2011-05-02

メア氏発言が分かりにくかった背景とメディアへの警戒感

 メア氏発言で私の気がかりは、二つあった。それも、大騒ぎするほどのこともないと当初はあまり関心がなかったが、一つは、メア氏が学生相手の講義で沖縄を侮辱した発言をしたと報じられた直後、メア氏のコメントを一切表に出さなかったアメリカ国務省のその理由だった。隠蔽と言うよりも、事を大げさにしないため口をつぐんだと言う印象だった。大方、沖縄感情を損ねないための配慮と言う気はしていた(参照)。
 その後、ウォールストリートジャーナル日本のインタビューに応える形でメア氏本人の 言い分を聞いた時(参照)、学生によるメモの内容は歪曲されたものである点と、そのメモを作成したのは「おそらく反基地運動の関係者」、という表現によって仄めかしに聞こえた点だった。そこで疑ったのは、メア氏は、反基地運動家を知っているのかどうかだった。
 学生と反基地運動家がつながっていることが立証されなければ、メモの歪曲を言及するには信憑性の点で曖昧すぎると思った。また、本当は誰が歪曲したかを知っているのかもしれないと思っていた。これを推測だけでここに書くわけにも行かず、事の進展を待っていたと言えばそうだが、メア氏が自ら退職して名誉回復のために表に出てきて釈明と反論をしたとき、歪曲の張本人が暴きだされればよいとは思った。
 極東ブログは、メディアの報じていることが事実に則していないのではないかという点を明るみにし、メア氏一連の背景を出来うる限り洗い出している。結果、私が感じたのは、片手落ちの報道に多くの人が振り回されたと言うことだった。
 昨日の極東ブログ「メア氏問題の背景」(参照)を読めば分かることだが、講義を受けた学生の中に反基地運動を首謀する同大学院生の猿田佐世がいたことと、学生の指導的立場であるデービット・バイン准教授が「二人のリーダー」に該当するようだ。これはまず間違いないのだと思うが、問題が、このようなメンバーを国務省の役人が催す講義に参加させていた事だとすれば、国務省の落ち度である。また、歪曲が事実なら、何故この二人を名誉棄損で訴えないかなと思う。それが出来ない理由が国務省にあるからメア氏は口止めされ、結果、名誉回復のため退職して表に現れたのだろうと推測した。謎のままになってしまうのは、国務省の本当の理由だ。メア氏はおそらく知っていると思うが、個人の名誉回復は出来ても、守秘義務を侵害すれば元も子もなくなる。この謎は、このまま迷宮入りとなるのだろう。
 「私のメディアに対する警戒感がわかる人なら、またやってるねくらいの話である。」と、前段で言われているが、メディアに警戒感を持つことを教えてくれたような事件だったと思ったのは私だけではないと思う。それがプロのジャーナリストかと疑いたくなるが、相手に求めてもどうにもならないので、自分で調べて事の真相を知るしかなくなると思った。
 話はガラッと変わるが、放射線防護の専門家として内閣官房参与に任命されていた小佐古敏荘東大大学院教授が4月29日、放射線量基準をめぐる政府の対応を「場当たり的」だと批判して辞任した件で、少し気がかりがある。今後どうなるかは分からないが、メディアに対する警戒感も含めて備忘として書きとめておきたいと思う。
 この辞任は、原発や放射線の問題で官僚に頼らない「セカンドオピニオン」が必要だとする考えのものとに首相官邸に呼び入れた専門家の造反であると捉えてよいのだと思う。わざわざ呼び入れた学者に批判されたままでは、政府は認めたことになる。そこで、枝野氏が説明の会見を開いたが「誤解されたまま辞任した」と釈明している。これでは、政府の面子を保ったに過ぎない。問題は、小佐古氏の専門家としての意見が何であったかと、そのことが議論されていないから「誤解だ」で済ますしかなくなっていることが残念であり、政府への不信にもつながる点だ。小佐古氏は、放射線防護の専門家であるゆえ、市民に直接的な問題として見逃したくなかった。
まず、氏の意見だが、5月1日の赤旗が端的にまとめている(参照)。

