の話に続いて今度は、パッションフルーツの栽培の話しが始まっている(参照)。というか、キリストの「受難」(磔=はりつけ)の意味が「パッション」であることと、パッションフルーツとの関係の興味深い話がメインだが、どうしても「パッション・サマー」(受難の夏)に心引かれてしまった。
 なるほどと、思った。沖縄では、ゴーヤやパッションフルーツを庭で栽培して食べるだけじゃなく、グリーンカーテンの役目もさせているらしい。ん?グリーンカーテン?話の流れで行くと、緑のカーテンだから植物で遮光すると言う意味だとは勿論分かるけど、新語かな。英語では通じない言葉のような気がする。いえ、なぜ気になるかというと、検索する時にこの言葉で出て来るのかと思っただけで、要はイメージが欲しかっただけ。Googleのimageで見てみると、よしずのように何かに植物をつたわせて大きな壁のように育てている(参照)。見た目に涼しげでいい感じだ。なるほど。因みに、よしずとはこちらをどうぞ☞

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 いろいろなやり方はあるみたいだが、窓の部分日よけのようだ。私も夏場は使っているが、西日の当たる場所は、壁がとても熱くなる。その熱は、一夜明けても放熱されない時もあって翌日の室温はさらに高くなる。それもあって、植物で遮光するのはいいアイデアだと思っていた。いきなり無粋な話しから始めてしまったが、まず、あのパッションフルーツの花の画像に見とれてしまった。キリストの磔(はりつけ)に似ているとは言え、「受難」と言われるほど美味しい南国のフルーツに囲まれてみたいじゃないの、と。確実に気持ちが動いてしまった。
 話を戻して、前にここでも触れたことがあるけど、アレは蔦(つた)の葉だった。蔦の葉の場合、家の外壁をそのままつたって家全体を覆ってしまうため、冬になって葉が枯れた後の残骸がイマイチで、あまり気が進まなかったのを覚えている。今でもやる気無しというところ。

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 どれどれ、と「パッションフルーツ 栽培」でいくつか栽培例が見つかった。パッションフルーツだけを何シーズンも観察した記録をホームページでまとめている熱心な方がいた(参照)。画像も細部に渡って見やすくてよい(右の画像をクリックすると開花が始まります)。ビニールハウスで栽培されている。読んで行くと、小さい木だと寒さに弱いらしい。ここまで調べて、これは困った問題だ。あくまでも栽培しようという意気込みなので、いきなり気温がネックとなってはね。ここは信州で、冬は極寒の地としても名高い土地だ。標高も高く、天候は高原なみであるため変わりやすい。沖縄との比較ではとても無理な気がする。家の外にパッションフルーツがぶら下がっている光景を描いていただけにがっかりだな。そのページにはこう書いてある。

先ずこの植物の生育温度はやはり熱帯植物だけあって20度以上が必要で、20度以下では本体の芽は成長しますが花芽がなかなか付きません。一番好む温度は20度~25度のようです。

20度を越えると盛んに着花して大きくなります。面白い事に一度20度を越えて花芽ができてるとその後また温度が下がっても15度以下にならない限り花は成長を続けますが、一時的にでも15度以下になると花芽は黄色くなり落ちてしまいます。

ただ真夏の30度以上の環境では花芽があまり付きません。数年栽培していてわかったのですが、あまり果実が多くなると花芽が着き難くなるようです。

またこの落花原因には水不足もあります。
したがって5月、6月、7月初旬が開花に適しています。

 開花に適しているのは丁度6月の今だということだが、朝方の気温は12度がやっと。やっぱり他を考えるしかなさそうだ。で、ゴーヤはどうかというと、畑で作っているお婆様から昨年頂いたくらいだ、多分、私でもできるとは思う。紫色のパッションフルーツとは大違いなゴーヤかあ。うーむ。
 そもそも、パッションフルーツのあの花が素敵だ。鉄線の花が終わった後のような感じがなんともエキゾチック。極東ブログの画像だけでもかなり見とれてしまったが、この土地では、ハウスで栽培する以外に育てる方法はなさそうだし全く残念だ。

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そう言えば、この間テレビの番組で紹介していたエコロニーの村が面白かった。フランスのエコロニーも結構有名だが(参照)、あの村とは違う、どこか外国の村だった。いろいろ紹介していたが、家を高温にしないための工夫の紹介もあった。それは、屋根の上に何かを栽培する光景だった。特別な感じはしなかったが、参考までにその考え方は、家の温度上昇を避け、景観の点と鳥などの生き物の休憩場所になると話していた。この話で思い出したのが、屋根をすっぽり被せる工法がある。実際にこの工事をした人の話によると、東京の真夏でクーラー無しで過ごせたそうだ(参照)。いろいろ思うが、エコの運動家になる必要はなくて、日ごろ心がけていればそれなりのエコ生活が実践できるともいえる事だなと思った。
 東電も四苦八苦の日々のようだし、誰を叩いても電力供給が増えるわけでもない。これからの日本の夏や冬は今までどおりというわけには行かなくなると思う。必要に迫られてではあるが、経済性や合理性を加味した暮らし方が重要になると思った。それも、熱中症などは、命に関わる問題ともなりやすい。
 今回、極東ブログでグリーンカーテンの話しが出たことで、夏を涼しく過ごすための暮らしを考えるよいきっかけになった。早速、温度調節のことを再考してみようと思っている。

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2011-06-17

最近の小麦粉事情-パスタの耳寄りな話をニ、三

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アーリオ オーリオのつくり方
明日も食べたいパスタ読本
片岡 護

 パスタの話しが面白い。ご飯は嫌いじゃないけど、パンとパスタも同じくらいの比率で食べている私なので、ご飯を炊くのと同じように殆ど手作りしている。ここでも今までかなりうるさいことを書いてきたなと振り返るが、極東ブログ「世界中みんな大好きスパゲッティー」(参照)の中で紹介されている「アーリオオーリオのつくり方(片岡護)」はノーチェックだった。早速注文したが、おそらくこの手の本は大好きだと思う。読む前から分かったようなことを言うのもおかしいかもしれないが、スパゲッティー・アーリオ・オーリオの話で一冊本が書けちゃうあたりの感覚はかなりのもの。どれ程パスタを愛しているか、どれだけ美味しく仕上げるのか、そんでもってこの著者がどんだけ幸せ者かが分かる。そういう幸せ者の恩恵に預かれるために本一冊でいいんですかい、というくらいきっとお得感の余韻に浸れるのは間違いない。
 ついでに言うと、いわゆるレシピ本よりも、たった一つでもいいから食べる幸せというのはこういうものだよという味わいが残るような本が読みたいと思う。「このおいしさを知るのが人生の楽しみだよ」みたいなものが味わえるような本だ。自分が本を書きたいと思った時、この片岡氏の取り掛かりが正にそれだと思った。目の前に本があるわけでもないけど、スパゲッティーの旨さってこれなんだよねぇという声が聞こえてくるような気がした。因みに私がここで紹介したスパゲッティー・アーリオ・オーリオ・ぺペロンチーノはこちら☞。牡蠣をオリーブオイルに漬け込んだ時のオイルを使ったレシピで牡蠣風味の大変美味しいパスタ。とてもお勧め。
 エントリー中でリンクされているBBC記事は私もTwitterで知って読んだが、とても気になるのが小麦粉とトウモロコシの高騰だ。先日もTwitterでクリップした記事があるが、数時間前にも最新で高騰を伝える記事が挙がっていた(参照)。高騰の原因はいくつかあるようだ。天候不順の影響がじんわりと効いて来ている点と、新興国の小麦粉需要の伸びに対して供給が間に合わなくなってきている上、買い占めのためのマネー投機などが主な原因らしい。昨年から今年にかけてチュニジアやエジプトに始まった中東、北アフリカの反政府運動の元の原因でもあった。エジプトはパンが主食であるため、小麦粉が入手できなくなると奪い合いが始まる。パンの代わりにパスタやお米というわけには行かない国だ。世界中で愛されているパスタだが、今ほど食べられなくなるかもしれないと思うとがっかりだ。

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 と、嘆くなかれ。極東ブログの今回のエントリーが普通じゃない理由がこれだ。最後のモノクロの画像にその優しさが込められている。なんと言うか、こう気持ちがちょっと沈んだ時などは嬉しい。
 こっそりとスパゲッティーの自家栽培の情報だ。油断も隙もあったものじゃない、1957年4月1日の画像がよく見つかったね、とそのことをまず誉めたい。そして、女性が丁寧に丁寧に扱っている長く白っぽいのは、私が畑で作る長インゲンと最初、間違ってしまった(参照)。あの丁寧な収穫作業から推測するに、そばやパスタを手打ちで作った時の仕草とそっくりであることから、きっと実の組織が縦長のため、横からの衝撃には弱いからではないだろうか。だから、大きな鍋で折れないように茹でるのではないだろうか。パスタの木があるなら、じゃー育ててみようか。いや、なんでこんなに素晴らしい木があるのに皆育てないの?ずるいジャマイカ!
 このように紹介されている。

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 収穫の映像参照はなかなか興味深いものである。

 フットワークの良い私だ、早速「パスタの木」で検索してみたら、あった!育て方は意外に簡単だった。視聴者からの質問にBBCが回答している方法がベストみたいだ。(参照 

                   ∧∧∩
                   ( ゚∀゚ )/
             ハ_ハ   ⊂   ノ    ハ_ハ
           ('(゚∀゚ ∩   (つ ノ   ∩ ゚∀゚)')
       ハ_ハ   ヽ  〈    (ノ    〉  /     ハ_ハ
      ('(゚∀゚∩   ヽヽ_)        (_ノ ノ   ∩ ゚∀゚)')
     O,_  〈                      〉  ,_O
       `ヽ_)                     (_/ ´
   ハ_ハ           キタ――――!           ハ_ハ
⊂(゚∀゚⊂⌒`⊃                        ⊂´⌒⊃゚∀゚)⊃

 

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2011-06-16

清子の態度から雑感-「続明暗」(水村美苗)より

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続明暗
水村美苗

 昨日の朝、早い時間に「続明暗」(水村美苗)が届き、読み始めてから途中少し中断はしたものの午後、読みきってしまった。噂の通り素晴らしい。漱石の筆致に似せて書いてあるというのは重々承知で読んでいるにも関わらず、いつの間にかそれを忘れて引き込まれてしまった。そして、読後に残る余韻は、漱石の書いた未完に終わったあの「明暗」の余韻とまるで同じで、伏線が蘇ってきたことだった。筋書きを変えられているというような違和感が残らない理由に、新たなテーマを設けたり、粗筋が大きく変わったということもないからだろうか。「明暗」に登場した人物の関わりを上手くつなげて伏線の部分の風通しがよくなったという印象を持った。が、これがあの答えか、と言った感動や驚きのようなものではなく、読後もじんわりと辿っている余韻があり、もう一度伏線部分を読み返してみようという不思議な気持ちが湧いている。探究心とでもいったらよいだろうか。描かれている人物像をもっとはっきりしたものにしたいと言う欲望が旺盛になる。その人物の奥にある、漱石が伝えたいものをもっとはっきり見たいという欲望である。
 続では、主人公である津田由雄描写が薄いというか、漱石自身が書いているものではなかったなと時々思い出す程度だったが、「あとがき」を読むと、筋の展開に気を置くため心理描写を少なくしたという意図があったようだ。全て仕組まれたのかと思うと素晴らしい作品としか言いようがない。
 「明暗」の伏線から読むようなことになるが、津田が結婚前にあっさり捨てられてしまった清子の言動がなんとも気になる。ストーリー全体から結末を読むよりも、プロローグとして清子を視点に抜き出してみた。

 ***

 津田は、痔の手術後、流産した後温泉で湯治をしているかつての恋人清子に会いに行った。廊下でばったり彼女に会った時のやり取りから大きく変化が起こっている。
 清子は、津田が故意に待ち伏せしていたと思い込み、これは津田にとっては心外なことだった。抗議した津田に
「理由はなんでもないのよ。ただ貴方はそういう事をなさる方なのよ
と言い捨てている。この言葉の奥には、津田に対して何かの固定的な思い込みがあり、これは、津田のかつての清子とは違うという評価につながっている。さらに、前夜、廊下でばったり会った時の清子の驚きようとは打って変わって翌朝は、落ち着いてしまっている。これは更なる疑問となり、津田の次の質問へと展開している。
「昨夕そんなに驚いた貴方が、今朝は又どうしてそんなに平気でいられるんでしょう」
これに対して清子は、
「心理作用なんてむずかしいものは私にも解らないわ。ただ昨夕はああで、今朝はこうなの。それだけよ」と、そっけなくあしらうように答えている清子も、津田が知っているかつての清子とは違う。
 また、津田の疑問に答えようともしない清子の態度から、津田にどう思われても動じていないというきっぱりとした拒絶的な態度を感じさせている。津田との再開は、あってはならない事だったということをここで強く印象付け、津田を避ける意味がこのそっけなさにはあった。
 この態度から、突然津田の前から理由も言わずに姿を消した清子の謎の部分は、再開した今もその理由が存在することを意味をしている。つまり、津田が一番知りたい「捨てられた」理由は、昔の出来事ではなく、再開した今もなお拒絶される理由として生きているということが伏線になっている。これが清子の夫である関と深く関係していることを思わせる清子の言葉は、
「宅から電報がくれば、今日にでも帰らなくっちゃならないわ」
「清子はこう云って微笑した。津田はその意味を一人で説明しようと試みながら自分の部屋に帰った。」と、続き、さらに何が隠されているのか、意味深な言葉となっている。
 清子が関と結婚した経緯はちょっと複雑で、傾きかけていた清子の実家に取り入って援助と引き換えに清子の歓心を買い、津田の知らない裏側で清子には津田を軽蔑させるような噂話を吹き込むという下準備が整っていた。単純な清子は関の言うことを真に受けてしまった。つまり騙されてしまった。だから、「ただ貴方はそういう事をなさる方なのよ」と温泉で翌朝、津田に吐き捨てた言葉につながる。
 この経緯を他所で聞いて知っている小林は、関と津田の共通の知人で、小林の口からこの大芝居が清子や津田にバレては困ると関は思っている。それが理由で関は清子に、津田との再会を禁じている。これが、清子が津田に偶然会った時、蒼白になるほど驚いた理由だった。
 清子が関のこういった策略によって奪い取られたことを知った時、かつての清子ではなくなっている事にも気づき、それまでの清子への未練の意味がなくなった。
 そういう清子と関の夫婦関係も良いとは言えない。関の金策に奔走する状態を助けるような器量もない清子は、どちらかと言うと関には邪魔になっていたと思われる。清子の口をついてでてきた言葉、
「閑暇な人は、まるで生きていられないのと同なじ事ね」は津田に向けられたが、清子自身がそうだったからだと思う。知人を裏切ってまで手に入れた女が役立たずだったという思いを関は持つようになり、夫婦関係も上手く行かない結果となる。そこで流産が決定的であることと、この流産の原因が、性病の影響であるなら、ともすると二度と子どもが生めないということにもなる。
 津田はこのことを小林との話で知る事になるが、「どうしてあの女は彼所(あすこ)へ嫁に行ったのだろう」という津田の疑問に、一つの答えとして最終段階で結んでいる。
 ここまで追ってみて、彼らの結婚は何だったのだろうかという疑問を思わずにいられなくなった。愛することと表裏一体にあると思っていたはずの嫉妬の欠片もない。嫉妬などとは醜いものだと今まで思ってきた部分があり、それは薄汚いものとして嫌悪したくらいだったが、嫉妬心も併せ持たないような愛がここに描かれているのかと思うと、私の愛に対する観念的な見方を疑った。一体これは何だろうか。
 極東ブログに「明暗のテーマは、人間の深淵を描いているようでいて、実は、人の美醜が必然的にもたらす愛憎というものの、その機械性が孕む悲劇を描いているのではないかと思っている。」(参照)とあるが、美醜とは、美しく醜いと書く。確かに、この言葉は言い当てていると思った。それを登場させている人物のいたるところに配置し、人の愛憎を巧みに引き出して見せ付けてくれたと言える。なんとなく途中のような気もするが、今日はここまで。

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2011-06-15

「続明暗」(水村美苗)が楽しみな件

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続明暗
水村美苗

 極東ブログで「続明暗」(水村美苗)の紹介があった(参照)。勿論、速攻で注文したが、自分としてはかなり焦り気味でAmazonにアクセスした。理由は、極東ブログで紹介された本は、直ぐに在庫が尽きてしまうからだ。時々買えなくなるのと、漱石の「明暗」の続編と思ったら買いに走る人が殺到するのではないかと想像したからだ。案の定、在庫は二冊だった(中古はまだあるみたいだ)。
 実は「続明暗」のことは知らなかった。何故こんな不手際が生じたのかと出版時期を見たら、連載されていた頃も重ねて、私の人生で一番忙しい時期であった。この頃は、読書は愚か、新聞に目を通すような時間も惜しまれた忙しい日々だった。前にも書いたが、私の読書暦は長いが、子育て時期がすっぽり抜けてしまっている。ついでに音楽や創作活動からもだが、遅ればせながら、今頃その穴埋めのようなことを始めているといえばそんな感じかもしれない。
 「明暗」を再読していて感じたのは、昔読んだ「明暗」はそれなりで、今読んでもそれなりだが、登場する人物の心の機微のようなものは、私が歳を食った分なりの解釈になったと思う。先日買ったiPadを使って、「i文庫」というアプリケーションに「青空文庫」から取り込んで読んだ。「大辞泉」という辞書の、これもまたアプリケーションが連動するので読みながら指一本で字引が使えるのが嬉しい。昔の漢字や語句の意味など、細かく調べながら読むことができたのも解読には役立ったと思う。
 「明暗」は、朝日新聞に当時連載物として発表されたが、途中で漱石が病没となり終わっている。未完のままでよいと言えばそうだし、他人が続編を書いたものに何の価値があるかくらいに思ったのが正直なところだが、「明暗」の続きというと外せない魅惑がある。それは、小説というコンパクトな枠の中で登場させる人物像と、その人間関係を巧みな心理描写使って描かれているのことだろうか。一種の覗き見的な魅力がある。小さな穴から見るというではなく、見えているようで見えない。答えであるようでそうでないもどかしさが残るのがまたいい。
 さて、「続明暗」が届く前に「明暗」について少し整理しておくことにした。

 主人公の津田由雄は、勤め先の社長の仲介で半年前にお延(おのぶ)と結婚したが、恋愛結婚にもかかわらずなんとなくぎくしゃくした生活が続いている。お延は、津田から愛されているという実感が持てないため、その愛を得るために巧みに奮闘するが、津田は薄気味悪くも感じていた。津田は大痔主で、この治療のために病院に入院することになる。
 お延との結婚前、清子という女性と交際していたが、結婚直前に清子に逃げられてしまう。おそらく、自尊心が許さなかったのだろう、清子が自分から去った事をいつまでも引きずった。小説の終盤でその清子に再会することになるが、自分からではなく上司の妻、吉川夫人の策略に乗ってしまったからだった。

