ウィキーリークスで12月9日公開された山岡氏の働きについて
リークされた普天間基地移設問題に関するアメリカの2009年12月9日付け、公電の訳文が極東ブログで挙がった(参照)。2009年、政権交代時の政府の要人や関係閣僚の動向がどのようであったか、また、日本との外交に有用な情報としての扱いが興味深い。過ぎ去った事とは言え、その観察力や事実把握を知って、対日アメリカ外交は容易くはなかったと察した。今頃になって当時の個々の動きを知るのは感慨深さもあるが、現実に起こったことなのかと疑わしい部分もある。というのは、国の役人や政治家の裏側というものは、NHKの大河ドラマでも見ているような展開である。訳されているご本人が「漫画にするとわかりやすいかも」などと言われていたが、そうかもしれないと思った。
アメリカ側に立ってみると、私も理解に苦しんだ鳩山という政治家だが、沖縄基地移転や同盟国であるアメリカの抑止の問題をひっくり返すような発言を連発し、さぞ驚かれていたに違いない。同時期、外交官であった斎木氏はアメリカに政府の要望に妥協するなと引っ張り(参照)、政府は主要人の意見のまとまりもなく、日本側の本音や動向を読むのは至難の業であったことだろうと思った。
さて、今回は、極東ブログのリークシリーズ第一回に登場した山岡国会対策委員長の12月8日の発言を中心に、公電によって本国アメリカ政府に報告したものだ。山岡氏がアメリカにインフォームした情報の意図的なことを読むのは難しいが、これをアメリカの立場で読むのも当然難しいと感じた。私の着眼点が問われたが、山岡氏の言動から見えてくるのは、小沢氏の当時の思惑だった。分かってくるうちに何故か泣けた。山岡氏の当時の読みは全て外れたと言ってよいほど、現実は違った。結果的に何一つ思ったとおりに運ばず、小沢氏の右腕としてはきっと一番残念であっただろう。
まず、この公電の冒頭にあるとおり、連立政権の難しさから日本政府の沖縄基地移転問題の決定が遅れていることを念頭に話しが始まっている。鳩山氏がオバマ氏に約束したとされる普天間基地移転の決定がなされない理由は、連立を維持する必要性からだと説明し、理解を求めてる。これも、翌年7月の参院選で勝利すれば現行案で決着することを保証し、アメリカをそのように説得している。
当時、私たち国民は、鳩山氏が政権交代の目玉とも言われた「県外移設」を信じようと努力し始めていた。というか、半信半疑でもあり、県外移設の計画案も示されないまま気を揉んでいた。因みに私は、個人的には県外移設は無理な話だと思ってた。辺野古移設に収まると社民党が離脱するかもしれない、そうなると民主党政権自体の存続が危ぶまれた。山岡氏が現行案で押し切ろうと苦慮していたことから、小沢氏には腹案もなかったと言える。
また、決着が遅れている他の理由として、岡田外相が年内決着にごちゃごちゃ言っていると伝えている。そこで、岡田氏が当時沖縄基地移転問題をどのように考えていたか、外相の立場で話した記事がある(参照)。
岡田克也外相は29日午前の参議院本会議代表質問で、林芳正・自民党参議院政審会長の質問に答え「米海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の県外移転は難しい。米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)との統合(案)は個人の発言か、内閣で合意を得たものかとの問いでありますが、これは、外務大臣としての判断であります」と「政府の合意でなく、外相としての発言である」と語った。
岡田外相は、こうした考えに至った理由として「(現行の基地移転プランが)自民党を中心とする政権の下で、13年間かかったもの(プラン)であり、これ以上の時間をかけることはできるだけ、避けたい」との思いが強いこと。
さらに「これ以上時間をかけるということは、普天間基地周辺の住民の危険がこれからも続くということ(を意味する)」「なるべく時間をかけず、基地移転について、現行案よりも、なるべく沖縄に負担を軽くする方法はないものかということを今、真剣に検討している。その中で、既存の滑走路を活用することのできる嘉手納基地統合案がひとつの案として浮上し、わたしのところで検証作業を行っているところです」と説明した。
岡田外相は「嘉手納基地統合案の検証結果を踏まえて、できるだけ早く結論を出したい」と答弁した。しかし、この案に対して嘉手納基地の地元、嘉手納町が臨時議会を開き、統合案に反対するとともに、案の撤回を求める意見書を可決している。(編集担当:福角忠夫)
この記事を読んでなんだか涙ぐんでしまった。県外移転は難しいという点と、それまで自民党が13年間を投じて出した結論をじっくり精査した上、根拠ある考察を示している点は岡田氏の誠意であり、沖縄に対する実直さではないかと感じた。これは、一連のリーク情報には見ない政治家の心を垣間見た気がした。が、この動きも小沢氏とは違う。岡田氏は外相でありながら常に蚊帳の外であった事を立証した事になる上、発言にも「外相として」と強調されているあたりは、鳩山、小沢両氏に関係ないというメッセージを送る必要があったことがうかがえる。
山岡氏は、鳩山氏がオバマ氏と交わした期限の約束に拘り、その責任を果たそうとしない鳩山氏に業を沸かしたのか「poor communicator」と、アメリカに愚痴をこぼしたようだ。この焦りのようなものの元に何があるのかと思った。
そして、山岡氏(=小沢氏)はもう一つ大きな見当違いを言っている。仲井真知事の再選の見通しはないと見ていたようだ。仲井真氏は、自民党政権化では辺野古移設で協調していたため、まさか、県外移設で再選されようとは、この時点では考え及ばないことが後に起こったわけだが、仲井真氏のこの勢いは現在にも至っている。山岡氏の読みは、全て希望的観測という話で終わった。また、一連の動きには、沖縄の人達の意向を汲むような配慮の欠片もなかったことが窺える。
ここで2009年9月21日のリーク情報(極東ブログ)で明らかになった山岡氏とキャンベル国務次官補との会談を思い出した。「自民党のやり方を変えると民主党が約束したから、民主党は選挙に勝てたのだ」述べた上で、「過去に結んだ「秘密協定」を公開することが重要なのである。」と、アメリカに主張していた意図は、小沢氏が次の首相になるためのお膳立てだったのかもしれないと思った。以下がその具体的な部分だ。
政治的理由から、この公開を鳩山や岡田といった民主党員は非核三原則を法制化するための一歩と望んでいるかもしれない。しかし、山岡と小沢は、核持ち込みが必要かもしれないと日本の公衆が受け入れるよう、折を見て、説得することが民主党の目的だと確信していると山岡は述べた。
ここで言われたとおり、小沢氏が核の持ち込みを容認する考えを持っていたのだろうか。それとも、アメリカとの話を優位に持ち込むための話術としてだったのだろうか。これは、大きな疑問として残った。
また、小沢氏の訪中の話を持ち出し、中国から歓待を受けて大成功を収めたにもかかわらず、年明けのアメリカとの会談の要請に応じようともしなかったアメリカの冷遇を対比的に話すことで小沢氏の実力をアピールし、キャンベル氏に今後の小沢氏との親密関係を約束させている。
9月の時点では小沢氏を次の首相だと強くアピールし、その後、鳩山氏の意思決定の弱さ、岡田氏のぐずつき、連立政党との意見不一致などを理由に12月8日、翌年の7月の参院選で勝つことによって安泰になると読んでいることをアメリカに力説した。その理由は何だろうか。全ては、小沢氏が首相になるためだったのだろうか。
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