2011-06-03

G8が決議したのは「おしぼり代」だった

 昨日極東ブログであがったエントリー「残念ながら簡単に言うとアラブの春は失敗」(参照)を読ませてもらって、不覚にも涙がこぼれた。本当にこぼれたという感じ。読みながら、当時Googleの幹部だったワエル・ゴニム氏(1980年12月23日・カイロ出身)が軍に取り押さえられ、出てきて一躍有名人に仕立て上げられたが、CNNのインタビューに答えているときの様子が浮かんだ。多くの仲間を失い、それでもムバラクの圧政30年は充分過ぎるほど充分だと、「革命2.0」の闘士を燃やすことを誓っていた。また、ムバラク氏の肖像画が引き裂かれて人々が勇ましくデモをする様子や、多くの人が命を落とした荒れ狂ったような争乱が浮かんだ。それらが何のためだったのかという無念さでもあるが、何故か込み上げてくる思いを抑えられなかった。歳を取って涙腺が緩んだくらいの理由にしとこ、と思った。

G82011arabsring

 感情的なことはこの際置いておくとして、もう一度、G8の出した結論について振り返っておきたいと思う。極東ブログの考察から、私の先日のエントリーのピントも合ってきた感じがした。
 5月29日の「欧州の南北に広がる経済格差を背景に主要国は迷走を始めた?」(参照)で私も取り上げたが、G8で決議されたエジプトとチュニジアへの支援金の意味がよく分かっていなかった。これを報じる記事の拾い方にも問題があったとは思うが、その理由に、「民主化と支援を並行する」という言い回し方から、民主化が失敗だったと判断し切れていなかった。言葉に踊らされたという感じもある。
 そもそも、多少なりとも民主化が進められるような国力があれば、他国からの支援を必要とはしないだろうという前提があった。また、多少の支援をしたとしても、何故そこまでエジプトとチュニジアに肩入れするのか?という疑問が残っていた。ましてや、G8に参加した国は、世界の主要8ヶ国だが、皆どの国も緊縮財政を抱えてお尻に火がつきそうな国ばかりだ。火がついていても女のケツを追いかけるというイタリアの某氏を皮肉った風刺画がいい味を出していたが。自分の足元を良く見たらどうかくらいに思っていた。それを押しても支援するという道理は何だったのか、それを解く鍵は、エジプトのコプト教会が度々襲撃されたことにもあったようだ。これは、極東ブログで指摘されていて思い出した。
 5月の初旬にコプト教会が襲撃された時、確かに私もその記事をクリップして読んだ。ムバラク政権末期に起きた状況と良く似ていたし、退任後の不安定な状態が背景だと思ったが、一方では、誰かがわざと火をつけているのかもしれないとも思っていた。記憶では二度ほどこれを報じたようだった。理由は、人々のストレスを弱いものいじめに向けさせるという捻くれた発想からだと思っていたが、これが鍵だったとは思いつかなかった。というか、すっかり忘れていた。これは、軍政が諸暴力の統制を失い始める兆候であったと見れば、民衆が暴徒化した理由になり、エジプトの革命が不十分だから彼らのフラストレーションが弱いものへ向いたということに結びつく。これには納得したが、私が最も分からなかった「肩入れ」の理由について、このフラストレーションが大元だということが次第につながった。
 引用されているウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)やファイナンシャルタイムズによると、G8に参加したチュニジアの代表が次のように提案したようだ。

「わが国には(民主化)成功のための全ての要素はある。しかし実際の成功にたどり着くには資金援助がほしい」。サミットに参加したチュニジアのカイドセブシ暫定首相はこう述べ、さらに同国の民主化成功が「イスラム世界と民主主義が相容れないものではないことの証明となる」と話した。

「わが国には(民主化)成功のための全ての要素はある。しかし実際の成功にたどり着くには資金援助がほしい」。サミットに参加したチュニジアのカイドセブシ暫定首相はこう述べ、さらに同国の民主化成功が「イスラム世界と民主主義が相容れないものではないことの証明となる」と話した。