 お延は、恋愛の末に選んだ夫津田から愛されなければならないという変な意思が強く、その愛は、自分にだけに向けられる絶対的なものでなければならないと信じている。津田に対しては至れり尽くせりの親切心を寄せ、良妻を徹底追及するが、津田が存外にそっけなく、身勝手な夫だと不満を持っている。

 津田が痔の手術で入院中、現れた上司の妻吉川夫人は、かつて津田に清子を紹介した人物で、清子が流産したことを知らせる。湯治している先に会いに行くように勧める。

 この先の肝の部分が気がかりでならなかったが、極東ブログにそこの部分がポロリと抜き出してあるではないか。もう・・・。こんな風。

 続編に漂う底知れぬ悪意の表出はすばらしかった。なるほど吉川夫人と清子はこのように決着を付けるほかはあるまいと納得するほどの鬼気が漂っていた。が、多少筆者も照れを感じてはいるあたりが知的偽物らしい骨頂といえるものだった。まあ、よい。
 まいったと思ったのは、関という男への度胸のよい解読である。漱石の明暗にある次の伏線に当たるものだ。当世でいえば泌尿器科であろうか、その薄暗い控え室で由雄は妹の夫と級友に出会ったことの回想である。

 この陰気な一群の人々は、ほとんど例外なしに似たり寄ったりの過去をもっているものばかりであった。彼らはこうして暗い控室の中で、静かに自分の順番の来るのを待っている間に、むしろ華やかに彩られたその過去の断片のために、急に黒い影を投げかけられるのである。そうして明るい所へ眼を向ける勇気がないので、じっとその黒い影の中に立ち竦むようにして閉じ籠っているのである。
 津田は長椅子の肱掛に腕を載せて手を額にあてた。彼は黙祷を神に捧げるようなこの姿勢のもとに、彼が去年の暮以来この医者の家で思いがけなく会った二人の男の事を考えた。
 その一人は事実彼の妹婿にほかならなかった。この暗い室の中で突然彼の姿を認めた時、津田は吃驚した。そんな事に対して比較的無頓着な相手も、津田の驚ろき方が反響したために、ちょっと挨拶に窮したらしかった。
 他の一人は友達であった。これは津田が自分と同性質の病気に罹っているものと思い込んで、向うから平気に声をかけた。彼らはその時二人いっしょに医者の門を出て、晩飯を食いながら、性と愛という問題についてむずかしい議論をした。
 妹婿の事は一時の驚ろきだけで、大した影響もなく済んだが、それぎりで後のなさそうに思えた友達と彼との間には、その後異常な結果が生れた。

 妹・秀子の夫については、それが秀子という人間の素性を暴露する背景として悲喜劇に描くのはよいとして、「友達」は大きな伏線である。「その後異常な結果が生れた」とは、つまり、彼が関であった。清子が由雄を捨てて得た夫である。
 そこまで読んでよいのかということにためらいがあったが無理な読みではない。由雄を捨てた清子の男は花柳病であった。淋病だろう。続ではこの伏線を大きい線で描いた。清子の流産もそのせいであろうと見ている。
 おそらくそうであろう。続ではそれ以上踏み込んでいないが、由雄とお延の結婚の半年という期間は、清子の流産までの時間を指してもいるのだろう。清子と関の肉体関係の悪魔的なクロノロジーであろう。清子は生理が途絶えたときに由雄を捨てたのではないか。だがそこまでは続も展開しない。

 ああ、ここまでみせちゃっているぅと、わくわくするのはおそらく誰もがそう思うのだろう。「友達」作戦かあ。これが伏線の鍵だったのかと思うと、漱石は他にもいろいろと隠しているような気がした。読ませるなあと感嘆しつつ、続が届くのが待ち遠しくなった。
 余談だが、今頃の人は淋病と聞くとエイズや梅毒と同等に驚くみたいだが、母からその昔聞いた話が面白い。母が会社の事務員をしていた頃(昭和25年くらいだろう か)、男性社員一人一人宛てに「売春宿」から請求書が届いたそうだ。まるで定食屋のツケ払いのように。その請求額を、給料から天引きして支払うのを当たり 前にしていた時代があったと聞いた。淋病もその付属的なこととして、憚りもなく病院で治療を受けていたらしい。それを聞いた時「え‶っ、お父さんも?」とうっかり聞いた事にバツ悪く思った私だった。

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2011-06-14

中国が執拗に南シナ海領有権を主張する背景について雑感

 南シナ海に浮かぶ島々の領有権を主張する中国と、ベトナム・フィリピンなどとの緊張がますます高まっているようだ。この騒ぎが目立ち始めた5月下旬、「中国・ASEAN諸国の南シナ海領有権問題と日米の関わりについて」(参照)でも触れたが、尖閣諸島の領有権を主張して嫌がらせを受けた日本でもあり、まんざら他人事ではないしと記事を拾ったが、領有権を主張する中国の目的は分からず、その後も注視していた。その後、アメリカがベトナムやフィリピンに協力的な姿勢を示した状況も出てきたため「緊張状態が続く南シナ海の背景-アメリカは漁夫の利を得るんジャマイカ」(参照)でそのことに触れたが、依然、中国のこの一連の主張の理由やその背景が具体的につかめないままだった。中国の台頭振りを見ていれば資源確保だとは大方の察しはつくが、具体的にそれを報じる記事に乏しく、なんとなく書き損なってしまった。小刻みに続くことになるが、これまでにわかってきた状況を備忘的に抑えておくことにした。
 昨夜の産経記事「南シナ海領有権争い 中国の狙いは資源独占」(参照)は、資源に言及した具体的な内容だと思った。

【北京=川越一】中国が周辺諸国と南沙諸島などの領有権を争う南シナ海で13日、ベトナム海軍が実弾演習を強行したことで、中国がさらに、ベトナムに対する妨害行為をエスカレートさせる可能性がある。
ベトナムが、中国漁船による探査船への妨害行為について中国に強く抗議した9日、中国外務省の洪磊報道官は「ベトナムは中国の南沙諸島で違法に石油・天然ガスの探査を行い、中国漁船を追い払うなど、中国の主権と海洋権益を著しく侵犯した」との談話を発表し、一歩も引かない姿勢を鮮明にした。

 中国のこの談話の内容が本当であれば、「石油・天然ガス」に対して敏感になっているということが窺える。
 また、ベトナム海軍の実弾演習を強行した背景として、市民の大きな反発が国内で起きているようだ。一昨日のNHKニュースが少しこれに触れて報じている(参照

 ベトナムと中国は、南シナ海の南沙諸島や西沙諸島の領有権を巡って対立が続いていますが、先月末からの2週間では、ベトナムの漁船や国営石油会社の探査船の活動が中国の船に妨害される事件が相次ぎ、中国との緊張が高まっています。こうした事態を受けて、ベトナムの首都ハノイの中国大使館の前には、12日午前、市民らおよそ150人が集まって抗議デモを行い、南沙諸島と西沙諸島はベトナムの領土だと訴えるとともに、「中国は口では平和と言うが、実際の行動は暴力だ」などと書かれたプラカードを掲げ、中国の対応を非難しました。このほか、南部のホーチミンでもおよそ300人が抗議デモを行いました。

 中国政府は、こうしたベトナムの抗議などに対して一歩も引く様子がない。

 中国の国際情報紙、環球時報(英語版)は、ベトナムの実弾演習を「中国に公然と反抗するための軍事力の誇示」と非難。中国が威嚇発砲など“力ずく”の対抗措置をとることも考えられる。

 こういった状況から、実戦が始まるのではないかという懸念を持ったが、その理由に、先の資源確保が相当に緊迫状態だという点がある。今頃になって結びつくのだが、中国内モンゴルで地元政府に抗議するデモが起きている(参照)。このデモの背景は、モンゴル遊牧民の事故死がきっかけで地元政府への抗議デモが起きたとしているが、内モンゴルでこのような抗議デモは珍しいことだと思っていた。この時点では、何に対する「講義」かが不明で、私もそこは読めなかったが、デモの鎮静化を伝える記事で概要が見えてきた。時事ドットコムは、環球時報の社説を引いて次のように伝えている(参照

【北京時事】中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報は31日、内モンゴル自治区で少数民族のモンゴル族住民らによる抗議デモが起きたことに関し、「事態は沈静化に向かっている」と伝える社説を掲載した。漢族住民との民族対立ではないと強調している。
自治区内では先週末以降、大規模なデモによる混乱は伝えられていない。しかし、治安当局は警戒を緩めていない。
デモは、地元政府の進める鉱山開発が草原破壊を招き、恩恵も少ないことへの積年の不満が背景にある。社説も「モンゴル族住民の一部が、鉱山採掘の影響をはじめ工業化の波を前に不安を抱いていることは理解できる」と認めた。

 モンゴルの壮大な土地が資源をふんだんに有していることは昔から注目されているが、中国国土は中国政府の所有であるし、住民がとやかく言えるものはない。それが理由で不満だけが鬱積し、何かの弾みやきっかけで一気に噴出すのではないかと思う。
 モンゴルと言えば、ロシアを相手に紛争戦を繰り広げる中、日本の商機がやってきたと日経が報じている(参照)。

 モンゴルの豊富な埋蔵資源を巡り、中国、ロシア、日本の企業が激しい争奪戦を繰り広げている。中国企業の買い占めによる“経済支配”を避けたいモンゴルは、鉱山開発プロジェクトに日本の大手商社を加えることで抑止力の役目を期待する。日本勢もレアアースの確保や鉄鋼用石炭の「脱豪州依存」を図るうえでモンゴルを最重要拠点と位置付ける。綱引きの結果次第で“脇役”の日本勢に思わぬ商機が訪れる可能性もある。

 ここに日本が「抑止力」として歓待されるとは思わなかっただけに驚いた。そもそも、ロシアの進出が目覚しく、「ロシア大統領 モンゴルとの経済貿易協力を協議」(参照)記事がTwitterで話題になっていた。「モンゴルは気をつけとかないとロシアに資源しゃぶりつくされるよ」と冗談とも言えないような話をしてた。そこに中国もだろと、突っ込みを入れたのは私だったが、中国内モンゴルの資源問題が既に浮上していたからだ。
 このように、中国が資源を求めて彷徨う姿は先月から急激になってきている。だからベトナムには一歩も引かない理由とも限らない。前にも触れたことだが、ベトナム戦争でアメリカに勝利した自信の程は今も変わらないだろうか。というのは、ベトナム戦争の直後に中国と一戦交えて勝利した経緯がある。日本ではこの戦争は、「中越戦争」と呼ばれている。簡単に言うと、中国とカンボジアが友好国であった当時、ベトナムが侵攻してカンボジアを占領したが、同時にポルポト政権が行っていた虐殺行為をやめさせるとこにもなった。中国は、友好国であるカンボジアに酷いことをしてくれたと、ベトナムにお灸をすえるため「懲罰」として侵攻を開始したが、ベトナム戦争直後のベトナムは戦力も戦闘意欲も衰えることなく、一ヶ月ほどで勝利して終わった。
 その後も中国とベトナムは小さな衝突を繰り返してきているが、現在の中国は、資源確保の目的でベトナムの主張する領有権を実力行使で奪い取ろうと躍起になっているのかもしれない。火種は十分あり、実戦が始まってもおかしくない現状ともいえるのではないだろうか。
 また、8・9日の両日、計11隻の中国海軍艦艇が次々に沖縄本島と宮古島の間を通過したことを北沢防衛相が報じたが(参照)、この直後に中国国防部から、「今月行う予定の定期訓練」だと説明があったようだ(参照)。
 このような争いから連想するのは、日本の尖閣諸島沖問題だが、政権交代した直後に中国がその感触を確かめたのかと思ったりもしたが。当時、中国でも民主化のデモなどが起こり、国内が不安定だったため、政府は、中国国民にその権力を誇示する必要があったと思われる。そのために、日本政府の「柳腰政府」が利用され、中国漁師を英雄に仕立て上げるシナリオが用意されたとも言えた。それに上手く乗せられた日本政府は、まず海保のビデオを公開することを躊躇い、国民から反発を受けた。これが、民主政権がぼろぼろになる始まりまでもあった。
 「sengoku38」(=仙谷さんパー)のハンドルネームでYoutubeにビデオが暴露されたり(極東ブログ参照)、その調査上で政府の隠蔽や馬淵氏の大嘘発覚、仙谷元官房長官の失言による国語力、前原元外相の勇み足、G20での胡錦濤国家主席との会談ではメモを棒読みする菅総理の小さな肩。これらが更なる不安材料となるのは御免だと思ったが、外交で実質的に進めているのは政府ではなく、担当の外交官僚であるのかもしれない。自民党時代はどうか分からないが、少なくとも政権交代後の民主党の舞台裏をWikileaksで知る限り、無政府状態だったことがはっきりした。官僚がどのように動くかなどはあまり掴めないが、気を置くことにしようと思う。

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2011-06-13

IMFが日本に増税を迫る理由について雑感

 率直に言って、こんなおかしな話が何故あるのかと昨年に続いてむっとしたのが読売の「日本は来年度、消費税7~8%に…IMFが提言」(読売)記事だった。この記事は10日なので、先週の金曜日とあってあまりホットな話題とも思えないが、IMFが何故こんな内政干渉のような非常識なことを提案するのかとむっときたので調べてみた。そもそも、被災、デフレ原発事故と事態の悪い状態での消費税増税は、経済効果は望めないのもある。記事では「異例」とあるが、昨年の今頃ももっと大きな数字で増税を提案してきていた記憶があったので、「恒例」とも言いたい。
 記事に入る前に抑えておきたい点として国際通貨基金(IMF)は一体何をする機関かだが、国際金融の見張り役であり救済機関として世界で最も影響力のある国連の専門機関と言われている(参照)。参加国からの出資金を財源に、必要に応じて参加国に資金運用をしている。
 読売記事に戻ると、「国際通貨基金(IMF)が日本への財政再建圧力を強めている。」と、リードにあるが、これでは日本がまるで借金返済の不履行でもしていて、お目付け役から睨まれているみたいじゃないのと骨髄反射した。何を隠そう今年2月、横浜で行われたG20で、アメリカについで第二位の出資国に決まったばかりだ。IMFに出資している側であって、利息を請求でいるというのなら話は分かるが、消費税増税とは驚いた。以下にその理由が述べられている。

IMFが8日発表した声明では、現在5%の消費税率を2012年度から7~8%に引き上げる案を示した。国際機関が日本の税制に対し、増税時期と内容まで詳しく特定して提言するのは異例だ。
巨額の財政赤字を膨らませてきた日本が、これまで国際的な信認を保ってきた背景には、世界で最低水準にある消費税率の「引き上げ余地の大きさ」がある。IMFの踏み込んだ提言の裏には、政治の指導力の欠如で税率引き上げの実現が遠のけば、日本国債の信用不安が急速に高まるなど、国際社会にとっても不測の事態に陥りかねないという強い危機感がある。
経済協力開発機構(OECD)も、4月の「対日経済審査報告書」で、「公的債務残高は国内総生産(GDP)比で200%といった未知の領域にまで急速に増加している」と懸念を表明。「消費税率は20%相当まで引き上げることが求められるかもしれない」と指摘した。
(2011年6月11日21時02分  読売新聞)

 この記事がおかしいのか、IMFがおかしいのか、堂々と経済的ナンセンスが書かれていると思う。僭越ながらちょっと指摘させてもらう。
 まず、冒頭でも書いたが、「異例」ではない。2010年7月、朝日記事の「日本の消費税15%をIMF提言 来年度から段階的に」でも伝えている。

【ワシントン=尾形聡彦】国際通貨基金(IMF)は14日、日本に対する2010年の年次審査で、来年度から消費税率を引き上げるべきだと提言した。ギリシャなど欧州の財政危機問題が、財政状態が飛び抜けて悪い日本へも及ぶ危険があるとみているためだ。ただ、消費増税の必要性を強く打ち出す姿勢は、日本の財務省の主張をなぞっているような側面も目立つ。
10年版の年次審査で、IMFは「最近の欧州の混乱は、政府債務リスクへの日本の脆弱(ぜいじゃく)性を高めている」と指摘した。世界の投資家の間で、主要国の財政の持続可能性への関心が高まるなか、債務残高が国内総生産の約2倍に達し、主要国の中で最悪の日本の財政状態への不信感が高まりかねないという危機感が背景にある。
 6月末のカナダでのG20サミットでは、先進国が2013年までに財政赤字を半減することを合意したなかで、日本だけは例外扱いとなった。日本の公的債務の95%が国内で保有されているという特殊性はあるとはいえ、日本の財政の悪さは際だっている。
 IMFは、11年度から消費税増税に着手する必要性を強調。現在5%の消費税を、10年程度かけて15%まで引き上げる案を軸に、14%~22%まで税率を上げる選択肢を示した。

