2011-05-04

オサマ・ビン・ラディン氏の殺害について

 オサマ・ビン・ラディン氏がアメリカ軍によって殺害され、水葬された。何かと最近海に流すのを聞くが、あまりいい気はしなかった。水葬とは埋葬しないという意味かと思ったが、これは、永久に葬るという意味合いだったのだろうか。
 殺害されたことを最初に知ったのは2日、外出先でたまたまTwitterのタイムラインで流れたBBC記事を拾って読んだ時だった(参照)。一緒にいた友人とはこの件で少し話しながら帰宅したが、何とも気が重かった。そして、気持ちに整理が出来ず、書くに書けなかった。未だにすっきりしているわけではないが、書きとめておこうと思う。
 最初に持った感想は、「オバマ氏率いるアメリカは正義をなしたと勝ち誇り、国を挙げて人殺しをした」であった。その晩のニュースで映し出された映像を見て、街に繰り出して上気している人々の様子を見るなり気持ちが悪くなった。
 911テロで多くの人が犠牲となり、その悲しみの深さがどれ程のものだったかは、あの歓喜の裏返しなのだということは理解できないでもないが、同時にそれと同じ悲しみをオサマ・ビン・ラディン氏を国の英雄と見なす人々に与えたことになる。つまり、「敵のテロリストは味方の英雄」である。これがそもそもの問題であるため、その目的や意図を議論に入れると、準じて意見が分かれるだけで収集がつかなくなる性質を持っていると思う。だが、オバマ氏が「正義をなした」と言っているのは他人事じゃない。私もその一人として含まれていると思うと気分が悪くなるのは、人殺しの片棒を担ぎたくないという拒否反応であることは間違いない。
 感情的なことはさておきと簡単には行かないが、国際社会の一員として、何に賛同するのか考えてみた。というよりも悩んでいるが。
 ビンラディンは、米軍のサウジからの撤退や、アフガニスタン、イラク戦争で具体的な要求をしなかったと言えば嘘になるが、仮に米軍がサウジから撤退したとしてもアルカイダのテロが収束したとは考えにくい。その背景に、イスラム教徒が世界的に西側、キリスト教文明に圧迫されたことによる脅迫観念があり、彼らの要求は、実現が困難な種類のものだったとは思う。その結果、手段として世界的に無差別なテロ「911」を行使したことは立派な犯罪である。イスラムに対するネガティブなイメージを全世界に植え付けることとなったのは事実だとも思うが、行為そのものから、テロか否かを判断するのが最も公正だとしているのが国際社会の基準で、これ以上の公正な基準などはあり得ない。国連加盟国のどこからも謗りを受けない公平な発言すべき国連事務総長が、このテロ行為を首謀したビンラディン氏の殺害を歓迎しているというのが国際的な評価のようだ(日経)。

 潘事務総長は「アルカイダの犯罪はほとんどの大陸に及び、悲劇をもたらすとともに、何千人もの命を奪った」と指摘。ビンラディン容疑者の死亡に関して、個人的な感想だと断ったうえで「正義が達成され、非常に安堵している」と心境を語った。

 これでも私が殺害が公平だと思えない理由に、ビンラディン氏が国際社会のテロに対する認識を理解したうえで自分の罪を認めなくては意味がないと思っているからだ。が、どう考えてもその接点はおそらく永久に見ることはないとも思った。それは、「イスラムの怒り」(参照)で知った彼らの信仰上、その育ちから歪められないものだからだ。命がけで守る意味があるからだ。
 それよりも、本当に彼が911テロ事件の首謀者なのだろうか。途中の記憶も曖昧だが、あのテロ事件後、どこからともなくビンラディン氏が首謀者だとされ、彼の隠れ家を追跡するニュースを知ってはいたが、彼が首謀者であるという仮定的な見方の上で成り立っていたのではなかっただろうか。そこがよく分からないままだというのもすっきりしない。
 また、もっと突き詰めて考えてみると、彼一人を殺害しても、イスラムの怒りには終わりはなく、延々と引き継がれて行くだろうという点だ。これを思うと、米国のあの歓喜に湧いた図柄は、またいつしか次の地獄絵と変わるのではないかと思った。これを「ビン・ラディン氏がいなくても、アルカイダという旗さえあれば、自らの死を厭わず神風決死隊に参加する人々は絶えない。」(参照)と言われていて、実は、このエントリーを書く気になった。大勢が喜ぶ中に水をさすような罪悪感があり、気後れしてしまったのが正直な気持ちだ。
 ここまで整理するのにかなり時間がかかってしまったが、オバマ戦略としてはこの時期にビンラディン氏殺害を行ったのは、計画的だったと言える。諸説いろいろあるようだが、Newsweek(日本語版)のコラムで冷泉彰彦氏がまとめている意見は参考になった(参照)が、最後の一行が気になった。

 いずれにしても、今回の事件は「オバマという政治的怪物」の真骨頂だと言えるでしょう。良い意味でも悪い意味でも、オバマは2期目を射程に入れてきたと思われます。

 「良い意味でも悪い意味でも」とは何だろう?と、ふと気になったが、ここは私の悪い癖で直ぐに答えが見たくなってしまうところだが、これが今後の私が見て行く課題なのだと思った。
 また、世界の独裁者はどう見ているのかと気になり外国紙も当たったが、それらしきことに触れている記事はなかった。
 ビンラディン氏の殺害を極東ブログでは次のように見ている。

  米国の関心も、現実的にはビン・ラディン氏の始末より、パキスタンが保有する核の管理にあり、パキスタン国内の反米的勢力に懸念を抱いている。その点で今回の事態は、彼らへの強い威嚇にもなり、米国の戦略の駒を上手にひとつ分だけ進めたことになる。
 国によっては威嚇も感じない剛胆なる独裁者もいるが、我が隣国の小心なる独裁者は身震いしただろうし、中東にいるその友人の独裁者も悪寒くらいは感じただろう。

 冷泉氏の視点から、オバマ氏の政治的な手腕という文脈で捉えたため、その強かさにメジャーを当ててしまうが、世界平和を唱えるオバマたらんとするなら、アフガニスタンから撤退するまえに片付けるべきはパキスタンの保有する核管理問題であり、大きな課題だと思う。同時に、パキスタンの核開発に北朝鮮が手を貸しているならば、その触手はしばらく伸ばせないような威嚇ともなったのかもしれない。

 

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