 私もこの記事は読んだが、修辞が外せなかった。おまけに、もっと修辞がやたら とついているファイナンシャルタイムズの引用部分ではこうだ(参照)。

Three months after a wave of popular discontent swept away dictatorships in Tunisia and Egypt, the Arab spring’s revolutionary tide i s ebbing. The brutal regimes in Libya, Syria, and Yemen have shown beyond doubt that they are ready to murder as many of their people as necessary to cling to power. To give hope to the brave souls still opposing these despots, it is crucial that the relative successes of Egypt’s and Tunisia’s revolutions are consolidated.
大衆の不満の波がチュニジアとエジプトの独裁政権を押し流して三か月、アラブの春という革命の潮は引いている。リビア、シリア、およびイエメンの野蛮な政権は、権力固執の必要に合わせて自国民を虐殺する用意があることを明確に示してきた。独裁者に勇気を持って抗う人に希望を与えるには、比較的成功した部類のエジプトとチュニジアの革命をより確実にすることが決定的に重要である。

 これらの記事から修辞を外して読むと

修辞を除けば、中東民主化は失敗し、チュニジアとエジプトが独裁に滑り込まないためには、見物人は寺銭を払えよということ。

 言われてみると確かに。チュニジアの代表が支援を要求するするために「民主化に失敗した」とはよう言わんだろ。そうだね、と思った。周辺の中東諸国の人々に希望を与えるためと言うのも取ってつけたとは思えない。然りなお説だと思う。何かの力でさらなる暴徒化を沈静化するとしたら、エジプトやチュニジアの人々の暮らしの安定化がまず第一だ。エジプトの軍の限界とも言うべきか、クーデターを起こすシナリオまでが軍の役目であったのかもしれない。この先の経済政策については、今はゼロとも言えるのだと思う。ここで、しっかり者のメルケルさん曰く「与えるだけではダメだ」と次のように話している(WSJ

ドイツのメルケル首相は「絶対外せない目標はこの地域の経済に市場メカニズムを早急に確立することだ。そうしなければこの資金援助では足りなくなってしまう」と話した。

 この言葉は重みがある。財政破綻したギリシャやアイルランドの支援で学習済みだ。経済の立て直しが独自の力で出来なければ、いくら支援しても足りなくなる危機感は充分感じていると思う。これらの国の国債は暴落してしまっているため、メルケルさんの頭の痛いところだと思う。
 ところで、極東ブログの考察の〆に書かれている「みかじめ料」という言葉を始めて知った。

おそらく対イスラエル政策の変更もそうした軍政による大衆迎合の一環ではないかと懸念され、そのまま諸暴力の統制が失われることを欧米が、イスラエルの手前もあるのだろうが恐れ出して、まずはみかじめ料でも差し出すかということになったのがフランス・ドービルの主要国首脳会議であった。

 iPad2に入れた「大辞泉」の出番だ、と喜び勇んで調べてみた。以下のように出ていた。

みかじめ-りょう【見ヶ〆料】
暴力団が、縄張りとする繁華街の飲食店や風俗店などから取り立てる用心棒料。おしぼり代・観葉植物代・広告料などの名目で法外な金額を要求するものをいう。

 へぇ。この意味の通りに解釈するのもなんだが、要するにアレかな。エジプトとチュニジアにここで支援金(見ヶ〆料)を渡して、特にエジプトでは軍にボーナス先渡し的なものかな、もう少し頑張ってもらって北アフリカと中東の統制を図ってもらうということみたいだ。

蛇足だが、「寺銭(てらせん)」の意味も大辞泉で引いておいた。

てら-せん【寺銭】
ばくちなどで、場所の借り賃として、出来高に対する一定の割合で賃元または席主に支払う金。寺。てらぜに。

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