 昨年は、今年の倍以上である14%~22%の税率引き上げを提案されている。べらぼうな数字で呆れたが、この尾形記者は「財務省の主張をなぞっているような側面も目立つ」とわざわざ際立たせているんじゃないかと気に入った。
 もう一点のナンセンスな部分については、先の読売記事が「日本国債の信用不安が急速に高まる」をまるで昨年の朝日記事がフォローするように「日本の公的債務の95%が国内で保有されているという特殊性」であることは、外国に迷惑をかけて国債が膨らんでいるわけではない。ギリシャやアイルランドなどの破綻とは内容が違う点だ。にもかかわらず、IMFは相も変わらず昨年と同じ理由で日本に増税しろと提案していることが見て取れる。
 もう一点難癖をつけると、先の読売記事は、財政赤字を膨らませてきた日本が信認を得てきたのは、消費税の引き上げ幅があるからだと変な理屈を言っている(太字部分)。が、普通に考えても、貸す側が借主への信用を言う時に何を指すかといえば、大きな資金超過や債務不履行の危険性があるかどうかだ。消費税率の高低をIMFが本当に言ったのだろうかと疑念を持った記事だ。もしかしたら記者の脚色ではないかと疑わしい。
 最後に、朝日の尾形記者が財務省に触れているが(太字部分)、調べてみると、IMFには日本人スタッフが40名ほどいるそうだ。2000人からのスタッフに僅か40名ではあるが、財務省の篠原尚之財務官の副専務理事の椅子に座っている。これは専務理事に続くポストだ。尾形記者の示唆にしたがって、官僚が怪しいので調べてみた。
 この篠原氏は、自民党政権当時の故中川元財務大臣に付き添って2009年2月、スペインで行われたG7に白川日銀総裁と共に同行した人物だ。彼がIMFの理事に抜擢されたのは2009年10月7日で、中川氏が変死した頃と時期が重なる。中川氏の朦朧会見時、向かって左側、中川大臣を挟んで白川氏の反対側に座っていた人物だ。亡くなった中川氏に忌服して画像は控えたが、この会見は、世界に日本の恥を晒したと非難されたのは言うまでもないが、両端の二人が中川氏の異常な状態に動じることなく、冷淡に傍観し放置したのは誰の目にも不自然に映ったと思う。問題は中川氏に向けられたが、中川下ろしを目論んでいた黒幕官僚ではないかと今頃気づいた次第だ。誤解なきよう書き添えるが官僚叩きをしているわけではない。官僚あっての日本と思う部分が多いので、ある意味感謝はしているが、やることが薄汚いと言いたい。
 さて、IMFが消費税増税を性懲りもなく言って来る背後の黒幕は篠原氏だとして、彼にも転機が訪れるのではないかという気がする。ここで強姦未遂でお縄となったストロスカーンIMF専務理事の後任人事と、副専務理事の選出が話題になっている。
 フランスのラガルド仏財務相が立候補しているそうだが、早くも彼女は票を取り付けようと親興国めぐりを始め、中国では、エコノミストでIMFの特任顧問を務める朱民を副専務理事に抜擢したらどうかなどという話しが浮上しているそうだ。憶測の話でどうなるか分からないことだが、Newsweek「IMFスキャンダルで中国に漁夫の利」で取り上げている(参照)。もしもこの話しがこのまま進むとすれば、はじき出されて当然なのは副専務理事の篠原氏ということになるのではないかと推測する。
 が、変な話、中国は為替操作の名人であるし、そんなと言っては失礼に当たるだろうかな中国をIMFのトップ3に座らせるかなぁという常識観も働く。

追記:
中川元財務大臣が亡くなった事を報じた記事☞「うゎ、中川さん」-finalventの日記

極東ブログでG7の背景にあった噂話☞「」(参照

 彼は今年2月14日、ローマ開催のG7財務大臣・中央銀行総裁会議終了後の記者会見で全世界に醜態を晒し、辞任となった。あの映像を見れば、このような人物に大国の財務を任せるわけにはいかないのは明白。辞任はしかたがないが、私はあの時、なぜ同席した人が機転を利かせなかったのかというのは多少疑問に思っていた。同席した日本銀行白川方明総裁や篠原尚之財務官にそれを求めるというものではないが、他にも中川氏の異常な事態を知っていた人はいただろうに。
 この話には陰謀論的なうわさ話があった。佯狂だというのである。リーマンショック以降の世界金融危機に際して日本に求められる無理難題(日本が巨額資金を提供する基金設立)をはねのける大芝居だというのだ。甲斐は死んでも、樅は残った。これでお家はご安泰。懐かしい昭和のテレビドラマを思い出した。が、与太話であろう。

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2011-06-12

「人災」について

 今日、一つ前のエントリー「原発のこれからを考えてみるに」(参照 )で、「人災」という言葉を不用意に使ったなと反省した。その場で訂正して追記しても良いとは思ったが、この言葉はしばしば問題になるのでじっくり考えてみた。また、この言葉をどのように使ったか後で分かるようにそのまま残すことにした。
 まず、「人災」という言葉に何故拘るかだが、この言葉がでてくるときは必ず、人の過失や故意によるものかが結果として問われてしまう点がある。人は故意にも不本意にも過ちは犯すもので、その判定には、私法や刑法で係争しなくてはならなくなることがある。そうなると話しがずりっと本題からずれてしまうことがよくある。人災だと発したお陰で誰かを悪者にしなくてはならなくなる。それが個人の責任問題に発展すると、何が発端でその問題が浮上したのかさえどうでも良くなることがある。しかも、人災として問えるのかどうかも怪しいと思うようなことが最近目に付くようになった。これが主な理由だが、他人のことを言っているあんた、自分はどうなん?と、先ほどやっとこれが我が事になったような喜びを感じた。
まずきっかけとなった記事を読んでみて欲しい。

 【ロンドン=木村正人】1993~99年に国際原子力機関(IAEA)の事務次長を務めたスイスの原子力工学専門家ブルーノ・ペロード氏が産経新聞のインタビューに応じ、福島第1原子力発電所事故について「東京電力は少なくとも20年前に電源や水源の多様化、原子炉格納容器と建屋の強化、水素爆発を防ぐための水素再結合器の設置などを助言されていたのに耳を貸さなかった」と述べ、「天災というより東電が招いた人災だ」と批判した。
 日本政府は7日、事故に関する調査報告書をIAEAに提出、防止策の強化を列挙したが、氏の証言で主要な防止策は20年前に指摘されていたことが判明し、東電の不作為が改めて浮き彫りになった。
 氏は「事故後の対応より事故前に東電が対策を怠ってきたことが深刻だ」と述べ、福島第1原発が運転していた米ゼネラル・エレクトリック(GE)製の沸騰水型原子炉マーク1型については、1970年代から水素ガス爆発の危険性が議論されていたと指摘した。

 Twitterのクリップ記事「IAEA元事務次長「防止策、東電20年間放置 人災だ」(参照)である。タイトルが正に「人災」とあるが、これに釣られたんじゃないし、「元事務次長」という肩書きで言葉の重みを感じたわけでもない。単純に「人災」と書いてあったからそのまま倫理問題に結びつけただけだったが「倫理問題?」と聞かれてハッと考え出した。これで分かるとおり、いとも簡単に言葉を乱用している自分がまずいた。そして、独り言は続いた。
 ここでベロード氏は在任中の20年前、東電に氏の正しいとする専門家としてのアドバイスを与えているが、それを東電が聞き入れなかったことが今回の原発事故を大きくしたと批判している。氏の助言は専門家であると共に、国際原子力安全委員会としての立場として、正しい在り方だったとも思う。こうなると一方的に東電が引き起こした「人災」と言われても仕方のないことだ。と、今までは終わりにしていた。だからダメだった。大人として企業人として、原発を扱う者として聞き入れて当たり前くらいに思っていたが、東電は実行しなかった。その理由は何だろうか。何かの理由があったのであればそれを出して議論すべきではないか。重ねて、隠蔽と言われてそこを問われ、議論の的が外れる前に私企業としての不都合があるならなあるで、全て議論に含めて考えるべきではないかと思う。見識者の助言を聞き入れられない理由があるなら、その場で相手と議論すべきではないのか。
 しなかった理由を想像するに、この助言を全て聞き入れると費用が嵩む。東電が海水注入を躊躇した理由を思えば、聞き入れなかった理由は察しはつくが、それをも議論に乗せて検討するべきではないだろうか、と言いたい。これは、日本人の悪い面で、議論せずに隠してしまう部分だ。ベロード氏が「人災」だと批判した背景に自身の保身というのもあるかもしれないが、それこそブーメラン発言ともなり兼ねない。私の理屈で言わせてもらうと、責任ある立場なら、東電が実行するまで見届けるくらいのプロ意識を持ったらどうかと思う。まあ、発言者にものの言い方を注文つけるものではないが。
などと考えているうちに、次のように思った。

「人災」と判定する前に物理的に検証し、科学的に回避する方法を探し出すことを怠らなければ人災にも成り得ない。今までこれがよく分からなかった。「ルサンチマン」が人間社会の歪みを一言で片付けてしまう嫌な印象ばかりがあったけど、そういう思い方自体がルサンチマンを引き起こしてる自分だな。

 深く反省した。
 因みに、「人災」を大辞泉で引いてみた。

じん・さい【人災】
人間の不注意や怠慢で起こる災害。水害・地震などで、十分な対策を講じておかなかったためにこうむる災害をいう。⇔天災

 辞書の解釈で言えばベロード氏の言うとおりだが、この問題は、徹底的に物理的に検証して科学の力をフルに応用すれば「人災」は回避でき、改善された分原発は安全性の向上が図れたのではないかと思えた。未然に防ぐことができれば、辞書から「人災」の文字が消えるかもしれないと思った。おっと、辞書から文字が消えることが世の中にとって良いことかどうかを論じているわけではなかったな。つい熱くなってしもうた。
 人災を問うより、技術の向上や改善を詰めていけば、人災を問うような必要性もなくなると言いたい。

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原発のこれからを考えてみるに

 原発の方向性はどうなるんだろうか、とぼんやり昨日も考えていた。核の扱いが現在の科学の力では手に負えないものとして葬られてしまうとは思えないが、各地で原発反対運動が展開されているようだ。私はというと、失敗から学ぶことで進化し続けられると思っている方が、やめようよという考えよりも少し勝っている。こんな時に、村上春樹さんのスピーチには些か呆気に取られた(参照)。読みたい方は全文が毎日に掲載されているので参照されると良いと思う。私はここに切り貼りするのを差し控えさせてもらうことにする。
 真っ向から「原発反対」を表明し、しかも原爆とごっちゃになっていたことだ。この発言に納得できたのは、春樹さんが団塊世代だということをすっかり忘れていて、指摘されて気づいた時だった。広島や長崎で受けたのは戦争被害としての原爆であったが、福島原発事故は人災とも言われる部分はあるにせよ、科学的な不十分さに加えて地震と津波という自然災害が同時に起きた災害ではなかったのか。嗚呼、何故春樹さんともあろうお方がこんなことを混同してしまうのか、とがっかりした。が、春樹さんの「思い」というのは理屈ではないし、否定できないものだと思った。発言内容の是非よりも、世代的には春樹さんと同じような思いを持ち続けてきた年配者が日本の人口の約三分の一を占めていることがもっと恐ろしいと思った。「思想の興隆」とは、良く言い当てていると思った所以だが、多数決の原理から原発は恐ろしいものだと信じられ、思想のようになり、やがて消える運命なのかもしれないと思った。私は、ポスト団塊で、しらけ世代とも言われているが、「鉄腕アトム」に象徴されるように、原発は夢の原子力だった。輝く未来を切り開くはずだった。昭和で急成長した日本はそれこそ姿を変えてしまったが、原発のお陰で今の暮らしがある。これを続けたいと切に願っているでもないが、科学の分野として原発が続くのを拒むでもない。こんな悲惨な状態の日本でこんな発言は袋叩きに会うかもしれないが、原発に反対ではない。ただし、今の政府や東電、学者の体制と同じような機構で続けることだけは反対だし、日本の科学レベルが世界水準かそれ以上のものを持つべきだと思っている。日本にそのレベルが要求できないのなら、せめて世界のスタンダードに倣うかそのレベルのブレーンを入れてもらいたい。
 日本の政府や東電の情報伝達の遅れや、間違った情報が流れるようなことを散々指摘されてきたこともあるが、役所の仕事に関わるとびっくりする事がある。それは、民間では信じられないような光景だった。
 例えば、何かの報告書のようなものを下っ端が作成する。それを原案として対策案が作成され提案をするとする。それを受け付けた直ぐ上の上司が受付を確認して受付印を押してその上の上司に回し、同じこと繰り返しながらその部の長が承認すると予算へ回され回答が出る。これが何日かかかって決済される仕組みだ。役所の部課長の机上には、「未決済」「決済」の二つの書類整理籠があるのもその意味。会社のトップの机の上も概ねそんな感じだ。これをイメージして、そのまま原発の関係者に当てはめると悲惨な状況が浮かんだ。情報の伝達が非常に遅い上、最終的な決済をする企業のトップがその専門家とは限らないため、説明責任もろくに果たせない経営者も多い。これは単純な一例だが、情報伝達一つをとってもかなり問題のある機構だと思う中、おそらく他の重要な問題が幾重にも重なって何をどう解体したらよいのか分からなくなっている。
 今月20日にウィーンで予定されている国債原子力機関(IAEA)閣僚級会合に提出するための報告書をまとめているらしく、「原子力行政組織」の見直し案のことをNHKニュースで知った(参照)。

 それによりますと、今回の事故について「世界の原子力発電の安全性に懸念をもたらす結果となったことを反省し、世界の人々に放射性物質の放出について不安を与える結果になったことをおわびする」としたうえで、28の教訓を指摘しています。このうち、国の教訓として、経済産業省の原子力安全・保安院と内閣府の原子力安全委員会、それに関係自治体や各省庁による環境モニタリングの実施など、原子力の安全確保に関わる行政組織が分かれているため、責任の所在が不明確だったとしています。そのうえで、原発の規制当局である原子力安全・保安院を経済産業省から独立させるなど、行政組織の見直しに取り組む方針を示しています。また、事業者である東京電力に対しては、使用済み燃料プールが原子炉建屋の高い位置にあったことから冷却が困難だったとして、今後は、原発の基本設計で、重大な事故が発生したとしても冷却などが確実に実施できるような配置を求めるとしています。そして、これらの教訓を踏まえて「日本は、原子力安全対策の根本的な見直しが不可避だ」と結論づけ、「重大事故対策の強化のための研究を国際協力の下で推進し、その成果を世界の原子力安全の向上につなげる」としています。

 28の教訓というのも備忘的に文末に貼り付けておくが、政府がこのような一方的な見解を出すと直ぐに業界から反発が起きるのは常だ。これを取り上げている一つの例として、西日本新聞の社説の一部を引いてみる(参照

 例えば、教訓の一つに「複数(原子)炉立地における課題への対応」がある。
福島第1原発では6基のうち4基が事故を起こした。二つの原子炉で設備を共用していたことや、物理的な間隔の狭さが事故対応の妨げになったという。
 同時に複数の原子炉で事故が起きることは想定してなかった。では、どのくらいの間隔があればいいか。基準ができ、施設改造となれば経費も時間もかかる。
 教訓の中には国の対策もある。経産省から原子力安全・保安院を独立させ、安全規制行政の強化を図る。法制度や組織の改正にも時間が必要だろう。
 28の教訓からは、起こり得ない事態、制御不能の状況をどこまで想定し、対策を講じるかという安全対策を基本的に電力会社に任せていたことが読み取れる。
 企業の判断となれば、どうしても不要不急の経費は抑えてという考えが働く。
 報告書は、制御不能に陥った場合の対応や関係機関の連携では実効的な訓練が十分に行われていなかったと指摘した。
 絶対に安全とは言えない。ならば「万が一」にどこまで備えるか。一義的には国が最新の知見を基に、そのルールを見直しながら、原発の安全を守るコストを国民に示し理解を得なければならない。
しかし、福島第1原発の事故の惨状に国もたじろいでいるのではないか。事故の影響は計り知れない。直接的な被害だけでも巨額だ。その賠償のために巨大企業の東電も押しつぶされかけている。
 大津波の前の地震で福島第1原発は大きな損壊があったのではないか。その疑問は残る。だが、とりあえずは28の教訓を生かしていくための工程表を示し、着実に安全対策を講じていくことだ。
 丁寧な説明とともに実行が伴わなければ国民の不安を解消するのは難しい。

 上げたり下げたりの意見だが、賛否両論あるのでそれも仕方ないかなと思って読んだが、指摘されていることはごもっともだと思う。問題は、役所がスタンダードを作成すると、それに見合った原発でなくては認められなくなるため、業界はあたふたし始めるが、電力会社が今後私企業でいられるとも思えない。国有になるのも時間の問題ではないかと思ったりしているが、誰が担当してもミスというのは起こるものだ。 
 実は10日に見かけた記事にこんなことが書かれていた(参照)。

 福島第一原発事故-高濃度放射性汚染水処理工程で生成される高濃度放射性廃棄物1億ベクレル/立法センチ、最終処分までの道筋「報告書に記載なし」

 2011年6月9日、東京電力は経済産業省原子力安全・保安院に福島第一原発の高濃度放射線性汚染水処理工程の概要を報告。この報告を受け同院より「東京電力株式会社福島第一原子力発電所における高濃度の放射性物質を含むたまり水の処理設備及び貯蔵設備等の設置について(指示)」が提示された。このやり取りの中で、高濃度放射性汚染水処理工程で生成される1億ベクレル/立方センチの「高濃度放射性廃棄物」は、一時的に敷地内に保管する計画は示されているものの、最終処分までの道筋は、この報告書には記載されていないことが判明した。

 この「高濃度放射性廃棄物」は、高濃度放射性汚染水を浄化し濃縮したものであるので、当然のことながら、処理される高濃度放射線汚染水よりも更に高濃度の放射性物質を含むことになる。その濃度は、1億ベクレル/立方センチに達する。そして、その最終処理方法の具体策な「対策」なんら決定していない。

 この程度では驚かなくなってしまったのも良くないが、何故こんなミスが起こるのだろうか。現場感覚がないためか科学の欠落なのか私にはよく分からないが、このようなミスの繰り返しがうんざりするほどあった。でも、まだ続くようだ。28の教訓はここには生かされてないと思う。
 こうなると、春樹さん達世代が「原発反対」と言ったことに返す言葉がない。このままだと原発は怖いもの、恐ろしいものだという「思想」に押されて科学の進歩や将来性が閉ざされてしまいそうで、それが恐ろしい。これからの若い世代が目標を失ってしまうような危険な「思想」になるのは避けたい。これが、あの春樹さんの口から出たことなので実は愕然とした。原発に反対的な気持ちを持つのは理解できる。私自身も、このままでは許せない線があるが、今を生きる大人が将来の可能性を啄ばむような権利はない。
 今回も問題は何か、抽出できずに終わるが、考えることはまだ続きそうだ。

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東日本大震災:福島第1原発事故 IAEAに提出した政府報告書の28の教訓(要旨)