小佐古氏は29日の辞任会見で、原子力災害関連の法令順守を基本とする立場から、政府の対応を「その場限りで『臨機応変』な対応を行い、事故収束を遅らせている」と批判。その具体例としてあげているのは、次の3点です。
(1)福島第1原発からの放射能拡散を予想する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が手順通りに運用されず、公表が遅れた。
(2)放射線業務従事者の緊急時被曝(ひばく)限度について、今年1月の文部科学省放射線審議会で法令の100ミリから500ミリシーベルト~1シーベルトまで引き上げるよう提言したが採用せず、今回の事態を受けて急きょ、250ミリシーベルトに引き上げた。
(3)原子力安全委員会の委員は4月13日、福島県内の小学校等での被曝量について「年間10ミリシーベルト程度」と発言したが、文科省は19日に「1~20ミリシーベルト」との基準を決定した。

とりわけ小佐古氏が強く批判しているのは(3)です。会見で「通常の放射線防護基準(1ミリシーベルト/年)で運用すべきだ。特別な措置を取れば数カ月は年10ミリシーベルトも不可能ではないが、通常は避けるべきだ」と指摘。原発労働者でも年間20ミリシーベルトの被曝はまれだとして、「私のヒューマニズムからして受け入れがたい」としています。公表されている各種の資料を見ると、国内の原発労働者の年間平均被曝量は数ミリシーベルト程度です。

 小佐古氏の辞任表明を受けてから直後の4月30日、枝野官房長官は次のように説明している(参照)。

--辞任の理由で小学校の年間限度を20ミリシーベルトにしたことをあげ、強く非難していた。原子力安全委員会にも、もっと限度を下げるべきだとの意見もあったというが
「これについては明らかに誤解をしているが、20ミリまでの被爆は構わないというような方針、指針ではまったくない。当該学校について地域的な広がりとしては20ミリシーベルトには達しないと思われている地域の学校についての問題。そして、校庭について。確か3・8マイクロシーベルト/アワーを超す線、これが、この屋外につまり校庭の真ん中に1日8時間いて、そして屋内に残りの時間、木造住宅に16時間いて、365日を継続すると20ミリシーベルトになるという計算だ」

 枝野氏の主張する「誤解」は何にかかっているのかとじっくり読むのだが、人の言葉と言うのはよく分からないものだ。
 「20ミリまでの被爆は構わないというような方針、指針ではまったくない」と強調しているのが何にかかっているかだが、誰もそうは批判していない。もっと下げるべきだとして小佐古氏は、「通常の放射線防護基準(1ミリシーベルト/年)で運用すべきだ」という主張と、原子力安全委員会の「年間10ミリシーベルト程度」と両者は提示している。ところが、ここで議論されたでもなく政府は、「年間1~20ミリシーベルト」という文科省の基準を採用したため、小佐古氏は、存在意味を失ったのだと思う。年間被爆量の違いこそが意見の違いの部分であり、これは「誤解」ではない。
 ここで、一市民として恐ろしいのは、専門家の観点と役所(文科省)の観点が違うにもかかわらず、その根拠を議論することなく提示された決定事項から健康被害が回避できるのか、その指針の信憑性が欠けることだ。言い換えると、被爆許容量があるとすれば、それは低いほど安全であるというのが一般的な解釈だと思う。枝野さんの話しが苦しい言い訳ではないのなら、何故、小佐古氏の意見の扱いを明確化しないかだ。「誤解」の一言で済ませる問題ではないと思う。
 専門家がその専門性として主張し、政府の方針がその責任範囲を超えるという理由で辞めるということは自由だが、政府に対する不信は残る。逆に、これを利用して菅下ろしの陰謀を企てている人物がいるとは思いたくないが、日経は次のように報じている(参照)。

枝野幸男官房長官は記者会見で慰留する余地のない辞任だったと主張した。小佐古氏を細野豪志首相補佐官を通じて首相に推したのは辞任会見に同席した空本誠喜氏。小沢一郎元代表のグループ出身の当選1回の衆院議員だ。首相官邸内では「反菅」勢力との関わりなど辞任劇の背景を勘繰る向きもある。

 このように書かれていると、否が応でも政局の権力問題に風景が変わる。ここで何かの思いが読み手に固定観念化すると、他の記事の読み方も自ずと偏ることにもなり兼ねない。
 メディアへ警戒感を持っていても、読み手側に偏りがあるとなかなか中立的な立場で物事が見えないものだ。私の例では、血生臭いことが苦手であるため、中東の争乱の何が内戦で何がジェノサイドかなどの区別がつきにくくなる。
 読み方という意味でも、極東ブログの今回のエントリーは、両者に適度な刺激をもたらしたと思う。

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