原発事故の見直し-「1号機原始炉破損は5時間後」
東日本大震災後の政府や東電、保安院などの対応や分析結果の公表などがポツリポツリと報じられるとネット上では「そんなことは知っていたこと」と、既に過去の話になってしまっている。関心も薄れてきている感じがする。実際、今頃当時のデータを見直して何が起こったを検証されても起きた事が変わるわけでもない。が、データに基いた分析やそれを行う担当機関から得た情報は、原発の将来の決定には不可欠だと思う。昨日、いくつか新しい情報をクリップしたので備忘的に記録しておくことにした。
まず、昨日のニュースを聞いて呆気に取られたのが、東日本大震災に寄せられた義捐金の配分が全体の15%にすぎないと言うことだった(参照)。これは、政府の対応という点で抑えておきたい。
仮設住宅には入居資格を持つ住民の入居率は50~60%だというが、その理由はいくつか挙げられていた。入居すると自力で生活するのが前提となるため、生活費の不安があることが一番大きなネックだと伝えていた。被災では廃業を決めた会社も多く、復興の資金繰りの目処がついていないため、働き口がない。それと同時に、今の避難所から離れてしまうと情報から遠くなる点や、人里離れてしまうため車などが必要になったりその維持費がかかったりするため、結果として入居できない原因になっていると知った。自分の住む家をどれ程待ち焦がれていただろうかという思いと、鍵を手にしながら遠くの仮設住宅を眺めているだけだという切ない状況を何とかできないものなのかと気を揉んだ。こんな状況だというのに、これまでに寄せられた義捐金の85%が行き渡っていないとは。被災者の置かれている状況を早く何とかしなくてはと、口では言う政府は、やっていることは政局問題だ。いい加減にしろと、誰もが言いたくなる。今から急いでこの手配に当たってもらいたい。
先ほどチェックしたTwitterのクリップ記事に、東電から提出された福島原発事故のデータを基に保安院の独自の解析を報じるNHKニュースがあった(参照)。今更分かったところでどうなるものでもないが、問題は、私達が原発とどう付き合って行くのかを考える段階で、事故後の記録に基く検証は重要になってくると思うのがこういうことではないだろうか。
今回事故を起こした原発は、私達が賛成して決めたものではないが、この経験を後世にどう生かすかが問われている。菅さんは先日行われたフランスでのG8で原発以外の発電に力を入れると発言したそうだ。勿論、私たちは何も具体的な計画などは知らされていない。一方、ドイツでは、メルケルさんが2022年までに廃炉する方針を決定している。
さて、日本はいつ議論するのだろう。例えば、菅さんが解散総選挙(可能性は無きにしも非ず)をするとする。何が争点になるか何を国民は望んでいるのかと言う話になれば、原発の話抜きでは復興もあったものではないし予算も増税も全て私の懐からでてゆくことになる。政府のエネルギー政策についても私は、また原発のある社会を次世代に残すと言い切れるだろうか。少し長くなるが、以下にNHKニュースをそのまま引用した。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きて原子炉が損傷した時期について、経済産業省の原子力安全・保安院が解析した結果、1号機では地震発生からおよそ5時間後で、東京電力の解析よりも10時間早いとする見解を公表しました。
原子力安全・保安院は、先月、東京電力から提出された福島第一原発の事故に関する記録などを基に、事故の経緯について独自に解析しました。それによりますと、1号機では、津波によって原子炉の冷却機能が失われ、地震発生の2時間後には核燃料が水面から現れ始め、地震発生から5時間後の3月11日午後8時ごろには、メルトダウンが起きて原子炉が損傷した可能性があるとしています。これは、東京電力の解析よりもおよそ10時間早くなっています。また、2号機では、地震発生からおよそ80時間後の3月14日の午後10時50分ごろ、3号機では、およそ79時間後の3月14日の午後10時10分ごろにメルトダウンが起きて原子炉が損傷したとしています。東京電力の解析と比べると、2号機ではおよそ29時間早い一方で、3号機はおよそ13時間遅くなっています。東京電力の解析と異なる結果になったことについて原子力安全・保安院は「原子炉に水を注入した量や解析の計算方法が違うためだが、メルトダウンに至る経緯はおおむね一致する」としています。また今回の事故で、3月11日から16日までに大気中に放出されたヨウ素131とセシウム137を合わせた放射能の量は、1号機から3号機まで合わせると、およそ77京ベクレルに上ると推定しています。この値は、ことし4月に国際的な基準に基づく事故の評価を「レベル7」に引き上げた際に試算した値のおよそ2倍になります。これについて原子力安全・保安院は「2号機からの放出量をこれまでの圧力抑制室だけでなく、格納容器からも漏れ出たと仮定した結果、量が倍になった」としています。今回の解析結果は、20日にウィーンで開かれるIAEA=国際原子力機関の閣僚級会合で、日本政府が提出する報告書に反映される予定です。