東京電力福島原子力発電所の事故は、原子力安全に対する国民の信頼を揺るがし、原子力に携わるものの過信を戒めるものとなった。今回の事故から徹底的に教訓をくみ取り、この教訓を踏まえて、我が国の原子力安全対策の根本的な見直しが不可避である。
(1)地震・津波への対策の強化
今回の地震は複数震源の連動による極めて大規模なものだった。地震で外部電源に被害がもたらされた。原子炉施設の安全上重要な設備や機器は現在まで地震による大きな損壊は確認されていないが、詳細はまだ不明で、さらなる調査が必要だ。津波は設計または評価の想定を大幅に超える規模だった。津波で海水ポンプなどの損傷がもたらされ、非常用電源の確保や原子炉冷却機能の確保ができなくなる要因となった。手順書では、津波の浸入は想定されていなかった。津波の発生頻度や規模の想定が不十分で、対応が十分でなかった。地震の想定は複数震源の連動を考慮し、外部電源の耐震性を強化する。津波のリスクを認識し、安全機能を維持できる対策を講じる。
(2)電源の確保
事故の大きな要因は必要な電源が確保されなかったこと。多様な非常用電源の整備、電源車の配備など電源の多様化を図り、緊急時の厳しい状況でも長時間にわたって現場で電源を確保できるようにする。
(3)原子炉及び格納容器の冷却機能の確保
海水ポンプの機能喪失によって最終の熱の逃がし場を失い、注水や原子炉の減圧に手間取った。代替注水機能や水源の多様化などにより、確実な代替冷却機能を確保する。
(4)使用済み核燃料プールの冷却機能の確保
核燃料プールの大事故のリスクは小さいと考えられていた。電源喪失時も冷却を維持できる代替冷却機能を導入し、確実な冷却を確保する。
(5)アクシデントマネジメント(過酷事故へ拡大させない対策)の徹底
アクシデントマネジメントは事業者の自主的取り組みとされ、整備内容に厳格性を欠いていた。国の指針も92年の策定以来、見直されていない。事業者による自主保安の取り組みを改め、法規制上の要求にする。
(6)複数炉立地における課題への対応
複数炉に同時に事故が起き、事故対応に必要な資源が分散したり、炉の間隔が小さかったため、隣接炉の緊急時対応に影響を及ぼした。一つの発電所に炉が複数ある場合、各炉の操作を独立してできるようにし、影響が隣接炉に及ばないようにする。
(7)原発施設の配置の基本設計上の考慮
使用済み核燃料プールが原子炉建屋の高い位置にあったため事故対応が困難になり、汚染水がタービン建屋に及ぶなど汚染水が拡大した。今後は冷却を確実に実施でき、事故の影響の拡大を防ぐ配置を進める。
(8)重要機器施設の水密性(水の浸入防止)の確保
海水ポンプ施設、非常用発電機など多くの重要機器施設が津波で冠水した。設計の想定を超える津波や洪水に襲われた場合も、水密扉の設置などで水密性を確保する。
(9)水素爆発防止対策の強化
1号機の最初の爆発から有効な手だてをとれないまま、連続爆発が発生した。原子炉建屋に水素が漏えいして爆発する事態を想定していなかった。発生した水素を的確に逃がすか減らすため、格納容器の健全性を維持する対策に加え、水素を外に逃がす設備を整備する。
(10)格納容器ベントシステムの強化
格納容器の圧力を下げるために弁を開くベントの操作性に問題があった。放射性物質除去機能も十分ではなく、効果的にベントを活用できなかった。今後、操作性の向上などを図る。
(11)事故対応環境の強化
中央制御室や原発緊急時対策所の放射線量が高くなり、運転員が入れなくなるなどして事故対応に支障が出た。放射線遮蔽(しゃへい)の強化など、活動が継続できる環境を強化する。
(12)事故時の放射線被ばくの管理体制の強化
多くの個人線量計などが海水につかって使用できず、適切な放射線管理が困難になった。空気中の放射性物質の濃度測定も遅れ、内部被ばくのリスクを拡大させた。事故時の防護用資材を十分に備え、被ばく測定を迅速にできるようにする。
(13)シビアアクシデント(過酷事故)対応の訓練の強化
過酷事故の実効的な訓練が十分されていなかった。発電所と政府の原子力災害対策本部、自衛隊、警察などとの連携確立に時間を要した。事故収束の対応、住民の安全確保に必要な人材参集などを円滑に進めるため訓練を強化する。
(14)原子炉及び格納容器などの計装系(測定計器類)の強化
原子炉と格納容器の計装系が過酷事故の下で十分働かず、炉の水位や圧力、放射性物質の放出量など重要情報が確保できなかった。過酷事故発生時も十分機能する計装系を強化する。
(15)緊急対応用資機材の集中管理とレスキュー部隊の整備
事故当初は原発周辺でも地震・津波の被害が発生し、レスキュー部隊が現場で十分機能しなかった。過酷な環境下でも円滑に支援できるよう資機材の集中管理や部隊の整備を進める。
(16)大規模な自然災害と原子力事故との複合事態への対応
事故が長期化する事態を想定、事故や被災対応に関する各種分野の人員の実効的な動員計画を策定する。
(17)環境モニタリングの強化
緊急時の環境モニタリングは地方自治体の役割としているが、事故当初は機器や設備が地震と津波の損害を受け、適切にできなかった。緊急時は国が責任をもって実施する。
(18)中央と現地の関係機関の役割の明確化
当初は政府と東電、東電本店と原子力発電所、政府内部の役割分担の責任と権限が不明確だった。責任関係や役割分担を見直し、明確化する。
(19)事故に関するコミュニケーションの強化
事故当初の情報提供はリスクを十分示さず、不安を与えた。周辺住民への事故の状況や対応、放射線影響の説明を強化する。事故の進行中は今後のリスクも含めて示す。
(20)各国からの支援への対応や国際社会への情報提供の強化
各国の支援申し出を国内のニーズに結びつける政府の体制が整っておらず情報提供も不十分だった。情報共有体制を強化する。
(21)放射性物質放出の影響の的確な把握・予測
緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)の計算結果は当初段階から公開すべきだった。今後は、事故時の放出源情報が確実に得られる計測設備を強化し、効果的な活用計画を立て、当初から公開する。
(22)原子力災害時の広域避難や放射線防護基準の明確化
避難や屋内退避は迅速に行われたが、退避期間は長期化した。事故で設定した防護区域の範囲も防護対策を充実すべき範囲を上回った。このため、原子力災害時の避難の範囲や防護基準の指針を明確化する。
(23)安全規制行政体制の強化
原子力安全確保に関係する行政組織が分かれていることで責任の所在が不明確で俊敏性にも問題があった。原子力安全・保安院を経済産業省から独立させ、原子力安全委員会や各省も含め規制行政や環境モニタリングの体制を見直す。
(24)法体系や基準・指針類の整備・強化
既存施設の高経年化対策のあり方を再評価し、法体系や基準の見直しを進める。IAEAの基準・指針の強化にも最大限貢献する。
(25)原子力安全や原子力防災に関わる人材の確保
今回のような事故では、過酷事故への対応や放射線医療などの専門家が結集し取り組むことが必要。教育機関や事業者、規制機関で人材育成活動を強化する。
(26)安全系の独立性と多様性の確保
これまで(安全確保のシステムである)安全系の多重性は追求されてきたが、独立性や多様性を強化する。
(27)リスク管理における確率論的安全評価手法(PSA)の効果的利用
原発のリスク低減の取り組みを体系的に検討するうえで、(リスク発生の確率を評価する)PSAは効果的に活用されてこなかった。PSAを積極的に活用し、効果的な安全向上策を構築する。
(28)安全文化の徹底
原子力安全に携わる者が専門的知識の学習を怠らず、安全確保上の弱点はないか、安全性向上の余地はないかの吟味を重ねる姿勢を持つことで、安全文化を徹底する。
毎日新聞 2011年6月8日 東京朝刊

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2011-06-11

G8の支援金が、失敗に終わった「アラブの春」に齎す次の社会について雑感(その2)

10egyptarticlelargeBar employees sought out customers recently in Sharm el Sheik, Egypt.(エジプトのシャルムエルシェイクでは、飲み屋の従業員が客をし探し求めている。

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フェイスブック 若き天才の野望
デビッド・カークパトリック

 ニューヨークタイムズ・デビッド・カークパトリック氏のエジプトに関するコラム「Egypt’s Economy Slows to a Crawl; Revolt Is Tested」(参照)をTwitterでクリップした。この記事に感化されて、フランスG8サミット以後の関係国の情報などをを少し集めてみた。その前に今日のタイトルとは関係ないが、デビッド・カークパトリックという人物のことに少し触れておきたい。彼は「The Facebook Effect」の著者で、今年1月、日本語版「フェイスブック 若き天才の野望」が出版された。メディアとの接触を好まないことで有名なFacebookの創設者マーク・ザッカーバーグ氏に、数年間にわたり密着取材した米国人ジャーナリストだ。彼のことを知った理由にこの本がベストセラーになったということもあるが、中東の民主化運動の関連記事をニューヨークタイムズに続けて書いているので興味深く読んでいた。視点の当て方から、観察眼の鋭さを感じるジャーナリストの一人として気を置いている。
 さて、手間がないので訳文も書けないが、エジプトの争乱の重要ポイントに近づいてきたような印象を与える記事だと思った。昨日に続くが、エジプトの争乱が注目に値する意味は、中東全体に起こっている民主化運動の今後を読む視点が見えてくるような気がする点と、実際にG8の仲間として日本もその支援的な立場である以上、関心事であることは大きな理由だ。昨日も書いたことだが、私の中では、G8がどこまでエジプト経済の回復を考えているのかさえよく分かっていない。これまで分かった部分は、「支援」からはちょっと遠い。「支援」の名の下に実は火の粉が飛んでこないようにガードを固めているだけではないかと猜疑的なものも感じている。表からも裏からもよく見て、世界が注目する諸問題を私なりに見つめようと思っている。
 カークパトリック氏は、エジプトの経済立て直しが革命の意味を物語ると言わんとしているような印象だ。彼が指摘しているエジプト経済は私が見ているのと大した変わりはないが、記事でオヤと思ったのは、観光で支えてきた10%のうち40%が稼動不可能な状態である点だ。しかも、それを支える労働者は、エジプトスラム街の住人が多いという点だろうか。住人の声を集めているようだ。

“People are angry,” said Hassan Mahmoud, a resident of a slum near Cairo.He expected a better life after the revolution, he said, but instead he was laid off from his $10-a-day job in a souvenir factory.“People in the neighborhood are talking about going back to the streets for another revolution — a hunger revolution,” he said.
人々は怒っていると、カイロに近いスラムに住むハッサン・ムハメド氏は話している。革命後はましな暮らしに期待していたが、代わりに、みやげ物製造工場で10$の日雇いから解雇されてしまった。街に戻るのは「飢餓の革命」というもう一つの革命に戻っているようだと話していた。

 カイロはエジプトの経済全体を支えている都市だが、ここで仕事を失った人々は何もすることがない。革命は、製造業などに携わる人々が望んだことでもなかったが、それなりの期待をしていたようだ。ただ、それと引き換えに飢えとの戦いになるとも思わなかったのではないだろうか。世界で大きく報道されたエジプトの革命だったが、この革命を起こしているのは学歴の高い比較的裕福な家庭の若い世代が多く、その影になっていたスラムの住人や製造工場で働く人々ではなかったともいえると思う。これらの産業が成長するかしないかがエジプトの経済の立て直しに大きく関与する以上、革命の意味をここで問われるというのは説得力ある話だと思った。こんな状態のエジプトにどんな風を吹かすというのか。
 先ほどネットに挙がった日経記事が興味深い(参照)。G8のメンバーと債務国である北欧諸国宛てにアメリカから御触れが出た。

 オバマ米政権が日本や欧州諸国にエジプトへの公的な債務の免除を要請し始めたことが明らかになった。中東・北アフリカの民主化と安定化で鍵を握るエジプトの再建を後押しするため、先進各国に応分の負担を求める。日本政府は大幅な負担増に直結する債務免除に慎重な半面、新規融資など一定の金融支援は避けられないとの判断から検討を急ぐ。
 関係者によると、5月末までに米国のガイトナー財務長官とクリントン国務長官が連名で主要8カ国(G8)と債権国である北欧諸国に書簡を送り、債務問題を巡る救済策を訴えた。米政府は内政の混乱で対外債務の支払い能力が大幅に低下したエジプトの情勢を考慮し、一律の債務免除に照準を定めている。負担軽減で浮いた資金を、国内の雇用促進やインフラ投資に振り向けさせるよう主張している。

 きたな、という感じがした。昨日、思いっきり「元金返済アンド支払利息の発生」を伴う銀行融資はエジプトには返済不可能ではないかと書いたが、早くも「債務免除」の措置を取ることになりそうだ。誰も考えたことのないような話だが、革命で壊した瓦礫は使えなくなった札束だと思うしかない話だ。そして、債務のトップは40億ドルの日本だそうだ。

エジプト中央銀行によれば昨年6月末時点の対外債務(民間債務含む)残高は337億ドル(約2兆7000億円)、うち日本の債権残高は40億ドルで国別トップ。日本の財務省によればエジプト向け円借款は昨年3月末時点で約3000億円。

 今までの借りは棚上げするか、長期返済に組みなおす方向を日本は検討しているらしいが、会社で言えば、これは会社更生法で債権者の債務が棚上げされたようなものだ。そして、これと前後するが、6日、CNNが伝えているところによると、国際通貨基金がエジプトに30億ドルの融資を決めた(参照)。

 カイロ(CNN) 国際通貨基金(IMF)は5日、ムバラク政権崩壊後のエジプトに30億ドル(約2400億円)を融資することで暫定合意に達したと発表した。7月にIMF理事会の承認を得て正式決定する見通し。
 発表によると、5年間にわたる融資で、金利1.5%。
 観光業に大きく依存するエジプト経済は、今年1月からの反政府デモで深刻な打撃を受けた結果7%縮小し、今月まで1年間の成長率は2%にとどまるとみられる。IMFは4月、同国の今後1年間の成長率を1%、失業率を9%前後とする見通しを発表した。同国は5月、経済回復に最大120億ドルの融資が必要になるとして、IMFの支援を要請していた。
 政変後の暫定統治を担う軍最高評議会が示した870億ドル規模の予算案は、インフラ事業や職業訓練プログラムに94億ドル、教育、住宅に25億ドルを充て、今後5年間で環境に配慮した「グリーン住宅」100万棟の建設を目指す内容。また物価上昇などを受け、食料、燃料への補助金を9%拡大するとしている。

 対外債務の337億ドルに比べれば、IMFの30億ドルというのはかなり少ない額であり、エジプト政府が要請している融資希望の120億ドルの四分の一にしか過ぎない。オバマ氏の出してきた支援策である債務免除は、貸付額を大きくするよりもまだましだという考えだろうか。それにしても、アメリカは何故こんなに急いでエジプト支援をするのか。急がれているその理由が気になる。
 また、インフラ整備は政府の政策で行うのは勿論だが、食料や燃料への補助金が9%拡大されるというのは、日本のばら撒き政策のような捉え方でよいのだろうか。だとすると、とんでもなく軍がエジプト国民に貢献することになり、この管掌によって管理されることになる(普通の先進国ではそういう認識だと思う)。軍による管理社会の到来か?が、アメリカはあくまでも民主化の後押し政策と言いたいらしい。
 また、「別の独裁政権が生まれるしかないだろう」的に昨日書いたが、現状から考えて、エジプトが自力で這い上がれるとは思えないし極、少数のエジプト市民が起こした争乱は、既にかなりの代償払っているが、“They just want to be able to survive.”と、後は生き長らえるだけで充分だといっているそうだ。ここにカネを注ぎ込んだ国際社会は、見返りに何を求めているのだろうか。アメリカに関していて言えば、中東の反米感情を沈静化させることは、意図しなくてもそうなると思う。日経が見るように、中国の台頭をけん制する意味もあるだろうか。

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2011-06-10

G8の支援金が、失敗に終わった「アラブの春」に齎す次の社会について雑感

 エジプトの経済が大変酷い状態になっていることは周知のことだと思うが、なんだかこの状態はもっと酷くなりそうだ。「アラブの春」と称される北アフリカや中東の民主化運動は、チュニジアから始まってエジプトに伝播し、現在ではシリアやイエメンが激しく係争中である。記事をクリップしながら少しずつ状況がわかってくるというテンポでここも進んでいて、時々、まとめるつもりがまとまらずに散漫な状態になっている。エジプト情勢を考えながらそんなことを思ったが、今一度見直したいと思う。きっかけは、昨夜TwitterでクリップしたNewsweekに寄稿しているニアル・ファーガスン(Niall Ferguson)氏の記事「The Revolution Blows Up」(参照)だ。タイトルを見れば一目瞭然で、先日も極東ブログの「残念ながら簡単に言うとアラブの春は失敗」(参照)の考察から「G8が決議したのは「おしぼり代」だった」(参照)にまとめたつもりだった。Newsweek記事は、国際社会が出した結論である「おしぼり代」が如何に間違った政策かをかのジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes、1883年6月5日 - 1946年4月21日)の著書「平和の経済的帰結」を引用して述べている。
 いつまでも「おしぼり代」という比喩的な言い回しでは誤解を生みそうだと思うので書き添えるが、フランスで先月行われたG8サミットでエジプトとチュニジアが再び独裁政治に戻らないために400億ドルの支援をし、経済の立て直しを図ってもらおうというものだ。これを極東ブログでは「寺銭(場所の借り賃)」と呼んだが、G8は中東問題について博打(ばくち)でもやっているようなユーモラスな例えが裏側にあることに気づく。私の解釈は、中東諸国が上手くまとまってくれないとこっちにとばっちりがきても困る。だから頼む、これで何とか国を治めてくれ的な支援金と見ていて、支援金の名の下にこっちの利己的な利益のためにしかならないと思っていた。これは、G8が決議した当初の疑問で、民主化が進められるような国力があれば支援金など必要ではないだろうというそもそも論があった。
 さて、この「博打」というユーモラスが、もしかしたら先見の明からであったのかとさらに読みの深さを感じた。ケインズの著書「平和の経済的帰結」を「アラブの経済的帰結」と置き換えてファーガスン氏の寄稿記事では、博打のツケは大きいよと警鐘を鳴らしている。と、私は読んだ。
 とても説得力があると感じたのは、ケインズは、第一次世界大戦で戦勝国が敗戦国に課した賠償条件である「ベルサイユ条約」(参照)を強く批判してさらなる戦争を予言したが、続いた第二次世界大戦の勃発の歴史を辿れば、この説が正しかったと言えるからだ。
 この条約は、敗戦国の経済を困窮に陥らせる最も過酷な条件だったに過ぎず、再び戦争が起きた。その結果、第二次世界大戦へとつながったが、敗戦国ドイツはこのきつい条約によって国内情勢が不安定になり、統一民族国家にするというヒトラーが率いる労働党(ナチス)に政権を引き渡すことになった。ナチス・ドイツは、このベルサイユ条約を一方的に破棄してしまうことになったため、ヒトラーの台頭とへとつながった。また、第一次世界大戦で、戦勝国が被害を蒙ったとして一方的に敗戦国ドイツにその後片付けを賠償させたことは、戦後のナショナリズムが湧き立つことをも加速させ、代二次世界大戦の種火になった。
 ファーガソン氏は、この歴史的事実と同じことをG8は決議したのではないかと示唆している。歴史は繰り返すとはこのことではないかと苦々しく思った。また、400億ドル(1兆7千億円)の支援金についても非常に興味深い見方がある。「旧ソ連諸国支援に実績のある欧州復興開発銀行に任せた。」と極東ブログにあるが、銀行から融資を受ければ返済金アンド発生した利息を支払わなければならない。ここで次の読みだ。

表層的に考えるなら、エジプトに新しく中間層や新興富裕層の育成が求められるのが、それこそが、この「エジプト革命」とやらの本質に阻まれている。

 サラッと書いてあるが、エジプトの春が失敗だというダメ押しの明示とも言える。
 「中間層や新興富裕族の育成」って何?という疑問など初めは持たなかったが、現実的にエジプト経済を見た時、育成が困難極まりない現実を抱えてる点で二つのことを思った。
 一点は、エジプトの国債に誰が興味を持つだろうか。争乱が続いてずたずたになり、町のあちらこちらで石が飛び交うような危険極まりない国でピラミッド見学など真っ平御免だ。エジプト経済を支えているのは観光だが、この争乱でいつ観光客が戻るか全く分からない。このような国情のエジプトの株が上がるとは思えないのが普通の見方であるし、外貨は望めないだろう。
 もう一点は、Newsweekでも指摘しているが、同じく「中間層や新興富裕族の育成」といっても良いと思うが、金持ちは国情が不安定なエジプトに見切りをつけたのか現金をスイスのチューリッヒに預け始めていると報じている。つまり、箪笥(たんす)預金が増えてくると現金が動かなくというループが始まる意味だと思う。ヤバイとなると、お金持ちは現金を隠すのが速いのは日本も同じだ。
 この二点だけでも、「エジプトの春」が失敗に終わったと言うのに充分な理由ではないだろうか。加えて、G8は貸付を決議したが、その元金も利息も払えるエジプト経済ではないと思う。ここで、ギリシャをちょっと思い浮かべた。経済破綻したギリシャだが、国内総生産が上がる兆しのないギリシャにユーロ圏は貸付を起こしたが、返済の見通しが立っていない。経済が動いていない国は外貨獲得も成らず、国内には20歳代の若者が40%の失業率だという。エジプトの経済については、そこまで酷くないとは言え、かなり悪化している。また、とても問題なのは、エジプト国民が今のエジプト経済を全く理解していないようだ。CNNが伝えていることによると、エジプトの世論は将来を楽観視していると、世論調査の結果を分析している(参照)。
 このような状態のエジプトに貸付を起こして何が起こるのか。
 ケインズがかつて予言したようなドイツを思えば、そこには独裁者が生れ、ひいてはエジプトに再び独裁政権が誕生することを意味するのかもしれない。いや、その意味付けが確かだと言われているのかもしれない。

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2011-06-09

NHK朝の連ドラ「おひさま」の昭和初期から思うこと

 あっちこっちでばら撒いているので今更言うほどのことでもないが、私は、長野県の諏訪に住んでいる。この土地の生まれの人と結婚したからここに住むようになったので、他所から来た嫁である。実家は東京近郊で、父は大正14年(昭和元年)、母は昭和3年生まれで両親とも健在。と話し出すと、生い立ちから育ちの話がしたくなる流れになるのでここで切ることにするが、昭和生まれというのはいいものだと最近つくづく思う。特に、震災後のこれからの日本がどんな経済社会を歩むようになるかを想像すると、私の小学生の頃の暮らしが浮かんでくるようになった。ところで、私は昭和の何年生れか、ここでは明かしていない。誕生日は8月18日なので、そろそろ秒読み段階といったところかな。やれやれ、また一つ歳を食ってしまう。生まれた年は、やはりここでは明かさないことにした。下手に明かすと、更年期後の皴(しわ)の深さと肌の柔らかさは骨密度の低さを表すなどと、ありがたい情報が集まってくる(参照)事になりかねない。これもありがたいもので、このように気を置いてくれる友達がネット上に充分いる。これらの情報を頂く度にげんなりと加齢の現実を見つめつつ、実は蓋をしている。年の数は、もう数えないことにしている。
 歳のせいもあると思うが、長く長野県に住んできてみて段々ここが好きになってきている。子育て真っ最中の激動の日常に追われていた頃は、自然や暮らし、気候、植物等に目を配る暇がなかった。やっと、ここ数年でいいところに住んでいるという実感が湧いてきた。相変わらず土地の人間になりきることも似ることもできず、未だにご近所の年配の女性から「どこの奥様かと思った」と冷やかされる。もしかしたら「お洋服がとてもお似合いになっていてよ」という意味かもしれないが、日常のちょっとした言葉のニュアンスが未だに掴めない。昔は、このように声をかけられるとむっとなったものだ。普段着を何故そんな風にいわれるのだろうかと、悩むこともあった程だ。が、最近は、このような角張った部分が丸くなったとも言えるし、言葉の意味や相手の表情から、良い意味で言ってくれていると解釈しておくようにしている。
 最近、私自身の心のゆとりができたことも手伝い、昔を振り返ることがよくある。思い出しておきたくなるといった方が正確かな。若い頃はあまり昔のことは振り返らなかったが、昭和のよき時代に似たような時代が、もしかするとやってくるのではないだろうかと思うようになったことも理由かもしれない。そう、あの3月11日に起きた地震と津波の災害後、元の暮らしに戻れないことを嘆く被災地の人々の気持ちは痛さとして伝わってくるが、元に戻るとはとても思えない。そのことでは慰めようもなく言葉も無いが、元に戻るという考え方はすっぱり切り離してはどうかと思うようになった。これは、他人事としてではなく、私自身が昭和のあの時代の暮らしに戻るということかと思っている。それが楽しみに思えてきたのがちょっと意外だったが、ドラマがきっかけとなった。

cover
中国に夢を紡いだ日々
さらば「日中友好」
長島陽子

 NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」がじんわりと面白い味を出してきている(参照)。昭和初期、第一次世界大戦時代に、長野県安曇野に生まれた女性の生き様をドラマ化している。番組の当初は、美しい自然が一杯の安曇野の風景が楽しみで見始めたが、ドラマに描かれている時代の人々の礼儀正しさや、その対人関係から、家柄や身分の上下関係、男尊女卑的な社会の風景から当時の社会が少しずつ見えてくるようになった。途端に、俄然面白さを増してきた。一番は、1928年生まれである私の母は、大戦が収束した1918年の10年後に生まれている。そして、私は第二次大戦の10年以後生まれている。ヒロインの陽子さんが生まれたのは1922年で1941年に師範学校卒業後教師になっている。母より6歳年上が陽子さんで、ドラマ中では亡くなっている陽子さんの母親は、私の亡くなった祖母と同世代である。このドラマでこの人達を見るのは、私の祖母の母親時代を知る事になるし、母からは聞けない戦争の頃の日本を垣間見ることができる。これが面白くてたまらない。

cover
母が重くてたまらない
墓守娘の嘆き
信田さよ子

 そして、私の小学生の頃の記憶の祖母は、陽子さんの亡くなった母親の実家のお婆ちゃんによく似ている。つんと澄ました高貴な雰囲気があり、着る洋服もオーダーしか着ないし、80を過ぎても指輪を毎日変える程のお洒落だった。気位も高かった。子どもながらに不思議に思ったことの一つに、人にお願いをしない人だった。人に頭を下げて頼むくらいなら要らないという人だった。挨拶は丁寧で躾は厳しかった。私が生まれた頃は既になくなっていたお爺様は満州鉄道で偉い人だったそうで、昔は、お金持ちだったらしい。祖母のあの高貴な雰囲気は、その暮らしの名残りだったのかもしれないと始めて気づいた。この家柄とか地主などというものが残っているうちは、子どもは、大人はえばっているものだと思っていたし、怖い存在だった。

cover
ぼくは日本兵だった
J・B・ハリス

 余談だが、諏訪で最初に仲良くなったのは、かつてシルクエンペラーと呼ばれた片倉財閥(参照)の最後の跡取りである故片倉祥雄氏で、ご夫婦とお付き合いがあった。戦後の財閥解体で消滅してしまって随分時は経っていたが、20代の娘さん二人の結婚は片倉氏が決めようとしていた。そして、諏訪藩が残したから池と庭園のあるお屋敷の跡取りをどうするかなど、昔の財閥という家柄を重んじるがための悩みというのも随分あったようで、話をよく聞かされた。現在の皇后様と小学校からずっと一緒だったといって昔、相手にされなかった事などを楽しく聞いた。まあ、だからどうということもない話だが、私の知らない祖母の生きた時代を垣間見ながら、昭和の断片を味わっているといった感じだ。

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ザ・コールデスト・ウインター
朝鮮戦争(上)
ディヴィッド・ハルバースタム

 この時代がまた戻って来るとは思わないが、東京オリンピック前の昭和がとても懐かしい。あの頃の子どもと今の子どもの何が違うだろうか。いや、子どもの着る物や髪型、持ち物は全く違うが、精神性のようなものが変わっているとは思えない。散歩でばったり会う子ども達は人懐っこく、寄ってきて話をすることが多いが、昔の小学生の私がそのまま入り込めるような雰囲気だ。ふと、この子ども達に、昭和のような時代をプレゼントできたらどんなに良いだろうかと思った。そんなことできるわけはないが、素朴な遊びが沢山あったし、わくわくするような駄菓子とかも・・・。電気が今ほど充分に行き渡らないのなら、例えば、本を読む時間が増える。これもいずれiPadなどで読むようになるのだろうと思う。人が出歩かなくなれば、コンビニも24時間営業しなくなるだろうし、昔のように、企業も夜遅くまで仕事をしなくなれば、親子で一緒の時間も長くなるのではないだろうか。夕食を一人で食べたりする子どもが減るのは良いことだと思う。

cover
ザ・コールデスト・ウインター
朝鮮戦争(下)
ディヴィッド・ハルバースタム

 批判的に言うわけではないが、子どもと接する時間が少ない親子関係が私にはよく分からない。それで良いと思っていない理由はいろいろあるが、私が結婚して子どもを育てると思った時から、仕事を片手に子どもを育てる自信がなかった。まあ、子どもを預ける儀父母がいなかったというのもあるかもしれないが、子どもが幼い内はできるだけ親が育てるのが良いと思っていた。何かと一番手のかかる時期だが、その経験は、自分が親になるために通ることだと後から思った。
 社会的にはどうか分からないが、私の思う親子関係というのは特別なものではなく、極普通に一緒に暮すというか、そういうものが取り戻せたらいいなあと思うと、どうしても昭和のあの時代が蘇ってくる。

 昔を思い出したついでに、戦争やその時代を間接的に知ることができる書籍を紹介できてよかった。全て極東ブログの書評で知って読んだ本ばかりだが、どれも読み応えのある本ばかりだった。因みに、「母が重くてたまらない」は、ここで少し感想を書いている☞こちら。また、ドラマでは第二次世界大戦時期に入るところで、紹介の「朝鮮戦争」が背景として面白いと思う☞極東ブログ

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2011-06-08

緊張状態が続く南シナ海の背景-アメリカは漁夫の利を得るんジャマイカ

 南シナ海の領有権問題について5月26日、「中国・ASEAN諸国の南シナ海領有権問題と日米の関わりについて」(参照)で触れたエントリーでは、日米の関わりという文脈で考えてみた。実際、日本は現在この件で直接的な関わりを持っているわけではないが、どこかにアメリカの抑止に期待する思いがあり、関係を見たが、昨日のTwitterでクリップした「比外相、南沙問題で中国を非難 「国際法順守を」(参照)かきっかけで、在沖米軍が東アジアにとって必ずしも抑止として歓迎されてはいないという点という背景が分かり、いろいろ気になる点を考えた。現在係争中の南シナ海領有権問題に対するアメリカの関わりや、アジア周辺国の状況を抑えておくことにした。
 まず、沖縄にアメリカ軍が駐留していることが東アジアの周辺国にとって必ずしも抑止となってこなかった、という背景について、これは、「抑止になってきた」という私の思い込みを覆すことになり、認識が一変した大きな収穫だった。沖縄の反基地感情が一気に噴出す発端と言っても過言ではないと思う少女レイプ事件は大きく報道されたが、結局、この事件の結末で屈辱的だったのは、実行犯を法律によって有罪にできなかったことである。この背景を取り上げている極東ブログの「普天間基地返還可能性の裏にあるもの」(参照)が詳しい。
 暴力に対する唯一の仕返しは、法律で争うことが最もスマートな方法だと信じる私も、地位協定が恨めしかったのを覚えている。簡単に言うと、日米間の取り決めで、異国における米軍人の犯した罪を日本の裁判にかけることはできない。身柄引き渡しが成立しなければ話は先に進まない。この事件によって後に地位協定が見直された事はある程度進展したかとは思うが、アメリカの理不尽な部分だ。他国の法律で自国民は裁かせない、というスタンスだ。この事件がきっかけで米軍基地撤廃のムードが高まったのは言うまでもないことだ。アメリカ軍駐留を望まない現地と、日本政府の国防政策が一致していないというギクシャクした関係に付け入る隣国もある。
 さて、問題はフィリピンのスービックで起きたレイプ事件だ。極東ブログ「スービック・レイプ・ケース」(参照)が非常に参考になったが、このケースも沖縄のレイプ事件と似ている。フィリピン軍との合同演習の際、フィリピンに訪問中であった沖縄駐留中の海兵隊員が起こした事件で、結局地位協定で起訴もできなかったという背景がある。これを機に、フィリピンが米軍を歓迎していないというのが背景にある。
 これを調べるきっかけとなった産経記事は、フィリピンの声明を次のように報じている。

フィリピンのデルロサリオ外相は7日、南シナ海の南沙(英語名スプラトリー)諸島の領有権を主張する国は「国際法の順守が重要」と強調する声明を発表した。同諸島すべての領有権を訴える中国を事実上非難する内容で、反発が予想される。
中国が最近、南沙諸島周辺で、新たな構造物を設置するなどの動きに出ているため「国内外にフィリピン政府の立場を訴える」(外務省高官)狙いがある。
声明によると、フィリピンの抗議にもかかわらず、中国が1995年に進出した同諸島ミスチーフ礁を「自国領」とあらためて主張。2002年に中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)が南沙問題などの平和的解決に向け署名した「南シナ海行動宣言」を根拠に、実効支配につながる新たな動きは「約束に違反する」と指弾した。

 これらのフィリピンの強気の発言は、在沖アメリカ軍が抑止になっているのではないか、という私の推測は外れだったのは言うまでもない。では、アメリカが関わる理由は?また、ASEAN諸国はこれから対中政策をどのように展開しようとしているのか、それが気になる。
 6月4日の毎日が伝えているところによると、中国の隣国であるベトナムが「防波堤」となって中国の進出を食い止める働きを担う意思決定をしたそうだ。長く苦しい戦争をしたベトナムとアメリカだが、対中政策では仲良くやろうと言うことらしい(参照)。

◇議会調査局報告「軍事面で役割」
毎日新聞が入手した報告書(今年2月作成)によると、オバマ米政権は中国に対する「戦略上の懸念」から、ベトナムとの関係を「次のレベル」に発展させるため関係強化を進めている。

◇比とも戦略的関係強化
米国はフィリピンに対し、中国寄りの姿勢を取っていた前大統領から昨年、政権交代したアキノ政権に積極的な軍事支援を開始している。米政府によると、米国の対外軍事融資額も09年2800万ドルから10年に2900万ドルへ増額した。
今年1月にフィリピンを訪問した米国のキャンベル国務次官補は、中国を念頭に、フィリピンとの間で、安全保障分野で戦略的に関係を強化することを表明。さらに5月には、南シナ海の警戒用に、米国沿岸警備隊を退役した大型巡視船をフィリピンに売却した。

 国際社会のリーダーであるアメリカの平和維持政策も一面、体裁よく見えるが、ASEAN諸国は、アメリカのお得意さんではないか。と、ちょっと驚く。日本のように同盟国に対しては絶大なる協力を感じるアメリカだが、そうでもなければ全く違うアメリカの多面性が発露するのだな、と思った。戦争が始まると中国がどこからともなくやってきて武器や核施設の建設を後押しするが、アメリカは堂々とやってきて平和維持作戦の名の基に軍備を助けているという構図になる。だが、ASEAN諸国にすれば、国防のためにアメリカは嫌だと選んでもいられない緊張した状況に陥っているようだ。
 こうしてみると、中国とアメリカの問題という構図に見えてる。実際、中国は「アジア安全保障会議」(英国際戦略研究所主催)で3日、アメリカに対して次のように述べたようだ(読売)。

中国からは過去最高ランクとなる梁光烈国防相が出席、米国のゲーツ国防長官と会談した。梁氏は、中国と周辺諸国の摩擦が激化する南シナ海の領土、領海問題で最大焦点となっている「米国の関与」を拒絶する姿勢を示したとみられる。

 翌日の4日、中国のサイバー攻撃を「戦争としてとらえる」という声明を出している(参照)。

米国がサイバー攻撃を受けた場合、「国防上の問題で、サイバー戦争としてとらえる」と話した。中国からのサイバー攻撃を念頭に置いた発言と見られる。長官は「どこの国から攻撃が行われているか、明確にするのが困難だが、対処していく」と述べた。

 このサイバー攻撃とは具体的に何を指しているかと調べてみると2日、GoogleがGメール攻撃を受けたことを発表していた(参照)。

【北京・工藤哲】インターネット検索サービス最大手の米グーグルの「Gメール」が中国からサイバー攻撃を受けたと発表した問題について、中国外務省の洪磊(こう・らい)副報道局長は2日、定例会見で「中国側を責めることは受け入れられない。法に基づいてインターネットを管理しており、むしろ中国はハッカー攻撃の被害者だ」と反論した。

 中国とアメリカの関係が浮き彫りになるが、南シナ海域の領有権問題で中国と衝突する可能性が一番強いのはベトナムではないかと思う。そのベトナムは、他の周辺国が及び腰となるのとは違って、ベトナム戦争でアメリカに勝利したという自負があると思う。もしかしたら、中国の侵入に対して勇敢に立ちはだかるのではないだろうか。ただし、現実問題として中国との経済関係を勘案すると、実利のない動きはしないのが賢いと思う。