20日の会議に合わせたとも言えるが、事故後早期にNRCが出していたデータ(3・26)や分析結果、非難区域を80kmに設けるべきだと言う指摘など耳を傾けて置けばよかったと後悔しても始まらない。本当に言いたくないことだが、当時戸外で遊んでいた幼児や妊婦さんのこれからの不安を思うと胸が痛い。怒りのぶつけどころもなく、悔しさと怒りが収まらない。結果的になってしまうが、最悪の事態を想定して原発開発をしている欧米の危機管理には脱帽である。事故の経験国の意見や原発開発者、技術者の指摘を聞き入れるべきであったと思う。
また、日本人の多くはこれほど早くメルトダウンが起き、原子炉の底が破損してしまうとは予想していなかったが、核反応がこれほど速く起こり、制御不可能な状態にレベルが上がって行く原因が、電源確保できなかったためだという点から、二重三重にも備えるべきだと思う。事故後、初めて「保安院」という存在を知った頃の会見はお粗末だったが、これが本来、保安院のやるべき仕事なのだと思う。
もう一つ、NHKニュースのクリップ記事が続いていた。
「オフサイトセンター機能せず」(参照)では、地震後の停電でセンターと政府の情報交換ができなったことを挙げている。
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、現地で関係機関が一堂に会し、事故の対応や住民の避難などの対策に当たるはずだった「オフサイトセンター」と呼ばれる施設が、地震による停電や事故後の放射線量の上昇などで機能しなくなっていく様子が、当時の状況を記録した経済産業省の原子力安全・保安院の内部文書から分かりました。政府は「現地が機能しない場合、柔軟な対応が必要だ」として、オフサイトセンターの仕組みを見直す方針です。
このセンターが機能しなかったことが保安院の内部文書で明らかになったというが、日本ではこれが初めて報じられるのだろうか。極東ブログ「GE製Mark Iはそもそも欠陥だったのかもしれない」(参照)では、ニューヨークタイムズと並べてウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の記事を並べて考察しているのがもっと速かった。この中で、独自の調査によって「福島第1原発、地震直後の24時間」(参照)で取り上げている。
オフサイトセンターが孤立
政府の緊急対応は、福島第1原発から車で15分の場所にあり、原子力安全・保安院(NISA)が運営する「オフサイトセンター(福島県原子力災害対策センター)」で行われることになっていた。しかし、センター立ち上げを担当していた横田一磨氏が現場に到着して、電話線も携帯電話も使えないとわかった。衛星電話も機能しておらず、非常用発電機の燃料ポンプは故障。初期の重要なときに、センターは外部から隔絶されていたわけだ。
これこそ今頃なんだろうと不思議に思った件だが、政府が情報を得られなかった一番の理由なのだろうか。「センターの仕組みを見直す」とあるが、仕組みの問題だろうか。それもあるかもしれない。先日も他の件で書いたとおり( 参照)、東電は、政府の命令に関係なく海水を注入し続けたという現場としての判断を優先した例があったが、ここではっきりしたのは、政府が無能だと言う点ではないだろうか。専門家ではないので、政府が無能でも仕方がない。言いたいのは、現場と安全管理機関、政府がそれぞれの立場を理解できていないことが原因でもあると思った。政府が知らないことがあってもおかしくはないが、それを知る担当機関が責任を持って情報を把握していたのかと言えば、保安院が中途半端だったようでもある。ましてや、東電ともなると、事故の状況やデータの説明の義務やその責任の自覚が全くなかったと思われる。その様子を隠蔽かと当初疑ったが、そうでもなく、多くのデータは要求すれば後から出てくる始末だ。
書き出すときりがないのだが、復水器の圧力を抜くための弁が停電によって作動しなくなり、手動で開けるにもそばに近づけないほど放射線量が多かったような情報も後から出てきた(参照)。冒頭にも書いたが、以上のことを含めて今後の原発継続や廃止の是非に対する意思決定の参考にしたい。
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