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2011-06-07

原発事故の見直し-「1号機原始炉破損は5時間後」

 東日本大震災後の政府や東電、保安院などの対応や分析結果の公表などがポツリポツリと報じられるとネット上では「そんなことは知っていたこと」と、既に過去の話になってしまっている。関心も薄れてきている感じがする。実際、今頃当時のデータを見直して何が起こったを検証されても起きた事が変わるわけでもない。が、データに基いた分析やそれを行う担当機関から得た情報は、原発の将来の決定には不可欠だと思う。昨日、いくつか新しい情報をクリップしたので備忘的に記録しておくことにした。
 まず、昨日のニュースを聞いて呆気に取られたのが、東日本大震災に寄せられた義捐金の配分が全体の15%にすぎないと言うことだった(参照)。これは、政府の対応という点で抑えておきたい。
 仮設住宅には入居資格を持つ住民の入居率は50~60%だというが、その理由はいくつか挙げられていた。入居すると自力で生活するのが前提となるため、生活費の不安があることが一番大きなネックだと伝えていた。被災では廃業を決めた会社も多く、復興の資金繰りの目処がついていないため、働き口がない。それと同時に、今の避難所から離れてしまうと情報から遠くなる点や、人里離れてしまうため車などが必要になったりその維持費がかかったりするため、結果として入居できない原因になっていると知った。自分の住む家をどれ程待ち焦がれていただろうかという思いと、鍵を手にしながら遠くの仮設住宅を眺めているだけだという切ない状況を何とかできないものなのかと気を揉んだ。こんな状況だというのに、これまでに寄せられた義捐金の85%が行き渡っていないとは。被災者の置かれている状況を早く何とかしなくてはと、口では言う政府は、やっていることは政局問題だ。いい加減にしろと、誰もが言いたくなる。今から急いでこの手配に当たってもらいたい。
 先ほどチェックしたTwitterのクリップ記事に、東電から提出された福島原発事故のデータを基に保安院の独自の解析を報じるNHKニュースがあった(参照)。今更分かったところでどうなるものでもないが、問題は、私達が原発とどう付き合って行くのかを考える段階で、事故後の記録に基く検証は重要になってくると思うのがこういうことではないだろうか。
 今回事故を起こした原発は、私達が賛成して決めたものではないが、この経験を後世にどう生かすかが問われている。菅さんは先日行われたフランスでのG8で原発以外の発電に力を入れると発言したそうだ。勿論、私たちは何も具体的な計画などは知らされていない。一方、ドイツでは、メルケルさんが2022年までに廃炉する方針を決定している。
 さて、日本はいつ議論するのだろう。例えば、菅さんが解散総選挙(可能性は無きにしも非ず)をするとする。何が争点になるか何を国民は望んでいるのかと言う話になれば、原発の話抜きでは復興もあったものではないし予算も増税も全て私の懐からでてゆくことになる。政府のエネルギー政策についても私は、また原発のある社会を次世代に残すと言い切れるだろうか。少し長くなるが、以下にNHKニュースをそのまま引用した。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きて原子炉が損傷した時期について、経済産業省の原子力安全・保安院が解析した結果、1号機では地震発生からおよそ5時間後で、東京電力の解析よりも10時間早いとする見解を公表しました。

原子力安全・保安院は、先月、東京電力から提出された福島第一原発の事故に関する記録などを基に、事故の経緯について独自に解析しました。それによりますと、1号機では、津波によって原子炉の冷却機能が失われ、地震発生の2時間後には核燃料が水面から現れ始め、地震発生から5時間後の3月11日午後8時ごろには、メルトダウンが起きて原子炉が損傷した可能性があるとしています。これは、東京電力の解析よりもおよそ10時間早くなっています。また、2号機では、地震発生からおよそ80時間後の3月14日の午後10時50分ごろ、3号機では、およそ79時間後の3月14日の午後10時10分ごろにメルトダウンが起きて原子炉が損傷したとしています。東京電力の解析と比べると、2号機ではおよそ29時間早い一方で、3号機はおよそ13時間遅くなっています。東京電力の解析と異なる結果になったことについて原子力安全・保安院は「原子炉に水を注入した量や解析の計算方法が違うためだが、メルトダウンに至る経緯はおおむね一致する」としています。また今回の事故で、3月11日から16日までに大気中に放出されたヨウ素131とセシウム137を合わせた放射能の量は、1号機から3号機まで合わせると、およそ77京ベクレルに上ると推定しています。この値は、ことし4月に国際的な基準に基づく事故の評価を「レベル7」に引き上げた際に試算した値のおよそ2倍になります。これについて原子力安全・保安院は「2号機からの放出量をこれまでの圧力抑制室だけでなく、格納容器からも漏れ出たと仮定した結果、量が倍になった」としています。今回の解析結果は、20日にウィーンで開かれるIAEA=国際原子力機関の閣僚級会合で、日本政府が提出する報告書に反映される予定です。

 20日の会議に合わせたとも言えるが、事故後早期にNRCが出していたデータ(3・26)や分析結果、非難区域を80kmに設けるべきだと言う指摘など耳を傾けて置けばよかったと後悔しても始まらない。本当に言いたくないことだが、当時戸外で遊んでいた幼児や妊婦さんのこれからの不安を思うと胸が痛い。怒りのぶつけどころもなく、悔しさと怒りが収まらない。結果的になってしまうが、最悪の事態を想定して原発開発をしている欧米の危機管理には脱帽である。事故の経験国の意見や原発開発者、技術者の指摘を聞き入れるべきであったと思う。
 また、日本人の多くはこれほど早くメルトダウンが起き、原子炉の底が破損してしまうとは予想していなかったが、核反応がこれほど速く起こり、制御不可能な状態にレベルが上がって行く原因が、電源確保できなかったためだという点から、二重三重にも備えるべきだと思う。事故後、初めて「保安院」という存在を知った頃の会見はお粗末だったが、これが本来、保安院のやるべき仕事なのだと思う。
 もう一つ、NHKニュースのクリップ記事が続いていた。
 「オフサイトセンター機能せず」(参照)では、地震後の停電でセンターと政府の情報交換ができなったことを挙げている。

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、現地で関係機関が一堂に会し、事故の対応や住民の避難などの対策に当たるはずだった「オフサイトセンター」と呼ばれる施設が、地震による停電や事故後の放射線量の上昇などで機能しなくなっていく様子が、当時の状況を記録した経済産業省の原子力安全・保安院の内部文書から分かりました。政府は「現地が機能しない場合、柔軟な対応が必要だ」として、オフサイトセンターの仕組みを見直す方針です。

 このセンターが機能しなかったことが保安院の内部文書で明らかになったというが、日本ではこれが初めて報じられるのだろうか。極東ブログ「GE製Mark Iはそもそも欠陥だったのかもしれない」(参照)では、ニューヨークタイムズと並べてウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記事を並べて考察しているのがもっと速かった。この中で、独自の調査によって「福島第1原発、地震直後の24時間」(参照)で取り上げている。

オフサイトセンターが孤立
政府の緊急対応は、福島第1原発から車で15分の場所にあり、原子力安全・保安院(NISA)が運営する「オフサイトセンター(福島県原子力災害対策センター)」で行われることになっていた。しかし、センター立ち上げを担当していた横田一磨氏が現場に到着して、電話線も携帯電話も使えないとわかった。衛星電話も機能しておらず、非常用発電機の燃料ポンプは故障。初期の重要なときに、センターは外部から隔絶されていたわけだ。

 これこそ今頃なんだろうと不思議に思った件だが、政府が情報を得られなかった一番の理由なのだろうか。「センターの仕組みを見直す」とあるが、仕組みの問題だろうか。それもあるかもしれない。先日も他の件で書いたとおり( 参照)、東電は、政府の命令に関係なく海水を注入し続けたという現場としての判断を優先した例があったが、ここではっきりしたのは、政府が無能だと言う点ではないだろうか。専門家ではないので、政府が無能でも仕方がない。言いたいのは、現場と安全管理機関、政府がそれぞれの立場を理解できていないことが原因でもあると思った。政府が知らないことがあってもおかしくはないが、それを知る担当機関が責任を持って情報を把握していたのかと言えば、保安院が中途半端だったようでもある。ましてや、東電ともなると、事故の状況やデータの説明の義務やその責任の自覚が全くなかったと思われる。その様子を隠蔽かと当初疑ったが、そうでもなく、多くのデータは要求すれば後から出てくる始末だ。
 書き出すときりがないのだが、復水器の圧力を抜くための弁が停電によって作動しなくなり、手動で開けるにもそばに近づけないほど放射線量が多かったような情報も後から出てきた(参照)。冒頭にも書いたが、以上のことを含めて今後の原発継続や廃止の是非に対する意思決定の参考にしたい。

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2011-06-06

少しずつ書いてみる

 気持ちが沈んでしまう。何故こんな風になるのかいろいろ原因も考えたみた。
 怖くてたまらない。それを言うことも怖い。何かが追いかけてくるような怖さとも違う。自分を支えるものがなくなってしまったことだろうか。
 この数年間、自分を支える力になっていたものがある。それは感じる力であって、目に見えたり触れて感じることの出来るものではない。架空の世界観であり、求めても手に入れることも出来ない、心の中で支えてとして持ち続けてきたものだ。が、その力に寄りかかってきたことがむなしいことに思え、それは悲しいことであり寂しいこと。孤独とはそういうことなのかと思うと、どこかで切り離さなければならないと思うようになった。それに慣れることではないかと。すると、自分というものが何なのか分からなくなる。その繰り返しになる。
 男の人はメルトダウンするのを恐れるあまり、人の愛やその存在自体を抹殺するのだと聞いた。それが出来ることが羨ましいとさえ思う。女にはそれが出来ない代わりに、他のもので補うように耐性が備わっているのだと思う。厄介なものだ。これ。そんな恩恵にすがるようなことは嫌だ。
 今は誤魔化すようにしてでもそれを振り切らなくはならないのだろうか。こういう方法しか本当にないのだろうか。他にあるかもしれないと探してみると、これかもしれないと思うものが見つかる。そうかもしれないと近づいてみると、みな違う。それはみな逃げ道ばかり。どうせ辿っても同じ出口にしか行き当たらないのだと直ぐに分かる。心の深い部分に溜まった思いのようなものが上手く引き出せない。生きている間、ずっとこれに付きまとわれるのだろうか。そう思うと早く解決して追いやってしまいたい。これも今まで考えてこなかったツケが回ってきたのだろうか。神様はなかなか見逃してくれないものだ。サボっていると必ず見つかって元に引き戻されてしまう。泣いても始まらない。なのに、自分がいつかいなくなるのかと思うと泣ける。散々味わった辛さなんだけど。
 どこにも放す場所がないのでここに書いてみる。

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菅首相退陣表明後のこの静けさだが-世論調査の結果などから

 退陣表明が民主党執行部の巧妙な戦術だったらしい(参照)。この記事のことは、昨日のエントリーに早速追記した(参照)。このことが本当だとしたら、民主党執行部に対する私の認識も少しは変わる。岡田さんに限ってそんな悪知恵を働くかなと言う疑問もあるが、三人寄れば文殊の知恵とも言われるように、民主党が崩れて政局がごった返すような羽目に合わずに良かった。市民の一人として、結果的には良かったと思っている。どうでも良いことだが、鳩山さんが「ペテン師」だといきり立っていたのは、アレは本気で怒りを露にしたということになる。それでも、かつてのペテン師が菅さんをペテン師呼ばわりしていることに変わりない。菅さんに退陣を求める声が野党や民主党内に多いようだが、何が問題なのかそもそも私自身はよく分かっていなかった。漏れ聞くところによると、菅さんが人の意見を聞かないとか、直ぐにカッとなって人を怒鳴りつけるだとか。聞いていると菅さんの人柄を嫌っているらしい。それが大の男がすることかとだから呆れてしまうのだが、それはそれとして、菅さんの存在が如何に政治に支障をきたしたというのだろうか?言い換えれば、国民に対して直接的な過失や不利益があったとは思えない。また、大変失礼な言い方になるが、菅さんが最高では全くないが、菅さん以上の人物がいるとは思えないし期待もない。菅さんが揉め事の原因だと言うのであれば、他に原因があるという考え方が原因だと思う。だから、仲間内の揉め事くらいで収めておいてね、と願いたい。少なくとも、原発事故後、東電は政府に信頼を置いていないということが露呈したとおり、菅さんであろうがあるまいがあまり関係なかったと思う。
 あの斑目発言の「私の立場が無くなった」という被害妄想と責任転嫁的な発言は、職業意識の欠落の露呈だった。せせら笑うようなあの表情からは、なんとも上から目線の思い上がりを感じた。その原子力安全委員会が職務を全うしているなら、海水注入を止めたか止めていなかったかくらい把握した上で指導するべきとところだ。
 また、福島原発所長の一存で海水注入を続行したことでもはっきりしたように、東電は、政府の指示を仰ぐ気などさらさら無かったということがはっきりしたと思う。このような現状でよいとは思わないが、今の政府において、誰がトップであろうと国民である私達に直接的な影響はあまりないようだ。政府の存在が浮いていることだけははっきりした。
 私はと言うと、無政府状態が長く続いているため、その感覚が麻痺しているかもしれない。これもいけないと思うが、与野党があんなに鼻息を荒くして菅さん下ろしを企てて誰かに交代したとしても、政治や経済がこれ以上良くなるとも思えず、期待感はない。それだけに、政局を空中分解させて無駄に無政府状態を悪化させるよりは、温存しながら災害の復旧と復興に労を費やして欲しいと願うだけだった。
 昨日も書いたことだが、ファイナンシャルタイムズが指摘している通り、国会議事堂の壁の向こうで何が起ころうと、あの壁のこちら側にいる私達にとって何も変わらないし、これから先の暮らしや将来の日本に期待も持てなくなってしまった。こういう心境とは裏腹に、ものすごく怒っている人も見かける。
 昨日、産経の「これ以上菅首相の詐欺を許すな」(参照)を書いている高橋昌之氏の記事を読んだが、菅さんにしろ鳩山さんにしろ、民主党を空中分解したくなかったという一点に関しては一致していたわけで、国民にとっては、この復興の忙しい最中に政局のごたごたはいい加減やめてくれだった。これ以上菅さん退陣に火をつけるような記事を書いて何の意味があるのかと読み進めたが、罵倒と自分の忿懣(ふんまん)を撒き散らすだけに終わっている。先の話は何もないのが残念な記事だ。かく言う私に何かあるのかと問われても何もない。ただ、この政府が温存できるように支えるしかないと思っている。それがいつまでか、それも分からないが、そのうちに政治家が力をつけて誰かが立ち上がるまでか。

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 世間はどう思っているだろうかと、なんとなくニュースを見ていたら、毎日新聞で4、5日の両日で世論調査をしたらしく、数字が挙がっていた(参照)(主な調査結果(数字は%、カッコ内は前回調査:東日本大震災による被害が大きかった岩手、宮城、福島3県の一部地域は、今回の調査対象に含まれておりません。)。
 驚くこともないが、被災地の復旧・復興のために国会が「機能していない」が85%、支持政党がないは53%、菅内閣支持率は24%だ。また、今回の内閣不信任決議案の提出については61%が評価していないと結果だ。私の感じていることも、今の国民の平均的なことのようだ。国民の半分から支持政党がないと評価されている中、与野党の二大政党である民主と自民がいがみ合ってもあまり意味がないということがこれで分かる。私は菅政府の支持派だが、選択肢に支持政党はあるかを選べるのであれば、ないが答えなので、53%に属する。
 政治家はこの数字に気を留める余裕はあるだろうか。
 大連立の話しが急に持ち上がってきたようだが、そうなると解散よりも菅さんが無視され、結局退陣となるのか。野党の計画は、実情に合わせたあの手この手となりそうだ。

追記:今日の「finalventの日記」で、今の政局についてちょっと触れている(参照)。大きく語っているわけではないが、政局の苦しい事情もここまで言わせるのかと思い、備忘的にクリップ。

レイムダック菅さんはもうどうしようもないようだ。まいったなあという感じだが、ウィキリークスにもあったように鳩山さんのときですら首を差し出す話であったようなので、プロトコルというものなのだろう。人材欠で大連立ということなんだろうか。自民党も後がないということでもあるんだろう。

 Wikileaks記事については、極東ブログ「」を参照されると原文に忠実に訳がつけられているので、鳩山氏の側近松野氏の動きを読むと首を差し出した件が明らかにされている(参照)。世論調査はあくまでも一部のことであり、私も結果を鵜呑みにしているわけではないが、今回はちょっとこたえている。FTの指摘の通り手詰まり感が強くなる。

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2011-06-05

「国会議事堂の石の壁」の向こうとこっち側

 菅さんがファイナンシャルタイムズから「優柔不断」と言われ、まあそうかなと思っているだけに辛いところだと黙っていたが、日経が、そのFT記事の翻訳を出したので、それに触れながら今の日本の情勢も書いておくことにした。
 それにしても、民主党のあのドタバタは滑稽だった。こういう言い方は憚れるが、呆れるばかりの程度の低さで、内閣不信任案提出騒ぎが終わった。これに私は腹が立ったし、政治というものが分からなくなった。結局、菅さんは、遠くない近い将来の辞任と引き換えに内閣不信任案成立を阻止することを鳩山さんと約束した。そこで梯子を外された形になった小沢さんは一旦は激怒したが、かろうじて投票には不参加という形で面目を誇示したかに見えた。これと言うのも、鳩山由紀夫という人物の正体を暴けずに、またしても信じてしまった小沢さんの自業自得であり、「身から出た錆」だったのかもしれない。
 いうまでもないが、全てが終わって、菅さんが約束不履行にするかもしれないと判断した途端、鳩山さんは「ペテン師」だと罵り、民主党のオーナーを気取っていた。その様子から見て、最初から民主党を多数の与党という枠組みから崩す気など毛頭なかったと言える。小沢さんだけではなく、自民党の長老達も梯子を外されて激怒したらしいが、今回の不信任案提出劇は、鳩山さんの仕掛けに自公が乗ったのではないだろうか。そして、最終的には民主党を与党として体裁良く残した鳩山さんの勝ちと言うものだろうか。全てに恵まれた人が最後に欲しがるのは、権力の座かそれを支配する立場ではないだろうか。
 また、不信任案に賛成した小沢派議員二名と、欠席または棄権したのは小沢さんの他14名だったが、他は、内閣不信任案の否決が確定的になるや、みな保身にまわってしまった。松木さんを影で羽交い絞めにして押さえるという光景を目にしたが、あれはもはや薄汚い利権の亡者にしか映らなかった。かつて150名とも言われた数の力を誇る小沢氏に、たったの十数名しか残っていないということだ。小沢さんの終焉を見たというものだった。直後にこれだけでは収まらず、党内ではまたごたごたが始まった。
 菅さんと鳩山さんが交わしたという覚え書で、退任の日時が明記されていないと言うことが発端となってまた政局の話にもつれ込むような気配があった。これを聞きつけた北澤外務相は、訪問先のシンガポールから事態の収集を図る会談を持つよう、意見が示されたそうだ(NHK)。北澤さんくらいではないだろうか、このような事態に巻き込まれず、粛々と仕事をこなしているのは。
 もういい加減に勘弁してつかーさいと、悲鳴を上げそうになったところへ昨夕、またしても凶報を知った(読売)。

「自民改革案「骨抜き」に…ベテラン議員ら反発で」
派閥の影響力排除などを柱とする自民党改革委員会(委員長・塩崎恭久元官房長官)の改革提言案が、ベテラン議員らの猛反発で「骨抜き」の危機にさらされている。

5月末にまとめた提言案は、派閥について「党運営に関与しない」と明記したほか、「検討課題」として、「首相経験者は、次期総選挙において公認・推薦しない」との方針も盛り込んだ。
改革委のメンバーは中堅・若手議員が中心のため、「これをやりきれば自民党も変わる」(当選2回の平将明衆院議員)と、世代交代の促進を狙った。
これに対し、伊吹派会長の伊吹文明・元幹事長は、「党運営に派閥が関与したことは一切ない。(古賀派所属の)塩崎君は派閥を抜けてから言うべきだ」と主張。麻生派会長の麻生元首相も、谷垣総裁に「公認されなくても、オレは選挙に出るぞ」と怒りをぶちまけた。
党執行部は「提言案は刺激が強すぎた」とし、内容の見直しを改革委に指示する構えだ。

 読売らしいタイトルだが、自民党の長老がいなくなると「骨抜き」になるのかどうかは分からない。それよりも、政局を争う薄汚い民主のオヤジ達に続いて今度は自民かとウンザリした。被災された方の意見をチラッとラジオで聞いたが、みなうんざりして呆れている。まともな政治など期待できたものではない。と、政治が分かっているような口をきくものでもないと思った。政治ってわけが分からない。
 先日、ファイナンシャルタイムズで「The indecision of Naoto Kan」(参照)いうタイトルで日本の政局が話題になっていた。直訳すると「菅直人の優柔不断」または、「菅直人のためらい」だろうか、図星なだけに印象が強く残っていた記事だったが、日経で翻訳が挙がっていたのを昨日、Twitter知った。翻訳を読んで、原文を読んだ印象と大きく違うとは思わなかったが、なんとなく違う。いつもの悪い癖で、こういうのをこのまま放置すると誤読になるかもしれないと思い、原文を再読してみた。なんとなくピントがおかしい。
 FTの記事は捻くれたようなイギリス独特の皮肉のようなものもあるが、起承転結がはっきりしていて読みやすさもある。導入部分でズバリ何が言いたいかがはっきり分かり、肝の部分ではタイトルの意味が解けてくるが、日経の翻訳はどうも歯切れが違う。良く見たらタイトルが「収束見えぬ民主の内紛 改革の機 台無しに(FT)」と、全く違うことに気づいた。と言うか、その文脈で読むなら落ち着くが、ここで違和感を見つけるためにFTの元のタイトルにそうように文脈を読み直して分かったのは、日経の翻訳は、FTの文脈の流れに沿っていない。ここで今度は極東ブログで直訳がつき、日経の翻訳と並べられていた(参照)。
 並べた理由に、日経の翻訳が「意訳のような感じがする」とだけあるが、英語が少し読めて、なおかつ日経の翻訳を読んで違和感をもった私にとってはありがたかった。読んでみて感じたのは、日経は、FT記事の文脈を政治改革の失敗の文脈に読み変えた上、タイトルまで「「収束見えぬ民主の内紛 改革の機 台無しに(FT) 」」と変えて伝えている。
この部分がそうだ。

現野党の自由民主党が半世紀以上にわたり政権を独占することを可能にしたのは、日本の官僚制度だ。民主党は政権を奪取し、問題点を根本的に見直し、政治改革を実現する機会があったのに台無しにしてしまった。
民主党が公約した責任ある政治制度の構築は遅々として進まず、むしろかつての自民党ばりの派閥政治が横行している。

 これがタイトルにつながったている部分でこれが日経が一番言いたい部分だと思う。これは、文脈を歪曲したと言っても良いと思う。ただし、その意図がよく分からない。日経記事に突っ込みを入れるためにエントリーを書いているつもりはないが、タイトルも違えば内容も違うとなると、わざわざ「()」をつけてFTとしているのは不自然だ。
 この件はとりあえずさておき、FTが何を伝えたいか、それを素直に読むのなら極東ブログの直訳がよいと思った。大きく読み間違えるところだった危ない部分だけ拾っておくことにした。

Whether he can, or should, continue in office is moot. It is difficult to see how in his weakened state Mr Kan can reach out even to dissidents in his own party, let alone the opposition, in order to address the many serious challenges that Japan now faces.

(日経訳)菅氏続投の是非には議論の余地がある。弱体化した菅政権が党内造反派、ましてや野党に働き掛け日本が直面する様々な深刻な問題の解決を目指せるとは考えにくい。

(試訳)彼の政権は維持できるのか、それとも維持すべきなのかなど、机上の空論である。日本が直面している深刻な課題に取り組むのに、この衰弱した状態では、野党はもちろん党内対立者にどこまで菅氏が話を取り付けることができるのか、わからないのだ。

 この訳の違いは大きい。
 日経は菅さん続投の是非には議論の余地があると訳しているが、直訳では、机上の空論となっている。日経訳も間違えではなく、「moot」には余地があるという訳し方もあるが、後の「問題解決」への可能性は難しいとFTは結んでいるため、これを勘案すると後者の試訳の、議論の必要性はないと訳す方が筋が通る。

Some of the blame must attach to the DPJ. Since assuming power, it has squandered its opportunity to change Japanese politics for the better by sweeping away the bureaucratic system that had kept its predecessor, the Liberal Democratic party, in power for more than half a century. Little headway has been made in building the more accountable system that was promised. Instead the DPJ has subsided into the sort of factionalism that plagued the LDP. Mr Kan faced a leadership challenge last year and his predecessor as DPJ leader and prime minister, Yukio Hatoyama, lasted just months. Reforms have taken a back seat.

(日経訳)民主党にも責任の一端はある。現野党の自由民主党が半世紀以上にわたり政権を独占することを可能にしたのは、日本の官僚制度だ。民主党は政権を奪取し、問題点を根本的に見直し、政治改革を実現する機会があったのに台無しにしてしまった。
民主党が公約した責任ある政治制度の構築は遅々として進まず、むしろかつての自民党ばりの派閥政治が横行している。

(試訳)民主党には非難される点がある。民主党は政権を獲得したというのに、半世紀にもわたる自民党政権を支えた官僚機構を刷新して日本の政治を改革するという機会を浪費してきたのだ。公約された、よりアカウンタビリティ(応答責任)ある制度構築へは前進なきに等しい。代わりに、自民党の宿痾であった派閥主義のような状態に陥りつつある。民主党を指導する総理として鳩山由紀夫は数か月しか保たなかったように、菅氏も昨年、指導者としての異議に晒された。改革は後退してきた。

 ここは先に触れたとおり、あった文章がなかったように書かれている部分だ。極東ブログの注意書きの通りに太字にした。
 FTは、民主党の公約違反は政治が前進してこなかったことを意味し、同様に鳩山、菅両氏の総理が短命に終わるのも、改革は後退と見ている。この部分の何を日経は隠したいのか分からないが、政権交代が無駄だったと言いたくないようだ。仮に短命でもよいと言う意味だろうか。FTの指摘する二箇所から、政権交代が無駄だったとする内容だが、それは現時点ではそうだと思うし、政治家としての限界を指摘されているわけで弁解の余地もない。国民にしたらここはがっくりする部分だが、仕方がない。
 FTのタイトル「菅直人の優柔不断」に戻ると、菅さんの優柔不断はその計算違いからきていると思う。辞意を表明すれば菅下ろしの空気は収まり、不信任案は否決されて民主党の政権維持ができる。そのシナリオがその通りに運ぶことは菅さんが張り切る場を再確保する意味になると思ったのだろうか。そこが、辞任の時期を曖昧にした理由かもしれないが、これは、鳩山さんにとっては民主党が鳩山オーナーの元に確保されるためのシナリオだったのではないだろうか。政局には昔から派閥と言うものがつき物としてあるが、この政権に関しては財閥である。鳩山さんが下品に、執拗に菅さんの曖昧期限を罵倒するのも、彼独自の沽券に関わるからだと思う。この意味では、政治を利権に利用している薄汚いオヤジは鳩山さんであり、菅さんではないと思う。菅さんに人間的に望みがあるとするればこの部分だけで、他にはない。政治家に向いているとも思えないが、政治家が備えるべきものは菅さんにだけはあると思う。FTの指摘の通りになりたくなかったら、短命で終わらせることなく寿命を延ばして、よたよたになっても目標に近づくことだけを見て進むことではないだろうか。
 しかし、FTの最後のこの一説にがっくりきた。

(試訳)情けない話だが、国民の心意気は国会議事堂の石の壁に阻まれ、議事堂の中では、職務と地位という見せかけだましの獲得に延々と口論を続けている。この事態が変わるまで、日本政治の手詰まりは終わらない。

 菅さんが辞任の時期を鳩山さんの納得の行く日程に合わせれば、今のごたごたは直ぐに収まると思うが、FTが指摘しているのはもっと深いところで意味があると思う。壁の向こうの議員が自ら今の失態に気づくだろうか。これは問題だ。菅さんが近い将来辞任するとして、あの壁の向こうに後任がいるとは思えないだけに困ったものだ。

追記:その後、「退陣合意」の真相が明らかになり、Zakzakが詳細を伝えている(参照)。

菅直人首相の退陣“ほのめかし”発言は、民主党の枝野幸男官房長官、仙谷由人正副官房長官、岡田克也幹事長ら政府・民主党の幹部が仕組んだ、巧妙な戦術だったことが4日までに明らかになった。

 巧妙なワナとも言える仕掛け。その後の首相の豹変を見抜いた人物もいる。野党多数の参院の円滑運営のために、首相が身を引くことを期待していた輿石東参院議員会長は、首相が最後まで退陣時期を明確にしなかったことを確認すると、電話で平野氏を怒鳴り上げたという。しかし、時遅しだった。

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2011-06-04

国連安保理はリビア政府と反政府軍の両方を告発した

 法律のことは調べても難しく、よく分からない点が多くある。ここで取り上げるリビアの戦犯に関しても、言葉使いによっては誤解や風評を招きかねない点が多分にあるため書くのをためらっていたが、私自身の疑問点でもあるので備忘として残しておこうと思う。
 きっかけは6月1日のBBC記事「UN accuses both sides of war crimes」(参照)で、Twitterでクリップした後だった。内容はタイトルにある通り「リビアの闘争:国連は戦争犯罪で両側を起訴する。」で、リビア政府と反政府の両方を戦犯で起訴するという内容だ。ここであれ?と思ったのは、国連は、反政府側も戦犯としてどこに起訴するのかという点と、カッダフィーを個人的に容疑者として起訴しない事だった。ここで凄く慎重になったのは「accuse」という単語だ。英語の動詞としては告発、告訴、非難する、責めるなどの意味として使う言葉で、裁判に持ち込む意味で使われる。国連は、罪を裁く機関ではない。では、国連安保理かとも思った。そこまでの効力を持ってはいないはずだという国連という組織の実効力が疑問になった。また、喧嘩両成敗みたいな判断が下ったということにますます混乱した。このきっかけとなったBBCでは次のように報じている。

UN investigators have accused government forces in Libya of war crimes and crimes against humanity.
Rights experts said they had found evidence of crimes including murder and torture, in a pattern suggesting Libyan leader Muammar Gaddafi was behind them.
国連の捜査官は、戦争犯罪と人道に対する罪でリビア政府軍を起訴した。
捜査に当たった専門家は、彼らの犯罪には殺人と拷問を含んでいる証拠を発見したと言い、リビア人のリーダー、ムアマル・カッダーフィがそれらの背後にいたと述べた。

The UN mission also said opposition forces were guilty of abuses that would constitute war crimes, although they were not as numerous.
また、国連派遣団は、反政府勢力についても、その数は多くはないとは言え、戦争犯罪をなしたと等しく有罪であると述べた。

 報道では、今まで両者が激しく攻防を展開していることを報じてきたが、どちらかというと、カダフィー率いるリビア軍の横暴として取り上げられていた印象が強かっただけに、国連の調査の結論は意外だった。また、リビアの反政府側が民間人の保護を訴えてきたことで国連が当初動いたということから、その当事者側を調査対象に置くとは思わなかったことだ。同記事では、カッダーフィ個人に対する告発ではなく、それが率いる政府とある。この辺の文章の解釈と実際は、国際法ではどういった扱いなのかという疑問を持ったため払拭したかった。Twitterでは短く書いたため、真意が人にきちんと伝わったとは思わないが、私の言葉に反応されたレスをもらった。

「国連安保理決議1970=人道に対する罪(戦争犯罪)の後が、決議1973=民間人の保護、飛行禁止空域等。」

 これについてじっくり考えてみたが、どうも話しが噛み合わない。私が解釈の的を得ているか曖昧だし、このレスの内容は当たり前のことだ。ここは、私も誤解していない部分で、問題はそこじゃない。先にも触れたとおり、国連が何処まで戦犯を問えるのかという点だ。言ってみれば、多数決で人の罪を決定付けるだけの実効力がどれほどあるのかを考えたかった。
 リビアの件はその具体例として取り上げてみた。

 国連安保理決議1970とは、3月18日、民間人保護のための武力行使を国連加盟国に許可する決議1973(参照)が国連安全保障理事会によって採択されたが、この採択の基準になっているのが1970で、1970ではリビア情勢にに関する各国の意見などが明記されている(参照)。議題に上げる原案が1970で、その決議案が1973という名称で呼ばれていると解釈して良いのだと思う。
 この1973が採択されてから直ぐにリビア政府への攻撃が始まった。この時、戦争を始めたと勘違いするような勢いで、民間人保護というのは名目で、実はカッダフーィ打倒が目的のような光景だった。これは個人的な印象に過ぎないが、いきなり爆撃だった。そして、後に凄く違和感を持ったこの1973の採択は、とても微妙だった。今回の決議採択で注目す国連安保理の構成は、固定の常任理事国5カ国(アメリカ、イギリス、中国、フランス、ロシア)のほか、非常任理事国が、インド、ガボン、コロンビア、ドイツ、ナイジェリア、ブラジル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ポルトガル、南アフリカ、、レバノンとなっている。1973につていの安保理の決定は、5常任理事国すべての同意投票を含む9理事国の賛成票が必要だが、結果は大変微妙で、棄権した5カ国とは、ロシア、中国、ブラジル、インド、そしてドイツ。気を置いたのは、イギリスとフランスが軍事介入に積極的であったの対し、その同盟国であるドイツは棄権にまわり、しかも決議履行について軍事的に協力することを拒否したことだ(参照先国連安保理のプレス・リリース)。このことは別の機会に書きたいと思っている。
 さて、この採択と混同しそうになったのが、カッダフィー大佐と次男のセイフ・アルイスラム氏、義弟のアブドラ・アルサヌーシ氏の政権幹部3人について国際刑事裁判所(ICC)に提出された逮捕状請求の件だった。これは、5月16日の毎日で知った(参照)。

主任検察官は会見で、組織的で広範囲な市民への攻撃▽デモへの発砲▽イスラム教礼拝参加者への狙撃▽トリポリの刑務所での拷問--などを容疑としてあげた。
検察官は、セイフ氏を「実態的な首相」、アブドラ氏を「大佐の右腕」として、大佐を含め、3人が合議して作戦を直接指揮した疑いを指摘した。このほか、アフリカ系の外国人への強姦(ごうかん)や攻撃など戦争犯罪の疑いもあるとして、別途捜査を続けている。
国連安保理決議に基づく北大西洋条約機構(NATO)主導の多国籍軍のリビア攻撃は、「市民の保護」が目的で大佐自身を標的にはしていない。ICCが逮捕状を認めれば、国際社会が初めて大佐自身の身柄を確保する意思を示すことになる。

 話しが散漫になるが、私の脳内がこの通り散漫なので仕方がない。このまま書くことにする。
 ここでも触れている通り、国際刑事裁判所と国連安保理の違いははっきりしている。かつてから言われていることだが、国際刑事裁判所から逮捕状が出ても直ぐに取り押さえられない理由がある。それは、執行を当該国に任せている仕組みは、未加盟国では難しいからだ。リビアは、加盟国ではない。ついでに触れると、スーダンのお尋ね者バジル大統領が平気でのさばっているのも、スーダンが未加盟だからだ。逮捕状が取れたとしても盛り上がりに欠けるのはそのためだし、未だにカッダーフィ大佐を容疑者カッダーフィと呼ぶのを見かけない所以だろうと思う。
 今更不思議とは言わないが、もう一点ある。国連安保理では採択に加わり賛成票を投じたアメリカは、国際刑事裁判所の枠組みに参加していない。これは変な感じがする。
 国際刑事裁判所の枠組みに属さないアメリカは、他国で戦闘に参加している自国の兵士が、自国の意思に反して裁かれるのは嫌だと理由があるのだろうか。ところが、他国に対しては、合衆国の国民を国際刑事裁判所に引き渡さないという協定を結べと要望している。これは、ある仕組みを通じて自分が裁かれるのは嫌。だから、その仕組みには加わらない。また、他人に対して、その仕組みに協力するなと言っている。でも、その仕組みを使って他人を裁くのには賛成する。と、こういう行動をとっている。この背景を分かっていてもアメリカの外交判断を読むのは難しい。
 問題は、人道支援や市民を守る立場でリビア政府の攻撃に応戦してきた国連加盟国は、反政府側にも戦犯が確定した今、これまでの介入と何か違いがあるのだろうかという点だ。リビア政府の攻撃に対して応戦すれば、それは反政府側の助っ人にもなってしまうのではないだろうか。今回の調査の判断と関係があるのかどうか分からないが、将来、国際刑事裁判所から逮捕状が下りれば、アメリカがビンラディンを殺害したように、国際社会が公然と殺害できるという運びにしたいのだろうか。

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2011-06-03

G8が決議したのは「おしぼり代」だった

 昨日極東ブログであがったエントリー「残念ながら簡単に言うとアラブの春は失敗」(参照)を読ませてもらって、不覚にも涙がこぼれた。本当にこぼれたという感じ。読みながら、当時Googleの幹部だったワエル・ゴニム氏(1980年12月23日・カイロ出身)が軍に取り押さえられ、出てきて一躍有名人に仕立て上げられたが、CNNのインタビューに答えているときの様子が浮かんだ。多くの仲間を失い、それでもムバラクの圧政30年は充分過ぎるほど充分だと、「革命2.0」の闘士を燃やすことを誓っていた。また、ムバラク氏の肖像画が引き裂かれて人々が勇ましくデモをする様子や、多くの人が命を落とした荒れ狂ったような争乱が浮かんだ。それらが何のためだったのかという無念さでもあるが、何故か込み上げてくる思いを抑えられなかった。歳を取って涙腺が緩んだくらいの理由にしとこ、と思った。

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 感情的なことはこの際置いておくとして、もう一度、G8の出した結論について振り返っておきたいと思う。極東ブログの考察から、私の先日のエントリーのピントも合ってきた感じがした。
 5月29日の「欧州の南北に広がる経済格差を背景に主要国は迷走を始めた?」(参照)で私も取り上げたが、G8で決議されたエジプトとチュニジアへの支援金の意味がよく分かっていなかった。これを報じる記事の拾い方にも問題があったとは思うが、その理由に、「民主化と支援を並行する」という言い回し方から、民主化が失敗だったと判断し切れていなかった。言葉に踊らされたという感じもある。
 そもそも、多少なりとも民主化が進められるような国力があれば、他国からの支援を必要とはしないだろうという前提があった。また、多少の支援をしたとしても、何故そこまでエジプトとチュニジアに肩入れするのか?という疑問が残っていた。ましてや、G8に参加した国は、世界の主要8ヶ国だが、皆どの国も緊縮財政を抱えてお尻に火がつきそうな国ばかりだ。火がついていても女のケツを追いかけるというイタリアの某氏を皮肉った風刺画がいい味を出していたが。自分の足元を良く見たらどうかくらいに思っていた。それを押しても支援するという道理は何だったのか、それを解く鍵は、エジプトのコプト教会が度々襲撃されたことにもあったようだ。これは、極東ブログで指摘されていて思い出した。
 5月の初旬にコプト教会が襲撃された時、確かに私もその記事をクリップして読んだ。ムバラク政権末期に起きた状況と良く似ていたし、退任後の不安定な状態が背景だと思ったが、一方では、誰かがわざと火をつけているのかもしれないとも思っていた。記憶では二度ほどこれを報じたようだった。理由は、人々のストレスを弱いものいじめに向けさせるという捻くれた発想からだと思っていたが、これが鍵だったとは思いつかなかった。というか、すっかり忘れていた。これは、軍政が諸暴力の統制を失い始める兆候であったと見れば、民衆が暴徒化した理由になり、エジプトの革命が不十分だから彼らのフラストレーションが弱いものへ向いたということに結びつく。これには納得したが、私が最も分からなかった「肩入れ」の理由について、このフラストレーションが大元だということが次第につながった。
 引用されているウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)やファイナンシャルタイムズによると、G8に参加したチュニジアの代表が次のように提案したようだ。

「わが国には(民主化)成功のための全ての要素はある。しかし実際の成功にたどり着くには資金援助がほしい」。サミットに参加したチュニジアのカイドセブシ暫定首相はこう述べ、さらに同国の民主化成功が「イスラム世界と民主主義が相容れないものではないことの証明となる」と話した。

「わが国には(民主化)成功のための全ての要素はある。しかし実際の成功にたどり着くには資金援助がほしい」。サミットに参加したチュニジアのカイドセブシ暫定首相はこう述べ、さらに同国の民主化成功が「イスラム世界と民主主義が相容れないものではないことの証明となる」と話した。

 私もこの記事は読んだが、修辞が外せなかった。おまけに、もっと修辞がやたら とついているファイナンシャルタイムズの引用部分ではこうだ(参照)。

Three months after a wave of popular discontent swept away dictatorships in Tunisia and Egypt, the Arab spring’s revolutionary tide i s ebbing. The brutal regimes in Libya, Syria, and Yemen have shown beyond doubt that they are ready to murder as many of their people as necessary to cling to power. To give hope to the brave souls still opposing these despots, it is crucial that the relative successes of Egypt’s and Tunisia’s revolutions are consolidated.
大衆の不満の波がチュニジアとエジプトの独裁政権を押し流して三か月、アラブの春という革命の潮は引いている。リビア、シリア、およびイエメンの野蛮な政権は、権力固執の必要に合わせて自国民を虐殺する用意があることを明確に示してきた。独裁者に勇気を持って抗う人に希望を与えるには、比較的成功した部類のエジプトとチュニジアの革命をより確実にすることが決定的に重要である。

 これらの記事から修辞を外して読むと

修辞を除けば、中東民主化は失敗し、チュニジアとエジプトが独裁に滑り込まないためには、見物人は寺銭を払えよということ。

 言われてみると確かに。チュニジアの代表が支援を要求するするために「民主化に失敗した」とはよう言わんだろ。そうだね、と思った。周辺の中東諸国の人々に希望を与えるためと言うのも取ってつけたとは思えない。然りなお説だと思う。何かの力でさらなる暴徒化を沈静化するとしたら、エジプトやチュニジアの人々の暮らしの安定化がまず第一だ。エジプトの軍の限界とも言うべきか、クーデターを起こすシナリオまでが軍の役目であったのかもしれない。この先の経済政策については、今はゼロとも言えるのだと思う。ここで、しっかり者のメルケルさん曰く「与えるだけではダメだ」と次のように話している(WSJ

ドイツのメルケル首相は「絶対外せない目標はこの地域の経済に市場メカニズムを早急に確立することだ。そうしなければこの資金援助では足りなくなってしまう」と話した。

 この言葉は重みがある。財政破綻したギリシャやアイルランドの支援で学習済みだ。経済の立て直しが独自の力で出来なければ、いくら支援しても足りなくなる危機感は充分感じていると思う。これらの国の国債は暴落してしまっているため、メルケルさんの頭の痛いところだと思う。
 ところで、極東ブログの考察の〆に書かれている「みかじめ料」という言葉を始めて知った。

おそらく対イスラエル政策の変更もそうした軍政による大衆迎合の一環ではないかと懸念され、そのまま諸暴力の統制が失われることを欧米が、イスラエルの手前もあるのだろうが恐れ出して、まずはみかじめ料でも差し出すかということになったのがフランス・ドービルの主要国首脳会議であった。

 iPad2に入れた「大辞泉」の出番だ、と喜び勇んで調べてみた。以下のように出ていた。

みかじめ-りょう【見ヶ〆料】
暴力団が、縄張りとする繁華街の飲食店や風俗店などから取り立てる用心棒料。おしぼり代・観葉植物代・広告料などの名目で法外な金額を要求するものをいう。

 へぇ。この意味の通りに解釈するのもなんだが、要するにアレかな。エジプトとチュニジアにここで支援金(見ヶ〆料)を渡して、特にエジプトでは軍にボーナス先渡し的なものかな、もう少し頑張ってもらって北アフリカと中東の統制を図ってもらうということみたいだ。

蛇足だが、「寺銭(てらせん)」の意味も大辞泉で引いておいた。

てら-せん【寺銭】
ばくちなどで、場所の借り賃として、出来高に対する一定の割合で賃元または席主に支払う金。寺。てらぜに。

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2011-06-02

スーダン・アビエイ地域の帰属問題に微妙に絡む中国

 「スーダン南北が合意」という見出しに釣られて31日、47ニュースが報じた合意の内容を真に受けてよいものかどうか半信半疑だった(参照)。というのも、微妙な部分として南北の国境付近にあるアビエイ地方の帰属問題が解決の方向に向かうのかどうかが焦点で、この問題が南スーダンの独立問題そのものと言っても良いと思う。石油の産出が多い土地だけに利権問題が絡んでいるのは言うまでもないが、民族的な分離を求める独立問題にこの土地の住民が望むように南に帰属できるというものでもないようだ。そして、Twitterで捉えた昨日のNHK記事によると、問題のアビエイ地区に触れて大変微妙な報じ方をしていた(参照)。両紙共に、31日のアフリカ連合(AU)の発表を元に報じているということは内容から分かるが、アビエイに関して、どう解釈したらよいか迷った。記事を比較してみたいと思う。
  まず、47ニュースから。

 【ナイロビ共同】アフリカ連合(AU)は5月31日、対立が続くスーダンの南北当局が南北境界に沿って非武装地帯をつくることで合意したと発表した。1月の住民投票で南部が7月に分離独立することが決まったが、北部軍が5月、境界に位置する係争地の油田地帯アビエイ地区を武力で制圧、南北の緊張が高まり、AUが仲介していた。

 非武装地帯では共同でパトロールを行うとしているが、設置時期など詳細は明らかになっておらず、緊張緩和につながるかは不明。AUによると合意は30日で、南北間の治安安定のため、双方の防衛担当相や軍トップらからなる共同機関を設置することも決まった。

 アビエイが北スーダンによって侵攻されたことは5月22日47ニュース記事(参照)で知り、問題が難しくなってきたことを感じた。途中情報として25日、「スーダン「Bashir, you step aside?」バジル大統領が退陣の意向?」(参照)でも、いくつか記事をクリップしたところだった。
 話の流れとしては、北部がアビエイを侵攻して住民が南部に避難し、実質北部が制圧した状況だった。ここで、AUの仲介で話し合いが行われて合意したと聞けば、北部が引いたことを意味するのではないかと解釈していた。が、一日置いたNHKでは次のような微妙なニュアンスだった(参照)。

 アフリカのスーダンでは、来月に迫った南部の独立を前に、北部のスーダン政府と南部の自治政府が、南北の境界に沿って非武装地帯を設置することで合意しました。
 スーダンでは、北部のアラブ系の政府と南部のアフリカ系の反政府勢力との間で20年以上続いた内戦が終わり、住民投票の結果、来月、南部が独立することになっています。こうしたなか、南北間の仲介にあたっているAU=アフリカ連合は、先月31日、北部の政府と南部の自治政府の代表者が東アフリカのエチオピアで会合を持ち、およそ2000キロにわたる南北の境界に沿って非武装地帯を設けることで合意したことを発表しました。合意によりますと、非武装地帯では南北が共同でパトロールを行うほか、双方の防衛担当相らが率いる共同機関を設置し、南北の安定した関係維持を図っていくということです。スーダンでは、南北の境界付近にあり帰属が決まっていない油田地帯のアビエイ地方を、先月、北部の政府軍が占拠したため、南北間の新たな火種となっていますが、今回の合意はこの問題には触れておらず、引き続き緊張した状況が続きそうです。

 アビエイは、北部によって占拠されたままで「新たな火種」として緊張状態にあるという事だと思う。解決に向かって欲しいという気持ちの力関係からか、47ニュースを信じたくなるが、アビエイが北部に占拠されたという事実から見ると、信憑性はNHKにあるのだろうと思った。
 NHKニュースが微妙だと思う理由に、アビエイ地方に触れずに合意したという点だ。そうであれば、その話し合いや合意はあまりにも中途半端に感じる。この土地が係争地であり問題の焦点でもあるため、この土地に関して合意するためのAUの仲介ではなかったのだろうか。そこを外した合意などというものは空のようなものだと思う。ニュースの通りだとすると、はっきり言ってAUは阿呆としか言いようがない。また、逆にNHKニュースの信憑性を疑うなら、合意の中味がはっきり掴めてないニュースを流してくれるなよと言いたくなる。事実関係が明らかにされていないため、このNHKニュースの後、黙るしかなかった。
 また、この記事がクリップされたのは極東ブログのfinalvent氏によるもので、彼はこの記事からスーダンをどのように読んでいるかと気になっていた。昨夜、エントリーが挙がっていた(参照) 「スーダンのアビエイ地方が予想通り紛争化」のタイトルの通りなのだとまず思う。ニュースの信憑性はいろいろ言っても結局のところ分からないが、北部スーダンがアビエイを占拠していることに変わりないのであれば、いくら他の場所が共同で非武装地帯としてパトロールすると合意されても、問題の地は北に属しているのと同じことになる。あれかな、公平に投票で決めるのではなく、早い者勝ちみたいなものでこのまま決まってしまうのかな、などと馬鹿なことを言いたくなる。変な話、北がこの土地を治めてしまえば他が手を出しにくくなるというのはあると思う。その一つとして、中国の北部支援のことがある。極東ブログで触れていてハッとしたが、このことがすっかり抜けていた。
 国連やアメリカが一歩引いているように映っていたのは、何だったのか。極東ブログが引用しているワシントンポストを深読みすれば、中国の支援を「貢献」として尊重すべき点だったのかもしれない。貢献と言っても私の扱いは、括弧つきである。誤解なきよう先にお断りを入れるが、中国叩きが目的で書いているのではない。あくまでも中国の動きとして客観視しているだけだ。変な石は投げないで、このことは理解していただきたい。利権の文脈で言うなら中国にとってスーダンは資源産出国であり、外交で言うなら武器輸出国だ。その中国にバジル大統領を動かすことが出来るかは分からないが、南北スーダンが和解するための後見人的な立場だという自覚が中国にあるだろうか。国際社会が中国に期待することと、中国がスーダンを支援している目的が違っても、中国に利益が齎されることであれば外交として動く国かもしれない。
 そもそも、アビエイが南部に属して独立してしまうと、北部から調達している石油が南部に7割方移る事になる。中国は資源確保のためこのところ、モンゴルでも問題の種になっているようだと知ったが、必死で資源を集めているという印象を受けた。
 スーダンの話しが中国の話になってきてしまったが、今後も中国の動きがきになる。

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2011-06-01

人道に対する罪、大量虐殺を犯したムラディッチ被告はこうして裁かれる

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 This photo was taken on May 28, 2011 . This photo was taken on June 19, 2009 .

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 「なぜ流血を減らそうという政策をジャスティスの前に選択しないものなんだろうか。」これは胸にひりひりしてくる問いかけだと思った。極東ブログで昨日取り上げられた「ムラディッチ被告逮捕で問われる「ジャスティス」」(参照)のタイトルからも分かるとおり、お尋ね者に罰を与えたり審判する前に、政策問題を考え直しても良いのじゃないかと疑問が投げかけられている。中にはそのように読まずに戦犯は戦犯で罪を犯したことには違いないということで、罰するべきだという意見もあると思う。どちらかというと、それが国際社会の常識なのだと思う。勿論、公正に裁判が行われて然るべきと思うが、このところの国際社会のやり方は、人道を無視したやり方になってきいるのではないかと疑念を抱くようになってきた。これも嫌な心持ちだ。
 ウサマ・ビン・ラディン氏が先月、アメリカにって殺害された時、アメリカ国民が歓声を上げて沸き返った理由の一つに、911の悲劇を齎したイスラム過激派の首謀者を射止めた喜びがあったと思う(参照)。だが、私はあのキチガイ騒ぎが気持ち悪かった。そして、オバマ大統領やクリントン国務長官がこの度のムラディッチ被告逮捕を賞賛する声明を出していることに、同じような気持ち悪さが残っている。上手く言えないが、「正義」が大きく立ちはだかってシステムとなり、そこに組み込まれた仕組みが正常に期待されたとおりに機能すると、どんな人間も全て悪人となるような恐ろしい武器のようなものに感じる。それが、アメリカを代表とする国際社会が皆そうなってしまうのかという恐ろしさを感じてる。加えて、命をかけて戦うものに宿る魂は後世に引き継がれ、その血が途絶えてしまうことはなと言われているだけだけに、闘士一人を殺害して終わる話ではないことでもある。
 先日、セルビア・タディチ政権が進めるEU加盟問題に関して「欧州の南北に広がる経済格差を背景に主要国は迷走を始めた?」で少し触れたが(参照)、フランスG8後の欧州経済がテーマだったのであえてこの問題は避けた。ムラディッチ容疑者に関しては、人道という観点から彼自身を問う問題と、その虐殺と言われる行為が内戦の出来事で、ひいてはセルビア人全てを人道に反する行為を行った罪人として問う問題であること。これが、政治や経済の文脈とは違うと思うし、これはこれでいずれ取り上げたいと思っていた。
 虐殺という問題行為は、ムラディッチ被告及びセルビア人勢力だけではなく、それを言うのであればボスニア・ヘルツェゴビナ内戦に続いたコソボ紛争では、NATOも加害者としての反省が必要だと思う。NATOによる空爆で荒廃した国土となり、遂にはコソボも無くしてしまった。勿論、セルビア側にも「民族浄化」などとと言われるような行為があり、「悪玉」として手配されても致し方ないことだ。こういうことを言い出せば、喧嘩両成敗と言いたくなる。ただ、今問題になっているのは、敗戦の傷跡を引きずるセルビア国民にとって、内戦指導者であったムラディッチを戦犯として引渡すこと。また、これと引き変えに、EU加盟にすがるようにその選択を迫られている現実があるのだと思う。これらを受け入れがたく感じるものがあってもおかしくはないと思う。我らの英雄は敵国の戦犯なのである。EU加盟がセルビアの復興にとってどれ程のメリットがあるかは全く分からないが、ムラディッチ被告を手土産にEU諸国との関係改善を今図っておくことは、将来的には復興に結びつくとは思う。ところが、もろ手を挙げて賛成したいとも言いがたい面がある。
当のセルビア人の意見が割れている点を5月27日のNewsweekが次のように指摘している(参照)。

 EU統合セルビア事務所のミリカ・デレビッチ所長によると、現在EU加盟を望んでいるセルビア国民は57%で、02年以来最低の割合だ。セルビア人は戦犯引き渡しを求めるEUの要求を恐喝と見ている。さらに国外旅行をするセルビア人が増えるにつれて、実際に見るEUが政治家が喧伝するような「バラ色の社会」とは異なると実感し始めた。

ムラディッチ拘束を受けて、セルビア語のネット上には怒りの声も書き込まれている。「セルビアは何も得られない」「セルビア人はこれから、特にボスニアで大きな圧力にさらされるだろう」

 二つ問題がありそうだ。貢物としての戦犯引渡しに抵抗する点と、EUの「バラ色社会」が白あせて魅力がなくなった点だ。EUが緊縮財政であることや、ユーロでは南ののほほん国家と北の富裕国家がいがみ合りになり、ドイツは特に、これ以上のほほん国会を養うのはウンザリだという反発が漂い始めている。このことは先のエントリーで書いたことにつながる(参照)。

 ベオグラードでも街の中心部で若者のグループが愛国的な歌を歌うなどの現象がみられたため、セルビア警察は組織的な集会を禁止し、警備を強化した。
ある世論調査によれば、セルビア人の51%がムラディッチの身柄引き渡しに反対だった。フェースブックのセルビア国防相のページには、あるユーザーが「まるで自分が拘束されたようだ」と書き込んだ。「われわれは誰しも神の前では小さな存在だ」

 フェースブックで広がる辺りは、なんとなくエジプトの「革命2.0」のような動きを感じる。この動きがともすると反政府運動につながる可能性も秘めていると思う。
 セルビアに関してどうしても書いておきたいと思うことは、これらの背景がある中でアメリカの勇ましい雄叫びが滑稽にも見えてくることだ。これは、「薄汚い正義の現実世界」この上ないことは勿論だが、その世界水準には日本も含まれる。だから私もだ。私はそこまで落ちぶれたくない。そして、いきなり闇討ちのように殺害したビンラディン殺害よりも当初はましかと思ったが、そうでもない。比べられるものでもないが、もっと悪い。政治の取り引きに戦犯を利用している点と、他国の手に負えない独裁者への見せしめに利用する点だ。これに私は加担はしていないが、これを行使する「国際社会」の一員であることは間違いない。これが許せない、と言っても始まらない程ちっぽけな存在なのだ。
 ハーグ裁判が公平に行われることを望むしかない

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